非勇者の思い出
勇者が雄叫びを上げている。青年の勇者だ。宝玉の埋め込まれた兜の上で、白銀の剣を掲げている。太陽が照らす姿勢は、よくできた銅像のようだ。
その横で、女性勇者が手を振っている。魔法と剣を両方扱える彼女は、雷をまとわせたレイピアを握りしめている。マントと髪が美しくたなびく。
背後には、笑顔で斧を誇示する巨躯の中年勇者がいる。
隣には、槍を空へ突き刺す長身の勇者が。
奥にはダガーを翻す勇者が。
その隣にはまた――
――百人を超える『勇者』たちの凱旋。
馬を引く者、踊りを添える者、歓声を上げる者たちもまた『勇者』だった。
遠まきから、麻の服を身につけた数十の人々が静かにパレードを見上げていた。
『非勇者』と呼ばれる者たちだ。
彼らは隔離区からはみ出ないよう佇んでいる。どの人の首筋にも、階級を示す黒い烙印が押されていた。
『非勇者』たちの複雑な視線に、列に加わった新米勇者の一人は居心地が悪くなった。
彼は、素直な気持ちのまま、黄土色の群れへ土魔法で生成した小石を投げつけた。
離れた丘の上に、凱旋を眺めている幼い少年と少女がいた。
「ねえリリ、あれ……」
「なに?」
カイトは、勇者の手から放たれた小さな悪意を見ていた。
けれども隣のリリは、パレードの壮麗さに目を奪われ気付いてはいなかった。
◇
その日も、王国に『勇者』が生まれた。
88万7594人目の『勇者』だ。
勇者は、特権階級である。
彼らには「魂の力」があり強力な剣技や魔法を操れる。魔王軍と戦う者として尊敬を集めていた。隊を率いるのみならず、国政をも担う存在だった。
そして、その下の階層に『非勇者』たちがいた。
剣技も魔法も使えない、住居も職業も分離された被差別階級。『勇者』とほぼ同数の『非勇者』が国に存在した。
勇者と非勇者を判別するのは『預言者』だった。
彼はローブで全身を包み、王宮の奥深くにいる。
預言者は、水晶を通して各地で産婆がとりあげる赤子を見る。そして、指先で弾くようにして赤子を『勇者』と『非勇者』を振り分けていくのだ。右へ、左へ。
非勇者の首には熱を帯びた黒い刻印がなされ、その有無で一生が決まる。
『非勇者』であるカイトの人生も、そうやって決まった。
◇
カイトの親も非勇者だった。彼にとって、差別は日常だった。
一目見て分かる服を身につけさせられ、動物を見る目で見られ、唾を吐かれて、差別的な言葉を吐かれた。
「なんで、僕たちだけ?」物心がついた少年の疑問に、母と父はただ困ったように眉をひそめるばかりだった。その表情に胸が苦しくなり、カイトは疑問を口にしなくなった。雨や雪のように、差別を自然な現象だと感じるように努力した。
それでも、身体に受ける痛みは誤魔化しきれなかった。
隔離区の路地裏で、カイトはみぞおちに硬い氷の玉をぶつけられ、小さな身体を二つに折っていた。呼吸が止まり、路上に膝をつく。「おもしれえ顔」行き止まりに追い詰められた彼の前にいるのは、二人の少年だった。少年の一人、グースは氷魔法で、カイトの背中に小さな氷の粒を次々入れてくる。カイトは一転して海老反りになって身をよじった。その様子を見て少年たちはさらに笑う。
立ちあがろうとするカイトの脇腹に、今度は見えない拳が打ち込まれた。もう一人の少年、ヴィックの風魔法だ。内臓が圧迫され、胃液が逆流する。それでも逃げようとするカイトを、地面から生やした氷の石で、グースがつまずかせた。
そのとき、カイトは二人の少年の背後からすばやく近づく一人の少女を見る。「……リリ!」
言葉を言い終わるより前に、木刀の打撃を受けて二人の少年は前に倒れ込んだ。痛みはそれほどではなかったが、激震が全身に響き渡ってしびれて動けない。
起き上がり抵抗しようとしたグースの首筋に剣を当てながら、リリは言う。
「グースにヴィック。次は、たんこぶじゃ済まないよ」
カイトにとって幸運だったのは、もっとも身近にいた勇者の存在だった。
リリ。彼女は、隔離区の監査官の娘だった。
彼女もまた、疑問で親を困らせる子だった。「なんで、非勇者の人たちだけ?」
言葉を弄して諭す親を前に、彼女はいつも納得しなかった。人を助けられる英雄になれという母も父の言葉と、彼らが許容している世界のありようが、なんだか合っていない気がするのだ。
「遅いよカイト!」
隔離区の境目を辿るように進んだ先に、街を一望できる丘があった。
手を振るリリへ、息を切らしてカイトが駆け寄る。
「ごめん、見つからないよう来るのに手間取っちゃって」
丘には木々が、子供たちを隠すように生い茂っていた。
リリとカイトは、並んで日の出を見た。
地平線から昇る太陽は、やたらと大きく見える。陽光は、勇者居住区も隔離区も同じようにきらきらと照らしていた。
「きれい」
つぶやくリリの横顔は、水のように澄んでいた。
リリの存在のおかげで、カイトはぎりぎりで世界を憎まないでいられた。
丘の上で彼らがする遊びは、たわいもない探検や軍隊ごっこだ。勇者であるリリがいつもカイトを率いていた。カイトは夢中で小さな背中についていった。
その日も、リリは、木でできたおもちゃの短剣でススキの茂みをざくざくと切り開いて進んでいた。剣を振るたびにかこぢんまりとした風の刃が放たれ、ススキが倒れていく。
黄金色の海を泳いでいるようで、二人はわくわくした。
――リリに備わった勇者の異能。それは剣撃の才だった。風を切る斬撃を放ったり、魂の力を乗せて衝撃を倍化させたりといった能力が発現していた。優れた素質は、幼くして目覚めつつあった。
二人は遊び疲れ、木にもたれかかった。リリは言う。
「また嫌なことされてたでしょ? あいつらに」
「……うん」
「次やられたら、またあたしに言って」
「……非勇者は、上手に我慢することも大切だって。お母さんが」
「うちのお母さんは、勇者の力は戦うためのものだって言うよ」
「けど、あいつらもかわいそうなんだ」
「え?」
「二人とも父親が魔王軍との戦いに遠征に行ったまま、帰ってこない」
「……」
「だから、気が立ってるんだ」
リリは、幼馴染の横顔を見た。感銘と心配と呆れが入り混じった感情を感じた。
まったく、この子は。
森の奥では、鳥の声が飛び交っている。
リリは、街の上の空を見て言った。
「じゃあ、あたしが魔王を倒して、みんな笑える国をつくる! 軍に入って、強くなって!」
「なら僕は……リリの力になる。剣も魔法も使えないけど」
「ほんとー!? でもどうやって?」
「うーん、これから考える!」
二人は、木々のあいだからこぼれる光を浴びながら笑った。
「約束ねカイト。いつか二人で魔王を倒す」
リリにせがまれ、カイトは指切りを交わした。
「リリ、ありがとう」――こんな僕と。そんな言葉を省いたのは、リリが嫌がると思ったからだ。
階層を超えて身体に触れることの重さを、カイトはよく知っていた。
「まだ私なにもしてないじゃん」
リリは笑った。
「知ってる? 魔王を倒したら、王様が願い事叶えてくれるんだよ」
そして、二人は格好いい武器の話をひとしきりした。ロングソード、クレイモア、ハルバード、ダブルアックス、ほしいものはたくさんあった。
「――あ、見えた」不意にカイトはつぶやいた。
「え?」
「リリの魂」
カイトは彼女の胸にぼんやり灯った、紫色の炎を見た。
魂を見る力。
それは非勇者が持つ、唯一の異能だった。
「どんな感じ?」
「紫が、蝋燭くらい燃えてる!」
「前見た凱旋の勇者たちは、松明みたいに燃えてたって言ったじゃん」
「うん。あれすごかった。リリのは、なんていうか、かわいいよ」
「えー……なんか求めてんのと違う」
膨らんだ頬を見ながら、カイトは、その役立たない能力を愛しく思った。