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約束の飛行船  作者: 清松
第4章
12/25

耐空検査終了

「こんにちは~」

ボストンバッグとお土産の袋を両手に抱え、『麺処いぶき』の扉を開ける。

「おぉ、俊哉!」

「シュンちゃん、いらっしゃい」

叔父さんと叔母さんが明るく出迎えてくれた。青志も調理場におり、カウンター席には南央の姿もあった。

16時過ぎ。この時間は、一旦閉店して夜の仕込み中だ。

「シュン兄、今回はどのくらい泊まれるの?」

南央が近づいて来て聞く。

「飛行船がこっちにいつまでいるか次第だから、まだわからないんだけどね。はいこれ、お菓子の詰め合わせだよ」

南央にお土産の袋を渡すと、やったー! と嬉しそうに受け取ってくれる。

今日から専門学校は夏休みだ。飛行船が十勝に滞在している間、俺は伊吹家にお世話になる。2年前からの恒例行事だ。

「シュンちゃん、いつものとこ開けてあるから使ってね」

先日のように調理場の陰からひょっこりと顔を覗かせた青志が、声をかけてくれた。“いつものとこ”とは、俺が毎年泊まらせてもらっている部屋の事だ。青志にお礼を言って、早速家にあがらせてもらう。



伊吹家の住まいは、ラーメン店の裏手にある一軒家だ。古い家だが、4、5年前にリフォームを入れていて、割と綺麗だ。俺は2階の一番奥の部屋へと向かう。普段は、物置とまでは行かないが、使う事のないようなものを置いておくための部屋。叔母さんが掃除をしてくれたようで、生活のためのスペースがきっちりと確保されている。

俺は荷物を置いてすぐにSNSをチェックした。飛行船公式アカウントからは、今月5日に『耐空検査に入るためしばらく運航休止、ここでの発信もお休みとなる』という内容の投稿がされて以来、特に音沙汰がない。

タイムラインを開くと、スカイ君のアイコンを見つけて俺はハッとした。


『7/22(金) 耐空検査は終了いたしました。』


スカイスポーツ公園向かいの係留地でマストに繋がれた飛行船の写真と共に、そう書かれていた。

「今日終わったのか、ナイスタイミングじゃん」

さらに、明日はメンテナンスのため飛行は休止と言う事も追加で表記されている。

どちらにしろ、係留地へ行くのは明日だ。今日この後俺がやる事は、ラーメン店の手伝い。泊まりに来た初日、毎年必ず俺は店の接客を手伝う事にしている。お世話になるせめてもの恩だ。


17時から再オープンした店で、俺は叔母さんと一緒にホール係をやった。接客は割と好きだ。ここ以外でこういう経験があるわけではないが、自分から見ても特に下手ではないと思っている。

年に一度だけの俺のラーメン店員スタイルを、一家は楽しそうに見ていた。





挿絵(By みてみん)





翌日、俺が黒汐町の係留地に到着したのは、午前11時頃。

マストに繋がれ、そよ吹く風に身を任せている飛行船を見ると、一気に嬉しさが湧いた。不思議なもので、見慣れているはずなのにいつでも新鮮な嬉しさが湧き上がる。

秀司と一緒にここに来たのがちょうど3週間前だ。あれからもうそんなに経つのか。

クルーも集まっていて、メンテナンス作業を行っている様子だった。橋立さんが気付いてくれたようで、トラックの隣に立って見学していた俺の所まで来てくれた。

「シュンさん、こんにちは! 来て下さったんですね」

「こんにちは! 毎日SNSチェックしてましたからね」

夏の日差し照り付ける中の作業で、橋立さんの額には汗が滲んでいる。今日も暑い。

「先日来られていたご友人は楽しんで下さいましたかね」

「とっっっても喜んでましたよ。クルーのファンになったって、自分もクルーになりたいって言ってましたよ」

「ホントですか! それは嬉しいですね!」

橋立さんは俺の話を聞いて、満面の笑みを見せる。俺はこの人の笑った顔が大好きだ。変な意味ではない。俺はプライベートの橋立さんは知らないが、この何の混じり気もない素直な笑い方に、クルーとしてだけではない、彼としての人柄の全てが滲み出ていると思う。

「この後、テスト飛行がありますよ」

「おっ、やった。飛んでる所見られるんですね」

テスト飛行は、主に係留地の上空のみを数分だけ飛ぶ。飛行はしないと公表されている日に飛んでいる所を見られるのは、特別感がある。



やがて、ワゴンに待機していたらしいパイロットがやって来た。クルーと同じ水色のポロシャツに、同色の帽子。襟の所にサングラスを引っ掛け、大きなリュックを背負っている。イケオジ、という言葉が似合いそうなダンディな雰囲気。聞いた話によれば、日本人の飛行船パイロットは、この人1人だけなのだそうだ。

トラックの横を通り過ぎる時、彼は俺に優しく微笑んで会釈をしてくれた。こちらも頭を下げる。めちゃくちゃカッコいいな。無条件に憧れる、大人の男。




挿絵(By みてみん)




実は、俺はパイロットとは一度も話した事がない。クルーと違い常に係留地にいるわけでもなく、一般人がお近付きになれるのは、フライトがある日の離陸前と着陸後くらいとタイミングが限られている。ゆっくりと話せるような雰囲気でもなく、一度会話してみたいと思いながらも、そのチャンスと判断出来るような機会はなかなかないのが現実だ。



やがて飛行船は、係留地を飛び立った。今日は飛行休止と世間には伝えられているからか、他の見学客は1人もいない。そもそも都市部からは離れているので、普段から人は少ないのだが。

俺はすぐにスカイ君をベルトから取り外して、母の写真を空に向けた。今日は係留地の上空を飛び回る飛行船を、ふたり占めだ。

母さんは、さすがにこんな所までは見に来た事はないんだろうな、と考える。子供の頃に聞いていた話にも、黒汐町を連想させるようなストーリーは出て来なかった気がする。当時から耐空検査を行える場所が日本でここだけだったのかどうかはわからないが。

スカイスポーツ公園を経て、おそらく海岸沿い辺りまでは飛んだのだろうか。いずれにしてもここからはずっと見えている範囲のみを飛行していた。その後10分もしないくらいで、すぐに下りて来た。





挿絵(By みてみん)




テスト飛行が終わると、パイロットやクルー達はワゴンに乗り込み係留地を後にした。

今日この時間の当番はちょうど、橋立さんらしい。

この後は特に何もないのでゆっくりと見学して下さい、風もないので近くで写真を撮ったりしても大丈夫ですよ、との事だ。


自分と橋立さん以外誰もいないこの係留地で、俺はフサフサの芝生の上にどっかりと座り込んで、ひたすら飛行船を眺めた。時々歩いて真下まで行って、間近で船体を撮影させてもらったりもした。

今この飛行船は、俺のもの。そんな気にさえなってしまうくらいの、この上ない贅沢な時間。今日は本当に見学客は見事に誰も来ない。フライトのある日でさえここには、俺の知る限りでは1日を通して3、4人も来るか来ないかというレベルだ。会えなかった3週間を取り戻すかのように、この貴重な時をたっぷりと堪能させてもらった。




挿絵(By みてみん)





時刻は13時過ぎ。

ちょっと一旦コンビニに行ってきますね、と橋立さんに声をかけ、係留地を出る。一度昼休憩を挟む事にした。入り浸り過ぎても橋立さんに気を遣わせてしまう。

俺は1人で飛行船を見ていると、食事もトイレに行く事すらも忘れてしまう悪い癖がある。飛行船を視界に入れていない1分1秒でさえ、惜しいと感じる。普段飛行船を追いかける時は、後から摘まめるように事前にコンビニで袋菓子などをいくつか買っておいて持ち歩いたりするが、今日はあえて手ぶらで来た。クルーに気遣わせないため、強制的に自分を係留地から出す時間を作るためだ。俺レベルになると、本当にテントを張って24時間入り浸り兼ねないから。



片道20分かけて街のコンビニへ行き、買い物をしてすぐにスカイスポーツ公園に戻った。これだけで40分前後ほどもかかる。駐車場に停めた車の中で、菓子パンと缶コーヒーで簡単に昼食を済ませた。橋立さんへのいつもの差し入れ用缶コーヒーももちろん買って来た。

3週間前に秀司とここへ来た時と同じように、今日もバーベキューの屋台が出されているのが見える。おそらく週末のみやっているのだろう。さすがに今日はお預けだ。自分1人のためにブランド牛串を買う事もない。どんなブランドよりも、俺にとっては飛行船の方が魅力があると感じてしまう。




午前中撮った飛行船の写真をSNSに公開してから、再び係留地へと向かった。

橋立さんはトイレにでも行っているのか、不在のようだ。代わりに、トラックの向こう側に、見学客らしき人が1人立っているのが見えた。随分と小さな女性のようだ。一瞬子供かと思ってしまったが、後ろ姿の雰囲気的には、おそらく大人。ただ突っ立って飛行船を見つめている。無防備、というワードが頭に浮かんだ。

珍しいなぁ、と思いながらもあまり気にせずに近づいていくと、女性は突然こちらを振り返った。






挿絵(By みてみん)





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