追撃者――リーンの価値
時間は過ぎ、旅は七日目、順調そのもの。
夜半から降り始めた雨も明け方には上がり、このまま行けば昼にはホラックラーに着くと思われたその矢先。
ちょうど街道でも人気のない辺りに差し掛かった頃、馬車が大きな音を立てて停止した。
「こりゃ、直すのはちょっと骨だな」
前輪のシャフトが完全に折れていることを確認し、ファンテは顔をしかめた。
「すごい音だったもんね、ばきーっ、て」
リーン、ヤシュアもファンテの後ろから彼と同じものを見る。
「いや、しかし……」
前日、きちんと点検したのだ、とファンテは訝る。
念の為もう一度シャフトを確認すると、木製のそれに誰かが切り込みを入れた跡があった。
「ファンテ、これって――?」
「きゃあっ!」ヤシュアの悲鳴。
間髪入れず何本もの矢が馬車めがけて飛んでくる。狙いは外されている。威嚇だ、ファンテはそう判断する。彼は二人を連れて馬車の反対側に身を潜める。
意外にも馬は逃げることなく三人を守るようにそこに留まり続ける。どうやらリーンが馬のそばで何かを囁き、それで安心させているようだった。
「何? 野盗?」ヤシュアが震え声を出す。
「いや――違うな」
ファンテは矢で裂けた幌から遠くを見通す。
「馬車は細工されていた。つまり、無差別じゃなく、俺達が狙いだ」
「そ、そんな……」絶句するヤシュア。
「何か心当たり、あるか?」
するとリーンは――曖昧に笑った。
「リーン! とっとと出てきなさい! 今日こそ一緒に来てもらいます!」
馬車を挟んで反対側。
五人の男、その中の一人が叫んでいる。
「――何やったんだ、お前」
「や、違うの。何か、どこかの王様の前で歌ったことがあるんだけどね? えらく気に入られてさ、監禁されたから嫌になって逃げたの。だって、折角だし、旅をしたくてさ。そうしたら、それ以来しつこく追われてて」
うまく撒いたと思ったんだけどな、とまたリーンは曖昧に笑った。
「何とまあ、凄いなお前」
「えへへ。それほどでも」
――誉めてないんだよ……。
立ち上がるファンテ。
「待ってくれ! 降参だ!」ファンテは馬車の向こうの男達に叫ぶ。
『え。やだ』
『いいから黙ってろ。大体、何でそんなに落ち着いてるんだ』
小声でリーンを叱り、立ち上がって馬車の後方から回り込んで男達と対峙するファンテ。彼らとの間合いはまだ遠い。
「リーンはどうしたのですか!」
――成程、確かにいい身なりだ。
王様の命を受けリーンを探し回っていたのだろう。或いは歌の噂を聞きつけ、イアシスに向かう途中だったのかも知れない、とファンテは推測する。
「分かってるよ」
ファンテはじりっ、とそれとは悟られぬように脚に力を溜める。
「リーンさえ出せばお前達には危害を加えません。さあ……」
――生憎と。
彼は凄まじい脚力で男達との間合いを一歩で詰める。
「なっ!」
男が一人、ファンテに殴り倒された。
――受けた仕事はやり切りたい性分でね。
「こ、こいつっ」
剣を抜く隣の男。
――おい、危害を加えるじゃないか。
まあ抵抗したからか――男が振り上げた剣を見もせずに、ファンテはがら空きになった胴に鋭い正拳突き。
腹を押さえ、何も言わずに崩れ落ちる男。
三人目はそれを見て学習したのか、体勢の低くなっていたファンテの顔面に突きを繰り出す。
――おっと。
首を傾けて避けようとしたファンテの足が――滑る。夕べ降った雨の所為で、地面は所々ぬかるんでいた。
――しまっ……!
男の剣がファンテの肩口を切り裂く。
鮮血が滲む腕を思わず押さえるファンテ、男が振りかざす剣を見送ってしまう。
――くそ、しくじった……。
【止 め な さ い !】
大きな声がした。リーンだ。ただし、いつも聴く声とはまるで違う。
声自体が大きく振動し、波のように男達に向かう。彼らは耳を押さえ、その場にうずくまる。
――何だ、何が……?
ファンテが状況を把握する間もなく。
【さ あ、 ど こ か へ 行 っ て !】
声が重ねて発せられる。
「く……、またこの展開か……」
彼らはよろめきながら立ち上がり、ファンテに倒された仲間を抱え、どこかへと逃げ去っていった。
「あいつら、いつもああなるのよ最後は……ごめんねファンテ、私のために怪我を」
もうホラックラーまではあと僅か。
三人は客車を放棄、鞍のついていない馬を引きながら街道を歩いて向かうことにした。
「学習しないんだよねあいつら。あ、不意を突けば行けるとでも思ったのかな」
「さっきのは口を塞げば何とかなるからな。それより、リーン、余程のことだぞ」
「え、何が?」
「彼らは鬼気迫っていた。どんなことをしてでも、何が何でも君を連れて帰りたかったんだ」
つまり、物凄い価値が君にはあるってこと――ファンテはリーンの顔を改めて見る。
――さっきのは確かにびっくりしたが……この娘のどこにそんな価値が?
「何よそれ。こっちは旅をしたいだけなんだって」
「あ、見えて来ました」
ヤシュアが暮れなずむ空を指す。立派な教会の尖塔が夕陽に映えていた。