出会いⅣ
裁判が始まるまでに、そう時間はかからなかった。膝の上にいた少女は、そうそうにテルンから引きはがされ、傍聴席に座らされた。何が起こっているのかわからないらしく、きょとんとした顔で法廷に立つ面々を見ていた。
被告人、テルン・デパーニア。被害者、氏名不明。検察官兼第一発見者、メロン。裁判長、プシノ・マーガレット。
「俺の弁護は誰がしてくれるんだ?」
「被告人は静かにしていなさい」
検察官役のメロンはどこからもってきたか眼鏡をかけ、準備は万端といった様子である。
「裁判長!被告人は幼い女の子にそ、その……ひ、卑猥な行為を強制させていました!この男に死刑を!」
メロンは実際にいう時になって恥ずかしくなったのか、顔をフードで隠してしまった。
「いいえ。被告人、テルン・デパーニアには死よりむごい仕打ちを与えます!まずは死なない程度に身体を焦がして——」
「待て待て!いろんな段階を飛ばし過ぎだろ!プシノは容赦なさすぎだ!」
「女性の尊厳を踏みにじった輩には、これでも足りないくらいでしょう」
プシノの目はかなり本気で、並みの人間なら失禁しても不思議ではない、そう言い切れるほどだった。
「だからプシノ!お前はメロンから話を聞いただけだから誤解してるんだって!」
「黙りなさい」
現在、内側から身が凍えるという体験を、テルンは初めて味わっている。
「いや、聞けよ!俺はそいつに言われて膝枕をしてただけだ!寝てる最中に寝返りを打って仰向けからうつ伏せになったってのが真実だ!」
「全ては被害者である彼女に訊けば済むことです。さあ素直に、あったことをそのまま話してください」
三人の視線が、少女に集まった。今までの話を聞いて、彼女がどういった反応をみせるのか、誰もが——主にテルンが——期待した。
「うん。テルン兄ちゃんの言う通りだよ。私が頼んで膝枕してもらったの」
「それは被告人に脅されて、そう言えと言われているのでは?兄ちゃんという呼び方も、ロリコンがそう呼べと言ったのでは?」
被告人の名前は裁判長の中でロリコンに変換されたようだった。テルンはプシノのあまりの偏見に心が折れかけ、もう有罪でいいのではないかと思い始めていた。
「違うよ?私がそう呼びたいから呼んでるの」
「なるほど。ふむ。……よろしい、起訴内容については間違いを認めましょう。被告人は無罪とします」
「助かった……。おいメロン。俺に言うことがあるよな?言うべきことがあるよな?」
「何言ってるのさテルン。『疑わしきは罰せよ』でしょ?」
「お前こそ何言ってんだ。真逆だっての」
反省の色の見えないメロンにテルンは大いに呆れた。
「ところでテルンさん。この子と何処で会ったんですか?わざわざここまで連れてきたとなると、仕方のない事情、というものがありそうですけれど」
「いや、別に深い事情はないんだ。こういうことがあってな」
テルンはプシノとメロンに、昨日の夜から朝方までの話をかいつまんで話した。
「しかし、それではこの子を連れてきた理由が全くないですよ?——まさか」
「いやいや違うって!」
裁判が再開する気配を察し、テルンはプシノを諫めた。そして、少女に例のセリフを言わせるため、こっそりとウインクした。少女はそれに気づき、にこっと笑いながらウインクを返してきた。したのだが。
「ええっと。『私は無理矢理——」
「無理矢理連れ込まれた⁉」
テルンは唖然とした。まさかそこでセリフが途切れるなど、全く予想していなかったのだろう。
「違うよ!テルン兄ちゃんが言えって言ったのは」
「「言えって言った』?……ねえテルン。どういうことかな?」
テルンの用意していた策が、全て裏目に出てしまった。もちろん、少女には何の罪もない。テルンは二人を説得するのを諦め、流れに身を任せようと決意した。
第二次ロリコン裁判の幕が今、切って落とされようとしていた。
* * * *
結局誤解は解け、判決は無罪。裁判の幕は無事に下りた。少女の必死の説明のおかげでなんとか二人は納得したものの、疑いの目はそのままで。テルンは昼食を食べている間も居心地が悪そうであった。一方少女はというと、先ほどまでのことはすっかり忘れてしまったかのように、出されたシチューをおいしそうに飲んでいた。
「ご飯は毎日屋台から盗んでたの?」
「盗む?よくわからないけど、並んでたから食べてもいいのかなって。ひょっとして、もらっちゃ駄目だった?」
「ああいったお店では、お金を払わないといけないんですよ?」
「お金?」
メロンたちが少女に説教を始める。しかし、少女との会話は、ほとんど成り立っていなかった。ところどころに出てくる単語が、彼女には理解できていないようなのだ。
「なんかこう……世間知らずというか」
「滅茶苦茶なお嬢様で、親から過保護に育てられた、くらいしか思いつかないけど……」
「どうしましょう?この子を早く返すべきなのは確かですが……。まだリオさんもフェガさんも帰ってきていませんし——」
プシノの言葉を遮った、小さなノック。誰かが何かの合図をするでもなく、室内は一斉に静まる。外に繋がる扉の向こうに誰かがいる。つまり、来訪者であった。
「俺が対応する。メロン、プシノ。その子と一緒に隠れろ」
テルンの小声の指示に二人は了解の意を表し、少女の手を取って移動した。隠れる場所などほとんどないが、せめて扉から直接見える範囲からは外れなければならなかった。少女も静かなもので、とても六、七歳には見えないほど落ち着いていた。
「どちら様ですか?」
テルンはドアを開けないまま、薄い扉の向こう側に伝わる程度の声で問いかけた。しかし、ドア越しに聞こえるのは応答ではなく、聞き取れない程度の小声のやり取りだった。辛うじてわかるのは、相手が二人で、一人は男、もう一人は女だということだった。
「私だよ。テルン、開けてくれない?」
「……失礼、どちら様でしょうか?」
「まあそうだね。当然そうする。しなくちゃいけない。そういう警戒心は大事だからね。むしろ声だけで判断して開けるようなら説教しないといけないところだよ」
「しかしどうする?このままだと、私たちはずっとこのままになってしまうぞ」
「そうだね……じゃあこうしよう。テルン、私が誰かは、もうわかっているだろう? お前と私しか知らないことを質問しなさい。それを暗号ということにしよう。私としたことが、例のノック、忘れてしまってね。もう年かな」
女の言う通り、テルンには声で相手が分かっていた。もちろん、それだけで錠を解いたりはしなかったが。
「分かりました。では、いきます」
テルンは懐かしく、苦しい思い出を記憶の隅から引っ張り出した。
「あの事件の後、逃亡中の俺とメロンを見つけたあなたは、迷うことなく俺を狙撃しました。部隊の中で、俺たちを見つけたのは私だけだだと言っていましたね? ならば、これはあなた本人しか分からないはずだ」
あの事件は、多くの人を巻き込んだ。テルンやメロンだけではなく、たくさんの人々の心に爪痕が残っている。この人物が本物であれば、事件の説明すら必要がないはずなのだ。
「あなたが打ち抜いた俺の身体の場所、それと、その箇所を打ち抜いた理由を合わせて答えてください」
「……なるほどね。簡単だわ。打ち抜いた場所は右肩。主に表面の肉をそぎ取ろういう意図があった。理由は……ハル・アリア武神団の証を消そうと思ったから。私としたことが、失敗しちゃったけどね」
「——正解だよ。リオ姉、フェガさん。おかえりなさい。みんな、出てきていいぞ」
テルンは錠を外し、扉を開けた。外には二日ぶりに見る二人の姿があった。
「ただいま。遅くなったね」
「うむ、すまなかった。心配をかけてしまったか?」
メロンたちの表情は、声が聞こえた時点で和らいでいたが、二人の姿をきちんと確認できたことで、肩の力も抜けたようだった。
「そうだよ! テルンなんか心配しちゃってわざわざ捜しに出たんだから!」
「……余計なことを——」
「テルンが私たちの心配? 可愛いわねもう!」
リオはぱあっと笑顔になると、テルンをぎゅっと抱きしめた。
「だから! いつも言ってるだろひっつかないでくれ!」
「テルン兄ちゃんは甘えん坊だね!」
「お前も余計なこというな!」
「そういえばテルン。この子どうしたの? とうとうさらってきちゃった?」
「とうとうってなんだよ!」
全員が揃い、何とも言えない安心感が生まれる。彼らは、それぞれに心に傷を持ちながら、様々な苦難を乗り越えてきた。誰も口にはしないが、お互いを家族に近い存在、いや、家族そのものだと思っていた。
しかし、そんな一時も長くは続かなかった。
「……皆聞いてくれ。安心しているところで申し訳ないが——来るぞ」