非勇者と勇者 ④
カイトは反射的に首の烙印に手をやった。
「烙印を取ってやる。魔王さまに頼めば力を与えられる」
預言者が烙印を指差した。それはすでに熱を失い、端から薄くなっていた。
リリが目を見開いている。
カイトは、暴力を受け、唾を吐かれ、暴言を受けた日々のことを思い出す。その記憶自体が暴力のようだ。痛みの記憶が身体中に荒れ狂った。
だが、それは一瞬のことだった。
カイトは、ダガーを預言者の紫に突き刺した。
意志を取り戻したリリの剣が続く。
「あれ? 前はこのパターンでうまくいったのにっ――でも俺の異能も記憶も、魔王さまはバックアップ済みだ……お、ちょうど準備ができたようだ……」
預言者は、おぞましい怪物の姿に戻ったあと崩れ落ち、瘴気へ帰った。
「……カイト」決然とした顔をゆるめない彼に、そっとリリはつぶやく。
後には、王国の国旗が刻印されたローブだけが残された。
◇
巨大な扉を斬り開ける。
二人の先で——まるで岩山を割いて人型にしたような黒い巨体が姿を現した。
魔王。
「――預言者は失敗したか」
声は地響きのようだ。黒い紗幕のうらで、うっすらと目をすがめている。
剣を掲げたリリが、カイトを急かす。
「早く! 紫の位置を!」
カイトは、かたかたかたと、奥歯を鳴らしている。
「……どうしたの? カイト」
「…………駄目だ、」
「え?」
「紫が、――視えない」
魔王は、闇そのもののような黒い衣を全身にまとっていた。
カイトに見えたものも、ただそれだけだった。
呆然とする二人へ、魔王は拳を叩きつける。
間一髪でリリはカイトを抱き抱えて飛んだ。吹き飛ぶ礫が、リリの頬を打つ。
魔王は、にやりと口を歪め、指先で煽る仕草をした。
リリは、夢中で斬撃を放った。魂の力を込めた遠隔攻撃が、一歩も動こうとしない魔王の腱を切り裂く。
しかし、その傷あとは、両側からぴたっとうねるような動きを見せ、すぐさま修復された。
「はは、いい顔をしている」
戦場には似つかわしくない、間延びした笑いが響いた。
「たまにここまで来る勇者の、この顔を見るのが好きでな」
魔王は、戯れるように二人の絶望した顔を十本の指で指した。
「ほらほら、魔法を放つぞ。いつものように避けてみろ」
指先までも黒い衣に覆われていた。場所も方向も間合いも見えない。
放たれた衝撃波は、小指の先を離れてから、ようやく紫をまとう。
カイトは言葉を発する間もなく、リリを抱えて動いた。彼女を庇うように身をねじる。
間に合わない。
彼の脇腹は、大量の肉片を奪われながら深く貫かれた。
「カイトォ!!」
「…………………っっ!!!!!」
悶絶するカイトの前で、リリは青ざめながら剣を掲げた。
「この『魔具』は魂の力を隠す。ったく面倒な準備させやがって」
リリは泣いていた。ぽろぽろと勝手に溢れる涙をこぼれ落としながら、剣を握る手に力を入れた。「まだっ、まだだっ……」
「お前らも物好きだよな。身勝手な人間たちのためによく命をかけるよ。俺も勇者だったからな、分かるよ。
俺の前にも、国の敵はいたんだぜ? そいつを俺が倒した。
その俺を『強すぎる』という理由で隔離したのが、人間、だった。
――俺が預言者のシステムが好きな理由はな。効率がいいのもあるが、人間の愚かさが組み込まれていて笑えるからだ」
迫る魔王に、リリは拒むように剣を振り回す。
カイトはなす術もなく、血にまみれ床に転がっている。
「一度覚えた力に頼るところも、人間の愚かしさだよなあ」
「ち、近づくなっ!」
リリは斬撃を放つ。魔王の左手が切り離される。
しかし、手はみるみる間に再生する。
「――そろそろ遊ぶのはいいか」
魔王は眼前で右の拳を振り上げた。周囲に、猛烈な風が起こる。
「殺してお前の魂をいただこう」
そのときだった。カイトの麻の服の胸元から、激しい光があふれた。
光は勢いよく魔王の前に飛び出る。爆発的な輝きがおさまったあとの光は、小さな龍の形をしていた。
「プチドラ……!?」
カイトは、朦朧とする意識でつぶやいた。
その生き物は、瞬時、カイトを振り返って口を動かした。いつも餌を食んでいたいた小さな口が、人のそれのように動く。そしてすぐさま、魔王に飛びかかった。
カイトには、風でかき消されたその声が、何かとても大事なことを言ったように見えた。
魔王が顔を歪ませ振り払うと、光は、弾け散った。
「ああああ!!!」カイトは、光を集めるように腕を激しく動かしながら駆け寄る。亡骸さえ残らなかった。
だが光の粒子は無数の蛍が羽ばたいたように広がり、魔王を包んでいく。いっせいに黒い衣に癒着したかと思うと、火の粉を浴びたかのようにたくさんの穴が開いていった。
次の瞬間、カイトは絶叫した。
「視えた!!!!」
カイトは、ダガーを魔王の左肩へ投げた。ダガーは魔王の左肩に到達したが、かすり傷もつかない。
「――っ!」咄嗟にリリは追いかけるように風の刃を放った。ダガーが斬撃に圧されて、肉壁の深くにめり込む。
「いってええええええ!」
叫びがこだまする。それは、魔王が数百年ぶりに味わう感覚だった。
紫が移動する。
「右胸!」
リリの二振りの剣閃が十字となり、紫を引き裂く。
「左脛!」
リリが飛びかかり、高速で薙ぐ。「っぐああああああああ!!!」
――魔王は、混乱していた。
彼は悠久の時間のなかで、一方的な戦いに慣れすぎていた。
あまりにも久しぶりに受ける激痛の連続を、脳が処理できなかった。
「やめ、やめ、やめろおお!!!!!!」
魔王は、衝撃波を無闇に四方八方へ撒き散らした。
カイトとリリは、攻撃を最小の動きで身にかすらせながら避けていく。
攻撃の手をゆるめないために。
血が流れ、肉片を削れても、それは、慣れ親しんだ痛みが少し増えただけだった。
魔王は、濃い紫を無秩序に身体中に移動させていく。
「左大腿骨!」「右目!」「眉間!」「右鎖骨!」「右大腿骨!」「左肋骨!」「右膝!」
リリは、そのすべてを断ち切った。
「右足首!」「左肩甲骨!」「右耳!」「喉!」「左手首!」「右肘!」「左頬骨!」
右手が使い物にならなくなったので、左手に剣を持ち替えた。
「右下顎!」「後頭部!」「左手中指!」「右鼠径部!」「左脇腹!」「左頸動脈!」
刃こぼれで切れなくなった剣を、刺して使った。
「心臓!」
魔王だったもの。
それに、リリは剣を突き刺す。炭のような破片が、空中へと消えていく。
カイトは、その場に倒れた。
うつろな目からは、血と涙が混ざったものがとめどなくこぼれていた。
霞む視界からは、石がきしみ、天井がこぼれ落ちるのが見える。
崩落する壁に向かって、リリはカイトを支えながら、最後の力で斬撃を放った。
瓦礫を海のように割って生まれた道の先には、朝日があふれていた。