表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クリムゾン・クストス  作者: 小鳥遊 雀
1/2

旅立ち

 紅い空、黒く焦げた地平。この世の終わりのような景色の中で彼は立ち尽くしていた。

  自分以外は誰もいない。建物はおろか、草木すら見つからなかった。


  「ここは?」


  「決闘場だ、互いに正々堂々と戦えるように何もない場所へ連れてきたのだ」

 

  聞き覚えのない声が不意に後ろから響いて彼は思わず振り返った。

  だが、彼の視界はそこにいるはずの声の主を捉える前にぐにゃりと歪み、やがて何も見えなくなった。



  「アイル!おい、アイル!」


  「んあ、なんだ」


  友人の声に妙な安心感を覚えながらアイルは目を覚ました。


  「もうホームルーム終わってんぞ」


  そう言って広瀬はアイルの肩をぽんと叩いた。


  「うわ、お前、寝汗かき過ぎだろ」


  アイルは自分の手で首筋あたりを触った。確かに自分でも少し引く程度の汗をかいている。


  「気持ち悪い夢を見たせいかな」


  「夢?」


  広瀬は興味なさそうに相槌を打った。


  「まあ、なんでもいいけどよ、俺ちょっと家に戻らなきゃいけない用事があるから先に帰るわ。またジムで会おうぜ」


  広瀬は父親が経営するボクシングジムの影響で幼い頃からキックボクシングをやっている。アイルは小、中学とカラテをやっていたが高校に空手部がなかった為、帰宅部だったところを広瀬に勧められて同じジムに通いはじめたのだ。

  細身で筋肉質のアイルと高身長かつゴリゴリのマッチョである広瀬は互いの体重がかなり違うので階級は別だった。


  「一旦帰って、シャワー浴びてからジムに行こう」

 

  アイルはそう呟いて立ち上がった。


  「あらアイル、帰るの?」「アイル、また明日ね」


  アイルは教室から下駄箱に到着するまでに何人もの女子生徒から声をかけられた。整った顔立ちとキックボクシングのアマチュア大会の好成績のお陰で、彼は校内ではちょっとした有名人だった。

  学校から駅まで徒歩10分、そこから自宅の最寄り駅までしばらく電車に揺られると、電車は高級住宅街として知られる田園調布に滑り込む。

  電車の中には様々な言語の吊るし広告がある。日本語、中国語、英語にハングル文字、どこの地域の文字かわからないものも沢山ある。

  アイルは様々な文化が混じり合う広告を見て、いつも複雑な気持ちになる。

  現在の西暦は2100年、急速に進む国際化と社会統一の影響で、世界は一昔前とはまるで変わってしまった。

  その背景には40年前に起きたある革新があった。

  2060年、ギリシャの考古学者と遺跡の調査チームが歴史に残る発見をした。彼らが見つけたのは有名なパルテノン神殿が築かれたアテナイのアクロポリスの地下深くに眠る巨大な石版だった。

  その石板に刻まれた血のように赤い文字はこれまでのどの時代にも存在しなかった全く未知の文字だった。それどころか放射性炭素年代測定の結果、クリムゾンストーンと名付けられたその石板は紀元前1万5000年、つまり旧石器時代から存在していることが判明した。この事実はこれまでの歴史を覆し得るものだったが、それ以上に人々の関心を引き付けたのは謎の文字で書かれた内容の方だった。

  クリムゾンストーンの解読は難航を極めたが、解読チームの中で最も若い青年がある日突然、クリムゾンストーンに触れると意味が理解できると言い出したのだ。

  初めは皆、半信半疑だった。文字に触れることでぼんやりとだが意味を理解できるという者もいれば、全く何も感じないという者もいたからだ。

  やがて、触れることで意味を理解できるかどうかは個人差があるという結論に至った。その中で最も明確に意味を理解できたのが先述の青年だったのだ。

  そして、解読された内容は次のようなものだった。


  我らは大いなる108の力の源を託そう。ここに、力の眠りし場所を示す。


  その後は意味不明な数字の羅列だったが、やがてこれは経度と緯度を示すものではないかと推測された。

 その推測の元、108の座標が示された。それぞれの座標は世界中に散らばっており、この解読内容が公表されると、各国は我先にとその場所へ調査チームを派遣した。

  一番最初に“力の源”を見つけた国はアメリカだった。カンザス州の大部分を占める大草原、グレートプレーンズに広がる小麦畑をつぶし、巨大な採掘場を作った末に見つかったそれは、カッティングされた宝石のように美しい形の真っ赤な透き通る石と、白銀に輝く細い鎖でできたネックレスのような装飾具だった。

  その後は世界中で次々に様々な形の“力の源”は見つかった。

  指輪やイヤリングといった装飾品だけでなく、剣や銃の形をしたものも見たかった。全てに共通していたのは紅い石と白銀に輝く金属でできているということだった。 見つかった“力の源”はその特徴から輝紅石と呼ばれるようになった。

  回収された輝紅石はすぐに研究が行われた。力の源とはどういう意味なのか、輝紅石は一体何でできているのか。

  研究の結果、輝紅石は人の意思に反応して巨大なエネルギーを生み出したり、奇跡としか思えないような現象を起こしたりすることが分かった。しかも起こせる奇跡はそれぞれの輝紅石に固有のものだった。

  研究者たちはなんとかこの現象の理由を説明しようと試みた。

  組成不明のこの石に巨大なエネルギーが秘められているという説もあれば、この石の光り方の具合が幻覚を見せているのではないかという説もあった。

  今、最も有力な説は、輝紅石は人の意思を触媒とし、別の場所ーー例えば恒星の中心のようなエネルギーの充満した場所ーーからエネルギーを引き出し、その力で奇跡のような現象を起こしているのではないかというものだ。

  人々はこの輝紅石がエネルギー問題を解決して、より豊かな生活を約束してくれると期待した。

  しかし、輝紅石には重大な問題があった。輝紅石の力を扱えるのが限られたごく少数の人間だけだった。

  やがて彼らは“行使者”と呼ばれるようになり、行使者たちは輝紅石を奪い合い、その戦いは世界を巻き込んだ戦争へと発展していった。

  国家は行使者たちの暴走を抑えようとしたが、結託した行使者たちに軍を壊滅させられた国もあれば、力を使わなければ一般人と見分けのつかない行使者を見つけられずに被害を拡大してしまう国もあった。

  街は壊され、略奪や侵略が世界規模で広まっていった。誰もこの戦いを止められないと人々は思った。

  だが、戦争を止めようとする行使者たちが現れた。

  彼らは民衆を導き、その絶大な力とカリスマをもって世界を驚異のスピードで再構築していった。

  多くの人が石のために血を流したという意味を込めて血石戦争と呼ばれたこの戦争はあっけないほど短期間で終結した。

  崩壊した国家に代わって法を作り、輝紅石の行使者は社会のためにその力を使うという掟を作った。

  これに反した行使者は行使者によって罰せられる、輝紅石の行使者同士が監視し合うシステム、クリムゾン・クストスの誕生だった。

  2100年現在、国という概念は存在しない。全ての地域は行使者によって構成された組織、紅主連盟とその支部によって統治されている。

  だが、全ての行使者が紅主連盟に所属しているわけではない。

  一部は企業に雇われその力を貸している。

  また行方不明になった輝紅石も存在する。そういう輝紅石の中には、裏の社会で悪事に利用されているものもあるのだろう。

  もしかしたらこの街にも行使者がいるかもしれない。そんな考えごとをしながらアイルは駅を出て、自宅へ向かった。

  賑やかな駅前を抜けるとすぐに閑静な住宅街が広がっており、通い慣れた道は丁寧に舗装されている。

  血石戦争の傷跡は世界中を探してももうほとんど見つからない。

 

  「ただいま」


  アイルは自宅の扉を開けてそう言った。帰るときは必ずそう言うのだ。


  「お帰り、アイル」

 

  二才離れた姉のアイラがリビングから玄関に顔を出して応えてくれた。


  「今日もジムに行くの?」


  「うん」

 

  「じゃあ、お腹空くと思うからこれ」


  そう言ってアイラが差し出してくれたのはおにぎりだった。


  「いつもありがとう」

 

  「今日の具はたらこだよ、これを食べ()()()うかいない練習が出来る!」


  「ああ、うん、そうだね」


  アイラがさも満足そうな顔で言うのでいつもツッコめずにいる。アイルの黒髪とは対照的な薄い金髪を揺らして笑う姉に水を指したくなかった。

  アイルに両親はいない。十年前の事故、いや事件で亡くなってしまったのだ。

  アイルの父親は日本人で母親はイギリス人だった。

  もっとも、今は日本もイギリスも存在しないが人々は今でも習慣的に昔の国名で地域を呼んでいる。

  アイルの父親は実は行使者の一人だった。その力を日本の大企業、小鳩グループに貢献して大きな富を築いていた。

  悪どいことを嫌う信頼できる人間で近隣住民との仲も良かった。

  アイルの母親は優しく、とても賢かった。家庭菜園が趣味で、庭に沢山の花を咲かせるのが好きだった。

  そんな両親とともにアイルとアイラは幸せな生活を送っていた。

  だが、ある日父親がとても怒った様子で帰ってきた。幼かったアイルにはなぜ彼が怒っていたのかは分からなかったが、覚えているのは父が非人道的だとか、これ以上協力できないと呟いていたことだけだ。

  その日の真夜中だった。アイルは隣の部屋で寝ているはずのアイラに叩き起こされた。


  「ねえ、一階から音がするんだけど」


  アイルたちの寝室は二階で、両親の寝室は一階だった。


  「父さんか母さんがトイレにでも行ったんじゃないか」


  「でもおかしいよ、いろんな部屋を回ってるような音だもん」


  耳をすますと確かに誰かが一階で歩き回り、部屋のドアを開けるような音が聞こえた。


  「泥棒とかじゃないよね」


  「だったら下で寝てる父さんと母さんを起こしに行かなきゃ」


  「待ってアイル!」


  アイラは勢いよく部屋を飛び出そうとしたアイルを小声だが、鋭く制止した。


  「もし見つかったら何をされるか分からない、先に電話で警察に連絡しよう」


  2人は焦る気持ちを抑えてゆっくりと部屋を出た。


  少し話が変わるが、血石戦争後の世界は社会の発展とエネルギー源のほとんどを輝紅石に依存しているため、科学水準はクリムゾンストーン発見前とほとんど変わらない。


  「まだ一階に居るみたいだ」


  2人は慎重に一階へ続く階段へ向かった。

  電話が置いてあるのは一階のリビングだ。子機は二階にもあるが、そのときは故障していて使えなかった。

 

  「しっ、ちょっと待って」


  アイルが階段を下りかけたときだった。足音が階段へ向かってきた。


  「アイル、部屋に戻ろう」


  「戻っても見つかるよ」


  「屋根裏部屋に隠れよう」


  アイラの部屋からは屋根裏部屋へ行くことができた。

  2人は音を立てないよう気をつけながらアイラの部屋まで移動した。


  「ここを引っ張れば階段梯子が出てくるんだけど暗くて見えにくい」


  そうしている間にも足音は少しずつ近づいてくる。


  「姉ちゃん早く!」


  足音はすでに階段を上りきりつつあった。


  「焦らさないでよ」


  階段からアイラの部屋まで大人の歩幅で5歩ほど。

  1歩、2歩…


  「あった!このくぼみを引っ張れば…」


  アイラが焦って引き出そうとしたせいで、階段梯子が降りてくるときに、ガタッと音がしてしまった。

  廊下の人物に聞こえたかはわからない。

  数秒の間があって、部屋のドアがゆっくりと開かれた。

  2人は息を殺してその音を屋根裏部屋で聞いた。


  「危なかったね」


  アイルの耳元でアイラが囁いた。アイルはそれに無言で頷き返した。

  下の様子は見えないが、何者かが居る気配は伝わってくる。


  「子供部屋か」


  父のものでも母親のものでもない声が聞こえた。


  「まあ、命令は完了したし金目のモンは大体漁ったし帰るとするか」


  その人物が部屋から出て行くのがわかった。


  「やっぱり泥棒だったんだ」


  「でも命令って言ってた、どういうこと?」


  アイルは不安になって姉の顔を見たが、アイラもまた不安そうな顔だった。


  「父さんと母さんは大丈夫かな」


  アイルは今にも泣き出しそうな声で呟いた。


  「大丈夫、きっと大丈夫だから」


  アイラはそう言ってアイルの肩をぎゅっと抱きしめた。


  「しばらくここで隠れていよう。もうパパとママが警察に連絡してくれたかもしれないし」


  「…うん」


  2人はしばらく身を寄せ合ってじっとしていたが、緊張が解けたせいかそのまま眠ってしまった。

  アイルは屋根の隙間から差す朝日によって目覚めた。


  「姉ちゃん」


  アイルはそばで寝ていた姉を揺さぶった。


  「うん?」


  「朝になっちゃったみたい」


  「え?そんな…」


  二人は見つめあったまましばらく動けなかった。なぜ両親は自分たちを探しに来ないのだろう。なぜ来ているはずの警察が来ていないのだろう。

  嫌な予感がどんどん膨らんだ。


  「パパとママの様子を見にいこう」


  「うん」


  2人は嫌な予感を打ち払うように両親の寝室へ向かった。


  「ドアが…」


  「半開きだ」


  アイラが半開きのドアを完全に開けた。

  そこにあった光景は7歳だったアイルに生涯忘れられない衝撃を与えた。

  両親はベッドの上にいた。互いの顔に互いの顔を埋めて窒息死していた。

  苦しげに見開かれた目と、わずかな隙間から漏れ出た泡が死に際の凄惨さを物語っていた。 父の威厳のあった顔は、母の美しかった顔は、正視できないほど醜く歪んでいた。

 

  「何…コレ…」


  アイルは震える声でその一言を絞り出した。アイラは無言だった。無言のまま泣いていたのだ。

  アイルはそこからのことはよく覚えていない。アイラが通報してくれたのか、気がつけば警察に保護されていた。

  しばらくは当時の状況を詳しく聞かれたり、警察も犯人を見つけるため真剣に捜査していたが、あるときを境にぱったりと捜査は打ち切られてしまった。

  最初は面倒をみてくれていた親戚はみんな、なぜか2人を避けるようになり、最後には連絡すらしてくれなくなった。

  こうしてアイルとアイラは2人で生きていくしかなくなった。

  流石に両親の部屋は使わないようになったが、2人は同じ家に住み続けた。

  幸い両親が銀行に預けていたお金で経済的に困ることはなかった。

  アイルはあのあまりにもショッキングな出来事のせいで7歳までのことをほとんど覚えていない。そのせいか、両親を亡くしたこともどこか他人事のように捉えている自分もいた。

 


  「アイル?」


  アイラの声でアイルは我に返った。


  「大丈夫?何か辛いことでもあったの」

 

  「いや、なんでもない。少し考え事をしていただけだよ」


  アイラを心配させたくなかった。両親を亡くしてから、アイラは姉として自分がアイルを守らなければと頑張ってきた。

  アイルは姉のそんな気持ちをずっと感じていた。いつも自分を大切にしてくれるアイラにずっと感謝していた。

  アイルにとって、アイラは特別な人だった。アイラさえいてくれれば友だちも、恋人も必要なかった。

  アイルが異性に興味がない理由はアイラだった。友だちはアイラを心配させまいと何人か作った。

  格闘技に熱中するようになったのも、何かあったときにアイラを守れるようになりたいと思ったからだった。

 

  「アイル、帰ってきてからでいいんだけどちょっと話があるの」


  「話って?」


  アイラがアイルに何かを相談するというのは珍しい、というより今まで一度もなかった。アイルは自分が頼りないせいでアイラに負担をかけてしまっていることにいつも苛立ちを感じていた。何かアイラの役に立てるならなんだってしたかった。


  「ううん、帰ってからでいいの。長くなると思うし」


  「わかった、じゃあ今日は早めに練習あがってくるよ。行ってきます」


  アイルはそう言うと、素早く準備をして家を出た。




  「アイル、ごめんね。私やっぱり…」


  アイルが出て行ったのを見届けてから、アイラは何か言いかけて口をつぐんだ。

  アイラは物憂げな表情で晩御飯の支度を始めた。

  時刻は5時15分。アイルがジムから帰ってくるのはいつも8時半ごろだ。今日は早めに上がると言っていたから、おそらく8時過ぎには帰ってくるだろう。

  アイラは毎日、アイルより一足先に学校から帰ってくる。アイラの通う女子校はアイルの通う学校よりも家に近いからだ。

  帰ってくるとまず、ジムに行くアイルのために軽食を作る。そのあとで晩御飯の支度を始めるのだ。

 

  「今日は何を作ろうかな」


  冷蔵庫を開け、日曜に買いだめした食材を眺めてメニューを考える。


  「昨日は魚を焼いたから今日はお肉にしよう」


  アイラは豚のロース肉を取り出した。

 

  「生姜焼きにしよう。生姜焼きといえばキャベツの千切りだよね」


  アイラは慣れた手つきでキャベツを取り出し、刻んでいく。

 

  「あと、味噌汁の具は昨日使った大根の残りの葉っぱを軽く炒めて入れよう」


  アイラは料理が好きだった。だがそれ以上に…


  「よしっ、いい感じになった」


  アイラはそう言うと、炒めた大根の葉をつまみんで口に入れた。


  「うん、いける」


  そう、アイラは料理をしているときのつまみ食いが好きだった。


  「ハッ、こんなことしてたら太っちゃう」


  晩ご飯の支度が粗方終わると、今度は朝に干しておいた洗濯物を取り入れに掛かる。

  2人分なので大した量ではないが、アイルが下着を触られることを嫌がらないか、最近は少し気になっている。

  洗濯物を取り入れた後はそれを畳む。それも終わってしまうと、アイラは自分の部屋に戻り、パソコンを立ち上げた。

  そこには明後日に開催される小鳩グループ主催の輝紅石の展覧会についての情報がまとめられている。

  アイラは1日たりとも忘れたことはなかった、10年前のあの事件を、両親を殺したあの男への復讐心を、そしてあらゆることの元凶となった輝紅石そのものへの憎しみを。

  アイラはあの事件からずっと小鳩グループについて調べ続けていた。 調べていくうちに小鳩グループが輝紅石を用いた人体実験を繰り返しているという情報や、用済みとなった人物を行使者に始末させているという情報を得た。

  両親の異常な死に方は、行使者の能力によるものだとしか思えなかった。警察が事件から手を引いたのも、親戚がアイラたちを避けるようになったのも小鳩グループによる圧力に屈したと考えれば納得できる。

  そしてアイラは小鳩グループと輝紅石そのものに復讐することを決意したのだ。

  まず、この展覧会で展示される輝紅石を盗み出す。

  小鳩グループにとってはイメージアップのための威信をかけたイベントだけに受ける被害は小さくないだろう。

  それからは少しずつ小鳩グループの所有する輝紅石を奪っていく。その過程で両親を殺した男も見つけられるだろう。小鳩グループから奪い尽くしたあとは、世界に散らばる輝紅石を集める。

  全ての輝紅石を集め終わったら、誰にも分からないところへ封印してしまおう。そんなことをすれば輝紅石に頼った世界は大混乱に陥るだろう。それでも構わない。こんな得体の知れない力に頼る世界の方が異常なんだと思った。

  アイラの計画はまだアイルにも話していない。それを今日初めて打ち明ける。

  アイルがこの計画に反対しても、一人でやり遂げるつもりだ。もし自分についてくるというのなら手伝ってもらおう。アイルを危険な目に遭わせたくなかったが、彼には選ぶ権利があると思った。

 




  「おい、今日は全然集中できてねーじゃん」


  広瀬は怒っているのと心配しているのが半々になったような顔をアイルに向けた。


  「悪い、気になることがあって」


  「ねーちゃんのことか?」


  「なんでそうなるんだよ」


  アイルは図星だったことを隠すために背を向けて返した。

 

  「照れんなって、お前が重度のシスコンなのはもうこのジムの仲間には知れ渡ってんだから」


  「違うって。まあいい、今日はさっきも言った通り早めに上がるわ」


  アイルはタオルで汗を拭き、帰り支度を始めた。

 

  「ああ、お疲れ」


  「うん、また明日」


  「明日は土曜だから午前中は開いてないからな」


  「わかってる」


  アイルは練習仲間とトレーナーに軽く会釈をしてジムを出た。

  アイラの話が気になっていた。帰り道もずっとそれがなんなのか考えていた。


  「ただいま」


  「お帰り、ご飯できてるよ」


  いつもと変わらない姉の声を聞いて、アイルは少し安心した。深刻な話ではなさそうだ。

  この日常がずっと続けばいいと、アイルは心から願った。特別なことなんて無くていい。アイラが幸せならアイルも幸せだった。



 



  アイラは押し黙ったままのアイルをじっと見つめていた。

  食事が終わった後、アイルに自分の計画を伝えたのだ。


  「なんで…」


  「え?」


  「なんで今まで黙ってた?」


  アイルはほとんど表情を変えなかったが、その声には苛つきが含まれていた。


  「それはアイルに余計な心配をさせたくなかったからで…」


  「それがダメなんだよ!」


  アイルは珍しく声を荒げた。


  「なんでいっつも頼ってくれないんだよ?

  俺は姉貴がそんな風にあの事件のことを思ってたなんて知らなかったし、今の計画だってそうだ。

  俺だって姉貴の役に立ちたいんだ。

  あのとき、二人で助けあっていこうって約束しただろ…」

 

  最後は絞り出すような声に変わっていた。


  「ごめん、でもこれは私のわがままでアイルには危険な目にあってほしくない」


  「俺はついていくよ」


  アイルははっきりと宣告した。


  「本当にいいの?

  アイルはこのまま今まで通り暮らすことだってできるんだよ?」


  「俺にとって一番大事なのは、平和に暮らすことでも、自分の夢を叶えることでもない。

  守りたいものを守ることだ。

  姉貴は俺にとって唯一の家族だ、俺は家族を守りたい」


  「わかった」


  アイルの決意のこもった目を見て、アイラは了承した。

 

  「じゃあ早速だけど明後日の段取りを教えるね」


  アイラは机に地図を広げた。


  「まず今回の獲物はNo.29<滅亡への恋(ディストピア・ローズ)>と呼ばれる、白銀の柄の先に輝紅石の刃を持つ槍よ」


  アイラはその写真を出してアイルに見せた。


  「これが明後日の展示会で展示されるのか」


  アイルは写真を手に取り眺めた。大きさは剣道に使う竹刀くらいだろうか。そう重そうでもないが、隠して持ち運ぶのは難しそうに見える。


  「これをどうやって盗むんだ?」


  「それはこれを使うの」


  アイラはそう言って先ほど屋根裏部屋から持ってきた段ボールを机の上に置いた。


  「開けてみて」


  「これは…」


  中には写真で見た槍が入っていた。


  「滅亡への恋(ディストピア・ローズ)の偽物」


  「どうやって用意したかはこの際どうでもいいけど、何に使うんだ?」


  「まず、滅亡への恋(ディストピア・ローズ)は前日に小鳩グループの本社ビル群がある新宿から旧国立博物館、今の紅主連盟・直営東京博物館にトラックで運ばれる」


  アイラは地図を指でなぞりながら説明した。


  「最初は輸送中に奪うことを考えたけど、確実かつ安全な方法が思いつかなかった。

  だからこの偽物を使った作戦を考えた」


  二人はこうして輝紅石の強奪計画を確認し合った。

  そして、計画実行当日はやってきた。


  「いい?計画通りやれば必ず成功するから」


  「ああ、わかってる」

 

  二人は博物館から伸びる長蛇の列に並んでいた。輝紅石が一般公開されることは珍しい。だからこれだけの人が集まったのだろう。二人にとっては好都合だった。

  展示会は特別に夕方から夜にかけて行われる。日はすでに暮れかかっていて遠くに浮かぶ雲を夕焼け色に染め上げていた。


  「輝紅石が展示されているのは本館の一階で、正面エントランスから入って右側のショーケースの中にある。

  私が合図したら予定通り動いてね」


  アイルは黙って頷いた。

  緊張はしなかった。今までの人生でアイラの言う通りに行動して失敗したことはなかった。

  アイラのリュックの中には偽物の滅亡への恋(ディストピア・ローズ)が入っている。

  二人は事前に購入しておいたチケットを渡して入館した。持ち物検査などはなかった。人が多すぎて対応しきれないためだろう。

  館内もやはり人で溢れかえっていた。少しでも長く見ようとする人がほとんどで、人の流れはゆっくりとしか進まなかった。

 

  「皆様、立ち止まらずにお進みください!」


  何人か警備員がいるが、全員客の誘導で精一杯という感じだ。

  アイルはアイラより少し先に進み、合図を待った。

  アイラは他の客と同じように滅亡への恋(ディストピア・ローズ)のガラスケースの前に進んだ。そして、アイルの方を向き小さく頷いた。

  アイルは少しかがみ、素早く用意した発煙筒を焚いて、床に勢いよく転がした。発煙筒は煙を撒き散らしながら客の足元をすり抜けて滑っていった。

  アイルは何事もなかったかのように元の姿勢に戻った。展示物に夢中になっている客は誰もアイルの不審な動きに気付かなかったようだ。

  一方で発煙筒の煙はアイルから離れた場所で立ち上がり天井に到達した。その瞬間スプリンクラーが作動し、警報が鳴り響いた。

 

  「火事だ!」


  客の誰かがそう叫んだ。アイルが言うつもりだったが代わりに勘違いしてくれて助かった。

  人々は我先にと博物館の外へ逃げ出そうとした。


  「落ち着いてください!押さないで!」


  警備員の声も虚しく、館内はパニックに陥った。

  アイルは隙を見て次々に発煙筒を焚いた。館内は煙で満たされて視界が遮られ、パニックはますますひどくなった。

  もう十分だろう、アイルはそう判断して他の客と同じように博物館から避難した。

  外に出ると既に消防車のサイレン音が近づいてきていた。

  アイルは騒然とする人々を押しのけて騒ぎの中心から離れた。

  あとはアイラが上手くやれるかどうかだ。

  アイラの仕事は煙と騒動に紛れてガラスケースを破り、偽物と本物をすり替えるだけだ。だけ、といってもそれがこの計画で最も難しいところだった。

  アイルは少し心配しながらも博物館を後にし、上野駅へ向かった。そこが待ち合わせ場所だ。

  駅に着くと帰宅ラッシュの時間だったせいか人が思ったよりも多かった。ここまでは博物館の騒動の影響はないようだ。

  五分ほど待ってアイラが来た。


  「うまくいった?」


  「うん、でもすぐに移動したほうがいい」


  二人はこの後、観光客のふりをして近くのホテルに宿泊する予定だった。焦って逃げるよりも、ある程度状況が落ち着いてから行動するべきだと考えたのだ。


  「ちょっとだけここで待ってて」


  そういうとアイラはトイレへ向かった。

  アイルは今にも追手が現れるのではないかと落ち着かなかった。

  しばらくしてアイラは戻ってきた。


  「ごめん、行こうか」


  「うん、でもそれは?」


  アイラは化粧をして見違えるほど大人っぽくなっていた。


  「子供が二人でホテルに泊まるなんて不自然でしょ?だから少しでも大人っぽく見えるようにと思って。どうかな?」


  「ああ、えーっとすごくいいと思う」


  アイルはどぎまぎしながら答えた。一瞬、今が緊迫した状況であることを忘れかけるほどだった。

 

  「でも、どうしてそんなに早くメイクできたの?」


  「実は、今日のためにかなり練習したんだよね」


  アイラは少し照れながらそう言った。

 

  「さあ行こっ、追っ手が()()()来る前に」


  二人はその後問題なくホテルにチェックインし、予約した部屋へとたどり着いた。

  こうして、呆気ないほど簡単に滅亡への恋(ディストピア・ローズ)は二人の高校生によって盗み出された。


  「ベッドだぁー」


  アイラは叫びながらシーツの海へダイブした。


  「うまくいってよかった。正直言って、不気味なくらいだ」


  アイルは冷静に自分たちの現状を分析した。


  「今は素直に喜ぶべきだよ。私たちにはこれからもっと厳しい戦いが待ってるんだから」


  「そうだな」


  アイルは口元をわずかに緩めた。


  「でも、安心する前に一度現物を確認した方がいいんじゃないか」


  「それもそうだね」


  アイラは盗み出した滅亡への恋(ディストピア・ローズ)をリュックから取り出した。

  美しく輝く、紅い煌めきに二人はしばし見とれた。


  「間違いない、本物だよ」


  「ああ、でもなんか」


  「どうしたの」


  「いや、なんでもない」


  アイルはかすかに違和を感じたが、それは言葉にできるほどのものではなかった。


  「そういえばその輝紅石の名前って何か由来があるのか?」


  アイルはふと疑問に思った。


  「うん、輝紅石の名前はそれぞれの能力が由来になってることが多いっていうのは知ってるよね?」


  アイルは頷いて話の続きを促した。


  「滅亡への恋(ディストピア・ローズ)の能力は攻撃した物体の時間を止めるというものなの。

  時間を止められた物体は効果を解除されない限りどんなに滅びたくても、永遠に滅びることはできないだから、滅亡への恋」


  「時間を止める?じゃあ例えばそれで木を攻撃したらその成長が止まったりするってこと?」


  「ううん、生きているものには効果がないらしいの」


  アイラは戯れに槍の柄を握って壁に掛けられていた時計をつついてみた。


  「時よ止まれー!なんてね」


  アイラは笑いながらアイルのほうに向き直った。しかし、アイルは笑っていなかった。


  「姉貴、それは…」

 

 アイルは時計を指差して絶句していた。


  「え?」


  アイラがもう一度時計を見ると時計の秒針は動くことなく停止していた。


  「これって私が止めたの?」


  アイラは驚きを隠せない声で呟いた。


  「すごい…」


  アイルはそれ以上の感想を何も言えなかった。


  「解除することはできるのか?」


  「やってみる」


  アイラがそう言って時計に軽く手をかざした。時計は何事もなかったかのように再び動き出した。


  「止めるには攻撃が必要だけど、解除は簡単だ」


  その後、アイルにもその力が使えるか試したが上手くいかなかった。


  「だめだ、何も起こらない。多分これは姉貴が持っておくべきものなんだ」


  「そっか、じゃあもう夜も遅いし休もうか。これからのことは明日の朝に決めよう」


  「わかった」


  自分が力を使えなかったのは少し残念だが仕方ないと思った。


  「先にお風呂入ってくるね」


  「うん」


  「それとも一緒に入る?」


  「じょ、冗談言うなよ。早く入ってきてくれ」


  「小っちゃいときはよく一緒に入ったのに」


  アイラは笑いながら恥ずかしがる弟を見た。


  「俺をからかうなよ」


  「バレてたか」


  そう言うと浴室へ消えていった。


  「まったく…」


  ベッドに寝転がり、滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を手に取る。しばらくはそれを眺めていた。

  やはり何か変な感じがする。だが、何が引っかかるのかアイルにもわからない。

  疲れているのだろうか、自分でも気付いていないうちにかなり精神をすり減らしていたのかもしれない。

  アイルは軽く目を瞑った。





  「……なんてことだ」


  小鳩グループの会長、小鳩 龍司の息子である小鳩 正司は頭を抱えていた。

  自分がプロデュースした輝紅石の展示会が失敗しただけでなく、輝紅石を盗まれてしまうなんて。

 

  「親父に殺される」


  「絶望するのはまだ早いぜ、正司さんよ」


  ノックもせずに正司の部屋へ入ってきたのは小鳩グループの汚れ役をしばしば引き受ける男、カリーズだった。


  「もう無理だよ、だって偽物とすり替えられていたのが幸いして盗まれたということはまだ公になってないけど、裏を返せば警察に捜査してもらうことも出来ないってことなんだから。

  それに紅主連盟に連絡なんてするのもだめだ、ウチの上層部と紅主連盟の一部が裏で繋がっているのがクリムゾン・クストスにバレるきっかけになりかねない」


  「まあ落ち着けよ、こういう時のために俺らみたいな人間が居るんだろうが」


  「なんとかできるっていうのか?」


  正司は身を乗り出した。


  「ああ、取り返してきてやるよ。そのかわり、報酬は弾んでくれよな」


  「勿論だ、金ならいくらでもやる。だから頼む」


  「交渉成立だな。じゃあ行ってくるわ」


  「まて、お前の能力は追跡に向いているとはとても思えないんだが」


  カリーズが部屋を出ようとしたのを引き止めて正司は疑問を口にした。


  「大丈夫だ、取り返してくりゃいいんだろ?あんたは何も考えずに待ってればいい」


  「わかった今度こそ頼んだぞ」


  正司は一抹の不安を抱きながらも今度こそカリーズを見送った。カリーズを信用していないわけではないが、念のため他の手段も用意しておこうと思いながら。




 

  アイルは荒廃した大地に立っていた。

  またあの夢だ一体なんなんだろう。


  「そこに、いるのか?」


  アイルは背後の気配に話しかけた。

 

  「ほう、よくわかったな」


  あの声だ、前に見た夢に出てきた声。


  「お前は一体何だ?」


  背後の声が笑っているのがわかった。


  「答えをいきなり教えては何も面白くない。ただ一つ教えてやるとしたら、お前は気付くべきことに気付いていないということだな」


  要領を得ない答えに苛ついてアイルは振り返った。

  そこには全身が血のように赤い男が座っていた。鋭い目をこちらへ向けている。


  「お前がここへたどり着くときが楽しみだ」


  男はそう言うと、消えてしまった。周りの景色も暗転し、アイルは夢の世界から目を覚ました。

  アイルは上半身を起こすと自分が今、ホテルに泊まっていたことを思い出した。どうやら目を瞑ってそのまま眠ってしまっていたらしい。

  となりのベッドでアイラが穏やかに寝息をたてていた。

  時刻を確認すると午前二時だった。


  「シャワー浴びるか」


  例によって汗をかいていたアイルは隣で寝ているアイラを起こさないように浴室へ向かった。

 

  「あの夢はなんだったんだ」


  シャワーを浴びながらアイルは夢のことを考えた。あの男は何者だろう、そして気付いていないこととはなんだ。


  「気付いていないこと」


  そう呟いて、なぜか滅亡への恋(ディストピア・ローズ)のことを思い出した。

  そういえばあの違和感の正体にまだ気がついていない。急に不安になってきた。

  アイルは浴室から出て着替えると、すぐに滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を確認した。

  目を凝らして、隅から隅まで調べた。そして、ようやく違和感の正体を見つけた。

  柄の部分の先端に、同じような材質の金属の小さな塊が付けられている。普通に見ていても誰も気づかないだろう。


  「まさか、発信機か!?」


  アイルはそれを剥がそうとしたが、どうやっても剥がすことができない。


  「姉貴、起きてくれ!」


  「どうしたのアイル?トイレ?」


  「ふざけてる場合じゃない!発信機だ!」


  「えっ?」


  アイラは一気に目が覚めたようだった。


  「柄の先端に小型の発信機が取り付けられていた。場所がばれている」


  「じゃあ、それを取り外してすぐに移動しよう」


  「それがどうやっても外れないんだ」


  アイルはどうすればいいか分からなくなった。こうしている間にも取り返しに来るかもしれない。


  「落ち着いて、まだ来てないってことはそんなに性能のいい発信機じゃないのかも」


  アイラはそう言いながらも素早く荷物をまとめた。


  「移動し続ければしばらくは大丈夫なはず。その間に発信機を取り外せばいいの」


  「わかった」


  「とりあえず、裏口から出よう。正面からだとこんな時間に出るのは不審がられるし」


  二人は人に見つからないように注意しながらホテルの裏口にたどり着いた。

  アイルがドアノブを回して外に出ようとしたときだった。


  「ちょっと!急に止まらないでよ」

 

  後ろから来たアイラは急に立ち止まったアイルにぶつかった。


  「どうしたの?」


  「ドアノブが手から離れない」


  「え?」


  アイルはドアノブから何度も手を離そうとしたが出来なかった。


  「ちょっと見せて」


  「やめろ!ドアノブに触っちゃダメだ!」


  焦ってアイラを止めたときだった。


  「おうおうおう、でかいネズミがかかってるなぁ」


  どこからともなく現れたのはガラの悪いドレッドヘアーの男だった。


  「あっといけねぇ、自己紹介しなきゃなぁ。俺の名前はカリーズ、小鳩グループってとこの行使者だ」


  アイルとアイラは遂に見つかってしまったのだ。


  「ここまで俺の思い通りに行くとは思わなかったぜ。万が一のために取り付けておいた発信機が役に立つなんてよぉ。まぁ、あんまり性能が良いわけじゃねえからこのホテルを特定するので精一杯だったが、発信機に気付いた奴がどういう行動をするか考えれば後は簡単だぜぇ」


  カリーズは嫌な笑いを浮かべて捕まったアイルに近づこうとした。


  「それ以上アイルに近づかないで」


  「姉貴、無茶だ逃げろ」


  アイルはアイラが戦おうとしているのを止めようとした。

 

  「アイルを置いて逃げるわけないでしょ」


  「俺と戦おうってか?やめときなよ痛い目を見るだけだ。大人しくしてりゃ、苦しめずに殺してやるぜ」


  アイラはカリーズの言葉を無視して、リュックから槍を取り出した。


  「滅亡への恋(ディストピア・ローズ)か、食い物を保存するってんならまだしもよぉ、そんな能力でどうやって戦うつもりだよ」


  「やってみなきゃわかんないでしょ。こんなところで捕まるわけにはいかないの」


  アイルは戦えない自分がもどかしかった。なんとか手を離そうとするがどうにもならない。


  「姉貴、そいつの能力は多分、物同士をくっつける能力だ。このドアノブやその発信機もそいつの能力でくっつけられていたんだ」


  「今さら気づいても遅いんだよ。たしかに俺の能力は触れた物体に何にでもくっついて永遠に離れないという性質を与えるものだ。二度と離れない能力からNo.69の輝紅石、永遠の愛(スターチス・ラブ)って呼ばれてるぜ」


  カリーズの左手の薬指には輝紅石の指輪がはめられていた。

  アイラはそれを確認するとカリーズに向かって槍を構え、突進した。


  「だったらその指輪も奪わせてもらう!」


  「おっと」


  カリーズは軽い動きでアイラの攻撃をかわした。


  「ふんっ、はっ!」


  アイラはカリーズを狙って槍を振り回したが全て虚空を切り裂いただけだった。


  「ほれほれどうした、そんなんじゃ俺は倒せないぜ」


  狭い廊下では短めとはいえ、槍は不利な武器だった。しかもアイラは槍を扱ったことなど今までなかった。


  「でもあんただって私を攻撃出来ないじゃない」


  アイラはそれでも一歩も引かずにカリーズを挑発した。


  「言ってくれるじゃねえか。でもこれはどうかな?」


  カリーズはそう言うと、懐から拳銃を取り出した。


  「やめろ!」


  アイルの制止の声も虚しく、カリーズは躊躇なく引き金を引いた。


  「きゃっ」


  アイラを襲った銃弾は運良く槍の刃に当たり、アイラは無事だった。


  「運がいいねぇ、でも次はどうかな」


  カリーズが再び発砲しようとしたとき、突然足元から煙が立ち上った。


  「なんだよこれ」


  それはアイルがカリーズの足元に投げた発煙筒だった。余っていたものを使ったのだ。


  「姉貴に何しやがるんだこのチンカス野郎が!!

 テメェぶっ殺してやる!!」


  アイルは逆上して吠え猛ったが、やはりドアノブから離れることはできない。


  「アイル、助かった」


  アイラは煙で怯んだカリーズに槍を突き出した。


  「ちっ」


  カリーズが舌打ちをしながらもとっさに反応して腕で防御した。槍は奴の腕を傷つけただけだったが、服の裾は破れて血が滴っていた。


  「痛ぇ、なんて事しやがるんだ。せっかく拳銃で楽に死なせてやろうと思ったのによぉ。お前らには俺の能力の本当の恐ろしさってやつを教えてやる」


  カリーズはこちらへ向かってくるのかと思いきや、くるりとアイラに背を向けて逃げ出した。


  「逃がさない」


  アイラは血痕をたどって、カリーズを追跡した。

  カリーズの血痕は、どうやら調理室へ続いているようだった。

  アイラは調理室の扉を開き、中へ一歩踏み込んだ。


  「あっ!手が」


  「馬鹿だねぇ、同じ手に二回もかかるなんてよぉ」


  調理室へ続くドアから手を離さないアイラを確認してカリーズが奥から出てきた。


  「この卑怯者!」


  「卑怯者?俺は自分の持てる力を存分に使ってるだけだぜ、むしろ賞賛してほしいなあ」


  カリーズはそう言いながら壁に掛けてある布巾を手に取った。


  「これを鼻と口にくっつけて窒息死させてやるよぉ。知ってるか?窒息死ってのはよ、一番苦しい死に方らしいぜぇ」


  「窒息死?まさか、あんたが私のパパとママを…」


  「ああ?なんの話ししてんだぁ?」


  「十年前、私の両親は殺された。お互いの顔を()()()()られて窒息死した!」


「ああ、あの裏切り者を始末したときかぁ。ははっ、あいつの子供だったのかお前ら。こいつは愉快だねぇ」


 カリーズはアイラを挑発するようにゲラゲラと笑った。


  「絶対に許さない!」


  アイラは怒りのままに叫んだ。


  「おお、怖いねぇ。でもよぉお前さんの両親は愛する者と一緒に死ねたんだから幸せだったんじゃねえかぁ?永遠に離れられないんだ、文字通り永遠の愛ってやつだよなぁ!」


  カリーズは下卑た笑いを浮かべたままアイラに近づいた。


  「安心しなぁ。もうすぐ両親の元へ行けるんだからよぉ」


  カリーズが後数歩というところまで迫ったとき、アイラは勢いよくドアから離れ、カリーズの腹を槍で突き刺した。


  「はあっ!」


  「うげぇ、がはっ」


  突き飛ばされたカリーズは腹を押さえてその場にうずくまった。


  「なぜだ、そのドアには確かに触れたはずだぁ」


  脂汗をかきながらカリーズは唸った。


  「あんたが同じ手を使うことはある程度予測できた。だから滅亡への恋(ディストピア・ローズ)の能力でこのドアノブの掴む部分の時間を止めたの。

 時間を止めたってことは動かないってだけじゃない、何も変化しなくなるの。そう、状態も性質もね。だから私はこのドアノブに触れてもくっつくことはない」


  「なるほどねぇ、考えたじゃねえか。褒めてやるよぉ。でもよぉ、このまま終わると思うなよぉ?」


  カリーズは腹を押さえて立ち上がった。


  「俺はドアノブだけじゃなくて床やほかの場所にも触れておいたんだ」


  「こんなの靴を脱げばどうとでもなる、悪あがきはやめたほうがいいんじゃない?」


  「床だけじゃねぇって言ってんだろ。それで俺がお前の仲間を殺すくれぇの時間は稼げるんだよ」


  「まさか」


  アイラは恐ろしい可能性に気づいた。


  「そうさぁ、お前が俺に追いつく頃にはお前の仲間はもう死んでるなぁ。お前を拳銃で殺すこともできるが、それじゃあ何にも面白くないもんなぁ!?」


  カリーズは動けなくなったアイラを残し、アイルの元へ向かった。

  アイルはまだドアから離れられないでいた。


  「なんて無様な姿だ、よくお似合いだぜこのクソ野郎」


  体を引きずるようにして再び現れたカリーズを、怒りが収まらないアイルは口汚く罵った。


  「たしかに俺はもう長くねぇ。だがよぉお前を殺す時間くらいは残ってるんだぜぇ?」


  カリーズはアイルに近づき、拳銃を取り出した。


  「へへ、これであの女にさらなる絶望を味わってもらうとするか」


  カリーズはニヤリと笑った。


  「その距離だと、跳弾が危ないんじゃないか?カリーズさんよぉ」


  「なんだテメェ?俺の喋り方を真似するじゃねぇ。それに一発で頭にぶち込んでやるから跳弾なんて関係ねぇよ!」


  「お前は何もわかってないな」


  「なんだと?」


  「姉貴!今だ!」


  突然アイルが大声で叫んだ。


  「なにっ!?早すぎる!」


  カリーズは慌てて後ろを向いたが誰もいない。


  「なんだよ、無駄な時間稼ぎしやがっ…」


  カリーズはそれ以上何も喋らなかった。いや、喋れなかった。カリーズの額にはしっかりと銃弾が食い込んでいた。

  アイラが最初に弾いた弾丸は時間を止められて空中に固定されていたのだ。アイラがアイルの声を聞き、能力を解除したことで、弾丸は再び動きだしてカリーズに直撃した。

  カリーズはそのまま倒れ、死亡した。

 

  「やっと離れた」


  カリーズが死んだことで永遠の愛(スターチス・ラブ)の能力も解除されたようだ。


  「アイル!大丈夫?」

 

  調理室から脱出したアイラが心配そうな顔でこちらへ向かって来ていた。


  「姉貴こそ大丈夫か?」


  「うん」


  「よかった」


  アイルは心の底から安堵した。


  「安心してもいられない、今の騒ぎで人が来るのも時間の問題だし」


  「そうだな」


  二人はカリーズから指輪を奪い取り、今度こそ裏口から外へ脱出した。






  < ホテルで不審死!展示会でのぼや騒ぎとの関連は!?>


  「うわぁ」


  朝刊にでかでかと書かれた見出しを見て正司は思わず声をあげた。

  新聞には身元不明の男性が上野近辺のホテルの廊下で死亡したことが報じられていた。

  カリーズとは昨晩から連絡が取れない。


  「これはまずいよ。いよいよ警察も動き出すし、場合によってはクリムゾン・クストスの連中も介入してくるかも」


  正司が弱音を吐いていると、こんこん、と部屋の扉がノックされるのが聞こえた。


  「ああ、入ってくれ」


  正司がそう言うと、体格のいい金髪の男が入ってきた。


  「写真よりも若く見えるな。何歳なんだ?」


  「そいつはどうも。40代、とだけ言っておこう」


  男はニコリともせずにそう答えた。

  この男は昨晩、正司が呼び寄せた殺し屋だった。


  「ジャックと呼んでくれ」


  男はそう言って正司に手を差し出した。


  「ああ、依頼人の正司だよろしく」


  「むっ」

 

  ジャックは握手した瞬間、顔をしかめた。


  「健康状態があまり良くないな、普段から運動をしたほうがいい。それに寝不足だろう?」


  「すごいな、どうしてわかった?それも輝紅石の力なのか?」


  正司は自分の状態を瞬時に見破ったジャックを驚きの眼差しで見た。


  「いや、これは俺の特技みたいなものだ。握手すれば相手の健康状態がなんとなくわかる。あと、どれだけ緊張しているかも」


  「素晴らしい。流石は七極星の一人だ」


  七極星とはフランスのパリに本部を置く、紅主連盟のヨーロッパ支部をまとめるトップ七人の行使者の通称だ。


  「“元”七極星だ。今の俺はフリーの殺し屋だよ」

 

  「そうだったな。依頼の内容は確認してもらったかな?」


  「ああ、奪われたNo.29の輝紅石、滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を取り戻せばいいんだろう?」


  「それからカリーズが持っていたNo.69永遠の愛(スターチス・ラブ)もおそらく同じやつに奪われたはずだからそれも取り返してきてくれ」

 

  「カリーズ…あんたらが飼っていた行使者の一人か」


  ジャックは眉をひそめた。


  「なかなかの使い手だと聞いていたんだがな」


  「ああ、だからこそ君に依頼したんだよ。これ以上ウチから被害を出すわけにはいかないし、親父やクリムゾン・クストスにバレないように極秘に任務を遂行してほしかったからね」


  ジャックは納得した様子で頷いた。


  「そういうことか。それで輝紅石を奪い返した後、その犯人たちはどうすればいいんだ」


  「生かしておいてもろくなことにならないだろうから殺してくれて構わない。だが、最優先するのは輝紅石の奪還だ。それから絶対に極秘任務だということを忘れないでくれ。これは前金だ」

 

  正司は封筒をジャックに差し出した。


  「たったこれだけか?犯人を見つけ出すだけでも一苦労だっていうのに」


  ジャックが中身を確認して不満を口にした。


  「成功すればちゃんとした報酬を出す。今はそれで我慢してくれ」


  「わかったよ、何か犯人に関する手がかりはないのか?」


  「今私が掴んでいる情報だと、ホテルに宿泊していた男女一組が消えたらしい。予約のときに確認した連絡先には繋がらないし、住所や名前もでたらめだったようだ」


  「そいつらが最有力容疑者で間違いないな」


  そう言いつつも、ジャックは少し表情を曇らせた。


  「どうした?」


  「そこまでわかっているなら警察かあるいはクリムゾン・クストスが先にそいつらを捕まえるかもしれない。急いだほうがよさそうだな。もう行かせてもらう」


  ジャックは素早く部屋を出た。

 

  「今度こそ頼んだぞお前が最後の希望なんだ」


  正司は祈るような気持ちでジャックを見届けた。





  「姉貴、大丈夫か?」


  「ちょっとキツイかも。輝紅石の能力って使うと凄く疲れるみたい」


  二人はホテルを脱出してから歩き続けていた。電車やバスなどの交通機関を使うと却って見つかりやすいと考えたからだ。

  出来るだけ人に見られないように歩いたせいか、想像以上に時間がかかってしまった。


  「ちょっとだけ休むか?」


  アイルは姉のやつれた顔を見て心配になった。


  「ううん、もうすぐ目的地だし、頑張ろう」


  無理に笑って見せるのが余計にアイルを心配させたが、こういうときは絶対に譲らない性格なのを知っていたのでそれ以上アイルは何も言わなかった。

  二人が目指しているのは晴海客船ターミナルだった。

  そこから出発する豪華客船 ルビー・プリンセスに乗り込むつもりなのだ。ルビー・プリンセスは今日の正午に出発し、小笠原諸島やマナリア諸島に寄りながらパラオ島を目指すというツアーに使われる。

  小鳩グループの追跡を逃れるために日本を脱出することが目的だった。

 

  「ルビー・プリンセスに乗り込むためには遅くとも1ヶ月前に予約して、チケットを入手する必要がある。乗り込む際にはそのチケットと、写真付きの身分証明書を見せなきゃいけない」


  血石戦争後はパスポートやビザは使われなくなっていた。


  「じゃあ、どうやって乗り込むんだ?」


  「もう予約することはできないから、譲ってもらうしかないわね」


  アイラは不敵な笑みを浮かべた。


  「譲ってもらうってまさか…」


  「アイル、私たちはもう後戻りなんてできない。目的を達成するために手段は選べない」


  「わかったよ」


  アイラの決意のこもった目を見て、アイルは再び覚悟を決めた。


  「で、どうやってチケットを持っている人を探すつもりだ?」


  「ルビー・プリンセスは豪華客船。だから裕福そうな人を探すのが手っ取り早いと思う。あと、できれば二人組の人を探したほうがいいね。例えば夫婦とか」


  二人は話し合いながら港にたどり着くと、観光客のふりをしてターゲットとなる二人組を探した。


  「あの二人はどうだ?」

 

  アイルが目をつけたのは質の良さそうな服に身を包んだ上品な老夫婦だった。落ち着いた雰囲気で談笑している。


  「行ってみる価値はありそうね」


  アイルとアイラは背後から老夫婦に近づいた。

  十分に近づくと、アイルはカリーズから奪い取った拳銃の銃口を夫のほうに突きつけた。


  「強盗だ、命が惜しかったら言う通りにしてくれ」


  アイルは老人に対してこんなことをするのに心を痛めながらも、耳元で囁いた。

  アイラはもう一人が逃げないようにその背後に立っていた。


  「俺たちの指示する方向へ歩くんだ」


  そして二人は老夫婦を人目の付かない建物の陰に連れ込んだ。

  アイルは二人がすぐに逃げられないように縄で縛り、アイラは二人の荷物を確認した。


  「しばらくすれば誰かが見つけてくれるだろう、それまで大人しくしておいてくれ」


  アイルは二人に睡眠薬を飲ませた。


  「アイル、あったよ二人分のチケット」


  「ああ、チケットが目当てだと思われないように、かばんごと持ち去ろう」


  二人はカバンを奪い、その場を立ち去った。


  「身分証明書の方はどうする?俺たちとこの夫婦じゃ似ても似つかない」


  「ふふん、それは任せて。まだ出発まで時間があるし。私の特技を披露しま()()()


  アイラは胸を張ってそう言った。


  「あ、今のは披露と英語のshowを掛けてるんだよ」


  「…うん」


  アイルは敢えて何も突っ込まずにスルーした。

 

 




  「ジャック、わかったことがある。さっき教えた二人組だが、どうやら金髪の少女と黒髪の少年のようだ。展示会の監視カメラの映像を確認したところそれらしい二人組も映っていた。今、私は独自に調査しているから新しい情報を掴み次第また連絡する」


  「その情報ならもうとっくに知ってる。ついでに教えてやると、警察が事件から手を引いたぜ」


  「ということはつまり…」


  電話の向こうで正司が唾を飲むのが分かった。


  「ああ、行使者絡みの事件とみなされてクリムゾン・クストスの連中が介入してくるってことだ」


  「ジャック急いでくれ、あまりおおごとになったら親父に盗まれたことがバレてしまう。展示会がめちゃくちゃになって、カリーズまで行方不明になったせいで既に怒りの頂点なんだ」


  正司は怯えた声でジャックに伝えた。


  「問題はそこじゃない。クリムゾン・クストスの連中は違反した行使者を罰するためなら手段を問わない。嫌な予感がする」


  「とにかく、なんとしても先にその二人組を見つけ出すんだ」


  「わかってる。今、目撃情報を頼りに奴らの足取りを追ってるが、どうやら徒歩で港に向かっているようだ。クリムゾン・クストスの奴らもおそらくその情報は掴んでいるだろう。もう電話を切らせてもらうぞ」


  ジャックは電話を切ると青い箱からタバコを取り出し、火を付けた。

 

  「さて、どうしたもんかね」


  ジャックはすでに晴美客船ターミナルにたどり着いていたが、そこからどう二人を探すかはまだ決めていなかった。


  「ゴホッゴホッ」


  ジャックが道端で一服していると背の高い女性がわざとらしく咳をしながら通り過ぎていった。


  「チッ」


  ジャックは舌打ちし、人の少なそうな建物の陰に移動した。

  誰もいないはずのそこで老夫婦が拘束されていた。


  「おい、大丈夫か?」

 

  ジャックは驚きつつも二人の脈を確認した。どうやら眠っているようだ。

 

  「起きろ」


  夫婦を軽く揺すって声をかけた。


  「うーん…」


  先に夫人が目を覚ました。


  「大丈夫か?一体何があったんだ?」

 

  ジャックは縄を解きながら質問した。


  「まあ、助けてくださってありがとう。実は強盗に襲われて」


  「強盗?」


  「ええ、カバンを盗まれてしまったみたいだわ。すぐに警察に届けないと」

 

  「待ってくれ、その強盗の特徴はわかるかな?」


  「ええと、若い男女だったわ。後ろから襲われたから、顔は見えなかったけど」


  ジャックはその強盗が今追っている二人だと確信した。


  「まあ、大変!もうこんな時間だわ。ルビー・プリンセスにはもう乗れないわね」


  「ルビー・プリンセス?」


  「ええ、今日の12時に出発する客船なんだけど、そのチケットもカバンに入れてたから」


  自分の腕時計を確認すると、現在11時52分。ルビー・プリンセスの出航まであと8分しかない。


  「すまない、後は自分たちで警察に届けてくれるか?俺は急がなきゃいけないみたいだ」


  「ええ、どうもありがとう親切な人」


  ジャックは素早く立ち上がると乗り場へ走り出した。






  「いやー、すごかったねえ、軍用機なんて久しぶりに乗ったから興奮しちゃったよ」


  「トム、今は任務中だぞ。子供みたいにはしゃぐな」


  「だってニューヨークからトーキョーまで五時間だよ?ジェシーだって楽しかったでしょ?」


  「私はただ疲れただけだ」


  ジェシーはむすっとした表情のままだ。


  「とにかく、ホテルの殺人事件の犯人を追うぞ。現地の諜報員からの情報によると、金髪の少女と黒髪の少年の二人組が付近で目撃されたらしい。年齢は十代後半、せいぜい二十歳とのことだ」


  「ふーん、じゃなんで港に向かってんの?」


  「どうやらその二人は晴海客船ターミナルという船着場へ向かっているらしい。でも、そこで目撃情報は途絶えている。おそらく船に乗り込んで東京から離れるつもりだろう」


  「好き勝手やっといて、俺たち紅主連盟から逃げられるわけないのにねえ」


  「いいからもっと速く歩いてくれないか?船が出てしまったら面倒だ」


  「大丈夫だって、潜水艦や軍用ヘリも持ってきたし燃料だって無限にあるようなもんなんだから」


  「馬鹿、あんまり派手にやってアジア支部の連中に目をつけられたらどうするの?」


  ジェシーがトムを睨みつけた。


  「わかった、わかった。じゃあさっさと探しましょ」


  その時、ジェシーの電話が鳴り始めた。


  「うん、うん、そうか。わかった」


  短く通話した後、ジェシーはトムに向き直った。


  「ルビー・プリンセスという客船に乗る予定だった老夫婦が若い二人組にチケットの入ったカバンを盗まれたらしい。ルビー・プリンセスはもう港を出る、急ぐぞ」


  「おお、話が早いねえ」

 

  「感心している場合か!早く何か出せ!」


  「はいはいわかったよ。宇宙(ハルシャギク)()隙間(ディメンション)!」


  トムは何もない空中から大型のバイクを出現させた。

 

  「よし、じゃあ後ろに乗れ」


  ジェシーはバイクにまたがるとトムに命令した。


  「了解!最高時速でぶっ飛ばしちゃってよ!」


  「任せろ」


  ジェシーはニヤリと笑った。


  「意思無き支配(エゾギク・コネクタ)


  ジェシーは自分の神経とバイクを接続し、バイクを急発進させた。


  「いやっほう!」


  トムの歓声とともに唸り声を上げながら、バイクは目的地へ走り出した。







  「あーあ、疲れた」


  ルビー・プリンセスの入り口でチケットの確認をしていた男は呟いた。

  現在11時7分。もうすぐルビー・プリンセスは出航する。

  客はもう乗ってしまったので、男の仕事は終わったようなものだった。


  「ん?」


  彼はこちらへ向かって走ってくる金髪の男を見つけた。


  「客?にしては荷物が少ないような」


  「おい!ルビー・プリンセスってのはこの船だな!?」


  「そうですけど。お客様でしょうか?もしそうなら、チケットと証明書を見せていただいて…」


  「悪いがチケットはない。ある事件の捜査中なんだ。乗せてほしい」


  「警察の方ですか?でしたら警察手帳を…」


  「チッ、おい、このツアーは確か小鳩グループが販売元だったよな?」


  「そうですけど、それが何か?」


  金髪の男は彼を無視してどこかへ電話をし始めた。


  「正司さんか?ちょっと電話に出てくれ」


  男はそう言うと彼に電話を渡した。


  「もう、なんなんだよ。もしもし?」


  「私だ、その男を船に乗せてやれ」


  「こ、小鳩常務!?はい、わかりました」


  「どうぞ」


  彼は電話を返し、その男を通した。


  「なんだったんだ」


  彼は不思議そうに呟いた。


  「ん?今度はなんだ?」


  彼が次に見つけたのはこちらへ走ってくる男女だった。


  「すまないこの船に乗せてもらえるか?」


  「いや、だからチケット…」


  「あー、俺たちこういう者なんだけど」


 そう言うと、背の高い男が手帳のようなものを取り出した。


  「こ、紅主連盟!?」


  「ここに凶悪な行使者が乗り込んだ可能性がある、乗せてくれるな?」


 もう一人の女が彼に迫った。


  「は、はい!どうぞ」


  彼はその二人も通した。


  「なんなんだよもう。あーあ、疲れた」





  乗客定員約3000人、全長300メートル。様々な娯楽施設を完備した大型客船、ルビー・プリンセス。

  アイルとアイラはその一室でこれからどうするかについて話し合っていた。


  「しかし、姉貴にあんな特技があったなんて」


  「役に立つと思ったから。習得しといて良かった」


  アイラの特技とはプロレベルのメイク技術だった。


  「でもあんなにうまくいくなんてね。多分私って天才だわ」


  アイラは船に乗り込んでから始終自慢げだ。自分のしたことが上手くいくとすぐに調子に乗るのは昔からだった。

 

  「でも、これからどうするんだ?カリーズのことはニュースになってたし、俺たちが犯人だってすぐにばれると思う」


  アイルは何があってもアイラについて行くつもりだったが、これからのことを思うと少し憂鬱だった。

 

  「そうね、もう家には戻れないし、何をするにも敵の目を気にしなくちゃいけない」


  アイラも少し不安そうな表情になった。


  「でも、今は休もう?私もう歩き疲れちゃった」


  「うん」


  アイルは部屋の窓から外を覗いた。すぐ下はプールになっているようだ。

 日は既に落ち、船は先の見えない真っ暗な海を突き進んでいる。


  「俺たちはもう後戻りできない、か」


  アイルはひっそりと呟いた。


 




  「ねえねえ、三階にカジノがあるらしいよ?行ってみない?」


  「うるさい。早く例の二人組を探せ」


  ジェシーは苛ついた声で返事をした。未だに船内のどこに潜んでいるのか掴めずに居た。


  「それなら、襲われたっていう老夫婦が泊まるはずだった部屋を探せばいいだけでしょ」


  「それが、さっきから現地の諜報員と連絡が取れない」


  ジェシーは深刻そうに呟いた。

  アジア支部の誰かに見つかって始末された可能性がある。


  「それって結構やばくない?俺たちも見つかるかも」


  「アジア支部の連中は小鳩グループと繋がりがある。奴らが本格的に動き出したなら、滅亡への恋(ディストピア・ローズ)が奪われたというのは本当だろう」


  「ちょっと待って、頭がこんがらがってきた。一旦状況を整理しよう」


  トムは自分たちの目的を再確認するために、話し始めた。


  「まず俺たちの目的は小鳩グループの行使者、カリーズを殺した犯人を捕まえて、ついでに犯人が所持しているであろう永遠の愛(スターチス・ラブ)を回収して本部に戻ること」


  「そうだ」


  「だよねえ、そしてアジア支部はカリーズの殺人事件を行使者の犯行だと考えて、警察に手を引かせて自分たちが独自に捜査をしている」


  「そうだな」


  「だとしたらおかしくない?いくらなんでもアジア支部の動きが遅すぎるじゃん」


  「たしかに」


  ジェシーは俯いて考え込んだが、答えは出なかった。


  「どうしてだ?」


  「これは俺の想像なんだけど」


  トムは自信満々といった表情で話し出した。


  「展示会をプロデュースしたのは小鳩 龍司の息子の正司じゃん?

  で、滅亡への恋(ディストピア・ローズ)はさっきも言った通り多分今回の犯人に盗まれたんだよ。だから正司は盗まれた輝紅石を取り戻したい。ところがそれを父親である竜司に知られたくない。そこで正司はカリーズに取り戻してくるように命令したんだ。ここまではいいよね?」


  トムは一度話を区切りジェシーの様子を確認した。


  「ああ、大丈夫だ」


  ジェシーはこめかみを押さえながらもなんとか話についてきているようだ。


  「よし。で、カリーズは取り戻しに行ったんだけど返り討ちに遭ってしまった。それがホテルの事件だ。

 カリーズの死が事件になって、アジア支部の連中が出てくると正司は焦ったはずだ。アジア支部は小鳩グループの上層部と仲良しこよしってやつだから父親に自分のミスが露呈するかもしれない。

  そこで正司はアジア支部の捜査をあの手この手で遅らせた。正司だってアジア支部に顔が効くはずだからそう難しいことじゃないだろう」


  「待て」


  ジェシーが喋り続けるトムを止めた。


  「それだとミスがバレるのを遅らせることはできるが、根本的な解決にならないだろう?」


  トムはうんうんと頷いた。


  「そうだね。だから正司は時間稼ぎをしている間に第三者にこの一連の事件の犯人を探させようとするはずだ」


  「第三者?」


  「そう、例えばだけど腕のいい殺し屋を雇って事件を闇に葬り去るつもりかもしれない。もちろん、奪われた輝紅石は取り戻した上でね」


  「じゃあ私たちの仲間の諜報員が殺されたのは?」


  「これも俺の想像なんだけど、正司が俺たちの介入に気付いたんじゃないかな。俺たちに先に犯人を捕まえられるとさらに面倒なことになるからね。だから見つかった諜報員は多分もう始末されちゃったんじゃないかな」


  「そういうことか」


  ジェシーは納得した様子で頷いた。トムの話は筋が通っている。


  「つまり、今私たちが気をつけなければいけないのはアジア支部の連中よりも正司が送り込んだ第三者に先を越されないようにすることか」


  「そうだね。もうこの船にいるのかも」


  「ここまで推測するとは。やればできるじゃないか」


  「でしょ!?もっと褒めてくれていいんだよ」


  ジェシーは無言でトムの足を踏んづけた。


  「うぐっ」


  「調子に乗るな。急がなければいけないことに変わりはない」


  ジェシーは痛がるトムを置いて歩き始めた。


  「あ、ちょ、待ってよー」


  トムの声だけが情けなく廊下に響いた。





 

  「ジャック面倒なことになった」


  電話越しの正司の声はいつにも増して情けないものだった。


  「なんだ?アジア支部の捜査は妨害できているんだろう?何をそんなに焦ってる」


  ジャックは正司に用意させた船内の一室でタバコの煙を吐き出した。


  「それはそうなんだが、本部の奴らが出てきたようなんだ」


  「本部って、アメリカにある紅主連盟の本部か?管轄外だろう?」


  「多分、カリーズの死を嗅ぎつけたんだ。犯人を捕らえて輝紅石を奪うつもりだろう。本部に連絡を取ったと思われる諜報員はこちらが見つけてすでに始末したが、気を付けてくれ」


  ジャックは煙を弄びながら込み上げてくる嫌悪感を押し留めた。紅主連盟はいつもこうだ。世界平和を謳いながら、実際は自分たちの欲を満たすために本部と支部で輝紅石を奪い合う愚かな組織だ。


  「ジャック聞こえているか?そっちの状況はどうなんだ?」


  「もう例の二人組が泊まっている部屋は突き止めた。顔も確認した」


  「本当か!?よくやった!じゃあさっさとそいつらを始末するんだ」


  正司は興奮した様子でまくし立てた。そんな声にジャックは辟易としてため息とともに煙を吐き出した。


  「奴らが二人だけとは限らない。仲間がいればそいつらに輝紅石を渡してしまったかもしれないだろ?もしかしたらどこかに隠したかもしれない」


  「…たしかに」


  「だから一旦奴らに近づいて探りを入れてみる。それまでもうしばらく待っててくれ」


  「わかった。頼んだぞ」


  ジャックは電話を切ると再びため息をついた。

  無駄な争いやいざこざばかりの紅主連盟を辞めたはいいが、結局輝紅石に振り回されている自分が嫌になった。


  「いっそのこと、こんなもの無くなっちまえばいいのにな」


  ジャックは自分の持つ輝紅石を見て呟いた。





  アイルは空腹で目が覚めた。時計を見ると午後8時を示している。

  アイラはまだ眠っている。相当疲れていたのだろう当分起きそうにない。

  わざわざ起こすのも悪いと思ったアイルは書き置きをして一人で船内のレストランに行くことにした。

 

  「ちょっと君」


  アイルが廊下へ出てレストランへ向かっていると後ろから声を掛けられた。


  「なんですか?」


  振り返るとそこには金髪の大柄な男が立っていた。西洋人だろうか?四十、いや三十代後半くらいの年齢だろう。


  「これからどこへ行くんだい?この船広いからさ、行こうと思ってる場所がもし同じなら案内してほしいんだけど」


  「それなら乗組員に聞けばいいんじゃないですか?」


  「そんなに急いでるのか?」


  男は怪訝そうな表情になった。あまり頑なに断っても怪しまれそうだ。


  「別に、そういうわけじゃない。俺は今からレストランに行こうとしてたところだ」


  「ああ、同じじゃないか。せっかくだし一緒に行こう」


  面倒だが仕方ないと思い、アイルは金髪の男とともにレストランへ向かった。


 


 

  アイラは明かりの消えた部屋で目を覚ました。


  「アイル?」


  弟を探して明かりをつけると、机の上に書き置きがあるのを見つけた。


  「もう、勝手に一人で行くなんて」


  アイラは一人で出ていったアイルが心配になって後を追うことにした。


  「荷物は…置いていくか」


  流石に船の中で荷物を持ってウロウロするのは目立つし、却って危ない。

  アイラは部屋を出て廊下に出た。レストランは一階と三階にある。アイルはどちらへ向かったのだろうか。

  この客室からだと三階の方が近いのでそちらから探すことにした。

  小走りで角を曲がろうとしたときだった。


  「きゃっ」


  「うわっ」


  背の高い男とぶつかってしまった。


  「あちゃー、ごめんねえ。ちょっと急いでて」


  「いえ、こちらこそ」


  「ん、君は…」


  「どうかしましたか?」


  「いやいや、何でもないよ。ところでこんな人見かけなかった?」


  男は一枚の写真を取り出した。そこには眠っている女性が写っていた。大胆に露出した長い足が、がっしりと枕を抱きしめている。整った顔立ちだが、赤みがかった髪はぼさぼさだった。


  「すみません、見てないです」


  「そっか、困ったなあ。俺の相棒なんだけど」


  「はぐれちゃったんですか?」


  「まあ、はぐれたっていうか置いてかれたんだけど」


  男は頭の後ろに手をあてて笑った。


  「ごめんねえ、引き止めちゃって。君も誰かを探してたんでしょ?」


  「はい、弟を探してて。あれ?でもなんでわかったんですか?」


  「急いでる様子だったからそうかなーって」


  男は軽い調子で続けた。


  「どんな人かな?もしかしたら途中で見かけたかも」


  「えっと、黒髪で身長は私より少し高いくらいです。でも、レストランにいると思うから大丈夫ですよ」


  「そうなんだ。俺もちょうどレストランに行こうと思ってたから一緒に探そうよ」


  アイラはここで少し警戒を強めた。


  「でも、今レストランの方からきましたよね?」


  「あれ?そうなの?俺方向音痴だからすぐ迷っちゃうんだよね」


  男は間抜けそうに、たはは、と笑った。やはり警戒は必要ないかもしれない。


  「レストランはこっちです」


  「いやー悪いね教えてもらって」


  放っておくといつまでも相棒に出会えそうにない男を連れてアイラはレストランへ向かった。


 


 

  「お、料理が来たぜ。こいつは美味そうだ」


  「…」


  アイルは一階のレストランに来ていた。三階のレストランがかなりの混雑だったのでこちらに来たのだ。

  ついでにこの金髪の男もついてきた。なぜかしつこく一緒に食事を摂ろうと誘ってくるので仕方なく承諾したのだ。


  「おっと、自己紹介がまだだったな。俺の名前はジャック・スティーブ。ジャックと呼んでくれ。君は?」


  「アイル」


  わざわざ偽名を使う意味もないだろう。


  「そうか、ツアー中にまた会うかもしれないしよろしくな」


  「よろしく」


  アイルはやや警戒しながらも、差し出された手と握手した。


  「アイルは誰かと一緒にきたのか?見たところ日本の学生に見えるが」


  アイルはどう答えるか迷ったが、子供だけでこんなツアーに参加しているのは不自然だと考えて家族で来たと答えた。


  「あんたは何をしてる人なんだ?」


  「俺か?俺はカメラマンだよ。美しい景色や風景を撮るために世界中を飛び回ってる」


  ジャックはそういいながら何枚かの写真を出した。

 写真はすべて自然の風景のものだった。


  「よく撮れてるな」


  写真の一枚を手にとってよく見てみる。誰にでも撮れそうなどうってことない写真だが、適当に話を合わせる。

 アイルはこの時、ジャックがさりげなくアイルのコップになにかの粉末を入れたことに気づかなかった。


  「そうだろ?これなんかは日本で撮った写真だ」


  ジャックは写真の一枚を指差して言った。


  「日本といえば東京であった輝紅石の展示会でぼや騒ぎがあったらしいな」


  「ああ、ニュースになってた」


  アイルは表情を変えないように流そうとした。


  「その夜には近くのホテルで殺人事件があったらしいじゃないか。犯人はまだ捕まってないんだろ?怖い世の中だなあ」


  「もうそんな話はやめようぜ。料理がまずくなる」


  アイルはさりげなく額の汗を拭って水を飲んだ。余計なところでボロが出ないか、気になり始めていた。


  「あんまり興味ないか?そういえば両親はどうした?家族で来てるんだろ?」


  アイルはもうこれ以上話すのは嫌になった。


  「両親は部屋にいるよ。そろそろ戻らないと心配するかも」


  「まあ待てよ、まだデザートも頼んでないのに」


  アイルが腰を浮かせかけるとジャックはそれを引き止めた。


  「お前が出てきた部屋は確か二人部屋だった気がするんだが」


  「隣の部屋にいるんだよ」


  「隣の部屋は若いカップルが居た気がするなあ。とてもお前くらいの子供を持つ夫婦には見えなかった」


  「なんでお前にそんなことを詳しく聞かれなきゃいけないんだよ」


  これ以上は危険だ。この男はアイルのことを不審に思い始めているに違いない。


  「ああ、悪い。ちょっと気になっただけだよ。気分を害したなら謝る」


  ジャックはそういうと、あっさりアイルを解放した。

 

  「じゃあまた今度会った時にゆっくり話をしよう」


  「ああ」


  アイルはこの男にはもう近付かないでおこうと心に決めて席を立った。

  部屋に戻ろうとしたが、急に尿意を催したためトイレに行くことにした。



  「なんだったんだあいつ」


  小便を済ませ、手を洗いながらさっきの男を思い出していた。


  「あんなやつと話すのは二度とごめんだ」


  小さく毒づいた。


  「それは困ったなあ。これからたくさん話してもらおうと思ったのに」


  「なっ!?」


  ジャックがいつのまにかアイルの背後に立っていた。


  「そこの個室に入れ」


  拳銃を突きつけられているのが分かった。


  「俺が大声を上げればすぐに人が集まってくる」


  「騒いだら殺すさ。お前のもう一人の仲間に話を聞けばいいだけだ」


  「なんで姉貴のことを」


  「姉弟だったのか。まあいいさっさと行け」


  アイルは銃を突きつけられたままトイレの個室に押し込められた。背中には銃を突きつけられたままだ。


  「これからいくつか質問させてもらう。まず、滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を奪ったのはお前らだな?」


  「知らないな」


  アイルはどうにかしてこの状況を抜け出す方法がないか考えるため、少しでも時間を稼ぐことにした。


  「さっきも言ったが、お前の姉貴から話を聞いてもいいんだぜ。すでに顔も分かってる。素直に喋った方が自分のためになるんじゃないか?」


  「…姉貴には手を出すな」


  「わかった、お前が素直に話すなら約束するよ。奪ったのはお前らか?」


  アイルはしばらく黙った後、小さくうなずいた。


  「そうか。カリーズを殺したのもお前らだな?」


  アイルは再び頷いた。


  「奪った輝紅石はどうした?」


  「すでに俺たちの仲間に引き渡した。この船にはもうない。だから俺たちを脅しても何も出てこない」


  咄嗟に嘘をついた。もし信じてくれればアイルたちから手を引くかもしれないと思ったからだ。しかし、それは楽観的な考えだったようだ。


  「ほう」


  ジャックは空いている方の手でアイルの首筋を掴んだ。指が首筋に食い込むほどしっかりと。


  「ぐっ、何しやがる」


  「嘘だな。お前たちは仲間に輝紅石を渡してなんかいない。俺は人の手や首を掴むとそいつがどれほど緊張しているのかある程度わかる。この緊張の仕方は嘘をついているときのものだ」


  アイルは隙を見て反撃しようとしたが、ジャックにはその隙がなかった。

 

  「部屋に…置いてある」


  観念するほかなかった。素直に吐けばアイラを傷付けないという約束を信じるしかなかった。


  「部屋っていうのはお前たちが泊まっている部屋でいいんだな?」


  アイルはもう何も抵抗せずに頷いた。


  「もう俺は用済みだろ?殺すのか?」


  諦めたように言った。


  「お前みたいな子供を殺すのは心が痛むが、これも仕事なんだ。約束通り、お前の姉には俺は手を出さない。まあ、俺が何もしなくてもクリムゾン・クストスの連中や小鳩グループに狙われることに変わりはないがな」


  「なんだと!?話が違うぞ!」


  「俺は嘘は言ってない。おい、暴れるな」

 

  ジャックが躊躇いながらも引き金を引こうとしたときだった。

  アイルは目に入ったトイレのウォシュレットボタンを押した。ノズルから勢いよく発射された水を避け、水はそのままジャックの目に直撃した。

 

  「ぐっ、こいつ!」


  ジャックは引き金を引いたが、水に怯んで少し仰け反ってしまったせいで弾はアイルの脇腹をかすめてトイレのタンクに直撃した。

  アイルは素早く振り返ると全力を込めてジャックに肩からぶつかった。ジャックを突き飛ばし、そのままの勢いでトイレのドアを破り、逃げ出した。


  「クソっ、子供だからって余計な情をかけちまった」


  ジャックは立ち上がるとすぐに駆け出した。アイルを追うのではなく、二人が泊まっていた部屋に向かった。あの二人を殺すことよりも、輝紅石を取り戻すことの方が大事だ。

  一方、アイルも自分たちの部屋へ向かっていた。アイラに見つかってしまったことを伝えなければならない。それに部屋に置きっ放しの輝紅石も心配だった。

 





  「いやー、弟くんもジェシーも見つからないねえ」


  トムが困ったように笑っていたが、アイラにとっては笑っていられるほど気楽ではなかった。

  一階と三階のレストラン両方を調べたがアイルはいなかった。そろそろ本気で心配になってきた。


  「あの、私はもう大丈夫なのでこれからは一人で探します」


  「そう?じゃあ最後に一つだけ聞いてもいいかな?」


  「何ですか」


  「君、滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を盗んでカリーズを殺した犯人だよね?」


  「なっ!?」


  アイラの反応を見てトムは確信した。


  「やっぱりそうなんだね。おっと逃がさないよ」


  逃げ出そうとしたアイラの手を取り押さえてトムは質問を続けた。


  「どこにあるのかな?君たちが奪った輝紅石は」


  「知らない!離して!」


  「知らないじゃ通用しないよ。あんまり大人を舐めないほうがいい」


  トムが脅しをかけたときだった。


  「誰か助けて!変質者です!」


  「ちょっ!?」


  アイラが叫んだお陰で人が集まってきた。


  「いやいや、俺は違いますよ。はは、ちょっとお話ししてただけで…」


  「君、ちょっと来てくれるかな?」


  強面の警備員がトムに迫った。


  「いや、だから違うんですって」


  トムが弁明をしているうちにアイラは走り去ってしまった。

  それと入れ替わるようにジェシーが騒ぎを聞きつけてやってきた。


  「おい、何やってるんだトム。余計な騒ぎを起こすな」


  「ジェシーこそどこ行ってたの!?そんなことより今女の子とすれ違わなかった?」


  「ああ、急いで走っていったな」


  「その子が俺たちの探してた犯人の一人だよ!早く追いかけて!」


  「何!?」


  ジェシーは素早く踵を返し、アイラを追いかけていった。


  「これで一安心」


  「話は済んだかい?だったらきてもらうよ?」


  「あ、いやだから違うんだって!」


  「君みたいな変質者はみんなそう言うんだよ」


  「だから俺は変質者じゃないって!」


  トムはその後、なんとか誤解を解いてジェシーの後に続いた。

 





  「はぁ、はぁ、ちくしょう」

 

  アイルはなんとか部屋にたどり着いた。


  「姉貴!」


  部屋に入ってアイラを探したが、どこにもいない。


  「どこに行っちまったんだ」


  部屋を見渡すと窓の近くにまとめておいた荷物がまだ置いてあった。

  とりあえず輝紅石をまとめて入れたリュックを持ち、アイラを探しに行くことにした。

 

  「そのリュックの中に輝紅石が入ってんのか?」


  アイルが振り向くと部屋の入り口に、白銀の銃身に紅い石をあしらった銃を構えたジャックが立っていた。


  「あんたも行使者だったのか」


  「この部屋の入り口はここだけだ、もう逃がさない」


  ドアからこの部屋を脱出するのは不可能のようだ。


  「その台詞はターゲットをまた逃しちまう時に言うもんだぜ」


  アイルは窓に向き直るとガラスを破り、そのまま外に飛び出した。


  「馬鹿な!?ここは三階だぞ!」


  ジャックは驚きながらも銃を撃った。

  銃弾は、すでに夜の空に飛び出したアイルの腹に突き刺さった。

  鮮血が舞い、アイルは声も上げずに下に落ちていった。


  「仕留め損ねたか」


  ジャックは窓に駆け寄るとアイルが落ちていった窓の下を見た。

  下にはプールがあった。ガラスの破片と血が撒き散らされ、ナイトプールを楽しんでいた客たちは騒然としている。

 

  「あいつはどこへいった?」


  人が多くてアイルの姿がなかなか見つからない。怪我を負っているのでそうすぐには移動できないはずだ。下ではすでに騒ぎが起き始めていた。

  念のため部屋に残された荷物を確認したが、やはり輝紅石はない。

  今の銃声でここにも人が来るのは時間の問題だった。

  ジャックは部屋を飛び出し、アイルを追った。

 





  「アイル、どこに行ったの?」


  追ってくるジェシーとトムから逃げながらアイラはアイルを探していた。

  デッキの方が何やら騒がしい。

  アイラは嫌な予感を抱きつつもその騒ぎの方向へ向かった。

 

  「すみません、何かあったんですか?」


  近くにいた乗客に話を聞くことにした。


  「ああ、転落事故だってよ。部屋からプールに落ちたらしい。銃声もしたそうだ。一体何が起こっているのやら」


  乗客の話を聞いてアイラはデッキへ出てプールに向かった。

  プールには無数のガラスの破片が散らばっており、すでに立ち入り禁止になっている。


  「アイル!?」


  プールの反対側で担架に乗せられて運ばれている弟を見つけてアイラは思わず叫んだ。

  侵入を防ぐロープをくぐってアイルの元に駆け寄った。


  「君、この少年のご家族かい?」


  アイルを救出した船員がアイラに尋ねた。

 

  「はい。どうしてこんなことに」


  「うぅ…」


  気絶していたアイルが微かに目を開いた。


  「アイル、大丈夫?」


  アイルはアイラに顔を近づけるようにと手を招いた。


  「姉貴、見つかった。金髪の男に。輝紅石のカバンがまだプールにある。やつに回収される前に早く。俺は大丈夫だから」


  「わかった。またあとで必ず来るから」


  アイラはプールに走り出した。


  「ちょっと君!」


  船員の声を無視してプールにたどり着いた。見渡すと、プールサイドに見覚えのあるリュックが落ちている。


  「これだ」


  素早くリュックを回収したアイラはこれからどうするか一瞬迷ったが、ひとまずジェシーとトム、そして金髪の男から身を隠すことにした。


  「ここはすぐに見つかる。人が多くいる大ホールに行こう」


  大ホールは一階の中央にあるパーティーや舞踏会のためにあるこの船で最も広い空間だった。

  再び船内に入り、客室が並ぶ廊下を抜けて大ホールに入った。そこでは多くの客がくつろいでいた。

  今日はなんのイベントもないため誰でもくつろげるように開放されているようだ。

  これだけの人混みにいればしばらくは大丈夫だろうが、これからどうするべきかは全く浮かばなかった。

  どうするかと悩んでいたとき、船全体に館内放送が流れた。


  「ルビー・プリンセスでの船旅をお楽しみの皆様、本日の娯楽施設及び大ホールの開放は只今をもって終了させて頂きます。娯楽施設や大ホールでお楽しみのお客様はご宿泊されている部屋にお戻り下さい。

  繰り返します…」


  「そんな…」

 

  放送はトムの声だった。一体この船で何が起こっているというのか。

  そういえばさっきから乗務員や警備員の姿が見えない。

  乗客は不思議そうにしたり、不満を口にしたりしながらも自分たちの部屋へと戻り始めた。

  大ホールからは次々と人が減っていく。

 

  「トム、いたぞ」


  「いたねえ」


  「くっ」


  人が少なくなったせいで見つかったアイラは大ホールを抜けてすぐ近くにあった階段を駆け下りた。

  とにかく捕まらないことだけを考えてめちゃくちゃに走り回った。

  いつのまにか追ってくる気配は消えていた。


  「逃げられたのはいいけど、ここどこだろう」


  アーケードゲーム機やコインゲームを楽しめるゲームセンターのようだが、人がいないせいで異様な雰囲気だ。

  ゲーム機の陰に隠れて少し休憩することにした。

  あのトムという男は紅いピアスをつけていた。行使者だろうか。だとしたらもう一人の女も行使者かもしれない。アイルが言っていた金髪の男というのも気になる。あの二人の仲間なのか、違うのか。


  「獲物が自分から近づいてくるなんてむしろ好都合よ」


  アイラは不敵な笑みを浮かべて自分を奮い立たせた。

  クリムゾン・クストスか、あるいは小鳩グループの刺客かはわからないが、どちらにせよこれから戦わなければいけないことに変わりはない。

 

  「ここにもいないねえ」


  「この部屋にいるのは間違いない」


  トムとジェシーの声が聞こえてきたので、アイラはゲーム機の陰で身を固めた。


  「船員たちはどう?」


  「あらかた船橋に追い込んだ」


 これだけ大型の船になれば船員も大勢いるはずだ。それをたった二人で船橋に追い込めるものなのだろうか。


  「さっすが。あとは逃げ回る子猫ちゃんを捕まえるだけだね」


  「このフロアはすでに閉鎖した。逃げ場はない。出てこい」


  ジェシーがアイラに向かって呼びかけた。


  「そこにいるのは分かっているんだ」


  ジェシーはアイラの隠れている場所に迷いない足取りで向かってくる。アイラはリュックから滅亡への恋(ディストピア・ローズ)を取り出すと、覚悟を決めて二人の前に姿を現した。

 

  「まだ抵抗するつもりか」


  ジェシーは呆れたようにアイラを見た。


  「俺たちの目的は輝紅石だ。大人しく渡してくれれば危害を加えるつもりはないよ」


  「渡さない。あなた達に降参するくらいなら死んだほうがマシよ」


  「私たちはお前らが倒したチンピラとは訳が違う。それに二対一で勝てると思ってるのか?」


  「勝つ必要はない。輝紅石を奪って逃げられればそれでいい」

 

  アイラはそう言うと槍を構えて床に突き刺した。その瞬間、船の時間が止まり、海の上に静止した。

  急停止したせいで船の中に設置された物や中の人は慣性の法則に従って前へと吹っ飛ばされた。


  「ぐっ」


  ある程度の衝撃を予想できたアイラだけが踏みとどまることができた。

  トムとジェシーもゲーム機や設置されたベンチと同じように衝撃を受けた。

  ジェシーはとっさに受け身を取って難を逃れたが、トムはゲーム機の角に頭を打ち気絶した。


  「おい、しっかりしろ」


  「うーん…ハンバーガー食べたい」


  「クソッ」


  ジェシーはトムの様子を確認してすぐには回復しそうにないと判断した。


  「これで一対一ね」


  「調子にのるなよ」


  ジェシーは戦闘態勢に入ろうとしたがアイラは再び背を向けて逃げ出した。


  「クソッ、逃がすか」


  二人は気絶したトムを置いて、再び船内の追いかけっこを始めた。





 

  「姉貴、どこだ」


  銃撃を受けた脇腹を押さえつつアイルは船内を彷徨っていた。応急処置を受けた後、医務室を抜け出してきたのだ。

  さっきの不審な放送のせいで客はほとんど自分たちの部屋に戻ったようだ。それどころかあれだけいた船員も見かけない。

  泣き声のようなものが聞こえ、アイルは耳をすました。どうやらデッキのほうから聞こえてくるようだ。

  向かってみると5、6歳の女の子がその場にうずくまって泣いている。親とはぐれたのだろうか。


  「大丈夫か?」


  「マ…ママ…がどこにもいないの」


  「そうか、俺と一緒に探そう」


  放っておくこともできないので一緒に探すことにした。

  アイルと女の子が立ち上がって歩き出そうとしたとき、船が急停止した。

  デッキに置かれていたテーブルやイスがいくつか海に落ちていった。

  女の子も吹き飛ばされ、手すりを掴もうとしたが体がすでに半分以上船の外に出ている。

 

  「くっ、捕まれ!」


  瞬時に体勢を立て直したアイルは女の子の手を掴んだが、自分も船の外に投げ出されそうになった。


  「おい、絶対に離すなよ」


  なんとか左手を船の縁にかけることができたが、右手で女の子の手を掴んでいるため上に登ることができない。

  なんとか這い上がろうとするうちに右手が汗で滑りそうになる。女の子も必死に捕まってはいるが段々と力が入らなくなってきている。


  「クソッ、誰か!誰かいないのか!?」


  アイルは助けを求めるが、人の気配はしない。もう左手も限界だ。包帯を巻いた脇腹からは傷が開いて血が滲み始めている。

  女の子を守りながら海へダイブすれば運が良ければ助かるかもしれない。その後は救助を待つしかないが、アイルにはもうそれしか選択肢が残されていない。

  覚悟を決めて海に飛び込もうと左手を離した。

  アイルはそのまま下に落ちると思ったが、誰かがその直前でアイルの左手首を掴んでいた。


  「間に合って良かった」


  アイルの手を掴んだのはジャックだった。

 

  「絶対に女の子から手を離すなよ」


  ジャックはそう言うと、二人を一気に引き上げた。

 

  「なんで助けた」


  「子供を守るのは大人の義務だ」


  「さっきは俺を殺そうとしたくせに」


  「仕事は別だ。それに最優先するのは輝紅石の奪還だ。今お前に死なれると手がかりを失ってしまうからな」


  「悪いが俺も輝紅石がどこにあるかは知らない。姉貴にカバンを預けたからな。姉貴がどこに行っちまったのか、俺も探しているんだ」


  「あの…」


  女の子がアイルとジャックの間に割り込んできた。


  「おじちゃん、お兄ちゃん助けてくれてありがとう」


  礼儀正しく女の子がお辞儀をした。


  「ああ、ちゃんとお礼できて偉いな」


  アイルは女の子の頭を撫でた。

 

  「その子はどうしたんだ?」


  「親とはぐれたらしい」


  ジャックはしばらく髭を触って何かを考えていたが、心を決めたようにアイルに向き直った。


  「その子の親を探すぞ。ここで見捨てたら寝覚めが悪い」


  「…」


  アイルが何も言わずにいるのをジャックは不思議そうに見た。


  「なんだ?」


  「いや、あんた殺し屋向いてないんじゃないか」


  「子供が偉そうなこと言ってんじゃねえ」


  ジャックは照れ隠しをするようにそっぽを向いた。


  「あれえ?人の声がすると思ったら元七極星のジャックじゃない」


  ジャックとアイルに向かって声をかけたのは、何故か後頭部が腫れ上がった背の高い男だった。


  「なんだお前」


  ジャックは素早く男の方を向き、銃を構えた。


  「俺はトム。それにしても正司が送り込んだのが君だったとはねえ」


  軽い調子で話続けるトムから守るようにアイルは女の子を自分の背中の後ろに隠した。


  「いやー運がいいよ。滅亡への恋(ディストピア・ローズ)永遠の愛(スターチス・ラブ)だけじゃなくて君が所持しているNo.56の輝紅石、無限の道標(ヒペリカム・ショット)も回収すればアリアス様も喜ぶよ」


  「アリアスだと?お前ら正司が言ってた本部の連中か」


  「そんなことは気にしなくていいよ。君たちにはここで死んでもらうからね。宇宙の(ハルシャギク・)隙間(ディメンション)!」


  トムはそう叫ぶと、何もない空間からアサルトライフルを取り出し構えた。


  「おい、子供がいるんだぞ!当たったらどうするつもりだ!?」


  「俺たちにとって一番大事なのは任務を遂行することだ。ここで誰が何人死のうと、アリアス様の目的が達成されれば、それは尊き犠牲として認められるからねえ」


  トムはもう笑っていなかった。ジャックもまた真剣な表情で、トムを睨みつけていた。


  「これだから紅主連盟の奴らは…。アイル、その子をしっかり守れよ。俺があいつを止める」


  「言われなくてもそうするつもりだ」


  アイルは女の子を庇うように立った。銃弾が飛んできてもその身で防ぐつもりだった。

  ジャックとトムは互いの武器を構えたまましばらく動かなかった。さっきの衝撃でテーブルやイスが流されてしまったため、デッキには遮蔽物は残っていない。

  嫌な沈黙が流れた。

 緊迫した空気の中、船だけでなく周りの時間まで止まってしまったように感じられる。

  通り過ぎていく夜風が二人の額に浮かんだ汗を冷やした。

  トムが引き金を引こうと指に力を込めたのをジャックは見逃さなかった。トムよりもほんの僅かに早く引き金を引く。

  パァン、と銃声が空に響き渡り、凍りついた空気を砕いた。

  トムは撃ち抜かれた耳たぶを押さえて膝をついていた。ジャックは銃口から立ち昇る煙に息を吹きかけてそれを消した。

  勝負は一瞬で決まっていた。

  銃声に怯えた女の子はアイルの服をギュッと掴んで身動き一つ取らない。


  「なんで殺さなかった」

 

  ジャックがトムに近づくとトムは顔を上げた。


  「俺に子供はいないが…」


  ジャックはトムを通り過ぎて後ろに弾き飛ばされたトムの輝紅石を拾い上げた。


  「もし俺が親だったら、人が死ぬところなんて見せたくないと思ったからだ」


  「なるほどねえ。でも、そういう甘さがあんたの弱点でもあるんじゃないかな」


  トムは振り返りアサルトライフルを構えて再びジャックに狙いを定めた。


  「ジャック!」


  アイルが叫ぶのとほぼ同時にトムのアサルトライフルが火を吹いた。


  「ふん」


  だが、アサルトライフルの弾丸はジャックに届く前に全て虚空に消えた。


  「No.81の輝紅石、宇宙の(ハルシャギク・)隙間(ディメンション)。能力は生き物以外のあらゆる物体を異空間に保管し、好きな時に取り出すこと。だったな」


  ジャックはトムの輝紅石の能力を使って全ての弾丸を異空間に()()した。


  「はは、俺の負けってことか」


  トムはヘラヘラと笑い、ライフルを投げ捨てた。


  「仲間がいるはずだ。そいつの名前と居場所を吐け。俺のことを知ってるならわかっていると思うが、俺に嘘は通用しない」


  ジャックはトムに迫った。


  「たとえ殺されても仲間が不利になるようなことを言うつもりはないよ。俺はこう見えても自分の信念は曲げないタイプなんだ」


  トムが喋り終わった瞬間、大ホールからとてつもない轟音が鳴り響いた。


  「なんの音だ!?」


  「あちゃー、ジェシーったらせっかく俺が覚悟を決めて居場所を隠してあげたのに」


 トムはやれやれといった風に首を振った。


  「お前の仲間か?」


  「行ってみればわかるんじゃない?金髪の少女と戦ってるのかも」


  トムの言葉を聞いてアイルは姉に危機が迫っていることを知った。


  「ジャック、この子とそいつは頼んだ!俺は姉貴を助けに行く!」


  アイルはそう言うや否や、大ホールに向かって走り出した。


  「あ、待て!別に俺はお前の頼みを聞く義理はないぞ!」


  ジャックが叫んだが、アイルには届いていなかった。


  「どーすんの?俺を放って行ったら何しでかすかわかんないよ」


  トムはニヤニヤしながらジャックを見た。


  「動くな。お前は俺と一緒に来てもらう。とりあえずこの子を親の元まで送り届ける」


  「まったく、甘い男だねえ。優秀じゃなきゃとっくの昔に死んでるんじゃない?ジャック」


  「気安く名前を呼ぶな。行くぞ」


  ジャックはトムの手を縛り、女の子を連れて客室が並ぶフロアに向かった。




 


  「なんてデタラメな能力なの」

 

 アイラの呟きには恐怖の色さえ滲んでいた。

 ジェシーの右手はゲーム機と融合し、巨大化していた。無数に伸びた配線のコードが触手のように揺らめいている。

  アイラはホールの隅に追い詰められていた。体には無数の痣ができている。

  ジェシーは猫が獲物を弄ぶようにアイラをいたぶっていた。


  「行使者だったのは驚いたが、まだ使い慣れていないようだな。無駄な体力を消費しすぎだ」


  アイラは追ってくるジェシーから逃げつつ応戦していたが、もう能力を発動する気力も走る体力も尽きかけていた。

 

  「姉貴!」


  ホールの入り口からアイルの叫び声が聞こえた。


  「仲間か。だがもう遅い」


  ジェシーがアイラにとどめを刺そうとしたとき、アイラは船にかけた時間停止を解除した。

  今度は急発進した船のお陰で、ジェシーの体が大きく仰け反った。


  「チッ、小賢しい」


  ジェシーは異形と化した右手で容易く姿勢を立て直した。

 

  「ふんっ」


  立ち直ると、そのまま右手を振り回しながら後ろに振り返った。


  「ぐあっ」


  後ろから近づいてきたアイルは予想外の攻撃を避けられず、大きく吹っ飛ばされた。


  「アイル!」


  アイラは力を振り絞ってジェシーの脇を抜けてアイルに駆け寄った。


  「調子に乗るなガキ共が、これ以上お前たちの好きにさせるか」


  ジェシーは左手を壁際の自販機に触れさせた。


  「意思なき支配(エゾギク・コネクタ)


  ジェシーは自販機の形を変え、その左手に纏った。


  「来い、二人まとめて相手してやる」


 




  「アイル、アイル!」


  アイラの呼ぶ声でアイルは目を覚ました。どうやら一瞬だけ気絶していたようだ。

  ジェシーがこちらに近寄ってきているのが見えた。


  「姉貴、やつを倒さないと」


  アイルはなんとか声を出した。


  「無茶よ。私はもう能力を使う体力は残ってないし、アイルだってひどい怪我じゃない」


  「俺はまだなんとか戦える」


  アイルはカリーズから奪った拳銃を取り出した。


  「この銃の弾は後六発だ。あいつの能力はたしかに凄まじいけど、本体は生身の人間だ。成功するかはわからないけど、こいつでなんとかするしかない」


  「なんとかってどうするのよ」


  「こうするんだよ」


  アイルはジェシーに向かって発砲した。

  一発、二発。


  「ふん、そんなものでどうするつもりだ」


  ジェシーは鎧のように纏った自販機の腕で弾を弾いた。


  「まだだ」


  アイルはさらに続けて三発撃った。


  「無駄だとわからないのか」


  ジェシーは腕で体を守り、全ての弾丸を防御した。

 

  「弾切れか」


  ジェシーが防御を解いたとき、アイルは素早く立ち上がり、その間合いを一気に詰めた。


  「チッ」


  ジェシーは巨大な腕でアイルを叩き潰そうとしたが、キックボクシングで培った動体視力と身体能力でその攻撃を躱した。

  腕が大きい分攻撃が大振りになり、隙ができやすようだ。


  「はあっ!」


  そのまま懐に潜り込み、ジェシーの腹に渾身の右ストレートを叩き込んだ。


  「甘いな」


  ジェシーはダメージを受ける様子もなく平然としていた。

  アイルはすぐに離れようとしたが、ジェシーの服がまるで生き物のように腕に絡みついてきた。


  「捕らえたぞ」


  「これならどうだ」


  アイルは蹴りで無防備な顔を狙ったが、その足もコードに縛られてしまった。


  「終わりだな。後ろを見ろ」


  アイルが後ろを見ると、船の床が変形してアイラの足を掴んでいた。アイラはその場から動けなくなっている。


  「最後に私の持つNo.59の輝紅石意思無き支配(エゾギク・コネクタ)の能力を教えてやろう。もうわかっているかも知れないが、私は触れた物体に自分の神経を接続することでその物体を自分の体の一部のように操ることが出来る。この腕のように物体を変形させることもできるし、そのままの形で操ることもできる」


  「なるほど。その能力で船を操って、船員をどこかに閉じ込めたり、船の放送を自由に使ったりしたってことか」


  「その通りだ。船の時間を止められたときは少々焦ったが、どちらにせよ時を止められた船の扉は開かないからそれだけは助かったよ」


  ジェシーはアイラへの警戒も怠ることなく、アイルにとどめを刺すために腕を持ち上げた。


  「これで終わりだ」


  「お前は何もわかってないな」


  アイルは舌を出した。舌の上には弾丸があった。


  「こいつ!」


  滅亡への恋(ディストピア・ローズ)の能力で時を止めた弾丸だと瞬時に判断したジェシーは攻撃を中断し、アイルを突き飛ばした後、後ろに下がった。


  「がはっ」


  満身創痍のアイルは床に叩きつけられて動けなくなった。


  「姉貴、後は頼んだ」


 アイルはアイラに希望を託した。


  「なんだと?」


  ジェシーは急いでアイラを見た。アイラは拳銃を構えていた。アイルがジェシーに向かっていく直前に渡したのだ。

  アイルが口の中に隠していた弾丸はジャックに撃たれたとき受けた傷から取り出したものだった。

  ジェシーは防御の姿勢を取ろうとしたが、アイルのハッタリに気をとられていたせいで間に合わない。


  「お願い、当たって!」


  アイラは頭を狙って引き金を引いた。放たれた銃弾は頭からは外れたが、ジェシーの喉を撃ち抜いた。

 

  「うぐっ!」


  ジェシーは弾を受けた衝撃で後ろに倒れ、動かなくなった。出血も多い。


  「アイル、大丈夫?」


  船の床に掴まれた足が解放されたアイラはすぐにアイルの元へ駆け寄った。


  「しばらく、動けそうにない」


  「もう、無茶しすぎ」


  アイラは泣きそうな声で笑った。

  ようやくまともに再会できたことで、緊張の糸が切れたのかもしれない。


  「お前ら…殺してやる…」


  二人はその声を聞いて驚愕した。


  「嘘、なんで」


  ジェシーが立ち上がっていた。


  「私の能力は物体を体の一部のように操る。逆に物体を体の一部として代替させることも出来る」


  ジェシーがさっき撃たれた喉を見せた。血は止まっており、機械の一部が喉を覆っていた。


  「私は任務を果たすまで死ぬことはない。覚悟しておけよ」


  ジェシーは悪魔のような声で二人に宣告した。

 

 





  「おい、もっと早く歩け」


  ジャックが苛ついた声を出した。


  「えー、そんなに急ぐことないじゃん」


  トムはのんびりとした調子で返事を返した。


  「おじさん、喧嘩しちゃダメだよ…」


  「ほら、この子もそう言ってるしさ。あ、でも俺はおじさんじゃなくてお兄さんだよ。あっちはおじさんだけどね」


  ジャックはため息をついた。タバコを取り出し、火を付けようとする。


  「あ、ちょっと子供がいるのにタバコはダメでしょ」


  「うるせえ、お前は自分の立場がわかってんのか?」


  「おじさん、タバコは体に悪いってママが言ってたよ…」


  女の子が心配そうにジャックを見つめた。


  「…」


  ジャックはタバコを戻し、再び歩き出した。


  「ここら辺はどうだ?見覚えあるか?」


  しばらく歩いた後、ジャックは尋ねた。


  「あっ!ここ!」


  女の子はある客室の前で立ち止まった。


  「ほんとにここであってるか?」


  「うん!ママー!」


  女の子が部屋に入ろうとしたがドアが開かない。


  「美穂?美穂なの!?」


  中から母親らしき人物の声がした。


  「おたくの子が迷子になっていたんで連れてきたんだ。鍵を開けてくれるか?」


  「ありがとうございます。でも、このドアさっきから開かないんです」


  ジャックは不思議に思った。滅亡への恋(ディストピア・ローズ)の能力はすでに解除されているから扉は開くはずだった。


  「あー、多分ジェシーのせいだねえ」


  トムがジャックの疑問に答えるように声を出した。


  「じゃあ、お前の仲間が能力を解除しないとドアは開かないのか?」


  「そうだねえ。ただ、滅亡への恋(ディストピア・ローズ)と違って時間を止めてるわけじゃないから、扉を破壊することは出来ると思うよ」


  「破壊するったってこんな頑丈そうな扉、ちょっとやそっとじゃ壊れないぜ」


  ジャックは困ってしまったが、ある事を思い付いた。


  「宇宙の(ハルシャギク・)隙間(ディメンション)


  異空間からトムが持ってきた武器の中で扉を破壊できそうなものを探したが、出てきたのはさっき保管したアサルトライフルの弾だけだった。


  「あー、無理だよ。その輝紅石の能力で保管できる異空間は行使者ごとに固有のものだから、俺が保管した物をジャックが取り出すことはできない」


  そう言ってからトムは思いついたように再び話し始めた。


  「あ、そういえば俺、c4爆弾なんかも持って来てたなー。あれならこの扉くらい楽勝で壊せるんじゃないかな」


  ジャックは胡散臭そうにトムを見た。


  「c4爆弾だけを取り出せ。いいな?」


  そう命令すると、持っていた輝紅石をトムの怪我をしていない方の耳につけた。


  「はいはい」


  トムは言われた通り爆弾を取り出した。


  「おい、今からこの扉を壊すから少し下がっててくれ」


  「分かりました」


  ジャックは爆弾を設置すると十分に距離をとって起爆した。


  「美穂!」


  中から母親が出てきて、女の子を抱きしめた。


  「ママ!」


  「大丈夫?怖くなかった?」


  「うん!おじさんとお兄ちゃんと一緒だったから」


  母親がジャックとトムに向き直り、深々とお辞儀をした。


  「本当にありがとうございます」


  「いやいやー、子供を守るのは大人の義務ですから」


  「お前…よく平気な顔でそんなこと言えるな」


  ジャックはさっきまでのことを忘れたかのように振る舞うトムを見て呆れたが、もうこの際どうでもいいと思った。


  「ほら、行くぞ」


  二人は何度もお礼を言う母親の元を離れ、大ホールに向かった。


  「ねーねージャック」


  「なんだ?」


  「これなーんだ」


  トムが手に持っていたのは催涙弾だった。縛っておいた手もいつのまにか自由になっている。


  「お前!ゴホ、ゴホッ」


  トムはそれを素早く起爆させるとジャックと距離をとった。


  「輝紅石、返してくれてありがとう。俺は相棒が心配だから今は大ホールに急ぐことにするよ」


  「ゲホッ、ゲホッ…ま、待て」


  ガスに苦しむジャックを残し、トムは大ホールへ駆けていった。





  アイラはアイルを守るようにジェシーの前に立ちはだかった。

  もう能力の発動はできないが、なんとか槍を構える。


  「呆れたな。何のためにそこまでするんだ?」


  アイラたちがもはや戦う術をなくしたことが分かりきっているのか、ジェシーは余裕を持って質問した。


  「私は…私はこの世界を許すことが出来ない。どうして私のパパとママは死ななきゃならなかったの?」


  「そんなこと、知るか」


  ジェシーは鼻で笑った。だが、その目は全く笑っていない。再び壊れかけの自販機と神経を接続し、巨大な腕を形成した。


  「力がないものは搾取されるだけだ。理不尽かもしれないが、それが今の世界なんだ」


  「そんなの間違ってる!」


  「そうだ。だから私たちにその輝紅石を寄越せ。我々のボスであるアリアス様ならこの世界を変えてくれる」


  アリアス・フォルタニア。紅主連盟の盟主にして、血石戦争後の世界の実質的支配者だ。


  「嘘よ。アリアスは自分の私欲のために紅主連盟を動かしているだけじゃない」


  「それは半分正解で半分間違っている」


  ジェシーは素早くコードを操り、アイラの手にあった槍と背負っていたリュックを奪い取った。


「待って、そんな…」


  アイラは取り戻そうと手を伸ばすも、もう届かなった。

 ジェシーは回収したリュックに槍を入れた後、アイラに向き直り、機械の腕を握ったり開いたりした。無理矢理結合させられた関節部分がキリキリと軋む。


  「今の世界はこの腕と同じだ。輝紅石の力で無理に繋がっているが、パーツ同士が反発し合い、いつ崩れてもおかしくない。だが、全ての輝紅石をアリアス様が手に入れて、輝紅石を超える力を手に入れたなら…」


「ジェシー!大丈夫だったー!?助けにきたよ!」


  ジェシーが途中まで話したとき、もはや聞き飽きた相棒の声がした。


  「遅い、もう勝負はついている」


  トムの登場はアイラにとってこの状況をさらに絶望的なものに変えた。アイルを守りながらこの二人を相手に戦うことは不可能に近い。

  立っていることさえやっとなのだ。


  「勝負はもうついているだって?俺のことを忘れるなよ」


  トムが来た通路から少し遅れて金髪の男が現れた。


  「ジャック!早くない!?」


  ジャックの登場に最も驚いているのはトムだった。どうやらこの二人の仲間ではなさそうだ。

  アイラにしてみればそれは好都合だった。


  「ジャック?元七極星のジャックか?」


  ジェシーはすでに戦う力の残っていないアイラとアイルから背を向けて、ジャックのほうを向いた。

 

  「そうなんだよ。でもあの二人はもう戦えそうにないし、ジャックを俺たち二人がかりで倒しちゃえば今回の任務は無事完了だねえ」


  「待て、俺の目的はお前たちと戦うことじゃない。あくまでそいつらの持っている輝紅石を元の持ち主のもとに返すことができればいいんだ」


  ジャックはアイラ達を指差して言った。ジャックにしてみれば紅主連盟の手下と戦う意味などまったくないのだ。


  「何を今更。お前は任務中である我々クリムゾン・クストスに対して妨害を行ったんだ。すでにお前も制裁対象だ。それにこいつらの持っていた輝紅石は私がたった今回収したところだ」


  アイラはジャック達が戦っているうちに隙を見て逃げようと決めた。

  このまま戦えば間違いなく殺される。気を失っているアイルを肩から背負って、一番近い大ホールの出口に向かう。

  出口がすぐ手前というところまで来たとき、足元に銃弾が撃ち込まれた。


  「逃げるなよ」


  どうやらジャックはアイラたちを逃がすつもりはないらしい。


  「…トム、あいつは強いのか?」


  ジェシーがジャックから目を離すことなくトムに尋ねた。


  「うん、ちょっと間抜けだけど」


  「そうか…アレをやるぞ」


  トムは目を輝かせてジェシーを見た。


  「え、いいの!?後で怒られない?」


  「いいから早くしろ。元七極星の一人を始末したとなれば、アリアス様も多少のことは目をつぶってくれるだろ」


  「よっしゃー!!」


  トムは雄叫びをあげると異空間から次々と武器や乗り物を出し始めた。


  「おい、何をするつもりだ!?」

 

  ジャックがトムを止めようと弾丸を叩き込むが、ジェシーによってガードされた。


  「今からいいものを見せてやる。ちょっと待ってろ。意思無き支配(エゾギク・コネクタ)


  ジェシーはトムが出した兵器の数々を次々と合体させた。つなぎ合わされた鉄の塊が、トムとジェシーを中に取り込み、さらに合体と変形を繰り返していく。やがてそこに現れたのは巨大なロボットだった。


  「いやー、やっぱり合体と変形は男のロマンだねえ」


  中に乗り込んだトムがはしゃいでいる。


  「おい、暴れるな。人が乗るスペースはほとんどないんだから」


  「そりゃ暴れるよ!巨大ロボだよ?」


  ジャックはその巨大化した兵器を見上げた。まるで悪魔でも見ているかのようだ。大ホールの天井からぶら下げられているシャンデリアにその頭がかするほど大きい。


  「冗談だろ…」


  それ以外に言葉は出てこない。装甲は原始潜水艦のもので、銃弾など通しそうにもない。関節部分の僅かな隙間からは接続コードが見える。

  ジェシーとトムが乗り込んでいるのは胴体の中心部分のようだが、そこは最も装甲の厚い場所でもあった。

  ジャックは的確に接続部位を狙って銃弾を放った。着弾した接続部位は一瞬ダメージを受けたかに見えたが、すぐに修復された。


  「たしかに常人離れした射撃能力だ。だが、そんなものはこの形態にとってはなんてことない」


  「いけー!ギガンティック・ジェシー!」


  となりに座っているだけでお気楽なトムは好き放題叫んでいる。


  「…なんだそれは」


  「え?このロボの名前だよ。かっこいいでしょ」


  ジェシーはトムの口を鉄のマスクで覆った。


  「んー!んんん!」


  「しばらく黙ってろ」

 

  ギガンティック・ジェシーはジャックに照準を合わせた。


  「喰らえ」


  巨大な腕をジャックに向けて、五本の指の先から轟音と共に無数の弾丸を放った。ホールに敷かれた絨毯はボロボロになり、壁は穴だらけになった。

  ジャックは逃げるために大ホールを脱出し、デッキに出た。


  「ふざけてやがる。こんな仕事は割に合わねえ」

 

  夜はすでに終わりかけて、空は薄明るくなっている。

  ギガンティック・ジェシーが壁を破壊して外に出てきた。今度は背中に背負ったウェポン・コンテナから追尾ミサイルをジャックに向けて発射した。ミサイルが船に着弾すれば最悪沈没しかねない。

  そう判断したジャックは全ての追尾ミサイルの弾頭部分を即座に撃ち抜いた。撃ち抜かれたミサイルは全て空中で爆発した。だが、爆発の衝撃は近くの客室の窓ガラスを破壊した。中からは乗客の悲鳴が聞こえる。

  ジェシーは今、ギガンティック・ジェシーの操作に全力を注いでいるはずだから、船は能力の支配から解放されたに違いない。乗務員も客の避難や船の操縦に戻ることができるはずだ。

 

 

  「いつまで持ち堪えられるかな」


  ジェシーは再び腕をジャックに向けた。ジャックは船頭に追い詰められている。海に飛び込むか、蜂の巣になるか。選択肢は二つに一つだ。


  「悪いがこれ以上付き合ってられん。離脱させてもらう」


  ジャックは迷いなく海に飛び込んだ。

  冷たい海水と、着水の衝撃が同時にジャックを襲った。口と鼻に容赦なく水が流れ込み、息が出来ない。もがいても海流に身を揉まれて思い通りに動かない。

 溺れそうになるも、がむしゃらにもがいて頭を水上に出した。なんとか酸素を取り込もうと大きく息を吸い込む。その度に顔にかかる海水を飲み込みそうになる。

  落ち着いて体制を整える頃にはかなりの量の海水を飲んでしまっていた。

  船はすでに遠く、ジャックは海に取り残された。

  これでひとまずは安心かと思われたが、危機は去ってはいなかった。

  ヘリのプロペラ音を響かせながら、ギガンティック・ジェシーが空の彼方からジャックに向かって飛行してきた。


  「しつこいぜ。何がなんでも俺から輝紅石を奪うつもりってことか」

 

  ジャックは悪足掻きのように弾丸を撃ち込むが、体が揺れる水上ではまともに狙いをつけられない。

  冷たい海水が体温を奪い、手足も痺れてきた。


  「クソ、俺はこんなところで死ぬのか」

 

  ジャックは思わず今までの人生を振り返った。

  血石戦争で両親を亡くし、ストリートチルドレンとなった幼き日のジャックは、まだ復興もままならないパリの街で物乞いや盗みを働いて毎日を食いつないでいた。

  ジャックが初めて人を殺したのは十二歳のときだった。薄汚れた路地裏で自分が持っていたパンを他のストリートチルドレンに奪われそうになったから殺した。

  そのときジャックは何も感じなかった。生きるために必要なことだと思っていたからかもしれない。

  喧嘩の強かったジャックはさらに二年ほどすると、他のストリートチルドレンをまとめるリーダーのような存在になっていた。

  彼らを統率し、計画的に盗みや強盗を行うようになった。何度も警察を出し抜き、やがて彼は紅主連盟の

 ヨーロッパ支部に目をつけられるようになった。

  ある日、ジャックがいつものように盗みを行い、その獲物を自分たちのアジトに持ち帰ると、仲間はみんな死んでいた。そのときはただ胸が苦しくなっただけだが、今思えば生まれて初めて悲しいと感じた瞬間だった。

  そして仲間の代わりに一人の人物が立っていた。

  その人物はジャックに変わった銃を渡した。それを私に撃つことができれば生かしてやろうと言ったのだ。ジャックはなんの躊躇いもなく、引き金を引いた。

  弾丸は確かにその人物に向かって発射されたはずだったが、その人物は平然としていた。そして合格だ、と言ってジャックをある場所へ連れていった。

  それが紅主連盟ヨーロッパ支部の基地だった。その人物はヨーロッパ支部のボスだったのだ。

  ジャックはその後、行使者として紅主連盟に所属し、気付けば七極星の一人にまでなっていた。ジャックの仕事はヨーロッパ支部にとって都合の悪い人間を始末したり、他の支部と輝紅石を奪い合うことだった。やがてジャックはそんな仕事が嫌になる。こんなくだらない力のために多くの人が傷つき、死んでいくことに疑問を持つようになったのだ。

  それだけが理由ではなかったが、ジャックは紅主連盟から脱退し、始末されるのを避けるため再び裏の社会に身を潜めた。

  ジャックは生きていくためだと自分に言い聞かせて殺し屋をするようになった。それ以外の生きる術を知らなかったのだ。

  どんな仕事も請け負ったが、罪のない人から命を奪う度に自己嫌悪に陥った。その罪の意識から逃れるために、殺人で稼いだお金を孤児院や病院に匿名で寄付するようになった。だが、それも所詮は気休めでしかなかった。

  正司からの依頼を受けたのもそんな葛藤に悩まされていたときだった。まさかその依頼がこんなことになるとは思いもよらなかった。

 

  「最後までなんの価値もない人生だったな」


  ジャックは殺されるくらいならと自分の銃をこめかみに押し当てた。


  「せめて自分の手でこの下らない生に終止符を打つ」


  「何カッコつけてんだよ!」


  ジャックが引き金に指をかけて引く寸前だった。救命ボートに乗ったアイルとアイラがこちらへ向かってきている。

  アイルがジャックの左手首を掴んでボートに引っ張り上げた。

 

  「お前たち、どうしてここにいるんだ?」


  ジャックが疑問を口にした。


  「それは…」


  アイラが今までの経緯を説明した。




  ジャックを追ってギガンティック・ジェシーが大ホールを破壊して出ていった後に残されたアイラは今度こそアイルを背負ってジェシーたちが破壊した壁と反対側からホールの外に出た。

  ジェシーの能力が船から解除されたおかげで、閉じ込められていた乗務員や客が部屋から出てきて船内は大混乱だった。

  騒動の原因となった自分たちが見つかれば捕まってしまうと考えたアイラはルビー・プリンセスを脱出するために乗務員や乗客が来る前に救命ボートの元へ向かった。捕まった場合クリムゾン・クストスに引き渡されて殺される可能性もあったため逃げることを最優先したのだ。

  船に乗り込んだ際に乗客全員に対して救命ボートの使い方の説明がなされるため迷うことはなかった。

  船を無事脱出してしばらくするとアイルが意識を取り戻した。

  船は救命ボートからどんどん遠ざかっていき、やがて見えなくなった。だが、脱出した後のことをまったく考えていなかったので二人はこれからどうするか途方に暮れていたのだ。

  そのときに偶然海に漂うジャックを見つけたのだった。



  「なるほどそれで俺を助けたのか。だが、そのせいでまたお前らはあいつに狙われることになったんじゃないか」


  ギガンティック・ジェシーがボートに乗った三人の元に到着した。機体が重いせいでヘリのプロペラでは速度が出ないようだがボートでは逃げ切れない。


  「お前たちふたりはジャックの後で船に戻って始末しようと思っていたが、三人まとまってくれているとは好都合だ」


  中からジェシーの声が響いた。


  「どうするんだ?動けない怪我人一人に体力の尽きた女の子と俺じゃあいつはどの道倒せない」


  ジャックは諦めたように言った。だが、アイルは諦めていなかった。


  「あんたは行使者なんだろ?その銃の能力を使えよ」


  「さっきからもう使ってるんだよ」


  ジャックは俯いたまま吐き捨てた。

 

  「どういうことなの?」


 アイラが尋ねる。


  「この輝紅石、無限の道標(ヒペリカム・ショット)の能力はシンプルだ。俺の体力と精神力が持つ限り、弾倉へ無限に弾薬を補充し続ける。対人なら無類の強さを誇るが、あいつには弾が通らない」


  「そんな…」


  アイラはジャックの説明を聞いて何も言えなくなった。このままでは三人とも死んでしまう。

  ギガンティック・ジェシーはすでに腕を巨大な機関砲に変形させ、ボートに狙いを付け始めている。

 

  「まったく、お前は何もわかってないな」

 

  アイルが立ち上がってジャックを見た。


  「あんたならあいつを倒せる。まだ撃てるんだろ?」


  「ああ、でもどうやって倒すっていうんだ」


  「あんたの能力と同じように作戦はシンプルだ。あのロボットの本体であるジェシーの体力を尽きさせればいい。輝紅石ってのは能力を使うと体力を消耗するんだろ?あんたとジェシー、どっちが先に限界を迎えるか、俺はジャック、あんたに自分の命を賭ける」


  「私も諦めるのは早いと思う。限界まで戦って、最後まで生きることにしがみつくのよ」


  二人の心からはまだ希望は失われてはいない。こんな状況でも自分たちが生き残ることを信じて疑わない心がジャックを奮い立たせた。


  「まったく、子供が偉そうなこと言ってんじゃねえよ」


  「救命ボートの操作は私たちに任せて。細かいことはよくわからないけど、前への進み方だけはわかるから!」


  ジャックは思わず頬を緩めた。今は過去に囚われていても仕方がない。細かいことは気にしなくていい、生きるために何がなんでも前進するしかないのだ。


  「うおおおおお!!」


  ジャックはギガンティック・ジェシーの攻撃が始まる前に、その関節部分へ何発も弾丸を叩き込んだ。破壊しても瞬時にその傷は修復されてしまう。それでも狙いをつけ、攻撃の手を休めない。


  「チッ、悪あがきはよせ!」


  ジェシーがそう叫んで機関砲を発射するも、アイラのめちゃくちゃなボートの操縦と、関節部分のダメージの蓄積によってなかなか攻撃を当てることができない。


  「はあっ、はあっ」


  能力の使いすぎで喉の代替パーツが軋み始め、息が苦しくなってきているようだ。


  「効いてるぞ!ジャック!」


  アイルがジャックを励ますが、ジャックもすでに額に汗を浮かべ、かなり苦しそうだ。

  どちらが先に限界を迎えてもおかしくない。


  「こっちはどうだ」


  ギガンティック・ジェシーは再び、追跡ミサイルを発射した。


  「あれは避けられない!撃ち落として!」


  「わかってる」


  ジャックは狙いをミサイルに変更し空中で爆破した。

  しかし、本体への攻撃を中断してしまったせいで関節部分の修復が間に合ってしまった。ギガンティック・ジェシーの機関砲が救命ボートのエンジン部分を破壊した。


  「はあ、はあ、これでもう動けない。狙いがつけやすくなったぞ」


  「揺れが少なくなってこっちもお前を狙いやすいぜ!」


  そう叫ぶと、ジャックは再び本体への攻撃を始めた。


  「ぐっ、はあっ、クソ!」

 

  ジェシーは喉の代替パーツの維持と、関節の修復に手がいっぱいで攻撃することができない。次々と的確に弾丸を叩き込まれてギガンティック・ジェシーはその形を維持できなくなってきた。

 

 

  「やっと喋れる。まったく、一人で無理しすぎだって」


 ジェシーに喋らないように取り付けられていたマスクを無理やり引き剥がしたトムは、ジェシーの服に手を突っ込んで輝紅石のペンダントを握った。


  「よせ!お前はこの輝紅石に適性がないんだぞ!」


  行使者といえど、全ての輝紅石を扱えるわけではない。適性のない輝紅石を無理に使うと必要以上に体力を消耗したり、十分にその力を発揮できなかったりする。

  酷ければ後遺症が残ることもあるし、最悪の場合死ぬこともある。


  「大丈夫だって。喉と関節の修復は俺がやるからジェシーは攻撃に集中するといいよ」


  トムは笑ってみせたが、その笑顔は引きつっている。輝紅石の力がすでに彼の身体を蝕み始めているのだ。


  「馬鹿…死ぬなよ」


  ジェシーは最後の力を振り絞り、ジャックへ照準を合わせた。


  「ジャック、ボートはもう動かない!今攻撃されたらやばい!」


  アイルは怒鳴るように叫んだ。ジャックは返事をする余裕もないようだったが、それでも攻撃の手を止めることはない。その力が絶えるまで撃ち続ける覚悟だった。


  「ジェシー、早く…!」


  「ああ」


  ジェシーがついに狙いを定め機関砲を放った。弾丸の雨がボートに降り注ぐ。

  はずだった。ギガンティック・ジェシーの機関砲は暴発して機体の腕が吹き飛んだ。ジャックの放った最後の弾丸が偶然銃口に入った結果だった。

  ジャックの覚悟が、奇跡を起こしたのだ。

 ギガンティック・ジェシーはそれ以上形を維持できなくなり、バラバラに空中分解しながら海に落ちた。

  機体を構築していた部品があたりにばら撒かれる。

 ジェシーとトムも海に投げ出された。


  「もう限界だ」


  ジャックはボートに倒れこんだ。


  「姉貴、あれ!」


  アイルが指をさした先には二人のリュックがあった。波に揉まれ、海に漂っているが中身も無事のようだ。

  流されてボートに近づいたタイミングでアイラが回収した。


  「まだだ、まだ逃がさない!」


  ジェシーとトムはまだ生きていた。なんとか残った残骸で船のようなものを作り出し、アイラたちに迫ろうとした。


  「ジェシー、俺たちの負けだよ」


  トムがジェシーの肩に手を置いた。


  「なんだと!?私たちは死んでも任務を達成しなければいけない」


  「そうだね。でも仮に今からもう一回戦って輝紅石を回収しても、力尽きて本部に戻れないよ。もう限界だろ?ジェシーが死んじゃったら俺も帰れないし」


  「…」


  トムの言う通りだった。ジェシーの体力的に陸に戻れるかも怪しい。


  「…帰投する」


  「うんうん、いい子いい子」


  トムがジェシーの頭を撫でる。


  「触るな、気持ち悪い」


  ジェシーとトムはアイラたちのボートから離れていった。

 

  「ふう、なんとか助かった」


  アイラは息をついた。今回もなんとか切り抜けたのだ。


  「助かったって?これからどうするっていうんだ。救助でも待つのか?」


  「ジャック、あんたはどうするんだよ」


  「どうしようもないだろ。依頼は失敗だ。こんな仕事もうやめてやる」


  やや投げやりにジャックは言い捨てた。だが、その顔はどこか清々しいものだった。

  遠い水平線の向こうから日が昇ってきた。長い夜だった。その夜を生き延びた勇者たちを祝福するかのように陽光が三人を包み込んだ。

 

 



  「終わりだ。もう終わりなんだ…」


  正司は背もたれに体重を預けて充血した目を閉じた。ついに頼みの綱だったジャックとも連絡が取れなくなった。

  部屋の外から誰かの足音が近づいてくる。正司は罰を待つ死刑囚の気分だった。


  「失礼します。正志常務、龍司会長がすぐに来るようにとお呼びしていられます」


 部屋に入って来たのは龍司の秘書だった。


  「…今は手が離せないと伝えてくれ」


  「職務を中断してでも来いとのことです」


  正司は黙って立ち上がった。ふらふらと部屋から出る。


  「どちらへ?」


  「親父のとこに行けばいいんだろう」


  正司は秘書をその場に残し、小鳩グループの本社ビル最上階にある龍司の部屋へと向かった。もしかしたら今回の騒動とは別のことかもしれない。自分にそう言い聞かせて廊下を歩いた。

  部屋の前に着くと、服装を正して咳払いしてからノックをした。


  「私です」


  「…入れ」


  明らかに機嫌がいいとは言えない声だ。正司は意を決して扉を開いた。


  「失礼します」


  龍司は正司に背を向けて立ち、窓の外を見ていた。


  「滅亡への恋(ディストピア・ローズ)とカリーズの持っていた永遠の愛(スターチス・ラブ)が奪われたと聞いた。なぜ、すぐに報告しなかった」

 

  「それは…父さんの手を煩わせるわけにはいかないと思って」


  「違うな。お前は自分の責任になることを恐れただけだ。アジア支部の捜査の妨害もしていたようだな」


  汗が止まらない。嫌な感覚が頬を伝う。


  「どうしてそれを。あ、いえ違います!情報の伝達が上手くいかなくて」


  「もういい」


  龍司は右手を振って正司の言い訳を制止した。


  「お前には辞めてもらう。それから、二度と私を父さんなどと呼ぶな」


  「待ってください!必ず取り戻します!」


  「もういいと言った。二度と私の前に現れるな」


  「そんな…」


  正司はその場で項垂れた。


  「こいつを外につまみ出せ」


  龍司は一度も振り向くことなく正司を外へ追い出した。




  「本当にどうしよう」


  アイラ達は漂流の末、地図にも載っていないであろう小さな無人島にたどり着いた。日はすでに高く昇り、強い日差しに目が眩みそうだ。


  「そもそもここはどこだ?」


  アイルは額の汗を拭った。やけに暑い、まるで熱帯だ。


  「わからない、でもツアーのコースを考えると小笠原諸島の近くだと思うんだけど」


  「おい、あれを見ろ」


  ジャックが指をさした先には雀くらいの大きさの鳥が木の枝に止まっていた。だが、その色は雀とは違って全体が鮮やかな朱色だった。羽の先端部分と嘴だけが黒い。


  「綺麗な鳥、初めて見た」


  「そうじゃない、あれは多分アカハワイミツスイと呼ばれるハワイの固有種だ」


  ジャックは信じられないといった様子で二人に説明した。


  「ハワイの固有種?じゃあここは…」


  「ハワイ諸島のすぐ近くってことになるな」


  三人は愕然とした。たった半日と一晩でハワイ諸島に来てしまったのだ。


  「どういうことだ。あの船はパラオ島を目指していたはずだろ。それにあまりにも速すぎる」


  「おそらく俺たちが戦ったジェシーってやつの能力のせいだ。船の速度も奴の能力で限界を超えていたに違いない」


  「ちょっと待ってよ。どうして目的地をハワイに変更する必要があったの?」


  「それはアジア支部を避けるためだ。ハワイは本部の管轄地域だからそこで起こった輝紅石絡みの事件は本部が解決する。要するに、自分たちが介入した公の口実を作るためだな」


  ジャックは言い終えるとポケットから青い箱を取り出した。タバコを摘んで火をつけようとするが、なかなかつかない。


  「ちくしょう、シケてやがる」


  火のつかないシケモクを投げ捨てた。


  「ハワイの近くなら観光目当ての船が通りかかるかも」


  アイラが希望的観測を述べた。


  「ダメだ。さっきジャックが言ったようにここが紅主連盟本部の管轄なら、すでに俺たちは指名手配されてるに違いない」


  「かと言って、ボートはもう壊れちまってるし、泳いでハワイを目指すなんてのも現実的じゃない」


  「立ち止まってても仕方ないし、とりあえずこの島を探索しようよ」


  アイラが先に立って歩き出した。ボートには数日分の食料と水が積んであったため、しばらくは大丈夫そうだが、いつまでも耐えられるわけではない。アイラの言う通り、島を調べておいた方がいいかもしれない。


  「水場があればいいんだけどな」


 アイルはリュックにボートの水と食料を詰め込んだ。


  「無理だろう、島が小さすぎる。水たまりがあれば運が良い方だろう」


  ジャックは喋りながらすべてのタバコに火がつくか試したがどれもダメだった。無人島ではタバコは手に入らない。


  「二人とも、モタモタしてないで。早く行こう!」


  「あいつは元気だな」


  元気なくジャックは呟いた。


  「まあ暗くなってても仕方ない。行こうぜ」


  「ああ」


  三人は島の探索を始めた。海岸から離れると、日本では見られないような植物が辺りに密生している。


  「南国って感じの森だね」


「ハワイは一番近い陸地のアメリカ大陸からでも3800キロメートル以上離れている。そのおかげで固有種の割合がとても高い」


  「さっきの鳥といい、やけに詳しいな」


  「いつどこで、どんな知識が必要になるか分からないからな」


  「ねえ、ここ人が通ったような跡がある」


  アイラが立ち止まって指をさした所は草が倒されて道のようになっていた。海岸から島の中央に向けてその道は伸びている。


  「獣道か?」


  「いや、ハワイには人が持ち込んだ家畜や犬を除いて大型の陸生哺乳動物は生息していない。誰かが通った跡の可能性が高い」


  大きさから考えても、とても人が住めるような島ではない。誰かが定期的にここを訪れているということか。


  「とりあえずこの道を辿ってみない?」


  「そうだな。もしかしたら脱出する手段が見つかるかも」


  「ちょっと待ってくれ」


  歩き出そうとする二人をアイルが止めた。


  「ジャック、あんたはここを脱出した後どうするんだ?」


  「今回の件でクリムゾン・クストスに狙われてちまったから、しばらくはどこかに身を潜めるつもりだ」


  「その後は?もし殺し屋を続けるっていうんなら、俺たちはあんたから輝紅石を奪わせてもらう」


  「その後は…」


  ジャックが言い淀んでいると少し離れていたアイラが二人の前まで戻ってきた。


  「私たちの仲間になればいいじゃん」


  アイルとジャックは驚きの目でアイラを見た。


  「今回の戦いでわかったんだけど、私たち二人じゃやっぱり全ての輝紅石を集めて封印するなんて難しい。だから、これから少しずつ仲間を増やそうと思う。輝紅石なんておかしな力に頼らなくていいように世界を変えるの」


  「お前たちの目的は輝紅石を封印することだったのか?」


  さらに驚いた様子でジャックは聞き直した。


  「本当にそんなことできると思ってるのか?」


  「思ってるから実行してるだけだ。それより姉貴、俺は仲間なんて反対だ。そもそも信用できない」


  「ジャックはどう思ってるの?」


  「どうって、俺は…」


  ジャックはアイラとアイルを交互に見た。二人ともジャックを見ている。突然笑いがこみ上げてきた。


  「おい、気持ち悪いぞ」


  「いや、悪い。でも、お前たち馬鹿だな」


  ジャックが笑いを堪えながら言った。


  「二人とも本気でできると思ってる目だ。紅主連盟に喧嘩を売ろうっていうのに」


  「貴様っ」

 

  アイルはジャックを殴ろうとした。それをアイラが押しとどめる。


  「待って、アイル。私たちの仲間になってくれないならそれでもいい」


  再びアイラがジャックに向き直った。


  「その代わり、輝紅石は頂戴する」


  「待て、俺はまだ返事をしてないだろ。いいか、よく聞け。お前たちはさっき戦った二人組よりももっと恐ろしい敵がいるってことを分かってるのか?そいつらから輝紅石を奪うことがどれだけ難しいか分かってるのか?」


  「関係ない。これは私の復讐でもある。でも、私は自分の正しいと思ったことをやり通す」


  「自分の正しいと思ったことをやり通すか、それが一番難しいんだがな」


  ジャックは髭を触って呟いた。風が吹いて木々が揺れる。こすれ合う葉っぱの隙間から太陽の光がこぼれ落ちる。


  「で、どうするの?」


  「いいだろう。お前たちがどこまでやれるか、見せてもらうとするよ」


  ジャックは心を決めた。もうこれ以上、自分に嘘をついて生きていくことは何よりも恥だと思った。


  「待て、二人だけで話を進めるな。俺は納得してない」


  「アイル、二人だけでこの旅を終わらせるのは難しいって分かってるでしょ?それにジャックはある意味戦闘のプロだから今までよりも安心だと思う」


  「こいつが裏切らないとなんで分かるんだ」


  「たしかにアイルの言う通りだ。信用の足しになるかは分からんが、俺の持っている情報を話そう」


  「…分かったよ、それが俺たちにとって有用な情報ならひとまず信用する」


  「よし。まず、紅主連盟についてだ。紅主連盟は知っての通り、アメリカにある本部と四つの支部から構成される。本部は南北アメリカ大陸を管轄地域としている。支部それぞれ、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、アフリカを支配しており、互いに監視し合って行使者の暴走を抑止している」


  「そんなことは誰でも知ってる」


  アイルが口を挟んだが、ジャックは構わず続けた。


  「問題はここからだ。血石戦争後、紅主連盟のお陰で表向きは平和が訪れた。でも、裏では今でも支部同士で輝紅石の奪い合いは続いている。それぞれの支部のトップがすべての輝紅石を手に入れようと躍起になってるんだ。特に本部のトップであるアリアスはそのことに執着しているようだな。俺が七極星だった時もその奪い合いが主な仕事だった」


  二人はジャックの話を聞いて驚いた。アリアスが本部を私有化しているという噂は聞いたことがあるが、血石戦争後もそんな奪い合いがあったとは知らなかった。


  「知らなかったろ?これで信用してもらえたか?」


  「…とりあえず今はな」


  アイルは渋々ジャックを仲間に迎え入れた。


  「よし、ジャックが仲間になったことだし、この道を辿って島の()()()で探索しよう!」


  「そうだな、日が暮れる前に探索は終わらせたい」


  「この島を脱出しないことには何も始まらないしな」


  二人はアイラのダジャレに気づかぬふりをしてその道を辿り始めた。道はどんどん奥に続いている。

  やがて三人はひらけた場所に出た。おそらく島の中央部だろう。


  「見て、小屋がある」

 

  アイラの言う通りボロい木でできた小さな小屋があった。小屋の前には焚火の跡や何かの道具も落ちている。


  「誰かが生活していたのか」


  ジャックが焚火の跡に近づいて観察し始めた。


  「割と新しいな。それなりの頻度でここを訪れているのかも」


  アイルは辺りを見回した。小屋が立っているところ以外は森だった。何か嫌な感じがする。木の陰からこの小屋の主がこっちを見ているのではないかという錯覚に陥りそうだ。


  「小屋の中はどうなってるんだ?」


  三人は小屋の中を覗いた。床は地面にが剥き出しで、家具は机と椅子があるばかりだ。

  机の上には羽根ペンとインク壺が一つずつと、ボロい海図が散乱している。


  「とても生活できそうには見えないね」


  アイラが中に入って海図の一つを手に取った。


  「すごく古い。でも、英語で書かれてる」


  どういうことだろう。外の焚火跡は新しいものだったのに、小屋の中は昔からずっと放置されているような状態なのだ。

 

  「とりあえず、しばらくこの小屋を拠点にするってのはどうだ?ボロいし、気味が悪いけど外で寝るよりはマシだと思う」


  「小屋の主が帰ってきたらどうするんだ?」


  「船を持ってるだろうから助けてくれるかも。寝るときは一人ずつ交代で見張りをたてようよ」


  もうしばらく周りの探索をして、暗くなったらこの小屋に戻るということで三人の意見は一致した。

  それから森や海岸を歩き回ったが、役に立ちそうな発見はなかった。

  日が傾き始めて薄暗くなってきたので再び三人は小屋に戻った。


  「どうだった?」


  「だめだ、俺は海岸を調べたけど何もない。強いて言えばヤシの木が何本かあったからココナッツジュースには困らないだろうな」


  「俺も姉貴と森の中を一通り見て回ったけど、成果はないな。そろそろ真剣に脱出する方法を考えた方がいいかもしれない」


  焚火を囲んで今日のことを報告し合うが、分かったのはこのままだと三人とも飢え死ぬということだけだった。

  ボートに積まれてあった水と食料は三人だと持って二日程度だ。

  ジャックが地面に寝転んでポケットに手を突っ込んでいる。タバコの箱がないことに気付いて舌打ちするが、アイルが今日見ただけでも三回は同じことをしている。

  アイルは自分の脇腹を見た。包帯は汚れており、早く変えないと傷口が化膿するかもしれない。

  アイラは髪の毛のベタつきを気にしているようだ。


  「とりあえず全員休んだ方がいい。明日、明るくなってから行動を再開しよう」


  「そうね。疲れたままだと良いアイデアも浮かばないし」


  三人は焚火を消して小屋の中に入った。森から取ってきた巨大な葉っぱを下に敷いて眠ることにした。

  最初の見張りはジャックがすることになった。

 

  「じゃ、おやすみ」


  アイラはさっさと自分の場所を確保すると眠り始めた。


  「ああ」


  「姉貴に変なことするなよ」


  「そんな趣味はない」


  アイルもアイラの隣の葉っぱの上に横になって目を閉じた。二日間まともに眠れなかったせいですぐに眠りについた。


 



  「またか…」


  アイルはまたあの夢を見ていた。


  「少しは慣れてきたか?」


  アイルは声のする方を向いた。あの男が笑いながら座っている。


  「お前は何がしたいんだ?」


  「俺は別に何もしたくない。ただお前たちを待っているだけだ」


  「待っている?」


  「そうだ。お前たちが運命に抗い、成長するときを楽しみにしている」


  男はゆらりと煙のように消え去った。


  「待て!」


  自分の声が頭の中で反響するような音を聞きながらアイルは夢から追い出された。




  誰かのいびきが聞こえる。

  アイルは起き上がって扉のほうを見た。見張りをしているはずのジャックが壁にもたれかかって眠っていた。


  「まったく…」


  アイルは外の様子を伺った。まだ暗いが、遠くの雲が少し明るい。早朝のようだ。

  三人とも結局一晩中眠っていたのだ。

  アイルがもう一度眠ろうと中に戻ろうとしたとき、外から物音が聞こえた。アイルはもう一度外を見るが、暗くてよくわからない。

  聞き間違いかと思って耳をすますと、やはり音が聞こえる。重々しい足取りだ。


  「二人とも起きろ!」


  眠りこけているジャックとアイラを起こす。


  「なんだ?飯か?」


  「どうしたの?見張りの交代?」


  「違う!何かが外にいる!」

 

  「え、嘘」


  「帰ってきたのか?この小屋の主が」


  次の瞬間、小屋の扉が軋んだ。何かが開けようとしているのだ。

  ジャックが素早く銃を構える。アイルとアイラは警戒して扉から離れた。

  扉がゆっくりと開き、そこにいたのは青白い顔でボロボロの服を纏った男だった。


  「あ、悪魔だ!」


  「幽霊よ!」


  「二人ともよく見ろ!」


  騒ぐジャックとアイラをなんとか落ち着ける。入ってきた男の方が驚いた表情だった。


  「なんだお前たち。また私の船を奪いにきた連中か!?」


  男はそう言うと、脇に差したサーベルを抜いた。


  「違う、俺たちは遭難してこの島に流れ着いただけだ」


  ジャックが銃を下ろして弁明した。


  「騙されないぞ。私は人を騙す奴が一番許せんのだ」


  男は聞く耳を持たず、サーベルを振り回して始めた。


  「おい、やめろ!本当に違う!」


  「滅亡への恋(ディストピア・ローズ)!」


  アイラが男のサーベルを槍で突いた。サーベルは空中に固定されて動かなくなった。


  「なんだ!?また変な力を使う奴だな。私はお前たちに屈しはしない。お前たちのような…」


  ジャックが威嚇するように男の足元の床を撃った。


  「次は頭を狙う。いいから話を聞け」


  「貴様!…あの、丸腰の相手に向かって…そんな…ダメだよ…」


  男はだんだん声が小さくなっていき、やがて何も喋らなくなった。


  「すまない。話を聞いてくれないもんだから。あんたはこの小屋の持ち主か?」


  ジャックは少々バツが悪そうに聞いた。


  「そうだ。ここは私の隠れ家の一つだ。お前たちは本当にここに遭難しただけか?」


  「そう。あなたは何者なの?」


  男は急に威勢を取り戻して胸を張った。


  「私は誇り高き英国海軍の航海士、ジェームズ・クックだ!キャプテン・クックと呼びたまえ!」


  「英国海軍?そんなものはもう存在しないが…」


  ジャックがそう言うと、クックは再び落ち込んでごにょごにょと呟き始めた。


  「そう…もう存在しない。かつての部下も、家族も、私を残して死んでいった。私はずっと孤独…」


  「いや、あのー悪かった。失礼ついでに聞きたいんだが、あんたは何歳なんだ?」


  「忘れた。私はずっと海を彷徨い続けている」


  クックは紅く輝く石を取り出した。


  「それって…」


  「輝紅石だよね」


  「私からこの石を奪おうとした奴らもそんなことを言っていたな。私は一度死んだのだ。この近くの島の住民と揉め事になってな。あいつら、私が海岸で転んだところを一方的に攻撃してきた。だが、私は蘇ったのだ」


  クックは昔を懐かしむような目で語り始めた。

 クックが目覚めたのは砂の中だった。なんとか砂をかき分けて外に出ると周りには誰もおらず、一人だった。乗ってきた船も部下もいない。なぜか手の中には紅い石があった。

  クックはとにかく人を見つけようと島の中に向かった。だが、彼がそこで見たのはかつてののどかな風景ではなかった。

  開発が進み、リゾート地と化した島を見て驚愕した。

  クックが生きていた時代には見上げるほど高い高層ビルも、街を我が物顔で走る自動車もなかった。

  日本の昔話である浦島太郎をクックが知っているはずはなかったが、完全に浦島太郎状態になっていたのだ。

  クックは絶望して目を覚ました海岸に戻った。星を見上げれば涙がこぼれ落ちた。会いたい人はみんな死んでしまって、生きている意味もないと思った。

  そんなとき、手の中の紅い石が怪しく光った。その石はクックがかつて世界中の海を冒険していた頃、偶然見つけたものだった。

  元々その石は二つで一つ、一対のものだった。

  クックは一つを自分が持ち、もう一つを最愛の妻、エリザベスに渡した。

  そのことを思い出したクックはどこかでエリザベスも自分と同じように生き返っているかもしれないと思い当たった。

  クックはイギリスに戻ってエリザベスを探そうと決心した。その気持ちに呼応するかのように手に持っていた輝紅石が輝き、クックの前にかつての仲間たちと航海をした船が現れた。

  クックはその船に乗ってイギリスへ向かった。だが、たどり着いたイギリスもやはりクックの知っている町ではなかった。

  自分たちが住んでいた家はとうの昔に取り壊されていて、エリザベスの手がかりも掴めなかった。


  「それから私は世界中を彷徨ってエリーを探している。私の石を狙ってくるやつもいるが、私はこの世界のどこかで同じように孤独に苦しむエリーを見つけ出すまではこの石を失うわけにはいかん。この石は唯一の手がかりなのだ…」


  クックが話し終わる頃には日が昇っていた。輝紅石の力で蘇った悲しき男は孤独の中で一人愛する人を探し続けていたのだ。


  「ねえ、私たちもエリーを探すの手伝ってあげようか?私たちはその石と同じように不思議な力を持つ輝紅石を集めてるんだけど、そのためには世界中を回らないといけないの。そのついでになっちゃうけど、あなたが仲間になってくれたら船も手に入るしお互いにとって悪くないと思うんだけど」


  アイラが話し終えてから俯いたままのクックの顔を覗き込んだ。


  「何!?私の部下になりたいのか!?」


  クックは顔を上げて目を輝かせた。


  「姉貴、こいつ本当に大丈夫か?」


  「大丈夫よ。悪い人じゃなさそうだし」


  「ああ、少なくともこれで島からは脱出できそうだな」


  「お前達、そんなに私の部下になりたいのか!?仕方ない。お前達をこの偉大なキャプテン・クックの部下にしてやろう。付いて来い!早速出航だ!」


  クックは意気揚々と歩き出した。その足取りは軽々しく、生き生きとしていた。三人は急いでそれについて行く。

  また変な奴を仲間にしてしまった。アイルは先を歩くアイラを見た。どんなに仲間が増えたとしてもアイラを守るのは自分だとアイルは自分に言い聞かせた。

  海辺まで下りていき、さらにしばらく歩くとクックは足を止めた。船はどこにも見えない。


  「おい、船があるんじゃないのか?」


  「まあ待て若者よ。そういえばお前たちの名はなんだ?」


  「俺はアイルで隣にいるのが姉のアイラ、それからこのおっさんはジャックだ」


  「そうか、ではアイルよ。今から驚く準備をしておけよ」


  クックが輝紅石を掲げると、海の中から轟音を響かせて大きな帆船が現れた。帆は破れ、船底は穴だらけでさながら幽霊船だ。


  「こいつはすげえな」


  「でもこんなボロボロな船でどうやって航海するんだ」


  クックはどこからか鉤付きのロープを取り出してそれを投げ、船に引っ掛けた。


  「乗ればわかる」


  クックはロープのもう片方を近くの岩にくくり付けた。


  「おい、まさかこのロープを虫みたいに伝って船に乗るんじゃないだろうな」


  「桟橋も船着場もないのだ。仕方なかろう」


  クックは慣れた手つきで船に乗り込んでいく。


  「姉貴、気を付けろよ」


  「うん」


  「まったく、なんでこんな乗り方しなきゃいけないんだ」


  全員が乗り込むと、クックは両手を広げた。


  「ようこそ、我がレゾリューション号へ」


  「汚いな」


  「うん、汚い」


  「掃除しなかったの?これじゃ奥さん見つけても嫌われちゃうよ?」


  たしかに立派な船ではあるが、クック同様ボロボロでお世辞にも綺麗とは言い難い。


  「貴様ら!この私を侮辱しているのか!…私だって始めは毎日掃除してたんだ…でも…一人だし…船広いし…」


  「わかったから。これから俺たちは仲間なんだからみんなで掃除しよう」


「まあ、俺も汚い船で生活するのはごめんだし手伝ってやるよ」


  「船長も体を洗って服を新調した方がいいよ。私が服を選んであげようか?」


  「お前たち…」


  クックは目に涙を浮かべていた。


  「泣くなよ。大人気ない」


  アイルがそう言うと、クックは袖で目を拭った。


  「泣いてなどおらん。掃除は部下の仕事だからな。徹底的に頼むぞ」


  クックは輝紅石を輝かせた。


  「さて、最初の目的地はどこだ?この船は私の意思で動く。世界の果てへでも連れて行ってやろう」


  レゾリューション号がゆっくりと動き始めた。

 穏やかな潮風が吹き抜け、帆をはためかせていった。

 輝紅石を集める旅はまだ始まったばかりだ。

  アイル達はそれぞれの想いを胸に新たな出発を喜んだ。





 〜クリムゾン・ストーンについての手記 その1〜


  私はここに謎多きクリムゾン・ストーンについて分かっていることを出来るだけ残そうと思う。欲深い紅主連盟の奴らに全てを闇に葬り去られる前に。

  まず、私が一番気になっているのはなぜ一万五千年前から存在するクリムゾン・ストーンに経度や緯度が記されていたのかだ。

  古代より経度や緯度を地図の上に引き、位置を決定するという発想はあった。しかし、現代のような正確な基準となったのはほんのここ二百年の話だ。

  この謎にはいくつかの解釈が存在する。

  そのうちの一つを紹介しよう。そもそもクリムゾン・ストーンはそこに記された文字を直接読むことではなく、手を触れることで感じるものであるがゆえに、取得する情報が受け取り手によって若干変わってくるというのがポイントだ。

  本来は理解不能な部分も、受け取り手がその部分を理解するために解釈を変えているというのがこの説だ。経度と緯度の概念を知らない人間が触れたとすれば、もしかしたら輝紅石のありかは違う形で記されているのかもしれない。

  私はこの説を推したいのだが、他にも有力な説はある。

  クリムゾン・ストーンは過去の遺産などではなく、未来から送られてきたものではないかというのが有力な説の一つだ。

  未来人がなんらかの目的を持って我々に輝紅石とクリムゾン・ストーンを送り込んできたということだ。この説が有力視される理由は、正体不明の輝紅石に未来の超テクノロジーという説明をつけられるからだ。

  だが、そもそもそんな技術があるのならばクリムゾン・ストーンなどというものを送り込まなくても直接我々に目的を伝えるはずではないかと私は考える。

  少し長くなったか。今回はこれくらいにしておこう。私の部屋に近づく足音が聞こえる。見つかると厄介だ。

  それでは次の機会までこの記録を隠しておくとしよう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ