第四十三月:暗く蠢く──(分割:上)
◆
──空が近い。
手を伸ばせば届きそうな雲を、何も考えずに眺める。
──音が行き交う。
聞こえては過ぎ去る話し声と歩く音を、何も考えずに聞き流す。
──頭上の帆が膨らむ。
街を乗せた大きな船の大きな帆を仰ぎ、小さな帆船が空の向こうへ飛び去っていく光景を、延々と見届ける。
懐かしい景色。或りし頃の宮地……舟都。
私は昔の私の隣に座り、同じ様に空気に溶け込む。
──そうしていた時、昔の私……動き易いからと、シックなデザインのウェイター衣装を身に纏った少女に声をかける人がやって来た。
「──お待たせっ、早いねアイリ!」
部活とか入ってない系? と、ファンタジー世界の探検大好き女学生みたいな格好して、にこやかに手を振っているのは──。
「ククさんも。帰宅部なんですか?」
「あは。ウチの中学、入部義務無いから。そのおかげで、毎日ゲーム配信出来るからありがたいよね」
ククは楽しそう。待ち合わせの場所にしていた帆柱の周りを走り回って小さな子供みたい。けど、それはすぐにやめて、「そういえば」と向き直る。
「ファイユさんからの連絡、アイリにも来た?」
「あ……。アレですか? 今日の夜に会えないかってやつ」
「それ。ここしばらく会えてなかったよね。しゅうしょくかつどうしてるんだっけ?」
「らしいです。大変そうですよね……」
「でも、久しぶりに会えるんだからさ、武器狩りとか誘ってみない?」
「それは……良いんですかね? 一応、舟都セリフュージの代表さんなのに、そんな賊っぽい事」
「いやいや、それがね。最強少女の生まれ変わりと謳われるファイユさんに、是非とも来て頂かないと狩れそうにないターゲットがいるのさ」
そう言う切実なお願いを以ってすれば、彼女を動かせるのだ──……と、ククは賊っぽくにやけて見せた。私はと言うと、また無双におんぶに抱っこが始まったとでも言わんばかりに瞼を伏せている。
「待って、呆れるの早いよっ。なんていうか、画質が神ってる分、りすなーの皆も派手な画を求めてるからさ。しかも、ファイユさん人気も凄くて……ね?」
「……はぁ。私は所詮付き添いなんで口出しはしませんけど……その内、多方面から怒られるんじゃないですか? 巻き込まれたくないんですが……」
「心配しなくても大丈夫だよ、きっと! 多分……! だってほら、ファイユさん優しいし。ファイユさんは優しいけど……まあ、周りの反応は……どうなるかは……。ぁ、じゃあ時間なんで、配信始めようと思いまぁす……」
急に暗。
嘘みたいに、秒で目の光が消えてしまった……。
私が同調しなかったせいだろうが、ククのその暗さは放っておいて大丈夫なのか……?
「……ぁぁ、待機してくれてる人……いる。うれしい……へへ」
駄目だ暗い。そして怖い。
私はいたたまれなくなったか、話題になりそうなモノを探す様に視線を動かす。その際、ククの頭付近に目を止めたかと思うと……?
「あれ……? ククさん、名前変わってません? ……クク・ナナツキ……。ナナツキって?」
そんな事を言い出した。人の頭を見て名前が変わったと気付く私。……改めて見て謎である。
「あー……うん。前のアカウントのアバターの事なんだけど、昨日偶然見つけてね。……結合ってのやってみたら、名前が自動的にこうなった」
ククもククで当然の様に答えた。それもそれとて、乱立した意味不明な単語に対し、さして気にも留めない私も私。……再度改めて見ても謎である。
そうして、ククは見晴らしの良さそうな場所まで行くと、「じゃあ、わたしが呼んだら隣に来てね」と言い──『いつもの』挨拶を始めた。
「……おけ、やるか。──皆待機しててくれてありがとー! こんばんわぁ、葉月.chへようこそ! 今日も『サラ繧サ繝九い菴馴ィ』の 配信を、お馴染 の相方『アイリ ん』と、蜈?ー励↓繧?▲って──いく …── ─よ!」」 」
──────
映像が途切れ、暗転した視界。
私は……ゆっくり、瞬きをする。
木漏れ日。草と土の匂い。
樹都の森の暖かい空気に包まれ、私は魔法樹に背を預けて虚空を見る。……その視線の先には、一つの魔法樹の魂がふよふよと浮かんでいる。
あれはアイリのログ。……私だったモノのログ。
残っている舟都セリフュージでの記録は、もうあれだけらしい。
私がファイユ様である限り、アイリを転生させて世に放てない為に……この子のログは時間と共に劣化し、やがて消えてしまうのだろう。
寂しくは思えど、有益な情報も無いログはあっても仕方ないので。ふっと、アイリのログを森の奥へ戻すと、私は別の魔法樹の魂を迎え入れた。
「……これで何個目だっけ? 最近来たログって、もうあんまり無いよね」
昨夜、トグマ兄さんから舟都が陥落したと聞いた。
他の宮地も例外ではないと、焦りを隠し切れてなかった兄さんの要望に従い、私はこうして樹都の森でログを閲覧する作業をしているのだが……。
(舟都が落ちたのなら、もっとログが集まってそうなのにな)
この世界のシステム上、死を迎えれば誰であろうがその人のログは樹都の森に流れ着く。
私が知っている限り、舟都に所属していた人の数は六千強。仮に幾人か逃げ延びたと考えても、ここ最近で森に集まったログの数は、その百分の一にも満たない。
宮地が陥落させられる程の惨事。
そんな事が、あり得るのだろうか。
そう若干疑念を抱きつつ、最も新しいログに触れる。
死んだのは……昨日の夜。場所は歯輪の次元……。誰かと話した後で、力尽きたらしい男性のログ。
これを掘り進める。
途端、周囲の景色は森から荒野──湿地帯──それらを越えて、小さな集落へと切り替わった。彼のログによると、ここは……。
(──泉都ローレイラ……? まだ若い宮地なのかな)
河が始まる泉を取り囲む様にして、いくつかの単純な立体図形……拠点と思わしき人工物が建造されている。ゴチャゴチャした樹都とは違う、簡素な作りの宮地。だけど、自然と淡白な建物の融合は新鮮に感じられ、私の心に少しばかり羨望が滲む。
(今は、こんな所があるんだ……。いつか足を伸ばせたらな……)
泉都を歩く彼のログを見ながら、これまた質素なデザインの服装を身につけた行き交う人達を眺めていると──……彼は何かに気付いたみたい。急に立ち止まり、木々の合間から覗く遠くの丘を凝視し出す。
(……誰か立ってる?)
すると映像にノイズが走った。彼の人の手が光っている。よく見えない。開拓を始めようとしている?
──またノイズ。周りの人達も気付き始めて。……ここでノイズが一気に強くなり、パツっと暗転したかと思うと……映像はログの主が項垂れて座り込んでいる姿だけのものになった。
「んん……? ログが途切れてるの? 気を失ってたのかな」
この人は、この後に事切れたようだ。
何者かからの襲撃を受けたか。それとも何かしらの事故に遭い、全てを失って自暴自棄になった末に自ら命を絶ったのか。
「最後の会話のログ、ノイズが酷くて映像化出来ないな……」
これ自体はよくある事だ。
死に直面した人は、その恐怖心から現在進行中の記憶に過去の記憶を混同させてしまい、ログがめちゃくちゃになってしまう。そんなログを、時間をかけて紐解いて調べるのが私の仕事でもある……んだけど、今は非公式業務なので。
「──はい、ありがとう。また今度、じっくり見させてね」
私は魔法樹の魂を手離し、森の奥へと飛んで行ってもらった。
……とりあえずは、ここ最近で森に流れて来た分のログは見尽くした事になる。朝早く起きて、ククにお使いを頼んでから一人で森に入り、日が高く登るまでログを漁った結果は──……破壊者なる情報は一つも無し。
怪しいなと思えるモノは幾つかあったけど、どれもなんとでも言える様なものだし。コレなんじゃないかと断定出来そうな材料は見付からなかった。
「こんなんじゃ、誰かの死に待ちだな。いっそ、ゲスト君のログが来てくれたら特別な記録が見れるかもしれないのに……って、これ言ったらククが怒るね」
全く妬けるぜ。ヒューヒュー。
「……ならもう、ちょっと待機がてら休憩してよっかな」
暇だぜイェアってコトで、私は大胆に草地に寝転んだ。
────
──……街から降りてくる風で、木々が鳴る。
目を閉じて、頭を休ませて、無に浸る。
腕を顔に被して、木漏れ日の光から逃れる。
真っ暗。黒黒一色。眠りの世界。
そうして、本当に眠ってしまいそうになった時、『黒』が喋った。
【 ──あなた、可哀想ね 】 と。
……思い出したくもない、ムカつく台詞。
私は睨むように目を開けると、寝返りをうつ様にゆっくりと動いてから……──思い切り地面を殴りつけた。
「……あの女……今度見かけたら、私の手で八つ裂きにしてやる」
口では感情に任せてそう言うが、実際にタイマン張ったらどうなるだろう。何十人もの男達に強化された女ゆえに、ククの力が無いと厳しいか。あとサクラの力も加えたい。出来ればィルカちゃんも。
ヤバイ、四人対一人だぜ。勝ちもうした。タイマンとは?
──なんて、無双におんぶに抱っことか白けるって話でしょうって。そんな馬鹿な妄想をしていると、唐突に通話のコールが鳴り出した。
相手は勿論、あの子である。
私はパッと起き上がり、空中に表示された通話パネルに手を伸ばした。
「──とぅえい。……あぇ、クク?」
《 ファイユ様、外の魔法樹の処理の件なんですけど……ティルカ様が直々に出向いて頂けるそうです…… 》
……。
「……あ、そう……くるのね。……ィルカちゃん……午後は暇なのかな」
……なんとまぁ。これは思っていなかったパターンだった。私が考えていたのは、私 (クク)からの害樹処理の依頼をィルカちゃんが指揮するフォール上層監督部・クエスト本部に仲介してもらい、名前も知らない開拓者に請け負って頂く路線。
そうすれば、細かい処理の方法の意味なんて深く考えないでこなしてくれるでしょう。一般連中なんて目先の報酬が貰えれば、それでいいと……経験上から知っているのだから。
でも、ィルカちゃんは……どっぷりと、私側の人。
下手をしたら、ククでさえ知らない私の事情も把握しているかもしれない人。
そんな人が、私の都合に顔を出してくる?
弱みでも掴もうとしているのだとしたら、正直ヒェッとしか思えない。
《 ──あの、それでファイユ様。ティルカ様、現場に着き次第通話を入れるねと仰いまして……たった今向かわれて── 》
その時、ククの声を掻き消す様に別の通話コールが鳴った。
無論……と言うか、信じられない早さだが、それはィルカちゃんからの通話だった。
「……マジっスか。歯輪でも使ったのかね……?」
本当に怖いのですが。
けどもう、仕方ない。私は覚悟を決めると、口を開けて待つ猛獣に手を出さざるを得ない時の恐怖を感じながら……ィルカちゃんとの通話パネルを開いた。
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