デートしてしまった!
車2台で移動して(俺は別に良いが、女性はさすがに初対面の男と2人で車に乗るのは嫌だろう)、先日秀司も連れて行った『くろしお食堂』へ行った。
向かい合わせのテーブル席に着き、名物マグロ漬け天丼のセットを2つ注文する。
「2つ?」
女性は不思議そうな表情をする。
「実は僕も、お昼に菓子パンひとつしか食べていないんです。だから、一緒にお付き合いしますね」
男女2人で来て、女性1人にだけ食事をさせるのもなんだし。
そうなんですね、と女性は笑ったが、声に力がなくてスカスカだ。時間的に客もほとんどおらず店内は割と静かで、ぎゅぅ~と言う音が彼女の方から聞こえてきた。相当腹ペコらしい。
「このお店、スピードが売りなんですよ。すぐ来ますからね」
さすがに俺はもう笑わない。頬を掻いて恥ずかしそうにしている彼女に、優しく声をかけた。それから2分弱くらいで、マグロ漬け天丼セットが2つ届いた。本当に爆速。なのに、商品は作りたての温かさと新鮮さ。いつも思うが、一体どうやっているのだろう。
濃厚な甘辛ダレの絡むマグロ天の乗った丼を前に、彼女は目を輝かせているようだった。何だか秀司みたいだな、と思い、ついニヤリと微笑んでしまう。変に思われたかと心配したが、女性は「いただきます」と行儀良く両手を合わせていて、気づかれていないようだった。そして彼女は、俺もびっくりするくらいの勢いで全てを食べ切ってしまった。すげぇ……この人も爆速だ。
「連れて来てくれてありがとうございました。とってもおいしかったです」
力の戻った声で、女性が言った。
「気に入ってもらえてよかったです」
笑顔で答えながら、店員さんの運んできてくれたほうじ茶を一口いただく。ここは食後のお茶もとてもおいしいと思う。
「こんな時間までご飯を食べていなかったって、何かあったんですか? あ、差し支えなければでいいですけど」
「高速道路の降り口を間違えて、道に迷ってしまって……」
俺の質問に、女性は決まりが悪そうにまた少し俯いた。
「……でも、どうしても飛行船を早く見たくて」
独り言のようなぼそぼそとした声で聞こえて来たその言葉は、予想外にも俺の心をがっちりと掴み、浮き立たせた。
「それ、わかります。僕も飛行船を見るためだったら、ご飯食べるのとか忘れちゃいますよ」
時間も高速代もかけて単独でこの町まで来ている時点でもそうだが、今の何気ない一言はちょっと決定打になったと思う。一切変な意味ではなく、俺は一気に彼女に興味を持った。
「あの、もしよかったらお名前を教えてもらっても良いですか。僕はシュンですけど……」
「あ、申し遅れてしまってすみません。私は、藤森春琉といいます」
「ふじもり、はるさん、ですか」
ふじもり、はる。無意識に、頭の中でもう一度復唱していた。
「すごくいい名前ですね。それって、ハンドルネームですか?」
「……? はんどるねーむ?」
初めて聞いた言葉、というような反応をされ、俺の方が頭の上にはてなマークを浮かべてしまう。
「SNSとかはやってないんですか?」
「あ……実は私、ネットの事にはとても疎くて。何もやってないんです」
「あっ、そうなんですか? って事は本名!? すみません、大変失礼な事を」
「いぃっ、いいえ、そんな。私も無知でごめんなさい」
俺のシュンという名前も、あだ名兼ハンドルネームだ。勝手に対等な返答をされるものだと思い込んでいた俺が間違っていた。同時に、彼女が飛行船関連の情報を色々と知らない様子である理由も、何となく理解した。
「もしよかったら、SNSやってみません? 飛行船の情報、すぐに得られますよ」
俺が説明するようにスマホを操作してもらい、例の短文投稿のSNSに「はる」というアカウントを作ってもらった。確かに、こういう事が苦手なのだろうなと言うのがわかる手つきだった。出来る限り丁寧に、ゆっくりと、指を差しながらひとつひとつ説明をした。
真剣に画面操作をする彼女の顔を、ついチラッと見てしまう。本当に若い。少女みたいだなと思ったが、札幌から車を運転してここまで1人で来ているくらいだから、おそらく成人はしているんだろう。地毛なのだろうか、髪はほんのりと茶色い。素朴で、決して美人というわけではないけれど、かわいらしい顔立ちをしている、と思う。別に変な目で見ているわけではないが。
飛行船SS号のアカウントと俺のアカウントを教え、フォローしてもらう。
「これで、開いたらすぐに飛行船の情報が表示されますよ。僕の投稿もですけど」
「あ、ありがとうございます。すごい……」
飛行船SS号のこれまでのフライト情報がずらりと表示されているタイムラインを、食い入るように見つめている。
「耐空検査って、昨日終わった所だったんですね」
「そうです。僕ははるさんがそれを知ってて今日来たのかなと思ってました」
本当に何も知らない、まっさらな状態でここに来た事を裏付ける発言を聞いて、かなりのチャレンジャーだなぁ、と思う。そして、同時に幸運の持ち主だ。
「ちょうどハンガーアウトした所だったんで。ラッキーでしたね!」
「はっ……はんがー? あうと??」
「あ、格納庫から出されるって事です。すみません、よくわからない言い方しちゃって」
「いえ、そういうの知れて嬉しいです。飛行船に関する言葉なら」
少しずつだが、はるさんの雰囲気が生き生きと変わってきている事を感じる。それは食事をして元気になったから、という理由だけではない気がした。
「はるさんは、どういうきっかけで飛行船を好きになったんですか?」
単純に興味がある事を質問してみた。
「小1の時に、実家の前で父と一緒に初めて飛行船を見たことが最初のきっかけでした。ずっとまた見たいと思っていたけど、その後は一度も見る機会はないまま大人になって、飛行船の事自体も忘れてたんです。今年の5月に仕事先でSS号を見つけて、その時に子供の頃の気持ちを一気に思い出して。それからずっと追いかけてます」
さっきまでのしどろもどろな話し方をしていた人と、本当に同一人物か?飛行船の事を話すはるさんは、言葉の隅々にまで「好き」の気持ちが満たされていて、明らかに楽しそうだ。こちらまで自然に笑顔になっていた。
「はるさん、すごく楽しそうですね。聞いていて僕も嬉しくてワクワクしましたよ」
素直な感想を伝えると、はるさんは少し微笑んでまた頬を指で摩った。
「飛行船はやっぱりすごいな。忘れてても、長いブランクがあってもまた追いかけたいって気持ちにさせられるんですから」
「はい。こんな遠くまで追いかけるとは自分でも思ってなくて、私自身がびっくりしています」
SHUNさんのきっかけは、と聞かれたので、俺も自分の事を話した。3年前に初めて札幌で飛行船を見た事。ネットで様々な情報を調べに調べた事。係留地でクルーの温かな対応に感動した事。2年前の夏に初めて、黒汐町まで出かけた事。係留地に通ううちにクルーと、特に橋立さんと仲良くなり、色々な話を聞いて、もっと飛行船が好きになった事、などなど……。
母の事は、必要がないので特に話さなかったけれど。
はるさんは、目を輝かせるようにして俺の話を聞いていた。心底、飛行船が好きなのだろう。
まさか俺の他にもこんな人がいたとは……。
ちなみに、はるさんは26歳で、普段は札幌で手作りパンの移動販売員として働いていると言う。出勤と休日はカレンダーどおりで、毎週土曜日に飛行船鑑賞に出かけるが、時々どうしても見たくなったら、平日でも仕事の後に岩水の係留地まで行くそうだ。
今年からの飛行船ファンとは思えないアクティブっぷりもそうなのだが、何より驚いたのは、俺よりも1つ年上だった事だ。それも、早生まれなので学年的には2つ上になるらしい。年齢よりも若く見えると言う事を伝えると、チビで童顔なのでよく中学生に間違えられます、と恥ずかしそうに話していた。身長は151センチらしい。俺は179センチあるので、そりゃあ小さくも見えるはずだ。
はるさんとの話は尽きなくて、ついさっき初めて知り合った人とは思えないほどだ。すっかり心を開いてくれたのか、係留地でのたどたどしい話し方もどこかへ行ってしまっていた。思い切って誘ってみて良かったと心から思った。
「じゃあ、はるさんの方が先輩だ。初めて飛行船を見たのが子供の頃だなんて。羨ましいです」
「でも私、正直、自分がなんでここまで飛行船を好きなのかの理由はよくわからないんですよね」
彼女はそう言って少しだけ視線を落とす。
「何が良いんだろう……こんな遠くまでお金も時間もかけて見に来るくらい好きなのに、飛行船の何が好きかって聞かれたら、答えられないかも」
俺は心の中で、あぁそんな事か、と思った。
「答えられなくて良いって僕は思いますよ」
即答すると、はるさんは視線を上げて俺を見た。
「僕も同じなんです。飛行船を見るとワクワクするけど、理由なんてなくて。そんなもんじゃないですか。心がそう感じちゃうから、しょうがないって思ってますよ」
俺が笑うと、彼女もつられるようにフフッと笑ってくれた。
「本当にそれです、私も。理由なんてないんですよね」
同じような事を、俺も思った過去がある。あまり一般的な趣味と言うわけでもなく、明らかに通常じゃ考えられない事をしているのに、それについての理由がないという事実。周囲からの共感もなかなか得られず、一種の不安のようなものを抱いてしまう気持ちはよく理解できた。
俺の場合は母との約束と言う背景があるが、それがあった事で、飛行船の魅力そのものに俺自身が気づく事が出来た。今の俺は、大好きだから飛行船を追いかけている。それ以外の理由なんてなかったし、それでいいと思っている。
世間的にポピュラーと言うわけでもないものを、これほどのレベルで好きになった者というのは、考える事もやっぱり似てくるのだろうか。勝手な話だが、どうしてもはるさんに親近感を覚えずにはいられない。




