第2話 二人で一つ(Just the Two of Us)
シグニィに導かれるまま、俺と柚葉は、だだっ広い円形の部屋に通された。
石造りの殺風景な部屋だ。
窓一つなく、ただ静寂が支配している。
中央にぽつんと置かれた、黒曜石の台座。
その上にある水晶玉が、天井から降り注ぐ淡い光を吸い込んで、ぼんやりと輝いていた。
「ここは『ヴィトラーンの間』。あなた方が、この世界でどのような役割を担うのか。神々が与えたもうた力を、その目で確かめていただく場所です」
「資質? ウチら、なんか特別な力でもあんの?」
柚葉が、物珍しそうに水晶玉を覗き込みながら言った。
さすがに、もともとの身体能力で魔王なんて倒せるわけがないしな……。
勇者としてなんらかの能力が目覚めたりしているんだろうか?
「さあ、まずはモトイ様から。その台座の水晶に、そっと手を触れてみてください」
促されるまま、俺は黒曜石の台座へ進み出る。
ひんやりとした水晶玉の表面に右手を置いた。
その瞬間。
目の前の空間に、すぅっと半透明の青白いウインドウが浮かび上がった。
まるでSF映画だ。
だが、そこに表示された文字列は、俺にとってひどく現実的だった。
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【柏木 基】
職業:なし
レベル:1
【ステータス】
筋力:F
体力:F
防御力:F
魔力:F
敏捷性:F
器用:E
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「……おいおい」
予想通り、と言えば予想通りか。
前職はプログラマ。
運動習慣など皆無。
ほぼすべてのステータスが、情け容赦なく最低ランクの『F』。
それが数値として可視化されただけのこと。
なのに、どうしてだろう。
胸の奥が、ちくりと痛んだのは。
「うわ、ザッコ……」
背後から、柚葉の遠慮のない、しかし的確すぎる声が突き刺さる。
俺が内心で肩を落とした、その瞬間だった。
ウインドウの下半分に、新たな項目が浮かび上がった。
『スキル』。
ひときわ強い黄金の光が、一つのスキル名を照らし出した。
【スキル】
誓いの聖盾:SS(測定不能)
「――なっ!?」
シグニィが息を呑むのと、その黄金の光がスキル欄から迸るのが同時だった。
光はステータス欄へと伸び、先ほど表示された『防御力:F』の文字を上書きしていく。
表示が明滅し――やがて、ありえない文字列へと書き換わった。
【ステータス】
筋力:F
体力:F
防御力:F ⇒ SS(測定不能)
魔力:F
敏捷性:F
器用:E
なんだ今の演出……。
Fから、SSへ。
矢印(⇒)で示された、異常すぎるランクアップ。
意味が分からない。
俺のステータスのはずなのに、俺の理解がまったく追いつかない。
俺が一人で混乱していると、隣でシグニィが、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。
「素晴らしい……なんと……。『誓い』の御名において、脆弱なステータスを根源から覆すとは……」
俺自身は、まったくピンとこない。
守る力?
誓いの盾。
あるいは、守れなかったから、なのか。
だとすると、皮肉にもほどがある。
「戦闘能力こそ皆無ですが、このサポート能力……。そして、この規格外の守護の力……。さすがでございます、基様」
「はいはい、次ウチね!」と柚葉が割り込んでくる。「なんかよく分かんないけど、SSってやつが出ればいいんでしょ?」
そして、軽いノリで水晶玉に指先をちょん、と触れさせた。
その、瞬間だった。
キィィィィィィンッ!!
水晶玉が、悲鳴のような甲高い音を立てた。
次の瞬間、部屋の全てを塗り潰す、純白の光が迸る。
凄まじいエネルギーの奔流。
室内に風が吹き荒れ、立っているのもやっとだ。
「うおっ!?」
「きゃっ!?」
俺とシグニィが腕で顔を庇う中、ウインドウがガクガクと震えながら表示される。
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【橘 柚葉】
職業:なし
レベル:1
【ステータス】
筋力:F
体力:E
防御力:F
魔力:SS(測定不能)
敏捷性:D
器用:F
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表示されたのは、それだけ。
スキル欄すらない。
ただ、圧倒的な一つの才能。
魔力、SS。
その規格外の表示に耐えきれなかったのだろう。
光が収まった後には、水晶玉に痛々しい亀裂が一本、走っていた。
静寂。
部屋にいる全員が、言葉を失っていた。
最初に口を開いたのは、シグニィだった。その声は、微かに震えていた。
「これほどの、マナ……。神話の時代の、大魔術師に匹敵する……いや、それ以上……」
彼女の視線の先で、柚葉本人は、自分の指先とヒビの入った水晶玉を交互に見比べて、呆然と立ち尽くしている。
「え……? あの……ウチ、なんか、やっちゃった感じ……?」
やっちゃった、どころの話じゃないだろ……。
攻撃能力ゼロの、鉄壁のおっさん。
防御能力ゼロの、超攻撃的なギャル。
なんだこの笑えない組み合わせは。
そしてお互いに体力がないぞ。どうすんだ。
「これぞ運命、です」
ふいにシグニィが言った。
その顔には、先程までの驚きとは違う、どこか恍惚としたような表情が浮かんでいた。
「防御に特化した基様と、魔力に特化した柚葉様。お二人が出会われたのは、まさに運命の采配。あなた方は、二人で一つなのです」
二人で、一つ。
その言葉が、やけに重く響いた。
◇◇◇
「いやー、ウチ、マジすごくない? SSだって! 最強じゃん!」
「ああ、そうだな」
「え、なにその反応うっすいの。もっとこう、驚きなさいよ! ひれ伏しなさいよ!」
「はいはい、すごいすごい」
「絶対本気で思ってないでしょ!」
『ヴィトラーンの間』からの帰り道。
興奮冷めやらぬといった様子で、柚葉が俺の隣を歩きながら騒いでいる。
俺は、彼女の規格外の力への呆れと、自分の歪なステータスへの戸惑いで、それどころではなかった。
誓いの聖盾……か。
スキルのおかげで、防御力だけはSSに振り切れた。
だが、それ以外はF。
戦闘能力は皆無だ。
俺に、一体何ができるっていうんだ。
俺は立ち止まる。
柚葉は、どんどん先へ進んでいっていたが……。
ふと、自分のステータスウインドウをもう一度開いてみた。
プログラマ時代の癖のようなものだ。
暇なときは、とりあえずターミナルを開いて情報を確認する。
だが、そこに表示されていたのは、信じがたい文字列だった。
【ステータス】
筋力:F
体力:F
防御力:SS ⇒ A
魔力:F
敏捷性:F
器用:E
「……は?」
SSだったはずの防御力が、Aに落ちている。
一体、なんだ?
「おい、柚葉」
「あ? なによ」と少し進んだ先から振り返る。
「お前のステータス、もう一回見てみろ。魔力、どうなってる?」
「はぁ? だからSSだって……え?」
俺のただならぬ様子に気づいたのか、柚葉も渋々ステータスを開き、そして、固まった。
彼女のウインドウにも、同じ現象が起きていた。
【ステータス】
魔力:SS ⇒ A
「な、なんで!? ウチのSSが! Aになってんだけど!」
「どういうことだ?」
俺は、柚葉との距離を見た。
およそ、3メートルくらいか……。
「柚葉、少しこっちに来てくれ」
「は? なんでウチが……」
「いいから。俺の隣、1メートル以内に」
文句を言いながらも、柚葉が俺のすぐ隣まで、とことこと歩いてくる。
そして、二人で同時にステータスを確認した。
防御力:A ⇒ SS
魔力:A ⇒ SS
「「戻った……!」」
二人の声が重なった。
間違いない。
俺たちの能力は、互いの距離に連動している。
そばにいれば、本来の力を発揮できる。
だが、離れると――。
「……柚葉、実験に付き合ってもらっていいか?」
「うん、まあ、いいけど……」
俺たちは、シグニィが見守る前で、ゆっくりと距離を取り始めた。
一歩、また一歩と離れるたびに、ステータスのランクが面白いように落ちていく。
SSがSに、SがAに。
それに比例して、じわじわと体が重くなっていくのが分かった。
まるで、生命力を吸い取られているような、嫌な感覚。
そして。
柚葉との距離が、ちょうど5メートルを超えた、その時だ。
「……っ!?」
「きゃっ……!?」
ぐにゃり、と視界が歪んだ。
強烈なめまい。
立っていられないほどの脱力感。
猛烈な吐き気。
俺も柚葉も、その場に膝から崩れ落ちた。
「な、に……これ……マジ、むり……」
「……これが、限界点、か……」
朦朧とする意識の中、慌ててシグニィが駆け寄ってくるのが見えた。
彼女が俺たちの間に立ち、何事か呪文を唱えると、少しだけ体調が楽になる。
「なんと……そのような繋がりがあったとは……。お二人とも、もう一度、失礼いたします」
シグニィが俺たちのステータスに手をかざす。
すると、今まで見えていなかった、一番下の部分に、新たなスキルが淡く浮かび上がっていた。
【隠しスキル】
二人で一つ(Just the Two of Us):SS
シグニィは、静かに告げた。
「神々がお二人に与えたもうた、分かちがたい絆の証。あなた方は、そばにいれば互いの力を高め合いますが、離れれば力を失い……そして、半径5メートル以上、決して離れることはできないのです」
最強の能力と、最悪の呪い。
俺たちは、その両方を同時に背負わされたのだと、ようやく悟った。
「「は…………?」」
おっさんとギャルの、呆然とした声が、静かな廊下に虚しく重なった。