女神様、これはただのマッサージですよ。
リハビリ用です。
死んだ。
さっぱりと俺は死んだ。
死に方は実に俺らしいくだらないもので、もう年だってのに精力の尽きるまで女を……言わせんな恥ずかしい。
ともかく人生にはとっくに飽きていたのだから未練は無い。
未練があるとしたら、死後の面倒を見てくれただろう同棲していた女の子のことだ。ごめんな、救急車やら何やら大変だったろうに。
彼女には本当に済まないと思うが、いま俺はそんな事を言ってられない状況だ。
真っ白い世界がそこにあった。
あるいは、驚きの白さ、というフレーズでも良い。
寒くもなく暑くもなく、そよとも風を感じない。
ぐるりと後ろを見ても同じ風景。なんっにも無い。
今度は足元を見てみると、わずかに雲が流れている様子が透けて見える。
ははあ、ここは天空とか神様の住む世界とか、そういう特別な場所だ。天国という考えが浮かばないのは、俺なんかが来れる場所じゃないからだ。
頭を触ってみると、いつもの頼りない頭髪が待っている。
たるんだ腹を見る限り、たぶん顔つきも以前と変わらん醜さだろう。もちろん服なんて上等なものは着ていない。というか死んだとき裸だったし仕方ないだろ。
さて、ここは何だ。
周囲に俺みたいな奴はいないし、勝手にどこかへ歩いて行くべきなのだろうか。
そう思っていると、シャンと鈴の音がした。
シャン、シャン。
祭りとか神社とか、そういう場所で聞いたような音だな。
そう思いながら音の方角を見つめていると、杖を持っているらしき女性の影が現れる。
そいつは霧のなかから姿を見せるよう、ゆっくりと輪郭を露にさせてゆく。
が、驚いたね。
脚の長さもさることながら、弾けるような胸元と少女のような小顔。モデル顔負けのプロポーションを、うっすらとした影から分かる。
え、なんで分かるかって?
分かるんだよ、だっておっさんだもの。鑑賞してきた女体の数の年季が違うよ、年季が。ぱっと見ただけでエロい身体かどうかなんてすぐ分かる。
さらに言うと、人間ってのはどうしても肉体に精神を引っ張られるものだ。エロい身体をした奴はエロいってのは本当で、あれは子作りに向いてますよという波長をばら撒いてるんだと俺は思っている。
おっと、エロに関することだと、つい俺は熱弁しちまうな。まあ、それはいい。問題は近づいてくるあの女性だ。
何の目的で俺はここにいるのか。そしてあいつは何を伝えるのか。
だが、肝心なのはこれだろう。
もしブサイクだったら俺は切れてしまう。
いや、普通に考えて切れるだろ。
あの8頭身、見ているだけで安心する豊かな胸、均整と調和の取れた黄金比をこれでもかと再現した理想的な身体。
これでブサイクだったら、おいおい泣くしか無いって。神はいないのかと嘆き悲しむのが健全な男性というものだ。
しかし、ただの霧であればとっくに姿を見せている距離だろうに。
目をごしごししても何も変わらない。ぼんやりとした輪郭が見え、それが数歩先までたどり着いたとき、シャンと鈴の音をまた響かせる。その途端、ふうっと霧を払うようにして姿を現した。
まさしく完璧だった。
綺麗な目鼻立ちは知的さを表しつつも、どこか幼さを残している。青空によく似た色をした瞳は長いまつげに飾られて、肌はそれこそ輝くようなという表現がぴたりと合う。
腰までのウェーブがかった黄金色の髪からも神々しさが伝わってくるようだ。
やがてその女性は、ぷっくりと色づいた唇を開いた。
「……なぜガッツポーズをされているのです?」
え、するだろ?
そういう流れだったし、むせび泣かない俺を褒めて欲しいくらいだ。あ、すまん。ちょっと泣いてたわ。
良かった、安心した。この世界もまだまだ捨てたもんじゃない。そう安堵した俺は、その誰とも分からない完璧な女性に話しかけた。
「いやーー、安心したよ。本当に別嬪さんだ。胸もお尻も大きいし、中世風というのかな、透けそうな生地で覆っているから色気もすごい」
素直に褒めたつもりが、ぱっと女性は胸元を隠す。元の肌が白いせいで、頬が赤くなるのもよく分かる。
しかしこれがまた良い。恥らう姿というのは、おっさんから見たらたまらないんだよ。隠せているようで隠せていないし、これだけでご飯を食べれるくらい眼福だ。本当にありがとうございます。
その女性は困ったような表情を浮かべ、艶のある唇を不服そうに歪めた。
「わ、私は女神アウネカと申します。あなたは少し正直過ぎるようですね。心と言葉がまったく同じなのは驚きます」
「心と言葉……? なんだ、俺の心を読めるのか」
こくりと頷かれたが、うさんくさい占い師やペテン師とは何かが異なるように思う。たぶん彼女から伝わる気配が「本物」だと分かるからだろう。
はて、その「本物」とは何を表しているのか。そう考えていると、アウネカなる女性は頬を染めたまま近づいてきた。
「私は、この世界の女神……」
しかし、そう言いかけた所で言葉は止まる。
俺が彼女の腕に触れたからだ。吸い付くような肌とはまさにこの事で、青空色の瞳を丸くしている間に腰を優しくタッチする。
大事なのは流れるよう自然な動作を心がけることだ。当たり前のように触れて「これが日本の文化なんですよ?」くらい堂々とする。そうしたら相手も「こっちが悪いのかな」とちょっとだけ考えるだろ?
「わっ、何をするのですか!?」
「決まっているだろ。男と女が2人っきりになったら、やることは……」
あ、心を読めるってのは本当だったわ。
先ほどとは比較にならないほどアウネカは顔をみるみる赤くさせてゆき、元が完璧な顔立ちだったものだから尚更可愛さを覚えちまう。いいねえ、こういう表情的なギャップって奴は。
ぱん!という音は、ビンタなんて生優しい物ではない。
俺の胸から下がごっそりと消え、換わりに赤いものが地面を染めてゆく。どぼどぼと中身をぶち撒き、そのなかへ俺の頭部は沈んだ。
むくりと起き上がり、周囲を見渡す。
真っ白い空間はそのままで、しかし今度は椅子が置かれていた。木製の素朴なもので、それが向かい合うように2脚ほど。
なんだあ、いまのは。
ゲームオーバーだったのか、その続きなのか。
さっきのは俺の死だったのか、はたまた元から死んでいるのだし関係ないのか。
頼りない髪を掻き、それから身を起こす。
さすがにやりすぎたか。女神とか何とか言っていたし、たぶん特別な女性なんだろう。
しかし分からんな。女神を相手に不埒な行為をしたのに、なぜ消滅をさせない。それとも大きな罰がこれからやって来るのか。
そう考えていると、先ほどのような凛とした声が響いてくる。
「そ、そちらにお座りください。その後に私は姿を現します」
声はどこか羞恥を帯びており、極上な声質はさらに魅力的になったように俺は思う。相手はどう思っているかは知らんがね。
さて、どうやら女神アウネカは、自分のルールで物事を運びたいらしい。椅子に座らせ、話しを聞かせ、そして自分のルールで俺を動かすのだろう。
だったらまず座ることだ。
ルールに乗るという姿勢を見せ、相手を安心させる。
どっこいしょと腰掛けると、やはり彼女は姿を現した。第一印象から分かっていたが彼女は律儀な性格らしく、顔を見せて話しをしたがるようだ。ずっと隠れていれば楽だろうに。
彼女は長杖を手にしたまま椅子へ腰掛ける。
しゃんと背を伸ばし、膝と膝を綺麗にくっつけた姿勢。それでいて中世的な露出度の高い服装をしているものだから、太ももの奥を覗けてしまいそうで気になるな。ほら、辺りは真っ白だから光源には困らないし。
「覗きこまないでください。先ほどの仕打ちを覚えておきながら、なぜあなたは畏れないのですか」
「仕打ちって……ああ、さっきのアレか。別にいいだろ、もう死んでるんだ。それを分かっていたからアウネカもお仕置きをしたんだろうし」
別に失うものが無いから本能のまま行動したわけじゃない。
もし俺に失うものがあったとしても、きっと同じような行動をする。だって俺はバカだからな。
むしろアウネカの肌に触れることが出来て俺はとてもハッピーだ。すべすべの肌、わずかに乱れた吐息、あの表情は他では得られない。だから痛い目に合わされても、得をしたという感情のほうが強い。
そう考えていると、気のせいか恨みがましい目を向けられた。
先ほど心が読めると言っていたが、しかし全てを知られているわけでは無いだろう。でなければ腕を握ることは出来なかったし、怒りを買うはずも無いからだ。
それをじっくりと考えながら、まずは女神の言葉を聞くとしよう。
落ち着かせるためか息をひとつ吐き、それから女神は杖で地面を打った。
しゃんと鈴の音は響き、そして俺は椅子から落っこちそうになった。CGだか何だか知らないが、足元へ妙に立体感のある地図が浮かびあがったのだ。
見たことも無い地形、見たことも無い海。
つまりは俺の暮らしてきた地球ではないとアウネカは伝えてきた。
てっきり地球にいる女神様かと思っていたが、まったく異なる存在だと俺は知る。ちらりと上目遣いで彼女を見ると「そういう事です」と言いたげに頷かれた。彼女も地面を覗き込んでいるので、たっぷりの谷間まで楽しめるのは素晴らしい。
分かるかな、覗き込んでいる姿勢の魅力ってやつを。
露にした太ももと、きれいに整った理想的な谷間。それが俺の視界からはすぐ近くに配置され、青空色の宝石みたいな瞳がこちらを見ている。
「最高です、ありがとうございます」
「……なぜ私を見てそう言うのですか。まだ説明の途中ですから、しっかり下界を見てください」
おっと、怒られちまったよ。
といってもこっちなんて相変わらず全裸なんだし、この美と醜の集合は何なんだろうね。見たことないよ、こんだけひどい差は。もし周りに誰かいたら「死ねよ豚」と言われるに違いない。その立場なら俺だって言うし。
残念なことに、さっと谷間を手で覆われてしまったので、下界とやらを覗き込む。
すると、黒い墨を垂らしたように、最南端の島は色を変える。そしてじわじわと大陸を侵食するかの如く、南側から規模を広げていった。
「これは魔王軍の侵略領域です。黒く染まった場所は、もはや人の住める土地ではありません」
「ふうん、魔王ねえ。人間を滅ぼして何をしたいんだか分からんな」
そう呟くと、わずかに女神の表情に変化が起きる。
寝ても覚めても女性のことが大好きな俺にしか分からない程度。形の良い眉のあいだへ、ほんの少しだけ皺を刻んでいた。
これは乱れている下界を嘆いている表情では無いな。
何らかの落ち度がアウネカにあったのかもしれない。確証などまったく無い、ただの勘に過ぎないが。
もしもこの推測が正しければ、女神アウネカの落ち度をどうにかするため俺は呼ばれたのかもしれない。
「……ここが異世界で魔王が暴れているのは分かった。んで、こんなどうしようもない男を呼んで、アウネカはどうしたいんだ?」
「あるべき世界を取り戻します。その為にあなたには力を与え、魔王討伐という使命を与えます」
ふわっとした答えが来た。
耳をごしごし掃除してから同じ質問をすると、また同じ答えが返ってくる。この可愛い子ちゃんは、立派なのは乳と尻と太ももと女神みたいな顔立ちだけなのかね。あと声な、声。耳にスッと入ってくる気持ちよい声なんだわ。
「俺に拒否権はあるのかな? もう死んでるから無いか」
「その場合は、あなたを消滅させて他の候補者を探します」
うん? それは脅しのつもりかな?
もうほんと可愛い。その言葉でアウネカは俺のドストライクに入ってくれた。
相手を納得させるために彼女の選んだ言葉は「消滅」だった。消えたくなければ働きなさいという意味だろうけど、こちとら伊達に下らない人生を歩んでいない。さっさと捨てても何の感慨も無い。むしろ、やっと消えれるわー、くらいだ。
先ほどの、女神アウネカは全ての心は読めないのではという疑念はここで固まった。気乗りしていない俺に対し「転生後は女神の力で強化を~」だの熱心に伝えてきたからだ。
いらんいらん。強化なんていらん。
力を持った男ってのは、どうしようもない存在になるもんだ。本人にその気が無くても、必ず周りの連中がそう変える。いや、変えさせられる。
そういう奴らをずっと見てきたし、同じような存在になんてなりたくは無い。
だから、俺の次の言葉はアウネカの核心を貫いてしまった。
「どんな手を思いついたか知らないが、悪いけどやめとけ。俺や他の奴があの魔王みたいに暴れて、事態が全て収まると思うのか?」
ぎしりと女神は強張った。
たぶん俺が言わなくても胸中に不安があったのだろう。だから実際に口にされると濁流のように不安が押し寄せてくる。
しかしな、美人が泣きそうな顔に変わるのは、ちょっと駄目だ。実際は無表情だし、俺にしか分からない程度の感情だけど胸に来てしまう。どうにかしてあげたいし、助けてあげたいけど方法は何も分からない。
だから、ごりごりと頼りない髪を掻き、それから話しかけた。
「転生させるってつまり赤ん坊からスタートって事だよな。ならちょっとは時間的な余裕もあるわけだ。少しばかりアウネカの悩みとやらを聞かせてもらえんかね?」
思いがけず優しい声が出てしまい、それが彼女の瞳を丸く変えた。青空色の綺麗な瞳は、こうして見ると少女のようで可愛らしかった。
聞くところによると、この場所でアウネカは過ごしているらしい。
真っ白いだけの殺風景な場所で、何も無いときはじっと座って時が過ぎるのを待つらしい。とんでもないブラック環境だよ。いや見た目はホワイトか。
「確かに私は心を読めますが、実際に生み出せるものはあなたの想像しているものと多少異なりますからね」
「いいんだよ、適当で。一緒に何かをして遊びたいだけさ」
ふすんと女神は息を吐き、それから杖を操る。
真っ白い空間にはソファーと小さなテーブル、そしてテレビ台が現れた。ためしに腰掛けてみると、俺の体重でもぼすんと弾んでくれる上質なものだった。
「いいじゃないか、俺の記憶通りのものだ。これは実物なのか、それとも見た目だけの物なのか?」
「天界というのは特殊です。物質ではありませんし、あなたと私にしか感じ取れないものです」
うん、聞いておいて何だけど全然分からん。
おいでおいでと招くと、やや不満げな顔でアウネカは座る。この子は脚が長いのに胴は短いものだから、少しばかり俺のほうが上背がある。おっと、あんまり胸元を見るとまた隠されちまうからな。
さて、肝心のゲーム機は付くかなっと。
ぽちりとボタンを押すとピッと音が鳴り、画面にはいつもの光景が浮かび上がる。
「いや流石は女神様だ。美人だし能力はあるし、おまけに声がとても良い。下界に行ったらさぞモテるだろうな」
「そういう価値観など私にありません。それに女神の私が下界に降りても、大変なことに……なると分かっております」
ん、また無表情になっちまったか。
これはきっと過去になんかあったんだろうな。
それを聞くほど野暮じゃないし、俺は彼女と遊びたいだけだ。そう思いながら、彼女にも同じコントローラーを握らせる。
どう持つかも分からないらしく、俺の手を覗き込んで丸ボタンや十字ボタンをぽちぽちと押す。田舎の子を迎えたようで面白いが、笑ったら失礼だ。
「分かりやすいゲームが良いか。シューティングなんてどうだ。弾を撃って相手に当てる。こっちが当たったらアウトだ」
「私には娯楽をする趣味などありません。お一人でされては如何ですか?」
「それは少しばかり寂しいってもんだ。助ける意味で一緒にやってくれ。つまらないならすぐやめるからさ」
にかりと笑いかけると、珍しくアウネカは均整な眉を片方だけ歪めた。まるで人間味の無い子のようだけど、少なからず感情を持ち合わせているらしい。
ではゲームスタートだ。
最近は3DだのCGだのが当たり前になって、こういうシューティングは受けない傾向がある。やりこまないと楽しさは分からないし、難しくて取っ付きにくいというのが理由らしい。
ただゲームってのは単なる遊びで、シンプルなほうが俺は良いと思っている。いくら金をかけたって、昔っからあるテトリスにさえ勝てないからな。
それでこのシューティングはというと、古典的な横スクロール型だ。敵の弾なんてゆっくりしたもので、初心者のアウネカだってどうにかかわせる程度。しかし後ろの敵を見ていなかったのか、自分から当たりに行って大破してしまった。
「あっ!」
「わはは! けっこう難しいもんだろ」
「難しくはありません、今のは私の不注意です」
うまく行かない事があると、どうやら唇をとがらせる癖があるらしい。アウネカ機は大破したものの、俺としては彼女の面を知ることが出来て喜ばしい思いだ。
どん、どん、と彼女の機は大破してゆく。かわしているようで、わずかなコントロールの乱れて失敗してしまう。
アドバイスを控えていると、だんだん彼女は前のめりになってきた。
たぶん生真面目なのだろう。目の前に問題があると、どうにかしようと本気を出してしまう。
立ち上がったと思ったら長い金髪を後ろでゆわき、そしてまたソファーへ腰掛ける。ちらりと横を見てみると、先ほどよりも真剣な瞳で画面を見つめていた。
ん、ちょっとは慣れてきたか。肩に力が入りすぎているのは気になるが、いまは遊びの時間なのだから好きにやらせよう。そう思い、また最初からステージの攻略を俺たちは始めた。
このゲームは古典的だ。敵を倒してこちらの装備を強化し、そしてボスを迎えるとやたらめったら画面を弾が埋め尽くす。するとゲーム慣れをしていない女神は、右へ左へ身体を動かして悲鳴を上げる。
「わっ! ちょっ、これもうっ! あっ、やああーーっ!」
どおんと大破する前に、俺のバリアで弾を消してやる。
しかし敵の弾は後から後から吐き出されるので、そんなバリアなど簡単に砕かれてしまう。とっさに敵砲台へと互いの火力を集中し、どずん!と黒煙を敵艦は吐き出した。
砲台は計3機。ルールを飲み込んできたアウネカが、そちらへ向かうのを見て俺も動く。だが、敵艦の横にあるハッチが開くと、無数の敵機体が現れて……アウネカの悲鳴と共に、宇宙のもくずとなってしまった。
「あーー、難しいです!」
そう言いながら、ごろんとアウネカはソファーへ身を埋めた。
テーブルの上には空になったコップが置かれ、彼女も身体の露出などとっくに気にしていない。
たっぷりの谷間を汗だくにしている様子は、ほんと俺にとって天敵だ。一番の死因は間違いなくこの凶悪エロスなのだと知って欲しい。
「たぶんアウネカは画面を見るのが苦手なんだろ。全体の俯瞰視点、それと敵の位置、自分の位置を見れるようになると……って、なんだその顔は?」
「そんなこと出来るわけがありません! あなたの要求は高すぎます!」
ふっふ、怒った顔もまた堪らん。
目を三角にする女性ってのはおっかないんだけど、彼女はどうも違う。たぶん怒り慣れていないんだろうな。手を握って上下させたりと、どこか子供っぽい。
なるほどな、とも思う。人と接し慣れていないせいで無表情になり、高圧的に仕事を任せようとしてしまう。たぶん中身はずっと幼いのだ。俺としたことが極上エロボディに惑わされて、肝心の中身を見ていなかったとはと軽く反省だ。
そんな俺の表情に何を見たのか、彼女の青空色の瞳は不思議そうに瞬いた。宝石のようで見とれちまいそうだが、まずは集中力を取り戻すために行動するとしよう。
近くにあった手ぬぐいを取り、そしてアウネカに腕を出すよう求める。小首を傾げながらも彼女は手を差し出してくれた。
俺はどちらかというと世話が好きだ。女性が気持ちよく過ごせるよう、身の回りを整えてあげたくなる。
汗でべったりの手をぬぐい、指と指のあいだも丁寧に拭いてゆく。
普段、あまり人から触れられたことも無いのだろう。ゲームをしていた時のよう肩に力が入っており、しかし害意が無いと知れるとだんだん抜けてゆく。
これも人によってはセクハラだと怒られそうだが、どうやら彼女は問題無いらしい。それよりも全裸のままの俺をどうにかしろって話か。
「下界が大変ってのは分かるよ。でもさ、一人でやると大変だろ。ぜーんぶ責任を押し付けられるし、自分で思った通りに行かないなんてしょっちゅうだ」
「…………」
綺麗な親指をぬぐっていると、思いがけず女神は素直にうなずいた。こくんと、まるで子供のような仕草で。
たぶん彼女は全知全能の神などではないと思う。数ある神のうちの一人、それも経験の浅い神だ。もちろん俺みたいな人間は神様のことなんて知らないし、せいぜい神社にお参りをしにいく程度だ。
しかし、長く生きてきたぶん、人を見る目はそれなりにある。
「このゲームじゃないが、一緒に協力をしたらどうだ。俺でなくて他の候補者でも構わない。なるべく相手を選ぶことだ。アウネカが安心できて、ちゃんと相談に応じてくれる相手をまず探した方が良いと俺は思う」
反対の手を求めると、すぐに彼女は差し出してくれる。
手のひらのツボを押しながら、汗をぬぐってゆくと彼女の瞳はほんの少し眠そうに細められた。
「いま怖いことは何だ、アウネカ」
「……世界を壊してしまうことです。私がそれをして、しまう、かもしれません」
発した声は不安そうに揺らぎ、見れば形の良い唇を歪ませている。みるみる眉尻は落ちてゆき、頬を透明な涙が伝う。
こりゃいかん。興味本位で聞いたせいで泣かせちまった。
思わず彼女の手をにぎると、ゆっくり彼女の肩は震えだす。それから俺の上に女神の手は重ねられ、そして額もそこへ押し付けてくる。
「ううーーっ……、良かれと思っていたのですっ……そうすべきだと……」
「ああ、よしよし、大丈夫だ。きっと良くなる。何があったのかは分からんが、解決できない問題なんて無いんだぞ」
いくら俺だって泣く子には勝てないって。これが男だったら「甘ったれんな!」とビンタをし、そのまま怒りを買って消滅させられていただろうけど。
あたふたと慌てながら腕をさすっても、すすり泣く声は大きくなる一方だ。やがて泣きやむころには、俺の肩にしっかりと抱きついていたのは少しばかり驚かされた。
例え極上のおっぱいを押し付けられても、耳元でグスグスされると手は出せんよ。押し倒したいゲージは常にギリギリだったけどな。
女神ってのは気苦労が絶えないのかねぇ。
何となく神様の世界って男が偉そうだもんな。
そんな事を思いながら、彼女の背中をぽんぽんと叩いてあげた。
さて、そんな経緯があったせいか、少しばかりアウネカは心を開いてくれた。ほんのちょっとだけどな。
少し前にお願いをして作ってもらったお風呂だけど、たぶん彼女のほうが気に入っていると思う。入る時間がだんだん長くなっているし、鼻歌らしきものも聞こえてくる。
ちなみに家具と風呂場以外は、相変わらずの真っ白空間だ。
そんな異常な光景だけど、誰でもすぐ慣れるよ。都内の安ホテルより過ごしやすいし、何か欲しいものがあったらアウネカが出してくれるからさ。
お風呂あがりの上気した肌で、寝巻き姿のアウネカがやって来た。
生真面目そうなキリッとした顔で、手には珈琲牛乳の瓶が握られているのは少しばかり変……でもないか。可愛い可愛い。だって女神だもん。
ごくごくと汗の浮いた喉を動かすのは、何となく俺なんかが見れてラッキーだなと思う。それから「ぷあっ」と堪らなそうな息を吐く表情とか、こっちが堪らんって。
ばさりと新聞を畳み、いま気づいたように俺はそちらを向いた。
「ん、おかえり。風呂上りはやっぱ冷えた珈琲牛乳だよな。そうだ、ついでにマッサージもやってみるか?」
「まっさーじ? よく言葉の意味は分かりませんが、不埒なことを考えているのは分かりますよ」
やべ、読まれてら。
といっても俺の場合はちゃんとしたマッサージだし、身も心もリラックスするためのものだ。可愛い子が呆けた顔をするのが俺は好きなんだよ。性的に。
心を読まれるってのも楽なもんで、彼女はわずかな笑みを浮かべ、こくんと頷いてきた。
もうね、そんな表情を見ただけで、俺みたいなおっさんはノックアウトですよ。
俺の嫌いな言葉をあえて使うとしたら「ヤバい」だ。
ヤバいヤバい、女神可愛い。ちょっと心を開かれただけで成仏しかかってるよ。俺って一応、死んでるしな。
ソファーに座った彼女へ、いただきますと呟いてから肩に手を乗せる。ふんわりとお風呂の匂いがし、吸い付くような肌へと指は沈む。
う、と彼女は呻き、指を離すと息を吐く。ゆっくりゆっくり、呼吸を長いものへ変えるマッサージを心がけるのが大事だ。そうすると相手の気は和らぎ、いかに普段は肩に力が入っているかが分かる。
肩甲骨の内側を丁寧になぞり、う、う、とアウネカの呻き声を聞きながらゆっくりと揉む。乳房の大きさも影響し、首と肩はだいぶこっているようだ。
気をつけるのは睡眠時に近しい呼吸をさせることだと思う。ゆっくりと揉み、ゆっくりと息を吐く。すると彼女の瞳はとろんとし、半分だけ眠り側へと転げてゆく。
「どうだ、痛くないか?」
「きもちいー、です……うっ、そこ、効きますっ」
ぐう、と仰け反り、そして身体の奥から来る気持ちよさに身を震わせる。
かなり肩甲骨側が良いらしい。形の良いアウネカの唇を「お」の形でしばらく止めるのを見て、そう思う。息を吐き出し、長く揉み続けると身体はぐにゃぐにゃになってくれた。
わずかに汗を浮かせた、半分眠っている女神を前にしたら何をしたい?
おっぱいを揉みたいと俺なら答える。それ以外に求めるべき事があれば、ぜひとも教えて欲しい。というよりも、最初からその目的でマッサージをしてたしな。
ではメインディッシュをいただきますかね。
のしりと重量感のあるそれへ、左右から覆うように手を近づけてゆく。いや、この期待感がヤバい。嫌いな言葉「ヤバい」が好きになりそうなくらい胸がドキドキする。ちなみに嫌いな言葉の第一位は「済みません」だ。済まなくねーよ。おっぱいを揉もうが何をしようが済むんだよ。
指先に彼女の体温が届くほどに近づくと、生きてて良かったーなんて思うよ。いや死んでんだけどさ、細かいことはいいんだよ。
え、細かくない? その死んでるかどうかって、おっぱいに比べてどっちが大事だと思う? な、当たり前のようにおっぱいだろ。
しかし、揉みしだく間際に、やんわりと止めてくるものがあった。女神アウネカの手だ。彼女はまだ半分眠っているような瞳で振り返り、困ったような顔をする。
「それは本当に不埒なことですよ?」
「実はこれも胸を楽にするためのマッサージ……って、俺の心は読まれているんだったな」
くすりと笑われた気がした。
気がしたってのはつまり、てっきり怒られると思ったんだ。
しかし彼女は確かに笑っており、そして「仕方の無い人」と言うように呆れてもいた。ゆっくりと手をどかし、そして背もたれに体重を預けたアウネカから囁かれた。
「女神を相手に、不埒なことをする度胸はおありですか?」
ほんのりと頬を染める表情に、不覚にも俺の胸は高鳴った。
もちろん度胸なんて吐いて捨てるほどあるし、俺の行動にアウネカは悲鳴どころか笑い声をあげた。それがまた可愛らしくて、たっぷりと楽しませてもらったよ。まさに極上の出来事だったし、彼女の魅力的な声を新たに知ることが出来た。
この日は彼女が思い切りリラックスしてくれたおかげか、同じベッドで眠ってくれて俺はちょっと嬉しかったよ。
昼間はゲームをして過ごし、夜は食事をしたり下界をどう救うかの論議をする日々を過ごす。
彼女の表情は当初と見違えるほど豊かになり、息まで合うのかシューティングゲームは次々とスコアを伸ばしてゆく。
彼女が先に起きると俺を起こしてくれるのが、とっても良い。
一生懸命に起こそうとするものだから、それが可愛くて身悶えちまう。
反対に俺が先に起きたとしても、とっても良い。
寝ぼけた彼女が目を覚ますと、癖になってしまったのか俺の首に抱きついて、とても感触の良いぷるんとした唇を押し付けてくる。それから「あら?」と気づき、恥ずかしかったのか枕で顔を隠されると……。
たまらんて。
こんなのおっさんには堪らんし、とっくに骨抜きだよ。
可愛い可愛いと考えているのも伝わるものだから、そのせいで彼女も反応しちまうんだろうな。何をしても可愛いけど。
そして下界の対策についてだが、かなり厄介な状況だと分かった。
魔物の国だけでなく、それ以外にも問題は山積みだ。力任せでは解決出来ない状況であり、俺を転生させても無理だという結論をホワイトボードに書き込む。
俺を子供から成長させる悠長な時間も無いのだし、ぱんと膝を叩くと立ち上がった。全裸で。
「こりゃあ天界から眺めていても始まらんな。地上に行って見て来ないと」
「ええ、実際に見たり話しをしてみないと無理ですね」
こくりと互いに頷いた。
彼女が俺の心を読めるように、もうこの頃は俺も彼女の心が読める。しかし、今回の行動ばかりはさすがに読めなかったよ。
彼女の手にする旅行カバンは、まさか、ひょっとして……。
「え、私もご一緒いたしますよ? 天界では何も解決できないという結論だったではないですか」
「だがお前は女神だろう。下界へ行ったら流石に問題があるんじゃないか?」
「もちろん仕事はありますので夜はこちらへ戻ります。あなたの眠っていた時間だって、私は仕事をしていたのですよ?」
などと愛くるしい瞳と共に囁かれてしまった。
まいったな、これは。極上の女神と一緒に地上へ行くなんて、ちょっとワクワクしちまうだろ。
互いに小さく笑うと、俺たちの考えは固まった。
そして、女神の指先ひとつで家具は幻のように消えてゆく。
ソファーやゲーム機、椅子やベッド、壁には「ゲームクリアおめでとう!」の張り紙までもが消えてゆくのは、少しばかり寂しいと感じちまう。
がらんとした白い空間を見て、そんな感傷にふけるのは年を取った証拠かもしれない。だいぶ長い同棲生活だったけど、隣に立つアウネカを見ると得たものが大きすぎて嬉しくなるな。
「よし、じゃあ行くか」
「はい、あなた」
そっと手を握ってくる仕草の可愛いさと言ったらもう。
身悶えるのをごまかすために、そんな彼女へと俺は声をかけた。
「寝ている間に仕事をしてたって、つまり俺が起こしたときは狸寝入りだったのか?」
「あっ! ちっ、ちがいますよ! 頑張ったのですから、それくらい良い思いをしても構わないではありませんか!」
そうわめき、女神アウネカは顔を真っ赤に染めた。
むすりと唇を尖らせる表情が面白くて、俺は思わず大声で笑ってしまった。