第13話 作戦開始Ⅰ
「重い。重いからどいてくれぇ……」
処刑台の上で、鎌を持っていた男が力なく倒れ、目の前にいたグリーにのしかかっていた。ぐうぐうと喧しいいびきをかいている男に、それを期待するのは到底無理だと言えた。
事態に気がついた人々はざわつき始め、それは瞬く間に広がっていく。テルンの顔に見覚えのあるものは恐怖や怒りに顔を歪ませ、知らぬものは奇異なものを見るように全身を観察した。それでも、誰一人として彼に近づこうとはしなかった。
「こんなに早く君に会えるとは思わなかったよ、ハル・アリア」
いつの間に上がったのか、エドバは処刑台からテルンを見下ろしていた。テルンはその視線を真っ向から受け止める。
「白々しいな。仲間が吊るし上げられるってのに、俺が黙ってるわけないだろう」
「仲間……そうだね。彼は君にとって仲間であり、助けたい存在だ。それなら、あの時の《《彼ら》》は君にとって、そうではなかったということか」
テルンはエドバの言葉に砕けるかというほど奥歯を噛み締める。猛烈な殺気が湧き上り、目にも留まらぬ速さで手は剣の柄に当てられた。それでも、それを抜き放つ前に本来の目的を思い出し、荒れた息を整えながらそっと手を戻す。
「あの時はそうだった。後悔はしていない。守りたいものは守れた。それで充分だ」
「……そうかい。なら、君にはハル・アリアの名は相応しくないのかもしれないな」
途端、興味を失ったかのように、エドバの目はテルンから離れ虚空を見つめる。
「我々は王を守らなければならない。王の行く手を阻む者を排除しなければならない。敵が何者であろうと、容赦をしてはならない。ハル・アリアでない君のことを私は全く知らないが、もはや関係のないことだ」
処刑台から軽やかに飛び降り、テルンの前に歩を進め、細身で鋭利な剣を鞘から引き抜くと、テルンの喉元に突きつけた。
「そう焦るなよ。こんなに大勢の前で、血生臭いものを見せたいのか?」
「……彼らはそれを望んでいるさ」
「そうかい。そりゃ残念だな。お前にとっても、俺にとっても」
エドバの言う通り、観衆は二人の戦いを見たがっているのだ。人間界の英雄が、反逆の徒を討ち倒す瞬間を期待して。
しかし、エドバにはそれが気に入らなかった。争いを見世物にしようとするのが、敬愛する王の民の所業であるなどと思いたくなかった。
そして、テルンは完全にそれを見抜いていた。
一歩下がり剣から逃れると同時に、ゆっくりと愛剣を抜き放つ。
「そうだよな。公開処刑だって、余興なんだもんな」
そう言ってテルンは意地悪く鼻で笑う。今度はエドバが歯嚙みする番だった。
こうなれば、自分の計画通りになる。テルンは心の中で、もう一度悪い笑みを浮かべた。
「それじゃあ俺達の仲間、返してもらうぜ!」
剣が風を切る音と、打ち合った剣から響く金属音。それが同時に聞こえたと思えば、二人はすでに鍔迫り合いを始めている。
一合一々が火花を上げ、衝撃を発する。息を整えるために距離を取り、お互いの隙を窺いながら、また激しい剣戟が続いていく。
そんな光景が、幾度も高速で繰り返される。観衆は、それを息を呑んで見つめていた。
「お仲間、呼ばなくていいのかよ?」
「それはこちらのセリフだよ。君の相手なら私一人で十分だ」
「そうかよ!」
テルンは剣を振りながら、意図的に戦闘のリズムを作っていた。本来ならあり得ない、見る者が見ればすぐに分かるような、八百長ともいえる行為。
エドバの心情を利用して、テルンは自分の目的を達成しようとしていた。
最も厄介で、規格外の兵士である武神。そいつがグリーの近くにいては、救出など叶うはずもない。だがそいつは、この場で戦うことを嫌がっている。その高潔で一心な王への忠義のため、王の民が戦いを見て狂喜するという、下衆の様が許せなかったから。
テルンは考えた。《《自然》》に見える戦場の移動を起こせば、必ず乗ってくるはずだと。観衆の目の届かない場所への誘導に敢えて従うだろうと。
その予想を裏付けるように、エドバはテルンの作り出したリズムに合わせていた。
「そろそろ、一気に行くぞ」
戦いの最中、エドバにだけ聞こえる大きさの声で合図を送り、ハッとした表情からエドバに伝わったことを確かめる。
そして、エドバに自分を追わせるための、大義名分。それを駄目押しとして用意していた。
「テディ!」
「こっちだよ!」
初めて聞く単語に、エドバは怪訝な顔をしたが、隠れ場所から飛び出した金髪の少女を見て、表情は一気に険しくなった。
異次元門を創りだせる、謎の少女。マリーディアでテルン達の一行を逃し、王の期待に応え損なった、その原因である少女。王の異世界併合を可能にする力を持った、希望である少女。様々な感情がエドバの中で巻き起こり、消えていった。
テルンはテディの元に駆け寄り、掬うように抱き上げると、そのまま広間から見えない路地に飛び込み、闇に溶けていく。
エドバはその様子を黙って見ていた。明らかに自分を誘導するための罠であり、救出を妨害できた以上、わざわざ深追いする必要もない。
それでも、エドバは自分の中にある衝動を抑えきれなかった。
「武神団の者はこの場で待機!処刑を完遂せよ!私はあの少女と少年を捕らえる!」
姿は見えなくとも、必ず近くにいるであろう団員にそう言葉を残すと、テルンが消えた場所に向かい、観衆の目から消えていった。
* * *
「とりあえず、テルンの方は上手くいったみたい。メロンたちは人混みに紛れて準備完了。《《予定通り》》、王立軍の兵士たちが慌てて軍本部に駆け込んで、装備を整えてる。もう少し余裕がありそうよ」
リオは武器庫から失敬した旧式レイピアの照準器から顔を離し、隣にいるフェガに情報を伝える。
二人は王都の外周区の城壁の上に位置取っていた。気絶させた見張りの兵士の隣で寝転び、公開処刑の全体を観察していた。
「それにしても、上手いものだな。この距離から良く当てるものだ」
「別に、大したことじゃないわ。こんなもんは慣れよ。慣れ」
リオは本当に普通のことだと思っていたが、実際の難易度は相当な高さだった。
弾丸を発射するタイプの武装魔道具である魔砲は、共通して同じ機能を持っている。それは魔道具機関で設定された距離分、物体を飛ばすというもので、フィリアをかけられた物体がその距離に達するまで、その間にあるものを全て貫通させることができる。
通常の魔砲はその距離が固定されていて、弾を籠めて打てば発射口の方向に向かって固定距離分弾を飛ばす、ということになる。
一方『|遠距離狙撃特化型武装魔道具』は、その弾丸到達距離を最高三キロまで伸ばすことができ、更にその距離を備え付けられた回転式スイッチで自由に変更することが可能だった。リオが使っているのは旧式であり、最大射程は二キロと最新式には及ばないが、今回の作戦では十分なものだった。
「謙遜するな。普通の弾丸ならともかく、お前の使っているのは催眠弾だ。あの処刑人の身体を貫通させてしまっては意味がないからな。どれだけの緻密さが必要か、素人の俺にでも想像がつく」
処刑人を撃ったのはテルンではなくリオであり、自分に注意を引き付けるために敢えて魔砲を構えただけで、それを自由に使いこなすような技術をテルンは保有していなかった。
つまりリオは、遠距離から処刑人への距離を正確に、一瞬で判断し距離を調整。身体に催眠薬が流れ込む程度に、弾を処刑人に打ち込んだのである。
「褒めても何も出ないわよ? そんなことより第二陽動作戦、しっかりこなしなさい」
「言われるまでもないさ」
フェガはそう言って立ち上がると、すっと息を吸い込み、目を閉じる。
沈黙が二人を包んだ直後、月明かりに照らされたフェガの身体に異変が現れる。
鎧のような筋肉は更に逞しく、背丈はだんだんと伸びていった。皮膚には髪の毛と同じ、暗い茶の体毛が生え、全身を覆い隠す。四つん這いになると、彼の両手両足は爪の鋭い、獣のそれに変化した。身体の調子を確かめるように、尻尾をくるりと回した後、闇に紛れるような大狼は瞳を開いた。
「犬人っていうより、狼人間よね」
リオはフェガの変態した姿を見て軽口を叩く。それを横目で見ると、応えるように月に向かって遠く吠えた。夜空に響き渡るように。王国中の視線を、その一身に集めるように。
何事かと声の主を見て、広場は騒然とした。死の象徴のような暗い色の大狼が、城壁の上に居座っている。腰を抜かす者、後ずさりする者、足を震わせる者。彼らの反応は全て共通して、恐怖の二文字を表していた。
「あ……亜人だ! 亜人が攻めてきたぞ!」
誰のものかもわからないその叫びが、引き金となった。死の恐怖と混乱が瞬く間に伝染し、集まっていた人々が、思い思いの方向に狂ったように走り出す。泣き声や怒号、兵士の連絡をとる声などが混ざり合い、広場は統率されていない、混沌とした空間へと変貌した。
「王立軍は何をやっているんだ!」
ある貴族は目に前に迫った死ぬかもしれないという現実に、恐れ、とり乱していた。
しかし、その悪態は的を得ていた。人間界でもっとも安全でなければならない王都。そこに敵があっさりと侵入しているようでは、これからも不安が残るというものである。
そしてそんな様子を、フェガは諦念を湛えた瞳で見つめていた。遠吠え一つで、人間たちは慌てふためき、正気を失っていく。自分の存在が彼らにどれほど恐れられているのかを改めて認識して、口の中に苦々しさが広がるようだった。
「吠えただけでこんなにたくさんの人を動かせるなんて、フェガ、あんた指導者の才能あるよ。王立軍の総帥にでもなったら?」
そんなフェガの心中を知ってか知らずか、リオの態度は相変わらず戯けたものだった。
「ふざけてないで、ちゃんと見張っていろ」
「しっかりやってるわよ。ほら、メロンたち動き出した」
照準器の真ん中にメロンたちを捉えながら、その周りの様子にも気を配る。
多くの人々が行先を決めずに迷走しているのに対して、メロンは人の波を掻き分けるようにして、真っ直ぐ処刑台に向かっていた。しかし、人の塊と流れは簡単に断ち切れるものではなく、時々流され押し戻されていた。
「本当、あの子は不器用よね」
リオはあまりにもメロンらしい直球な様子に思わず微笑むと、再び狙撃を開始するべく、集中力を高め始めた。




