忘れられない一日
話し込んでしまった事もあり、係留地へ戻ったのは17時を回る頃だった。
交代のクルーが到着していたが、橋立さんは俺とはるさんを待っていてくれた。僕からの提案ですから最後まで僕に案内させて下さい、と言う彼には、やはりプロ魂と誠実な人柄を感じる。
初めてゴンドラに乗せてもらったらしいはるさんは、大はしゃぎで中を見ていた。
世界には様々な型の飛行船があるようだが、SS号は中でも小さい方で、ゴンドラ内部も結構狭い。前列にはシートが2つ。パイロットは左側の席に乗る。後部座席はフラットで、2人並んで座れるくらい。後ろはすぐ壁。前列と後列の間に少しだけ余裕はあるが、決して広くはない。
俺は後部座席に座り、あちこちを楽しそうに見て回るはるさんを眺めた。
「すごい! 操縦席には車輪みたいなものがついているんですね。外はこんなふうに見えるんだ。なんか、ガムとかも置いてある……」
「楽しそうですね、はるさん。初めて乗せてもらった時の僕を見てるみたいだ」
俺がそう言うと、はるさんはまた頬を指で摩りながらアハハと笑った。恥ずかしい時の癖のようだ。
一通り見学し終わり、俺とはるさんはゴンドラを降りた。外で待っていてくれた橋立さんに、終業後まで付き合ってくれたお礼を伝える。
「橋立さん、移動フライトはいつですか?」
大事な事を聞き忘れてはならない。
「このまま風が強くならなければ、明日札幌まで移動できると思いますよ。スムーズなら8時半前後くらいには出発かなと」
「お、じゃあ明日、離陸を撮影しに来ようかな」
伊吹家に泊まるのも今晩がラストだな、と思いながら、瞬時に頭の中でプランを立てる。
「離陸って、明日の朝8時半までにまたここに来るんですか? 札幌から?」
はるさんが驚いた様子で聞いてきた。
「あぁ、はるさんにまだ話してなかったんだっけ。僕、帯広に親戚がいて、昨日からそこに泊まってるんですよ」
黒汐町に飛行船が滞在している間の俺の動きを、ざっと説明する。片道1時間ほどでこの係留地まで来れてしまう事を、彼女はとても羨ましそうにしていた。
ワゴンで係留地を後にする橋立さんを見送ってから、俺とはるさんは駐車場に向かって歩いた。
「本当に今日は色々とありがとうございました。お陰でとっても楽しい一日でした」
嬉しそうなはるさんの笑顔が、少しだけ傾いてきた夕日に照らされる。3週間前に秀司と歩いた道。あの時も似たような時間だったな、と思い出す。
「僕もです。係留地で初めて知り合った人とこんなに一緒にいたのは初ですよ」
「SHUNさんは動画も作ってるし、そんな事ないんじゃないですか? 有名人なんじゃ」
「全然ですよ。係留地で声をかけられたのは、はるさんが初めてですよ」
俺がそう言うと、意外、とでも言いたげな表情をしている。
「僕の動画は、ファンがつくような凝った作りはしてませんからね。その日撮った飛行船の様子をそのまま載せてるだけなんで。ジャンル自体がマニアックだし、再生数だって全然ですよ」
全て事実だ。実際俺の公開している動画は、どれも100再生も行っていない。
「でも、それでいいんです。僕は僕のファンを獲得するためじゃなくて、飛行船を知らないたった1人の人にでも知ってもらえたらと思ってやってるので」
何だか言い方につい熱がこもってしまったように感じて、今度は俺の方が少し気恥ずかしくなってしまった。はるさんは笑顔だ。どう思われての笑顔なのかがわからないけれど。
「SHUNさんの動画で飛行船を知る人がきっといると私は思います。私も、これからも動画楽しみにしてます」
「ありがとうございます。僕らのように、飛行船を好きって人が1人でも増えてくれたら嬉しいですよね」
駐車場までの約100メートルほどの距離が、俺には30メートルくらいにしか感じられなかった。はるさんが車に乗り込むまで見届ける。彼女は出発する前に窓を開けてくれた。
「札幌まで気を付けて。岩水海岸公園でまたお会い出来たら良いですね」
「是非! また会いましょう」
両手を振って、見送った。かわいらしいオレンジ色の車が見えなくなるまで。
1人駐車場に突っ立ったまま、今日の事を思い返した。
まさか、こんな出会いがあるとは。そもそもは誰もいない係留地で贅沢鑑賞会をする一日になる予定だったはずが、見知らぬ女性と食事に行って、しかもその人が、飛行船に対して俺と同じくらいの熱量を持っていて……。5月に岩水の係留地で一度会っていたという事にも、何かしらの繋がりを感じずにいられない。
俺は、今日という日を忘れられなくなりそうだ。
その夜、閉店後の店舗で、明日札幌へ戻る事を伊吹一家に伝えた。
「なんだ俊哉。随分と今年は短いんだなぁ」
「もっとゆっくりしていけばいいのに」
叔父さんと叔母さんが食器を片付けながら、残念そうに言った。
「叔父さん叔母さん、ありがとう。急でごめんなさい。一旦帰るけど、また近々必ず遊びに来るんで」
「シュン兄、昨日来たばっかなのに……」
南央がテーブル席で頬杖をついて、不満そうな声を出す。
「南央、ごめんな。またすぐに遊びに来るから。そん時はどっか出かけような」
うん、と低い声を出す彼女の頭を撫でてやる。
「シュンちゃん、なんか嬉しそうだねぇ。何かいい事でもあったの?」
南央の向かいの席に座っていた青志が、そんな事を言った。無意識だったが、顔に出ていたのだろうか。
「へへっ。今日、飛行船見に行ったら、面白い人に会ったんだ」
青志の隣に座って、俺ははるさんとの事を話し始めた。シュンちゃんそれ、デートじゃん! と興奮する青志。頬杖をついたままの南央が、何だかムスッとしていた。




