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約束の飛行船  作者: 清松
第1章
2/25

今年も始まる!

たくさんの学生達で賑わう食堂。一度に150名ほども利用できる広々とした空間は、両サイドに大きなガラス窓があって明るい。

ここにお世話になって3年目。今日も好物のカレーセットをいただいた。カレーライスとサラダとスープがついて、450円。25歳にもなって、学生料金で食事が出来るなんて大変ありがたい事だ。


自販機で買ったカップ入りの熱いカフェオレを飲みながら、俺はスマホと睨めっこをしている。

「シュン、まだ更新されないの?」

隣で同じようにカフェオレを飲んでいた友人が話しかけてくる。彼の名前は、妻木秀司(つまきしゅうじ)。誕生日が来ていないのでまだ24歳だが、俺と同い年だ。

「されないなぁ。今日もダメだったのかなぁ」

俺が今見ているのは、短文投稿のSNSのタイムラインだ。下にスワイプしてリロードする作業を、この昼休み中にもう何百回やったかわからない。

「もう1週間以上も青森で足止め食らっ……あ!」

その時、タイムラインが更新された。


『5/20(金) 本日、飛行船SS号は青森を出発し、北海道の浜風町へ向けて移動フライトをしています。北海道の皆さん、どうぞよろしくお願いします!』


それは、飛行船の公式アカウントからの投稿だ。紺色の帽子をかぶった白熊のキャラクターのアイコンが付いている。

「よぉぉぉっし来たぁーー!」

ガッツポーズで立ち上がった俺の様子に、周りにいた学生達が何事かとこちらを一斉に見る。

道下君どうしたの、と近くにいたクラスメイトの女子が声を掛けて来た。

「飛行船が来たぁ!」

ピースサインを出すと、あーついに来れたの、よかったねぇと彼女は笑顔を作った。さも“どうでもいい他人の話”というふうに。



俺が飛行船狂である事は周囲にはお馴染みだ。そして、飛行船そのものも、ここ札幌ではお馴染みの存在。毎年5月頃になると本州から北海道へと渡って来て、札幌周辺をフライトするのだ。

飛行船SS号。携帯電話会社『Smile Sky』が企業宣伝のために年間を通して飛ばしている、日本で唯一の飛行船だ。この飛行船は3年前から運航されており、俺が初めて見たのも3年前だった。SNSの飛行船公式アカウントのアイコンの白熊は『スカイ君』と言って、この『Smile Sky』のイメージキャラクターだ。テレビのCMなんかにも出ているので、みんな知っている。


「シュン良かったな。今年は随分待ってたもんな」

「やっとだよ。浜風町が毎日強風だったみたいだからね」

「浜風町ってどこだっけ」

「道南だよ。函館の近く。本州から渡ってくる時、一気に札幌まで来るんじゃなくて一旦そこに一泊するんだ」

秀司は俺の飛行船愛の数少ない理解者だ。というか、こんなマニアックな趣味、親友である彼くらいしか理解してくれる人なんていない。




挿絵(By みてみん)




俺達は、作業療法士の資格を取るために2年前にこの専門学校に入学した。秀司はその時からのクラスメイトで、たまたま同い年だった事、互いに一度社会人を経験している事も重なって、仲良くなった。

社会人経験者の学生は実際の所、珍しくはない。40名ほどいるクラスメイトの、半分は高校を卒業して入ってきた若い人達で、もう半分は成人済みの大人達だ。

俺は高校卒業後すぐに一般企業に就職し、事務職員として働いていた。作業療法士の資格を得たいと思ったのは、直接人と関わって人の力になれる仕事をしたいと考えたからだ。18の頃から事務職をしていた俺としては、もっと外の世界に出て色々な人と関わってみたいという思いが芽生え始めていた。

やるなら、誰かの人生の助けになる仕事をしたいと思った。そして、その上で生活の中に充実感や達成感を得られるような手伝いが出来たら……と考えた事が、この道を目指すきっかけだった。






3年前の5月、当時勤めていた職場の昼休みで外に出た時に、初めて飛行船を見た。

大通公園の真上をゆっくり、ふわふわと飛ぶその姿に、俺は衝撃を受けた。


これが、母さんが言っていたやつか……!

やっと会えた――!



いつもカバンに付けている、四角いケース型になったキーホルダーがある。昼休みも俺はそれをポケットに入れて、肌身離さず持ち歩いていた。

そのケースの中には、小さな母さんの写真が入っている。いつもあの話をしてくれていた時と同じ、柔らかい微笑みを湛えた穏やかな顔。

人通りの多い正午過ぎの大通公園で、俺はそのキーホルダーの赤い蓋を開け、空に浮かぶ飛行船に向かって掲げた。行き交う人々からの視線を、痛いと感じながらも構う事無く。


――やっと見れたね! よかったね、母さん――


もう見られる事はないだろうと言われていたはずの飛行船が、今の時代にも飛ばされていたという事実に、奇跡を感じずにはいられなかった。

母もこの場所で同じように空を見上げ、今の俺と同じ景色を見ていたのかもしれない……そう思うと、全身が震えそうになる。




挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)





それから俺は、この飛行船の事をネットでひたすら調べた。

係留地をチェックし、直接出かけて、間近で見る飛行船の巨大さに圧倒された。

スタッフである“グランドクルー”の人達は、係留地へ来る見学客に対してとても手厚い歓迎の姿勢を見せてくれた。

動画サイトで事前に見ていた、ちょっと変わった方法で行われる離着陸(飛行船は自力で動けないので、クルーが押し上げたり、下りてきた所を受け止めたりして、人力で離着陸を行う)を実際に見る事が出来て、感動した。

飛行船は、北海道では札幌だけではなく、十勝へも移動する事を知った。目的は、耐空検査。車で言う車検のようなものらしい。十勝にある黒汐町(くろしおちょう)と言う小さな町に、それが出来る設備があると言う。俺は今から2年前に初めて黒汐町へも出向き、耐空検査が行われるという巨大な格納庫を見た。そして、自然豊かな十勝の大空を飛ぶ飛行船を追いかけた。



そもそもは、母との約束を果たすためという思いからの行動。けれど、そうしているうちに俺は、純粋に自分自身の心が飛行船に魅了されている事に気付いた。

やっぱり俺は“ユリちゃん”の息子なんだな、という事を強く実感した。母の抱いていた思いを、自分もこんな形で知る事になるなんて。

俺の中に、母は間違いなく生きている。







浜風町から札幌への移動フライトの日が、ちょうど土曜日だった事はとてもラッキーだ。俺は朝起きてすぐに、札幌の隣町の岩水市(いわみずし)へと向かった。


岩水海岸公園という、海沿いに造られた大きな公園がある。そこに隣接する広い駐車場と、片道2車線の道路を挟んだ向かい側にある、広大な緑地。そこが、札幌滞在中の飛行船の係留地だ。


さすがに時間が早過ぎたようで、俺がそこに着いた時にはまだ誰もいなかった。浜風町から岩水市までは、高速道路を使用しても5時間ほどもかかる。

なぜそんな事を知っているかと言うと、昨年俺は一度だけ浜風町まで行っているからだ。青森からの移動フライトの日、ちょうど土曜日と重なった事で、飛行船を出迎えに行く事が出来たのだ。浜風町で、海の上を飛ぶ飛行船を追いかけながら海岸線をドライブした事は、忘れられない。


クルーのトラックやワゴンが到着したのは、正午を回った頃だった。1年ぶりに見る「Smile Sky」のロゴと飛行船SS号が大きく描かれたトラック。飛行船が姿を見せたわけではないのに、それだけで俺はもう興奮が抑え切れない。

「Smile Sky」のロゴ入りの水色パーカーを着たクルー達が、続々と車を降りてくる。懐かしい顔がたくさん見える。その中の1人を見つけた時、俺は思わず手を振った。向こうもこちらに気づいていたようで、ワゴンから降りてすぐに手を振り返してくれた。

彼の名前は、橋立武志(はしだてたけし)さん。俺が一番仲の良いクルーだった。年齢は去年で確か34歳と言っていたはずだが、もっと若く見える。

「橋立さん、お久しぶりです!」

「お久しぶりです、シュンさん。またお会いできて嬉しいです」

声を掛けると、橋立さんは心から嬉しそうな笑顔を見せた。

飛行船SS号とそのクルーは、年間を通して日本を縦断している。全国の町を回り、それぞれの係留地でたくさんの飛行船ファンと関わりがあるであろう中で、俺の名前もちゃんと覚えていてくれる事がこの上なく嬉しい。




挿絵(By みてみん)




彼らは係留地の設営を始める。飛行船を固定するためのマストを立て、24時間を通して見守りをするための拠点を整える。俺はクルーの仕事の邪魔にならないよう、挨拶もそこそこに留めて遠くからその様子を見学した。

飛行船が何時頃にここに着陸するのかをクルーに聞きたい所だが、それは来てからのお楽しみという事でいい。時間ならいくらでもある。

今日から、飛行船が北海道を離れる日まで、学校以外の俺の時間は全て、飛行船のために捧げるつもりだ。


今年も始まるなぁ。

そう思うと、ワクワクが止まらない。


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