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刻印の継承者 その10  作者: 神野 碧
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封印帝国

闇と光。相反する力を象徴する剣が何度も相打ち合う。放たれる闇と光は拮抗し、明滅を繰り返す。

 剣の使い手であるアーヴズとガーヴは、一旦間合いを取って、刃の先端を相手に向けた構えをとる。雌雄を決する一撃を繰り出さんとして。

 寸分違わぬタイミングで、剣の先端は一直線に互いの心臓めがけて突き進んでいた。

 剣を握ったままぶつかり合ったガーヴとアーヴズは、間近に迫った相手の表情を読み取り、にやりと笑う。互いの胸は、相手の剣に貫かれている。正確に心臓を射抜いて背中に飛び出した光の剣と闇の剣の先端はそれぞれに、漆黒の闇の紋章、眩く輝く光の紋章を浮かび上がらせて静止していた。剣の所有者は、光と闇に同化して姿を消していた。空間に残された二本の剣は自律するように動き、直下の空間―ナディとライナが今まさに呑み込まれようとしている闇の空間を目指すように落下してゆく。

 密度の濃い闇の空間をすり抜けた二本の剣は、ナディとライナを絡め取っていた闇の触手を断ち切り、闇の剣はナディ、光の剣はライナ、それぞれの手元直近の床に突き刺さって、闇と光のオーラを放っていた。

 思考など、必要なかった。

目の前でオーラを放つ剣を認めた二人は即座に、しなやかな動作で床から剣を引き抜く。初めて手にした剣にもかかわらず、しっくりと手に馴染んでいることに何の違和感も覚えることなく、ナディとライナは、眼前で蠢くさらなる高密度の闇に刃先を向けていた。

二本の剣から放たれたオーラは、互いを引き寄せ合うように流れる。流れに抗わず、剣に身を預けて体位を変えると、ナディとライナは自ずと正面を向き合い、剣を上段に構えた姿勢になる。それは《敵対》ではなく《調和》への誘いだった。光と闇の調和、すなわち《融合魔法》への誘い。

白魔法と黒魔法という相反する魔法の融合は魔導の奥義とされ、その力は無限大とされている。成しえた者は全ての世の理を支配できるとさえ言われる究極の魔法、それが《融合魔法》だ。実践に際して術者は、実践の後に術者自身に課せられる過酷な運命に耐えうる強靭な精神力を要求される。古来より、あまたの魔導士が試みて過酷な運命に葬り去られて成し得ることのなかった奥義の魔法だ。

 二本の剣がナディとライナを術者として誘ったのは必然だった。彼女たちこそが、初めて融合魔法を成功させて《聖魔の刻印》を授かった魔導士なのだから。

 剣の誘いに合わせて、二人の間合いが縮まる。


―いくわよ、ライナ!―

―はい!―


 内なる声とともに、光の剣と闇の剣の切っ先が触れる。


―いざ!―


 互いのオーラを吸収し合った剣が真一文字に動く。

 ナディとライナが左右に薙いだ剣が迫り来る闇の塊を抉る。切り裂かれた闇の塊は断末魔の獅子の如く激しく蠢きながらも、断片となってナディたちに迫る。さらに剣をひと薙ぎすると、闇の断片は掃討され、剣が放つオーラが一直線に手負いの獅子となった闇の塊を貫くと、闇の塊は四散し消滅していた。

 消滅した闇の空間の奥は、灰色の空間だった。その中心には、ティアが微動だにせず立っている。暗色の中で、彩度の高いティアの衣が揺らいでいた。仮面のような相貌から覗く瞳は青白く、妖しい光を放っている。

 剣を構えて近づくナディとライナを認めると、ティアの瞳が修羅の如く二人を射抜く。

ティアの周囲に闇の断片が集まり、再生した闇が、刃を向けるようにナディたちに迫る。

その闇をひと薙ぎで振り払うと、ナディとライナは静かに構えを解き、ライナに問いかける。

―アナタハ、ハカイヲノゾムノ?―

 ティアの修羅の瞳は揺るがない。

 ナディとライナは再び剣を構えて、

―ワタシタチハ、ハカイヲノゾマナイ―

 二本の剣に浮かび上がる紋章。二つの紋章は対となってぴたりと重なり、血脈の流れの如く収縮して剣とその持ち主を一体化させていた。静かな光を湛えたナディとライナの瞳が、ティアの修羅の瞳と重なる。

 なお揺るがぬティアの瞳に、剣と一体化したナディとライナは、

―ワタシタチハ、アナタヲマモリタイ―

 声の波は剣に伝わり、音叉の放つ緩い振動のように周囲を震わせていた。音の波はティアを包み込み、穏やかに波打っていた。

―アナタヲ、マモリタイ、マモリタイ、マモリタイ、マモリタイ……―

 修羅の双眸が揺れる。

―ミンナヲ、マモリタイ、マモリタイ、マモリタイ、マモリタイ……―

 修羅の双眸から黒い滴が溢れる。


―マモリタイ!―


 淡く光る滴がティアの頬を伝う。

―わた、し、は……―

 修羅の双眸が徐々に崩れ、穏やかな光を湛えてゆく。

―わたしは、わたしは……―

二本の剣が緩やかに動き、左右からティアの胸元にかざされる。剣は、ティアの双眸からこぼれた滴を掬うと仄暗い光を放っていた。

見開かれたティアの瞳が、仄暗い光越しにナディとライナを捉える。

「ティア、あなたは破壊を望むの?」

 ナディとライナが、穏やかに問う。

「わたしは、破壊なんか望まない」

 ナディとライナは小さく頷くと剣を引き、天空にかざす。剣はゆっくりと二人の手を離れ、それぞれに光と、闇の尾を引いて天空へと向かっていた。

 闇の塊が消えた天空は濃い藍色に輝き、あまたの星座を刻んでいた。天空を渡った剣は重なり合い、一体化して一本に剣になる。天上でその剣を受け取ったのは、ガーヴだった。

先刻まで剣を交わしていた相手の気配は微塵もない。そこにいるのはガーヴただ一人。




同刻、王宮内の地下室。

 少年の体が突然、炎に包まれる。

「うぬっ」

「何―」

何が起きたのかを訝り、対峙していた構えを解いて、イレーネと国王はその様を見詰めていた。

発していたのは灼熱を放つ炎ではなく、青く冷たい炎だった。青い炎は、冷気を取り込むかのように激しく揺らぎ、少年の体を青い結晶のように染め上げていた。青の揺らめきの中で、少年がゆらりと立ち上がる。朽ちた外観が青い陰影を刻み、その濃度を増してゆく。見る間に皮膚が再生され、骨格を伝っていく。滑らかな皮膚が外観を覆い尽くすと、

無垢な少年の姿になっていた。

 その姿に惹かれて、イレーネは青い炎に歩み寄って手をかざす。かざした手は虚しく空を切り、少年に触れることは出来なかった。

「それが、あなたの本当の姿なのね」

 イレーネの両手がいたわるようにそっと、少年の頬を包む。それに呼応するかのように、無垢な瞳が動き、イレーネを捉える。

 穏やかな表情だった。その唇が静かに動く。

「何を……ねえ、何を言っているの?」

 急くように、イレーネは少年に問いかける。

 少年の表情はにわかに憂いをおびたものに変わり、さらに、何かを訴えかけるように唇を動かしていた。

「わからない、ねえ、何を……」

 深い悲しみを湛えた瞳がまばたきする。

 大きく手を広げた少年の姿が、イレーネの間近に迫る。無意識に両手を伸ばし、少年の体を受け止めようと構えたイレーネの体と、少年の体が重なる。

 刹那、イレーネは少年の最期の言葉を、体感で受け止めていた。

 それは、己の運命を恨むことなく、己の存在の意味を指し示してくれたイレーネへの感謝の言葉。

 訪れた静寂の中で、イレーネは、頬を静かに伝う滴の意味を厳かに噛み締めていた。

 短い静寂の後に訪れたのは、冷めた現実感だった。目の前で、自身の遺伝子を受け継いでいた存在が消えた。事実はそういうことだ。さらにその先の事実は。密度を増す現実感の中で、濃密な気配が動く。はっとして振り向いた先には、苦悶に表情を歪めた王がいた。

 イレーネに向かって、唇の端を吊り上げた強引な笑顔を繕って王は、

「くふっ……ふっ、ふふふふふ。どうやらわが望みは叶わぬようだ」

 自身の与り知らぬ大きな意思が動いた。今さらながらに、イレーネはそのことに畏怖の念を覚えていた。

「陛下が望んでいたこととは《いにしえの力》の解放、それが叶わないということは……」

 胸をかきむしり、喘ぎながらも王は、精一杯の不敵な笑みを見せて、

「愚かな凡人よの、イレーネ。我が抱いた望みは《いにしえの力》の解放にあらず! その先の世界秩序の構築だったのだ。我が契約者は闇の大王の意思を汲む者、その意……に……則って……我、は……ぐっ……ぐふっ」

 言葉の途中でがくりと膝を折り、胸をかきむしると、王は床に倒れ込む。

 閉ざされた空間に残されたのは王の骸と、立ち尽くすイレーネの姿だけだった。




 閉ざされていたティアの目がゆっくりと開く。

「ティア、よかった、もう、だいじょうぶだから」

「よかった、よかったです、ティアさん」

 ティアの瞳がゆっくりと動き、焦点を結ぶ。

「ナデ……ィさん……ライナ……さん。わた……し……」

 差し伸べられたナディとライナの手をそっと押しのけると、ティアはかぶりを振る。

「ティ……ア?」

「どう、したんですか?」

 俯いたティアは、声を絞り出すように、

「ごめん、なさい……」

 言葉の意図が呑み込めず、ナディとライナの瞳が不安げに固まる。そんな二人を見据えるようにティアは面を上げると、

「わたし、たくさんの人を殺そうとしてた。ナディさんとライナさんのことも憎いと思った。みんな死んじゃえって、本気で思った。わたし、そんな自分が許せない!」

「でも、あなたは人を殺してなんかいない。あなた自身の意思で負の意思を打ち消したのよ。あなたは負の力に勝った、それは誇るべきことなんだから」

 ナディの言にも、ティアはなおかぶりを振り、

「わたしの中にはまだ負の感情があるのが自覚できるの。それがあるかぎり、わたし、自分が何をしでかすか分からない、それが怖い」

 ナディとライナは、はっと息を呑む。今回は、ティアが発した《いにしえの力》を融合魔法によって封じ込めることが出来た。けれど、ティアの持つ《いにしえの力》そのものが消滅したという確証はないのだ。《いにしえの力》が存在するかぎり、問題は何も解決していないではないか。

 と。

「大王様の意思により《いにしえに力》は消滅しました」

 厳かな声が響く。声は、ナディたちが存在を失念していた立会人からのものだった。

 判決文を読み上げるかのように、立会人は言葉を続ける。

「私の役割は事の結果を見届けること。よって、私の役目は終わりましたので失礼させていただきます。あとはあなたがたの御随意に」

 ナディたちが言葉を差し挟む余地もなく、立会人は踵を返して立ち去っていた。

 立会人の言葉に、強張っていたティアの表情が微かに緩む。

 入れ替わるように現れた人物の姿に、ナディとライナもまた安堵するように息を漏らし、

「ガーヴ……」

「ガーヴ、さん……」

 緊張から解放され、感極まったように声を詰まらせて、

「終わったんですね!」

 二人の声が重なる。が、

「いいや、終わっていない」

 冷淡に放たれたガーヴの言葉に、ナディとライナは瞬時に表情を強張らせる。

「どう、して……《いにしえの力》は消滅したんでしょ」

 掠れた声でナディが訊ねる。

「今回の結果は、闇の力と光の力の表裏一体の表れにすぎない。《いにしえの力》は破壊を導く闇の力の些末な一部、それが消滅して光の力が表になっただけのことだ。光と闇が表裏一体のものである以上、いずれ闇の力が表となることも必然だ」

「それじゃあ、わたしたちがしたことは何だったんですか」

 感情を隠せない子供のような涙声を発したのはライナだ。

「光の面が表になる世をおまえたちが望んだ、その帰結であれば何の問題もないじゃないか。今後、闇の勢力が台頭したら、それに抗って闘えばいい。それは世に存在する者の宿命だ」

「永遠の闘い、なんですね……」

 哀しみを宿した涙声が流れる。

「《いにしえの力》を消滅させるという王からの命は完遂された。よって、我々の任務は終了だ。キルギアへ戻るぞ」

 いつものことながら、ガーヴは冷徹だ。

「そう、ね。だけどその前に……」

 戸惑った視線を宙にさまよわせて立つティアを見やってナディは、

「この子、ティアはどうなるの? この子も今回の当事者じゃない、放っておけないよ」

「それは我々が与り知るところではない」

 にべもなく言い放つガーヴに、

「そんな!」

「ひどいです、ガーヴさん!」

 ナディとライナの抗議の声にも、ガーヴは動じることなく、

「彼女は彼女の立場ですべきことがあるはずだ。それは、彼女自身で見つけること」

 絡みついた視線を断ち切るように、ティアはきっと面を上げ、

「ガーヴさんの、言う通りです」

 言葉を切り、声を詰まらせてティアは続ける。

「わたしはザグレス人で、ナディさんとライナさんはキルギア人なんですよね。お互いに立場が違う以上、わたしはナディさんとライナさんに頼るわけにはいかない。わたしは大丈夫ですから、ナディさんとライナさんは、自分たちの務めを果たしてください。ひとつ、言い添えるなら、わたしはキルギアをもう恨んではいません。キルギアで私の命を救ってくれたのはナディさん、ライナさん、それに神学校の先生だったから。その恩返しはするつもりです」

 ナディとライナは真摯に頷くとそっと手を差し出す。藍色が薄れ、茜色の光が緩やかに差し込む中で、三人の手が重なる。

 光差す中で、三人の手が静かに離れる。

「それじゃあキルギアに帰るわよ、ガーヴ、よろしく」

ナディが凛とした声で宣する。

そして。巨大な翼竜が大きく影を刻んで翼をはためかせると、キルギアを目指して碧空を飛翔していた。



                                       続く

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