揺れる想いパート2
「金曜日に変更……ですか?」
「そうなんです。急遽決まって」
再び強風で飛行中止となった翌日、係留地でちょうど当番だった橋立さんから、残念な知らせを告げられてしまった。
「予報が変わって、移動経路に天候不良が出てしまって。金曜日だけが今の所移動出来そうなチャンスの一日なんです。その日、浜風町も飛ばして一気に津軽海峡を渡る事になりそうです」
「マジですか……」
日曜日に予定されていた移動フライトは、経路の風の予報が変わってしまった事が理由で、急遽金曜日に変更されたとの事だった。
「残念だなぁ……でも仕方ないですよね。そういえば去年もそうでしたね」
「そうですね、去年も札幌から青森まで一気に渡りましたね」
自然が絡む仕事は大変だ。風ひとつでこんなにも大きく予定を変えられてしまうのだから。飛行船を見ていられる時間が急に2日短くなってしまったが、受け入れなければならない。
『今日、仕事が終わってから係留地まで来れますか?話したい事があります』
SNSで、はるさんにメッセージを送った。今伝えても良いのだが、来れるのなら直接の方がきっと良い。彼女は俺と同じだ。今知れば、きっと気持ちが乱れてしまう。仕事に悪影響を出させてもいけない。
その日の夕方、強風に身を躍らせる飛行船の前で、橋立さんからの知らせをはるさんに伝えた。
「え、金曜日に……?」
「えぇ、急遽決まったそうです」
俺の話を聞いたはるさんは、呆然と立ち尽くした。ごうごうと耳に響く風の音。
「もしも明日はるさんがここに来られなかったら、今年はもう見られないだろうなと思って。それで呼んだんです。余計なお世話だったかな」
自然な理由を考えて、そう伝えた。もちろん本心でもある。
「全然そんな事ないです。ありがとうございます、呼んでくれて。明日ももちろんここに来ます」
はるさんは笑顔を作ろうとしているようだったが、とてもぎこちなかった。
受け入れたくないと言う彼女の気持ちがよくわかる。俺も同じだから。
「自然相手だとどうしても、しょうがないんですよね。去年もそうでしたよ」
「去年も?」
「この辺りは、地形の関係でどうしても強風が起こりやすいそうです。飛行船も、フライト中止になる日の方が去年は多かったですよ。今年は多く飛べていた方だと思います」
「そうなんですね……」
俺は夏休み中なので、金曜日になろうと見送りには行けるが。
はるさんは、金曜日では無理だろう。
飛行船を見つめる横顔が、とてもとても寂しそうに見えた。小さな彼女が、今日はさらに小さく見える。
俺は、昨夜の楽しかった時間を思い出していた。もう今年は、飛んでいる飛行船をはるさんが見る事もなくなってしまった。昨日の夜の着陸と飛行船鑑賞が、ラストの思い出作りみたいになってしまったな、と思った。
飛行船は金曜日まで見られるけれど、はるさんに会えるのは、明日までか……
そんな事を考え、急に俺は崖っぷちに立たされたかのような気持ちになってしまった。
また明日、と言ってはるさんと別れてから、俺は秀司を呼び出して夜のドライブをした。何となく、彼と話したいと思った。いつでも嫌な顔ひとつせず付き合ってくれる秀司には感謝だ。
「そっかぁ、飛行船もう青森まで行っちゃうんだね」
助手席で窓の縁に肘をつきながら、秀司も少し寂しそうな様子を見せる。
「だから、はるさんが飛行船を見られるのが明日までになっちゃってさ」
俺は何故か自分の気持ちではなくて、はるさんの気持ちの方ばかりを考えてしまう。
「はるさんも寂しいだろうねぇ」
「秀司、俺さぁ……最近、係留地に、飛行船を見に行ってるんだかはるさんに会いに行ってるんだか、よくわかんないんだよ」
正直に思っている事を言葉にした。
「全然変な意味じゃないんだ。先週の土曜日から、なんだかんだではるさんと毎日会ってて……彼女を見てると、何故だかほっとけない。俺が何かする必要なんてないのにさ」
秀司は俺の方をじっと見て、少しの間黙っていた。俺が次の言葉を発さない事を確かめると、彼は口を開いた。
「シュン……それはお前、恋だよ」
俺は運転していて前を見ているから確認は出来ないが、明らかにニヤニヤしている事がわかる声。
「絶対そう言うと思ったよ。でもさ、違うんだ。そういう事じゃないんだよ」
「もしそういうのじゃないってんなら、単純にシュンが優しいだけだ。だから俺もお前と一緒にいるんだよ。ホント優しいもん。俺、シュン大好きだよ!」
「何だよ、気持ち悪いなぁ」
俺は苦笑した。
「はるさんだって、毎日お前と一緒にいて楽しそうにしてるんでしょ?」
「飛行船を見に係留地に行ったら、いつもそこに俺がいるってだけだよ」
「そんな事ないと思うよ。だって、もし本当にお前と会うの嫌だったら、絶対係留地に行ってないか、行っても距離置いてるはずだよ」
秀司は、確かにそうだと納得できる的確な答えを発する。普段は何だか子供みたいだが、人の話をちゃんと聞き、まっすぐに向き合ってくれる良い奴なんだよな、と思う。だから俺も彼の事が好きなんだ。そんな事、口には出さないけれど。
「案外さ、お前の事好きかも知れんよ、はるさん」
「それはないだろ」
「わからんぜ。だって、知り合った日から毎日一緒にいるなんてさ。互いに好きじゃなかったらしてないだろうよ」
好き、というワードを脳内に浮かべる。何だか、後頭部がムズムズした。
「そりゃあはるさんの事は好きだけど、そういう好きじゃないよ……だって、そんなふうに思えるほど、俺はまだはるさんの事を知らないから」
「シュン、お前さぁ、自分の気持ちに気付いてないんだよ。俺を呼び出してこんな話してる時点で、お前は特別な思いを抱いてるんだと思う、はるさんに」
茶化して言い返そうかと思ったけれど、何故か何も言えなかった。実際、秀司の言う事は間違っていないと俺も思う。
とは言え、自分の抱いている感情は“恋”だの“好き”だのという話とは違うと思っているのだけれど……。
「ちなみにシュンって今まで彼女いた事あるんだっけ?」
「社会人になってから一度だけね。でも、すぐフラれちゃったよ」
「はっ? マジで? フったんじゃなくて?」
「うん、フラれたんだよ。俺があまりにもつまらない男だからね」
何だか話が脱線してきている。
「しかも付き合ったの、その1回だけ?」
「そうだよ」
「ウソだろ。シュン絶対モテるっしょ?」
「モテないよ、全然」
「お前何でそんなイケメンなのに奥手なんだよ」
「イケメンじゃねーよ。俺にとって恋人は、飛行船だからね」
「あ、そっか」
やっぱりそこは納得するらしい。ラリーが途切れたように調子を狂わされた。
「……何て言うかさ。はるさんを見てると、何だか母さんを思い浮かべてしまうんだよね」
話を立て直す。
「何で? はるさんってそんな母性溢れる感じの人なの?」
「いや、俺の母さんも、飛行船が大好きな人だったんだよ。どこまでかはわからないけど、飛行船を追いかけて、係留地まで行って、そのまま暗くなるまで見ているような人だったらしい」
「なるほどね。だから尚更なんだな」
何かを悟ったような顔をする秀司。
「お前が今戸惑ってる理由って、多分だけどそこなんじゃない? ほっとけないけど、恋愛感情でもないんだったらさ。重ね合わせて見てるんだろうね、お母さんとはるさんを」
「……あぁ、そうかも。何だか、すごい人に出会ってしまったな、と思ってるよ」
黒汐町の係留地で知り合った時は、たどたどしくて頼りない感じのイメージしかなかったが。その彼女に、俺は今間違いなく、心を乱されている。悪い意味ではない。むしろこれはとてもプラスの意味だ。数日後にこんな事になっているなんて、あの時は思いもしなかった。秀司と話した事で、それがさらに明確になった。
「お前の中でかなり大きな存在になってるようだな」
柄にもない、大人っぽい微笑みを見せる秀司。
「明日でもう最後なんだろ。後悔だけしないようにしたらいいよ。思ってる事があるんなら、伝えた方がいいぞ」
「うん、そうするよ。ありがとう秀司」
「これからも大事にしろよ、はるさんの事」
「へへっ、もちろん。趣味友達として、だけどね」




