第14話 空に願いをⅠ
人気のない道をひたすらに走る、二つの影。道に座り込んでいる野良の犬や猫達は、二人から異様なものを感じるのか、毛を逆立てて唸りつつ小さな隙間に逃げ込んでいく。祭りの喧騒から遠のいた、しんと静まり帰った道の中で、二つの地面を蹴る音と、剣と鞘のぶつかる音だけが止まることなく響き続けた。
狭い道を抜けたところで、二人の足の運びは緩み歩みとなって、やがて止まった。
「随分と遠い所まで来てしまったね。これでは、君の仲間は助けられないんじゃないのかな?」
走り続けていたテルンが止まったことで、エドバは少し安心していた。もしテルンが逃げ続けるようなら、街を少し壊してでも、道を塞がなければならないと考えていたからだ。
「まあそれでも構わないんだけどな。お前が俺を追うのを諦めるようなことになったら、今度はこっちが追わなくちゃならない。面倒なのはごめんだ」
背中に金髪の少女を背負ったまま剣を引き抜くテルンの姿は、エドバにはなんともちぐはぐとしたものに見えた。
しかし、その光景はお互いの事情の絡んだ結果、テルンにとって最善の状態であった。彼女を無傷で捕らえるつもりでいるエドバにとっては、この状態では戦いづらいことこの上なく、誘導が目的でまともに戦う気のないテルンは、手元から離して連れ去られることの方が余程怖い。
そもそもテルンの当初の作戦では、テディはリオ達と共に城壁の上で待機するはずだった。それが一番安全で、確実なものに思われたからだ。
それが今、こうしてテルンの背中におんぶされぎゅっと抱き着いているのは、テディの意思に他ならなかった。
テルンが一人でエドバを引き付けると言った時、自分もついていくといって譲らなかった。小さな身体に収まり切らない、強く揺るがない気持ちが息づいているのを感じて、テルン達は思わず息を呑んだ。
テルン兄ちゃんを一人で行かせちゃ駄目だと皆に訴え、テルンの足にしがみ付くその様子は、年相応に駄々をこねる子供のそれで。テルンは半分諦めたように自分の言うことをちゃんと聞くことを約束させて、テディの安全を全員に約束し、今に至る。
「そうか。何にせよ、私にとっては嬉しいことだ。ここで君を始末して、その子を王の下へ連れていくのが私の役目なのだから」
エドバは静かに剣を鞘から解き放つと、処刑台前と同じように、テルンの首筋に向けて真っ直ぐに剣を構えた。
こうなってしまった以上、エドバとの戦いは避けられない。自分で責任を持った以上、ここでテディに何かが起こってはならないと、テルンは意識を切り替えた。
「テディ、振り落とされるなよ?」
「大丈夫!絶対離さないもん!」
テディはテルンの首に腕を回し、腰には足を巻き付けて、ガッチリとホールドした。
「よーし。じゃあ、始めようぜ。俺はお前をぶっ飛ばして、仲間のところに帰るからさ」
しゃりんという音と共に、エドバによって鍛えられた、テルンの剣が晒し出される。
華やかさと素朴さ。二人の剣は街の灯りに照らされ、存在を強く主張した。
使い手の存在、そのもののように。
「「はあぁぁっ!」」
二人は一気に間合いを詰め、剣と剣、気と気をぶつけ合う。
それは広場であった茶番とは似ても似つかない、全力の交錯。
突き、弾き、薙ぎ、駆け、跳ぶ。
二人を包む時の流れだけが独特で、まるで世界から切り離されたように。ゆっくりでいて、それでいて目にも止まらない。
激しくなる鼓動、張り詰める精神。
一閃と共に滲み出る汗。二人の巻き起こした風で舞う、街の埃。それは魔道具の光を反射し、拡散させ、七色に輝いている。
互いを吹き飛ばす一撃を交え、態勢を崩さぬよう滑りながら踏ん張りを利かせる。テルンはブーツの底が磨り減っていくのが感じられるほど、自分の感覚が鋭くなっていることに気が付いた。
「ふむ、なるほど。申し分ないですね」
「へぇ。人を値踏みとは、随分余裕なご様子で」
剣を再び構え、エドバを見据えた瞬間。テルンは自分の甘えを痛感した。
「ごめん、テディ。ここまでだ」
「え?」
ほっと手足を休めていたテディは、テルンの言葉に一瞬耳を疑った。
「負けちゃうの?」
「そんなことはないさ。でも、テディを背負ったまま戦うことは、もう出来ない」
テディはテルンの筋肉が少し強張っていることで、テルンの心の内を察してしまった。
「……分かった。そこで隠れてるね」
「ああ。そうしてくれ」
テディはしゃがんだテルンの背中から降りるとぱたぱたと駆け、納屋の陰に隠れる。
「賢明な判断だと、褒めておくよ」
「そりゃどうも。時間も体力も惜しいからな。ちんたら打ち合ってないで、さっさと終らせようぜ」
「それもそうだね。では、ご期待に応えるとしよう」
二人の停止は、静けさに一層拍車がかけていた。それを断ち切らんとするようにエドバは天を刺すように剣を立てると、それを握る拳を胸の高さに据える。
「我が身を王の剣、盾とし、永遠の僕として捧げることを誓う。今こそその証を体現し、正義に則り、悪を滅さん」
その言葉はエドバの生きる道そのままを表し、目の前に立ちはだかる敵を必ず討取るという宣言だった。
それの終わりと共に、エドバの周囲を薄く白い光が覆う。圧倒的な存在感を見せる様はまるで、周りの世界から光を吸収し、霞ませているかのようだった。
「武神同士、これが一番だろう? 君も全力で——」
「便利なもんだな」
呟きの後、テルンはふっと短く息を吐く。右足で強く地面を蹴り、エドバとの距離を詰めようと一気に加速する。
今まで以上のスピードを出したテルンの一撃を、エドバは易々と弾き返した。
「……何のつもりかな?」
整った笑顔の奥から、凍るような声。
「君はそのままやるつもりなのか。私は本気でやるというのに」
エドバは許せなかった。自分の全力に対して、手を抜くという行為が。蔑ろにされているという思いが、頭の中でぐるぐると回り続けていた。
「そう言われてもな。これが今出せる、俺の全力だ」
テルンはエドバの中で、何かの多寡が外れていくのを肌で感じた。そして苛立たしいことに、それに若干の恐怖を覚えていることを自覚していた。
「……どうやら私の買被りだったようだ。こんなもの、さっさと終わらせよう」
エドバは当てつけのようにテルンの言葉を用い、殺意を持って剣を構える。
「分かってもらえて何より——!」
エドバが一瞬の間にテルンに肉薄する。
エドバが剣を振るう。
テルンは身を捻り、刃を躱す。
態勢の崩れた所に、翻った刃が襲いかかる。
エドバの剣の軌道に合わせ、テルンは愛剣を盾のようにして迎え撃つ。
そんなものは関係ないと、エドバはそのまま薙ぎ払う。
テルンの視界の中でエドバが遠ざかる。刹那の浮遊感の後、背中を強い衝撃が襲う。
「……そういえば、久しぶりだ。こうやって、まともに、人間と戦うのは」
テルンは咳き込みながらもすぐに立ち上がり、エドバの元に戻っていく。
エドバが本気を出せば、今の自分では対抗出来ない。テルンはそれを分かっていながら、エドバを焚きつけた。
お互いに余裕を持って戦っていては、勝ち負けがつくことなく、惰性の戦いが続くだけ。戦いが終わらなければ、テルンは逃げられない。テディが異世界門を創る力を保持していると知っている今、それを黙って見過ごす程エドバは甘くない。
この場から脱するには、全力のエドバを倒すことが絶対だった。
「なあエドバ・エリト。我慢って大事だぜ?そのうちに、お前の期待に応えられる俺になるからさ。今を本気で戦おうぜ。な?」
やるしかない。ふっと笑って、テルンは再び剣を構えた。




