第六十三月:わたしが知ってる秘都での凶行(分割:下)
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思えば、メニューパネルに設けられた『お茶』の解説を受けた事がなかった。
お茶パネルをドラッグさせられる事。メニューパネルの中央にセットさせられる事。
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そうしてパネル上で表示された24:00:00から始まるカウントダウン。
あれが何を示唆したプログラムなのか。どういうシステムを基にして、どのような恩恵を得られるのかなど……勉強不足がここに来て頭を鈍くさせる。
その状況で、いち早く反応を示してくれたのがザドさんであった。
「ペルテル、ゲストを止めろ! 特権を使いおったぞ!」
「 ゎ、はいはいっ 」
ボロ布の背に乗るザドさんの獣足が一層沈む。加え、比較的自由であった両腕がペルテルさんによって地面に押し付けられた。
急に始まったこの慌ただしさのおかげか、僕を掴んでいたボロ布の手が開いた。棚ぼた僥倖グッドゲーム。
僕はすかさず床を滑り、不格好ながらボロ布の魔の手から逃れた。
(はぁ……これで、やっと本ルートに戻れるか)
少し離れた所から見る三者の様子は、暴れるお風呂嫌いな子を無理矢理洗浄しようとしている業者のふたりと言った感じ。
こうなっては例え残った脚をバタつかせようが、何も成しえられないのは自明。ボロ布が何をしたかったのかは分からずじまいではあるが、そもそも僕には一切関係ない余所のイベントだ。このまま退却しても問題ないだろう。
そう思って、僕は腰に備え付けてある小刀『笹流し』を抜いた。
…そう思って、僕は腰に備え付けてある小刀『笹流し』を抜いt。
……そう思って、僕は腰に備え付けてある小刀『笹流し』を抜いた?
そう思ったとしても、僕が腰に備え付けてある小刀『笹流し』を抜くのはおかしいだろ。
どう思ったら、「僕は腰に備え付けてある小刀『笹流し』を抜いた」になるのか。
そう思ったのなら、腰に備え付けてある小刀『笹流し』を抜くよりも踵を返そうよ。
だいじなもの扱いで装備不可な武器をわざわざ抜刀する必要は無い。
立ち上がり腰を落とし、左腕で峰を止め、縁頭を前に向け刀身を寝かす。こんな薙ぎに入る姿勢を取る必要なんてない。
何をする気? どうする気? 僕の傷だらけの体は何を望んでいる? どうして僕が望んでいないような勝手な行動を取る?
理解不能。理解不可能。突然の恐怖体験。困惑限界突破世界新記録。前にはコレに気付いていない方々。そこ危ない。危ないから。
声が出ない。声帯が仕事をしない。音を鳴らせない。注意を促せられない。気付いて。気付かない。気付いてって。気付かないと危ないから。
もう。
──は ? な に こ れ ? ?
総じて、そう思ったのと同時に、小刀『笹流し』は僕の手によって、一の文字となり通りゆく。
その瞬間、視界にノイズが走ったのと……ペルテルさんが胴を境に、二つに分かれたのが見えた。
「────」
ペルテルさんの上半身は倒れ、両腕すら切断されていた事も知る。又、ザドさんの両前脚をもスッパリいっていた。
「……ペルテルッ」
それでもザドさんは地面に手を着き、完全には倒れまいとしていた。
「……ぁ……ぁ……???」
……もうマジで、なにこれ?
ペルテルさんの体が徐々に光の粒に変わっていく。それで察しはつく。HPはゼロだって。
そうなった原因?
いや僕悪くないし。僕が自分の意思でやったんじゃないし。持ってた小刀が意思を持っただけだし。僕は抵抗の意思を示そうと努力したし。なのにどうしてかどういうわけか体が言うことを聞かなくてそもそも刀身と二人の間にはそれなりに距離があって切っ先も届かない筈なのに何故か斬れてだったら僕が直接攻撃したなんて証明のしようがないからやっぱりコレは偶然であってここには危険な罠が仕掛けられて発動のタイミングが重なった結果だと考えた方が自然でどう考えても僕は悪くないし僕が原因を作ったとは言い難いのではないでしょうか?
「ハウはどう思う……? ハウはどう思う……?」
……視界にチラつきが起こってる。
ボロ布が、ノソノソと起き上がろうとしている。
その際、ザドさんが邪魔だったようで力強く突き飛ばしていた。
そうして、当たり前のように僕に顔を向けた。
ザドさんもペルテルさんも一度たりとも見なかった僕をだ。
もうボロ布は獣みたいな形相をしていない。無だ。
無でも、かっぴらいた眼はそのままで。
異様性は随時開放中。
それは凶気か。
それとも僕を責める眼差しか。
その答えは明かされる事もなく、ボロ布の手は僕の視界を覆う様にして掴んできた。
────
「──……」
視界を妨げていた手が外される。
ただ触れただけとも取れるくらい一瞬だった。
それなのに、景色が一変している。今までと似た壁は遠く離れ、今までとは違い放置物のない平坦な石床が広がる。
でもそれらは目の端に映る些細な物。
僕が目を奪われたのは、ボス戦でも執り行われそうな広い空間の中央に浮かぶ、歯輪の次元と酷似したオブジェクト。その中心にある小さな獣だ。
「──ハウ? ……いや、かぅばん……?」
サラセニアの住人が散々ハウをそう呼んでいた。
カゥバンクオルの幼体、かぅばん。もしかしてアレが、件の囚われているという個体なのだろうか。
疑問に思う事はない──アレがそうだ。なんて応えてくれる人はいないから、合っているかはわからない。
けれど、僕の真横にいたらしいボロ布は、黙ってソレに近づいて行く。……情けないかな、僕はボロ布が近くで動いただけなのに、体が強張るようになっていた。
「はっ……はっ……!」
離れて行くボロ布を見て気持ちに余白が生まれたからか、自分の手の湿りを感じ……次いで小刀を握ったままな事を思い出す。
ペルテルさんを……ザドさんを斬った刃物。
あの二人とは別に話した事はなかった。友人でもない。知り合いでもない。関わりのない人達。
特段、ダークサイドに堕ちているとも言えない人達を、この武器は斬ってしまった。
……形的には、見慣れた光景である。
僕がステルスチートを駆使して、プレイヤーに襲い掛かった様子と重なるのだから。
そうだ。プレイヤーキルなら散々してきただろ。これしきの事で胸を痛めるタマでもあるまい。ああ、ここはゲームの世界だ。分かってる。
間接的に味わおうが直接的に味わおうが、ゲームの仕様として用意されている殺生が行われただけ。ありふれた小事。
誰かが誰かを『そう』している場面だって、心が揺らぐ事もなかった。気分を害するなんざ以ての外。正直見てて楽しんでいた。
なのに、おかしいな。どうして今回に限って怖さが汗の様に染み出す? どうしてこんな感情が湧く? 本意だったら楽しかったか? 意思に反していたから怖くなったのか?
違う……どれだけ自身に問いかけても、どれもがしっくりこない。正確ではないと感じるのみ。
ならこの震えはなに?
腹底を満たす正体不明な変調に、頭がこんがらがる。
とにかく助けが欲しかった。答えに導いてくれるなにかが欲しかった。
ボロ布の背。囚われのカゥバンクオル。広大な閉鎖空間。──小刀……笹流し。
この武器を見れば見る程、溢れ出そうとする嫌悪感は確かにあって……!
僕は衝動に駆られるまま小刀を投げ捨てた。
これで、少しは気持ちが楽になる……そう思ったのは一瞬の事。
「……ぉ──あ゛、ォオ゛ッ!?」
直後、腹から喉へ駆け上る不快感が襲いくる。
よかった。出てくれるならなんでも良い。この気持ちの悪さ諸共消えてくれと願った。
「ぁっはあ゛っ……はぁ……は……ぁあ?」
吐き出した物……は、吐瀉液に塗れた……木の玉だった。
「……これ、なんだっけ……しゅじゅ?」
一時期僕らが失くしていた、ファイユさんが探していたもの。古魂の珠樹と呼ばれているモノだったはず。
でもアレは、ハウに寄生しているって話ではなかったか。
実際、アイツがゲロゲロりと吐き出しているのを目の前で見てた。
それがどうして、僕の体から出てきた?
ハウだけではなく、僕にも寄生されていたから?
ファイユさんの話に出ていたか? 聞き逃したのかもしれない……が、考えたい事を増やしてくれるな。今はとにかく、気持ちを落ち着かせたいんだ。
それなのに、嗚呼──古魂の種樹は蠢いている。
辺りから香る死臭みたいな匂いに……もしくは、ペルテルさんの死にでも反応しているのか。
球体だった木の塊が放射状に根を伸ばし、形状を崩し始めた。
ネクロの洞穴で戦慄させられた、その速度。
案の定、手はあっという間に飲み込まれ、身動きを封じられる。
ボロ布は背を向けたまま歩いていく。
唯一縋れたかもしれないそんな姿も遮られて。
急成長する樹は──また……僕を包み込んでは、茶褐色の世界を見せたのだった。
────
……同じだ。
ネクロの洞穴で樹に飲まれた時もそう。
茶褐色となった景色では、あの樹が消える。
これはまるで、この場所で起きた事を見せられているかのようだ。
「──?」
捨てた小刀が、拾い上げられた音がした。
もう一人誰かいる──と、思うや、
すぐ隣から強く響いた女性の声。
薄い紫色の長い髪を左右に結い、煌めく糸で装飾がなされた黒く大き目な上着を羽織った人……。
ストリート系とゴシックファッションを融合させたような衣服で身を包んだ、大学生くらいの女性が小刀を持ってボロ布を睨んでいた。
「…………」
突如現れた人物に、ボロ布はめんどくさそうに振り返る。
両者の間に暫しの沈黙が流れ……女性は空気を切り替えるように睨むのをやめた。
「出来れば、この体を傷つけたくないの。話し合いで雌雄を決めようじゃないか?」
なんならチェスでもいいよと言うその顔……見覚えがあった。
確か、サラセニアに入った時に触れた……あの人に酷似しているように思えるのだが……?
「沈黙はイエスと捉えたり。まず確認ね。……あなたさっき、笹流しにバグコード入れてたでしょ?」
「……」
「沈黙は以下略。こちら側だとブラックアウトしてて、これは推測でしかないんだけど……『お茶』を淹れてあまねくものの監視をすり抜けたのかな」
何か喋らないと不利になるよ? そう言って、小刀の刃身で手の平をパシパシと叩いてみせる。
何のことかわからない僕は置いてけぼりにされるのがデフォなんだろう。そもそもここでの僕の存在感って、あるのか……?
「そ。沈黙ありがとう。でも、他人を斬っちゃダメ。罰として、笹流しは没収です」
「────ッ」
瞬間、ボロ布は女性目掛けて突進した。──だが、彼女の顔を捕えようとした凶意的だった手は寸での所で止まる。
なぜなら女性より、挑戦的な眼差しで繰り出す『 なに? 』の一言があったからだ。
踏みとどまった際のボロ布の足音が、大きく響き渡る……。
「止まれるってことは、やっぱり憶えてるんだ。……そうだよね。わたし達、みんなで怖い思いさせられたもんね。──あの時、ファイユさんに」
……ファイユさんに?
「ねえ。サラセニア三大秘宝の破壊行為はあまねくものを……ってか、サラセニア運営を怒らせるよ? あなたの目的って、笹留めの破壊なんだよね?」
「……それは理想。私は、もっと簡単な方を選んでいます」
ボロ布が喋った。
こちらは、かすれた少女の声。
その返答に女性は「簡単な方?」と、首をかしげる。
「私の目の前でシバコイヌに協力を約束したくせに。そんな人に教えてどうなります」
「あー……それはごめんなさい。協力するって言っちゃって申し訳ない」
目を逸らし、苦笑いを浮かべる女性。ボロ布はかぅばんへと向き直る。
「待って、でもね! わたしだって完全にシバコイヌ氏を信用してるわけじゃないんだよ」
「彼を盲信しているロロと仲が良いらしいので説得力を感じません」
歩き出したボロ布を女性は追いかけながら対話を途切れさせまいとする。
「ロロ君さんはいいじゃんっ。あの人は……まあ、どうしようもないくらいの破滅思考の持ち主だけど……説得次第では思い直してくれるかもしれないよ?」
「私はとっくに希望無しと見限ってます。付き合いは貴方より長いので無駄だと分かってます以上」
「だから待ってって!」
女性はボロ布を無理矢理自分の方へ振り向かせた。
立ち止まった二人。少し……間があった後に、
「わたしの……希望はね? サラセニアを終わらせるような事は控えてほしい。それだけ」
だから、
「その行動力に、そんな意見も考慮してくれたらなーって……思ってる。よ」
じゃあ、なんで、
「シバコイヌの目的は、世界統括実験だって知りましたよね? これなにかわかってますっ? わかってて協力してるのですか!?」
「あ もちろん」
「わかってない! 『四角錐』が生成した世界全てを繋ぎ合わせるの! メティエンもサラセニアも、私の世界『琴乃葉』も!!」
「それはシバコイヌ氏のテキトー予想でしょ。多分こうなるんじゃないかって」
「なってもらっては困りますだってそうなったらなにもかも滅茶苦茶……! 自由でカオスの異世界が出来上がります! 私はソレを阻止したいッ。私の弟が生きてる琴乃葉を守りたいの!!」
似た意見なら、自分の意思を最優先に尊重する。
そう吐き捨て、ボロ布は女性の手を振り払った……かのように振舞った直後、その手は逆に掴まれる。
「そちらはなんですか? サラセニア配信が楽しいから? 配信映えする事件、出来事が起こってくれれば話題作りに成功──同時接続が増えると睨んで邪魔者を排除しようと考えた?」
「悪いけど、わたしはそこまで打算的なコト考えて行動に移せるほど賢くないからっ。今だって観てる皆の意見を参考にしてるもん!」
「自分の言葉を他人頼りにしてる人は出張ってこないでください。何が起きようが毎夜震えて寝てればいい」
「そうはいかないから追って来たんだよ。偏愛拗らせた子が極端な結論を出したのを見て、放っておけるわけないでしょ」
「正したい者にでもなったつもりなんです? こちらにとって、貴方は奪う者ですけど?」
「それは、こっちの台詞にもなるしっ」
「ははっ、なら雌雄でも決しましょうか」
ボロ布は小馬鹿にしたように言うと、不意に女性へともたれかかった。──すると。
「──っ、やば」
女性の頭上で煙状の六本脚の白獣が出現。大きく口を開け、彼女を飲み込もうと襲い掛かっていた。
けどその様子……僕にはどうにも、ハウが獣衣装をしようとしている瞬間にしか見えなくて……。
獣は女性を包み込む。
しかし、次の瞬間に女性を起点とした光のエフェクトが起こった。その拍子に獣は四散。ボロ布は弾き飛ばされ転がった。
「……自身を通報ですか。『審議中、誰も手を触れるべからず』を、上手く利用しましたね」
それも観てる人の助言かと……顔を上げつつ、そう吐露したボロ布。
通報……。確かに、今女性を取り囲んでいるのは幾つもの二等辺三角形。ろろあくとが通報された時と同じだ。
「笹流しにバグコードを入れたんだから、すぐ対応してくれると思った。……これなら力づくなんてできないよ。もっと話し合お!」
「……」
ボロ布がゆっくり立ち上がる。もう散々話した結果がこの状況でしょうが……と、溢しながら。
「まあどうせ最後になるので、いいです。話しましょう。と言うか、教えましょう」
女性が両手で持つ小刀『笹流し』を指差し、言い放つ。
「勘違いさせて悪いんですけれどソレ、実は吸魂の一振りですよ? 本物の笹流しは誰にも見えないよう隠しました。さて何処にあるでしょうね?」
「……え?」
大事そうに持っているのは偽物だ。その発言に、女性だけでなく僕も目を丸くした。
女性は嘘だと疑うが、二等辺三角形による『処理』を施された小刀が木の枝に変わる様を目の当たりにして──!
女性は激高した。
……この光景。展開……。
……この会話。あの姿……。
ボロ布は『ウガタ』と呼ばれた。
かぅばんへと走り出した少女を追おうとした女性は、更に現れた大きな二等辺三角形に遮られて足を止められる。
ボロ布が通報したんだったか。バグコードを入れた犯人は彼女だと。
不思議なんだが……。
僕は……この現場を見たことがある……?
僕は、此処にはいなかった。
それでも知っている。いや……知りえる物を持っている感覚。
ここで起こった事。初めて知った事実。怖いと思った情景。
それを思い出してしまいかねない『始まり』を見たせいで……恐怖が再燃。
頭が炙られた結果、この一連の流れを知るナニかが浮かび上がったと考えれば……恐らくは……。
そうか。
これは……そういう話か。
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誰かさん風に言うと──これはログ。
僕の中にあるログ。これはゲストとしてのアバターに備わっていたログなのか、それとも僕自身の中に沈んでいた記録なのかは定かではない。
しかし、混乱をきたした元凶である事は確かなので……帰る前に、ここで吐き出してしまおうと思う。
二等辺三角形……あまねくものを召喚し、女性を釘付けにしたボロ布を幾重にも纏った少女。
このウガタなる娘は、獰猛な獣の様に囚われのカゥバンクオルと見られる、かぅばんを襲撃した。
小さな綿毛の獣を護る物は瞬く間に破壊され、ウガタは……何の躊躇も見せる事無く、かぅばんを握り潰す。
その際、飛び出した目玉を体液まみれの指で挟み、一度女性に顔を向けた。
「笹留めの情報を孕んだ記憶水晶。……あんた達なんかに渡してたまるか」
まるで勝ちを確信したように。
敵対する者らの目的を阻止したと誇るように。
少女は嗤っていた。
少女の嗤う声が響いていた。
そうして、その手を胸に抱きながら、こう呟く。
大丈夫。
もう少し……もう少しで、悪は滅びるからね。
──その直後、そんな少女目掛け撃滅をもたらす一撃を仕掛けた者がいた。
ザドさんだった。
彼は痛々しい体を引きずりながらも、ここまで追いかけてきたらしい。
そして機を見ての襲来。少女は間一髪避けたが、ザドさんは逃すまいと追い立てる。
こんなログを見続けて。
見続けていた僕は、獣族を翻弄し嘲笑う少女が『聞き覚えのある声の主』本人であると思い出す。
あれは、姉さんだ。
初めて、『姉さん』を認識した場面が……此処だった事さえも。
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