第六十三月:わたしが知ってる秘都での凶行(分割:上)
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──ずるずるズルズルずるずるズルズルと。
ボロ布を纏う小柄な人物は僕を雑に扱われる人形のように引きずったまま、監央なる建物に潜入してしまった。
……かんおう──。
なるほど、監央。
第一印象としては、聖堂風ダンジョンと言った様相だと感じる。
照明はさほど多くない。それなのに見渡す限り均等な明るさを保っているのは、光を反射しやすい鉱石かなにかで作られているせいなのか。
加えて何があったかは知らないが、壁や天井、床のあちこちに破壊された跡があり、瓦礫が散乱……割れた柱……朽ちた剣が無数に放置されている。
紳士淑女よ、ご覧あれ。これは、なかなかに洒落たレイアウトぞ。
ゴシック様式で表す死の跡か。営みの温もりを失った無機質の冷たさが程良く心地良い。
静寂こそ最高のバックグラウンドミュージックと呼ばれるシーンがあるが、ここは正にその通りと思える場所だと思う。
……しかし、その中で不似合いだと感じてしまうのが……匂いだろうか。
このように荒れた箱内なら、土臭かったり、カビ臭かったりすると思うのだが……妙に鼻腔が温まる錯覚に陥る不思議な香り……。
どこかハウの体臭にも似ている気がするが、それよりもすえた感じと言うか……少なくとも、嫌な印象は受けない。
そう。嫌な匂い……ではないけれど……何となく、落ち着かないと言うか。なんだろうな、わからない。言葉にしづらい。
──ともかくだ。
こんな所に用はないんだ。その事について、僕を引きずる彼(彼女?)とも意見を交わし合おうとしたけど……まあ、ガン無視してくれるよねって話。
これもう空気うんぬんってレベルじゃない。あからさまに人扱いしていない感じだ。なので一応抵抗らしい事はしてみたが……この人物、見た目にそぐわない剛腕だった。
歯が立たない。指先ひとつこじ開ける事すら厳しい。まるで巨人にでも捕まったかのようだ。
それなら無視させない程の大声でも上げようか。そう試みてもいいとも思ったが……僕の本能が怖気づいてしまった。
もしここで僕がペルテルさん達に聞こえるくらいの大声を出そうものなら、すぐさま喉に拳を突っ込まれてもおかしくない。……そう感じ取ったのだ。結構冗談抜きで。
現状……陰キャがコンビニ強盗犯と遭遇し「やれやれ」とか思いながら涼しい顔で一方的に蹂躙する妄想をしてゼロ価値精神勝利で悦るような余裕など持てない。それほどに、この人が醸し出す雰囲気はヤバいと言う事。
……どうあがいても逃げらんねぇ。そう思わされて以降、僕は観念してお荷物に徹する他なかった。
──ずるずるズルズルずるずるズルzzz──。
(……大体なんでこんなことを……僕の用途ってなに?)
謎なのは目的だ。
このボロ布の人はペルテルさんとザドさんを尾行しているっぽい。
見つからないように、二人が進んでいる大きな通りを見下ろせる上階の通路を屈みながらの追跡だ。
普通に察するなら暗殺系? 誠に物騒な任務を請け負った何者か……だとしても、武器らしい武器を持っている素振りは見られない。腕力で黙らせていくタイプかもしれないけど……。
なんであれ、僕を引きずったままだと任務に支障は出ないのかと逆に心配になるわけで。
やっぱり謎過ぎる。一体この行為はなんなのかね。
(それがなんだとしても……とりま早く終わってくれないかな)
こちらの心境なんて、おわかりいただけていないだろう。今、僕が憂いていると言ったら、ハウには悪いことしてるなってコト。
ハウがいつ帰ってきてもいいように、元の場所でキャンプファイヤーでもしているべきだったんだ。それなのに、こんな……。
あーあ、あとで文句言われるなぁ、と。僕はぼんやりしながら薄暗い天井を眺めていt──。
「……?」
出入口など遥か過去。そのくらい奥まった場所に行きついてしまった頃、ボロ布の人は不意に脚を止めた。
身を屈めたまま、眼下の大通路を覗き込んでいる。一応手が届く範囲から離れなければ、こちらもある程度自由に動けるのでぇ──。
(ん……? ペルテルさん達が通路の突き当りで、何か話してるな)
僕はソレと同じく下を窺う。彼らの声は小さく、ここまでは届かない。
なら仕方ないので、僕は進展のない物語なんて興味ありませんと言ったように、顔を引っ込めた。……ところで、お隣さんよ。
「ぇ。ちょ……言い損なってたけど、それさ」
ガン無視定期。
ボロ布の人は、さも当然の権利だと主張するかの如く友井春のスマホを操作し……ペルテルさん達に向けた。するとだ──。
【 ……at,り、若が立ち入りを禁止にしておる理由ってのは 】
【 暴かれたくないのでしょうね……秘都クレイトにとっては黒歴史だもの 】
スマホからザドさんとペルテルさんの声が流れてきた。
集音アプリを使うとか。見た目によらず、頭が回るじゃないか……では、なくてだな。
【 秘都……いえ、当時は鏡赤龍愛好会独立団体『クレイト』でしてね。その活動内容は……ザド、調べはついていて? 】
【 おぉ。表向きは清廉潔白の保全活動だったらしいが、裏では記憶破壊の要素でイリーガル認定されていた鏡赤龍の化身を作っておったそうよな。それもよりによって名前持ちを基に 】
【 怖い話……。そんな団体を率いていたのが、若みどり。……まあ、表向きでも血気盛んなコトをして鏡赤龍を守っていた噂もあるだけに、暗都襲撃の容疑を掛けてしまったのだけど 】
奪い取れるものなら奪いたいが、それが出来るならとっくの昔に……!
奪えないとあらば、この吸着した岩みたいな手を振り解くくらいはしたい。あの横顔を見てみろ。二人の会話に集中している今こそチャンスではないか!
それが出来るならとっくの昔にぃ……!
【 ──さて。この奥にあるのは件の…… 】
【 悪い事。つまりは裏の活動が行われていた場所ってか 】
冷静に考えれば、取れたとしても逃げられないなら意味ないじゃんって。
僕の肩にいる架空のハウと意見が合致する。なんならハイタッチもかましたった。
【 若が直した壁は……この辺りだったな。改築の正当な権利が無い我らでは破壊しか出来んが、どうしおるか? 】
【 それしかないならそうするのみ。けれどそうすれば、すぐさま若へサラセニア運営から被害通知が届くでしょうね……さっきみたいに 】
【 処した輩の様に悪い事に気を取られれば、他人に見られたくないと考えている奴が出てきて捕らわれる。目移りする事の無い確固たる目的意識が大事ぞ、ペルテル 】
【 わかってましてっ。我々が欲しているのは葬られた黒ではなく、尾を引く黒。興味があるのは特例体カゥバンクオルのみ──! 】
スマホの低音量を掻き消す程の大声に、頭の中でふざけていた僕も何事かとペルテルさん達を覗き見た。
その直後、周囲は大きく揺れる。走る轟きは雷鳴の如く。壁や天井に張り付いていたチリあくたが幾所で垂れる。
一つ間違えば破滅的事態を引き起こしかねない衝撃をもたらしたのは、ペルテルさんだ。
彼女は白から黒に戻りつつあった拳を、恐ろしくも岩壁に打ち付け……肘辺りまで埋め込んでいた。
壁には蜘蛛の巣のようなヒビ。直、崩壊が始まるか。支えを失った箇所から順々に岩肌の表面が剥がれ落ちていく。
【 ……思ったより壁が薄い。ザド、次で開きまして。突入の構えを 】
ザドさんが軽い返事をした後、ペルテルさんの背後に回り上半身を低くした。
一体その壁が何の罪を犯したと言うのだ。捻じり込ませた腕をそのままに、ペルテルさんが少し屈み……──そして。
「え? な──?」
追い攻撃が為されようとしている、たった数フレーム分の瞬間だった。ボロ布の人は突然、僕を引き連れたまま飛び出した。
且つ音を出さない。獲物を捕らえるフクロウのようにザドさんの後影に降り立つ──と、同時に──ペルテルさんのゼロ距離体当たりらしき攻撃により、壁が一気に崩壊した。
立ち上がった砂埃が辺りを覆い、開いた穴が僅かに空気を吸い込む。その風を感じる一瞬の事。目の前のザドさんが走り出し、ペルテルさんを抱え込もうとしている様子を──僕らは追い越した。
一瞬、砂埃の向こうからザドさんの戸惑う声が聞こえたような。
流石に過ぎ去る僕らの姿には気が付いたか。出来れば、その戸惑う気持ちを共有したかったな。
────
俗に言うロケットスタートを成功させ、ペルテルさんが開いた道を我先にと疾走する。
あの二人が追い付いてくる気配はない。それだけ速いと言う事。ヒラギノレイナの上位種かと思う程だ。
それでいて、ボロ布は流れゆく周囲の光景には目もくれない。ひたすら奥へとだけ考えているようで、僕の足が縺れていようがお構いなしらしい。爪先が無いなるわ。
(──どこまで……? どこまで行く気?)
聖堂風だった造りは、やがて装飾も落とし物もない殺風景な光景へと変わり……そこから様相が一変する。
目に入り始めるモノは──仄かな光が照らす夥しい量の白い綿毛と、龍の顔をした六本脚の獣の標本。床に転がる赤い球に通路の端に寄り集まった干からびた正体不明の物。
……一見して不穏だとは感じられるが、あれらが具体的に何を表しているのかなど、僕には到底察しのつくものではない。
ここの雰囲気に関しては、それ以上でもそれ以下でもない。関心を向けたイベントを進めている途中で、無関係のイベントで出てくるダンジョンに放り込まれて「は?」ってならないわけがなかろうて。
興味ない。興味ない。……興味ないとは思いつつも……ただ、やっぱり匂いだけが気にかかって、放り投げて然るべき意識を拾い上げてしまう。
むせかえるくらいのハウと似た匂いだ。
人の意識すら削ぎ落そうとしてくる異臭と言ってさしつかえない匂いは、ハッキリと分かる程濃ゆくなっていく。
いい香りとやらも、ここまでしつこいと気持ち悪いな……と、いっそ鼻を摘まもうか考えてい
──
──
「……は?」
。
多分。
多分、この瞬間。
僕達は──寿命が縮んだと思う。
嗚呼、もし今を切り取った静止画があったなら。
もし、今と一秒後を見返せる動画があったなら。
とりあえず煩わしい前髪はオールバック。愛用の眼鏡を掛け、熱々のコーヒーを啜りつつ、パソコンを前に座る。
そして、じっくりと考察作業に没頭する事だろうけど。
あくまで時間の余裕があれば──だな。
「──ってッ、っ痛──あ゛あ゛あぁあ!?」
突如、僕らの進行方向から現れた人影。
それに驚いたのか、ボロ布は僕を手離して勢いそのままに転がって行った。ついでに僕も同じような状況であり、もう……傷だらけの体にトドメを刺されたのかと思った。
視界がぼやける。色がおかしい。茶褐色? とうとう身体機能が異臭に屈し、異常を訴えてきたか?
……やっぱり、これ以上の厄日は訪れないんじゃないかとワラけてくる。
そのついでに、僕は一体何が起こったのか……誰が襲ってきたのかを確認しようと、人影が飛んで行った先……金属で石床を引っ掻く音がした方へ顔を向けた。
……が。
「あれ……?」
いない……。
どういうことなのか……そこには、誰もいなかった。
「……なんだそりゃ」
目の錯覚……と言うには、質感がはっきりし過ぎていたと思う。
ほんの一瞬だったけど、熊みたいな圧ではなく、刃物を振りかざした危険人物が襲ってきたような圧だった。
だからこそ、声も出なくなるほど驚いたのに……何故いない?
一応視界の色も元の殺伐とした色合いに戻ったのは安心したが……だとしたら人影は心霊演出の類だったとか。それはそれで最高のドッキリハプニングだと思うし、久々にログアウトしたい気分が煮え立つものである。
「今の、ハウだったらチビってたな──っとぉ゛?」
ボロ布はと言うと……ホントほっといてくれればいいのに、僕の首根っこを掴み上げると再度走り出そうとする。──と思われたのだが……その動きは急にピタリと止まってしまった。
どうしたのかと見上げると、そこには──。
「やぁれやれ、何を転んでおるか」
なんとまぁ……ボロ布の頭を鷲掴みにしているザドさんの姿があった。次いで捕えた獲物の小さな背中をも踏みつけ、完全に身動きが出来ないようにもしてくれる。
「追い付いてしまったからには仕事せんといかんよな」
「 ……若。今、ザドが捕まえまして。──あらら、来れないの? ……そ、了解。まかされた 」
後ろにはペルテルさんがいる。通話を「そちらもがんばって」の一言で締め、メニューパネルを展開させたまま歩いてきた。
「 よもやとは思いますが……あなた、シバコイヌ? それとも当たりクジ? どちらの捨て垢でして? 」
「……」
それとも他にも協力者がいたとか……と、ペルテルさんは開拓テーブルを使い、僕ら……と言うよりかは、ボロ布の周囲に矛先を向けさせた固定槍を複数本生成しながら問う。
捨て垢……協力者って……。ペルテルさん達の憶測なのだろうが、案外的を得ていてもおかしくない。
囚われのカゥバンクオルへの道を開く手を有しているペルテルさんが協力を拒んだ事で、シバコイヌさんらは自らの脚で秘都の何処かにある目的地を探し回らざるを得なくなった。
そうなれば、彼らに辿り着いてほしくない側であるはずのペルテルさんは、その場所を敢えて彼らのスタート地点に移動させて封鎖する。そうする事で、シバコイヌさんらが目的地を探し当てることがほぼほぼ不可能になるだろう。これだけを考えると、勝者は秘都側の守備陣だ。
しかし、シバコイヌさんらが、そうされるのを想定し、打開策を打っていたとしたらどうだ。
目的地への道を開けるのはペルテルさんで、そのご本人を言葉巧みにそそのかし、目的地への用事を作らせられたら……。
更に、危険視していた人物達がいなくなったと油断させ、目的を同じとする代わりの伏兵もしくは、別の体を用意していたと考えたら……。
それは、このボロ布の人と言う事になるのではないのか。
ペルテルさんとザドさんは道中そう考察し、ここで本人に尋問を始めようとしているようだ。
──この状況……。ボロ布が何をしたかったのかは謎だが、もう何も出来はしない。見るからに詰みだ。下手な抵抗は余計な反感を買い、グロサイトに掲載される動画のネタにされてしまうのだろうな。
そんな一部始終を至近距離で観覧させられるなんて、やっぱり今日は厄日だ。
「 まずは、無許可で禁止区域に入り込んだ罰。……どう? これ痛い? 」
ペルテルさんは布切れをフードのようにして隠したボロ布の顔に触れると、まず最初の拷問『ほっぺ抓り』を執行する。これは侵入者の顔を確認する上で、彼女側がやや四つん這いの姿勢になって行われた刑だ。
目を背けたくなるくらい侮辱的で、何より痛そう。
だけど、ボロ布は一切声を上げない。僕の服を掴む手に込められた力が増していくのを感ずるに、きっと我慢しているのだろう。
「 ……ふぅん、頑固。シバコイヌ関連なら、どうせふざけたリアクションをしてくると思ったのに…… 」
期待と違う。そう漏らし、ペルテルさんはボロ布を抓るのを止め、その頬を撫でながら訝しんでいた。
そして……少し捲られた布切れから露わになった顔が……。僕が初めて見るボロ布の表情は、そんな彼女を餓えた獣と相違ない形相で睨みつける様。
血走った眼球を露呈し、顎を震わす程に歯を喰い縛る。明らかに平常心とは言えない様子であるが、ペルテルさんの方は全く動じていない。
獰猛犬が吠えようとも構わす頭を撫でに行こうとする純真無垢な幼児は最強因子だと巷で謳われているが、この人はそれを経た勇者だとでもいうn
「 とりあえず身分を確認させて……処分は検討に検討を重ねてからね 」
「若主導とは打って変わって温和な対処よな」
「 ん? だから普段から言ってまして。ペルは怖くないよって 」
そういうネガティブキャンペーンをする若が悪いのだとぼやき、ペルテルさんはボロ布の手を取ってメニューパネルを開かせた。
現れたるは『資材』『開拓』『任務』『踏地』『身分証明』『お茶』の六つのパネル。僕もよく見るUIだ。
その中から迷わず身分証明に指を伸ばしたペルテルさんだったが、その前にザドさんが別のパネルの存在が気にかかったようで、
「お茶? なあ、おいそのパネルよ」
彼の指摘に気付いて、ペルテルさんも続けて特別な物を見てしまったかのような、小さく驚きの声を上げた。
そんなに『お茶』に引っかかる? そのパネルは僕やハウにだってあるし、なんなら通話先を交換した時に見た、ファイユさんのメニューパネルにもあったのを憶えている。
それ以外の人のは……あんまりマジマジとは確認していないが、少なくとも僕はコレがあるのが標準だと思っていた。でも、
「 なるほど。と言う事は、資材数も……あぁ、そう。4と0ね。なら── 」
聞いた事のある台詞。
ククさんが、とある武器庫で僕に教えてくれた事と同じ。それすなわち。
──君は『ゲスト』か。
そう二人が声を合わせた時だ。
ボロ布の指が、密かにお茶のパネルの上を滑っていた。
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