第1話 出会いⅠ
「おじさん! この美味そうなりんご……そうだな……六つもらえる?」
ジリジリと焼かれるような日差しが眩しいこの季節を、人間は「夏」と呼ぶ。
昼間のこの時間は最も暑く、街の大通りとはいえ人の影は疎らにしか見えない。石畳の道は熱を発し、陽炎を休むことなく生み出している。
隙間なく立ち並ぶ、多種多様な屋台。その店主達の多くは、なかなか来ない客を待つのにうんざりしたのか、覇気もなく座り込んでいた。しかし、その中には例外もいるようで。りんごを売っている男からは、微塵の気怠さも感じることは出来なかった。
「美味そう? そうかそうか! お前、見る目あるじゃねぇか!なんせこの季節、りんごがあること自体珍しいだろ? うちのはミルルの街で育てた特別製さ! 今日は気分がいいからよ、特別に三百ガルで売ってやるよ!」
「それじゃ相場と変わらないじゃん」
少年は店主の勢いに苦笑いしつつ、少々引き気味に銅貨を渡した。
「毎度あり! なあに、細けぇこと気にすんな! このりんご食えばいいことあっからよ!」
「えー? まあ、この際なんでもいいか」
大きな紙袋に詰め込まれたリンゴを受け取り胸に抱えると、次の目的の品を見つけにかかる。ポケットからメモを取り出し、次の目標が焼き鳥であることを確認すると、店を求めて歩き出した。
王都にほど近いこの街の名は、マリーディアという。大通りの道沿いには沢山の屋台や食事処、宿などが連なっていて、夜になるとお祭りのような騒ぎとなる。フィリアによる灯りが開発されて以来、人間の過ごす夜は長くなり、仕事を終えた者たちが羽目を外すのが、その一因となっている。
そんな大通りを歩き、焼き鳥の屋台を見つけた少年は困った様子で頬を掻いた。火で炙られている鶏肉を残しまま、店主が居なくなっていた。
大通りでは、大抵数人の王立軍兵士が巡回、警備している。
スラム街の近くではこうもいかないが、この一帯は人目も多く、街の中心だ。悪事を働くのもなかなか難しい場所なのである。しかし、治安が良いとはいえ、店を完全に放置してしまうというのは、さすがに不用心と言わざるをえない。
少年が店主を待つか、焦げる寸前の鶏肉を貰ってお金を置いていくかを迷っていたところ、道を挟んだ反対側の屋台が騒がしくなった。
「またやられたか……」
「今週に入って何度目だ?」
「目を離すとこれだからなぁ」
少年も気になったのか、野次馬の一人に加わった。
「どうしたんだ?」
「ああ、それがな? ここの屋台の品物が盗まれたんだ。今週に入ってからこういうことが多くてよ。今までこんなことなかったから、みんな参っちまってね」
「ふーん……」
つまりは万引きである。実際の被害額は大したものではないらしく、店主も大事にするのは面倒なのか、王立軍に届け出は出さないことにしたようだ。
少年は興味を失い、焼き鳥屋に戻ろうとする。
「昔ならこんなことも『妖精』の悪戯、なんて笑い話に出来たんだが、今じゃ笑えないよな」
「馬鹿なこというなよ。『妖精』の仕業だったら、今頃大混乱さ」
「だよなぁ。他の都市にも王立軍を派遣してるらしいが、『妖精』って奴らは加減を知らないらしいからな。気付けば火の海なんてごめんだぜ」
なんということはない世間話。もちろん、話している二人は深く考えていなかった。
しかし、誰もが聞き流すようなこの会話を、少年は足を止め、穏やかではない表情で聞いていた。すれ違う人々は不審に思いながら、火の粉を避けるように歩き、目を背けた。
焦げた匂いの漂う屋台に引き返す少年。
流石に店主は戻って来ていた。ため息を吐きながら元々は商品だった物の本数を数え片付け始めたものの、次第にその手は止まった。確かに十本焼いたはずだがと、怪訝な顔をして頭を掻いた。
* * * *
「ただいま」
「あ、おかえりテルン。随分時間がかかったけど……何かトラブル?」
日が翳り、慌ただしくなりそうな大通りから一本横道に入った、奥深くの怪しげな宿。たくさんの食料を買い込んだ少年は、不規則なノックと共にその一室へと踏み込み、仲間の元にたどり着いたところだった。
「大したことじゃないさ。いろいろ見ていたら遅くなったよ。なんせ街を歩いたのは久々だからな。これ、頼む」
「うん。お疲れ様」
テルンは、買い込んだ食料でずしりと重くなっている袋を、迎えてくれた目深なフードを被る少女に預け、部屋に備え付けられている古ぼけたソファに倒れ込んだ。
「……やっぱり何かあったんじゃないの? リオさんが帰ってくる前に吐き出さないと、また怒られるよ?」
重い荷物を整理しながら、少女は心配そうな顔でテルンを見つめた。そんな視線を感じ取ったのか、テルンはもぞもぞと反転し、天井を見つめた。
「街でちょっとした悪戯が流行ってるみたいなんだよ。多分スラムの子供達の仕業だろう。まあ、それはいいんだ」
ゆっくりと身体を起こし、不満げな顔を作る。
「街の奴らがさ、『妖精』について話してたんだ。あいつら何にも知らないのにな。妖精の中にだって、人間や亜人と仲良くしようって奴らもたくさんいる。……でも、少し前に辺境の村を『妖精』が焼いちまっただろ? 全部が間違いだとも言えなくてさ」
言葉からはやるせなさが滲み溢れる。
「仕方ないですよ。誰もが私達のように生きているわけじゃないんですから」
「プシノ?どこにいるんだ?」
突然少女の被っていたフードが跳ね上がったかと思うと、そこから小さな少女が現れた。
プシノ・マーガレット、妖精の少女である。妖精の姿形は、人間とほとんど変わらない。見た目の違いとは、『大きさ』。ただそれだけ。正座する彼女は、人を魅了する紫色の瞳を持ち、鮮やかな翠色の髪を結い上げ、頭の左右に二つの団子を作っていた。
「メロンの頭の上はプシノの特等席か」
「はい。とても暖かいんですよ? あまりに快適なので、ついウトウトしてしまいました」
「ちょっと! 寝るならベットで寝てよ! 途中から全然動かないし、おかしいと思ったよ……」
「まあまあ、そう仰らずに。ほら」
「あ、ちょっ、そこは!……ほわぁ」
耳の裏をかかれ、小さな口を少し開いて気持ち良さそうな表情を浮かべる彼女は半亜人、つまり人間と亜人のハーフとして生まれた。その証拠に頭の上には猫の耳、お尻からは元気に動く猫の尻尾が生えている。くりっとした丸い目は深い青色で、彼女の優しさを表していた。思い思いの方向にはねた真っ白な髪はまるで羽毛布団のようで、眠るには随分と良さげな場所だった。
くすぐったいような感覚に我慢できなくなったのか、メロンはプシノを頭から引き離し、フードに入るよう促した。
「プシノの言う通りだな。解決まではかなり時間がかかるかもしれないけど、やるだけやらないとなぁ」
「ていうか、それが私達の活動でしょ? 悩む必要なんて、かけらもないよ。私達の進む道は一本道! まあ、寄り道だって悪くないとは思うけどね」
キメ顔、そして一本道と共に天に突き上げた人差し指は揺るぐことなく、自信に満ち溢れている。
「分かったから。分かったからそういうのは卒業しようぜメロンさんや。言ってることには大賛成でも、そのポーズとフェイスは見てるこっちが恥ずかしい」
「なんで? 全部テルンの受け売りだよ?」
テルンに向かって微笑む彼女は、誰が見ても無邪気とはいい難かった。要は、からかっているというわけだ。
「それは子供の頃の話だろ! そんなこと蒸し返して、なんのつもりだ!」
「えー? あの頃のテルン、かっこよかったよ? ほら、眉毛寄せて難しい顔したりして!」
「こんのっ!」
「にゃはははは!」
二人してボロ机をぐるぐると回る様は、完全に子供のそれだった。
プシノはというと、そそくさとメロンの頭の上から飛び立ち、高みの見物を決め込む。しかし呆れているわけではなく、とても楽しそうに。そして、少し羨ましそうに。彼女は静かに微笑んでいる。
「おいおいなんの騒ぎだ? せっかく気持ちよく寝てたんだがな」
「あ、グリー。今買い物から帰ったとこだよ」
寝室からゆらりと現れた男は、グリーディアという。かなり酒臭く、足元がよろよろとして覚束ない。簡単に言えば、酔っ払っているのだ。
「頼まれてた酒も買ってきたよ。それにしても、寝るには早過ぎるんじゃないのか? まだ晩御飯だって食べてないだろ?」
「は? なんのことだ?」
「違うよテルン。グリーは今、この時間になってやっと起きたところなんだよ」
「は?」
テルンは耳を疑い、グリーの顔をみて確認を取る。
「正しくは四度寝から起きたところだ。二日酔いが酷いのなんの。お、酒があるじゃねえか。頂きます」
「待て待てグリー。お前二日酔いしてんだろ? 酒はまた明日にしろよ」
「そうです。お身体に障りますよ」
「なぁに。二日酔いなんざ飲めば治る。ほら、さっさと寄越せ」
グリーはそういって酒を取ろうとしたが、その手は途中で止まってしまった。
「あれ? おい、酒はどうしたんだ?」
「え? ここにあるじゃ……さぁ、どこだろうね? グリーが悪い子だから何処かに消えちゃったのかな?」
メロンは一瞬怪訝な顔をした後、何かに気付いたようだった。そして顔にはまた、あの笑顔を浮かべている。
「子供扱いするな! おっかしいな、さっきまでここに……」
「まだ酔いが抜けてないんじゃないのか? 今日は大人しく寝てろって」
「ちょっと待て! やっぱりおかしいぞ!」
テルンは喚くグリーの背中を無理矢理寝室に押し戻し、ドアの前に家具を使った即席のバリケードを作ってしまった。
「ちょっとやりすぎじゃない?」
「本人の為さ。プシノ、助かったよ。ありがとな」
テルンはプシノにウインクして、プシノは少し恥ずかしそうに頰を掻いた。
「いえ、なんてことありませんよ。グリーさんめちゃくちゃですからね。ちょっとお仕置きです」
「それにしても、本当に便利だよなぁ。魔術って」
人間は魔術まじゅつと呼び、妖精は魔術と呼ぶ。妖精のみが使える特技のようなものだ。大気に含まれているフィリアを改変し、相手に本物と区別のつかない幻を見せることができる。
もし、魔術を使い、相手に炎の幻を見せたならば、相手はその炎で暖をとることもできる。更に言えば、焼身自殺することも可能だ。周りから見れば、その者が自然発火しているように見える、というだけのことで。
それを今回応用して、グリーディアからはお酒が透明に見えるように魔術を使った、というわけだ。
「このお酒、しまっとくね? 夕飯の支度もしなくちゃ。テルンもプシノも手伝ってね」
「はいよ」
「分かりました」
支度と言っても、ほとんど買ってきたものを広げるだけのことだ。食卓には屋台などで仕入れた果物や料理が手早く並べられたが、始めのうちに買ったものはすっかり冷めてしまっていた。
「プシノ、これお願い」
「了解です」
などという心配は無用で、気が付けば料理からは湯気が立ち上っている。
「頂きます」
三人で手を合わせた後、各々好きなものを食べ始めた。
「魔術ってのは本当に便利だよね。ほら、こんなにご飯が美味しい」
「似たようなことが魔道具でも出来るけど……高いからな。普通に生活していたら、手に入らない代物だ」
「そうそう。人間と妖精が仲良くやれば、お互いにいいことだって多いのに」
料理を粗方食べ切り、満腹になったところで、テルンは食後のデザートであるリンゴに手をつけ始めた。しかし、なかなかリンゴは減っていかず、いつまでも手元に残ったままだった。
「どうしたの? 大好きなリンゴよりも気になることがお有りかな?」
「え……ああ。ちょっと考え事だよ。リオ姉ねえ達の帰りが遅いなと思ってさ」
「そういえばそうだね。二人とも夜は慣れてるから心配ないとは思うけど……プシノ、何か聞いてる?」
「いえ、私は何も。もしかしたら、今日は帰ってこないかもしれないですね。フェガさんは目立つので、王立軍のパトロールに引っかかっちゃったのかもしれないですよ?」
「かるーく言ってるけど、そうだったら大ピンチだね……」
プシノが真面目な顔で話すので、それが冗談なのか本気なのか分からず、メロンは思わず苦笑いをした。
「この街には普通の王立軍しかいない。正体がバレようが、奴らを撒くのは難しくないだろ。まあ、向こうのことは向こうに任せよう。俺達は俺達のやりたいようにすればいい」
机の上を綺麗に片付けてしまえば、それぞれやることもなくなる。風呂に入るなり、本を読むなり、自由に過ごし、あとは眠くなった時に寝るだけである。
部屋の灯りは消え、寝室からはグリーのイビキが。ソファーからはプシノの微かな寝息が聞こえ始めた。
リンゴを食べ終わったテルンは窓から離れ、リンゴをもう二つ手に取り、手近な袋に詰めこんだ。
「テルン? いくら好きだからって、そんなに食べたらみんなの分が失くなっちゃうよ?」
メロンは眠たげな表情で、プシノを起こさないように、そっと声をかけた。
「いいだろ? 二人とも帰らないみたいだしさ」
「……そっか。分かった。テルンの好きにしなよ」
「ああ、もちろんそうするさ」
古い宿の扉は、廃屋のように、軋んだ音を立ててつつ、ゆっくりと開く。
「行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
テルンは少し照れながら、そっと呟いた。