仮装の約束は
ふとしたとき、人の意外な一面に気づくことがある。
例えば今なら、私の妹の髪がやけに長く艶々として、見惚れるほどに美しいことが挙げられるだろう。天使の輪が光る黒い髪はその先まで痛みもなく、ノートに何やら書き連ねる手まで髪の一部のようになめらかさを残している。ばさばさに広がった私とは大違いだ。
妹のベッドで寝返りを打つ。ずっとこうしているのも飽きた。けど、妹の手は止まることなくノートを埋め尽くしている。このまま私を放置するのか。悪戯心がむくむくと湧き出して、私の腕は妹の髪へと伸びていた。
髪を掴んで引っ張る直前、妹の手が止まった。
「今日はハロウィンだね、おねえちゃん」
「うん」
悪戯などなかったように腕を引っ込める。
「今年は何もしなかったけど、去年は一緒に仮装したよね」
「そういえばそうだった、二人で一緒に魔女っ子やったなぁ」
今ほどではないが、あの頃も妹の髪は綺麗だった。黒い衣装で並んだ写真に写る妹は明らかに私より可愛くて、自慢の妹だと近所中に言いふらしたものだ。
「お揃いの衣装着れて嬉しかった」
頬がかすかに動いた。
「私もだよ」
まだ一年しか経っていないのに、随分昔のことのように感じる。
「今年もパーティー誘われたんだけど、断っちゃった」
「なんで?」
「だっておねえちゃん、いないんだもん」
「気にしなくていいのに」
私がいなくたって、妹は妹だ。一人でもハロウィンを楽しんでほしかった。けど、大切に想ってくれて嬉しい自分もいることは否定できなかった。
だって私も、妹が大好きだから。
「ねえ、おねえちゃん」
「なあに?」
「今じゃ馬鹿騒ぎするお祭りになっちゃってるけどさ、現地ではハロウィンって日本のお盆みたいなものらしいよ」
「そうなんだ、流石私の妹は物知りだなあ」
「お盆ってことはさ、幽霊もお化けもみんな溢れ出るのかな?」
「かもよ?」
「そうだったらいいなあ」
言葉を交わしながら、妹に気づかれないよう、そっとノートを覗き見る。何を書いているんだろう、そんな軽い気持ちで。
いつもと違う震えた字で、乱雑に書き綴られていた。
嫌な予感がした。
10月27日
おねえちゃんが車に跳ねられた。相手は逃げてしまって、行方がわからないらしい。模試の途中で抜け出して病院に駆け込んだ。おねえちゃんは沢山の管につながれて寝ていた。危ない状況だとお医者さんは言っていた。
でも大丈夫。私のおねえちゃんだもん。
10月28日
模試をサボって一日中病院にいた。先生は何も言わなかった。透明なマスクをしたおねえちゃんは、時々苦しそうに呻いた。宙に吊られた両足はすごく痛そうだった。何度もナースコールを押して、看護師さんに怒られてしまった。
きっと大丈夫。私のおねえちゃんだもん。
10月29日
学校を休んで今日も病院に行った。おねえちゃんはまだ起きない。顔が真っ青で苦しそうだった。今年のハロウィンも一緒に魔女の仮装をしようと約束した。無理矢理絡めた小指は冷たかった。全然悲しくないのに泣いてしまった。犯人はまだ見つかっていないらしい。
大丈夫だよね。私のおねえちゃんだもん。
10月30日
おねえちゃんが死んだ。私がお手洗いから帰ってきたら、息してなかった。
10月31日
おねえちゃん。嘘だよね。お医者さんが嘘言ってるんだよね。ほんとはおねえちゃん生きてて、いつもみたいに悪戯しようと隠れてるんだよね。お父さんもお母さんもひどいなあ、私を騙すなんて。ちゃんと知ってるもん。だって仮装の約束したんだから。今日は無理かもしれないけど、明日も明後日もあるからね。
おねえちゃん、早く出てきて。ばあって驚かせて。怒らないから。そしたら、一緒に魔女っ子しよ。
私のおねえちゃんだから、どこにも行くわけないよね。
ふとしたとき、人の意外な一面に気づくことがある。
それは他人だけでなく、自分にも言える。
例えば今なら、私の手足が透けていることが挙げられるだろう。妹の髪を触ろうと腕を伸ばしても、触れるどころか腕が突き抜け、妹の口から私の指が見え隠れする。
なぜ気づかなかったのか。ここ数日の記憶がないこと。妹が一度もこちらを見ず、ノートに涙を落としていること。
そして、自分が死んでいることに。
「おねえちゃん、いるよね? 今もそこにいるんでしょ。だって今日はハロウィンだもん。幽霊も人間も関係なく騒げる日だもん」
「友理奈」
「お願い。どこにも行かないで」
再び頬を伝う涙を拭おうとして、指先が妹の体に入り込む。
「……っ」
肉体もないのになぜか、胸がひどく痛んだ。
「おねえちゃん、おねえちゃん……」
妹はノートに突っ伏し、静かにすすり泣いている。
「友理奈、おねえちゃんここにいるよ」
体がすり抜けるのも構わず、妹を抱きしめる。
「ここにいるから。泣かないで。ここにいるよ……」
約束守れない、駄目なおねえちゃんでごめんね。
自分が少しずつ透けていくのを感じながら、届かない声で謝り続けた。
ハロウィン特別短篇です。
すごくしんみりしたお話になってしまった……。