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約束の飛行船  作者: 清松
第2章
4/25

強風の係留地

飛行船SS号 5/21(土)北海道・岩水海岸公園係留地

というタイトルをつけた約5分ほどの動画を、ネット上に投稿した。


“SHUNの飛行船チャンネル”

動画投稿サイトで、ちょうど1年前から俺が始めたチャンネルの名前だ。SHUNシュンというハンドルネームで、北海道内での飛行船を撮影した動画を公開している。俺自身は顔出しなどはしておらず、ひたすら飛行船の様子を撮影したものを流すだけのシンプルなスタイルだ。

それなりに見栄えが良いように最低限の編集はしているが、あまり凝った作りはしておらず、純粋に飛行船鑑賞を堪能出来るような内容にしている。


俺がこんな事を始めた理由は至って単純だ。飛行船と言うものを1人でも多くの人に知ってもらい、魅力に触れてもらえたらという思いからだ。

俺自身、有名なインフルエンサーでもなんでもないし、分野自体もマニアックでそもそも需要もない事は、百も承知だ。実際、再生数なんてどの動画もたいしたものではない。それでも、どこかで何かの機会に動画を見つけてくれた人が、ちょっと見てみるかと再生ボタンを押してくれたら。ほんの数秒だけでも飛行船の姿を見て、その存在を知ってくれたら。そんな思いでやっている。

別に俺は飛行船の回し者ではないし、こんな事をしなきゃならない義務もない。布教活動と言うつもりもないのだが、たった1人の人にでも飛行船を知ってもらう事が出来たなら、俺は純粋に嬉しい。ただそれだけの思いだ。何もしなければゼロだが、1つでも2つでも動画を置いておけば、その可能性が少しでも上がるわけだから。




挿絵(By みてみん)





俺が飛行船を見に行くのは、決まって毎週土曜日だ。

平日は授業があるし、放課後も勉強やレポート作成など何かと忙しくて余裕がない。日曜日は土曜日に撮影した飛行船の映像の編集と、休息日という事にしている。それでも結局は、日曜日にも飛行船を見に行ってしまう事もあるのだけれど。


そんなわけで、あれから1週間後の土曜日にもまた俺は岩水に向かった。

天気は良いが、相変わらずの強風でこの日もフライトは中止となってしまった。

俺のような者には、天候不良で飛行が出来ないなんていう日も、実は悪くなかったりする。なぜかと言うと、係留地へ行けば100%そこに飛行船が居て、1日中その姿を眺めていられるから。


今日の日中の当番はちょうど橋立さんだった。トラックの横でチェアに座って、風に振り回される飛行船を見守っていた。

彼に挨拶をし、俺は着ていたウインドブレーカーのポケットから小さな缶コーヒーを取り出した。

「橋立さん、差し入れです」

コンビニで買った、橋立さんの好きなメーカーのブラックコーヒー。去年もよく差し入れをした。

「わぁ、ありがとうございます! 僕の好きなやつ覚えててくれたんですね」

「もちろんですよ」

大きな両手で、すっぽりと包み込むように缶コーヒーを受け取ってくれる。

「僕にはこんな事しか出来ないけど、今年も楽しませてくれるせめてものお礼だと思って下さい。ささやかですけど」

「十分ですよ。シュンさんのその気持ちが嬉しいです」


強風のため、橋立さんの他にもう1人クルーがいる。坊主に近い短髪の“ヤンチャ小僧”という言葉なんかが似合いそうな、愛くるしい見た目の若い男性。マストの下で何か作業をしていた彼が近づいて来て、こんにちは! と明るく声を掛けてくれた。俺は彼にも缶コーヒーを差し入れた。今日は絶対に2名体制だろうと予想して、もう1つ買っていたのだ。彼は少年のような表情で、とても嬉しそうにしていた。



「今日、何だかめっちゃ人が多いですね」

「土曜日だから、お休みの人が多いんでしょうね」

強風にも関わらず、見学客がとても多かった。飛行船が岩水に到着した当日を除けば、今日は初めての土曜日だからだろうか。

飛行船を見に来る人の年齢層は、結構高めだと思う。若い人ももちろんいるが、どちらかというと年配の人が多い印象だ。きっと昔の時代に飛んでいた飛行船を若い頃によく見ていて、懐かしい気持ちで見に来るのだろうな、と想像する。

橋立さんは見学客の1人に声を掛けられて、その対応を始めたようだった。俺はそのまま1人で、飛行船と、飛行船を見学する人々を眺める。


俺は、自分が飛行船を見るのももちろん大好きだが、飛行船を見ている人達を見るのも大好きだ。

大きいね、すごいねと嬉しそうに話している親子連れ。一眼レフを構えて真剣に撮影をしている白髪交じりの男性。笑顔で肩を並べて眺めている老夫婦。歓声をあげてはしゃぎ回る子供達と、それを追いかけ回している母親……。

ここにいる全ての人が飛行船を見て、笑っている。ここではみんな、無邪気な少年少女の顔になる。俺はそれを見るのが嬉しくて嬉しくてたまらない。


この時間が、これから先何年も続きますようにと願わずにはいられない。日本で唯一の有人飛行船。費用も手間もかからない様々な宣伝方法がいくらでもあるこの時代、このたった一機だけの飛行船が、いつなくなってしまってもおかしくはないのが現実だと思う。

いつまでも、この飛行船が日本の空に飛び続けて欲しい。

たくさんの大人達を童心に帰らせ、子供達を歓喜の渦に巻き込む。無条件に全ての人を幸せにしてくれる特別で温かなこの存在が、この先もずっと続いて欲しい。俺は心からそう思っている。そして、きっと母さんも。





気が付くと、あれだけいた見学客ももう、ほとんどいなくなっている。あっという間に、かなりの時間が経っていたようだ。

係留された飛行船をただ見ているだけでも、俺は時を忘れて夢中になる事が出来る。こんなの、おそらく誰にも理解してもらえない感覚だろうなと思う。親友である秀司にさえ、もし隣にいたらきっとうんざりされる事だろう。


ここに来た時よりも風が強くなって来ている。トラックの隣に立ち、俺は着ている赤いウインドブレーカーのファスナーをきっちりと全閉した。赤は、母が好きな色だ。自分に似合う色だとも思わないが、このウインドブレーカーはこういう強風や天候不良の日なんかに愛用している。

「橋立さん、せっかくなので僕も少し飛行船を近くで撮影して来ても良いですか?」

「もちろんですよ。いつもの距離で」

「えぇ、大丈夫です」

強風の時は、そうではない時よりも飛行船に接近してはいけない。危険だからだ。俺は今まで何度も強風の日の係留地に来ているので、その許容範囲はきっちりと把握している。その事を橋立さんも知っているので、いちいち細かな説明をされる事はなかった。

「僕はちょっとあそこのお客さんにグッズをお渡ししてきますね。シュンさん、自由に撮影していて下さい」

橋立さんはそう言って、トラックに飛行船グッズを取りに行った。


もうほぼ誰もいない係留地で、風に躍る飛行船をまるでひとり占めするかのように見上げた。距離を取ってはいるが、間近で見ると本当に迫力がある。

スカイ君をベルトからはずして、母の写真を飛行船に向けた。ひとり占めではなく、ふたり占めだね。心の中でそう言って、俺は少しだけ微笑んだ。

しばらくそうした後、スカイ君をベルトにくっつけて、スマホで飛行船の動画撮影を始めた。先週も撮影はしていたけれど、ここまで接近した状態で撮るのは、今年はこれが初だ。スマホを飛行船に向けながら、ゆっくりと横に移動する。ガサガサと芝生を踏む音がするが、きっと風の音でかき消されているだろう。


先ほど橋立さんがグッズを渡しに行ったお客さんらしい人も、飛行船の写真を撮りにこちらへ近づいてきたのがわかった。どうやら女性のようだ。横目だけで一瞬ちらりと確認し、その人の邪魔にならないよう気を付けながら撮影を進めた。

一通り撮り終わると、俺は一旦バックして飛行船から距離を取った。女性客の写真撮影と見学が終わるのを待ってから、再び接近する。もう一度だけ、母の写真を間近でゆっくりと飛行船に向けてあげたくて。


今度は飛んでいる所を見せてあげるからね――




挿絵(By みてみん)




橋立さんともう1人のクルーさんに挨拶をして、その日はそれで終わりにした。

まだいても良いが、俺がずっといる事で彼らに気を遣わせるのも申し訳ない。まだ始まったばかりだ、これからもっとたくさん見に来る事が出来るのだから。何も焦る事はない。飛行船は、これから2か月間は北海道に滞在するのだから。


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