第三十六月:『 ヒラギノレイナ 』
◆
雑木林の向こうから、薩摩さんだと思われる「なぁにこれぇ!!?」との叫び声が夜空に吸い込まれていた頃。
僕らはとうに藪を抜け、人が行き交う街道を歩いていた。
樹都フォールから繋がる街道は、滝都アクテルへ続く道と歯輪の次元が停滞する区域に行ける舗装道があるそうだ。
僕ら三人が進むのは舗装道。彼女……ヒラギノは、歯輪の次元を使い何処かの宮地へ向かおうとしているらしい。なら僕らを置いてさっさと行ってくれと、切に思う。
──ヒラギノレイナって呼んでくれると、凄く嬉しい──
よりにもよって、なんであの女の名前を聞かされなきゃいけない。どうして、全校生徒の前で、僕の理想郷を破壊した女の名前なんかを口に出さなきゃいけない。そんな奴と行動を共にする事に、何の意味があると言う。
「──でさ、その洞窟の奥に人魚がいたわけよ」
「へぇ……あたし人魚は見たことないなぁ」
彼女の名を聞いて以降、一度も顔を見ていない僕とは逆に、頭の上の友人は今朝の事など何もなかったようにヒラギノとの会話を楽しんでいた。
僕の身体はハウの支配下に置かれ、僕の意思で動いていない。
それは所謂、拷問。それは所謂、恥辱。それは所謂、地獄に他ならない。
かと言って、ファイユさんと喧嘩をしてしまっていた手前、ここでも感情を爆発させてしまえば……ハウはどう思うか。姉さんにどう伝わってしまうかと考えれば、僕は何もせずにハウの従者に徹する以外に選択肢はなかった。
だがしかし。
「そういえばさ、キキ君ってゲストとか言われてなかった?」
ヒラギノはハウと同じく、僕に対しても普通に話しかけてきた。
「それな。レイナはなんか知ってる? 特別なパワーが使えるとか」
「パワーね(笑)。詳しくはあたしも分からないな……アクテルにも前にゲストがいたんだけど消えちゃったんだよね。いつの間にか」
消える。それは、ククさんも言っていた事だ。
ゲストは唐突に現れて、そして消える。ゲストとはサラセニア外から訪れたプレイヤーを差す為に、彼女達からして見れば僕らのログインログアウトはそういう風に感じるのだろう。
つまり、アクテルにいたゲストはもうログアウトしている可能性が高い。先輩ゲストであるなら、ハウの準ゲストについても聞けそうだっただけに、少し残念に思う。
「それよりさ、開拓はした? 拠点作りでもなんでも、採取とか資材確保とかして物を作り上げる楽しみは、もう味わいましたか?」
こちらの気も知らないで、ククさんが絶景について喋ってる時のように、イキイキとしながら聞いてくる。見たくもない女の顔を笑顔で一杯にして、わざわざ目を逸らす僕の前に回り込んで来て……執拗に……。
「まだやれてないんよなソレ。色々と立て続けに起こりすぎなんさ。ちょっとは休ませてくれってなぁ」
「そっか。見た感じ、ボロボロだもんね君たち」
僕が無言でいるから、ハウは間を置かず代わりに応えてくれる。
流石は友人。彼もこのヒラギノレイナが、あの生徒会長たる柊乃玲奈であると気付いているという事だ。
ならば僕らは探るべきだ。
何故、オマエが此処にいるのか。
何故、オマエは陥れた人物と、素知らぬ顔でこうして戯れるのかを。
「いやさ、レイナもだよ。こんなボロボロの俺らに、これから何をさせるつもりなんかな」
「あ……ふぁははっ、そうだね。ごめんね、そうだ、あたしも加害者なんだ」
それなら早速……と、ヒラギノは自分の腰に手を回す。武器か。あの片手斧を取り出し、僕の不意を突いて斬り殺すつもりか。そう察して身構えた僕を他所に、彼女は──……一枚の紙を出してきた。
「これは大切な手紙だ。今あたしは、これをいくつかの宮地の統主に配達する仕事をしているの。それで、あとはこれを秘都クレイトに届けて終わりって段階なのだよ」
「へぇ。なんの手紙?」
「なんの。なんのかぁ……。そうだな、みんなで一緒に世界を救わないかい? って誘い? みたいな?」
「マジかっ? かっけぇな、重要任務っつうヤツじゃんさ」
「そうでしょうそうでしょーう」
大切と言ったわりに、ヒラヒラと粗末に手紙を躍らせるヒラギノ。
まさか、その仕事を達成させる為に、秘都クレイトとやらに着くまでの護衛をやってくれなんて、寝言を言うつもりなのか。……冗談じゃない。
なんの得があってそんな厄介な話に関わりそうにならなきゃいけない。この世界がどうなろうと、僕らにとってはログアウトすれば関係ない出来事に終わるのだぞ。引き受ける理由なんてない。そう僕が心の壁を厚くしていると。
「でもこれは、あたしひとりで十分なお仕事だ。よって、二人にしてもらいたい事は別にある」
手紙を合わせた両の手に挟み込んだヒラギノは……声のトーンを落として言う。
「配達の仕事は終わるよ。でも、あたしは、出来ればこの仕事は今日中に終わらせて、滝都アクテルに帰って、明日を迎える予定だった。でも、足止めを喰らってこんな時間になってしまった」
そうして、小走りで僕らよりも離れた所まで行くと振り向き、
「これから仕事を終わらせても、それじゃ明日になってしまうの。……アクテルに帰る前に明日を迎えてしまう」
街道に備え付けられた灯篭の光の中、時々行き交う人影にも目もくれず、彼女は言放つ。
「──明日は、あたしの誕生日なんだ。だから、二人には、明日になった瞬間に祝ってほしい。それが、あたしがしてもらいたい事だよ」
……あまりに深刻そうに構えるものだから、なんの話が出て来るのかと思いきや……まさかの誕生日を祝え。……拍子抜け? いや、拍子抜けと言うか。
「ほえぃ、おめでとうって、あ、早い? まだ早いか」
「早いねぇ。ハウ氏、焦らないで。未だ時は満ちぬぞぅ」
僕は、笑ってしまいそうになった。だがそれは、決して良い意味なんかじゃない。──ふざけてやがる。そんな感情からくる嗤いである。
「他の皆にとってはどうか知らないけれど、あたしにとってはさ、小さな頃から誕生日を祝ってもらう事が本当に大切な行事なのね。……ああ、あたしは産んでもらえて良かったんだ。生まれてきて良かったんだって思える日だから」
「なんじゃそりゃ。大マジで受け取り過ぎなんじゃね?」
かもねと照れながら笑うヒラギノ。
「それってさ、俺ら口で祝うだけでいいの? おめでとうーって言うだけで満足すんの?」
「……あー。すると思うけど……そうだな。いっそのこと、ばぁーんとでっかいケーキみたいなモニュメントを作っちゃってもいいんだよ? ゲストの初開拓は、あたしの誕生日をお祝いするスペシャルバースディケーキモニュメント! どう? 良くない!?」
それ超ヤベェなと馬鹿みたいに笑うハウ。
「キキもどうよ。この世界に来てさ、何か築けるかもしれねぇじゃん。理想郷でもなんでも、手始めにそうゆう感じのを作ってみてもさ!」
「……そうだね、築く……そうだね」
理想郷。その言葉を出され、ようやく喋る僕。
「りそうきょう? なにそれ、キキ君実はすごい野心を持ってますぜな子? どんなのを作る予定なのか、あたしに教えてほしいな」
「それは……」
教えてどうなる。
知ってどうする。
言ってどう出る。
ここで何を築く?
築けたとして何をする?
何かを築いても、あんたはどうせまた壊す気だろ!
やっとぼくが喋ったからと、遊んでほしそうに見上げる犬みたいな顔をして、悪魔のような思考を走らせているんだろ!
「なんだよソレ……」
そう思ってしまった瞬間、もう止められなかった──。
「なんなんだよ! 誕生日ッ!? 何を語っちゃてんのか知らねえけどさ! 自分の大切な事は守っていたくて? 他人の大切な物は壊しますッ? そんなの通るかよ! 誰が祝うか、頭おかしいんじゃね!?」
「ぇ、ちょっと待ってよ、なに? なんで怒ったの?」
ステージの上から僕を指差す姿は忘れない。
あの顔。正義を成して悪を滅ぼしてますと書いてそうな顔と同じ顔が目の前にある。それはまた、知らぬ顔をして、僕を追い詰めようとして来た。
なら守らないと。僕は、僕を守らないといけない。
「僕らじゃなくてさ、もっと他に人はいるだろ。ほらそことか、関係ありませんって顔して歩いてる奴がいるんだから、そいつらにでも祝ってもらえれば満足だろ!? もう、ほっといてくれよ……僕の事はさあ!」
ヒラギノはハウを見る。
どういう話の流れなのか、本当に分からない。そんな表情で。
「……あーと。なんつうか、簡単に言うと、こいつがいままで築き上げてきたモノが壊されたんさ。マジでぐちゃぐちゃに。その張本人の名前があんたと同じヒラギノレイナなんさ……。もしかしたら、あいつがあんたなのかもって、俺らは思っててねぇ」
それで柊乃玲奈は、僕の理想郷を破壊しただけでは収まらず、ここにまで追いかけて来て同じ事をするのではないか。
ヒラギノレイナと聞いて戦慄した思いを、ハウは端的に代弁してくれた。それに対して……。
「同じ名前でごめんなさい。だけど、それはあたしじゃない」
心なしか、ヒラギノは怒気を帯びさせて言う。
「あたしはずっとここにいて、ずっとお仕事をしていたから、それは知らない話だよ。更に言うと、あたしは絶対にそんな事はしない。築かれたモノがなんであれ、あたしはそれを否定したりなんかしないっ」
見てと、持っていた手紙を広げた。
僕も頭に血が昇っているせいで、それに書かれた汚い文字の判別など難しい。それでもヒラギノは読んでいようがいまいがお構いなしに続ける。
「これを書いた人がどうなったかは知らない。でも、あたしはこの手紙が落ちていた場所を見てきたから知ってる事はある。……多くの人が集まって、色んな出来事に見舞われながらも築き上げた宮地……舟都セリフュージが破壊の限りを尽くされていた」
あんなのは到底許せるものではないと、歯を喰いしばり尚、
「あたしはね、築く築かれる産む生まれる成す成されるそれらが出来る人達を、心から尊重している。自身でそれが出来たならどれほど素晴らしいだろうと何度思ってきたか分からないくらい。……だから、キキ君もそちら側の人でしょう?」
それなら、壊すなんてしない。そう謳う彼女は手紙を胸に押し付けた。
「あたしは見届けたい! 君が何を築くか、何を残してくれるのかを、あたしは見届けて、その時に誕生日を祝うように、成し遂げたキキ君を祝いたいよ!」
むしろ、どんなに嫌がっても祝福するのを止めないから。……と、ヒラギノレイナは、優しく……でも悪戯をしそうに微笑んだ。
「……な……ん」
言葉が、出ない。喉が、声を出そうとしてくれない。
この人は、本当に柊乃玲奈……では、ない? 人違い? 同姓同名?
僕は、怒りを向ける相手を、間違えた?
「そんなわけだから、キキ君もちゃんと祝うんだよ? あたしの誕生日!」
それはそれは盛大に。その恩を相応にして返したいと思える程に。
そう言う彼女を前に、僕はどうしてか、その場で膝を崩して座り込んでしまった。
許される。
僕は、築く事を許される。
この人は、僕が僕でいる何かを築けても壊さない。
壊さないで、許して、祝って、僕の成す事を見届けたいなんて、そんな。
そんな話があるのかと、僕はヒラギノとハウが声をかけ続けているも上の空で……ただ、灯篭に照らされた舗装道を見下ろしていた。
◆




