第三十七月:拠点と狩猟とヒーリング
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古魂の大樹に雲が掛かってる。
話は、あの巨大な影がようやく闇夜に溶け掛かる距離まで来た時の事。
「見てっ、雷華が咲いてる!」
ハウとの他愛ない会話の途中で、唐突にヒラギノが指を差した。その方向には、舗装道とを木製の柵で区分ける広大な草原が広がっているのだが……。
「らいか?」
彼女が指を向けた先に、ぼぅ……と妖しく、淡い緑色の光を帯びさせる一画があった。
夜空の光が降りる幻想的な夜の光景に一役買う不思議な現象だ。その光景について、ヒラギノは子供のように口を走らせる。
「雷の力を糧にする花だね。摂り過ぎた電気を放電する時、ああして咲いて光る系の植物って言えば分かりやすいかな。昨日ここらへんは雷雨だったから、生えてればきっと咲くだろうなぁって思ってたの」
「へぇ……て、え? なにする気?」
言いながら、腰ほどの高さの柵を乗り越えようとするヒラギノに、僕は駆け寄った。
「なにって、採るんだよ。採らないの?」
採ってどうにかなる物なのかを知らないし。
その花を見つけては、なんの躊躇もなく未だ乾ききれていない草むらに足を入れて、「靴の中まで濡れるぅ!」とはしゃぐ女の子を前にしても、こっちのテンションは上がらない。
反面、僕が彼女の行動力に付いていけずにいると、ハウが先にスイッチを入れたようだ。
「行こうや、俺らも」
「……マジか」
ハウがこうも乗り気では、致し方ないのである。いかに僕が否と応えても強制的に身体を動かされるだけ。……なので、渋々僕も柵を乗り越える事にした。
「街道を外れると魔物に襲われやすくなるってのが相場だけど」
「んなもんいたってさ、ここ見晴らしいいからすぐ逃げれんじゃね?」
見晴らしがいいとはハウの言う通り。
本来ならば、草原が緩やかな丘を成しているなんて、地平線の彼方まで暗闇に閉じられているこんな夜中では分からない話だ。だが獣衣装による視力特化の恩恵や月、星明かりも相まって、僕らの目はその全景を容易に捉えられていた。
だからこそ拝める絶景。幻想空間と謳える世界観。ククさんにも見せてあげたいと思える夜の光景だ。
無論、魔物が潜んでいるかどうかは分かりませんが。
というか、人間であるヒラギノは、この草原の先に何があるのかを見えているのかな。そう思った矢先に、
「あ、その時はあたしを引っ張ってってね。真っ暗で心細いんす」
「見えないなら、何故に特攻するし」
────
そんなこんなで僕らが雷華の群生地に近づいた時、ヒラギノは「ここら辺でいいか」と、メニューパネルを開いた。
慣れた手付きで開拓テーブルを開くと、そこに大きく円を描く。
「じゃあ、拠点を作りましょう。雷華を採ったら色々としたい事があるから」
「……へぇ、何かしらの用途はあるんだ」
あの花をどうするのかは知らないけども。彼女が使用する資材を何にするか考えている様子を見ていると──ふと、滑らせていた手を止めた。
「なんなら、キキ君が拠点を作ってみる?」
そんなことを言いながら、持っていた小さなランタンで僕の顔が照らされる。
「……ん? いいの?」
「当然。なんか、キミのやってみたそうな顔を見ちゃったからさ」
「見るなし……恥ずいし……」
この様な世界に来た以上は、確かに開拓や拠点づくりを始めとする、お楽しみ要素は踏んでおきたい。ネクロの洞穴では思ってた採掘は出来なかったし、それからも開拓テーブルで作った物と言えば、開拓とは程遠いオブジェクトの数々だった。
だからか、こうしてヒラギノが開拓を促してくれるのは、正直嬉しく思っていた。……それが顔に出ないよう、僕は淡々と開拓テーブルを開いてみせる。
「資材は大丈夫?」
「一応。さっき沢山ゲットする機会があったから……」
所有資材の数を見るに、暫くの間はベチャードの皆様への感謝が尽きませんな。
「じゃあ、やってみよう。中で作業する事を考えつつ、適当な形にしてみて」
「……小屋をイメージするってコトかな」
二人に見られる中で、僕は原木を選択した後に思い描いた物をテーブルに起こしていく。
「……ほぉぅ。そう来ますか」
「流石キキ。抜け目ねぇ発想だな」
「単なる直線を引いてるだけなんですがねっ」
こちらは別に褒められて伸びるタイプだなんて公言していないにも関わらず、外野の二人が肯定の嵐でチャチャを入れまくる。
その手の遊びは慣れていないので勘弁して頂きたい。……ので、それから逃れるように手早く描いた『小屋』がこれだ。
「──……四角いね」
「豆腐って言われるヤツじゃね?」
「あ、なるほど豆腐……。そう見ると美味しそうに見えてくるかもしれない」
「おお。流石キキ。女子の涎を誘うとは隅に置けねぇな」
「もうソレ、やめていただいてよろしいか?」
────
何はともあれ準備万端。
曰わく、ウィングケープなる羽織っていた布を綺麗に畳んだヒラギノは、上は袖と腹部に刺繍の入ったブラウス──下はガーリーなスカートに女子力の高そうなブーツと言う……配達の仕事をしている最中の人とは思えない軽装で仁王立ちしていた。
「それ寒くないの?」
「これから女の子らしくお花を摘みに行くのだから、寒がっていては無作法と言うもの」
何言ってるのかわからないけど、ちょっと震えてるから寒いんだろう。
────
ヒラギノが予備のランタンを拠点の入り口に吊るすと、「いざゆこうッ、我らは今宵だけの女子とならん!」とかなんとか言い出した。
もう意味を訊いたら負けだと思う。
突っ込んだりしたら底無し沼に嵌ると思う。
なので、僕は「あ、はい」とだけ言って、走り出した彼女を追いかけた。
雷華が花を咲かせている時は放電中……と言うのは本当らしい。緑の光に近づくにつれ、僕とハウの綿毛がピリピリと逆立っていくのがわかる。
「……本当に大丈夫なのかな。触ったら電流が流れるとかってない?」
「無いよ。見てて──」
雷華を前に尻込みをしていた僕に、ヒラギノは率先してその中へと入って見せた。そしてしゃがみ込む。……何をしているのかと僕が覗き込もうとした時──「ホラッ!」と、まるで水を掛ける様に花弁を掬い撒いてきた。
バラバラになって舞い散る雷華は、パチパチと音を立てながら強く発光した後、朽ちるように消える。一見すれば花火みたいで綺麗だが……。
「採取するんじゃなかったの?」
「キキ君、ノリ悪いなぁ……。そう言う時はさ──やったなぁ、お返ししてやるぞぉ♪ って、男子はやり返すものじゃないんですかね」
妙な固定観念をお持ちでいらっしゃる。
手をパンパンと払い、ジト目で見てこられても安全であると教えてくれた以上の何があると言うのか。
「キキ、そう言うトコだぞ」
「おだまりなさって」
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なんだかんだで雷華を摘み終えたヒラギノは、「ちょっと待っててね」と、一人拠点へと入って行った。
僕らは僕らで、咲き誇る雷華の花畑の上を適当に歩く。
「……今って、何時なんだろ」
「さあ? 腹も減らないから、腹時計も働かないしなぁ」
むしろハウに腹なんてあるのか。
メニューパネルに時刻表示は設けられていないようだし、これではアイツの誕生日を祝うにしても、日付が変わるタイミングが分からない。
陽が落ちてからは大分経つ。予想では、恐らく二十一時から二十三時の間。普段なら、そろそろ眠くなってきてもいい時間だろうにそれも無く、ただただテンションが低空飛行なのがずっと続いている。
やっぱり疲れてはいるんだろう。
僕はその場で腰を下ろした。
雷華の光に包まれて、何かを漠然と考えようとする。
「……ハウのスマホ、どこにあるんだろうね」
「誰かが交番に届けてくれてれば楽だよな。人の通らない所に落ちてたら最悪さな」
「魔物に食べられていたりして」
「そうだったら、もうソイツにくれてやるわ。バッチィな」
頭では、魔物の糞を漁ってスマホを探す悪夢を思い描きながら、目には綺麗な花を映す。摘み取ったそれは、仄かに電気を放ち……ゆっくりと花弁だけを朽ちさせる。
ヒラギノは、こんなもので何を作っているのか。と、考えても仕方ないので、彼女が戻ってくるまで夜の絶景を目に焼き付けていようとした。
「──……ぇ」
そうしたら、目の前に見慣れぬ脚があった。
逞しい動物の脚。トナカイにも似た形だが、その脚の全体に細々と植物が寄生しているのは如何なるご病気……?
「え……餌なんか、持ってないゾ……っ?」
ヌゥゥンとおデカい顔を寄せられ、フスンフスン服を嗅がれる。見るからに、背中まででも二メートルはある生き物だ。何かの拍子で踏まれでもしたら、とんでもグロ映像をヒラギノに披露してしまうだろう。
よって、僕は動かない。
図体だけが大きい草食動物は、小鳥達の会話を聴きながらスヤスヤ眠るような、大人しい性格をしているのがデフォの筈──。
「──、ッ……ヒィ──っ?!」
ここで悲報、顔を舐められまして。
何を食ったのか、咀嚼済みでネチャネチャした食べかすが付いた舌で、ベロォリと。
ラゥミアに舌を入れられた感触とは次元の違う気持ち悪さ。異様に熱くて、ヌメヌメしてて、肉厚で青臭くて……目眩いがする。
「愛情表現かなっ? キキ、愛されたのかなっ?」
「ヤメロ。我、獣姦表現マジNGで名を馳せた築様ぞ……そんな……おまえ……?」
目眩いが、酷さを増していく。
視界が白く濁り始めた。心臓が、ドクンと跳ね上がる。全身から汗が噴き出してきて……息が……絶えそうになる。
経験した事のない体の変調。いい知れない不安、恐怖、不快感に涙まで流れ出す。
「なにこれ──なにこぇ??」
呂律が回らなくなって、初めて勘付いた。
──毒だ。
僕は、この訳の分からない動物に、毒を塗られたのだ。
「ぉい、キキ? おい?! ふざけちゃいけないヤツかッ?」
「……ぉう、はょ……! こ……のお──!」
今度は下から込み上げてくるモノが……!
それはダメだ。失禁とか冗談じゃない。ハウの前で披露する愚の許容範囲を遥かに超える失態だぞ。それに、今はヒラギノさえいるから──!
「あぁあぁ、オッケー、レイナを呼んで来るから! なんかもう、頑張れ!」
獣衣装が解かれた。綿毛の獣に戻ったハウが、拠点へ走る。その様子に、足遅……と思い……僕は倒れた。
────
頭から尻まで、丸太ん棒が刺さったような感覚。
いつの間にか白く染まっていた視界は真っ黒に。
そして不思議な事に、耳が異常に敏感になっていた。
あの動物は、舐めた以上の事はしてこない。
どこからか息づかいは聞こえるから、毒に悶える僕を観察しているのだろう。獲物が死ぬのを見届けてから、ゆっくりと食すタイプが。
──ふざけるな。出来るなら、今すぐ幽体離脱してぶん殴りたい所存である……が。
「──……ぃくん……! キキ君!」
……ヒラギノだ。ヒラギノに見られた。下半身の感覚が無いゆえ、粗相をしたかどうかも分からない。
どの道情けない姿を晒した訳なんだけども……彼女は、
「聞こえてても、動かないでね。今、持ち合わせで解毒してるから、意識だけはしっかり保とう!」
僕がどういう状態であろうとも構いない。とにかく助ける。上擦る声。感情的に陥りそうになる自分を必死に押し殺し、治療を続けているようだった。
「治りそう?」
「治ってほしい。でも、あたしが持ってるものじゃ、効果が薄いかも」
顔を水で洗い流される。彼女はそう言うけれど、回復の兆しは僅かに感じられた。ぼんやりとだけど、視界に光が戻ってきていたのだ。
「……ハウ氏、毒を塗ったのって、あの動物?」
「そう。あのヘラジカ歴戦王みたいなヤツ」
「──ソムか。うん……なるほど。なんとかなるかも」
光明でも見出したのか、ハウに「あいつの背中をよく見て」と促してヒラギノは言う。
あれは『花食獣ソム=フィオリエ』。
肉こそ食べないが、花となるものは例え毒だろうが関係なしに貪る動物だと。
そして体のあちこちに花を寄生させて、保存食にする習性があるらしい。
ヒラギノは、そこが注目だとする。毒を喰らって平気でいられる動物ではない。だからソムは解毒効果のある花を、あらかじめ保存している場合が多いらしい。
「解毒花ぁ? ……まあ、あいつの背中にはそれっぽい花があるけどもさ、ごちゃごちゃしてんぜアレ」
「どれか分からなくても、あたし達は動かないと」
どうやら立ち上がったヒラギノに、ハウが「狩るのか」と声を弾ませた。
「暴れられたらね。けど、あたしは夜目が効く方じゃないから……ハウ氏、お願い」
片手斧で空を斬る彼女は、我が友人にこう申し出る。
──自分に獣衣装を──と。
「マジ? いけんの? やっていいん?」
「もちろん、身体の自由は渡さないよ。ハウ氏の力を使わせてって意味だから」
相手は女子だ、察しろ。そんな言い方に、ハウが謎の一呼吸を置いてから「だよねっ!」などと返していた。
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……はっきりしない目で見る他人の獣衣装は、新鮮味を感じた。
と言うより、少し僕の場合と造形が異なっている。どこがと、違う箇所を上げるまでもなく、雰囲気そのものが別物だ。
僕とハウでの獣衣装が『装備』だとすれば、ヒラギノとハウの獣衣装は『憑依』。獣化したとは見れず、むしろ人に獣霊が包み纏わりついたような……とても不思議な姿と相成った。
「んー……よし。イイカンジ」
装備であれば人の腰を掴んでいたハウの大きな手。憑依では朧気に或る手を自らの手に纏い、その双方がちゃんと同じ動きをするかを確認したヒラギノにハウが聞く。
「キキが文句言うんだけどさ、気持ち悪くなかった? 平気?」
「へいき。人型寄りの獣衣装だと獣化も微々たるものだから。それより」
知らず知らずに、二人の姿を前にして瞠目坊やになっていた僕へ、彼女は頬に手を当てて──。
「辛抱だよ。すぐ戻ってくるね」
「……」
僕の頭の片隅に在る壊れかけの記憶にありそうな、凛々しくもふわりと笑むその顔。舌が痺れて何も言えない状態なこと……逆に良かった。
多分、こんな時じゃない普通に軽口を叩ける阿保でいたら、僕は何を口走っていたか分かったものじゃなかっただろう。
例えば、「別の何処かでも見たその面、本当に吐き気がする」とか。
言えなくて、ホッとした。
「──あ、コラぁ! 逃げるな──!!」
ソムとやらも、ただならぬ気配に臆したようで。それに気付いたヒラギノはハウと共に追いかけ始めた。……その数十秒後、遠くから獣の悲鳴と一緒に、どえらい衝突音が響いたのでありました。
────
僕はそれから、少しの時間眠っていたらしい。
まだ視界はぼんやりとするけど、毒に苦しんでいた頃に比べれば、幾分楽になっていた。それというもの……。
「──お? 効いてきたかな」
ヒラギノが、手にした植物を光の粒に変えては、僕に振りかけていた。恐らくそれが、ソムから奪い取った解毒花なのだろう。
ほのかに照らされた拠点の天井を眺め、身体の感覚が徐々に戻っていく事に安堵する。胸に溜まっていた重い空気を吐き出すと、とりあえず口を動かしてみた。
「……ごめん。ひらぎの」
「気にしないでよ。私情で誘った、あたしも迂闊だった」
僕を見下ろす彼女の表情は、微笑みたくても出来ず、悔しさと自責を滲ませる……とても複雑なものだった。それに対し、僕が掛けるべき言葉は何だろう。姉から教わった気遣いのいろはから、適切な台詞を選び出そうとする……が、それよりも後頭部に気になる感触が。
「ぇ。僕いま、膝枕とかされてる?」
「されてる。あたしがしてるから」
これにも、なにかしらのトラウマでもあるの? と、聞かれて「ないけども……」だなんて口籠ってしまう。
泳ぐ目で隣を見るとハウがいた。まるで、やれやれとでも言いたそうに、綿毛の獣がより一層綿毛の塊らしく丸まり、そっぽを向いている。
いや、これに否と申し立ててほしいのですが拒否ですか。
と、ヒラギノは「そうだ、ついでにコレをあげよう」と、僕をゴロンとひっくり返した。そんな事をされたら、そなたの太ももの間に拙者の顔が埋まるんですけどもよろしいのか。
「っ? んッ??」
「はい、動かないでくださいね。すぐ終わるからー」
なんでか後ろ髪を引っ張られ、ごそごそと……何かを付けられているような。
「……うい完了。キキ君、無駄に後ろ髪が長いから、髪留めで纏めてあげたよ」
「……?」
髪留め。
そう言われて、蒼い髪留めがついていた筈だと思ったのだけれど……あっと気付いた。その蒼い塊。きっと、アレが紺碧だったんだ。
ファイユさんが使った事で外れてて、それからは野放し状態だったらしい。
考える事が多くて、全く分からなかった。
「──雷華で作った可愛い髪留めさ。……これだけの為に、大変な目にあわせちゃったね」
「……いや。……そう。髪留めなんて、姉さん以外から、初めて貰ったかも」
隣から「似合ってんじゃん」とか言われるけど、応える気力など今は無く……ただ女子の膝に埋まるのみ。
ありがとう。これを言うのも後でいいかと。
それきり黙り込んだ僕に、ヒラギノは再度念入りの治療をと、柔らかな光を注いでくれた。
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