第25話 その自信家は、仮面を見抜く
「頑張ってるな、民原先輩」
廻るメリーゴーランド。馬車に乗った俺と真白は互いに向き合う形に座りながら、民原先輩と神崎先輩の様子を眺める。
「そうですね。不慣れなりに、努力してくださっています」
今日の民原先輩は、神崎先輩の好みに合わせて完璧な仮面を被っているのだろう。
それも全ては恋を成就させるための努力なのだろう。
好きな人に振り向いてもらうために努力して、好きな人に振り向いてもらうために合わせるなんてことは別に珍しいことじゃない。
完璧でないということは、不完全だということだ。
不完全だということは、欠点があるということだ。
欠点があるということは、嫌われるかもしれないということだ。
だから人は仮面を被る。
欠点が原因で嫌われたくないから。
欠点が原因で幻滅されたくないから。
欠点が原因で弾かれたくないから。
綻びを、欠点を覆い隠し、何事も問題のないかのように。完璧であるかのように見せかける。
それを悪だとは言わない。
誰だって多かれ少なかれ仮面を被って生きているものだし、生き抜くための処世術でもあるのだから。
…………しかし、それは。
それは果たして、完璧と呼べるのだろうか。
――――……なのに父は、『完璧な人間なんていない』って言うんです。
ああ、分かるよ。真白。
みんなそう言うよな。俺の母親も同じことを言ってたよ。
正直、俺も当時はよく分からなかったんだ。『完璧な人間なんていない』って言葉の意味が。
でも今は少し……ほんの少し、分かる気がするんだ。疑問が、胸の奥でチカチカと瞬いているんだ。
完璧なんてものが、この世に存在するのだろうか……ってな。
「…………なあ、真白。一つ質問してもいいか?」
「……いいですけど」
「お前さ……『完璧』ってやつが、本当にあると思うか?」
真白は口を噤んだ。メリーゴーランドのメロディや周り声だけが、作り物の馬車の中に満たされていく。
「ありますよ。きっと」
返ってきた一言は、絞り出すようで。
「……あると信じてます」
彼女が口にしたのは紛れもない願い。
だけど、その時にふと思ったことがあった。
――――もし『完璧』というものが存在しないとしたら。その時は、この縋るような願いですら……。
☆
メリーゴーランドを乗り終えた後は、比較的ファミリー層向けの緩いアトラクションを選んでいった。特に大きなトラブルもなく、民原先輩も気持ちを切り替えたのか純粋に楽しんでいるように見えた。
今のところ、真白の考えた計画はつつがなく進んでいる。
「時間も時間ですし、そろそろお昼にしましょうか」
「おおっ、それはいいね! ならばさっそく食料調達と行こうじゃないか!」
真白の提案に喰いつくように乗った神崎先輩は、同意するや否や俺の肩を掴んで引っ張り始めた。
「ここは将来神崎フーズを継ぐ僕に任せてもらおう! 素晴らしい昼食をセレクトすることを約束しよう! では灰露くん、荷物持ちについてきたまえ!」
「は、はあ。構いませんけど……」
半ば強引に連れ出された俺は、フードエリアにある屋台の列に先輩と共に加わった。
「ここのホットドッグは絶品でね! 是非とも皆に食べてほしい! 神崎セレクトに間違いはないよ!」
「へぇー。そりゃあ、楽しみです」
「うん。そうだろうそうだろう。期待に胸を躍り、膨らませるといいさ!」
「ははは…………」
「…………」
「…………」
……えっ。なにこれ気まずい。なんで急に黙るの。思わず「何ですか神崎セレクトって」と突っ込み損ねたし。
「……なあ、灰露くん」
「な、なんですか。先輩」
神崎先輩はいつもの自信家な様子からは打って変わり、自信も覇気も喪失したように不安を顔に滲ませる。
「…………民原さんは、楽しんでくれているのだろうか」
「えぇーっと……楽しんでるんじゃないですか? 俺にはそう見えましたけど」
「そうか……そうかな。僕にはどうも、そうは見えないんだ」
「……というと?」
「彼女の笑顔が、今日はどこか嘘くさい」
どこか確信めいた、それでいて刃のように鋭い一言。
「そうだなぁ……うーん……今日の民原さんの笑顔は、まるで真白さんみたいだ」
「どうしてそう思ったんですか?」
「確たる証拠があるわけじゃない。強いて言うなら、勘だよ」
「勘ですか」
「ああ。これでもよく当たるんだ。それに、ほら。僕の実家はお金があるだろう? 幼少の頃から、うさんくさい連中が寄ってくることは珍しくなくてね。おかげで、人の虚偽や欺瞞には敏くなってしまったよ」
内心で舌を巻く。ただの自信家な先輩かと思っていたけど、やるもんだな。
「嘘を暴くことが必ずしも良い結果に繋がるとは限らないからね。だから黙っていたんだけど……やっぱり、心苦しいよ。あの仮面のような笑顔を見ていると。僕が絶叫系を苦手としていると聞いて、合わせてくれているのかもしれないね」
正解。凄いな、神崎先輩。ただのお坊ちゃんじゃなかったってわけか。
「でも良いんじゃないですか。神崎先輩に合わせているということは、先輩に対して好意的なのかもしれませんし」
「そうだね。僕もそう思って、胸の内ではしゃいでしまって……不覚にも『気が合う』などと口走ってしまったが……」
神崎先輩は俯き、胸に手を当てる。そこに在る自分の言葉に、静かに耳を澄ませるかのように。
「…………違うな。うん。違う。僕が好きになった民原さんの笑顔は、もっとのびのびとしていて、輝いていた。もちろん、今日の彼女も素敵だけれど……僕が好きになったのは、もっと素直で真っすぐな彼女の姿だから」
己の好意を語る神崎先輩の顔は、とても優しくて。温かくて。
……ああ、こういうのが愛ってやつなんだなと、素直に思うことが出来た。
とはいっても、計画通りに進めるならここで上手く誤魔化しておく必要があるのだろうが……。
(…………悪い、真白)
心の中で謝りつつ、
「それじゃあ、先輩。午後は絶叫系フルコースといきますか。男を見せてくださいよ」
「お、おおう……任せたまえ。これでも今日に備えて放課後は遊園地に通って練習したからね。慣れたもんさ」
「そりゃ凄い……けど震えてるじゃないですか」
「う、うむ。実は克服は出来なくてね……少しは慣れたが、付け焼刃にもならなかったよよよよよよ」
「……えーっと、無理のない範囲にしてくださいね」
「な、なぁーに。頑張るさ。僕がやせ我慢したり、男を見せたいと思うのはさ……好きでそうしたいんだもの」
「いざとなったら、肩ぐらい貸しますよ」
「た、頼むよ……」
きっとこっちは正解じゃないのかもしれない。完璧じゃないのかもしれない。
もしかすると、仮面を被っていた方が上手くいったのかもしれない。
でも、だけど。
真白にも、仮面を脱ぎ捨てた先輩たちの姿を見てほしい。
……そう思ったんだ。




