第18話 訪れた過去
真白桜月にかけられた『完璧』という名の呪い。
解いてやれるかなんて分からないし、そもそも本人が解かれることを望んではいないし、何より俺はそんな大層なお役目を果たせる人間でもない。
だけど、それでも。
あの自分を押し殺すような涙を、これ以上は見たくないと思った。
「…………分かんねー……」
自分なりの理由と願いを見つけたところで、簡単に解決できれば苦労はない。
俺がちょっと考えたぐらいで解決法が浮かぶというのなら、牧瀬先輩だって俺に真白の『呪い』を解いてやってほしいなんてことを託すわけもないし。
先輩から真白の過去についての話をされてから、俺は良くも悪くもいつも通りの日々を過ごしていた。現に今もこうしてバイトにせっせと励んでいる。いや、励むというほど忙しくもないのだが。
「何が分からないのですか?」
当の本人……真白はというと、そんな俺の苦労も知らず、きょとんとした顔をしている。
「……俺にだって悩みはあるんだよ」
「悩み、ですか。よければ相談に乗りますよ? ほら、私って『彼女』ではありますし」
「…………」
むしろ一番相談に乗れない相手だ。
「いや、遠慮しておく。お前じゃ頼りにならなさそうだからな」
「えぇっ!? わ、私そんなに頼りになりませんか!?」
「ならない」
「うぅ……別に即答しなくても……」
拗ねたようにココアを口にする真白。
当の本人に相談してどうするというのもあるが、それを差し引いてもこいつは色々と残念だからなぁ……また頼んでもない資料をバリバリ作成してドヤ顔で出してきそうだ。
「はぁ……こんなことで大丈夫でしょうか。これからその相談を受けることになっているというのに」
真白のいう相談とは、以前から依頼されていたダブルデートの件だ。
今日は相談者の男子生徒と、『ウインドミル』で顔合わせをすることになっている。
「相談って言っても、本番前の打ち合わせみたいなもんだろ。お前の得意分野じゃねーか」
「灰露くんは私のことをなんだと思ってるんですか……?」
自覚なしか。これは重症のようだな……。
「えっ……なんですかその可哀そうなものを見る目は」
真白の追及を無視していると、ドアベルを鳴らしながら店の扉が開いた。
「おや。今日も仲睦まじいようで何よりだよ、ご両人」
入ってきたのは、清々しいほど他人行儀の牧瀬先輩だ。
忘れそうになるけれど、俺たちが融和委員会からの依頼で偽の恋人関係を結んでいることは秘密だ。
なので部外者を挟む時はこうして、あたかも俺と牧瀬先輩は大して関係のないように振る舞うようになっている(真白は元から融和委員会に所属していたので普段通りといえば普段通りになるが)。牧瀬先輩の演技も堂に入ったものだ。というより、普段から息をするように演技をしているのかもしれないけど。
「うん。この喫茶店は秘密の相談にはもってこいだね。お客も居なければマスターもいない。お店としては問題しかないし、道楽としては贅沢極まるが、まあそれはそれ。融和委員会の施設として利用したいぐらいだ」
「普通にお客として来てください」
確かにここ最近は便利に使われている。……まあ。人目につかず、かつ融和委員会に相談を持ち掛けたということを隠蔽できる場所としてはこれ以上なく使い勝手がいいのは間違いない。
「……それで? ダブルデートとやらをする相談者は」
「ああ、彼ならこっちだ。…………さあ、入ってきたまえ。遠慮することはないよ。私の奢りだからね」
牧瀬先輩に促されて店内に入ってきたのは、同じ天上院学園の制服を身に着けた男子生徒。整った顔立ち。日差しに照らされて輝くプラチナブロンドの髪に上品な佇まいは、『王子様』と表現するにふさわしい。
「彼は二年B組の神崎光城くん。融和委員会の相談者で、今回のダブルデートの参加者だ」
紹介されるや否や、神崎先輩は唇の端を吊り上げて自信たっぷりに笑ってみせた。
「そう、僕こそが『あの』! カンザキフーズを経営する、神崎家の長男! 神崎光城だとも! 今日という日、この瞬間を、君の人生に記すことを許そう! 遠慮することはない。寛大なる僕が許すのだから!」
…………これはまた面倒なのがいらっしゃいましたなぁ……。
「えーっと……ありがとうございます。嬉しいです。とても」
「はっはっはっ! そうだろうそうだろう、光栄に思いたまえ!」
接客業ってのは辛いな。どんな化け物が来ても我慢してニコニコ笑って頭を下げてないといけないのだから。将来、何らかの仕事に就くにしても、俺は接客業だけはやらない。今決めた。
「なんだか……とても個性的な方がいらっしゃいましたね」
「……個性的ね。素直に厄介なのが来たって言えよ」
「言えませんよ。仮にも相手は先輩ですよ」
真白と小声で話し合うも、どうやら認識は似たようなものらしい。というか真白ですら若干引いてるじゃねーか。
「ま、こんなところで立ち話もなんだ。まずは座ろうじゃないか」
牧瀬先輩に促され、神崎先輩はカウンター席に座る。
「ふむ。思っていたよりも洒落た店じゃないか。カンザキフーズの系列に加えるのも検討してあげてもいいぞ?」
「勝手に買収しようとしないでください」
「はっはっはー! まさかまさか。僕みたいな子供一人の一存でそんなことが出来るわけないじゃないか。俗に言う、カンザキジョークだよ!」
俗に言うの!? どこの俗だよ!
(……にしても、カンザキフーズのお坊ちゃんか。こりゃとんでもないのが来たな)
カンザキフーズといえば、日本全国に系列店を持つ超大手企業だ。
街を歩けばカンザキフーズの系列となる外食店が立ち並んでおり、まさに現代日本における外食産業の王様と言ってもいい。
(……カンザキ。神崎か…………なんだろう。どこか……)
聞き覚えが、あるような。ないような。何か、どこかが引っかかる。
だけど上手く思い出せない。カンザキフーズの名前は常日頃から目にしているせいか? いや、違う。もっと昔にも……。
「神崎くん。こっちは私の後輩。一年A組の真白桜月だ」
「真白です。初めまして、神崎先輩」
「初めまして、真白さん。君の噂は聞いているよ。特にここ最近、君は学園の中じゃ注目の的だからね! 知らない者はいないさ」
「恐縮です」
そつなく挨拶をこなす真白を見た牧瀬先輩は、次に俺の方へと手を向けた。
「そしてこっちが、同じく一年A組の灰露夜音くん。君も噂で聞いているとは思ってるが、彼と真白は付き合っていてね。外部生と内部生のカップルということで、今回のことに協力してもらうことになった」
「灰露です。よろしくお願いします」
まだ頭の中に引っかかることはあるけれど、ひとまず挨拶をしておく。
「よろしく。君のことも、噂で聞いているよ。何しろ、あの真白さんの心を射止めた外部生だ。僕としても君には興味が――――」
言葉は途中で途切れ、神崎先輩は俺の顔をじっと見つめる。
「…………ん? 失礼。もしかして……君、どこかで会ったことはなかったかな?」
「えっ……?」
俺が感じていたもの。引っかかっていた何かが、再び頭の中で存在感を主張し始めた。
神崎。その名前に、どこか聞き覚えがあったような気がしていて。
「うーん……なんだったかなぁ……」
神崎先輩は俺の顔を見つめつつ、頭の中の記憶を漁っているらしい。
しばらくの間考え込むように黙り込み……そして、
「あっ! 思い出した! もしかして君――――黒箱夜音くんじゃあないかい!?」
黒箱。
先輩は確かに口にした。言葉にした。
「ああ、やっぱりそうだ! 苗字が変わっていたから、こうして直接かつ間近で顔を拝むまで、気づけなかったよ! 申し訳ない、謝罪しよう! だが、しかし! かつて同じ塾に通っていた後輩を、完全に綺麗にすっぱりと忘れるほど、神崎光城は薄情じゃあなかったということが証明できたというわけだね! なんと喜ばしいことか!」
捨て去った名前。蓋をしていた過去。
「久しぶりだ、黒箱夜音くん……いや、今は灰露夜音くんかな? 何はともあれ、かつて『神童』と謳われた君と、またこうして会えるのは何かの運命かもしれないね!」
それが今頃になって、こんな形で出てくるなんて――――そんなこと、一体誰が予想したことだろう。