002
月さえも寝入るような夜。
ランプの中に入っている小さい火種はあと半刻もしたら消えてしまうだろう。いつもだったらとっくに眠っている時間ではあるが、明日お姉ちゃんが帰ってくると思ったら、布団にもぐってなんていられない。床に魔法についての本を広げて、気になる部分の確認を続ける。
「水の精が、その土地に恵みをもたらしたことにより、飢饉を免れたどころか隣国に目を付けられてしまい、滅ぼされてしまった。ききん。食べ物が無くなること。なんで目を付けられたんだっけ……? 水の精、豊作だったからかな? ……生き残りがもしいたならば、水の精は呪われし厄災として、今に至るまで——」
「こらショウ君、もう寝なさいって言ったでしょ!」
「ふぁいっ!」
足音一つしていなかった。急に自室のドアが開き、ママの声が響く。腰に手を当て、目を吊り上げて、明らかにお説教モードだった。
「それ以上は明日ってさっきも言ったでしょう! ノアナ様に来月分のご本を頂くの禁止されたいの?」
「いやーッ!」
叫んだまま思わず固まってしまう。さすがわが母親といったところか、俺が一番堪えることを熟知している。教会のノアナ様に、魔法の勉強にお読みなさいと頂く本は、月に一度の、唯一興味を満たすチャンスなのだ。こんな辺鄙な村に流行が入ってくるのは、都会で流行って半年は経った後だし、図書館はあってもとても小さく、本の読破に一年もかからないような場所なのだ。最新の魔法についての本や研究を見られるのは、お仕事の関係でたまに都会に出向くノアナ様がいてこそだった。そしてあまりに魔法のことを求める俺に協力したいと、彼女は七つの俺にはとても難しいと知りつつもしっかりとした本を買ってきてくれる。教会に出向く俺に自分の書物を読んでくれたり、貸してくれたりするほどの良い人なのだ。
今から楽しみにしている、来月分の本の受け取りを禁止されるということは、他のどんな罰よりも俺の魂をしおれさせるものだった。
「ご、ごめんなさぁい! 寝ます! 寝るもん、もう寝ますからそれだけは……っ」
一瞬でランプを消すと、水に飛び込むような勢いで布団に潜り込む。
「そんなに焦らなくても大丈夫よ。朝起きてから、お姉ちゃんに好きなだけ質問なさい。人に教えることはいい勉強になるというし、メリアにも良いことだわ」
「はぁい、……おやすみなさーい」
「はい、おやすみ」
俺を布団に押し込んで満足したのか、ママは扉を閉める。ここまでされてしまっては、俺としてもおとなしく眠るしかない。あきらめて、頭ではいろいろ考えつつも目を閉じることにした。
「……あれだ!」
ドキの木の上から道を見つめていると、アルッサ車がトコトコと村に向かってきていた。荷を引いている様子はなく、小さめの客車がついているだけ。間違いないお姉ちゃんが帰ってきた。そう思うや否やドキの木から降りて道の方に全力疾走していく。いつもだったら魔法を見せてあげようと、仕事を中断して話しかけてくれるおばさんたちも、微笑ましくその様子を見ていた。なにせお姉ちゃんが帰って来ると分かった日から、ずっと騒いでいたから、知らない人はいないのだろう。あぁ俺も空を飛ぶことができたら、彼女のもとまで一直線に飛んだのに。
「あ、危ないよボク!」
アルッサ使いの人が、止まる様子もなく駆け寄ってくる俺を見て叫ぶ。
「ごめんなさぁい!」
少しつんのめりながら立ち止まると、アルッサ車もゆっくりとスピードを落とし、止まる。
「お嬢さん、ウーベ村着いたよ!」
彼は、そういいながら客車の扉を開ける。その先には、思い描いていた人が田舎には似合わない紺色のおしゃれな学生服を着て、今起きたかのようにあくびをしていた。
「ふぁ……、ありがとうございます、ついつい眠くなっちゃって……」
「あの山道を揺られながら寝るなんて、とんでもないねぇ。ほら、足元にお気をつけて」
「あ、荷物まで、ありがとうございます」
「いいんだよ。良いお客さんに当たった感謝みたいなものだからね、それじゃあいい旅を……、いや故郷って言ってたもんね。いい休暇を!」
客車から降りたお姉ちゃんが、しっかりと大きなバッグを持ったのを見届けると、アルッサ使いの人はトコトコと道を引き返していく。今日の朝に出発して昼前に村に着くなんて、アルッサにはやはり一度揺られてみたいものである。
「……、あれっ? ショウ君!」
バッグを抱えなおして一息、視線を上げてようやくお姉ちゃんは俺に気が付いたようだった。そのバッグは重いはずなのに、驚いて少し飛び跳ねている。相変わらずの眼鏡に三つ編み姿。半年たったというのに記憶の中の彼女とほぼ変わっていない。
「おかえりお姉ちゃん! はやく家に帰ろっ」
「た、ただいま。わぁ、ひっぱらないでよぅ」
「学園はどうなの? 全部教えてよ、細かくね、授業のこともね」
彼女からバッグを取り上げて家に向かう。思ったよりもかなり重くて大変だけれど、彼女のことだからこれから村のみんなに挨拶を、なんて言い出しかねない。
「学園かぁ、良い人も多いけど、やっぱり合わない人も多いんだよねぇ」
「……、お姉ちゃん、誰かに意地悪されたの?」
「いやいや! 変なのに絡まれるなぁ、って最初にびっくりしただけで実害は何もないよ。都会って言っても、発現さえしていれば通えるからね。高貴な方も多いけど、私みたいな田舎者も多いよ」
からからと笑ってお姉ちゃんは手を振る。その表情に影は無くて、ほんの少し心配していた気持ちがほぐれていった。昔から穏やかで優しい人だったから、都会に行って怖くなってしまったらどうしようと思っていたけれど、彼女は相変わらず彼女のようだ。そんな彼女に付け込む人もいないみたいで、都会に対する警戒が解ける。
「ま、魔法! 魔法のこと教えて! 俺ね、いっぱい本読んだんだけど理解できないとこ多いし、あぁでもそれより見せて、何でもいいから、そばで見れるやつない?」
「落ち着いてショウ君、私は逃げないよぉ」
「休暇が終わったら帰っちゃうでしょ! 課題も忙しいって聞いたけどっ?」
「あぅ、あうあう……」
お姉ちゃんは、手を胸の前で困ったようにわたわたさせている。確かに彼女は逃げないだろうが、時間は刻一刻と俺から逃げていくのである。
何人かの村人たちにおかえりなさいを言われながら、寄り道をしないで家へと帰る。ママは仕事中だから、パパが迎え入れてくれた。
「メリアちゃん、おかえりなさい……。うん、元気だったみたいだね」
「パパ、ただいまぁ! ……学園はちゃんとご飯食べれたもの、心配しないで」
「お昼までまだちょっと時間があるし、ショウ君の相手をしてあげて。メリアちゃんのことをお手紙が届いた日からずっと待っていたんだよ」
「ショウ君は相変わらずなんだねぇー。いいよ。荷物広げたいからお部屋に行こうか」
「うんっ!」
その荷物たちが入っているだろうバッグを下すことなく、お姉ちゃんの部屋に運ぶ。傷つけることのないようにゆっくりとしゃがみながら下すと、ありがとうと優しい声がお礼を言う。
「安全にショウ君に見せてあげられるものかぁ……。火も風も危ないし、土や水は家だと片付けが超大変だし……、あ! いいものがあったよ」
いろいろな本や道具を出しながら彼女は、銀色の小さなランプを取り出す。俺の部屋にあるものより、二回りは小さい。片手で難なく持てる、長さ十センチくらいのものだった。
「なぁに? それ」
「これはね……、とりあえず持ってごらん」
ひょい、と手渡されてそのランプを受け取る。大切にされているのか、綺麗に磨かれている。
「軽い……? このランプ、どこから火種を入れるの?」
お姉ちゃんは得意げに胸を張る。
「なんとそのランプは、魔力で使えちゃうランプなのです! ……自分の魔力さえつぎ込めば、いつでもどこでも、好きな明るさで使えるんだから」
「ぇ……、ええーっ? すごいじゃん! いいないいなぁ!」
ということはつまり、魔力切れにならない限り夜中に本を読めるということである。一々生成された、個数が有限の火種を取り換える必要もないし、明るすぎる暗すぎるといった微妙な明るさの問題に頭を悩まされることもない。
「……、まぁでも、私レベルの魔力だと一瞬ぱぁっと光らせるくらいしかできないんだけどね」
「ぇ……、そんなにシビアなの?」
「いんやぁ? 高貴な方は授業時間ずっと光らせることができてたし、先生なんかは一晩中余裕って言ってたから慣れと修行だね」
元ある才能とは、姉は言わなかった。
「じゃあ頑張ればめっちゃ便利にできるってことでしょ? いいなぁー」
「……それなら一発、ショウ君に見せてあげようね!」