第二十九月:黒姫と森の権力者
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《 ──……拠点の中かね 》
蒼い鎧を纏うファイユさんの姿をした結晶体が周囲を見渡す。通話先のご本人の呟きは、その動きに合わせたかのようだった。
「……え、ファイユさん、見えてるんですか?」
《 勿論。……ぁぁ、キキさんは、そういう状況ね 》
見下す形で「笑える」なんて、無感情な声を吐き捨られた話でもしましょうか。
いや……そもそも、目の前にいるファイユさん似の結晶体は一体何なのか。森に現れたあの巨躯とは違い、ここには魔法樹の魂なんてなかった筈だ。なのに何故、何処からどうやって現れた。
聞きたい事が多い。ところが……。
《 ほらククも見てっ。超情けない勇者様がいるよ! 》
《 ファイユ様、言い方。いじめっ子ですか 》
急に爆上げしたテンションにタイミングを奪われた。
確かに、妙な物体に纏わり付かれた挙句、押し潰されてはおりますが──……別にやられたワケじゃないし。せっかくの毒料理だから、全身全霊で貪ってるだけだし。
だから心外だ、憐れまれるとか不本意だ的な反論をしようとした……んだが、その前になんと言った?
ほらククも見て──って。見て……って。
「え? ククさんも見えてるんですか……?」
恐る恐る聞く僕に、ファイユさんが「ガン見してる」と答えてくれた。
そうと分かると、なんだかファイユさんに見られるより恥ずかしいような。とても不思議な気分になる。
これは、変に紳士モードで接していたからだろうか。
自分の痴態を知られるのが、この上無い程嫌になる。
それと、こんな状況になるのならば、やっぱり護衛が必要ではと、玉ネギさんにまくしたてられる展開にならないかと不安にもなってしまったり。
《 お二人共、冗談も説明も後にしましょう。まずはこの拠点から出ないと 》
しかし、ククさんはさして気に留めないのか、ピリッとした声と共に、ゴーレムでもって『セイっ』と僕を手で制してきた。
そして振り向くや、唐突にゴーレムの右手が光り出す。更には、手の延長のように結晶体が伸び、棒……では止まらず、なんと刀剣の形を成していく。
《 それでも一応……。出来れば争わず、穏便に済ませたいのですが 》
ククさんの声に合わせ、ゴーレムは周囲の人の位置、建物の構造などを確認するような動きをする。その最中、ここまでの挙動を遺憾に思ったか、
「……ちょおっと、アナタ。アタクシの許可も無く、人のお店に入り込むなんて、どぉいう──」
男達に守られていたアヴィさんが、至極真っ当な台詞を放ちながら詰め寄ってきた。だが、このゴーレムはおろか、通話先の二人は耳を貸すつもりは無いらしい。
《 クク、イケそう? 》
《 ……はい。退路は、こじ開けられそうです 》
穏便なんて何処へやら。
相手方の正当性さえ何処吹く風なのか、物騒に物騒を重ねていくスタイルの女子二人のテンションは、ついに臨界へと到達する。
《 ──放っても? 》
《 いいよ。やっちゃえ 》
目前に人がいようが関係ないと、ゴーレムが刀剣を逆手に振りかざした。
「……待ち、ちょっと待ちなさいって──」
その不穏極まりない動作にアヴィさんも咄嗟に後ずさるが、もう何をされても躱せないだろう。
力を込められた刀剣は、彼女目掛け、盛大にぶん投げられた!
瞬間──か細い体の脇を掠めた刀剣は一気に膨れ上がる。
途端、建物が轟音と共に激しく揺れ、瓦礫が吹き飛んできた──!
「ぃぃいい──?!」
その一瞬に、膨張した結晶体に押し込まれ、アヴィさんも何人かの男達も飛ばされていったのが見えた。と、その時、僕らに付着していた寄生結晶なるものが光の粒になって弾けて消えた。
用済みと判断された開拓物は、そうやって消える。とすれば、アヴィさんが、それどころではなくなったという事か。当然と言えば当然だろうが、惚れてしまうほど暴力的解決案すぎる。
《 ──退路が出来ました! さあ、キキ様も走って! 》
砂利と埃が舞う店内に響く男達の悲鳴に負けず、ククさんが叫んでいた。
見上げると、僕らの前方に穴が……いや、蒼い結晶のトンネルがあった。あれは、さっきの刀剣? トンネルの先は外へと続いてるようで、冷たい夜風が吹き抜けて来る。
「ぁ、おっけッ、今行くから!」
軽くなっていた体を起こし、すでにトンネルの中にいたゴーレムを追う。
僕らに続く影は無い。そうなればレストランからの脱出は容易だった。
《 ──……これくらい離れれば、少しくらい作戦会議もできますよね 》
《 だね。グッジョブだったよ、クク♪ 》
外に出て、恐らく五十メートルくらいだろうか。振り返ると、トンネルを形成していた結晶体が霧散し始めていた。加え、大きくあいた穴に、バラバラと破損した建物の一部が崩れ落ちていく。
「……他に、やりようなかったんですか?」
いくら笹流しを奪った相手だからと言っても、あんなチートじみた一撃を加えられると、流石にアヴィさん達を同情してしまう。しかし、
《 だぁって、賊でしょ? 容赦なんて無い無い 》
《 相手の拠点にいては、どんなに要求を通そうとしても、此方の足元を見てなにかしら条件を付けてきますし。不利なんですよ 》
それは……二人の言う通りだ。
現に僕が雌雄決着を提示した時にも、条件を付けられた。
「そうそう。アウェイ戦は骨が折れるもんなんだぜ?」と、めんどくさ気に語るファイユさんの言う事も合点がいく。……確かにだ。そう思うと、なんだろう。目を逸らしたくなってきた。
敵陣のど真ん中だと言うのに、僕は何をとち狂った行動に出てしまったんだ。そんな所で雌雄決着をしましょうとか、あまりにも愚か過ぎる。
ちょっと自分の現状に、恥ずかしさを感じ出してしまったが、彼女達はもう気にも留めない様子。それよりもと、ファイユさん似のゴーレムが、ドSな顔をして僕を覗き込んできた。
《 ねえキキさん、笹流しを奪ったのは誰? 男達の中のどいつ? それとも、あの女? 》
あの女こと、アヴィさんだと答えると、通話先から舌打ちが聞こえた。
《 ……あいつ、亜種だったよね。奪い返せるか、微妙だなぁ 》
《 取り巻きも多かったです。こんぺきだけでは、押し切られるかと 》
なんか、二人の雲行きが怪しくなってきた。
あれだけの力を見せたのに、勝算が薄い……のか?
《 ファイユ様、キキ様が不安そうなお顔をなさっています 》
《 ぇえ? ……ぁー、しょうがないんだよ。亜種と人間じゃ身体のスペックが違いすぎて相性が悪いの。不意打ちなんて、まず通用しないし 》
では、どうやって笹流しを狙い取るか。
そこはやはり、正攻法──雌雄決着しかないと、二人は唸った。
そして肝心なのが、その内容……。戦えば不利なのは分かってる。いっそチェスで勝負を仕掛けようかとファイユさんが提案するが、果たしてそんなスポーティーな誘いに乗ってくれる状況だろうか。
あんなことされて、今頃ブチ切れてるのではないか?
「……あ、ククさん。『こんぺき』って?」
《 今キキ様に寄り添っているモノです。魔法樹の樹液に魔法樹の魂を宿らせ、思い通りの形に変化させたり動かせたり、魔法樹の魂を介して離れた場所の様子を監視したり出来ます。普段は悪戯にしか使ってませんが 》
《 当然だけど、使ってれば魔法樹の樹液が消費されるから、用途に限りがあるよ。だから、長期戦みたいな話には持っていきたくないわけ 》
そう言われて気付いた。
さっきまで、このゴーレムはファイユさんと同じくらいの身長に見えていたのに、今は、少し背が低くなっている。あのトンネルを作っただけで、そんなに身を削ってしまうのか。
《 で、これを使ってどうしようかって話に戻したいんだけど…… 》
そうもいかないらしい。
レストランからアヴィさんのものと思わしき絶叫が上がり、僕らは作戦会議を中断せざるを得なくなった。
「……──はァ……ぁアアア゛ッ!! やってくれるな、畜生がよッ」
瓦礫が吹き飛び、崩壊した建物の壁跡から、ボロボロになった黒い人物が這い出ていた。
あれは見紛うことなくアヴィさんだろうが、あの無残にも汚らしくなった衣服は、いつそうなった分だろう。
と、彼女に続き、男達もワラワラと出てきては黒いお姫様を気遣っていく。しかし、アヴィさんはこれらを振り払うと、此方へと歩み寄る。
「本物のアーツレイ……いや、モノは偽物か。やっぱり、その獣被りはあんた等が放ったものでしたのね」
聞こえてる? そう小首を傾げたその人に、
《 どちら様か知らないけど、勝手な憶測で語らないでくれる? それより、私の笹流しを早急に返しなさい 》
ファイユさんが、ドスの聞いた声で応対する。
「……あー、これ? ふふ、こんなの今更持ってて何になるのかしら? 神様はもういないのよ?」
《 私のものだから返してって言ってるだけ。もしかして、頭でも打った? ごめんねぇ、ウチの子、敵と見たら手加減しなくて困ってるの 》
煽りまくるお人だこと。
それとも、これは時間稼ぎかなにか……?
「お気遣いは無用でございますわ。そぉれぇよぉり、これもいい機会ですので、ぜひ聞かせてくださいな。……アーツレイはどうして、転生させる際に種族を変えるのかって話を」
《 ……あ? 》
「アタクシは知っていますの。昔には無かった転生なんてものがサラセニアで起こり、種族のバランスを乱し始めたのって……あなた、ファイユ・アーツレイが、吸魂の森を統治し出した頃と同じ時期であること」
《 ……へー 》
「どうして、そんなひどい事が起こりますの? ここにいる者をご覧くださいな。皆、元は人間ではなく亜種だったのですよ?」
話の内容についていけず、僕はアヴィさんに促されて喚きだす男達とファイユさん似のゴーレム──紺碧を交互に見、状況を見守るしか出来ないでいた。
人間になってしまったことで、亜種ではないオマエはオマエじゃないと嫁に見捨てられたとか、人間になったせいで体重が五十キログラムも増えたとか、あまりの屈辱に耐えられず賊になるしかなくなったとか……。
アヴィさんは一度、それらを止ませると、更に続ける。
「聞けば、亜種だった彼らを手に掛けたのは、一人の人間だったそうな。しかもその人は、自らを『月の勇者様』と名乗っていたらしいのだけど……あなたの知り合いだったりします?」
《 …… 》
「もしそうなら、サラセニア全体に巻き起こしているその意味不明な『誰かさんの悪事』。放っておくわけにはいきませんわね」
《 ……ハッ。悪事ね 》
一瞬、ククさんが不安そうに声を上げるが、それを制し、
《 私の変な噂を、よく知ってるみたいだね。よぉくアンテナ張ってないと聞こえないものを知ってるなんて、もしかして私が好きなの? 》
「ええ、もちろん愛すべき人物だと思っておりますわ。情報の果実みたいな『物』ですから」
《 ……はぁ。コイツ、マジでヌッころしたくなるな 》
「あら? お認めになられる──」
《 身に覚えが無い話ばかりで腹が立つってんの。陰謀論大好きっ子かな? 頭の腐った発想に飲まれてる余裕があるなら、さっさと笹流しを返してくれないかなぁ! 》
大いに相手を馬鹿にしたファイユさんの文句に、男達が再度喚き出す。
その中の数人に至っては、我慢しきれずに此方へと飛び出してきた。
「テメェ、俺らの姫になんて言い草しやがるッ! 元はと言やぁ──!」
だが、それらは紺碧が放った結晶体の欠片を腹に受け、吹っ飛ばされてしまった。
「糞が……! あの森を、放棄しやがれ……悪党がッ」
《 賊のクセに正義マンを気取るの? 被害妄想を拗らせた馬鹿の相手なんか願い下げだわ 》
……もう、どっちが善でどっちが悪やら。
どんどん殺気立つベチャードの皆さまだったが、アヴィさんは逆に冷静な物腰で「では、こうしましょう」と、笑顔で手を合わせた。
「このままブチのめすのも一興ですが、確証が持てなくなった『噂話』を元に喧嘩を始めるなんて滑稽でしょう? ですので、ここはひとつ雌雄決着を持ちまして、あなたの要求に応えましょう」
《 へぇ……。いいの? 》
「勿論ですわ。ですが、ただの雌雄決着ではなく……【 拠点落とし戦 】と致しましょう……♪」
そのほうが盛り上がりますからと、彼女の提案に取り巻き達が意を汲んだように笑い出す。
拠点落とし……とは?
《 これだから亜種は……人の足元ばっかり見て……! 》
「ファイユさん……」
《 ……はあぁあ゛ッ。素晴らしいじゃん、それ乗った 》
「あらあら。では、五分後に始めましょう。──皆、準備するよ!」
アヴィさんの号令で男らは壊れたレストランの修理を始めたようだ。その中に紛れて、アヴィさんが振り向きざまに中指を立ててきたように見えたけど、きっと気のせいですな。
《 ……ファイユ様、よろしいのですか? 拠点落としなんて。超絶不利ですが 》
《 ハンデくらいくれてやらないと。なんせ、私はファイユ様ですしぃ 》
意味が分からないよ、と、僕とククさんの意見が一致したところで、雌雄決着『拠点落とし』について二人から説明された。
──通常、雌雄決着は個人と個人で執り行われる。
しかし、宮地と宮地による不特定多数参加型の団体戦があるように、この拠点落としも複数人の参加が理想とされている。
ルールは簡単。
互いに築いた拠点を全壊させれば勝ちなんだそう。
参加者への被害は勝利条件に組み込まれておらず、相手が生き残っていようがいまいが、拠点を破壊し尽くさなければ勝利にならないのだと。
《 一言に拠点を落とすと言っても、簡単ではありませんよ? そもそも拠点には、資材を備蓄しておく役割もある為、壊してもすぐに修復されてしまいますから 》
「 え……そうなん……。あ、そうか。あの資材の山って、そういう……」
レストランの一室にあった光景が、頭をよぎった。
あの量……。つまりは、あちらの拠点の体力値は半端じゃないって事だ。
それを裏付けるように、さきほど開いた穴も、みるみる塞がれていくではないか。
「待って。ホントに無理ゲーじゃないですか。あんなの、どうやって壊すって」
《 はあ。キキ様のおっしゃる通りなのですが、その前にわたし達には拠点そのものが無く…… 》
《 ほらほら、心配しなさんな若者たちよっ。拠点ならあるよ? ここに!」
……『ここ』とやらには、胸を張って突っ立っている紺碧ファイユさんがおりまして。
「まさか……」
《 それを拠点にしましょう! 他に無いでしょ? 》
なんというアバウト。
そういえば、金魚の墓みたいな棒切れを拠点にしたと、そんなエピソードもあったな、この人。
「まあ、別にいいですけど、頭数はどうするんです? これを拠点にするのなら、今ここには僕とハウしかいませんが」
それに僕らは獣衣装をしているから、頭数としては一人だ。いや、冗談じゃない。
思わず暴言が出てしまいそうになった時、「だから心配すんなって」とファイユさんがイケボを披露する。
《 ククは片方をお願い。私は『右腕』 》
なにをする気か……と、突然紺碧が光り出した。
そして膨張。まるで森のゴーレムのような巨体になるや、図太くなった両腕がバキンと折れてしまった。
だが、それらはたちまち形を変えていき……!
《 ──はい、出来上がり! ファイユちゃんとククちゃんのレプリカだゾ☆ 》
……口があんぐりだわ。
形成されたのは、まさしく通話先の二人……ではあるものの、サイズが違う。これは、幼女というものだ。
「なんで、子供!? え、これ頭数に入れる???」
《 だからぁ、紺碧には限りがあるって言ったでしょ。節約だよ、エコ 》
ファイユさん(ちゃん?)が、超ジト目で見下してくる。その奥でククさん(ちゃん?)が、またもや刀剣を形成させて振り回してる。マジか。マジでやるのか。マジでやる気満々なのか。
《 ……左腕もしっかり動きます。いけるかと 》
《 おし、これでメンツは完璧だね。派手に暴れますか! 》
信じらんねぇ。
相手は人間では相手にならない亜種のアヴィさんと、数十人の血気盛んな野郎共。対してこちらは探索レベル一で、逃げ足しか取り柄のない半獣と幼女形態のレプリカ二つ。拠点の違いも歴然。
完全に無理ゲーだと分かる、アホみたいな構図である。
《 ……まーだそんな顔してる。まともにやれば負けるのは当然なんだから、心配すんなって。割り切れ 》
「やっぱり、負け確なんじゃないですか!」
《 お二人とも、そろそろ始まります。イチャイチャは目障りですので 》
ツッコみたいことの嵐だが、ククさんの言う通り。
この五分で、すっかり元通りに修復されたレストランの前に、数人の男らが待機を始めていた。
更に、その中にアヴィさんの姿も。
《 ああいう奴って、先に索敵を放って、こっちの動きを見ながら作戦を立てていくよね。ブレイン系かな、鬱陶しい 》
《 では、わたしがあの人を打ち獲ります。キキ様は敵陣の攪乱をお任せします 》
「……わかった。注意を引けって事だね」
簡単な作戦だが、ファイユさんが拠点防衛に徹し、僕らが全線に行くしかない。
そうして、間もなく五分が経過する。
それに合わせ、僕らの間に雌雄決着『拠点落とし』の開始を告げる二等辺三角形が現れた。
──だが、その瞬間だ。
僕らの目の前まで突撃して来たのは、動かないと踏んだアヴィさんだった────!
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