非勇者と勇者 ①
◇
戦場からどれほど馬車を走らせ続けただろうか。
検問を避け、裏道を辿り、カイトたちは貧民街の薄暗い路地へ辿り着いていた。
警邏を避けてここまで案内してくれたマルクの白髭が、ランプに照らされている。彼は、プチドラに託した手紙を握りしめていた。瞳には、いつもの酔いの霞がない。
「その娘を、早くここへ」
マルクは路地に面した倉庫の扉を開けると、棚をずらし隠し扉を示した。
「ここなら匿える……ああ、酷い」
ベッドに寝かされたリリの足は折れ曲がり、全身に打撲と切り傷が走っていた。
マルクが治療道具を持ってきた。まるで似合わない。そこまでのことを期待していなかったカイトは、目を丸くした。
「信じられんかもしれんが……どうか任せてくれ」
カイトはマルクの真剣な瞳をじっと見つめてから、頷いた。
マルクの応急処置の手捌きは鮮やかだった。
「あんたはいったい……」
男は答えず、黙って手を動かし続ける。
リリは、一晩中うなされ続けた。
「……やだっ……痛い……こわい…………」
そこにいたのはエリートとしての佇まいが崩れた、ただ耐える少女だった。「……はずかしい……うう……」
「リリ……頑張って」
カイトが血と泥で湿った髪を撫でようとした手は、空中をさまよってから、静かに引かれた。
数日後、ようやくリリの顔に血色が戻ってきた。
恥ずかしそうに彼女はつぶやいた。
「……カイト……に、助けられたんだね……」
ベッドの脇で本を読んでいたカイトは、顔を向けためらいながら頷いた。隠れ家の倉庫には何故か豊富な本が保管されており、拝借していた。
「情けない……勇者が、非勇者に助けられるなんて……」
リリが、薬湯のカップを包む手に力を込めた。
「情けなくなんてない。立派だった」
「でも」
「あんな強くなるなんてすごいよ」
「強く、か……私が思ってた『強さ』って、なんだったんだろ」
「考えるのは先でいい。今は休もう」
「軍で、徹底的に教えられた。私たちは強い、特別だと。だから上に立つのだと」
「……………………」
「……ごめん。戦場で。傷つけること言って。王都でも酷いことを」
「気づいてたんだね……大丈夫。悪いのは君じゃなく……周りが」
「そんなふうに責任からも逃げたら、私は本当に弱い者になってしまう」
リリは目を伏せる。
「子供の頃、みんなが笑える国をつくる、なんて言った。
けど、私たちがやってることは、そこから、とても遠いのかもしれない」
「…………」
「こんなやり方じゃ、もう」
「……なら、」
「え?」
「もう一度、戦えばいいじゃないか。違ったやり方で」
リリは、はっとしてカイトを見た。彼の瞳は、日の出をともに見た頃によく似ていた。
「一緒に、僕も考えるよ」
扉の向こうで聞いていたマルクは、静かに、冷めた薬湯の温め直しへ向かった。
かりそめの穏やかさに包まれた朝、マルクが新聞をカイトに手渡した。
「また討伐隊が向かったが、魔王の勢いは止められない」
カイトは、リリの寝顔から顔を上げた。
「王都に迫る、だって?」
紙面には、『第四・第五討伐隊相次いで戦略的撤退』という見出しが踊っている。
「……行かなきゃ」
カイトとマルクが視線を向けると、足に包帯を巻いたリリが、ベッドから身体を起こそうとしていた。
瞳に焦りが浮かんでいる。
「私も戦わないと――」
カイトが押しとどめる。
「まだ治りきってない。それに考えなしに戻ったら死ぬだけだ」
「でも」
「いいから、休んで! 考える。きっと何かあるはずなんだ」
珍しく強い口調に、リリは黙った。喉が詰まる。涙腺が緩むのを感じて下を向いた。
情けない。弱い。こんなところで泣いたらなおさら――。
そのときプチドラが、カイトの手を離れ、彼女に頭を擦り付けた。
リリは、一息吐いて、ゆっくりベッドに身体を沈めていく。
「こいつも心配してる」カイトが微笑んで言う。。
リリのかたわらでプチドラは身体を丸めた。彼女はささやくように言った。
「この子は、誰にでも優しいね」