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Sehnsucht  作者: 寝酪
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001

 瓶底眼鏡というものをご存じだろうか。分厚いグラス部分に、丸く野暮ったい黒いフレーム。それだけでも充分に印象は悪いというのに、姉は田舎者丸出しの三つ編みであった。その腰まである髪をほどき、丁寧にセットするだけでかなり洒落た感じになるだろうに、彼女は三つ編みがお気に入りのようだった。もし俺が彼女と同い年でしかも同性であったのなら、俺は彼女のことをお固くて面白みのない子だと思っていたかもしれない。しかし、そんなもしもは存在せず、俺は生まれた時から彼女とともにあった。彼女は家にいるときなんて、三つ編みという唯一の手間暇をかけるのを面倒くさがって適当に髪の毛をまとめただけの格好だったが、俺にとってはそれでも憧れの姉であった。なにせ、生まれた時から自分の一つ先を行く存在だったのだ、弟というのは多かれ少なかれこのような意識を持っているのかもしれない。

 俺にとって十歳年上の彼女も、この秋に学園へ入学した。帝都のほうへ行けば学園なんてたくさんあるし、お金持ちには送迎もあるから通いも珍しくないのだが、生憎ここは都会ではない。姉は身の回りのものを鞄一つにまとめて寮に入っていった。

 そして今の季節は冬を超え、春。俺たち家族は、半年間彼女に会っていないのであった。

「……ふー、面白かった」

 ぱたむ、と七歳には少し重い本を閉じる。ここは村全体が見下ろせる丘のてっぺん。俺は、毎日ここで読書をするのが日課だった。綺麗に花が咲き誇ったドキの木に寄りかかって、薄水色の花弁がゆっくりと舞うこの季節が一番のお気に入りだ。しかしもう夕暮れで、これ以上ここにいるといつまでも帰ってこないことを心配されてしまうだろう。

「あらショウ君、またドキの方に行っていたのかい。登ったりしてないだろうね?」

 家までの道すがら、仕事中の見知った顔たちによく声をかけられるのも、日常だった。

「大丈夫だよおばさん、いつまで俺が三つだった時の話してんだよぉ」

「はっはっは。ショウ君はもう七つだったっけ? こりゃ失礼をしたよ」

 そう言いながらおばさんは、丸太や割った薪を薪置き場に飛ばす。多分、今日の仕事の分なのだろう。ものを飛ばすエネルギーになり切れなかったのだろう魔力が、パチパチと空気を舞っていた。

「そうそう。アレッシアさんは今日水汲み当番だからね。帰りは遅くなるんじゃないかい」

「ママ今日お水の当番なのっ? 先に言ってよ、そしたら一日張り付いて見てたのに……!」

 村の仕事の内、水汲み当番はかなり安全な方なのだ。このおばさんのように薪割り当番といった、周りに危険が及ぶような仕事と比べたら、ずっとそばで魔法を見せていてもらえるのだから。悔しくってぽんぽんと地面を踏み鳴らす。

「いやぁごめんごめん。今度があったら朝一番にエルミーニを飛ばすからさ」

「……約束だからねっ。違ったら怒るからね!」

 終始楽しそうに笑顔だったおばさんと別れ、道を下っていく。もう大体村のみんなは仕事を終えたのか、家の外に出ている人はいないようだった。この時間から畑を回って母を探し出したら完全に日が暮れてしまうだろうから、おとなしく家へと向かう。

「おや、ショウ君、おでかけでしたか。今日も木の方へ?」

 村に立っている質素ながらも綺麗な教会。杖を持った若い女性に声をかけられる。

「ノアナ様! はい、ドキの木の下で勉強をしておりました」

 彼女はサッと杖を振って教会周りの落ち葉を片づけていく。緩やかな風が、葉を押していく。おそらく、おれの方にはっぱや石が飛ばないように、威力は控えめにおもむろに。

「今日も魔法の研究について……? おほほ、きっと優秀な学者様になれますね」

 俺が小脇に抱えた本のタイトルを見て、彼女は二つほど頷く。

「ありがとうございます、……でもまだまだ分からないことがたくさんあって、半分も理解できていなくて……」

「ふむ……、それでよいのですよ。魔法は今でもわからないことがありますし、時たま常識すら塗り替えられます。魔法使いや学者によって……。そこに書かれていることがどういう意味なのか、なぜそう書かれているのか。綺麗に納得出来たらそれでよし。謎が残ればそれすら研究すべき対象となりえます。わたくし自身の見解を話すことはできますが、それでは偏見の植え付けになるかもしれません。……研究の研究に役立つ本の紹介ならできます。もしほしくなったら、明るいうちに教会においでくださいね」

 彼女は、少しショウ君には難しい話をしてしまいましたか、と最後に付け加える。俺は、そうわかっていたとしても対等に意見を述べてくれる彼女を一人の魔法使いとして尊敬している。もちろん、薪係をしていたおばさんも、今日は水汲み当番だったママも、この村で働いている魔法使い全員を尊敬している。仕事にできるほど、魔法を使いこなせるなんて、選ばれし神の子だもの。

「そんなことないよ、ノアナ様のお話はとっても勉強になるから、俺大好きだよ。難しくってわからなくてもいいんだ、また教えてね」

「力になるつもりが、気を遣わせてしまいましたかね。ありがとうございます」

 お礼を言って、彼女と別れる。教会まで来たら、家はもうすぐそこだった。

「ただいまぁ……」

「おかえりショウ君、またその本を読んでたの? 好きだなぁ」

「ママがお水当番って知らなかったからぁ! 今頃水の生成を見まくってるはずだったのにぃ」

「今度見せてもらいなさい。ほら、お夕飯できてるよ」

 パパが器に盛ったシュトムとググを持ってきてくれる。今日は贅沢に、ホカホカのものだ。

「あったかいやつだ! いいの?」

「今日当番の人が火種を一つ多めにくれてね。この前ショウ君が娘さんにお勉強を教えてくれたお礼だってさ。だからこれはショウ君のものだよ。ちゃんとママにもあったかいご飯を出せるから心配しなくていいんだよ」

 パパが嬉しそうに水をコップに入れてくれる。そういえば、ドキの木の下で本を読んでいるときに声をかけてくれた女の子がいたのだった。ほとんど変わらない年だけど、彼女はまだ発現してなかったから魔法の知識はほぼないに等しかった。まぁ、彼女が発現したらこの知識量だってあっという間にひっくり返るのだろうけど。

「俺も学園に行きたいなぁ……」

 ぽつりとこぼれる言葉。この言葉は口癖と言ってもいいほどに俺が言う言葉だけれど、やっぱり何回言っても慣れないものだった。

「ショウ君……。……ごめんねぇ、神の子に産んであげられなくて」

「ううん。男の子だって人類の存続のために必要なんだってことはわかってる。魔法の勉強が必要ないことも……。でも必要なくったって、好きなものは好きだもん」

 シュトムに浸したググを口いっぱいにほおばる。この自問自答のようなことも、毎日の日課だった。

「……おねえちゃんにいっぱい魔法のことについて教えてもらおうね。もうすぐ、春のお休みを使って帰ってくるはずだからさ!」

 パパは、明るくて大きめの声でそう言う。

「えっ、お姉ちゃん帰ってこれるのっ? 先に言ってよ! いつ? 急いで質問まとめておかなくちゃ!」

 少し落ち込んだ気分なんて簡単に吹き飛んで、パパの言ったことで頭がいっぱいになった。そうか、入学して半年、春休み期間に入るのか。それならばこうしちゃいられない。この半年間で買ってもらった魔法についての本の、チェックしておいたところを読みなおして質問個所をまとめないと。学園は長期休みでも宿題で忙しいって聞くから、あんまりお姉ちゃんの時間を奪ってはいけない。

 俺は、急ぎつつも温かくておいしいお夕飯をしっかりと味わって片づけると、自室へと駆け込んだ。




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