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クリムゾン・クストス  作者: 小鳥遊 雀
2/2

暗闇と灯火

  紅主連盟(こうしゅれんめい)の基地の一つ、かつてアメリカの国防総省本部だったペンタゴンを改造して作られた巨大な基地の中。男は苛立ちながら話を聞いていた。

 目の前の部下、トムは飄々とした態度を崩さないまま報告をしている。


「……で、お前たちはなんの成果も得られずに、ただ暴れまわって帰ってきたということか」


「まあ、結果的にはそうなったんだけど、ちゃんと本部の管轄地域まで船は持ってきたし、七極星(しちきょくせい)の一人だったジャック・スティーブもいたからねえ」


 トムの相棒であるジェシーは喉の手術を受けて入院中のため、ここにはいない。彼女は基地に帰還した時点で既に意識が朦朧としており、すぐに病院に運ばれた。


「言い訳を聞きたいんじゃないんだよトム。結局お前たち二人は輝紅石を一つも得られなかった。あんな騒動を起こされちゃ、ほかの支部からの風当たりも強くなるし、俺はアリアス様になんて報告すればいいんだよ?」


 紅主連盟の支部同士は輝紅石(きこうせき)という力を手に入れるため、常に互いを牽制しあっている。付け入る隙があるならばいつでもそこを狙ってくるだろう。


「まあまあ、もう別のバディがハワイに向かったんでしょ? 大掛かりな捜索もしてるみたいだし。あいつらは救命ボートだから、すぐに見つかるよ。マルクスは心配しすぎなんだって」


 マルクスと呼ばれた男は思わず頭に手を当てた。トムが優秀な部下であることに違いはないが、彼は危険を小さく見積もりすぎることがしばしばある。


「もういい。お前の言う通りハワイにはラムサとパルコを向かわせた。お前ら二人には後で任務失敗の罰則を与える。今はもう行け」


「あのじいさんか、たしかに捜索には便利だよねえ」


「いいから、もう出て行け」


「はーい」


 最後まで軽い調子のまま部屋を出ていくのを見て、ため息が出そうになる。

 今は現地に赴くことができないマルクスは、ラムサとパルコが任務に失敗しないことを祈るしかなかった。



 





 小鳩グループ本社ビルの最上階、ブラインドの隙間から夕陽が差し込むその部屋で、会長のリュウジはある男を待っていた。その男に滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を奪った犯人を追跡させるつもりなのだ。

 すでに犯人の正体は分かっているが、マサシが妨害したせいでアジア支部の初動が遅れ、ルビー・プリンセスに乗った犯人たちは小鳩グループとアジア支部の許を遠く離れて本部の管轄地域に連れていかれてしまった。

 現在、ルビー・プリンセスはハワイのホノルル港に緊急停泊している。軽い怪我人はいたものの乗客、乗務員共に全員無事だった。小鳩グループが販売元のツアーなだけに、リュウジにとって幸運なことだった。

 ここから犯人どもをどうするか考えていると、ドアが乱暴にノックされた。


「入れ」


 入ってきたのはアジア支部のクリムゾン・クストス戦闘員、オニマル という名の男だった。

 老人とは思えないほどの闘気を放ち、眼光は異様に鋭い。白髪と髭は手入れされていないようで逆立っており、それが余計に彼を人並み外れた印象にさせている。


「本部の連中め、我々を出し抜いて輝紅石を奪おうなどといい度胸だ」


 オニマルは入るなり挨拶もなしに話し始めた。いつものことなので、リュウジも特に気にすることなく続ける。


「ああ、我々から輝紅石を奪った犯人はルビー・プリンセスに乗ってハワイにまで逃げてしまった。船で大規模な戦闘があったようだからすでに本部の連中に囚われてしまったかもしれんが、お前たちに奪還を依頼したいと思う」


 その言葉を聞いて、オニマルがリュウジの目をじっと見つめた。まるで品定めでもしているかのような冷たい視線に思わず俯きそうになった。


「もし、既に奴らが本部の奴らに殺されて輝紅石も奪われていたら?」


「その場合は簡単には手を出せない。一度戻って来るんだ」


 さすがに本部と全面衝突することは望ましくない。下手をすれば、国家権力ならぬ連盟権力で会社の経営を不可能にしてくるかもしれなかった。


「奪われたままにしておけばまた本部が増長するな」


  オニマルは納得のいかない様子だ。どうしても本部の連中と戦いたいらしい。戦うことにしか生きる価値を見出すことができない悲しい男なのだ。


「腹立たしいが、あまり公に戦ってもらっては困る。対立が表面化すれば第二次血石戦争につながりかねん」


「ふん、戦わないならわしが出向くことはないな。わしの部下をハワイに送り込む。移動手段を用意しろ」


「ああ、任せたまえ」


 そう言い残すと、やはりなんの挨拶もせずに部屋を出て行った。リュウジから背中を向けているときでさえ、まるで隙を感じられない。


「戦うことしか能がないやつめ。まあ、扱いやすいとも言えるか」


 オニマルはアジア支部の中でも特に戦闘に秀でた四剣豪と呼ばれる剣の使い手の一人だった。他の三人は皆、オニマルの部下だ。

 ヨーロッパ支部の七極星とは違い、戦闘に特化した四人のため組織に対する大きな権限はない。リュウジにとって扱いやすいのもそのためだった。


「さて、その駒を最大限に生かすのが私たちの仕事だな。今回は誰をどうやって悪者にして消してもらおうかな」


 リュウジは再び一人になった部屋の椅子に座り、邪悪な笑みを浮かべた。






  新たに仲間に加わったクックの船、レゾリューション号の会議室でアイラ達は次の目的地について話し合っていた。

 テーブルの上には太平洋全域が描かれた海図が広げてある。その他にもコンパスや望遠鏡といった、いかにも船にありそうなものたちが無造作に散らばっている。


「姉貴、やっぱり一度ハワイ諸島から離れた方がいいんじゃないか。本部の奴らが俺たちを捜索してるだろうし」


 アイルの提案はもっともなことだ。できる限り早く事件現場を離れるのは、追われる身にとっては鉄則だ。

 しかし、アイラは一番近いアメリカ大陸からも3800キロメートル離れているというジャックの話を思い出した。

 いくら自在に操ることができるとはいえ、クックの船でもその距離を航行するのはかなりの時間がかかるだろう。


「いや、私たちが最初に目指すのはハワイ諸島のホノルルよ」


「待て、どうしてそこにこだわるんだ」


 ジャックもアイルと同じで一度離れるべきだと考えているようだ。もちろん、それがいたってまともな考えであることは、アイラも理解している。


「理由は簡単。ホノルルには輝紅石があるから。そして、一度ハワイ諸島を離れてしまうと次に来ようと思っても時間がかかるから」


 ホノルルには指輪の形をしたNo.24の輝紅石、人類の憧れ(スカイ・アスチルベ)がある。その能力は天使のような翼を授け、自由に空を飛ぶ力を与えるというものだ。

 夢のある力だが、実用性に乏しいため紅主連盟直営のホテルであるアカハイホテルの最上階に宿泊客向けに飾られているのだ。

 アカハイホテルはワイキキビーチに臨む高級リゾートホテルで、その最上階に入ることを許されるには部屋に宿泊しなければならない。

 当然、輝紅石の警備は滅亡への恋(ディストピア・ローズ)のときとは比べものにならないほど厳重な上に、アイラ達は紅主連盟から追われている身だということを考えれば盗むことは容易ではないというのはすぐにわかる。


「姉貴、何か勝算でもあるのか?」


「もちろんあるよ。ただ一つ心配なのは私たちを追ってくるクリムゾン・クストスの奴らね」


「フン、あんな奴ら私がいれば蹴散らしてくれる。どんな能力だろうと、相手の動きを予測できれば私の敵ではない」


  クックは偉そうに大口を叩いて胸を張った。彼がどれほど戦えるのかは未知数だが、出来るだけ戦闘を避けることが大事だ。一番いいのは見つからないことである。


「とにかく、今から人類の憧れ(スカイ・アスチルベ)を手に入れるための作戦を説明する」


 アイラはホテル周辺の詳細な地図を机に広げた。

 作戦の内容は清掃業者になりすましてホテルに侵入し、最上階を目指すというものだ。

 いくらアイラの特技がメイクと変装だったとしても、紅主連盟が運営するホテルに宿泊するというのはやはり見つかるリスクが高い。その点、清掃業者に化けてしまえば顔を見られるのはせいぜい内部に入る一瞬で済む。


「アカハイホテルには様々な業者が出入りしているの。ホテル内に食材を運び込む運搬業者とかゴミを引き取りに来る廃棄物処理業者とかがいるんだけど、それらは全てホテルから依頼された外部の人間がやる。その中で清掃業者は一番ホテル内部にまで入っていけると思うの」


「姉貴、なんでそんなにこのホテルについて詳しいんだ」


 黙って聞いていたアイルが不思議そうにアイラを見た。あまりに詳しいので思わず疑問を抱いてしまったのだ。


「ここだけじゃない。輝紅石が保管、利用されている施設や場所は大体調べてあるの」


 アイラは自慢げな表情でその疑問に答えた。弟の驚いている顔が見られて満足だった。


「いつのまにそんなことやってたんだ」


「ずっとよ。輝紅石を封印すると決めてからずっと」


「だから学校のテストなんかは点数が悪かったのか。てっきり姉貴は勉強が苦手なんだと」


 その言葉はダイレクトにアイラの胸に突き刺さった。さっきまでの優越感は消え去っている。それどころか、弟の生意気な思い込みに腹が立っていた。


「アイル、私のことずっとそんな風に思ってたの?」


 テーブルを挟んで座っているアイルを睨んだ。久し振りにどちらが偉いのか、少し分からせる必要があるかもしれない。姉としての威厳を保たなければいけないのだ。


「おい、姉弟喧嘩は後にしてくれ。作戦の続きを頼む」


 見かねたジャックが間に入って説明の続きを促した。彼にしてみればこの問題は至極どうでもいいことだ。

 アイラは渋々引き下がった。今は作戦を決めるのが先だ。アイルからは後でじっくり話を聞かせてもらうことにする。

 

「とにかく、流れとしては清掃業者に変装して最上階にたどり着き、人類の憧れ(スカイ・アスチルベ)を手に入れたら速攻で逃げるの」


「だが、どうやって清掃業者とやらに変装するのだ?」


「それは本来の清掃業者の人から服や道具を拝借して、代わりに私たちが行けばいいの」


「中に入ってからの具体的な行動を教えてくれ」


「それは……」


 アイラは言葉に詰まってしまった。中に入ってからのことまでは、詳しく考えていなかったのだ。

 またアイルに馬鹿にされると思うと素直に考えていなかったとは言いにくい。口をつぐんでいると、クックが話し始めた。


「私にいい考えがあるぞ。まず私たちのうち、二人が清掃業者になりすまして後の二人は清掃道具の中に紛れ込む。侵入に成功したら中の二人は客のふりをして最上階を目指し、残った二人は何事もないかのように清掃業務に戻る」


「それはいい考えだな。で、最上階にたどり着いてからはどうする?」


「知らん! その輝紅石の警備はどうなってるんだ」


 皮肉交じりのジャックの一言がクックの機嫌を損ねたようだ。彼はそう言うと、知らんぷりを決め込んでしまった。

 アイラたちに喧嘩をするなと言っておきながら、余計な一言を言ったり、それに一々怒ったり、この大人達もあてにならないところがある。

 

「まず、最上階の輝紅石の部屋に入るには宿泊している部屋のキーを見せないといけない。そのあと持ち物を検査されてやっと入ることができる。部屋の中には監視カメラと警備員がいるし、ショーケースは二重の強化ガラスでできてる」


「万全の体制だな」


  誰も喋らなくなった。アイルが言った通り隙のない状態で守られている。


「発想を変える必要があるな」


 ジャックが髭をいじりながら言った。


「守られている所から盗み出すのは確かに難しい。なら、奴らのほうから輝紅石を持ち出してもらえばいい」


 ジャックの言っていることは一理ある。しかし、


「どうやって持ち出してもらうの?」


「そこが問題だ。相手に今、輝紅石を守っている場所が安全ではないと思わせることができればいいんだがな」


「じゃあ、大規模停電を起こすのはどうかな」


 滅亡への恋(ディストピア・ローズ)の力で電線の時を止めれば電流は流れなくなり、停電を起こすことができる。

 街は大混乱に陥るだろう。ホテルの最上階も安全ではなくなる。


「ダメだ」


 その提案に反対したのはアイルだった。


「無関係の人を巻き込みすぎる。もし医療機関なんかが停電すれば取り返しのつかないことになる」


「では、ホテルだけを停電させればよいのではないか?」


 クックの言う通りだ。ホテルだけならそこまで大きな被害は出ないだろう。

 

「それで輝紅石を持ち出してくれるかしら」


「最初の作戦と合わせればいい。ホテルに侵入して最上階にたどり着いたら停電を起こす。輝紅石を移動させようとすればそこを狙えばいいし、そうでなければ暗闇と混乱に乗じて輝紅石の部屋に入ればいい」


 今のジャックの作戦ならば、残る障害はショーケースの二重の強化ガラスだけだ。

 ちなみに正確には強化ガラスではなく、防犯合わせガラスという。強化ガラスとは通常のガラスの表面を熱してから急激に冷却することでその表面に膜ができ、強度が上がる。しかし、この膜は非常に薄く、これを破られてしまうと内部の力の関係で粉々に砕け散ってしまう。

 そのため、強化ガラスは風圧や加重に対しては強いが、実は防犯性能は大して高くない。

 この強化ガラスを二枚貼り合わせて内部に貫通しにくい中間膜を入れることで防犯性能を高めたものが防犯合わせガラスだ。

  防犯合わせガラスは破るのに非常に時間がかかる上、一部が割れてもヒビが広がりづらい。

 

「俺に考えがある」


 アイラの声にみんなが注目した。ジャックとアイラは今までの戦いで彼が見せた、機転を利かせた行動をよく知っている。そのため、期待をせずにはいられなかった。


「前から思ってたんだけど、滅亡への恋(ディストピア・ローズ)の本来の能力を姉貴はまだ使えていない」


 一同はアイルの言っていることを理解できなかった。物体の時を止める能力ならアイラは今までに何度も使っている。


「どういうこと?」


「少し理解しにくいかもしれないけど、本当の意味で時間が止まっている物体は俺たちにとっては動いているように見えなければいけない」


「なるほどそういうことか」


 一番最初に納得したのは航海士であるクックだった。だが、アイラとジャックは未だによくわからない。


「どうして動いているように見えるわけ?」


「それは地球が動いているからだ。本当に時間が止まった物体はその場でなんの変化も起こらなくなり、

 地球の自転と公転からも取り残されていく。その結果、地球上の観測者からは相対的に動いて見えるってことだ」


 今の説明でようやく全員が理解した。今まで使ってきた能力は不完全なものだったということだ。


「でも、どうやったら本当の意味で時間を止められるのかなんて分からない。しかも、それができたとしてどうやってショーケースのガラスを破るの?」


「俺にも本当の意味での時間停止が姉貴の輝紅石でできるのかはわからない。でも、もしできたとしたら強化ガラスのショーケースを破ることはできる」


 アイルは自信を持って宣言した。どんな方法かは見当もつかないが、これだけ自信たっぷりに彼が言い切るのも珍しいのでとにかく聞いてみることにした。


「どうやるの」


「まず、最上階のショーケースまでたどり着く。そしてなんでもいい、とにかく持ち運びしやすくて軽いもの、そしてある程度の大きさがあるものの時間を止める。地球の動きから置いていかれたその物体は俺たちから見ると動き出す。

 言い換えれば、ショーケースの方がその時間を止めた物体にぶつかっていく。時間を止めた物体はなんの変化も起きない。つまり、とてつもなく硬いっていうのとよく似た状態だ。だから地球の力でショーケースにより硬い物体をぶつけたことになる。ここまで言えばわかるよな?」


 まさに逆転の発想だった。確かにその方法ならばどんなに頑丈な障壁でも破壊することができる。

 ただし、アイラが物体の時間を本当の意味で止めることが出来ればだが。


「やってみる価値はありそうだな」


「まずアイルの言うように時間を止められるのか、試してみる必要があるのではないか?」


 今度は全員の視線がアイラに集まった。今、この作戦が成功するかは彼女に掛かっている。


「どうすればいいかはわからないけど、とにかくやってみる」


「輝紅石は人の意志を受けてその能力を発動する。今アイルから聞いたことを意識して時間を止めてみるといいかもしれない」


 アイラはジャックに言われた通り、地球から取り残される物体をイメージしながらテーブルの上のコップを滅亡への恋(ディストピア・ローズ)で突いた。

 今まで船の揺れで振動していたコップは微動だにしなくなったが、それは失敗を意味している。みんなが残念そうな顔をしているのが悔しかった。


「練習が必要かもしれんな」


 クックが止まったコップを眺めながら言った。


「私、絶対に成功させる。それまで少し待ってて」


 自分のせいで足踏みするのは嫌だった。なにより、少しでも早くこの旅を進展させたい。


「あまり無茶はするなよ。輝紅石の能力は使えば使うだけ体力を消耗するんだからな」


「姉貴は負けず嫌いだからってすぐに無理するからな。作戦ももう少し細かく決めないといけないし、そんなに焦らなくてもいいと思う」


 ジャックとアイルが焦る自分を心配してくれるのがわかった。なんてことない優しさで、不意に涙が出そうになる。疲れているのだろうか。

 

「みんな、ありがとう」


 みんなの期待に応えたい。焦りではなく、心の底からそう思えた。

 アイラは必ずこの作戦を成功させようと決心した。







 

「ねえラム爺、俺達こんなとこにいていいの? 輝紅石泥棒を探し出して捕まえるためにハワイまで来たのにさ」


 アカハイホテルの最上階の部屋、輝紅石展示室のすぐ隣の部屋で老人と青年が話し合っていた。

 ふかふかのベッドに大の字になって寝転ぶ青年は眠そうに欠伸をした。


「心配するな。奴らは必ずここに来る。わしの勘がそう言っておるわ」


 ラム爺と呼ばれた老人は確信しているかのような口ぶりだった。


「まあ、俺は考えるの嫌いだから任務さえ達成できればいいんだけどね」


「必ず達成する。だが、油断は禁物だぞパルコ。わしの血石戦争のときの戦友も、ふと気を抜いた瞬間に頭を撃ち抜かれた」


 ラムサから何度も聞いた話だった。彼は血石戦争の生き残りの行使者だ。凄惨を極めたあの戦争を生き延びることが出来たのは、彼の用心深さのおかげだった。


「はいはい、分かってるから」


 パルコはウンザリしたような声で返事をした。ラム爺は窓際に座っていて、まるで海を眺めているかのようだ。


「ラム爺は窓際好きだよね。目が見えないのに」


「たとえ盲目でも感じることはできる。それに外からの敵を常に警戒しておく必要があるからの」


 その話ぶりも、まるで外がはっきりと見えているかのようだ。


「ラム爺みたいに四六時中警戒してたら疲れちゃうよ。ほんと用心深いんだから」


 暇を持て余したパルコは室内に設置されたソファの背もたれの上に立つと、器用にソファからソファに飛び移って遊んでいる。

  窓からは部屋に深く西日が差し込んでいて床や壁を赤々と照らしている。部屋から見える海もその光を反射してキラキラと輝いて見えた。


「お前はもう少し頭を使うべきだなパルコよ。そうすればもっと出来ることが増えるはずだ」


「考えるのが嫌いなんだって。成り行きに任せていけばいいんだよ」


 ラムサの忠告をいつものように聞き流す。何も考えなくてもどうにかなる、というのがパルコの生き方だった。

 

「また適当に返事をしおって。いいか、何も考えずに危険な任務をこなしていれば、いつかそれが仇となって致命傷を負うことになる」


「ん? 今日は四日だから、五日(いつか)は明日だな」


言葉遊びでラムサを茶化す。どんなに言っても、なかなか変わらないのが人の性だ。


「まったく……。そんなことをすぐに思いつくくらいだから頭が悪いわけではないのに勿体ない」


ラムサはそれ以上説教することを諦めて、再び窓の外に意識を集中した。光を失ったはずの目には、任務に対する遂行意識が灯っていた。





「はあっ!」


 アイラがコップを滅亡への恋(ディストピア・ローズ)で突いた。だがやはり、コップはその場で止まるだけでアイルの言ったようにはならない。

 また失敗だ。これで何度目かわからない。


  「もう一回!」


 挫けそうになるのを掛け声で誤魔化す。


「姉貴、一度休もう。顔色が悪いよ」


 続けて練習しようとする姉を止めて、飲み物を渡す。

 アイルは時間停止の特訓に付き合っていた。

 ジャックとクックは食料や掃除用具などの必要なものを買うために、ホノルルのショッピングモールに出かけている。アイラが二人に施したメイクのお陰で別人のようになっているため、紅主連盟にも見つからないはずだ。それに追手は三人組を捜しているはずだ。

 レゾリューション号自体は海中に潜ることができる上に、見た目は完全に難破船なので見つかる心配は少なかった。なぜ穴だらけの船内に水が入ってこないのかは謎だが、これもクックの輝紅石の能力の一部なのかもしれない。


「そうだね、焦ってもいいことないし」


 彼女は弟が渡してくれた水を素直に受け取って休憩を始めた。

 アイルから見ていて分かるくらい息が上がっている。汗に濡れた髪先から雫が垂れた。姉が無理をしていないか始終ヒヤヒヤしながらその練習を見守っていた。


「何か掴めそうな感じがするか?」


「うーん、やっぱりイメージが足りないのかな。できるかどうか信じきれていないのも原因かも」


 アイラが眉を寄せて首を傾げた。一粒の汗が紅潮した頰を伝う。これだけ失敗しても、まだまだ諦めるつもりはなさそうだ。


「姉貴なら必ずできるよ。俺はそう思う」


 アイルはまっすぐアイラの目を見つめて言った。彼女ならやってくれると本当に信じていた。

 

「ありがと。もうちょっとだけ頑張ってみる」


「うん」


 二人ともが立ち上がって練習を再開しようとしたとき、レゾリューション号が海上に向かって浮かび始めた。

 おそらく買い物に行った二人が戻ってきたのだろう。しばらくすると、なにやら言い合っているような声が聞こえてきた。


「そんなにタバコを買い込んで、金がもったいないではないか」


「うるせえ、お前だって馬鹿みたいに酒ばっかり買い物かごに入れやがって」


「それはお前も飲むかなと思ったからだ」


「お前が飲みたいだけだろ」


 二人ともお互いの買いものの仕方に不満があるようだ。大きな声で喧嘩をしながら船に乗り込んできた。


「おい、うるさいぞ!部屋の中まで声が聞こえてきた。それに必要な物だけ買ってくるって約束だっただろ」


 アイルは甲板に出て二人の顔を睨んだ。メイクのせいで、一瞬どちらがジャックでどちらがクックなのか見分けがつかない。


「いや、酒は必要だろう。これがないと船旅はできん。それからオレンジもたくさん買ってきたぞ。こいつは壊血病の予防になるんだ」


 クック(おそらく)は買い物袋を高々と持ち上げてアイルに見せた。中身はぶどう酒とオレンジがぎっしりと詰まっている。


「俺だって必要なものしか買ってない。掃除用具と食料、それからまあ嗜好品を買ってきた」


 ジャックが見せた袋の中身はパンと水、それからタバコの箱。反対側の手に持った袋の中にはタワシと雑巾、ボトル入りの洗濯洗剤が二つずつ入っていた。


「……お前らに買い物を任せたのが間違いだったな」

 

 明日もう一度買い出しに行く必要がありそうだ。今度は自分とアイラで行こうと心に強く誓った。


「アイラの調子はどうだ?」


「まだ、成功していない。さっきからずっと練習を続けてるんだけどな」


 アイルが二人に状況を伝えた直後だった。アイラが歓声を上げるのが聞こえた。


「みんな!出来たよ!」


 三人が急いで部屋に戻るとアイラは壁にへたれこんでいた。船の壁にはコップが貫通していったであろう穴が開いていた。


「姉貴、大丈夫か?」


「うん。今までにないくらいイメージをはっきりとさせた上で、時間をかけてやれば成功した。ものすごく疲れたけど、私できたよ」


 アイラが三人を見上げて、屈託のない笑顔を見せる。疲れているようだが、それ以外はなんともなさそうで一安心だ。


「すごいスピードで飛んで行っちゃった。()()()のせいで壁が()()()微塵だよ」


「それはちょっと苦しいんじゃないか」


 アイルは苦笑いしながらアイラを見た。

 コップはたしかにものすごい速度で飛んでいったようだ。

 それもそのはず、地球の自転速度は赤道上では時速約1700km。公転速度に至っては時速約108000kmにもなる。

 ただこの能力を戦闘で利用するのは厳しそうだ。普通より発動に時間がかかる。しかも地球上のどこにいるのか、と発動したときの時刻によって物体が飛んでいく方向が変わってしまうのだ。

 

「今更だけど、今回は運良く自分の方に飛んでこなかった。もし自分に向かってきたら絶対に避けられないよ」


「ちゃんとどの方向に物体が移動するのかを計算してから作戦を決行しないといけないな」


「ああ、でも今日は無理だ。姉貴の体力は限界だと思う。今夜もう一度作戦をみんなで確認して、明日に行動を開始しよう」


「私もそれに賛成だ。今日は前祝いとしてみんなで飲もうではないか」


「それはあんたが飲みたいだけだろ。明日の午前中は俺と姉貴で買い物をやり直してくるからジャックとクックは雑巾で船の掃除でもしておいてくれ」


 ジャックとクックははまたお互いのせいだと揉め始めたが、今度は止めるのが面倒なので放っておいた。

 あの二人に付き合っていては日が暮れてしまう。


「どうして怒ってるの?」


「姉貴、今日の晩御飯がパンと水とオレンジだけだったら怒るだろ?」


 アイルはそう言いながら二人の買ってきた物をアイラに見せた。


「嘘でしょ」


 その袋を見た彼女の顔からは、先ほどまでの笑みは消え去っていた。





 

滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を奪ったのは十年前にカリーズに始末させた奴の子供か」


 リュウジは机の上に肘を置き、指を組んで顎を乗せた。なにかを考えるときはいつもその姿勢なのだ。


「復讐のつもりか知らんが、随分と面白いことをしてくれるではないか。奴らは利用する価値がありそうだな」


 オニマルからは部下を一人ハワイに向かわせたと連絡があった。少しでも早くあちらの様子を知りたいものだ。

 本部の者達にアイラ達が捕まってしまうのは避けたかった。それは奪われた滅亡への恋(ディストピア・ローズ)が本部の手に渡ってしまうことを意味する。

 最終的に輝紅石を手に入れるのは、奴らでも紅主連盟でもなく、小鳩グループだ。ここ数年、紅主連盟の支部同士は力が拮抗しており、輝紅石の争奪戦は膠着状態だった。

 奴らがその拮抗に風穴を開けてくれれば状況が動き出すというものだ。


「奴らをしばらく泳がせて、まずは本部を潰す」


 そうして輝紅石を集めさせ、最後に小鳩グループがおいしいところを持っていく。

 それがリュウジの計画だった。


「せいぜい頑張ってくれよ」


 輝紅石が集まれば、念願の目標にも近づくことができるのだから。思考を続けながらも椅子の背もたれに身を預けて、目を閉じるのだった。

 





 

「なぁんで俺はこんな目に合わなきゃいけねぇんだよぉ!」


 小鳩グループを追い出されたマサシはビールジョッキをテーブルに叩きつけて喚いた。

 リュウジに追放されてからというもの、カプセルホテルや安いビジネスホテルを点々としながら毎日あてもなく街を彷徨っていたが、そろそろ財布の中身も底をついてきていた。


「お客さんそろそろ帰ってくれませんかね。もう店を閉めたいんだけど」


 居酒屋の店主が迷惑そうな顔でマサシを見ていた。もう店内に残っているのはマサシだけだ。


「なんだぁ? お前も俺を邪魔者扱いすんのか? はっ! 勝手にしやがれ。どうせ俺は役立たずのクズなんだからよ」


 負け犬根性で開き直ってそこに居座ろうとする。


「あのねぇ、どういう事情があるか知らないけど、もう出てってくれるかな」


 店主はマサシを引きずるようにして店の外に連れ出した。結局は居酒屋からも追い出されてしまった。


「うぅ、今日は冷えるなぁ」


 スーツだけで防寒具は一切身につけていないので風が吹くたびに凍えそうになる。

 じっとしていると死んでしまいそうなのでふらふらと歩き出した。今自分がどこらへんを歩いているのかもよくわからないが、とにかく寒さを紛らわせるために歩き続けていた。

 時間は午前一時、日が昇るまではまだ時間がある。

 

「うっ、あかん、気持ち悪くなってきた」


 マサシは道端で四つん這いになり、側溝に向かって盛大に嘔吐した。自分の出したものをぼーっと見つめていると、急に情けなくなって涙が出てきた。


「どうしてなんだ。こんなところでくたばる訳にはいかないのに……」


 次から次へと押し寄せてくる感情は涙となってその目から流れ出した。自分でももう制御できずに泣き続ける。


「あの、大丈夫っすか?」


 マサシが涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげると、筋骨隆々の青年が心配そうに正司を見下ろしていた。


「救急車とか呼んだほうがいいですか?」


「……その必要はない」


 マサシは袖で顔を拭って立ち上がった。僅かに残った自尊心のお陰でなんとか立ち上がることができた。


「心配してくれてありがとう。私はもう大丈夫だ」


 鼻をすすりながらも、大丈夫だということを伝えるためにはっきりした口調で言った。


「そうですか。まあ、あんまり無理しないでください」


 青年はぺこりと頭を下げると走り去ろうとした。ランニング中だったようだ。


「あ、君、ちょっと待って」


「なんですか?」


 マサシはなぜ彼を呼び止めたのか自分でもよくわからなかった。強いて言えばなぜこんな時間にランニングしているのか気になった程度だ。

 とにかく変に思われないように質問をすることにした。


「どうしてこんな時間にランニングなんてしているんだい?」


「トレーニングですよ。キックボクシングをやってるんですけど、親父が厳しくて。今日の練習はなんだ、頭を冷やして走ってこいって言われたんです。嫌になりますよ……でも、俺は親父が認めざるを得ないくらい努力するって、絶対そうしてやるって思ってます」


 それ以上何も言わずに走っていく彼の背中を見つめることしかできなかった。先ほどまでの気分の悪い酔いはすっかり無くなっていた。


「なんだこの清々しい気分は。あの子のおかげでまるで目が覚めたようだ」


 マサシははっきりとした足取りで道に戻り、再び歩き始めた。携帯電話を操作してある人物に電話をかける。

 こんな時間だから出てくれるか心配だったが、通信は繋がってくれた。


「もしもし、私だ。話したいことがある……」


 マサシは必ず復活すると心に強く誓った。まだ諦めるわけにはいかないのだ。

 自分の手で輝紅石を取り戻す。その表情には決意と覚悟がみなぎっていた。





 

 

「よし、これでだいぶ綺麗になったね」


 自分たちが掃除をしたレゾリューション号を見渡して、アイラが満足気に言った。昨日の晩はクックとジャックが遅くまで酒盛りをしていたようで、朝二人を起こすのが大変だった。

 その二人に留守番を頼んで姉弟で買い物をやり直した。帰ってきて船の掃除が終わる頃には既に日が暮れかかっていた。


「たしかになかなか綺麗になった。だが、何かが足らんのだ」

 

 クックはしばらく考え込んでいたが、やがて思いついたように顔を上げた。


「そうだ! 船にはやはりシンボルが必要だろう。私の銅像を作るのはどうかね?」


「これ以上無駄な出費はさせるか」


 アイルはクックの提案を一蹴した。


「貴様! 無駄な出費だと!? これは船員の士気に関わってくる問題だぞ!」


「はいはい、喧嘩しないの。晩御飯作るからみんな手伝って」


 これ以上言い合いがややこしくなる前にアイラが声をかけた。レゾリューション号には調理室があって、なぜかガスも通っている。クックによると快適に暮らせるように何度も改造を繰り返したそうだ。

 ちなみに、調理室の他にもシャワー室やワインの貯蔵室なんかもある。


「今日の晩飯は期待していいんだろうな。昨日みたいにパンにオレンジを乗っけて食うのはごめんだぜ」


「それはお前がパンしか買ってこないからだろう」


「違う、お前がオレンジしか買ってこないせいだ」


「もういいから。さっさと行くぞ」


 また始まりそうな言い合いを止めて二人を調理室に向かわせる。先に向かっていたアイラは既に調理室で準備を始めていた。

 

「何を作るのだ?」


「ポキ丼って言うハワイの名物料理よ。新鮮な魚介をタレにつけて丼にするの。具材が量り売りされてたからたくさん買っちゃった」


 ハワイのスーパーマーケットは量り売りが基本だ。朝獲れたばかりの新鮮な魚が並ぶこともある。


「ジャックは米が炊けたら器によそってくれ。クックは邪魔にならないようにそこで見ててくれ」


「わかった」


「任せるがいい!」


 的確な指示でそれぞれがテキパキと動き、料理はすぐに完成した。

 

  「私は腹が減ったぞ。もう食べてもいいな?」


 クックは全員がテーブルにつくとすぐにそう言った。聞きながらすでに一口目を頬張っていた。


「これは美味いな! 魚を生で食うのは気色悪いと思っていたが、案外いけるものだ」


 彼は丼が相当気に入ったようで、それからは静かに黙って食べることに集中し始めた。


「ふん、まあイギリスは飯が不味いってよく言うからな。俺はフランス出身だから、料理に関しては少しばかりうるさいぜ」


 ジャックもぶつくさ言いながら、箸を使って一口食べる。醤油ベースの香ばしいタレがよく染みたマグロの旨味と白米が見事に合う。新鮮なおかげか、適度な弾力と歯ざわりが心地いい。昨日のこともあってより一層おいしく感じられた。


「たしかにこいつはイケるな。食べるのがやめられない」


 気付けば、ジャックもクックと同じようにポキ丼を頬張っていた。


「姉貴は両親が亡くなってからずっと料理をしてくれてたからな。そこらの料理人と比べても負けやしない」


 アイルはまるで自分のことのように自慢げに言った。あの忌々しい事件で両親が殺され、それ以前の記憶がなくなってしまった彼にとって、アイラの料理はお袋の味以上に食べ慣れたものだ。


「それは言い過ぎだって。でも、ありがとう。喜んでもらえて嬉しいよ。それに賑やかなおかげで楽しいし」


 ずっと弟と二人で暮らしてきたアイラにとって賑やかな食卓は新鮮なものだった。それだけで楽しくなる。幼い頃、まだ生きていた両親とアイルと共に囲んだ食卓を思い出すようだ。


「うむ、賑やかなのはいいことだ。全員もっと騒ぐのだ!」


  人類の憧れ(スカイ・アスチルベ)を奪うための作戦は本日の夜に行われるが、四人はしばらくの間、輝紅石のことも忘れて食事を楽しんだ。

 全員が食べ終わる頃には日はすっかり沈んでおり、外はすっかり暗闇に覆われていた。

 四人は少し休憩してから、会議室に集まって作戦の最終チェックを終えた。その後、できるだけ人気のない場所からアカハイホテルのあるオアフ島に上陸することに成功した。

 人類の憧れ(スカイ・アスチルベ)を手に入れるための戦いの火蓋が、その時既に落とされたことをまだ四人は気付いていなかった。

 






「来たか……」


 ホテルの一室でくつろいでいるパルコの横で常に警戒態勢を保っていたラムサがぼそりと呟いた。


「ふあぁ。来たって、輝紅石泥棒か?」


すでに時刻は十一時を回っており、眠気のせいで体がだるい。


「おそらくそうだ。まだ確信はできんがな。もう少し引きつけてからお前に始末してもらおうかの」


「任せとけよ。俺にかかれば泥棒なんてチョチョイのチョイってね」


「油断するなと言っておろう。常に用心することを忘れるな」


 ラムサはパルコにイヤホンを手渡した。ワイヤレス型で、耳に装着してしまえば目立たない。強力な無線電波を受信できるように改造されたものだ。


「それをつけておけ。わしの指示がいつでも聞けるようにな」


「おう。頼りにしてるぜ、ラム爺」


 パルコはラムサの杖を軽く叩いて立ち上がった。

 ラムサの持つNo.41の杖型の輝紅石、暗闇の克服(ジニア・オーバー)の能力は触粉と呼ばれる細かい粉を操るというものだ。触粉が触れた所は自分の肌に触れたのと同じような感覚を得ることができる。

 つまり、広範囲に触粉を広げることで地形や人の動きなどが文字通り手に取るように分かるのだ。


「気を付けてな」


「分かってる」


 パルコは部屋を出ると、すぐのところでしばらく待機した。


「パルコ、聞こえるか?奴らが中に入った。人数は四人。男が三人と女が一人だ」


 ラムサからの指示ははっきり聞こえる。


「どうやら清掃業者に化けて階を登ってきておるようだな。階段を使っている。分かってると思うが、お前が今いるところから左側すぐの廊下の突き当たりの部屋が輝紅石の展示室じゃ。廊下の右側の突き当たりのエレベーターホールの横の階段から来るぞ」


 廊下にあった大きな観葉植物の鉢を片手で軽々と持ち上げて、階段を登り切ったところの手すりの影に潜んで様子を伺った。

 まだ敵は来ていない。階段だけを使って登ってくるならば、走っても五分以上はかかるはずだ。


「パルコ、女が別行動を始めた。こいつホテルにつながっている電線に近づいているのか?まさか……」


 イヤホン越しに訝しむような声が聞こえてきた。

 次の瞬間、ホテルに供給されていた電力が遮断され、あたりは暗闇に包まれた。明るさに慣れていたため、何も見えない。

 これでは階段を登ってくる奴らがどこにいるのかわからないではないか。

 どうすべきか迷った。ここで待機するか、それとも自分から階段を降りて迎え撃ちに行くか。

 ここで待機した場合、敵が違う手段で上まで来たときにパルコにとって不利な状況で鉢合わせてしまう可能性もあるのではないか。かと言って無闇に動き回るのも得策とは思えない。

 パルコは頭を掻きむしった。うだうだ考えるのはまどろっこしい、こちらから行けばいいだけだ。そう思って立ち上がろうとした。


「落ち着けパルコ!わしの指示を聞いていれば問題はない」


 ラムサが動揺を見透かしたように言った。


「女が滅亡への恋(ディストピア・ローズ)の能力で電線の時間を止めたのだろう。他の三人は階段を登り続けている。宿泊客に自分たちの部屋にいるように言っておけとホテルに伝えたからそいつらだけに集中しろ。そこでもう少し待機しておけ」


 これほどラムサの声が心強いと思ったのは初めてだった。暗闇の中で身を潜めながら密かに尊敬の念を抱いていた。今更気づいたが、同じ暗闇ならラムサのサポートがある自分の方が有利ではないか。

 やがて微かに階段を駆け上る音が聞こえてきた。四人分の足音だ。


「女が合流したようだ。四人で登ってくるな。奴らは懐中電灯を持っているようだからその光を見つけるのは容易い。後はお前の能力で不意打ちをかければ始末できる。それにしても粗末な計画よのう。この程度のことでわしらを出し抜けると思っておったのか」


 パルコは落ち着いて敵が登ってくるのを待った。ラムサの声が暗闇の中の灯火のようにパルコを導いてくれる。


「だが、最後まで油断はするなよ」


 ラムサはしっかりと釘をさすことも忘れなかった。どこまでも用心深いラムサらしい。

 階段を上る音は少しずつ大きくなってきている。

 パルコは気合を入れ直して重い植木鉢を握りしめた。頭にぶつければ一撃で相手を死に至らしめてくれるだろう。

 ライトの光が、階下からパルコのいるエレベーターホールの天井を照らした。足音はすぐそこだ。あとほんの数秒でここに来る。

 パルコが腰を浮かせて脚に力を込めたときだった。


「待て!パルコ!」

 

 ラムサの声に押しとどめられるようにパルコはその場で固まった。敵もすぐそこで止まっているようだ。 ここに潜んでいることに気づかれたのかだろうか。

 パルコが次の指示を待とうと決めた瞬間だった。

 ホテルの壁を何かが貫通するかのようなすごい音が響いた。

 一体何が起こっているのかは見当もつかない。爆弾でも使ったのだろうか。


「信じられん…」


 さすがのラムサも驚きを隠せないようだ。


「奴らが何をしたのかは分からんが、懐中電灯をものすごい勢いで飛ばしおった。壁を貫通して展示室の内部にあるショーケースが破壊された。それに偶然かは知らんが、部屋の警備員にも当たったようだ。怪我をしておる。パルコ、そこを絶対に通すなよ!」


 ラムサが何を言っているのか理解できない。情報によれば敵が持っている輝紅石の中に物体を高速で飛ばすなんて能力を持った奴はなかったはずだ。

 ただ一つ分かっていることはどちらにせよここで奴らを止めるしかないということだ。

 敵はすぐそこなのだ。階段を走って登ってきたであろう息づかいさえも聞こえる。

 こちらには気づいていない、攻撃を仕掛ける絶好のチャンスのはずだ。

 なのにパルコは動けずにいた。敵が再び動き出さないのはなぜだ。

 奴らが次になにをしてくるのか分からない不気味さが彼を押し留める。

 急速に自信がなくなってきた。あのトムとジェシーを返り討ちにした奴らだ。自分一人で止められるのだろうか。

 

「パルコ、奴らは今の音で敵が近づいて来ないか警戒して止まっているだけだ。次、動き出したときに攻撃を仕掛けろ。そしてすぐに隠れるのだ。攻撃と撤退を繰り返して一人ずつ確実に倒していけばいい」


 ラムサの的確な指示は勇気を与えてくれた。輝紅石は大切な資源でもある。盗賊などに奪わせはしない。

 

「大丈夫だ。誰も来ない」


 パルコは耳を澄ました。奴らが話しているようだ。


「では、私が先頭を切る!私に続け!」


「ちょっと!」


 誰かが階段を登り切って鉢を構えたパルコの真ん前に飛び出してきた。

 パルコはその頭に重い鉢を思い切り叩きつけた。そいつは床に倒れ込み、動かなくなった。


「よくやった!一旦逃げろ!」


 パルコは手摺を飛び越えて、一気に暗闇が広がる階下へ飛び降りた。一人倒したから残りは三人。あと三回同じことを繰り返せばいいだけだ。

 パルコは敵の追跡に警戒しながらも、次のラムサの指示を待った。

 

「よくやった。奴らはまだやられた仲間の周りで動けないでいる」


 パルコは自分の位置を確かめるために外からの月明かりが入る廊下の窓際に移動した。

 ちらりと下を見ると、すでに紅主連盟の部隊がホテルの周りを取り囲んでいた。ラムサが連絡してくれたのだろう。もし自分たちがしくじったとしても奴らに逃げ場はない。


「なんだと!?」


 ラムサの驚く声が聞こえた。何があったのだろうか。


「パルコ、落ち着いて聞け。たった今お前が倒した男が立ち上がった」


 馬鹿な。あれだけ重い一撃を頭に食らったのだ。頭蓋骨は砕け、脳はぐちゃぐちゃになっていてもおかしくはない。

 ましてや立ち上がるなど不死身としか思えない。


「とにかく、奴らはまださっきの所におる。再び攻撃をするのだ」


 こうなったら能力を使って確実に殺すしかない。パルコは覚悟を決めて再び階上へ向かった。






「クック……大丈夫なのか?」


 ジャックが半ば怯えたような声でクックに話しかけた。それもそのはず、クックの頭は殴られて大きく陥没しているのだ。


「すごく痛い。だが、安心しろ。私はエリーを見つけるまでは死なん」


 クックは明後日の方向に向かって話していた。頭の形が変形していることに自分で気づいていないようだ。


「と、とにかくここは危険だ。敵に見つかってしまった。姉貴、一度撤退しよう」


 どんな能力を使ったのかは分からないが、まるでこちらの動きを完全に読んでいたかのような待ち伏せだった。

 これ以上ここにとどまるのは安全とは言えないだろう。

 

「撤退はしないわ。人類の憧れ(スカイ・アスチルベ)はすぐそこなのよ? 逃げてもどうせ追いかけてくるんだから、獲物を手に入れてから逃げる方がいいわ」


 アイラの言うことも一理あるのかもしれない。しかし、この暗闇で明かりもなしにクックを一撃で仕留めた敵が自分たちをそう簡単に輝紅石にたどり着けさせてくれるとは思えなかった。

 むしろ、また行動を読まれて不意打ちを食らう可能性もある。


「二手に分かれるのはどうだ?さっきの敵を追うのと、輝紅石を奪いに行くので」


 ここでグズグズ悩んでいるのもよくない。一同はジャックの提案に乗ることにした。

 ジャックとクックは先ほどの敵を、アイルとアイラは輝紅石を取りに行く。

 手に入れたら無線で連絡して即座に撤退し、クックの船に逃げる。


「じゃあ、俺たちは下に行く」


「安心しろ、私があんなやつ切り刻んでくれる」


 まだ誰もいない空間に向かって喋り続けるクックが心配だったが、アイルとアイラは展示室へ向かった。


「敵は一人なのかな?」


 二人は最上階の廊下を慎重に進みながら話し合った。目が慣れてきたため、明かりなしでも少し先程度ならば見えるようになっていた。


「わからない。けど、もう一人いるとしたら展示室だと思うんだ」


 アイラの言う通りだ。自分が輝紅石を守る立場なら間違いなくそういう配置にするだろう。


「あれじゃないか」


 廊下の突き当たりに他とは造りが違う扉があった。

 アイルは扉に近づき、ゆっくりと開いた。ライトを付けてその光を部屋の中に向ける。倒れている警備員以外に人の気配はしない。

 破壊されたショーケースの中には紅く輝く石があった。


「誰もいない」


 背後のアイラに向かって小さく伝える。後はこのまま輝紅石を奪って逃げるだけだ。


「待って」


 そのまま中に入ろうとしたが、肩を掴まれて踏みとどまった。


「どうした?」


「嫌な感じがする」


 アイラはそう言うと、部屋の中に拾ったコンクリートの破片を投げ入れた。小さな音を立ててコンクリート片が部屋の中を転がった。


「何も起こらないぜ」


 姉の顔を見ると、どこか釈然としない様子だ。何かが引っかかっているのか。

 階下から壁が破壊されたような音が聞こえてきた。ジャックたちが戦っている音だろう。


「早く取って戻ろう」


 ここでじっとしている方が危険だと思った。しかし、ここまでアイラが部屋に入るのを躊躇っているのを無視して取りに行くのも怖かった。


「例えば敵の能力が私たちの行動を完全に把握出来るようなものだったとしたら、ここに罠を仕掛けるはずだと思わない?」


 彼女の言いたいことは分かる。先ほどの不意打ちからもそういう能力があるかもしれないということは推測可能だ。

 敵は二人が部屋に入って来たタイミングでトラップの作動スイッチを押すつもりかもしれない。


「でも、もしそういう能力で、ここに罠を仕掛けているなら俺たちはどうすればいいんだ?」


「本体を先に倒せばいい」


 アイラが振り返って暗い廊下を見つめた。


「この暗闇の中に必ず潜んでいるはずよ」


「さっきのやつか?」


 その問いに対してアイラは首を横に振った。


「ううん、あいつはなんらかの方法で指示を受けていただけだと思う。もしあいつがそんな能力を持っているなら、前線には出てこないはずよ。敵の動きを読める能力なら直接戦うよりも安全なところから指揮を執ったほうが効果的だと思うでしょ?」


 たしかにその通りだ。直接戦うよりも、サポート向けの能力だろう。


「そうかもしれない。でも、それなら本体がホテル内にいるとは限らないんじゃないか?」


「私は居ると思う。私たちはホテルに入ってから攻撃された。能力の範囲がそんなに広いなら、ホテルに入る前に襲われていてもおかしくない。だから敵はこのホテルの何処かにいる」


 真っ暗な廊下は静まり返っている。探す当てでもあるのだろうか。


「どうやって探すんだ?こっちの動きを読まれるなら簡単に逃げられちまう」


 問いかけを無視してアイラが一番近くの部屋の前まで歩いた。ドアノブに手をかけてゆっくりと回して引くと、簡単に開いた。


「開いてる」


 急いで姉の後ろに近づいた。部屋の中は真っ暗で、よく見えない。

 客がいなければ部屋の鍵はかかっているはずだ。ここに泊まっていた人はどこへ行ったというのか。


「まさか、敵がここにいたって言うのか」


 アイラはその声に対して頷いた。


「さっきここの前を通るとき、誰かが歩くような音がしたの。最初は宿泊客かと思ったけど、ここが一番相手にとって陣取りやすい場所だと思った」


  ならばなぜ、鍵を開けておくのか。これではまるで入ってきてくれと言わんばかりだ。


「こっちにも罠が仕掛けられていたら?」


 二人は疑心暗鬼に陥った。もうどこへ行っても敵の思う壺なのではないか。

 その時、部屋の中から人のうめき声と何かが切り裂かれるような音がした。


「誰かが襲われてる!」


 彼女はそう言うと部屋の中へ迷わず飛び込んでしまった。アイルも一瞬躊躇った後、その後ろに続く。


「嘘……」


 部屋の中を懐中電灯で照らした先には血まみれの老人が倒れていた。首が切り裂かれていて、血溜まりができている。もう助からないだろう。

 アイルはライトの光で部屋のいたるところを照らしたが、老人を襲った人物はどこにもいない。

 

「どうなってるんだ!?」


 なぜこの老人が襲われたのかがわからない。この人が客か敵かは分からないが、一体誰に襲われるというのか。


「アイル! この人まだ息がある!」


 老人は何かを伝えようと口を動かし始めた。


「パル……コ。わしの……輝紅石が奪われた。恐ろしい奴……逃げろ」


 それ以上は何も言わなくなり、息を引き取った。再びあたりは静寂に包まれ、人の気配はまるでしない。


「この人、自分の輝紅石を奪われたって言ってた。行使者だったの?」


「多分な。でも誰がどうやってこんなことをしたのかが、まるでわからない。こいつはここを守ってたんじゃないのか? だとしたらどうして俺たち以外に襲われる?」


 分からないことだらけだ。とにかく今は輝紅石どころではない。


「姉貴、今度こそ逃げよう。ここはあまりに危険だ」


 流石のアイラも今回はこれ以上作戦を続けるつもりはなさそうだ。


「うん。ジャックとクックに連絡を」


 アイラが言葉を言い終えないうちに、部屋の入り口付近の床が大きな音で崩落した。

 二人は破壊されて穴が空いた床に向き直り警戒態勢を取った。


「もう! 今度はなに!?」


「気を付けろ! 何か来る!」


 下から穴を通って投げ飛ばされてきたのはジャックとクックだった。まるで風船のように軽く飛ばされて部屋の中に入ったかと思えば、今度はすごい勢いで床に叩きつけられた。身体中が痣だらけで、かなり痛めつけられたようだ。


「大丈夫!?」


「来るな!」


 駆け寄ろうとするアイラをジャックが怒鳴り声を上げて止めた。


「ったく、手こずらせやがって。ラム爺! 通信切れたから取り敢えず二人ぶちのめしてあんたのとこに戻って来たぜ!」


 そして最後に穴から出てきたのは先程クックを襲った敵と同じような背格好の青年だった。


「あれ? なんで返事しないの?」


 その青年が部屋に入って、ジャックから奪ったであろう懐中電灯をアイル達に向けた。

 眩しさで思わず目を細める。青年の顔は逆光になっていてよく見えない。


「お前ら……」


 青年はアイル達の後ろに倒れている老人を見て絶句した。表情は見えないが、手が白くなるほど懐中電灯を握りしめて肩を震わせている。


「お前らがやったのか?」


 信じられないといった様子だった。その声には驚きと怒りが含まれていた。


「違う、俺たちじゃない! この部屋に入ったときにはもう誰かに殺されていた!」


 到底信じてもらえるとは思わなかったが、弁明を試みる。敵とはいえ、倒してもいない奴のせいで怒りを買うのはまっぴらごめんだ。


「ふざけた嘘ついてんじゃねえよ! お前たち以外に誰がこんなことするんだ! 殺してやる……殺してやる!」


 青年が怒り狂って吠える。

 その隙を狙って、倒れていたジャックが素早く仰向けに転がり青年の頭を確実に狙って銃弾を放った。しかし、弾は青年に届く前に軌道を変えて床に突き刺さった。


「俺の能力の前では銃弾なんか無意味だ。淑女の嘆き(スパティフィラム・G)!」


 次の瞬間、アイルたちは宙に浮いていた。まるで無重力空間に投げ出されたように、体の自由が効かない。


「よく覚えておけよ、俺の名前はパルコだ。今からお前たちに地獄を見せてやる。この輝紅石、淑女の嘆き(スパティフィラム・G)の能力は一定範囲内の重力を自在に操るものだ」


 怒り心頭のパルコに、話は通じそうにもない。

 アイルはなんとか空中で体を捻ったり手足をばたつかせたりして動こうとするがうまくいかない。


「無駄だって言ってるだろ。ラム爺の命令通り安全に一人一人暗殺するつもりだったが、そんなことはもうどうでもいい。俺は絶対にお前らを許さない」


「くっ、こんなとこにいていいのか? 俺たちの仲間が既に展示室の輝紅石を奪ってしまってるかもよ?」


 アイルは床に叩きつけられた。今度は体全体が石のように重い。痛みに身をよじろうとしても動かなかった。叩きつけられた痛みを紛らわすことなく味わう羽目になった。


「嘘をつくなよな。お前らは全員で四人。ラム爺が間違えるはずがない。今夜このホテルに侵入したのはお前たち四人だけだ」


 ラム爺というのはパルコの殺された仲間のことだろう。だが、おかしい。

 アイルたちの人数が正確にわかるほどの能力ならば、この老人自身を殺した犯人も察知できたはずなのだ。


「待って! 本当に私たちじゃない! なにかがおかしいよ!」


 アイラがパルコに向かって叫ぶが、彼はまったく意に介していない様子でアイルに近づいてきた。どうやら主犯格をアイルだと思っている様子だ。


「最後に言い残すことはあるか?」


「あの老人は行使者に殺された。誰にも気づかれないような能力を持っていたんだ。そう言えば筋が通るだろ」


 やっとのことで口を動かす。気を抜けば潰れてしまいそうだった。


「今考えた嘘にしてはいい出来だな」


 パルコがすぐそばまで近づき、アイルを見下ろした。


「ぐぅぅ……ぁ……」


「苦しいか? お前の周り半径1メートルの俺以外にかかる重力を20倍にした。一気に潰してやることもできるが、お前らの目的を聞き出す必要があるからな」


 息ができない。自分にかかる重さで肺が押しつぶされるようだ。空気を吐くことはできても吸うことができない。もがけばもがこうとするほど苦しくなる。酸素を求めて痙攣する喉。それを止めようとしてもどうにもならない。少しずつ意識が遠のいていく。


「やめて!」


 アイラの悲痛な声が響くが、パルコはまるで聞こえないようにアイルを痛めつける。


「アイラ!」


 突然、ジャックが自分のタバコに次々と火をつけ始めた。部屋全体が無重力空間になっているせいか、煙は瞬く間に部屋に充満した。

 タバコに慣れていなければ、むせ返りそうなほどだ。


「おい、やめろ! 無駄な足掻きを……」


「あっ!」


 アイラが何かに気づいたようだ。次の瞬間、アイラの能力によって時を止められていた電線が解放されて、ホテルに電力が戻った。

 明かりが戻り、部屋の様子が鮮明に分かるようになる。暗闇に慣れていたせいでみんな眩しさで顔をしかめている。

 電気が付くと同時に、タバコの煙にスプリンクラーが反応して水を撒き散らした。

 撒き散らされた水は20倍の重力を受けてパルコに襲いかかった。


「ぐあっ」


 水とは言え20倍の重さだ。まるで石のつぶてのような衝撃にパルコは怯んだ。そして水から逃れようと咄嗟に能力を解除してしまった。


「ぐっ、はぁ、はぁ」


 ようやく呼吸ができるようになった。いくらかアイルにも水がかかったが、位置の関係でほとんどがパルコに当たったようだ。


「クソっ」


 パルコがもう一度全員を無重力状態に陥れようと腕を上げたが、その腕はクックに掴まれた。


「大人しくしろ!」


 彼は呆気なく輝紅石の腕輪を取り上げられて力を失った。腕輪を取り戻そうとクックにすがりつく。


「ふざけるな! お前らなんかにやられてたまるか!」


 腕輪を奪われてなお暴れるパルコをクックが縄で拘束した。


「まったく、人の話を聞かんやつだな!」


 クックが偉そうに言えたことではないが、彼はその一喝で少し大人しくなった。


「じゃあ誰がラムサをやったんだよ?」


 もはや観念したのか、ふて腐れたような声だ。

 部屋は明るくなったが、嫌な雰囲気が充満していた。

 まだ誰かに見られているような気がする。


「それは……」


 わからない、と言いかけたとき、不自然な影に気づいた。人の影だけが、パルコに近づいている。


「そこだ!」


 アイルがその影を指差して叫んだ。

 いち早く気づいたのはジャックだった。影の場所から推測して本体がいるであろう場所を撃ち抜いたが、銃弾は空を切って飛んでいっただけだった。


「なんだこいつは!?」


 近づいてくる影からパルコを守るようにクックが腕を伸ばした直後だった。紅い刀身の刀を持った手が影の中から現れてパルコを斬り裂こうとした。

 パルコはクックの腕に守られて無事だったが、クックは腕を切り落とされてしまった。


「ああ! 痛い! クソ野郎め!」


 影は一度パルコから離れ、ほかの家具の影と混ざってしまった。

 クックの腕からは血がほとんど出ていない。大事そうに切断された腕を、無事だった方の腕で抱え上げている。


「そんな場合じゃない! 早くここから逃げるんだ!」


 クックの様子に唖然としていたが、ジャックの怒号でみんなが我に返った。


「待て! こいつがラム爺をやった犯人だな!?」


 パルコは先程の威勢を取り戻し、拘束を無理やり解いてクックの手から落ちた腕輪をはめ直した。

 影が消えた方向を注意深く観察している。


「何してるの?」


「さっきの影は俺を狙ってた。他の支部の行使者しかこんなことをする奴はいないだろ!? ラム爺の仇打ちでもあるし、絶対にここで倒す!」


 完全に冷静さを失っている。このまま戦っても勝ち目はないだろう。


「おい、さっき窓の外に見えたんだけどあれは紅主連盟が俺たちを捕まえに来たのか?」


 なんとかしてこの状況を切り抜ける方法を考ねばならない。


「そうだ。たとえ俺が死んでもお前たちは逃げられない。覚悟するんだな」


「お前はあいつらに命令できるのか?」


「ああ? なんの話だ? 一応、俺は名目上ここの任務の指揮官って言う立場だからできるけど」


 思った通りだ。パルコが協力してくれれば逃げられるかもしれない。


「そうか。じゃあ取引きをしよう」


「取引?」


「俺たちはさっきの行使者を倒すためにお前に協力する。その代わりにお前は、人類の憧れ(スカイ・アスチルベ)を俺たちに渡して、下の部隊に撤退命令を出せ」


「アイル、本気か? こいつがさっきの影を倒した後で従ってくれる保証はないんだぞ?」


 ジャックが言うことはもっともだが、これ以外にここから逃げ出す方法はない。


「いいぜ」


 パルコは意外にもアイルの申し出を素直に受け入れた。


「俺は絶対にあいつを倒す。あいつの輝紅石を奪えばラム爺のも取り返せる。人類の憧れ(スカイ・アスチルベ)くらい安いもんだ」


 これでやることは決まった。


「任せろ。私がいればなんの心配もいらん」


 クックは自分の腕をくっつけていた。これもおそらく不死身の能力のおかげなのだろう。

 正直、少し気持ち悪いが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 

「ちっ、仕方ねえか」


 ジャックはタバコを咥えて火を付けた。

 次に奴がどうくるのか、全員不審な影がないか部屋中を見渡した。どこから来るか分からない敵に対して、一切の油断は許されない。


「あいつはパルコを狙ってたわ。次もそうくるかも」


 だが、いつまでたっても影は現れない。じりじりと焦りだけが募っていく。少しずつ集中力が途絶え始める。


「おい、まさかもう逃げたんじゃないか?」


 パルコが勝手に扉の方へ向かおうとした。チェストの前を通り過ぎようとしたとき、その影が揺らいだ。


「パルコ、そこだ!」


 ジャックがチェストの影を撃つが、効果があるのかは分からない。絨毯に弾が食い込むだけだ。

 パルコは声に反応して即座にチェストから飛び退いた。ほんの数秒という差でチェストの影から紅い刀が突き出されていた。


「こいつ!」

 

 重力を操作してチェストを宙に浮かばせる。チェストの影の下にはあの人影がいた。しかし、おそらく影の状態ではこちらから攻撃することはできない。


「こんなのどうすればいいの?」


 滅多に出さないような怯えた声を出す姉。アイル自身も恐怖を感じていた。

 このまま全員一方的に斬り殺されるのではないかという嫌な想像が頭の中で勝手に膨らむ。


「姉貴、影の時間を止めることはできるのか?」


「わからないけど、無理だと思う。影は物体じゃないから」


 いよいよ手詰まりになってきた。あの影の状態は無敵だ。しかも何処へでも移動して好きなタイミングで攻撃を仕掛けられる。ふつうに戦っていても勝てはしない。

 すでに影は移動して、また見えないところに潜んでしまっていた。


「要は相手が攻撃する瞬間に反撃すればいいのだ。攻撃の時ばかりは奴も実体にならざるを得ないからな」


 悪あがきのような考えだが、ある意味本質をついている。

 それでも、好きなタイミングでこちらに攻撃を仕掛けられる相手の方が圧倒的に有利だということに変わりはない。この敵に対して人数の差は関係ない。


「それはその通りだが、いつ攻撃されるか全くわからないんじゃ、反撃のしようもないだろ」


 精神的に追い詰められているせいか、いつもよりも棘のある返事をするジャック。

 敵の攻撃を待つ()が何よりも苦痛に感じる。


「ああー! もう、考えてられるか!」


 突然、パルコは叫ぶと部屋の家具を全て宙に浮かばせて窓を開けた。


「隠れられないように全部捨ててやる!」


 パルコはそう宣言すると、次々と家具を外に放り出し始めた。開け放たれた窓からタンスやイスが軽々と投げ出される。


「よせ! 危険すぎる!」

 

 ジャックの言う通りだった。ベッドを外に出そうとした瞬間、その影から刀が現れ、パルコに斬りかかった。


「ぐっ、うおおおお!」


 だが、パルコはそれを待っていたのだ。斬られる瞬間、襲いかかってきた刀に対して、全力で重力をかける。

 刀はパルコの肩から入って胸まで到達しかけたが、クックがなんとか素手でそれを防いでいた。

 刀は体内に埋まってしまったせいで、それ以上動かなくなった。

 その刀に、アイラがすかさず滅亡への恋(ディストピア・ローズ)で攻撃した。

 刀の時間は止まり、動かなくなった。その能力も解除されて影の中から本体が姿を現した。


「ちっ!」


 出てきたのは長い黒髪を後ろで束ねた女だった。出てくると同時に、素早く窓際から離れてパルコたちから距離をとる。

 腰には輝紅石の刀の鞘と、普通の刀が差してある。


「動くな!」


 ジャックが女に銃口を向けた。

 女は長い髪をかきあげながら、五人を見回した。能力を奪われているにも関わらず、落ち着き払っている。パルコは女が離れた隙に自分の体から刀を抜き取った。血が吹き出して、絨毯を赤く塗らす。


「今すぐ血を止めるからじっとしてて」


 彼はアイラの制止を無視して立ち上がった。斬られた所から、とどまることなく大量の血が出ている。

 それでも、まるで痛みなど感じないかのように女を見据えた。


「お前が……ラムサを……殺したのか?」


 呼吸のリズムはめちゃくちゃで、息をするたびに喉からはひゅーひゅー、と喘息のような音も聞こえてくる。

 見ているだけで苦しくなりそうだ。


「そうよ」


 女はそんな彼を見返して答えた。余裕のある態度が釈然としない。まだ何か能力を隠し持っているのだろうか。それとも、ただのハッタリなのか。


「そうか……なら俺が、ラム爺のためにもお前にとどめを刺す……!」


 ふらつく足取りで女に近づいていくパルコ。腕の輝紅石が淡く光を放つ。すでに女にかかる重力を強め始めているのだ。

 それでも、女の余裕が崩れることはない。ただ、彼が近づいてくるのを待っている。


「おい、やめろ!」


 嫌な予感がして制止したが、それでもパルコは近づき続けた。


「これで……」


 自分の血にまみれながらも、パルコが充分に近づいて腕を上げ、女に最大の重力をかけようとした。

 しかしその瞬間、女は目にも止まらぬ速さで抜刀し、パルコの腹を斬り裂いた。ちょうど日付が変わり、五日(いつか)が来てしまったのだった。


「ぐはっ」


 パルコが切られたとほぼ同時に、ジャックが女を撃った。だが、女はその弾丸すらも難なく刀で打ち落とし、今度は一瞬でアイラに迫る。


「きゃっ!」


 女は圧倒的な速さで、その手から輝紅石の刀を奪い返した。


「思ったよりも楽しかったわ。あなたたちは殺すなと言われているから。私はこれで失礼するわね」


「待て!」


 そう叫ぶも、女は既に影となり、どこかへ消えてしまった。


「はっ……はぁ……」


 僅かに残ったパルコの息だけが部屋に響いている。先程まで部屋を支配していた嫌な雰囲気は消え去っていた。


「おい、大丈夫か!?」


 包帯を巻いて止血を試みるが、誰の目にも、もう間に合わないことは明らかだった。パルコの顔面は血の気を失い、蒼白になっている。

 

「もう……いいから……これを」


 彼はジャックの手を払いのけて腕輪を差し出した。斬られた時に奪われそうになったが、これだけは文字通り死守したのだ。


「あいつを……ラムサの仇を討ってくれ……頼む」


 パルコの目には涙が浮かんでいた。悔しさのせいからか、悲しさのせいからかはアイルたちにはわからない。それでも、彼の無念は十分に伝わってきた。


「もう行け……。俺は最後に部隊に撤退命令を出す。お前たちは敵だけど、あいつだけはお前たちに頼むしかないからな。わかったら早く行け……死ぬところは見られたくない」


 アイルは最期まで消して弱さを見せようとしないパルコに、敵ながら尊敬の念を抱いた。

 そして、あの女だけは自分の手で倒さねばならないと決意した。


「わかった」


 腕輪を受け取ると、パルコを床に横たわらせる。


「行こう」


 四人は複雑な気持ちを抱えながらも部屋を出た。人類の憧れ(スカイ・アスチルベ)はすでにあの女によって奪われていた。

 ホテルを脱出するとすぐに船へと向かった。ホテルの周りには誰もいなかったおかげで、楽に逃げられた。船に戻るまで誰も、なにも喋ることはしなかった。






「そうか。よくやったと伝えておいてくれ」


 リュウジは満足気に受話器を置いた。オニマルの部下が本部の行使者二人を始末し、人類の憧れ(スカイ・アスチルベ)暗闇の克服(ジニア・オーバー)を手に入れたという報告だった。

 状況から考えて今回の件はアイルたちが犯人だと思われるだろう。自分たちに疑いがかかることはない。もちろんそれがリュウジの計画だった。

 やはり、彼らは自分たちにとって利用価値がある。もっと世界を掻き回して支部同士の均衡を崩してもらわなくては。

 オニマルの部下からの情報では、彼らはジェームズ・クックを仲間にしてあの幽霊船を手に入れたようだ。

 紅主連盟の間ではクックは有名だった。輝紅石を持っていることはわかっているのだが、あの幽霊船を誰も捕まえることができないのだ。

 

「次はどこに奴らが現れるかが問題だな」


 リュウジは椅子にもたれかかって腕を組んだ。奴らが輝紅石を狙う目的は分からないが、アジア支部のトップであるリチュンに頼んで動向を監視してもらうのが良さそうだ。

 アジア支部は紅主連盟の支部の中でもトップクラスの情報網を持つ。クックの船といえど、上陸さえすればたちまち居場所が分かるだろう。


「面白くなってきたな」


 笑みを漏らさずにはいられなかった。

 小鳩グループが極秘で進めている輝紅石を体内に取り込む研究もこのところ順調なようだ。あれが成功すれば不老不死や世界征服も夢ではない。そのためには、もっと多くのサンプルが必要だ。

 

「お前たちの存在は本当にありがたいぞ」


 邪悪なつぶやきが部屋に小さく響いた。 








 レゾリューション号の会議室には重苦しい空気が流れていた。敵とはいえ無残に殺されたパルコのことが頭から離れなかった。


「姉貴、これからどうするんだ?」


 テーブルの上にはパルコから預かった輝紅石の腕輪、淑女の嘆き(スパティフィラム・G)が置かれている。彼女の顔は疲れとやるせなさでひどくやつれていた。


「私たちにはあの女を倒す使命があると思う」


「ということは、次はあの女を追うということだな?」


 アイラがクックの問いかけに力強く頷いた。しかし、あの女が行使者であるということと、恐ろしく強いということ以外に手掛かりがない。


「これは俺の予想なんだが」


 これまで沈黙を保っていたジャックがおもむろに口を開いた。彼の顔もアイラ同様くたびれていて、老け込んだように見える。


「おそらく、あいつはアジア支部の四剣豪(よんけんごう)と呼ばれる戦闘員の一人だ」


「四剣豪?」


 アイラは初めて聞く言葉に首を傾げた。

 

「ああ、アジア支部の行使者の中でも特に戦闘に特化した四人だ」


 アジア支部ということは、小鳩グループの刺客だろうか。それにしてもあの女の行動は不可解だ。


「だとしたらなぜ俺たちを殺さなかったんだ?」


 アイルの疑問に誰も答えられなかった。あの女の行動には何かしらの意図はあるのだろうが、それがどんなものかまでは分からない。


「それはわからないけど、小鳩グループを崩壊させることは私の大きな目的の一つでもある」


 アイラは決意を込めて顔を上げた。他の三人が一斉に彼女に注目する。


「次の目的地は日本よ。あの女と小鳩グループを倒して、ついでに日本にある輝紅石も全て集める!」


 アイルは自然と表情が引き締まるの感じた。いよいよ両親の因縁の相手と正面衝突することになるのだ。


  「よし!私に任せろ!出発だ!」


 クックの掛け声に反応して船が動き出した。

 新たな敵と最初の目的のためにアイラたちは再び日本を目指し始めた。

 ハワイに来てまたすぐ日本に戻ることになるとは思わなかった。


「ところで、私に一つ提案があるんだが」


 船が動き出してしばらくした頃、クックがみんなを見回して話し出した。


「チーム名と言うか、何か私たちの名前を決めないかね?」


「まあ、気持ちを新たに入れ替えるためにもいいかもしれんな」


「そうだろ!?ジェームズ軍団なんかはどうだ!」


 ジャックの賛成を得たクックは興奮気味だ。ただし、ジェームズ軍団だけはダメだ。


「それは嫌だ」


 アイルは即座に切り捨てた。


「なんだと!?これ以上カッコいい名前があるというのか?」


 クックは唾を飛ばしながらはアイルに詰め寄った。本気でこの名前がいいと思っている様子だ。


「もうちょっとスタイリッシュな感じがいいわね」


 アイル以外はかなり乗り気だったが、どちらにせよクックの名前は採用されないだろう。


「輝紅石を奪っていくから、紅の盗賊団(あかのとうぞくだん)なんてどう?」


「悪くないな」


 アイルが詰め寄られている間にジャックとアイラで盛り上がっている。


「何?なんだって?」


 クックが振り返ってアイラ達を見た。

 

「紅の盗賊団! かっこいいでしょ?」


「むぅ」


 クックは黙り込んでしまった。壁際に追い詰められていたアイルはその隙にさり気なくクックから離れた。


「気に入らないかしら?」


「まあ、お前たちがそれにしたいなら構わん。本当にジェームズ軍団じゃなくていいんだな?」


 心底名残惜しそうなクックだったが、しぶしぶ受け入れたようだ。アイルとしてはジェームズ軍団に所属することにならなくて本当に良かった。


「よし! じゃあ、紅の盗賊団、出航!」


「待て! それは船長である私のセリフだろ!」


 四人は重い空気を吹き飛ばすように笑い合った。

 それぞれの想いを積んで、レゾリューション号は大海原を突き進んだ。

 




 

「馬鹿な……」


 アカハイホテル襲撃から一夜明けた紅主連盟本部の一室で報告を受けたマルクスは言葉を失った。ラムサとパルコが殺された上に、二人が持っていた輝紅石とホテルに展示されていたものまですべて奪われてしまったというのだ。

 信じられない。というか信じたくなかった。


「あの二人がか? 奴らはどれほどの力を持っているというのだ……」


 報告によれば、一連の事件の犯人は日本に住んでいたアイルとアイラという姉弟で、元七極星のジャック・スティーブを仲間にし、不死身の男ジェームズ・クックとその船を手に入れたということだった。

 

「このままではまずい。本部の行使者が二人もやられたなど、紅主連盟の面子が丸潰れだ」


 なんとしても奴らを止めねばならない。

 マルクスは自分の部下の中で最も信頼できる者を自室に呼び出した。椅子に座り直して目を瞑って待つ。

 しばらくしてその男は現れた。


「マルクス、俺を呼び出すなんてわかってるじゃない。早く次の任務に行きたかったんだよねえ」

 

 ヘラヘラと笑いながら部屋に入ってきたのはトムだった。いつも通りの軽い調子のはずだが、どこか元気がないように感じる。


「ジェシーの調子はどうだ?」


 マルクスが彼の相棒について聞くと、途端にその表情は曇った。やはり、芳しくないのだろう。


「うーん、命に別状はないんだけどさ、しばらくは実地任務は厳しそうだね。これ以上輝紅石を使うと身体に障害が残る可能性が高いんだってさ。まあ、かなり無理してたからねえ。ある意味しかたないのかも」


「そうか……ラムサとパルコがやられたのは知っているか?」


 トムは驚いたように顔を上げた。やはり、初耳だったようだ。


「殺されたの?」


「そうだ。お前たちが取り逃がした奴らにな」


 敢えてトムが責任を感じるような言い方をした。この男は、お調子者に見えて実は責任感の強い人間だということを知っていたからだ。


「あの子達に人は殺せないと思うけど」


 あの子達、というのはアイルとアイラのことだろう。


「だが、実際に二人は死んだ。それだけは事実だ」


 トムの顔色を伺う。いつもの笑みが消えている。つまり、マルクスの思惑通りトムが本気になってくれたということだ。


「三度目の正直だ。今度こそ奴らを始末しろ。それがお前に与える任務だ」


「わかったよ。奴らがどこにいるかの目星は付いている?」


「まだだ」


「てことはつまり……」


 マルクスは机に手をついて席から立ち上がった。しばらく座りっぱなしだったせいで膝の関節が軋む。


「俺も行く。まずはあの二人が殺されたアカハイホテルヘ向かうぞ」


 指にはめられた紅い指輪が光を反射してキラリと輝いた。彼もまた行使者なのだ。


「俺はいいんだけどさ。君が動くんだったらもちろん上の許可は取ってるんだよね?」


「当然だ。グズグズするな。行くぞ」


 マルクスはまだ何か考えている様子のトムのそばを通り抜けると大股で部屋から出た。

 だが、トムは取り残されてもしばらくそこを動かなかった。


「まあ、俺はあいつらが犯人じゃないと思うんだけどねえ。行けば分かるか」


 そう呟くと、マルクスを追ってゆっくりと部屋から出るのだった。







 少し離れた席から子供の泣き声が聞こえる。一つ隣のテーブルでは学生らしき集団が事あるごとに馬鹿笑いしていた。

 ここは都内のあるファミレスだ。

 

「ちょっとマサシ、私たちをこんなところに呼び出してどういうつもりなのかしら?」


 黒く艶めくような長い髪を二つに束ねた少女がテーブル越しにマサシを睨みつけた。ただし、彼女の目の前にあるイチゴパフェと膨らませた頬のせいでまるで迫力は感じない。

 

「まあまあ、話だけでも聞いてあげましょうリンリン」


 リンリンと呼ばれた少女の横に座っていた青年が、丁寧な口調でそう言った。彼は慣れた手つきでパフェを一口分すくい取り、リンリンの口元に運んだ。


「はむっ。まあ、シュンユがそう言うならあとチョコレートケーキとチーズタルトを頼んでもいいなら聞いてあげるわ。」


 マサシは残り僅かな財布の中身を確認した。二千五百円。シュンユが頼んだホットコーヒーと今リンリンが食べているイチゴパフェと合わせてギリギリ足りるかどうかだ。


「まあ……構わん」


 とにかく話を聞いてくれないと始まらないので取り敢えず了承する。この二人はマサシの正真正銘、最期の頼みの綱。最終兵器だった。

 ファミレスを選んだのは騒がしい方がかえって盗み聞きされづらいと考えたからだ。


「リンリン、甘いものばかり食べると虫歯になりますよ」


 子供に言い聞かせるような口調でシュンユが注意する。完全に保護者とその子供だった。


「嫌だ! 嫌だ! せっかく奢ってくれるって言ってるんだからいいじゃん」


 リンリンは足をばたつかせてシュンユに抗議した。座席から床にその足が届いていない。


「はあ……仕方ありませんね。このままでは話が進まない」


「まあ、たまにはいいんじゃないか」


「ほんと!? じゃあ頼むからね」


 リンリンは途端に目を輝かせて店員を呼びつけた。シュンユがその様子を見てやれやれと首を振る。


「目を離すとすぐに食べ過ぎるから困るんですよ」


「まあまあ、とりあえず私の話を聞いてもらってもいいかな」


 マサシはリンリンがスイーツに夢中なうちに話し出した。


  「ええ、ただあなたは噂によれば小鳩グループを追い出されたとか」


「そうだ。展示会のミスが父に露呈して用済みだと言われたよ。だが、奪われた輝紅石を取り戻しさえすれば、私はまた父に必要とされると思っている」


 シュンユがなにか考えるように目をつぶって、長い前髪をクルクルと弄んだ。銀色の髪が柔らかく指にまとわりつく。


「あの会長がそう簡単にミスを許すとは思えませんが」


「もちろん私もそれは覚悟の上だ。それを踏まえて君達に協力してほしい」


 マサシは自分が身を乗り出して話していたことに気づいて椅子に座りなおした。少々熱くなっていたようだ。


「たしかに、僕たち二人はあなたに個人的な恩があります。それにあなたとの約束もあります。しかし、輝紅石を盗まれるなんて下手を打ちましたね」


「そこをどうにか頼む!」


 マサシはテーブルに頭をつけて頼み込んだ。もう頼れるのはこの二人しかいない。

 もしここで断られてしまえば、希望は残されていない。


「分かりました。他でもないあなたの頼みです。引き受けますよ」


 マサシは感激のあまり涙が出そうになった。思わずシュンユの手を取り、何度もそれを上下した。


「ありがとう! 君なら引き受けてくれると信じていたよ! 本当にありがとう!」


  シュンユはその手をさりげなく振りほどき、マサシの目をじっと見た。見つめられたマサシはなぜか視線を逸らしてしまった。

 東洋人離れした高い鼻のせいで彼の顔はまるで冷たい彫刻のような印象を与える。


「僕たち二人はアジア支部の中でも遊撃部隊という特殊な立ち位置です。独自のルートで情報を収集し、クリムゾン・クストスに反する行使者を捕まえる。支部からも小鳩グループからもある程度独立している。

 輝紅石の奪還に成功した際はあなたの協力を得たおかげとして支部に返還します。そのことが会長の耳にも入るでしょうからそのときにまた元の場所に戻れるといいですね」


「ああ、頼んだ」


 マサシは、今度は自分でもアイラ達の情報を集めるつもりだった。


「話終わった? もう帰っていい?」


 リンリンはすでに運ばれたスイーツをすべて平らげてしまったようだ。


「ええ、すぐに行きましょう。では、いい報告ができるよう、こちらは全力を出させていただきます」


 シュンユは席を立つとマサシに一礼をして店を出た。リンリンがその後を小走りで追いかける。

 マサシにはそんな二人が救世主に見えた。


「さて、私も待っているだけではいけないな」


 伝票を手に立ち上がり、レジへ向かった。


「すみません、お会計をお願いします」


「はい」


 レジ係がやって来て伝票を受け取り、素早く指を動かす。ホットコーヒー250円、イチゴパフェ780円、チョコレートケーキ700円、チーズタルト700円。

 マサシはレジの文字を見て、心の中で足りるな、とこっそり安堵した。

 だが、レジ係はレジ打ちをそこでやめなかった。

 追加注文の特大抹茶プリン600円、ダブルバニラアイス600円、合計3630円。


「は?」


 






「ここだな」


 トムとマルクスはアカハイホテルのラムサとパルコが殺された部屋に来ていた。


「かなり激しい戦闘があったみたいだねえ」


 壁に残った斬撃の跡を不審そうに目を細めて見る。アイラの仲間にこんな跡を残す攻撃手段を持つ者はいないはずだ。


「やっぱりなーんかおかしいよねえ」


「それは今から見れば分かることだ」


 マルクスは部屋の中央に立った。そこで自分の能力を発動させる。


「便利な能力だよねえ。探偵ごっこもろくに出来ないよ」


「それは残念だったな。お前もしっかり見ておけよ、不変の事実(シオン・ドライブ)!」


 マルクスの能力が発動し、 二人はその場でしばらく立ち尽くしていた。やがて、目を見合わせて頷きあった。


「なるほどねえ、そういうことか」


「なんてことだ……。あいつはアジア支部の四剣豪の一人、シミズ レイ じゃないか」


 マルクスが表情を曇らせた。アジア支部に部下を殺されたことになれば、今回の件の意味は大きく変わってくる。


「それにしてもパルコたちが協力してレイの能力を解除して、その正体を影から引きずり出さなかったら、俺たちも手がかりを得られなかったかもねえ」


「そうだな。とにかくこのことはアリアス様に報告する必要がある。アジア支部に対してどう動くかはアリアス様の指示を待とう」


 マルクスの表情には苦悶の色が見て取れた。本当は今すぐにでもアジア支部に乗り込んで仇討ちをしたいくらいだろう。それはトムも同じだった。


「まあ、焦っても仕方ない……か」


 そう自分に言い聞かせることでなんとか怒りを堪える。


「アジア支部もそうだが、今回の任務はアイラ達を見つけ出して捕らえることだ。アジア支部のことは一旦他の部隊に任せて俺たちは奴らを追うぞ」


 マルクスも気持ちを切り替えて今回の任務に集中することにしたようだ。


「そうだねえ。パルコがアイラ達に自分の輝紅石を託してラムサの仇討ちを頼んでたから、アジア支部の本拠地がある中国か、小鳩グループと多くの行使者がいる日本に向かった可能性が大きいんじゃない?」


「俺の能力で奴らの船を追跡できる。お前、船の操縦できるか?」


 マルクスはトムに期待した目を向けた。しかし、当のトムはぷらぷらと手を振る。


「無理だよ。一応持ってきてはいるけどさ。それに燃料も足りないよ」


「そうか、困ったな」


「私に任せろ」


 トムの背後から聞き慣れた声がした。


「あ、そうか!最初っからジェシーにやって貰えばよかったんだよ!ん?ジェシー?」


 トムが振り返るとそこには相棒の姿があった。喉に巻かれた包帯が痛々しいが、それ以外はいたって元気そうだ。


「なぜお前がいる?命令違反だぞ」


 マルクスはジェシーを見て厳しい一言をかけた。紅主連盟において、上からの指示は絶対だ。


「それは分かっています。しかし、私はまだ戦える。それに、私の能力が必要ですよね?」


 マルクスは痛いところを突かれてなにも言えなくなってしまった。たしかにジェシーの能力ならば船の操縦も燃料の問題も気にしなくていい。


「……お前には後で厳しい罰則を与える。しかし、来てしまったものは仕方ない。今更追い返すのも時間が勿体無いし、今回の任務については同行を認める」


「ありがとうございます」


 ジェシーが頭を下げた。


「ただし、くれぐれも無理はするなよ。以前のように無茶をすれば身体が保たないからな」


「ひゅー! マルクス、いいところあるじゃん」


 彼はおだてられて、照れ隠しをするように二人に背を向けた。


「いいから早く来い! アリアス様への報告が終わったら、早速出発するぞ」


 こうして三人はアイラ達を追って動き始めた。






 アイル達はオオサカのウメダにいた。ハワイから三日掛けてニホンに辿り着いたのだ。ここに来た理由は一つだった。ウメダにある小鳩グループのオフィスに行使者の一人が勤めているからだ。


「活気のある街だな。私が見習いだった頃の港町を思い出す騒がしさだ」


 何度も再開発された街は、商業施設やオフィスが林立している。朝日を浴びたビル群が光を眩しく反射している。道をゆく人々は誰もが忙しそうだった。

 人が多くて道も複雑なため、はぐれてしまうと大変だろう。

 一行は旅行客のふりをしてホテルの一室に泊まっていた。


「次の作戦は、すぐそこの小鳩グループのオフィスに勤めている、 カワキリ カイ という名前の会社員が持つ輝紅石を奪うことよ」


 カワキリはNo.17の輝紅石、絡み合う記録(ポピー・ジーン)を所持している。その能力を使って小鳩グループに貢献しているのだ。

 彼の能力は物体のあらゆる情報をテープとして取り出すというものだ。取り出したテープは自在に操ることができる。また、そのテープの情報をコンピューターに読み込ませて保存させることもできる。

 会社員といっても特別な待遇を受けており、かなりいい暮らしをしている。

 ここまでがアイラの集めた情報だった。どんな顔でどんな風に会社にいるのかは掴めていない。

 ただし、カワキリは会社から自宅まで専用の送迎車に乗っているという噂があった。現在、一行が泊まっている部屋の窓からはオフィスの駐車場の出入り口がしっかりと確認できる。


「まずはその車を尾行する。さっきアイルと調べてきたけど、あの駐車場内には場違いな高級車が一台あった。おそらくあれがカワキリの車だと思う」


 つまり、自宅まで追跡してそこを狙うということだ。警備が敷かれている建物から盗むよりもよっぽど簡単だろう。

 しかし、アイルにとって、行使者とはいえ一般人を襲うというのはあまり気乗りのするものではなかった。何より気がかりなのはカワキリに家庭があることだった。

 彼が輝紅石を奪われてしまったら、小鳩グループからどんなことをされるのだろうか。盗まれたことは彼の責任になり、大なり小なりの罰が下される可能性もある。

 始末されるまではいかなくても、クビにされることも十分に考えられる。そうなれば彼の家族はどうなる?

 アイルはそれ以上考えないようにした。

 結局小鳩グループを倒してしまえば、多くの社員が路頭に迷うのに変わりがないことに気づいたからだ。


「カワキリの輝紅石を奪った後はどうする?」


「そのあと小鳩グループが所有している輝紅石はすべてトウキョウにある。だから、追われる前にオオサカを出て、車でトウキョウを目指す」

 

「車? 私の船で行けばいいじゃないか」


 クックがなぜか不満そうに口を挟んだ。大方、自分の役割を獲られたようで悔しいのだろう。

 大人気ないとはこのことだとおもったが、クックらしいとも言える。


「船だと上陸できるところが限られてるし、上陸の際に見つからないよう、かなり気を配らないといけないから」


 車の調達方法はレンタカーを借りてそのまま盗むという強硬手段だ。運転はジャックに任せる。

 やることがどんどん盗賊じみていく自分たちが不安だった。この旅を無事終えられたとして、自分たちのしたことが正しかったと言い切れるのだろうか。


「とにかく、あの車が出てくるまで見張りの人以外は休憩だからゆっくりしてて」


 すぐに部屋を出られるようにしておかなければならないため荷物を広げることはできないが、久しぶりにまともなベッドで眠れることは嬉しかった。

 レゾリューション号の床に毛布を引いただけの布団とも言えないあれは、全く疲れが取れなかった。

 そのせいもあってか、アイルは横になるとすぐにウトウトし始めて五分もしないうちに眠り込んでしまった。






「何? 奴らがオオサカに?」


 電話越しにリチュンの話を聞いて、リュウジはすぐに嫌な予感を抱いた。アイラ達がオオサカに来たということはカワキリの輝紅石が狙われているということではないのか。

 まさかこんなすぐにハワイからニホンに戻ってくるとは思わなかった。他の支部の管轄内で暴れる分には歓迎だったが、また小鳩グループから輝紅石を奪われるのはなんとしても阻止せねばならない。特にカワキリの絡み合う記録(ポピー・ジーン)は小鳩グループのデータ整理と管理において絶対に必要なものだ。


「思ったよりも使えん奴らだったか」


 思わず爪を噛む。思い通りにいかなかったときにやってしまう癖だった。


「カワキリにクリムゾン・クストスの護衛をつける。構わんな? ああ、わかった。頼んだぞ」


 短く言葉を交わして受話器を置いた。せっかく面白くなりそうだったのに、と思うと腹立たしいが、仕方ない。

 奴らを始末すれば今まで奪われてきた輝紅石も一気に手に入る。それはそれでいいとしよう。


「四剣豪が付いていれば間違いはない。今度こそあいつらは終わりだ」


 リュウジは自分の席に深く腰を下ろした。嫌な予感が消えることはなかったが、余裕のある態度をとることで紛らわせようとしたのだ。

 そして何度も何度も、絶対に大丈夫だと自分に言い聞かせるのだった。






 マサシは公園にいた。公園と言っても砂場とベンチだけで、人はマサシしかいない。静かで寂しい場所だった。夕方になれば地元の子供達が遊びに来るのかもしれないが、今は早朝である。

 何故こんなところにいるのかというと、ある音をよく聞き取るためだ。マサシはある理由から、小鳩グループのあらゆる場所に盗聴器を仕掛けていた。リュウジの部屋にある電話にもそれを付けていたのだ。

 たった今、リュウジの話からアイラ達がカワキリの輝紅石を狙っているという情報を得た。その情報をそのままシュンユに送る。

 これでシュンユとリンリンがアイラ達を捕まえてくれれば、きっと小鳩グループに戻ることができるだろう。

 マサシにはどうしても戻らねばならない理由があるのだ。

 父の実験を止めさせて、妹を救うために。そのために父親に認められて、小鳩グループの中で地位を築き上げてきたのだ。

 父と対等になることができればあの実験をやめさせることが出来る。なんとしてもやめさせなければいけないのだ。マサシは決意を新たにしてベンチから立ち上がった。






 午後四時、アイラ達がニホンに辿り着いたのと同じ日の夕方である。

 マルクス達もついにニホンに上陸した。


「まったく大変だったねえ。何度見失いかけたことか」


「俺の能力の性質上、後手に回らざるを得なかったからな。だが、もう少しで追いつくぞ。気を緩めるな」


 マルクスはアイラ達の船を追う間、ほとんど眠ることも出来なかったため、一番疲れているはずだ。それでもそんな素振りは一切見せず、二人の部下に先立って歩き始めた。


「少し休憩した方がいいんじゃないの? 俺は船にいる間ほとんど何もしてなかったから大丈夫だけど、ジェシーも辛そうだしさ」


「私は大丈夫だ。余計なことを言うなトム」


 勝手に付いてきた上に足手まといになるのが嫌なのだろう。ジェシーはトムを睨み付けると気丈に歩き出そうとしたが、それをマルクスが止めた。


「いや、やっぱり休憩しよう。お前に倒れられると帰れなくなる」


「いや、本当に大丈夫です」


「命令だ。休むぞ」


 マルクスが有無を言わさぬ調子でそう告げる。トムの思い通りだった。上司であるマルクスは自分のために休むなんてことは、無理をしても絶対に言い出さない。しかし、部下に無理をさせることはない。

 トムにしてみればジェシーもマルクスも無理をするタイプなので、適当なところで休ませる必要があると考えたのだ。


「やれやれ、これじゃあどっちが上司かわからないねえ」


 誰にも聞こえないようにそう言って、先を歩く二人についていくのだった。






「またか」


 アイルはもはや見慣れた光景となりつつある荒れ果てた大地を見て思わず呟いてしまった。背後にはあいつがいるのだろう。


「またかとは、ひどいじゃないか。これでもタイミングを選んでいるつもりなのだがね」


 紅い男はさも愉快そうだ。まるでこの時間が来るのを待ち望んでいたように。


「お前が正体を明かすつもりがないのは分かった。なぜ俺の前に現れるんだ?」


 もうこの男に対する恐怖心はなくなっており、残っているのは気持ち悪さと苛立ちだった。


「まあそう焦るな。逆に俺から質問させてもらうが、お前たちこそ何者なんだ?それをよく考えたことはあるのか?」


 こいつの言っている意味がわからない。自分たちは人間だ。そしてこの男は間違いなく人間ではない。自分たちとは全く異質な存在だろう。

 だが、アイルは自分が何者かという質問に答えることができなかった。

 目的のために手段を選ばない今の自分たちは、ただの悪党なのではないのか。


「答えられないか、ならば教えてやろう。お前たちは罪人なのさ」


「罪人だと?」


 口では反抗的に見せても、内心はその通りだと思った。既にアイル達はいくつもの罪を犯している。


「心当たりがあるのか?まあ、そろそろ時間だ。次に会える時を楽しみにしてるぞ」


 男はそう言い残すといつものように揺らいで消えてしまった。そして、アイルもその夢から覚めていくのだった。


「おい、起きろ!」


 ジャックが身体を揺さぶってくる。何か慌てているようだ。

 起き上がって周りをぼーっと見渡す。日はすでに暮れかかっており、部屋の中は薄暗い。


「寝ぼけている場合か!車が出たぞ」


 アイルは車、というワードに反応して目を覚ました。そうだ、自分たちはカワキリの車を追わなければならない。


「クックとアイラは先に行ってしまったから早くしてくれ」


 アイルはジャックに急かされて、荷物を持って部屋を出ようとした。

 素早く準備しすると、扉を開けて廊下に出ようとしたが、ドアノブが回らない。何度も回そうとして力を込めても、ガチャガチャと耳障りな音が鳴るだけだった。


「おい、どうしたんだ?」


 すぐ後ろにいるジャックが苛ついた声で急かしてくる。しかし、どんなに急かされたところで動かないものは動かない。


「ドアが壊れてるかもしれない」


「ちょっと見せてみろ」


 ジャックと場所を入れ替える。彼もアイルと同じようにドアノブをガチャつかせたが、しばらくして諦めたように振り返ってきた。


「ダメだ。一旦中に戻ってフロントに電話しよう」


 アイラ達には先に行ってもらうしかない。二人は首を傾げながらも部屋の中へ戻った。


「こんな時にドアが壊れるなんてついてないな」


「壊れたわけじゃないんだけどねえ」


 ジャックのぼやきに返事をしたのはアイルではなく、いつのまにか部屋の中にいた侵入者たちだった。


「なっ……!」


「また会えたねえ。今度は絶対に逃がさないから覚悟してもらうよ」


 侵入者の正体はトムとジェシー、そして初めて見る男だった。ジャックは素早く銃を構え、アイルも戦闘態勢に入る。

 しかし、単純に二対三でこちらが数的不利だ。しかもこの密室の中ではジェシーの能力が存分に発揮出来る。


「戦う気か? やめた方がいい。素直に残りの仲間の場所を喋るんだな。まあ、喋らなくてもいずれ追いつくが」


 部屋のドアは壊れていたのではなくジェシーの能力で閉められていたのだ。ここから逃げる術はない。

 どうにかしてこの三人を倒さなければ、アイル達に未来はなかった。つまり、戦うしか選択肢は残されていない。しかし、どうすれば勝てるのかまるでわからない。

 アイル達が動けないでいると、それまで黙っていた後ろの男が口を開いた。


「お前達の目的や、今やろうとしていることは全て俺の能力で見させてもらった。この女を追っているんだろう?」


 そう言うと男はポケットから一枚の写真を取り出した。そこに写っているのは間違いなく、パルコを殺したあの女だった。


「どうしてそれを……」


 驚きのあまり声が続かない。なぜこの男はそんなことまで知っているのか。一体どんな能力だと言うのだろう。


「間違いないようだな。ここで一つ提案がある。ここで俺たちと戦っても勝ち目がないことは分かっているだろ?」


 悔しいが、男の言う通りだ。どんな提案かはわからないが、聞いてみるべきだと思った。

 ジャックもすでに銃を下ろしている。一触即発の事態は免れたが、いまだに部屋の中は緊張した空気が張り詰めている。


「よし、話し始める前に自己紹介しておこう。俺の名はマルクス。まあ、この二人の上司だ」


 マルクスの提案は次のようなものだった。パルコ達を殺したあの女、レイを追うことに協力してくれれば今回は見逃してやるというのだ。


「レイは強い。俺たち三人でかかっても勝てるか分からない。だから協力してくれ」


 嘘を付いているようには見えなかった。むしろ、その目には部下を殺した敵に対する復讐心が燃え上がっているようだ。


「ちょっと待ってよマルクス。パルコたちの件に関してはアリアス様の指示を待つって言ってたじゃないか」


「さっき上から連絡があった。俺の能力からの情報だけでは証拠にならない。だから、あれに関しては確かな情報が得られるまで本部としてはノータッチだということだ。しかし、レイがやったことは明白なんだ。だから俺がやつを倒す」


「しかし、上からの命令を無視すればどうなるか分かりません」


 ジェシーも人に言えたことではないが、今回の命令は無視すれば大問題になりかねない。

 アイルとジャックは話がまとまらない三人を見て顔を見合わせた。どうやらあちら側もこのことに関しては話し合っていなかったようだ。


「そうだな。だからこその提案だ。今回の任務のターゲットであるこいつらが自分たちの目的のためにレイと戦っている。レイはこいつらを殺して、今まで奪われた輝紅石を取り返そうとしてくる。俺たちはこいつらを捕まえるために邪魔なレイを倒さなければいけない。そういう構図が出来上がるわけだ」


「なるほどねえ。いい考えだ。それに……」


 今回見逃したとしてもマルクスの能力、不変の事実(シオン・ドライブ)ならば何度でも追跡可能だ。

 きっとマルクスはそれを分かった上でこの提案をしたに違いない。しっかりと任務を果たしつつも、復讐を成し遂げる。極めて合理的な作戦に思えた。


「お前達にとっても悪くない提案のはずだ。少なくとも、この窮地は脱することができるんじゃないか?」


 たとえ利用されるだけだったとしても、アイル達にとって選択の余地はなかった。カワキリはアイラとクックに任せて、一時的にマルクス達と協力するしかない。ジャックも異論はなさそうだ。


「分かった。その提案に乗るよ。それでこれからどうするんだ?」


「よし。まずは、先にカワキリの車を追っていったお前達の仲間と合流する。俺の予想ではカワキリには小鳩グループから護衛が付けられているはずだ。その護衛が四剣豪の誰かである可能性は高い。それほどカワキリの能力は小鳩グループにとって重要なんだ」


「じゃあ、すぐにでもここを出よう」


 ジャックの言葉で、全員外へ向かう。

 しかし、アイルはマルクスのこちらのことを知り尽くしているかのような口ぶりに思わず違和感を抱いていた。どうやってアイル達のことを知ったのだろう?

 考えてみればここまで追跡されたのもおかしいではないか。

 相手の思考を読む能力か、あるいは千里眼のような能力か。アイル達を追ってきたことを考えると、後者寄りの能力だろう。

 この男はかなり厄介かもしれない。

 アイルは決して心を許さないように決めて、彼らの後に続いた。






 アイル達が一時協定を結んでいた頃、アイラとクックは表通りから何本も離れた暗い道に迷い込んでいた。住宅街のようだが、人気は全くない。

 二人は車の追跡に失敗した訳ではない。

 追跡中に何者かに襲われたのだ。逃げ惑う内にこんなところに来てしまった。

 地面は凍り、空気が冷たい。二人を襲った敵の姿は見えないが、明らかになんらかの能力によって現在も攻撃を受けている。


「おい! 何だこれは!? いくらなんでも寒すぎるぞ!」


「分かってるわよ! 車は見失うし、敵に襲われるし最悪!」


 おまけにアイル達ともかなり離れてしまった。

 とにかく、今襲い掛かってくる脅威を排除しなければカワキリどころではなさそうだ。


「絶対に行使者がいるはず。早く見つけないと氷漬けにされちゃう」


 多分敵の能力は冷気を操るものだろう。しかも本体の姿が見えないのはそれだけ強力な力だということではないか。


「闇雲に走り回っても敵の思う壺だ。我々はここら辺の地理に詳しくない。さっきから何処かへ誘導されているような気もするぞ」


 クックの言う通りだ。迫り来る冷気から逃げれば逃げるほど、人通りの少ないところへ向かっているのだ。

 一度表通りに戻って、アイル達と合流するべきではないか。アイラは自分の腕時計を見た。ホテルを出てから既に二十分以上経過している。アイル達はきっと車を追っているはずだから、カワキリの車を再び見つけ出せばいい。


「クック、カワキリの車をもう一回探そう。アイル達と合流したほうがいい」


「わかった」


 今更探したところで見つかる可能性は低いが、そうするしかない。

 二人は出来るだけ冷気を避けて表通りを目指した。しかし、敵が追跡してくる気配はいつまでも消えない。姿は見えないが、確実に追ってきている。


「あっ! あれ!」


 車を見つけるのは絶望的だと思われたそのとき、アイラが見たのは黒塗りの高級車だった。カワキリの車に違いない。住宅街の中だからか、徐行している。走って追いつけるスピードだ。


「ん? どうした?」


 どうやらクックは見ていなかったようだ。一つ向こうの交差点を指差す。


「カワキリの車があそこを左から右に通り過ぎていったの!」


「あんな所を? 家がここら辺なのかな」


 クックがブツブツ言っているのを無視して、交差点に走り出す。今見失ってしまったらもう二度と見つけられないだろう。アイラは交差点まで走ると左を見た。今度は車のライトが右に曲がって消えていくのが見えた。


「今度こそ見えたでしょ?」


「いや……」


 後ろを付いてきたクックに聞くが、また見ていなかったようだ。要領を得ない返事しか返って来ない。

 それでも、今はとにかく追い続けるしかないのだ。

 アイラは再び走って次の角を右に曲がった。そうやって車を追う内に、どんどん寂れた場所へ向かっているのにも気が付いていなかった。


「待て!」


 車を追って走り続けていると、突然クックがその肩を掴んだ。


「痛っ! 何?」


「何かおかしい。私は車なんてまったく見えていない。お前が何もない方向に向かって突き進んでいるようにしか見えないのだ」


 ここでアイラはようやく冷静になった。そういえば帰宅するだけの車がこんな所を通るはずがない。こんな廃倉庫の並ぶ気味の悪い所を。

 鳥肌が立つのを感じた。夢中で車を追っていたが、これでは餌につられて誘い出されたようなものではないか。クックが止めてくれていなければどこまで行ってしまっていたか分からない。

 いつまでも鳥肌が立ったままだ。ぞっとしたせいだけではない。実際に寒いのだ。


「かなりまずい状況になってしまったようだな。もっと早く止めておくべきだった」


 誰かがこちらに向かってくる。革靴がアスファルトを踏む、トン、トン、という音が少しずつ近づいてくるのだ。

 反射的に滅亡への恋(ディストピア・ローズ)で電柱を叩き、その時間を止めた。そうすることで街灯に電流が流れなくなり、辺りは暗闇となった。

 それでも、こちらに近づいてくる音は止まない。すぐ近くまで足音が来ている。

 アイラは意を決して音のする方を、リュックから取り出した懐中電灯で照らした。

 そこにいたのは銀髪の青年だった。歳はアイラと同じか少し上くらいだろうか。眩しそうに目を細めている。

 一見無害に見えるが、この青年がさっきまでアイラ達を追い詰めていた敵であるということはすぐに分かった。それは、彼の持っている物が明らかにおかしかったからだ。

 その青年は自分の身長よりも少し長い程の棒を持っていた。その棒の中央部には、紅く輝く石がはめ込まれている。


「はじめまして。僕の名前はシュンユです。お話があって参りました」


 にこやかに自己紹介しているが、その目は笑っていない。

 アイラは滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を取り出して構えた。クックも懐に隠していたサーベルを抜き、身構えている。


「こんな所に誘き出して、どういうつもりなの?」


「そう構えないで下さい。僕はあなた方が従ってくれれば危害を加えるつもりはありませんから」


 シュンユは丁寧な態度を崩さないままそう言った。まるでアイラとクックが自分に従ってくれると確信したような口ぶりだ。余程自分の能力に自信があるのだろう。


「多分従わないけど、一応聞いておこうかしら」


「多分じゃないぞ! 絶対だ!」


 クックは今にも襲い掛かりそうな勢いだ。寒い思いをさせられてかなり頭にきているのだろう。

 そんな様子を見ても、シュンユの態度が変わることはない。依然、余裕を持ってこちらに話しかけてくる。


「なに、簡単なことですよ。あなたの持っているそれを返して頂ければいいのです」


 彼が指したのは滅亡への恋(ディストピア・ローズ)だった。


「なるほど、小鳩グループの刺客ってわけね」


「まあ、正確には違いますが、そういうことです」


「残念だけど、これは渡すわけにはいかない。これ以上邪魔をするならあなたを倒すしかないわ」


 どちらにせよ、シュンユの持っている輝紅石を奪うつもりだった。

 アイラは隙を見て、シュンユの懐に潜り込んで槍を突き刺そうとした。


「おっと、危ない」


 その攻撃を軽い身のこなしで躱されるも、続けてクックが斬りかかる。しかし、それもまた避けられてしまった。


「仕方ありませんね。あなた達がそのつもりならこちらも実力行使で行くしかありません」


 シュンユが持っていた棒を構えた。さっきまでとは打って変わって、気迫を感じる。

 二人は一度、シュンユから距離を取った。彼の構えからはただならぬ雰囲気が滲み出ている。


「恐れることはない。こちらは二人なのだ!」


 自分自身に言い聞かせるように怒鳴ると、クックはもう一度シュンユに突撃した。サーベルの攻撃は素早く、並みの人間なら見切ることも難しいだろう。しかし、シュンユはその斬撃をすべて棒でいなし、サーベルを叩き飛ばした。

 高く舞ったクックのサーベルは、道と倉庫の敷地を区切るフェンスの向こう側に落ちてしまった。さらに彼はその僅かな間で、クックの肘を棒で強く打ち、腹を突いた。

 クックはアイラの足元まで突き飛ばされ、そこでうずくまった。

 

「大丈夫!?」


「う、腕が」


 強打されたクックの腕には霜が降りていた。凍りついているのだ。腕だけが死んでしまったようにどす黒い。クックはまだアイラに向かって呻き続けている。


「あなたの能力は分かっています。僕には勝てません。大人しく輝紅石を差し出した方が身のためですよ?」


 彼は強い。そう確信した。このままではやられる。

 普通に戦ってはダメだ。相手の裏をかかなければいけない。

 アイラは滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を握りしめ、懐中電灯の光を消した。

 自分も周りが見えなくなるが、相手にとってもそれは同じだ。これで大体の間合いを取って隙を伺うしかない。

 しかし、すぐにその考えが甘かったと気付くことになる。凄まじい冷気が地面を伝ってきたのだ。うずくまっているクックが凍らされてしまう。

 すぐさま地面の時間を止めたが、それもあまり意味はなかった。極限に冷やされた空気が周りを漂い始めたのだ。


「さあ、どうしました? 掛かって来ないならこちらから行きますよ」


 シュンユの挑発に乗るわけにはいかない。向こうもこちらの能力を知っているならば、かなりの警戒をしているはずだ。もし自分の服の時間を止められたりすればどうなるかは想像に容易い。

 相手はこちらがライトをつけるのを待っているのだ。


「このまま隠れているつもりですか? 体温が奪われてジリ貧になるだけですよ」


 シュンユの言う通り、すでに寒さで手が震えていた。クックの様子はわからない。

 しかし、アイラは聞き逃さなかった。シュンユの声も僅かに震えていたのだ。おそらく冷気を操る能力だが、自分自身もその影響から逃れることはできないのだろう。

 ならばこれは我慢比べだ。先に動いた方が、場所を察知されて攻撃を受けることになる。

 しかし、こちらが不利なことに変わりはない。シュンユは棒術の達人だし、受ける冷気もこちら側の方が強いはずだ。

 やはりジリ貧で負けてしまうのか。そう思った時、暗闇の中で何かが動いた。

 その動きをシュンユも見逃していなかった。ほんの一瞬でその動きに棒を叩きつける。棒が何か硬いものに当たったような音を立てた。


「何っ!?」


 おかしな感触にシュンユが驚きの声を上げた。

 その方向にライトをつけて向ける。棒が叩いたのは凍ったクックの腕だった。

 あまりの硬さに棒が強い反動を受けてシュンユが仰け反っている。

 アイラはその隙を逃さず、一気に駆け込んで滅亡への恋(ディストピア・ローズ)の突きを繰り出した。この好機を逃すわけにはいかない。あと少し、ほんのちょっとで槍の先が届く。腕をめいいっぱい伸ばして槍先を当てようとした。

 しかし突然、とてつもない熱気がアイラの手元を襲った。


「熱っ!」


 あまりの熱さに反射的に手を引っ込めてしまった。攻撃する絶好のチャンスを逃してしまったのだ。

 シュンユは後ろに跳びのき、距離を取ってしまった。


「危なかった。やはり油断できませんね」


 シュンユの服の一部が焼け焦げている。地面も焼かれて黒い煤がこびりついていた。


「腕の時間を止めて、硬質化するとは。なかなか考えましたね」


 滅亡への恋(ディストピア・ローズ)は生きているものに対して発動しない。しかし、クックの腕は凍っており、死んでいるものとして認識されたのだ。

 だが、惜しくもその秘策はシュンユには通用しなかった。


「僕の持つNo.74の輝紅石、灯火の盗人(ナズナ・キャッチ)は冷気を操る能力ではありません。攻撃した場所から熱を奪う能力です。奪った熱を今のように放出することも出来る」


 二人はその言葉に衝撃を受けた。ただでさえ強力な彼の棒術に加えてその能力。クックの腕も限界だ。

 シュンユがトドメを刺そうと二人に近づいてくる。近く間も警戒したままで、不意打ちを食らわすことも難しそうだ。


「分かった! 降参する。これも差し出すから」


「では、それをこちらに投げてください」


 油断して近づいたところを攻撃するつもりだったが、それも望めなさそうだ。シュンユは足を止めてこちらに手を差し出している。


「やめろ! ここで諦めてどうするのだ!?」


 クックは満身創痍になりながらも、まだ諦めないつもりなのだ。もちろんアイラも諦めるつもりなど毛頭ない。

 しかし、願わずにはいられない。ここで仲間が助けに来てくれればと。そんな都合のいいこと、あるはずがないのに。

 そのとき、シュンユの背後に誰かの影が見えた。瞬きしてもう一度見ると、確かにいる。アイルだ。

 信じられないが、見間違いではない。はっきりと見える。既にあと少しで攻撃ができるところまで近づいている。

 仲間の存在をシュンユに悟られないように滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を投げる動作を見せた。彼の意識をこちらに向けることができれば、アイルが倒してくれる。

 あと一歩、あと一秒でも時間を稼げば……。


「はーい、没収ー」


 あどけない声とともに後ろから来た誰かに、手に持っていた滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を奪われてしまった。それと同時に能力が解除され、街灯に光が戻る。

 アイルの姿に気をとられ過ぎて自分の背後の気配に気がつかなかった。

 滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を奪ったのは可愛らしい女の子だった。せいぜい小学生高学年程度の身長しかない。

 さらに気づいたことは、アイルの姿が消えているということだった。さっきまでシュンユのすぐ後ろにいたというのに。


「リンリン、流石ですね」


「当たり前でしょ。私を甘く見ないでよ」


 どうやらあの少女はシュンユの味方らしい。褒められて得意げに胸を張っている。

 一方でアイラは、頼みの綱を奪われた上に味方も幻だったことが判明し、一気に絶望の底へ叩き落とされていた。


「嘘……」


 おそらくあの少女、リンリンの能力によって幻影を見ていたのだろう。カワキリの車も幻だったに違いない。だが、今更そんなことに気がついてももう遅い。


「おい、しっかりしろ!」


 クックの励ましも、虚しく響くだけだった。


「さあ、これで勝てないことは分かったでしょう? 残りの輝紅石も差し出してもらいましょうか」


「勝てないだと?」


 クックは茫然自失とするアイラを庇うように、シュンユの前に立ちはだかった。彼はまだ戦うつもりらしい。


「クック、もう逃げて。あなたは輝紅石を奪われてしまうと死んでしまうでしょ!?」


「私は不死身だ……エリーを見つけるまではな」


 武器を失い、片腕は酷い凍傷。それでも敵に立ち向かう姿を見て、誰が彼を止められるというのか。


「奴は私が倒す。お前は女の子の方を頼む」


「……分かった。でも、死んじゃダメだからね」


「当然だとも」


 アイラはシュンユをクックに任せて、リンリンから滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を取り戻すことを決めた。取り返してからは携帯端末で連絡を取って合流する。


「リンリン、それを持って先に行ってください。僕はこの男を倒さないといけません」


「分かった。大丈夫だよね?」


「僕は負けません。リンリンこそ捕まらないでくださいよ」


「当たり前でしょ!」


 リンリンはそう言うと、子どもとは思えない身のこなしで夜の闇へと消えた。アイラもそれを追って行ってしまった。

 残されたのは二人の男。一方は既にボロボロで、勝敗など誰の目にも明らかに思えた。


「加減はしませんよ」


「さっさとこい」


 そこから一方的な蹂躙が始まった。クックは何度も棒で打ちのめされ、どんどん痣だらけになっていった。普通の人間ならば死んでしまうような強打を何度も受けた。それでも、彼の持つ輝紅石の力によって死ぬことはなかった。クックが死ぬのは輝紅石そのものを奪われてしまったときだけだ。

 シュンユは攻撃を続けながらも、クックが何処に輝紅石を隠し持っているのか探していた。それさえ奪ってしまえばシュンユの勝ちだ。


「はぁ、はぁ」


 痛みと寒さで上手く呼吸が出来ない。霜焼けのような症状が全身に出ていた。不死身とはいえ、受ける痛みは普通の人と変わらない。


「苦しそうですね。大人しく輝紅石を差し出せば、その苦痛からも解放されるのに」


「私一人が先に逝くことなど許されない。エリーを見つけ出すそのときまで、私が解放されることなどないのだ」


 クックは再びシュンユめがけて殴りかかる。シュンユはそれを避けてクックを棒で殴る。先程からその繰り返しだった。意外にも、その中で精神的に消耗していたのはクックではなく、シュンユだった。

 何度打ちのめそうが立ち向かってくる相手と終わりの見えない戦いを繰り広げるのは、想像以上に苦痛だった。

 いくら棒でボコボコにしても、凍らせても燃やしても倒れないクックに恐怖すら覚え始めていた。

 早くその力の根源を奪い取らねばならない。この戦いを終わらせたい。


「どうした? お前が探しているのはこれか?」


 クックはそんなシュンユの動揺を見透かして自分の輝紅石を手に持ち、掲げた。


「わざわざ自分から晒してくれるとは。これで終わりです!」


 輝紅石を掲げた手を目掛けて、棒を叩きつける。しかし、その攻撃は成功しなかった。

 クックが襲い来る棒を掴んだのだ。


「馬鹿な……さっきまで一度も避けられなかった僕の攻撃を見切れるはずがない」


「たしかに、そうだな。腹立たしいが、私はお前の攻撃を見切れなかった。だが、何処に攻撃がくるか分かれば話は別だ」


 ニヤリと笑みを浮かべる。


「お前が焦り始めて、攻撃が単調になり始めたタイミングでそうしたのだ。年季が違うぜ」


「……っ!」


 なんとか掴まれた棒を振りほどこうとするが、それもできない。恐ろしい執念だ。


「ならば、その棒先ごと熱を奪い尽くすまでです!」


「そうはさせんぞ!」


 クックは棒を掴んでいない方の腕で、シュンユの首を捕らえた。その首に渾身の力を込める。身体中の熱を奪われて凍ってしまうのが先か、シュンユの意識が落ちるのが先かの勝負。

 最後に立っていたのは誇り高き英国海軍航海士、ジェームズ・クックだった。


「はぁ……マジでやばかったぞ」


 立っているのもやっとだ。身体中の細胞が痛みの絶叫を上げている。それは輝紅石の力で少しずつ収まっていくだろう。

 しかし、ゆっくりしてはいられない。アイラに連絡して合流せねばならないのだ。彼女は滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を取り戻せたのだろうか。


「取り敢えず連絡するか。しかし、このスマホとかいうやつ、どうやって使うのだ?」


 キンキンに冷えたスマホを持って、首を傾げる。そもそも壊れているのではないかという疑問が頭をよぎる。


「仕方がない。この小僧を置いて行く訳にもいかんしな」


 シュンユと灯火の盗人(ナズナ・キャッチ)を背負い、アイラを探すことにした。


「いたぞ!」


 誰かの声が聞こえて振り返ると、そこにはジャックとアイル、そして見慣れない三人が居た。

 どうやら自分たちを探しに来てくれたようだ。


「お前たち、遅かったではないか。もう敵を倒してしまったぞ。それよりそこの三人は誰だ?」


「また後で詳しく話す。姉貴は何処にいるんだ?」


「奪われた滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を取り戻すために、女の子を追っている」


「なんだって? じゃあ早く見つけないと……」


「おい、落ち着け。携帯で連絡が取れるだろ?」


 アイルが電話をかけると、すぐに繋がった。既に女の子を捕らえてこちらに向かっているようだ。


「離しなさいよ!こんなことしてただじゃ済まさないわよ!」


 しばらく待っていると、女の子を連れたアイラが戻ってきた。ようやく全員が合流できたのだ。

 リンリンは倒されたシュンユを見て、血相を変えた。


「シュンユ! 大丈夫!?」


「うぅ……リンリン? すみません、負けてしまいました」


 シュンユは呼びかけられて目を覚まし、力なく微笑んだ。


「ちょっといいかな? いろいろ話が長くなりそうだし、とりあえず全員安全な場所に移動しない?」


 それまで沈黙を保っていたトムがみんなに提案した。

 全員それに賛同し、トムの後に着いて行くのだった。







 アイラ達はトムが空き地に用意した家のリビングにいた。トムの自宅らしいが、ホームシックになったときいつでも帰れるように宇宙の(ハルシャギク・)隙間(ディメンション)でいつも持ち歩いているそうだ。

 クックとアイラにはすでにマルクス達が同行することになった経緯は伝え終えていた。

 あとは、シュンユとリンリンからアジア支部の情報を得るだけだ。


「君たちはアジア支部の行使者だよねえ。レイの行方を知ってたら教えて欲しいんだけど」


「さあ、分かりませんね。僕たち二人は他の組織員とはほとんど関わりがないんです」


「そんなことよりも、この縄をなんとかしなさいよ!」


 丁寧な物腰のシュンユと対照的に、リンリンは今にも噛みつかんばかりの剣幕だ。


「あなた達の目的は一体何なんですか?」


「私たちの目的は、全ての輝紅石を集めて封印することよ。そしてまず、小鳩グループを潰すことが第一の目標よ」


 説明し終えると同時に、シュンユの携帯が鳴り始めた。


「出ろ」


 ジャックが余計なことを喋らないように、シュンユの頭に銃口を突きつけながら縄を解き、命令した。


「シュンユです」


 それからしばらく、通話が続いた。その間にシュンユの表情はどんどん暗くなっていった。


「相手は?」


「小鳩グループの会長、コバト リュウジです。マサシが殺されました。僕たちに疑いがかかっているようです」


「マサシが死んだ?」


 ジャックは驚きを隠せないといった風に聞き返した。


「おい、マサシとは誰のことなのだ?」


 シュンユはマサシと、自分たちについての話を始めた。

 チュウゴク南部の貧しい農村出身のシュンユは、幼い頃からひもじい思いをしながらも、両親とともに幸せに暮らしていた。

 だが、ある日突然、村に輝紅石があるはずだと紅主連盟の役人がやってきた。

 彼らは畑を荒らし、家を壊して探し回った。そしてシュンユの父親が持っていることが分かったときには、村はボロボロになっていた。

 シュンユの父親は血石戦争を生き残った祖父から灯火の盗人(ナズナ・キャッチ)を受け継いでいたのだ。もう二度と、邪な目的のために使われることのないよう、隠しておくのだと言われていた。

 役人達は隠していた罰として、シュンユの両親を村の中央の広場で処刑した。見せしめのためにわざわざ人を集めて行ったのだ。

 シュンユはその光景を見て怒り狂った。村の人々が止めるのも聞かずに、役人から灯火の盗人(ナズナ・キャッチ)を奪い取った。

 その後のことはよく覚えていないが、気がついたときには役人たちは白く凍り付いているか、黒焦げになっているかのどちらかだった。

 どちらも共通していたのは死んでいるということだった。

 それからシュンユは村を出て、盗みをして日々を食いつなぐようになった。

 シュンユとリンリンが出会ったのはその数年後のことだ。アジア支部の本拠地であるペキンの街で、父親が失踪して母親も病気で亡くしたリンリンは、孤児となってスラムを彷徨っていた。

 彼女はどういう経緯で手に入れたのかは不明だが、No.85の輝紅石、背徳の(デンファレ・)(リグレット)を所持していた。見た目は綺麗な髪留めだ。

 その能力は、対象の人にその人が現在、最も価値があると考えている物の幻影を見せるというものだった。アイラがカワキリの車やアイルの幻を見たのはこの能力のせいだった。

 ちなみに、滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を奪ったときは、アイラが一番それを取り返そうとしていたため幻影を見せられなかった。だからあっけなく捕まってしまったのだ。

 しかし、通常は人を惑わす強力な能力だ。リンリンはそれを駆使して、幼いながらなんとかスラムを生き抜き、失踪した父を探していた。

 シュンユは父親を探し続けるリンリンを不憫に思い、一緒に行動するようになった。シュンユ自身、仲間が欲しかったのかもしれない。

 さらにその数年後、二人は盗みに失敗し、紅主連盟に捕まった。そこでマサシと出会ったのだ。彼は小鳩グループの活動報告のために、たまたまペキンを訪れていたのだ。

 捕まった二人を見て、彼らを見逃すよう上に請け合ってくれたのだ。さらに、行使者である二人をクリムゾン・クストスに勧誘してきた。

 自分の両親を殺した紅主連盟のためにはたらくのは嫌だったが、多額の給料を貰える上に今までの盗みやその他諸々の違反を無かったことにしてくれると言われ、その誘いに乗ることにした。

 だが、マサシが二人を助けたのは誰にも言えないある頼みがあったからだった。彼の父親である、コバト リュウジの実験を止めるために、何かあれば協力してほしいというのだ。

 リュウジの実験とは、実の娘を使った人体実験だった。つまり、マサシの妹だ。

 その内容は輝紅石を体内に取り込むことで、どのような影響が出るのかを調べるというものだった。

 最初は適当な被験体を使って実験していた。人によって、体内に取り込んだ時の影響はバラバラだった。

 身体が力に耐えきれずに、ドロドロに崩れてしまう者もいたし、上手く力を取り込んで若返る者もいた。

 リュウジは安定してその若返りを行うためにどうすればいいかを模索した。

 そして、一つの結論にたどり着いた。血縁関係にある者同士では、似たような影響が出やすいのだった。

 そこでリュウジは実の娘を実験に使うことにしたのだ。

 マサシがその実験に気が付いたのは妹に異変が起きたからだった。初めのうちは言葉がうまく出てこなかったり、つまづきやすくなったりと些細なことだった。それが最後には喋ることもままならず、歩くことすらできない乳児のような状態になってしまったのだ。

 やがて妹はどんどん衰弱し、死んでしまった。

 リュウジはそれでも実験をやめなかった。娘の細胞から何十体ものクローンを生み出し、うまく若返る方法を探し続けた。その過程で何人ものクローンが異形と化し、死んでいった。

 マサシは妹の魂をこれ以上愚弄させないために、リュウジを止めようとしていたのだ。

 シュンユはできる限りのことをすると約束した。


「そして今、そのマサシが死んだとリュウジから連絡があった。リュウジは僕たちを探しているようです。恐らく、マサシを殺した濡れ衣を着せて始末するつもりでしょう」


 遂にマサシが実験をやめさせようとしていたことがバレてしまい、リュウジは実の息子にまで手を下したのだ。そして次はマサシに協力していたリンリンとシュンユを抹殺しようとしている。


「じゃあ、あなた達これからどうするの?」


 アイラの問いかけに、シュンユとリンリンはしばらく押し黙ったまま何も言わなかった。

 躊躇っているのだろう。これから小鳩グループ、ひいてはアジア支部を裏切ることを。


「僕達はマサシから受けた恩を返さなければならない。あなた達が小鳩グループを潰せば、実験も止まる。だから……」


「私達はあんた達に協力するわ。でしょ?」


リンリンが分かっているといった様子で、シュンユの言葉を繋いだ。二人の間には相当な信頼関係があるのだろう。


「はい。どちらにしろ命を狙われることに変わりはありません。だったら、一矢報いたほうがいい」


 こうして、シュンユとリンリンが小鳩グループを潰すという目的のために、仲間となった。


「ちょっと、ちょっとマルクス」


 話し合いが進む中、トムがマルクス以外に聞こえないよう声を潜めて話しかける。


「なんだ」


「なんか話が変わってきてない? レイを倒すだけのはずが、このままじゃ小鳩グループを潰すのにも付き合わされそうじゃん!」


「それはそれで悪くないな」


 不敵な笑みを浮かべるマルクス。彼にしてみれば、本部に次ぐ規模のアジア支部に打撃を与えられるのであれば、それはそれで良かった。


「そんなこと言ってる場合ではありませんよ。彼らを野放しにするつもりですか?」


 暴走気味の上司を落ち着かせようと、ジェシーも必死になって説得する。流石にこれ以上命令を無視して行動するのはまずい。


「そうだよ。レイを倒したら、すぐにこいつらを捕まえて本部に帰る。そうするべきだって」


「分かっているさ。ほんのジョークだよ」


 マルクスは熱くなりすぎるところがある。ジョークだったかは怪しいが、ひとまず引き下がってくれそうだ。


「みんな聞いて! 流石にこの人数で行動するのは目立つから二手に分かれようと思う」


 アイラが中心に立ってそう言った。異論のある者はいなかった。二手に分かれた方が効率も良い。

 カワキリを追うチームと、小鳩グループ本社に直接向かうチームに分かれることになった。

 カワキリの護衛に、四剣豪であるレイがついている可能性があるので、カワキリチームはトム、ジェシー、マルクス、アイラ、アイルとなった。それ以外の本社チームは先に本社に向かい、会長のリュウジを引きずり出す。

 作戦が決まり、明日から行動開始ということになった。明日からに備えて、全員早めの床に着くのだった。







「マサシめ、こそこそ何かしていると思ったら私の邪魔をしようとしていたとは」


 リュウジは苦々しく呟き、椅子にもたれかかった。

 実験はリュウジにとって最も価値のあることだ。それを邪魔するものは例え家族であろうと容赦はしない。

 シュンユとリンリンの始末には四剣豪の一人を向かわせた。シュンユは強い。用心するに越したことはない。

 わざわざシュンユに連絡をくれてやったのはどうせマサシが死んだことはすぐに伝わるからだ。万が一でもシュンユが本社に戻ってくる可能性に掛けたが、それは上手くいかなかった。

 リチュンからの連絡によれば、アイラ達を追って、紅主連盟本部の奴らもニホンに上陸したらしい。

 悩みのタネは尽きないが、四剣豪が負けることはまず考えられない。

 それだけが心の救いだった。

 リュウジはゆっくりと目を閉じて一時休息を取るのだった。






 トムの家で、リビングに毛布を敷いて全員雑魚寝していた。みんな穏やかに寝息を立てている。

 起きているのはアイルだけだ。隣では姉が寝言を呟いている。気持ちよさそうに眠っているのを起こすのは申し訳なかったが、今しかない。姉の肩を揺らして小さな声で起きるよう呼びかけた。


「ん、何?」


 安眠を妨害されて明らかに不機嫌な声だ。


「悪い、ちょっと話しておきたいことがあるんだ」


「どうしたの」


「トム達のことなんだけど、レイを倒した後、奴らはまた俺たちを捕らえようとしてくるはずだ」


「うん」


「だから、レイを倒した後どうするか相談しておきたいんだ。マルクスの能力もイマイチよく分からないし、嫌な予感がする」


 アイラは眠そうに目を擦っていたが、話を聞いて覚醒したようだ。


「大丈夫。そのことについてはちゃんと考えてる」


 いつにも増して得意げな表情だが、アイルはそれに嫌な予感を覚えた。


「きっとレイを倒した後は消耗しきっているはずだから、そこを狙い撃ちするの。そうすれば、奴らの輝紅石も手に入って一石二鳥でしょ?」


「そんなに都合よくいくとは思えない」


「でも、今からどうしようって悩んでもどうしようもないでしょ?」


 たしかにそうだ。レイとどのような状況で戦うことになるかはまだ分からない以上、倒した後のことも考えられない。


「分かったよ。取り敢えず、レイを倒したら奴らも倒すってことだけは決めておこう」


「うん。じゃ、おやすみ」


 そう言いながら、アイラが頭を撫でてきた。


「もう、子供扱いしないでくれ」


「はいはい」


 適当な返事をして、今度こそアイラは寝てしまった。

 子供扱いしないでくれと言ったが、撫でられて少し嬉しかったのも事実だ。だが、嬉しかったことに対して苛立ちというか、焦りというか言葉にし難い感情もあった。

 アイルはそんな奇妙な感情を抱いて、眠りにつくのだった。







 カワキリ カイ三十四歳。三年前までは平凡な会社員で、妻と息子一人の一般的な家庭を築いていた。

 今年で五歳になる息子の成長を見守るのが何よりもの幸せで、自分の人生に満足していた。日々の緩やかな変化が好きだった。

 そんな彼の人生が変わった日は、いつもどおりの何気ない一日だった。会社の健康診断の結果について伝えることがあると上司に呼び出されるまでは。

 実際は健康診断など嘘で、輝紅石の適性を見極めるための検査を受けさせられたのだった。小鳩グループは情報処理のために絡み合う記録(ポピー・ジーン)の行使者を探していたのだ。

 そこで高い適正を示したカワキリは、その日から行使者として小鳩グループに貢献することになった。

 給料は今までの十倍以上、絡み合う記録(ポピー・ジーン)での仕事を終えればすぐに帰宅できる。休みも増えた。

 金に困ることもなくなったし、欲しいものもすぐ買えるようになった。しかし、カワキリは今の生活が好きではなかった。

 二十四時間いつでもどこでも護衛が付いて回る。休みでも外に出るのが億劫になり、引きこもりがちになっていった。家にいても護衛がいるせいで、家族との会話も減った気がする。

 あの平凡な日常に戻りたい。それがカワキリの唯一の願いだった。

 最近では護衛につく人がシミズ レイという女性に代わったが、カワキリにとっては誰でも同じだ。

 なんでも、絡み合う記録(ポピー・ジーン)が狙われているらしい。

 いっそのこと奪われてしまえば、楽になれるのにと思うが、それは口が裂けても言えない。

 カワキリは憂鬱な気分を抱えたまま、今日も仕事に出かけるのだった。


「ほんじゃあ、行ってくるわ」


 家を出るときのお決まりのセリフだ。毎日妻に向かって同じ言葉を言う。妻はそれに対して行ってらっしゃい、と機械的に返すのだ。


「出てくれ」


 車に乗り込むと、運転手にそう告げる。これも毎朝同じ流れだ。

 ただ一つ違う点は昨日まで護衛をしてくれていた男の代わりに、無愛想な女が同行していることだ。


「なんで今日から護衛の人が変更されたんですか?」


「前任者から聞いたと思うけど、あなたの輝紅石が狙われてるの。大した奴らでもないけど、念のために私達四剣豪が護衛を務めることになったのよ」


 窓の外を眺めたまま表情一つ変えない彼女を見て、カワキリは溜め息をついた。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。自分はただ、普通の生活がしたかっただけなのに。


「はぁ、なんでや……」


 手の内にある輝紅石を眺めて、もう一度溜め息をついた。








「あれがカワキリの自宅か」


 午後七時、カワキリの車を追跡して遂にその家を突き止めた。本社を目指すチームとは今日の朝に分かれていた。

 カワキリの自宅は閑静な住宅地にある、百坪を優に超える豪邸だった。丘の斜面を切り開いて作られた住宅街の為、緩やかな坂道が続いている。

 アイル達は二軒ほど離れた坂の上側からカワキリの家を観察していた。一階だけが明るい。リビングで食事でもしているのだろうか。

 どう行動するかは既に打ち合わせている。

 まず最初にアイルとアイラの二人が家に侵入してカワキリを襲う。護衛が出てきたところでマルクス達が介入し、その護衛を倒す。

 護衛がシミズ レイならマルクス達の目的は達成される。もし違ったとしても、レイの情報を聞き出せるかもしれない。

 レイを倒した後、マルクス達は一度本部に戻るらしい。彼らの言葉をどこまで信用していいかは分からない。二人を油断させるための作戦かもしれないからだ。

 アイル達の作戦は依然同じ。レイを倒してすぐに、マルクス達も倒す。今はお互いに協力しているが、その実、相手の腹を探り合う状況だった。


「じゃあ、私たちは先に行こう」


「ああ」


 二人はマルクス達を残し、カワキリ邸へ向かった。家の周りは高い塀で囲われていて、正面にしか入り口はない。大きな門があり、その横には車が数台入りそうなガレージがある。

 門は閉じられている。人通りは少ない。二人は塀を乗り越えることにした。

 アイラがリュックからルーズリーフを取り出した。


「これで階段を作る。滅亡への恋(ディストピア・ローズ)


 紙の時間を空中で止める。一段登ってまた止める。それを繰り返して塀を乗り越えて、庭に侵入した。

 用が済んだ紙の階段は時間停止を解除することでバラけて夜空に舞い散り、そこには何も残らない。


「うまくいったな。これからどうする?」


「カワキリさえ押さえてしまえばこっちのものよ。派手にやらかして護衛を誘き出す。でも、中に侵入するまでは慎重に行くから、ついてきて」


 窓から溢れる光を避けて庭を進み、明かりの付いていない部屋の窓に近づく。窓はしっかりと施錠されている。割れば大きな音がして勘付かれ、逃げられるかもしれない。


「任せて。やったことない使い方だけど、出来る気がする」


 アイラはその窓を滅亡への恋(ディストピア・ローズ)でつついた。次に錠に近いガラス部分を思い切り突いた。

 ガラスに腕一本通る程度の小さな穴が空いた。音も大きくない。


「どうやったんだ?」


「割った部分以外の時間を止めてたの。時が止まっている部分は割れないけど、止めていない部分はこんな風に割れるでしょ?」


 そう言いながら穴に手を突っ込み、クレセント錠をひねり、施錠を解除する。二人は部屋の中へ侵入することに成功した。

 入った部屋はどうやら寝室のようだ。ベッドが中央に設置されている。奇しくも、レイと初めて戦ったホテルの部屋とよく似ていた。

 ドアの下にある隙間から、廊下の光が僅かに差し込んでいる。

 二人が廊下に出ようと動き出したときだった。


「そこまでよ」


 部屋に明かりがつき、二人の背後から聞き覚えのある声が聞こえた。振り返るとそこにいたのはやはり、パルコとラムサを殺した張本人、シミズ レイがいた。


「残念だけど、ここで死んでもらうわ。カワキリ一家はすでにこの家を脱出したから諦めることね。あなたたち二人はこの場所に誘い出されていたのよ」


 すでに刀を抜いて戦闘態勢のレイが淡々と事実を告げる。

 カワキリに逃げられてしまったのもまずいが、それよりもまずいのは、マルクス達がそちらを追って行った場合、二人でこのシミズ レイの相手をしなければならないということだった。

 再び対峙して感じるのは圧倒的なプレッシャーと恐怖だった。しかし、それを跳ね除けて立ち向かっていくだけの理由が二人にはあった。


「姉貴……」


「ええ、やるわよ」


 パルコとの約束を果たす時が来たのだ。







「ジェシー大丈夫? 船のときもきつそうだったし俺が運転しようか?」


 助手席に乗ったトムが尋ねる。二人はカワキリ邸から出た車を追っていた。アイラとアイルはマルクスに任せてこちらに来たのだった。


「心配そうな顔をするな。お前に運転させる方がよっぽど心配だ」


「酷い! 俺だってちゃんと免許持ってるのに」


「関係ない。お前の運転する車には二度と乗らないと決めているからな」


 二人は数年前、南米を拠点にする行使者を中心としたマフィアを偵察するという任務についたことがあった。

 そのときはパルコも一緒に任務についていた。まだ新人だった頃のパルコがヘマをしたせいで全員見つかり、トムの運転する車で逃走することになったのだ。

 そのときの運転はまさにジェットコースター。入り組んだスラム街を最高時速でぶっぱなし、命からがら逃げ出したのだった。そんな彼らの命がけの偵察のお陰で、組織を牛耳る行使者を見つけ出し、マフィアを崩壊させることができた。


「あのときは仕方ないじゃん。いつもは至って安全運転だよ」


「ふっ、どうかな」


「今ちょっと笑ったよね!? もしかして、それを分かってて俺をからかってるでしょ?」


「任務に集中しろ」


「話をそらした!」


 カワキリの車は高速道路に乗った。怪しまれないように少し離れて追跡しているため、車内の様子は分からない。

 車の運転手とカワキリの一家、そして護衛がいるはずだ。トム達はその護衛がシミズ レイかもしれないと考えていた。


「一体何処へ向かうつもりなんだ?」


「うーん、オオサカを離れるつもりみたいだから、本社のあるトウキョウに向かうんじゃないかな? 小鳩グループにしてみればカワキリには働き続けてもらわないと困るはずだからねえ」


「ここから車でトウキョウだと? どれくらいかかるんだ?」


「そうだねえ。地図を見る限りでは、いまいるハンシン高速を抜けて、メイシン高速に向かう。そこからさらに新メイシン、イセ湾岸自動車道、新トウメイ高速、トウメイ高速を通って……」


「よく分からん。結局どれくらいの時間がかかる?」


「多分六時間以上……」


「六時間!? なんとかならないのか?」


「無理だよ。しんどくなったら代わってあげるから頑張るしかない。それとも俺の運転は嫌かい?」


「くっ……」


 からかい合いにおいてはトムが一枚上手だった。ジェシーの悔しそうな顔を見てトムは得意になって頷くのだった。


「マルクスの方は多分大丈夫だと思うけど、後で連絡はしておくか」


 こうして二人はトウキョウに向かうカワキリとその護衛を追い続けることになった。カワキリの車がサービスエリアで休憩するタイミングで二人も休憩を取り、時々運転を交代した。

 追跡を始めて二時間ほどしたとき、突然カワキリの車が速度を上げた。


「気づかれたか? こちらもスピードを上げるぞ」


「ちょっと待ってジェシー。多分バレてはいないよ。ここでスピードを上げたらそれこそ追跡してるのがバレバレだ」


「でも見失ってしまうぞ」


「運転代わって!」


「ちょっと! 危ないだろ!」


 トムが無理やり運転席に移り、ジェシーを助手席に座らせた。彼は運転しながら、宇宙の(ハルシャギク・)隙間(ディメンション)で透明なナイロンの糸を取り出して、それをジェシーに渡した。


「バレないギリギリの速度で追うから、意思無き支配(エゾギク・コネクタ)でそれに神経をつないでカワキリの車まで届かせるんだ。そこからさらに車に神経を接続して、気付かれない程度の不調を起こして速度を下げさせよう」


「ふん、任せろ」


 窓を僅かに開けて、支配された糸の先をカワキリの車目掛けて飛ばす。しかし、透明な糸は車のライトを反射して想像以上に目立ってしまった。

 あと少しで届くというところで気付かれ、車はさらに速度を上げてトム達から遠ざかった。


「おい、結局気付かれてしまったぞ!」


「あちゃー、黒い糸にしとくべきだったか」


「呑気なことを言っている場合か! どうするんだ!?」


「仕方ない。こっちも全速力で追うしかないねえ」


 トムはアクセルを思い切り踏み込み、車を一気に加速させた。何度も車線を変更して前の車をごぼう抜きにしていく。ジェシーの脳裏にはあのときの体験が蘇っていた。


「結局こうなるのか……」


 真夜中のカーチェイスが始まった。しかし、カワキリの高級車に対して、トム達が乗っているのはそこらへんでパクった乗用車だった。

 相手は最低でも五人乗せているとはいえ、性能の差は明らかだ。


「おい、無茶はするなよ!」


「無茶しなきゃ引き離されちゃうよ!」


 そんな必死なトムに、希望の光が差した。電光掲示板の、この先二キロ渋滞の文字が目に飛び込んできたのだ。


「よし!これで追いつけるはず……」


 遠くに車の列が見えてきた。そこでカワキリの車も止まるかに思われた。しかし、カワキリの車は二人の想像を超える動きをした。

 車をスピンさせて方向転換し、こちらに突っ込んできたのだった。


「嘘だろ……」


 猛然とこちらに突っ込んでくるその車を見て、流石のトムも頭が真っ白になった。左側は壁、右側は大型トラックが走っている。避けることは不可能だ。どんどん大きくなるヘッドライトの光を見つめることしかできない。


意思無き支配(エゾギク・コネクタ)!!」


 ジェシーが車を飛行機のような形に変形させた。その飛行機もどきはそのまま道路を離れ、宙に浮いた。カワキリの車はその真下を猛スピードで通りすぎて行った。ギリギリのところで衝突を免れることができたのだ。


「危なかった……。助かったよジェシー」


「だから、お前の運転は嫌なんだ。このまま奴らを追うぞ」


 飛行機もどきを操り、空中から暴走を続ける高級車を追いかける。すでに高速を降りて、一般道路に逃げ込んだようだ。路地に入られると空中からでは探しにくい。


「車に戻る」


 ジェシーは車を着陸させ、変形を解いた。その後も逃げ続けるカワキリ達を追い続けようとしたが、見失ってしまった。


「やっちゃったねえ。とりあえずここはどこだ?」


「工業地帯のようだな。工場がそこかしこに並んでる」


 夜の工場で、カワキリの車を探し回った。

 工場の光がイルミネーションのように光り輝いている。煙がその光を受けて白く立ち昇っている。その様はまるで、巨大な生物が目を光らせて呼吸をしているようだった。


「なかなかロマンチックだ。そう思わない?」


「いいから車を探せよ」


そんなやり取りをしながらも油断することなく、車を探し続けていた。ここで断っておきたいのは、トム達は最大限の警戒をしながら運転していたということだ。追跡に気づかれた以上、カワキリの護衛から攻撃を受ける可能性は十分にあった。だから不意打ちにも対応できるように、常に気を張っていたのだ。

 それでも、その時はあまりにも唐突だった。ジェシーがトムに返事をした瞬間、二人は爆炎とともに宙を舞っていた。

 車の通った地面が、地雷を踏んだかのごとく大爆発を起こしたのだ。

 トムは割れた窓から車外へ吹き飛ばされ、四、五メートルほど離れた場所に落ちた。


「ジェシー!!」


 ジェシーがまだ、車に取り残されている。地面に打ち付けられた痛みを感じるよりも先に、身体が動いていた。異空間から大量の水を取り出し、燃え盛る車を一気に鎮火した。

 車は黒く焼け焦げ、その骨格だけが残っている。


「ジェシー! ジェシー!」


 何度名前を呼んでも返事が返ってくることはなかった。駆けよって車の中を覗くと、灰となったシートの上に人の形をした黒い塊が横たわっていた。その首元には無傷の意思無き支配(エゾギク・コネクタ)が美しく輝いている。


「っ、馬鹿野郎……」


 トムが助かったのは爆発の瞬間にジェシーがシートを操って、彼を車外に放り出したからだった。そのせいで、自分の脱出が遅れてしまったのだ。

 涙は出なかった。今まで仲間の死を何度か見てきたお陰で、感情的になって我を忘れることもなかった。

 しかし、ジェシーは今まで誰よりも長く一緒に仕事をしてきた仲間だった。トムにとって家族と同じくらい大切な存在だった。


「おやおや、虫けらが一匹生き残ってるな。あの爆発で無傷だなんて運がいい奴だ」


 トムの前に現れたのは色白で目の細い男だった。トムを挑発するような笑みを浮かべている。その腰には紅い刀がぶら下げてあった。


「これは……君の仕業かい?」


「そう。俺は四剣豪の一人、ワンバオだ。お前のことは知っているぞ。紅主連盟本部の行使者、トムだろ。

 残念だが、カワキリはすでにトウキョウに向かっている。俺だけが車を降りてお前達を殺しにきたんだ」


「四剣豪か。だったら今日から名前を三剣豪にしないとねえ。今からここで一人、死ぬんだから」


 ワンバオはその言葉を聞いて吹き出した。心底おかしいという風に笑い続けた。


「それってアメリカンジョークってやつか? なかなか面白いじゃないか、褒めてやる。おっと、動くなよ。今動けばお前の周りを爆発させる」


「君の能力かい? それなら有名だから知ってるよNo.95の輝紅石、焔華(アジサイ)。斬った所を爆発させる大味な能力だ」


「それは正しくない。焔華(アジサイ)の能力は斬った物質を熱エネルギーに変換するものだ。一気に熱エネルギーに変換すれば爆発が起こるし、ゆっくり変換すれば、あらゆるものを燃料に変えられる。

 質量を全て熱エネルギーにすれば、原子爆弾のようなものさ。まあ、そんなことしたら俺も死んじまうから加減が難しい能力だ。つまり繊細なんだよ。

 お前の周りの地面や壁はあらかじめ斬りつけておいたから、いつでも好きなタイミングでお前もろとも爆破出来る。お前に勝ち目なんてないんだよ」


「はいはい、長話お疲れ様。じゃあ死んでもらおうか」


 トムは機関銃を取り出してワンバオに照準を合わせた。


「話聞いてたのか? お前は引き金を引く前に爆発して死ぬ」


「足元を見てみな」


 ワンバオの足元には透明な液体が流れていた。話している間に、トムが気づかれないよう異空間からガソリンをそこら中に垂れ流していたのだ。

 もし爆発が起これば、間違いなくワンバオも炎に包まれることになる。


「クソがっ!」


「いい顔だ。じゃあいくよ、ハイ、チーズ」


 静かな怒りに身を任せ、トムはワンバオに向かって機関銃をぶっ放した。






 山道の途中、大破した車が大木を捻じ曲げて黒煙を吐いている。この車はジャック達が乗っていた車だった。

 小鳩グループの刺客から見つからないように高速道路を避けてトウキョウを目指している途中だった。

 朝から調子良く運転していた。なのに突然、車のコントロールが効かなくなり、事故を起こしたのだ。日はすでに高く昇っている。


「おかしい。こんなところが壊れてる……」


「お前が運転をミスったのではないのか?」


「違う。これは明らかに誰かに攻撃された跡だ」


「とにかく全員無事でよかったです。ここを離れましょう」


「離れるってもしかして歩くの!? 嫌だよー」


 シュンユが黙ってリンリンをおんぶした。狙われている以上、子供の駄々に付き合っている暇はない。しかし、こんな風にシュンユが世話を焼くせいでリンリンがわがままになったともいえる。

 三人は嫌な予感を抱きつつも、山を越えるために舗装されていない道を歩き始めた。二十分ほどかけて坂道を登っていくと、少し開けた場所に出た。どうやら山頂のようだ。おんぶされたリンリンはお気楽に眠っている。

 山頂には先客がいた。年齢的にはリンリンより少し上程度の少年が、待ち構えるようにして立っていたのだ。


「シュンユ、久しぶりだね。会えて嬉しい。だけど、君を殺さなきゃいけないからそれは悲しいな」


「チョウラン、あなたがここに来るとは……」


 シュンユはこの少年と知り合いのようだ。だが、両者とも再開を喜んでいる風には見えない。シュンユに至っては額に脂汗を浮かべている。


「お前、奴を知っているのか? 私にはただの小僧にしか見えんが……」


「油断しないで! 彼は四剣豪の一人です。彼の持つNo.97の輝紅石、翠華(スイレン)は二本の短剣で、それを自在に操ることが出来る」


 リンリンが目を覚ましてシュンユの背中から降りた。彼女もすぐにその場の状況を理解したようだ。


「すみません。リンリンを頼めますか?」


「おい、何をするつもりだ?」


「彼は強い。全滅の恐れもあります。僕が彼を食い止めている間に先へ行ってください。後で必ず追いつきます」


 チョウランの相手を一人でするつもりのようだ。チョウランの強さを知っているからこそ、仲間を巻き込みたくないのだろう。


「それは駄目!」


 一番最初に反対の声を上げたのはリンリンだった。彼女はシュンユのすぐ隣に立ち、キッとチョウランを睨みつけた。


「そうだな、全員で戦った方が勝率は高いはずだ。お前一人を残していく訳にはいかない」


「私もジャックに賛成だ」


 結局、全員でチョウランに立ち向かうことになった。どちらにしろ本社にたどり着くためには彼を倒さなければならない。

 それぞれが武器を構えて、立ち塞がる少年に立ち向かっていくのだった。







 〜クリムゾン・ストーンについての手記 その2〜


 今日はクリムゾン・ストーンに書かれていた内容について書き記そうと思う。

 クリムゾン・ストーンに書かれていたのは輝紅石の在り処とそれが力の源であるということだった。

 だが、本当にそれだけだったのだろうか。私はそうは思わない。

 紅主連盟がこぞって輝紅石を手に入れたがるのは、それが力の源であるということ以外に何か理由があるのではないか。その理由になるようなことがクリムゾン・ストーンに書かれているのではないか。

 私は輝紅石を集めることで何か新たな力を得られるようになるのではないかと推測している。謎の多い輝紅石のことだ、ありえる話だと思う。

 まだ少し時間があるか。それでは、かの有名なジェームズ・クックの持つNo.14の輝紅石、私を(ブルースター)見つけて(・ブルース)について書き記そう。

 彼の能力は船を自在に操るというものだ。更に彼は不死身と言われている。その輝紅石は二つで一つ、だからもう一つこの輝紅石を持つ者がいるはずなのだ。

 まったく、話の途中だというのにあの忌々しい足音が聞こえてきた。

 今回は短くなってしまったが、ここまでにしよう。見つかってしまうと厄介だ。

 それでは次の機会までこのノートを隠すとしよう。










 

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