揺れる想い
「マジかよシュン! 春が来たなぁー!」
翌日、秀司に会ったら、冷やかされてしまった。
夕方のドーナツショップ。ここは俺のお気に入りの店だ。ちょっと迷ってもたついたが、どうしてもこの週末の出来事を話したくて、俺から彼を誘った。
「まぁ、確かにそのとおりでハルなんだけどね」
俺はポーションミルクを2つ入れた、うっすい色のアイスコーヒーを一口飲んだ。
「何が?」
「名前が『はる』って言うんだよ、その人」
「そうなん? はるさんって言うのかー。かわいい名前じゃないか」
秀司はニヤニヤしっぱなしだ。
「シュンはイケメンなのに彼女もいないじゃん、これはチャンスかもしれんぞ」
そう言って、でっかい口でドーナツを頬張る。
「俺は自分をイケメンだと思った事はない。あと、恋人は飛行船だと思ってる」
「いや確かにな。お前の恋人が飛行船だってのはわかる」
そこは否定しないらしい。
「だろ? これを理解してくれる人なんていないからさ。彼女なんか作れないんだよ」
「いや、だからこそ、その飛行船好きのはるさんと付き合ったらいいんじゃないの?」
秀司はどうしても俺とはるさんをくっつけたいらしい。まぁ、こんな話をすればそうなるよな。
「シュンはどうなんだよ? はるさんの事をどう思ってるの?」
「どうって……さすがに知り合ってまだ2日くらいしか経ってないから」
残念ながら秀司が望むような感情はさすがにない、けれど。
「ただ」
「ただ? 何?」
砂糖をいっぱいつけた口をニヤニヤさせている。本当に子供みたいな奴だな、と思う。
「彼女ともっと飛行船の話をしたいなぁ、って思うのは事実かな」
言い終わると俺は、アイスコーヒーを一気にたくさん飲んだ。言った途端、背中がむず痒くなって、何故かごまかさずにはいられなくなった。
「シュ~~~ン! いいぞぉ、それ!」
眉毛はハの字で、目はニタニタ、下唇は突き出て、一体何て顔してるんだか。漫画に出てくる表情だ、と思う。
「はるさんにアタックしろ! 俺は応援する!」
「何だよ、アタックって」
秀司と別れた後、俺は岩水海岸公園へ出かけた。
今日はメンテナンス日で、フライトは休止だった。そもそも昨日からの強風が今日も続いているので、どちらにしても飛べなかっただろうけれど。当番のクルーに聞くと、予報どおりなら明日は風も落ち着いておそらく飛べるのではないか、という事だ。
俺はその後、トラックとは反対側、敷地の入り口からずっと右側の方の少し離れた芝生の上に、腰を下ろした。ここは俺が飛行船鑑賞をする時の定位置だ。人の往来がある範囲からは離れているので、誰かの邪魔をする事なく、また誰にも邪魔される事もなく、飛行船を見る事が出来る。
あくまで、鑑賞はひっそりと。これが俺なりのルールだ。
秀司と一緒にドーナツをたらふく食べて来たから、たいして腹も減らず、俺は薄暗くなるまでひたすら飛行船を眺め続けていた。
夏至もひと月ほど過ぎ、少しずつだが暗くなるのが早くなってきた気がする。とりあえず次の日曜日までまだ時間はあるので、今日の所はまぁそろそろ帰っておくか、と立ち上がった時。
トラックの隣に、小さな人影が見えた。はるさんだった。
「はるさん! こんばんは」
近づいて声をかける。
「あっ、SHUNさん! こんばんは。今日も来てたんですね」
昨日着ていたものとは別の、グレーのパーカーを着ている。こちらはサイズが合っているが、そもそも体が小さいからか、どちらにしてもやっぱり幼く見えてしまう。
「僕は最終日まで毎日ここに来るつもりですからね。はるさんは、仕事帰りですか?」
「はい。私も最終日まで、来れる時はなるべく来たいなぁって思って」
照れくさそうに笑う。やっぱりこの人の飛行船愛は自分と同じだ、と感じる。
帰ろうと思っていたが、せっかくなのでもう少し一緒に飛行船を眺める事にした。
俺がさっきまでいた辺りの芝生の上に、並んで座る。段々と薄暗くなってきた係留地で、飛行船は淡く白い光を放ちながら、強風に船体を上下させていた。
「はるさん、昨日と一昨日はお付き合いありがとうございました」
俺は改めてお礼を伝えた。
「ご飯に誘った時、まさかオッケーしてくれるとは思わなくて。こんな見ず知らずの男に誘われて嫌じゃありませんでした?」
「いえ、全然嫌じゃないですよ」
はるさんは即答した。
「あの時すごくお腹空いてたから、ご飯につられちゃって。あはは」
体育座りをして、笑いながら例の癖で頬を摩る。
「それに、SHUNさんは悪い人には全く見えなかったし」
「ははっ、それなら良かった」
「飛行船の事だけじゃなくて、色々な話が出来るきっかけにもなったので。連れて行ってくれて本当に良かったです。ありがとうございました」
言葉の全てが、せせらぎのように清くまっすぐ流れて行くイメージ。何というか、とても純朴な人だなぁ、と思う。
何故だか、変に意識してしまう自分がいる。秀司のせいだな、と思った。俺には特に、あいつが言うような感情なんてないのだが。
確かにこの人は、俺の異常なまでの飛行船愛をきっと理解してくれるであろう貴重な人物かもしれないけれど……。
脳内の秀司を無理やりかき消して、俺はクルーから聞いた話を伝える事にした。
「明日はこの風もやんで、フライト出来る予定みたいですよ。さっき当番クルーさんから聞きました」
「そうですか! 良かった」
はるさんはパッと表情を輝かせた。
「明日は仕事で市外に出ちゃうので、私は見られないかもしれないけど……でも飛んでくれるのは嬉しいです。たくさんの人が飛行船を見てワクワク出来るから」
そう言って、心からの様子で笑う。風に揺さぶられる飛行船を見つめながら。
「そうですね。僕も同じ気持ちです。たくさんの人にワクワクしてほしいですよね」
心から共感した。
共感しながら、彼女のコメントはやっぱり純粋だな、という感想を抱く。
はるさんの言葉のひとつひとつを、俺はまるで好きなアーティストのコンサートを聴くかのような気持ちで聴いていた。貴重な一瞬も逃すまいと、耳と神経を研ぎ澄ませているかのような感覚。
今、俺は飛行船を見に来ているんだよな? と心の中で自問する。
対象がよくわからなくなりつつある現実に、少しだけ戸惑いを感じている自分がいた。




