剣を求めてⅡ
本日は17時に投稿が難しいので、時間を繰り上げての投稿です。
リオとフェガに見送られ、テディの開いた『異次元門』を潜ると、目の前には巨大な老木が鎮座していた。メロンの記憶にある状態から、大した変化も見られない。人間界の森は亜人界の森に比べ暗く、じめじめとした湿気に包まれている。
「すごいな……寸分違わず到着だ」
テルンの指差す先には、手入れのされていない廃屋のような家が建っていた。あちこちが傷み、腐りかけている様子を見て、今にも崩れるのではないかとテディは心配そうな表情を浮かべた。
そんなテディの気持ちを読み取ったのか、テルンはテディの頭をぽんぽんと優しく叩き、ただ一つの入り口に向かう。
「ディバさん! いらっしゃいますか? テルンです! 頼んでいたものを取りに来ました!」
テルンはかなり大きな声で、強くドアをノックする。
建物の大きさは大したものではない。むしろ小さい部類だと言える。そんな広さに呼びかける声にしては、些か大き過ぎる声だった。
しかし、それでも住人は出てこなかった。
「聞こえてないのかな……?」
「それか寝てるかだな」
テルン達の訪問が予定されていないものである以上、留守の可能性も十分にあった。しかし、全員が全員、それを綺麗に失念してしまっている様はなんとも奇妙なものだった。
「もう一回呼んでみたら——ん?」
「どうかしたか?」
メロンの猫耳がぴくっと動き、目はじっと宙を見つめる。聴くことに集中し始めた時のメロンの癖が出ていた。
「建物の方から足音が聞こえるよ。段々近づいてきてる。もうすぐみんなにも聞こえると思う」
犬人族の嗅覚が飛び抜けて優れているのと同じように、猫人族は聴力が優れている。純粋な猫人族は人間の四倍以上の聴力を持っていると言われているが、半亜人であるメロンはその域には達せず、おおよそ二倍から三倍といったところだ。
テルンとテディはメロンの言葉を聞くと、ドアに耳を押し付け、中の様子を伺い始める。
「……確かに近づいてきてる」
砂の上を擦って歩くような微かな音が、少しずつ大きくなる。それが止まったかと思うと、今度は踏まれた木の床が軋む音が二人に届き、ドアの前でピタリと止まった。このままではぶつかってしまうので、二人は慌ててドアから離れる。ガチャガチャと鉄のぶつかり合う音がしたかと思うと錠が外れ、床に落ちる音が続く。
ドアが開くと同時に出てきたのは、大柄で屈強、それに見合う頑固そうな雰囲気を漂わせる、一人の職人だった。短く刈り込まれた黒髪、おでこには引っ掻かれたような大きな傷跡。太い眉に深い黒色の目、小さく潰れたような鼻にも、小さな傷跡が残っている。
「よおテルン。予定より早い到着だな! 来るなら連絡の一つでも寄越すのが筋ってもんじゃないか? ちょうど良いタイミングだから、悪くはねぇがな。早く上がれ。いろいろ話があるだろう。その嬢ちゃんは新入りか? まあいい。それも含めて全部話せ!」
そう一気にまくし立てると、ずかずかと家の中に戻っていく。
「ほら、行くぞ」
テルンはぽかんとした表情を浮かべるテディの様子に思わず苦笑いすると、背中を押して歩かせた。
家の中の空気は淀んでいて、くたびれたソファや、汚れた机の上には埃が溜まっている。お世辞にも綺麗とは言えない状態だった。どこから匂ってきたのかも分からない悪臭まで漂ってきて、テディとメロンは思わず鼻をつまんだ。
「ぐずぐずするな!初めてきたわけじゃあるまいし!」
奥の部屋から怒号が飛び、テルン達は慌てて移動する。
「隠し扉だ!」
テディは部屋を移ってすぐにそれを見つけ、目を輝かせた。壁に設置された本棚は横にずらされていて、そこには薄暗い小さな洞窟のような入口が開いている。ディバはそこに消えていった。
この家は山の壁に沿って建てられており、壁に開けられた穴を隠すために存在する。生活するために建てられていないのだから、当然手入れにもいちいち気を使ったりしない。テルンが大声で叫んだのは、中の構造が分かっていたからである。大声を出さなくても音を内部に伝える魔道具が扉近くに設置してあるのでその必要もなかったのだが、テルン達には知らされていなかった。
ひんやりとした、暗い洞窟のような道。気味の悪い暗闇を怖がっていたテディにも余裕が出てきたようで、壁を興味深そうに触ったり、匂いを嗅いでみたりと忙しそうにしていた。
「そこらへんで適当に待ってな。剣を取って来る」
狭い通路を抜けた先は、明かりの灯った広い工房になっていた。溶鉱炉や金槌をはじめとする仕事道具は丁寧に手入れされ、部屋を彩る装具のように輝いている。 部屋の明かりは蝋燭のものではなく、魔道具による人口的な光だった。外見はただのランタンでも、中身がどうなっているのかはまったく分からない。魔道具の技術は一般には公開されておらず、王立の研究機関に所属する者達が独占している状態である。街で使われている物は、全て王国が『貸与』するという形をとっており、窃盗、及び破壊を試みた者には重い罰が下された。購入しようと思えば、それこそ破産してしまうような額を要求される。そのため、魔道具の技術は人間界の中でも秘法のような扱いを受けている。
ディバは基本的に気が短く、大雑把でせっかち、さらに頑固という付き合うには少々疲れる相手であったが、元研究機関の研究者ということもあり、兵器や魔道具を製造する腕は確かだった。現在はこのような山の中に身を隠し、ひっそりと研究を続けている。
「これだ。いい感じに仕上がってるぞ。少なくとも、エドバに打ってやったもんよりはな!」
地面が震えるほどの大声で笑うディバを見て、メロンは街でたまに見かけるガキ大将を思い出した。
「そんなんで大丈夫ですか?王国からはお金を貰ってるんだし、仕事なんじゃ……?」
「細かいことなど気にするな! この俺が好き好んでやってるんだからな。今更どうなるもんでもないわ!」
また大声で笑うと、黒い布で包まれたものをテルンに手渡す。
「前のより若干……重いですね」
布をほどくと、少し細身な、美しいまでに磨かれた、一振りの剣が現れる。装飾などの余分なものが一切取り払われ、見る者に素朴さと純真さを感じさせた。
「前のはお前がちっこい頃から使ってたもんだったからな。せっかくだから、剣の素材は溶かしてその中に混ざておいた。剣の尺と重量も、お前の体の大きさに合わせたもんに変えておいたぞ。なあに、すぐ手に馴染むようになる」
テルンは空いた空間を見つけると剣を構え、軽く振り回す。違和感がぬぐえないのか、しきりに首を傾げる。
「これで注文はきっちりこなしたぞ。今はいないみたいだが、リオの方も何かあったらすぐに言えよ。しっかり整備してやるからな」
テルンの姿を見て満足気に笑ったかと思うと、ふっとテディに視線を向けた。
「それで、プシノを抱えてるこの娘は何者だ?お前達が連れ歩いてるとなりゃ、ただの嬢ちゃんってわけじゃないんだろ?」
テディはディバにくしゃくしゃと頭を撫でられていたが、撫でられ方が気に入らなかったのか、少し不満気に頬を膨らませていた。
「ご想像通りですよ。この子の名前はテディと言います。最初から話すと少し長くなりますけど……」
テルンは確認の意味を込めてディバの様子を伺った。ディバは、構わん、といった様子で、ふんっ、と鼻を鳴らした。
「じゃあお話します。俺がテディに初めて会ったのは——」
テルンはディバにここまでの経緯を事細かに説明した。リオ達を探してスラム街に入り、テディを見つけたこと。宿に帰り、リオ達が揃ったところで王立軍に発見され、エドバと遭遇したこと。テディが『異次元門』を創り出し、危機を脱したこと。テディに名前を付け、ディバに預けようと考えたこと。本人の意思を尊重して、一緒に活動すると決めたこと。亜人界で食料調達した時のこと。そして、グリーが狩人に攫われたこと。助け出す為に、剣を受け取りに来たこと。
ディバは話を聞いている間、じっと目を瞑っていた。『異次元門』で脱出したときの件では流石に驚いた様で、テディを頭の先から足の先まで見つめていた。テディはそれを不思議に思ったのか、首をちょこんと傾げてそれを表した。ディバは、悪いな、と言って苦笑いすると、テルンに続きを促してまた目を閉じた。
「お前達としても、この嬢ちゃんを俺に預けた方が安心だろうな。この場所がばれない限り、安心して行動できる。もしこの場所がばれても、敵を見つけるのが早けりゃ、嬢ちゃんが捕まることもないしな」
異世界に逃げちまうんだから、とさも楽しそうにくくっと笑った。
「でも、私はテルン兄ちゃん達と一緒に行きたい!」
テディはテルンの上着の袖をぎゅっと掴み、強く宣言した。
「分かってるさ。俺だって嬢ちゃんの気持ちを大事にしてやりてぇし、何よりテルンが許可したってんなら俺からいうことは何もねぇ。それに、ここにいても退屈なのは間違いないぞ。俺も忙しいし、遊んでやれないだろうからなあ」
ディバは珍しく寂しそうな顔をして、そっとため息を吐く。そのらしくない態度にテディは不安を覚えたのか、テルンとメロンの顔を順番に見て、助けを求める。
二人は顔を見合わせると、仕方ないと肩をすくめた。
「ディバさん。もう少し研究じゃなくて、他のことにも目を向けて見たらどうですか?……結婚とか」
小さな声で、遠慮気味に。最後に至ってはディバに聞こえたかどうかも怪しいほど、テルンの声はだんだんとしぼんでいってしまった。
「……結婚か。そうだなあ。正直、面倒くさいってのが先に立っちまうんだよなあ。ほら、結婚って人生の墓場っていうだろ?俺にとっちゃこれが生きがいだからよ。それで金を稼ぐなら研究所に戻るしかねぇ。でも、あそこはあんまり好きになれなかったからなあ」
ディバの目はどこか遠いところを見つめていて、その姿からは哀愁が漂っていた。テルンはディバの反応を見て、やっぱり駄目かと苦笑してしまう。
「仕方ないな……メロン。あとは頼む」
「やっぱりそうなるよね。うう……嫌だなぁ」
テルンの呼びかけに、メロンの耳としっぽは力なく垂れてしまった。
「頼むって?」
「テディは知らなくていいことさ。さあ、一度部屋を出るぞ」
テルンはテディの手を引き、部屋の外に連れ出す。後ろ手にドアを閉めると、ずるずるとその場に座り込んだ。
「テルン兄ちゃん?」
「ここで少し待つぞ。……ディバさんの気が済むまで」
テルンは溜息と共に言葉を吐き出すと、テディにも座るように促す。テディはプシノを頭に載せると、テルンの横で膝を抱え、そのまま力を抜いて寄りかかった。
肌寒い通路の中で、テディは無意識のうちに暖かさを求めていた。土の温度は部屋の中よりずっと低く、じっとしていると寒さに身体を蝕まれてしまう。
「少し寒いな」
テルンはテディの小さな身体から体温が奪われ、震え始めるのを感じた。
「うん。……ちょっとだけ」
テディは明らかに無理をしていて、テルンに向けた笑顔はとても弱々しかった。
テルンは黙ってジャケットを脱ぐと、テディの身体を覆うように被せる。テディは少し驚きつつ、ありがとう、とお礼をいうと掛けられたそれを持って立ち上がる。嬉しそうに袖を通すと、ジャケットの裾は膝まで届いていた。
「ぶかぶかだな」
「うん。ぶかぶか。あったかいよ」
二人は示し合わせたかのように、くすくすと小さく笑う。
テディが座りなおしたところで、二人の耳にドア越しの声が聞こえてきた。
「ディバさん。……どうぞ」
「おお。いつも悪いな」
メロンと立ち直ったらしいディバの声。テディはよく聞こえるようにとドアに耳を押し付けた。
「中で何してるのかな……覗いてみてもいい?」
「だーめだ。メロンに見るなって言われてるからな」
テディは湧いてきた好奇心を表情に載せ、今にもドアを開け放とうとする。そんなテディを、テルンは素早く窘めた。
「あっ……ディバさん……その……もう少し優しく……んんっ!」
再びドア越しに聞こえてきた声にテディが改めて聞き耳を立ててみると、メロンの声音は先ほど打って変わって、甘く悩ましいものへと変わっていた。
「ん?ああ。少し乱暴だったか。そんなら、こんな感じか?」
「そうです……それくらいで……ほわぁ」
二人のやり取りは続き、次第にその声はドア越しでもはっきり聞こえるほどの大きさとなった。
「ねえテルン兄ちゃん。メロン姉ちゃんとディバおじさん、中で何してるの?あと、テルン兄ちゃんの顔はどうして赤いの?」
「いやお前——」
自分をからかっているのだと思ったテルンは面倒くさそうに視線を送ると、しっかりと目が合ってしまった。テディが自分のことをじっと見ていて、明るく輝く碧色からは悪意の無い、無垢な意思を伝えてくる。
テルンは言葉を詰まらせ、顔を背けた。
「——なんでもない」
「でも、テルン兄ちゃんの顔が——」
「いや、あれだよ。ここってちょっと暑いからさ」
「さっきは寒いって言ってたよ?」
「いや……それは……うおっ!」
「きゃあ!」
突然ドアが開き、もたれかかっていた二人はそのまま部屋の中に倒れこむ。
「二人とも、お待たせ……」
メロンは二人の顔を見ると、へなへなと座り込んだ。赤く上気した顔で、声に疲れを滲ませている。
「いやあ、久々に癒されたぜ。ありがとなメロン」
ディバはがははと笑うとメロンの頭をガシガシと撫でる。
「メロン姉ちゃんとディバおじさん。二人で何やってたの?」
テディはがばっと立ち上がると、二人を交互にじっと見つめた。
「テルンから聞いてないの?」
メロンは不思議そうな顔をして、テルンに、なんで教えてあげないの?と表情で問いかける。
「いや……こう、なんとなく言い辛いというか」
テルンのらしくない、はっきりしない様子に、メロンは怪訝な顔をした。
「そう?耳とか尻尾とかを撫でられてるだけなんだから、なんてことないと思うけど」
「俺は猫が大好きでなぁ。是非とも飼いたいんだが、こんな不便なところに連れてくるのも可哀想かと思ってな。たまにこうやって目を瞑ってメロンの頭やら尻尾やらを触ってると、その欲求が少し収まるってわけだ」
ディバの説明をこくこくと頷いて聞いていたテディは、納得してこう結論を出した。
「つまり、メロン姉ちゃんはディバおじさんの『欲望の捌け口』なんだね!」
「ちょっと待って。それ、絶対勘違いされちゃうよ!」
「いやぁ、しっかりと的を射てるんじゃないか?」
テルンは仕返しとばかりに、意地の悪い笑みを浮かべる。
「それにしても、テディはまた変な言葉知ってるな」
「昔路地でおじさんたちが話してた。お髭ぼーぼーのおじさんたち」
「路地?……ああ、特区のことか」
テルンはテディとの出会いを思い出し、あれからたったの数日しか経過していないことに気付き、驚いた。
「テディ、さっきのリオ姉とかグリーに絶対言わないでよ?……テルンも!」
「はいはいわかってますよ」
「冗談じゃないからね⁈絶対だからね⁈」
「おいお前ら、ここでゆっくりしていいのか?リオとフェガが《《向こう》》で待ってんだろ?」
なかなか話を切り上げない二人を制するように、ディバは顎で出口を指す。テディはすでに二人の会話に飽きたのか、手近な工具をいじって遊び始めていた。テルンとメロンは顔を合わせると、どちらからともなく苦笑してしまう。
「それじゃ、帰るとするか。テディ、お待たせ。外に出たらまた異次元門をリオ姉の近くに開いてくれ」
「うん。わかった」
テディは工具を名残惜しそうに手放すと、テルンの差し出した手をちんまりと掴んだ。
「ディバさん、お世話になりました。またよろしくお願いします」
「お願いします」
「おじさんまたね!」
「おう!いつでも来いよ!」
暗い通路を再び進み外に出ると、山は暗闇に包まれていた。山独特の冷えた空気と纏わりつくような濃い霧が、三人の身体を軽く震わせる。静けさの中で微かに聞こえる虫の声、風によって擦れる葉の音。鳥のさえずりは、気味の悪さに拍車をかけた。
「テディ、頼んだ」
「任せて!」
テディは夜空を見上げ、瞳を閉じる。右手を挙げ、真円を描く。
——テディの動きは、そこで止まった。
「……どうしたの?」
動きを止めてしまったテディに、メロンは恐る恐る声をかける。テディはその言葉に答えず、手を下し、その場に座り込んでしまった。
「どうしたの?……大丈夫?」
メロンはテディに数歩歩み寄り、もう一度声をかける。
「……うまくできないの。いつもは勝手に上手くいくのに」
テディは俯いたまま、小さな声で付け足した。
「——異次元門が開かないの」