第四十三月:暗く蠢く──(分割:下)
◆
「──……はい。ィルカちゃん……?」
《 ふぁ〜イユん♪ お疲れ様〜。元気? 》
声を聞いただけで、私の動悸がっ、激しくっ。
だが負けるな。普通に接していれば良いのだ。私は怒られるような事はしていない。むしろ私が困っている側で、魔法樹の件は絶対に弱みには成り得ないからッ。
「ぅん、元気……。あの、どうしてィルカちゃんが?」
《 どうしてって、この害樹処理依頼、本当はククっちじゃなくてファイユんが依頼主なんだろ? 》
……即バレしてて魂も抜かれそう。
どこまで私の思考を推察したのかは不明だけど、このタイミングでコチラの舞台に上がってくる目的を探るべきか。
予想としては、最後にいいとこ取りする為の布石。
その為の私へのポイント稼ぎ……?
《 ──それで、誰を懲らしめたらいい? 昨日お前を虐めてた奴を嬲れって話で合ってるよな? 》
「あぁ、それは違いますー」
答えを出されるのが早くて躓きそう……。
となると、姉妹関係としての筋を通そうとしてきた線が濃厚ですが、うーん?
と言うか、あの野次馬達の中にィルカちゃんが紛れてたとは気付かなかった。なら、昨日の出来事……相当怒り浸透みたいな体でいるのだろうか。
ともあれ、私はィルカちゃんへの警戒心を維持しつつ、改めて魔法樹に寄り掛かった。
《 あれ、違う? 復讐してやらぁって件だろ? 》
「誤解ですな……。しないよ、そんなこと」
確かに、あの女は八つ裂きにしたい想いはあるけど……あるんだけど、既にサクラがあの人の記憶を破壊してしまっているから、何も覚えていないはずなんだ。
そんな人にちょっかいかけてどうする。逆に悪人認定されて、また嫌な噂が立つだけ。それに、何の気も晴れない事くらい私だって分かってるのに、どうしてこの人は……。
《 ? じゃあ、コレって真面目な害樹処理の任務だった? 》
「うん……そのつもりなんだけど」
《 ……あぁ…… 》
……?
彼女の声が意気消沈していく。それは、なんだかとてもリアルに感じて……もしかしたらィルカちゃん……私達の関係に則った振る舞いを義務的に行った……わけではない?
体とかではなく、本気でお姉ちゃんポジションを満喫出来るぞと、胸をワクワクさせてたのではないだろうか……。
そう思い始めると、だんだんと心苦しくなってきた私は、このまま帰ってもらうのも悪いかなと思って、「なんなら……」と、小さな声で言ってみた。
「ィルカちゃん、害樹処理……お願い出来る?」
《 ん、いいけど……でも、魔法樹だろ、これ 》
流石はファイユ・アーツレイのお姉ちゃん。見ただけでソレだと分かるのも当然か。
ならば、もちろんその意味も……。
「そうなんだけどさ、最近芽吹いたモノらしくて。しかも私の管轄外にあるから手が届かないんだ」
《 ほぉ、と言う事は、最近ここで誰かデスったわけだ。物騒だな 》
妹の仇討ちを積極的に買って出るあなた自体もなかなか物騒なお人だぜ。
《 ……しかしなファイユん。処理するのは簡単だが、中の魔法樹の魂はどうする? 宿り木を無くせば彷徨って……挙句、転生の機会を失うぞ 》
樹都の森の主であるファイユ様ともあろう者が、そんな事を指示して大丈夫なのかと言われた。……やはり意味も理解していた。
彼女が言う通り、私が行わせようとしているのは良識と一致しない賊の所業。例え管理下外にある物だとしても、立場上説得性に欠ける野蛮な行為に変わりない。……だとしても。
「──……いいの。トグマ兄さんに使われるよりもマシだから」
自然と、声に力がこもった。
そうだ。魔法樹の魂の兵器利用など絶対にさせない。
それがファイユさんの願いであり、ファイユ様である私の最も重要な任務に繋がる事である限り、何をしようが曲げる事などしない。
この私の判断に、ィルカちゃんは立場に煩いお偉いさんみたいな切り返しはせず、ちょっと楽しげな声で応えてくれた。
《 よし分かった。害樹処理の任務、しっかりと遂行しよう。…… ぉ、そうだ。報酬は要らんよ。余計な手続きは無い方が揉み消しやすい 》
「ははは……。ありがとう、お姉ちゃん」
──通話パネルの向こうから、重い物が落ちたような鈍い音が響いた。多分、『冥乃輪』と銘打たれたィルカちゃんの大鎌だと思われる。
《 ……樹高、約二十メートルってトコか。……コレを機に、また別の魔獣騒動が起きそうだな。全く、物騒な世の中が帰ってきたものだ 》
ィルカちゃんの言葉が皮肉たっぷりで、私の良心が丸焼けにされそう。喉もカラカラで、もう乾いた笑いしか出ないな。
「これから、お手数をおかけします……」
《 なぁに。お前の尻拭いをするのは、もうお姉ちゃんの趣味と言っても過言じゃないんだよ──! 》
…………──はぃ。(←思考放棄)
冥乃輪が振り回されてる影響か、音が割れに割れて通話パネルが激しく振動する。──この悲鳴の様な音。樹都の森に眠る死霊達すら逃げ出しそうな音。
やがて来るであろう魔法樹の破壊音に備えて、私は耳を塞ぐ。それと、これより宿り木を失くし魔獣に変わるだろう魔法樹の魂に、祈るように赦しを乞うた……。
……そうして、ィルカちゃんが処理を終えた頃かと、耳から手を離す。
「──ィルカちゃん、大丈夫だった?」
《 ……ああ、まだやってない。それより、呼び止められたぞ? 》
呼び……止められた?
「誰に……? 名前の最初に『ト』が付くお兄さん?」
《 名前は知らん。今こっちに向かって来ているが……賊みたいな風貌だな 》
賊ッ?
魔法樹目当て……いや、ィルカちゃんを襲う気だと考える方が自然! 私は咄嗟に立ち上がった!
「ィルカちゃん腕出して! 加勢するから!」
樹都の主力であるティルカ・アーツレイの実力を疑う訳では無い。しかし、そんな彼女でも、賊が考え得る醜悪な手に落ちないとは言い切れない。
私は以前にィルカちゃんに仕込んだイタズラ心を起動させんと、勢い良く手を合わせた!
《 ──いや待てファイユん。冥乃輪を構えているにも関わらず、一切臆さず来るところを見るに……訳ありじゃないかな 》
「ィルカちゃんは余計な所で優しいから賭け事でも負けるんだよ! 賊なんかに良い顔して良いわけないじゃん!」
《 人の傷を抉ぐるねぇ……。でも待ちなさいって 》
何故に待つ!?
ィルカちゃんが私に姉妹としての情を見せてくれるのなら、それは私だって思うところはあるのだ! だから待たない! 森の主たる私の呼びかけに応えた周囲の魔法樹達が、一斉に光を帯び始め──そして!
《 ──お嬢さん、その樹を壊さねぇでくれ……っ、しぃちゃんが……俺のダチが飲み込まれたままッ、なんだっ!」
その時……通話越しに聞こえてきた男の声。
……しぃちゃん……?
……しぃちゃん……って……。
《 お宅さんは誰かな? お名前を伺っても? 》
はぁはぁと、息を切らした男の声にも聞き覚えがある。
私が知ってる人……。アイリが知ってる人の声……。
《 ──さ、薩摩っ。薩摩っつうモンでさ! 》
──さつま──。
その名前を聞いた瞬間、私の記憶が、アイリで一杯になって──! 無意識に叫んだ──!!
「薩摩おじちゃん!!? 生きてたのッ!?」
《 ……はあ? 誰だっけ。どちらさんの声だぁ? 》
相変わらずの、わざとらしくもだらしない発声。
けど、どちらさんと聞かれても私は自分をアイリだとは名乗れず……。ぁ、その……と、どう答えるか迷っていると、ィルカちゃんが間に入ってくれた。
《 樹都フォールの三頭、アーツレイ嬢だ。貴方は魔法樹にダチが飲まれたと言ったが── 》
嗚呼、やっぱりダメだ。
「待ってお姉ちゃん、私が、……私から聞きたいです」
《 ……お……そうか? 》
久しぶりに聞く薩摩おじちゃんの声。
ファイユさんのお付きの二人の内の一人だった人。それから、小刀『笹流し』回収作戦をきっかけにアイリとククと一緒に沢山の事をしてくれた、思い出深い友達……!
久しぶりに話せる事が嬉しくて……でも平静を装って、私はファイユ様として丁寧に喋る事を心掛けた。
「──……薩摩、様。舟都セリフュージの舵取りの方……でしたよね。この度は宮地の不幸……なんと仰ってよいか……」
《 はは、は。お偉いさんが俺みたいなのを気遣ってくれるんか。そりゃあ、ありがてぇけどもさ……。それよか、アーツレイってんなら、なんか知ってんじゃねえかな 》
「はい……。お聞きされたい事があれば、なんなりと」
《 いいね、噂に聞くよりウェルカムだな。……んなら昨日よ、俺ら馬鹿やっちまって、この樹に相方が飲まれたんだ。どうにかして、こっちに引っ張り出せねぇかな 》
──相方……。それが、しぃちゃん……シズミヤさんの事だろうか。今はもう消えてしまったアイリのログに出て来たお調子者のおじさん。
あの頃は、二人のおじさんがだんだん仲良くなっていく様子を、ククとムフフしながら眺めてた覚えがある。
……それだけに、あの魔法樹が取り込んだのはシズミヤさんのログだと知って、とても……残念に思う。
「ごめんなさい……。何分、その樹はこちらの手に余る物なので、処分を検討していたところなのです」
《 本当に無理なのかっ? 何とかしてぇんだよ! アイツが化け物になるはず無いんだから! なッ? 》
出来るなら、私だってシズミヤさんを、ちゃんと転生させてあげたい。どういう経緯で生を盗られ、次はなんの種族にしてあげるかをレポートに上げたい。
ログだってそう。私個人の願望として、昔の私達の事が残っているはずのシズミヤさんのログは見たい。それはきっと、ゲストのログにも引けを取らない重要な記録になるから、捨て置きたくなんてない……!
──……でも、今の私は、曲げる事すらも出来なくて。
彼に、別れを伝えてあげて下さい──それすらも言えず、気付けば、ィルカちゃんに助けを乞うていた。
「……お姉ちゃん。なにか方法は、ないのかな」
《 ふぅん──。私に委ねてもなぁ 》
樹都に於いて、私とィルカちゃんの接点はほぼほぼ皆無と言っていい。だけど、樹都の森に於いて言うなら、同じアーツレイの名を持つ者同士ゆえに、切っても切れない関係性にあると言える。
つまりは、樹都の森の主の事に関して、主を護る役目を担う樹都の森の死神──ィルカちゃんは無知ではないと言う事だ。
それだけに、私は自分ではどうにも出来そうにない薩摩おじちゃんのお願いを、別の視点から解決してくれるのではないかと期待していた。
《 全くもう……。私に判断を任せると、私情を優先させてしまうんだがな── 》
その瞬間、通話パネルから、冥乃輪の刃がナニカを切り裂く音が響いた。──それと同時に、薩摩おじちゃんの短い悲鳴も──……!
「…………え? …………お姉ちゃん?」
何をしたの……? と、言えない。
死神のする事だ。……何をしたかなんて、明白じゃないか。
《 これで判断に困らんだろ。では今度こそ、魔法樹を処分するぞ 》
「……ぁ……。うん……。……りがとう、……ィルカちゃ……」
かいけつ?
……そうだ。解決だ。
ィルカちゃんは、私では思いついても絶対に実行出来ない方法で、解決してくれた。
──……なら、喜べよ、私──。
──────
ィルカちゃんが魔法樹を切り裂く音は、まったく頭に入って来なかった。処理が終わって、任務完了したと言われ、私は、
「うん……。また何かあった時も、ィルカちゃんを……頼るね」
……と。
当たり障り無い台詞を口から溢した後、あちらからの返事も待たずに通話を切った。
木漏れ日を感じるだろうか。
草と土の匂いを感じるだろうか。
樹都の森の暖かい空気に包まれている私を感じるだろうか。
私は魔法樹に体を預けて虚空を見る。……その視線の先には、一つの魔法樹の魂がふよふよと浮かんでいた。
この世界のシステム上、死を迎えれば誰であろうがその人のログは樹都の森に流れ着く。そして今、誰かの死に待ちをしていた私の所に、新しいログが辿り着いた。
「……薩摩おじちゃんの……」
街から降りてくる風を冷たく感じた手を伸ばす。
白い帯状の光に包まれた小さな光──魔法樹の魂と成る彼のログに、指先が触れた。
──────
周囲の森が一瞬で景色を変えた。
薩摩おじちゃんの記憶を遡る。……遡る。──遡る──!
──そして、場面は舟都セリフュージへと切り変わる。
けどそれは、アイリのログで見た平和な様子の舟都ではない。遠くの空に浮かぶ街を乗せた帆船……船街が、暗く蠢く塊に飲み込まれ、火の手を上げていた。
更には別の船街も同様。
やがて、その暗く蠢く塊は此方へとやって来る。
「──しぃちゃん、逃げろ!!」
薩摩おじちゃんの声が、騒音に紛れて聞こえる。
──爆発。──轟沈。──雨となる人々。
──消える灯り。──遠のく悲鳴。──瓦礫となる舟都。
揺れ動く光景。小綺麗な服装のシズミヤさんと、聖人みたいな衣服を着た薩摩おじちゃんが、近づいて来る暗い塊を気にしつつ走る。
暗い空を見れば、黒煙が星空を覆い隠している。
それと──。
(……ぁ。……月……)
月……?
まるで絵画の様な、……でも少し歪な、本物とは思い難い月らしきモノが浮かんでいる。
「あれが……描かれた月?」
あの手紙に書かれていた、【破壊者は筆で月を描く』が、恐らくアレの事なのだろう。だとしたら、『悪魔が押し寄せて』が差すのは、……あの暗く蠢く塊か。
ログは、これらが二人を襲う瞬間までを映した後、唐突に途切れた。船街の崩壊に巻き込まれたか。いちいち覚えていられる状況ではなくなったか。
薩摩おじちゃんの記憶は、その後、賊のようにボロボロ姿になった二人がサラセニアの各所を周り続ける様子だけになっていた。
──私は、ここでログから手を離した。
元に戻った景色。木々は鳴っている?
目は無意識に見開いたまま。
頭が休まらない。無にも浸れない。
真っ暗な記憶。
何からなにまで黒一色。
破壊のみが繰り広げられた舟都。
そんな光景を目の当たりにした私が感じている事は、怒りでも悲しみでも恐怖でもない。ただあの時、夜に会ったファイユさんに言われた事を思い出していただけ。
「──あれがファイユさんが言っていた裁きの……?」
ファイユさんの言う通り、あの日、舟都セリフュージを出ていなければ……樹都フォールで働く道を選んでいなかったら、私もククも襲われていた。
「なら、アレが……そうなの……?」
もし、本当にそうだとしたら、他の宮地も例外ではない……わけではなくて、ファイユさんの言う通り、助かる術はある。
──それでも私は思ってしまう。
そうは言うけれど、ファイユさん──と。
「……本当に、樹都フォールを弱いままにしていれば、私達は【 天鎚 】を受けずに済むんですか……?」
力無く、その場にへたり込んだ私の耳に、開きっぱなしだったククとの通話パネルから音が届く。
それは、ククの周りにいる、まだ何も知らない人達の楽しそうにお喋りをする声だった。
◆