卯片築と招待コード
◇
「キズキッ!!」
荒々しく玄関扉が開けられた。
焦燥を滲ませたシュンの声だった。
「……キズキ」
僕は力無く、チェアーに抱かれている。
土足のまま踏み荒らされたフローリングは砂で汚れ、木製の組立式テーブルは乱れたベッドに転がっている。
閉めている筈の窓に垂らされた遮光カーテンが風で揺れ、漏れた陽光が床に倒れた観葉植物と小鉢を照らしていた。
「……『キズキ』か」
抑揚も付けられず、只々口端から泡のように漏れる言葉は、「僕は、『キズキ』にはなれないよ」。
起きたばかりの時にはまだ無かった壁の凹みも、いつの間にか手から滴っていた鮮血も気に止めず、モニターに表示される数字を眺めながら吐き捨てた。
「あぁ……そ。なら、俺もアイツらみたいに『卯片築』って呼ぶさ」
シュンは態々靴を脱いで僕の横に立つ。
「……なあ、卯片築。別の選択肢は出てきたか?」
「……? ……何も。選択肢とかそんな、姉さんの真似は辞めてくれって」
「ハハッ。……でも、どうするよ? また理想郷を作り直すか? 『Y』or『N』」
信者が選択肢を出してきた。
それなら出所が何であれ僕は、モニター上で今正に再生数一万回に到達しそうなチートプレイ動画ファイルに指を差す。
「…………『N』」
「そか」
シュンの反応は淡白。
ともあれ、僕はもうゲームを使ってユートピア的な世界を築く行為は行わないだろう。
僕固有の能力であるステルスチートは、何も電子世界を媒体にせずとも、現実世界でも十分威力を発揮すると分かっている。
それに今回の件で、この力を破り、力の主に衆目を向かせるなどの対角的な能力を持つ『柊乃玲奈』なる人間がいるとも知れた。
あれは、天敵だ。
シュンや奈波葉月のように、僕に気付けるならまだしも、『晒せる』など言語道断。僕にとっては、悪魔の所業に他ならない。
「で、暫くは充電? んじゃ、気の向くまま遊ぶか!」
そう気を取り直そうとしてか、シュンはスマホを取り出した。
「……その『遊び』とやらには警戒心を禁じ得ないのですが?」
「大丈夫だって。単純に遊ぶだけさ。いつもの面々で」
「ぅゎ……シュンのクラスの女子とかよ。あいつらお前しか眼中に無いだろ。意図しない力の使用なんざ悪夢だぞ。僕とお前による『貴族と執事』のくだりは黒歴史だったのを忘れたのか?」
「うーわ、黒歴史とか言う? あれ俺の精一杯のフォローだったのにぃ? はいはーい皆さーん! ここにも楽しいの居るよー! って言うノリじゃん?」
「女子どもには、赤の他人を巻き込んだシュンの即席芸当だと捉えられてたな。白昼の悪夢は悍ましいと知れた瞬間だよ」
なんて、男二人で何でもないやり取りをしていたら、時刻は既に午後に差し掛かろうとしていた。
学校の方は、普通ならあんな事されたらもう行けるわけないだろとか言って、このままサボタージュと洒落込むんだろうけど。
僕の場合は……そうだな。
誰か僕を覚えたか? なんて、自虐にも似た臆測が立つため、別に戻っても平穏な午後を迎えられるのではないかと思ってしまう。
(……いや、僕を『見付けられる』人間と『晒せる』人間が行動を起こした以上は、危険か)
ならば、アイツらの熱りが冷めるまでは、このまま自宅待機をせざるを得ないか。
しっかし、僕のサボタージュにシュンも付き合うのかと、まだまだ喋ろうとしている友人に訊こうとした時だった。
目を外していたモニターから、ポーンとメールの着信音が鳴ったのである。
「……?」
「? どした?」
音が鳴って、画面を見たまま動かずにいた僕を、シュンが覗き込んできた。
「あぁぁ……? なんかメールが来た。しかも、アルペジアのアカウントに。……なんでょ」
これは、おかしい。
チートプレイ動画へのコメントやメール受信は、全てブロック設定にし直した筈だ。
なのに、何故届く?
サイト運営側によるアカウント停止通告は、そんなのは関係無しに届くのか?
はたまた巧妙なスパムか。
「開かねぇの?」
「開きたくねぇのっ」
アルペジアに公開した動画ファイルに対する荒れっぷりは酷い。
それこそ、この荒れ果てた部屋に比する程だ。
だから、これに関する悪戯メールが、ブロック設定を潜り抜けて来ても可笑しくない。だが、そこまでするご丁寧な暇人が居るのか?
僕のチートプレイで、相当な恨みを買っていたのなら有り得なくもないが……さて。
「んーー……」
考えれば考える程、警戒深度が底上げされる。
疑わしきは削除安定が鉄板だろうか。
そう思った時、画面とにらめっこを続ける僕の左横で、同じく未読メールの通知項目を見ていたシュンが「あ」と、声を上げた。
「この、メールの送信先アドレス見たことあんな」
「アドレス? マジか」
メール新着受信欄に表示された二行のメール情報は、上の行に本文の出だし。下の行には送信先のメールアドレスが記載されている。
シュンは、この下の行を指差して「……うん。同じだ」と呟く。
「今朝、卯片築に招待コード見せたじゃん? アレの送信先のアドレスだわコレ」
言われて、僕も思い出した。
学校に着いてから、記憶がすっぱ抜かれる出来事に巻き込まれたせいで、スッカリ忘れていた。けどそもそも、アドレスなんて見てなかったから、その情報はシュン様様である。
「……アレ、か」
招待コードの送信先が、なんで僕のアルペジアアカウントにメールを送ってきたのか。
(動画晒しが行われたついでに、此方のメールアドレスも晒された? こんなメールが配信される所にまで?)
……一体、柊乃玲奈の晒す能力は、何処まで拡がるんだか。
半ば感心すら覚える彼女の所業に、僕は思わず失笑してしまった。
「まさか、招待コード? 『卯片築』んとこにも来たってか?」
「もうキズキでいいよ」
メールアドレスを知っているから強気に出たのか、シュンは一切の躊躇も見せず、パパッとカーソルを動かして届いたメールをクリックしてしまった。
「……おお。やっぱり、招待コードだ」
シュンは己のスマホにも例の画面を映し、同じものだと僕に見せる。
おいこら勝手に開いてくれるなと。
けど無邪気な彼が述べた通り、モニターには今朝見せられた『SARRACENIA』が表示されていた。
一見、単純な絵で注目を引かせて心霊画像へと切り替わるホラーサイトにも見えますな。
「築君。今度こそ参加してみるか?」
「待て教授。これは罠かもしれん。焦るなよ。……いや、やる気かよ」
考古学学者とトレジャーハンターみたいなやり取りなんざどうでも良い。今シュン何て言ったのか自覚して頂きたい。
「キズキは? 行ってみたくねえの?」
「……ゲームの世界に行けるって話なら、興味はあるけどさ。サラセニアだもん。前情報が酷いからな」
カーソルを動かす意欲すら起きない。
いっそPCの電源も落としてしまおうか。
『ザ・無気力でござる』との姿勢でいる僕を目の当たりにした友人は何を思ったか、スマホ上で参加を承諾してみせた。
「なにしてん、え、なにをしてるの?」
「あ? 興味本意」
シュンはサラッという。警戒心は寝坊してるのか?
スマホに表示されていた画面は暗転し、何の反応も示さなくなった……が、
「うわっ!!?」
事もあろうにスマホの持ち主は、己の端末をバッチぃものみたいに悲鳴を上げて手離した。
「なんだ? オバケでも表示されたか?」
「違くてッ! なんか出てきた!!」
見れば、端末を中心に濃い紫色の円陣が床を這うように拡がっていくではないか。
ただでさえ異様な出来事なのに、なんの音もしないまま繰り広げられる様子が、益々不気味さを引き立てていた。
(これがサラセニアへの入り口……?》
いっそ取って確認した方が良くないか?
そう、シュンに言おうとした時、円陣は溶岩を思わせる光の蠢きをより一層強め、スマホが紫の光に包まれる。
でもそれはほんの一瞬。
円陣は唐突に収縮し、スマホもろとも消え去った。。
僕もシュンも口を半開きにして、この光の結末を見届けていたのだが……そこにあった筈の物が無くなっている事実に気付いたシュンの様子がこちら。
「俺のスマホ!! 俺を置いていくなあぁぁぁあああ!!!」
……とまあ、取り乱している彼に流されるのではなく、僕はしっかりと冷静に現実思考でいよう。まずはシュンのスマホに電話を入れて確認を……。
「……シュン。電話繋がんない」
「だろうなッ!! だろうなじゃなんさ!!」
ゲームの世界へ旅立つ方法は、まだここにある。そうシュンはモニターと僕を引き寄せた。
「もう行くしかねぇぞ! 落とした俺のスマホを拾ってこないと駄目だろ!?」
「駅員さんに言って拾ってもらいなよ」
こう返す僕は、さぞかし嫌な顔をしていただろう。村人Aを旅に連れていくのか……? みたいな感じで。
けど、まぁ……。そうだな。
これも現れた選択肢……一択しかなさそうだけど。
シュンもシュンで、我が姉の言論に毒されている信者だ。選択肢をした以上、心を奮い立たせる衝動は分からなくもない。むしろ、その気になったのなら、応援したくなるものだ。
それに僕も僕で、学校をサボタージュするつもりだから時間はある。傷心旅行にはもってこいか。
「ホラ、どうするキズキ! 『Y』or『N』?」
「………………はぁ。もぅ」
僕は溜め息をつくと、肩に置かれたシュンの手を払った。
そして床に落ちていた、姉のお下がりの髪留めのゴムで髪の毛を纏め直す。更に机の隅に転がっていた眼鏡を掛け、再度息を吐く。
頭が徐々に醒め、連鎖的にチェアーに埋まっていた上半身が起き上がる。
「…………わかったよ。『Y』にする」
この僕の選択を受け、シュンは強く手を叩いて叫びおる。
「流石分かる奴! 行こう!!」
「近所迷惑だ。静まれ旅のお方」
荒ぶる友人を宥めつつ、僕は再び自分宛てに届けられた招待コードと向き合う。
そして、参加の表明を確認する項目にチェックを入れていくと……モニターはスマホで起きた現象と酷似したエフェクトに飲まれ始める。
「本当に、行くぞ? シュン、いいんだな?」
今なら、ギリギリ引き返せるかもしれない。
でも、この友人は、
「行こう。絶対スマホを見付けんだって!」
そう強く、僕を見返す。
選択をし合った同士。僕も「見付かるといいな」なんて言って失笑していた。
そうこうしている内に、モニターから溢れ出た模様は更に拡大。次いで生まれた紫色の光の球が、僕らを捕らえた。
これでもう、後戻りは出来ないだろう。
下手をしたら、振り向く事さえ。
僕の左肩に置かれたシュンの手が力んだのを感じた。
それと同じく、僕の胸も、無意識にぎゅっと力んだ。
音の無い展開。
この光の演出は一瞬で。
荒れ果てた部屋に居た二人もろとも、跡形もなく消え、唐突の終演を迎えた。
そうして、部屋に戻ったのは、僕が帰る前と変わらない微かな街の音だけだった……と、思う。
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笹見暮より
『姉』『友』『築』の正体が何であるかを書ける所まで行きたいですな。
ここまでお読み頂けたら是非、評価の方もよろしくお願いいたします。