第六十二月:流るる神のぬいぐるみ
◇
質問。
あなたは逃げ切れる自信がありますか?
答え。
常にやり直しが出来るなら逃げ切れる自信はあります。
一番大切なのは、あたしが主犯だと悟られない事。
これから起こる騒動は、あくまで謎の事件であり、特定の物的証拠を基に不確かな憶測を枝葉の様に伸ばす事は愚かなりと言う風潮を広めるべきなのである。
質問。
あなたはそれが出来る程の人物ですか?
答え。
いいえ。努力不足は否めません。しかし、あたし以上に知名度のあるモノを所持しているので、その不足面は十二分に補えると予測します。
──損傷させた補水カートリッジから手を伝い、滴り落ちる緋色の液状物『古水』。
地面に小さく拡がる液は、瞬間凍り付くように固まり、更に落ち行くもの全てとも繋がり形を作っていく。
古水とは、神様が休息を得る場所として知られていた広大な峡谷の奥地にある古洞を満たす緋色の液体の呼称。広域峡谷開拓の任に就いていた冒険者達に紛れておこぼれを頂戴してい……もといボランティアとして参加していた現滝都統主──当時放浪開拓者アクテルによって発見され、所有主『流神』との雌雄決着の末に使用権のみを獲得。
後にアクテルを中心とした開拓組織と暗都の助勢を以てして、この洞穴のある峡谷を巡回する移動宮地・滝都を築くのだが、そのことは置いておいて……古水の特徴はなんといっても『結合本能』だ。
元々古水は流神を構成していた微細生物の集合であり、衝撃を加えられ分離した時などに集合体に戻ろうと体を膨らませて再結合を図る習性を持つ。その際に起こす各一個体の刹那的な膨張が質量に応じて増減する為、場合によって爆発のような現象を引き起こす。
加えられる圧力に比例する結合力は採掘などに使われる道具に組み込まれる事が多く、破砕作業の場面では特に重宝されている。その一方、武器にも使用された事で人対亜種戦で表れる性能に関した優劣も緩和された為、非力だった人にとって戦闘面において優位に立ち回れる事が多くなった。(あくまで本人の頑張り次第がモノを言うけど)
その反面……と言っていいのかわからないけれど、古水を扱う者には、常に流神が付き纏う。建設現場で使われる時も、戦いで使われる時も、阿保が古水を見せびらかすような些細な時でも、流神は必ず目を向けているらしい。それは執拗な監視か。はたまた外界への好奇心か。
アクテルとしか口を利かないと知られる流神の心の内など、あたしが分かるはずもない。ましてや両者の間に割って入ることなんて以ての外だもの。
……だと思っていたそんなあたしに、アクテルは一度だけならなと許した『接触の仕方』がある。
使うか否かは、ノノギ次第。もしも秘都が誘いに乗らなかったら……もしくは、期待に足りぬと判断したならば臆せず縋れ。
そうして持たされた特権を今、あたしは使おうとしている。
──つまりはそう、文字通り『割って入る事』だ。
──……。
……。
……しかしながら……相変わらずか。
あたしの足下で象り終えたモノは、一見すれば木の根のような塊で構築された人型の物体。
一応……これこそが流神。今となっては単なるキモいぬいぐるみに過ぎない抜け殻……となってしまっているが。
「ルミぃ……起きないの~?」
声を掛けようが、うんともすんとも……。流都ルルが壊滅して以降、ずっとこの調子らしい。
溜息も出る話だけど……起きないなら、こちらの都合通りに利用させてもらうだけだ。
「ごめん。キミの評判は落ちるかもしれないけどさ、その■■■■■使わせてね」
返事など、どうせ返ってこない。
あたしは誰もこちらを見ていない事を確認した後、建物の影で腰を下ろす。
一度だけ許された行いを。
あたしは流神のぬいぐるみを一瞥した後に、ゆっくりと瞼を閉じた。
────
……ほどなくして、あたしはノノギが眠る姿を視認する。
腕に力を込めると、木の根みたいな体が軋み細かな破片が零れ落ちる。これに構わず、あたしは流神のぬいぐるみを立ち上がらせた。
(……体幹が弱いな)
ノノギの体と比べてしまえば、随分と頼りない木偶である。
これで暴れるとか、それこそ狂気の沙汰だ。それでもやらねば。
大きな権利を有する者は、下々の者共よりも広い視野を持っているものだと聞く。例え秘都の統主が相手が望む返答を唱えたとて、所詮は口先だけであり、本当に実行してくれるかは『状況』によって左右されてしまう。
宮地が襲われる事に法則性などは見えてこない。いつどこの宮地が次の標的になるか分からない状況で、二の足を踏まれるなんて御免だ。
時は一刻を争うのだと理解してほしい。それが、滝都と秘都の統主の間に挟まれた伝達役たる、あたしの願いなのだから。
「……──……──!」
流神の体から緋色の水が流れ出てる。
まずは、疎らなりとも人がいる広場で古水の怖さを知らしめよう。
解放された古水は結合本能により、遠く離れた元湖との接触を目的に膨張と分裂を際限なく繰り返し、都の機能に障害を齎せるほどに成長するだろう。
そんな時、ここの住人はどう考える? 滝都にある古水湖に行って還してやれば解決だ? それで一件落着?
それは素晴らしい平和的思案で絵本に採用されそうな物語だ。だが、そんな話がここにあるだろうか。いやいや……きっと、彼らはこう思う。
古水の管理をしていたのは滝都だ。ならば、この事態は滝都の杜撰な管理体制にある為、改善を要求……加え、外部機関の監視を提案し、被害者たる自分たちこそがそれをするに相応しいと強弁する。そうして、じわじわと古水の使用、果ては所有権をもぎ取ろうと考え至るだろう。
それこそが、奪えそうな権利はなんでも奪ってきたこいつらなのだから。
けれど、実際は有耶無耶になる。
これから始まる滝都と秘都の宮地対宮地雌雄決着は茶番なのだ。
本来の目的は、昨今の宮地襲撃の犯人をおびき寄せる為の『お祭り』なのだから。
下々の連中は、せいぜい本気で滝都のシッタイに怒り、本物の雌雄決着を演出してくださいな。
「……ゥ゛……」
にしたって……この体は、どうなっているんだろう。頭の中では悪々貴族の如きドヤ顔を決め込んでいても、実際に表情として出す余裕が無い。
流れ出る水のせいか、ずっと体力が零れ落ちているよう。
(これってスリップダメージ? なんでこんな仕様にしてんの?)
こんなわけのわからない状態だと暴れるどころの話じゃなくなる。動けても短時間……希望する影響を与えられても小規模が限度かも。
……おのれルミ助。体に何か細工をしていたな? そこまで第三者の干渉を拒絶するか。
アクテルもアクテルだ。こうなっているから一度だけと言ったのだろうが、これでは思い通りに事を運ぶなんて絶対に──。
……。
(……ひかり……? ひかって……)
ぼやけた視界に、何色かも判別しにくい光が漂う。
遠くにあるのか、近くにあるのか……。光は点で、星と見紛う。
大きいかったり、小さかったりと……。光はどれも陽を返すように煌めき、それは何処を見渡しても何かに遮られる事無く瞬いていた。
(なんだろう……──え。さわりたい)
腹奥から巡る触れたい衝動。
光を見ていると、自然とそんな欲求が湧き出てくる。
不思議な事に、あれらに触れる事が出来れば、体力が満たされそうだとも思えた。
一歩前へ踏み出すごとに、一つ一つの光が輝きを増す。
それはまるで、このろくでもない体を優しく包み込もうとしているかのようだった。
────
「……こんな感じかなー。はいどうぞ、できたよー」
時刻はお菓子時に差し掛かる。
当方、秘都クレイト所属・商客案内番の揶々んは、第七基秘都・チークレイトを拠点にして本業である似顔絵師の仕事中也。
「ありがとよぉ。顔が増えたら、そん時も宜しくな」
「はーい、まいど~♪」
本日ラストにするお客さんは、ずっと眠ったままの人の後頭部に当方作の絵を張り付けると、その人をおんぶして帰って行った。
彼らを笑顔で見送って、さあ片付けだ。
「ふぅんむ。そんなにお客さんが取れなかった割には、なかなかの報酬を貰えたね」
第三基内私有地通り抜けの権利に第四基辺境での開拓権、それと第一基内商客案内資格。
ま、全部期間限定ものだけど、要は使いようってね。失効する前に、ちゃんとお邪魔しておかなくちゃだ。
「コピック全色確認おっけ。鉛筆は何本か補充した方がいいかな。あ、代紙も取り替えなきゃ。ペン先のふわっと感が死んでたもんな~……」
明日する雑務を口にしながら、もくもくと画材道具をケースにまとめてく。
「それでー……それからー……」
こんな当方、はたから見れば紛れもない仕事終わりで独り言を垂れてるお嬢さんだ。
けど、心の奥では……始まるとすれば、そろそろかと身構えている。それはなぜか。
不確定ではあるものの、今日最後の案内の仕事が入るかもしれないから。
「……忘れ物なし。っさーて、アトリエに帰ろ」
さっきまで自分が座っていた場所を指差し確認し、カーディガンを羽織って歩き出す。
なんでもない顔をしつつ、視線は行先ではない方向を右往左往。当然の権利をひけらかすように、広場の隅でうずくまる感情を無くした秘都の民の前を歩き去る。
……すると、靴が『ぱしゃん』と音を立てた。
「……?」
水……溜まり、が……あった。
どこかで水漏れがあったのかなと思った。なんとなく周りを見たけど、そんなのはなくて。
変なの。と、適当に思考放棄して歩き出す。
でも、そうした時に、頭に水滴らしきものが落ちてきた。
「……──ぁ」
見上げると、白い空。
雨なんて降らないはずの、何も描かれていない空。
そんな所から……一滴……また一滴と、水が落ちてきていた。
……これは異変だ。
普段なら環境整備に不備有りと該当局に報告を──と、真面目な発想をするものだ。
けれど当方、ここで周囲に目を走らせた。そして見つける。
もう一つの異変と言って差し支えない、とある影。
「……っ……」
植物系の人型……が、体から緋色の液体を流しながら、歩いている。歩いて来ている。
まるで高い所にある物を取ろうとするかのように両手を上げ、たどたどしく……今にも転びそうな足取りで、人のいる方へと近づいている。
「……」
あからさまに異様な存在感。当方以外に気付き、顔を上げて訝しむ人がアレを注視し出した。
アレの正体は……ノノギさんと打ち合わせた自分ならなんとなく分かる。だからこそ安易に近づこうとは思わないのだけど、皆も似た思いなのか、誰もが一定の距離を保ったまま様子を窺っているだけ。
通報はされたかも。かもじゃないな。絶対した人がいたと思っていい。
なら当方は、手筈通り眠ってるお客さんを見つけて案内の仕事を──。
「ぁ、倒れ」
た。
得体の知れない人型が躓くように転ぶ。
転びそうだなと思っていたし、転ぶんだろうなと思っていた。そしたら、それを見ていた人達は分かり切った流れに意外性なんて抱かないし。そうなって当然の光景に、この場の空気は虚無に収まるのだろうなと、当方思った次第なのです。
でも実際は──そんな空気を瞬時に吹き飛ばす大の爆発が起きた……!
「──ひッ…あ゛!」
白い霧の塊が一瞬で押し寄せて来たとか、冷たとか、音ッ、いや音でかでか! とか、感想は色々ある。けど、仕事道具が入ったケースが手から離れて飛んでったから、そんなもの今どうでもいい。知らん。
「ああっ、まって! それは聞いてませんよ!」
吹き荒れる突風で飛ばされてくケース。もうなりふり構わず飛びついて、全身ホールドをかまして抱き留めた。
「ふう、はあ……。中は固定してあるから心配ない。壊れるもんか」
壊れてたら借り一つってコトで、ノノギさんに物をねだろう。それよりも。
乱れて顔にかかった髪をどかし、爆発した場所に目を凝らす。霧が邪魔。先が良く見えない。
「……ノノギさん、どこ……!?」
これは、始まったんだ。ノノギさんがやろうとしていた秘都での凶行。誰かのための悪い事!
揶々んに見晴らしのいい所にいてねと言っていたのは、お互いが見つけやすいだろうからって理由だった。そして、見つけた後。当方は、ノノギさんを外まで連れ出す案内人に徹するのだ。
騒ぎの犯人を……まだ誰が犯人か分かってない内に秘都から逃がす。それはもう、ふたりして被害者なんですよ道を開けてくださいって雰囲気出して。
「は、あ゜っ……ぁ^?」
話を持ち掛けられた時は、簡単ですねとか笑ってた。でも、あの時は、こうなる状況下で……だなんて、考えてなかった。
……空から滝のような、いくつもの落水が起こっていた。
爆発のせい? 数滴がぽたぽた落ちていただけのさっきとは比べ物にならない量の水──秘都を覆う湖の水が、宮地内に流れ込んでいるんだ。
「あ……あ、まって。まってよ」
地面はもう水で覆われた。ケースが濡れるのは嫌。すぐに立ったけど、水位がみるみる高くなる。
ここの広場は盆地。方々の通りが川になって、人も物も押し込みながら水が流れてくる。
逃げる人? 怒号や悲鳴? 聞こえるのは水のいびきだけ。擬人化されただけの権利書は喚かない。揶々んは喚けるけど、喚いたら助けが来そうだから喚かない!
(ノノギさんは、きっとアレが来た方にいる。急げ……急いで!)
先に避難してた人は高みの見物。広場が流れてきた物でごったがえすのは分かり切ってるのに、揶々んだけが避難してない。変な奴だ。
大きなケースを胸に抱えて、靴の中がぐちょぐちょで。水に足が取られようとも進む。なにがなんでも、逃げようとはせずに。
……それは仕事だから? ノノギさんが相手の案内が出来るから? 悪い事に手を貸すの? 揶々んは悪い人になった?
秘都にだって良い人、面白い人はいるよ。揶々んを知ってる人の声が聞こえるもの。早く高い所へ上がれって。それを無視してる揶々んは悪い人になったみたいだ。
でもね、揶々んを気に掛けてくれる人が良い人なら、ノノギさんも良い人だってこと。
揶々んは悪い人でいい。ノノギさんは良い事の為に悪い事をする人。良い人だからこそ、誰もが躊躇してやりたがらない悪い事を率先して行う。
結果、皆はノノギさんが悪い人だと陰口を言い合う。……見てきた。そういうの、気持ち悪くなるくらい見てきた。
なら今回もそうなる? この犯人はノノギさんだって分かったら、また?
……揶々んは良い人になれない人。そうなっても、遠くから……人ゴミの向こうから見ているしか出来ない人だもの。
そんなことないと、胸を張って言う勇気がない。怒る人達を宥める事なんて無理だ。否定が出来ない。弁護のしようがない。
……だからなんだよね。ノノギさんが人が変わったように戦い狂う人になったのは、揶々んが壁役になれなかったからだったよね。
あの人が悪い人であってくれるなら、全てが丸く収まる。皆そう考えているし、ノノギさんもそう考えたからそうなった。
悪い事をやめるにやめられなくなったでしょ? しないで済むならしないでおきたいかな? それとも、凶人でいた方が心地良い?
ねえ。
今朝話したゲストって、本当はアレの事だった?
人の形をした、わけのわからないアレ。また、立ち上がったよ。
じゃあ、もう一回倒れて、爆発するとか?
そうなったら、今度は何が起こるの?
秘都はどうなる? どうなるまで続ける?
近くにいる揶々んは? 仕事道具は?
逃げろってこと? イヤなら離れろって?
遠くの人。揶々んを知ってる人が、遠くからそんな感じの事を叫んでいるよ。
面白いね。今の揶々んは悪い人だから、言う通りにするわけないのに。ね。
白い空から落ちてくる大量の水か。
怖いな。
どうなるかわからないから怖い。
揶々んは、見ているモノが怖いモノだらけだよ。
……ノノギさんは? 揶々んが知る良い人のノノギさんは、どう見えてる?
今。
今だよ。
もし、今、ノノギさんが狂っているのなら、もしかしたら……。
──綺麗な景色を見ているつもりなのかな……?
「──あ、いた! ノノギさん!」
捜していた人、ノノギさんは建物の影で眠っていた。
ここは多少登り坂になっているから、まだ水は上がってきていない。でも時間の問題。モタモタは駄目だ。
それでは当方、ここを火事場の馬鹿力の見せ所だと心得る。
「ふんッッ! ノノギさん、ちょっと、なんか重くないですかっ? なにを持ってるんですかねッ??」
華奢な女の子一人なら背負っても走っていけるだろうと、安易に考えた当方が愚かだった。
戦い狂ってる女の子が、武装していないはずがない。この重みは、きっとソレ。ノノギさんが隠し持っているソレ!
けど、揶々んは悪い人なので、そんな危なっかしい物を勝手に捨てたりはしない。
ノノギさんはポケットに手を入れた時とかに間違えて、隠し持った刃物で指を切ったりしたら良い。痛ッとか言って飛び跳ねたらいいのだ。
そうなるだろう明日の為に、揶々んは背負ったノノギさんをここから逃がす。確固たる意思。重めの一歩は、その気迫の表れ。
打ち合わせ通り、秘都の外へ。
悪い案内人は、なんか爆睡してた人を安全な場所まで連れて行くのだ。周りからしたら、この案内人は良い人に映る。だってほら、人命救助だもの。揶々んは偉い奴って思われるな。
皆の目を欺いてるんだ。
これは良い人にしか見えない悪い人だ。
言い方を変えれば……この秘都で起こった凶行の犯人様を脱出させようとしているだけなのに。
揶々んを疑わないみんなは、きっと良い人なんだね。
秘都クレイトも、まだまだ捨てたものじゃ無いな。って、揶々んは思いました。
「……ノノギさんは? 貴女が嫌う光景ですよ。……どう思ってます?」
秘都にとって悪夢。最悪の午後。後片付けで絶望する日。
揶々んはノノギさんの寝顔を、一度だけその様子に向けてあげた。
……全く、当方は意地悪で悪い人でございますな。
良い人じゃないなら……ノノギさんみたいに、もうなんだって出来るみたいだ。
◇




