第二十三月:『場違い感』
◆
遠くの洞道から『なんじゃこりゃ』との絶叫が聞こえた。
薩摩さんの声……だけど、それはこっちの台詞でもあるんだよ。
あなたに起こった事について、なんじゃそりゃと言いたいのだからな。
唐突に彼が消えて、僕の口は『は?』の形をしたままだ。薩摩さんに起こった事象の仮説を立てる事も出来ずにいるそんな僕に、綿毛の獣が「なあなあ」と声をかけてきた。
「ヤベェ、あの人消えたんけど。前に築が言ってたイケナイコトってヤツをしたとか?」
「イケ……ああ゛もうっ。それよりも」
あんなイミフな薩摩さんを憂う暇など僕らにあろうか。
バグにしても回線断絶にしても、例えBANされたとしても、僕らがその原因を知る由などないんだ。
ぱっぱと思考を巡らしても、答えが何処にあるか分からず終いなら、注視すべきは現在進行形の脅威だけであろうよ。
何度も言うけど、こちとら探索レベル一ぞ。
さあさあいざいざと火花を散らす化け物同士が、ああして自面尽くだけでも息が止まるバンビちゃんでございまするぞって。
「薩摩さんのことはおいといてさ、僕らは逃げよう。あんなの、ハウだって相手にしてられないだろ」
「……や、ぁぁ……。だぁな。片方キモいし」
わざわざ、そのキモいモノをやり直しをしてまで関わるなんてアホである。
よって僕らは、スタコラサッサと逃げましょうと頷き合った。しかし、もうそんな悠長な表現もしていられないらしい。
【 蜑 企 勁 繧 貞 濤 陦ッ 】
悍ましい。全く以って悍ましい雄叫びが響き渡った。
化け物同士の喰らい合いが始まったのだ。
「行こうっ、早く!」
「おっしゃあ」
離れなきゃ。
この洞道から、一刻も早くっ。
だが、激しくぶつかり始めた化け物共は、戦場を一区画に留めてはくれないようだ。
此方が必死に逃げようとするも、轟音も咆哮も遠去かる事はなく、逆に奴等の暴威は僕らをも巻き込まんとしていた。迷惑千万この上無い展開に、流石の僕も手に汗を握る。
「いっそ仲裁に入ってみるのって、どう?」
「んぁあッ、可愛い綿毛の獣の仲裁なら効果が期待出来るかもねぇ(出来るわけがない)!」
その時、砕ける岩の音とは違う、なんとも生生しい音が……!
思わず振り向くと、地竜種がキモい方の暗い体を食い破っていた。とて、食い破られた側もそんな一筋縄では逝かない様。尚も齧り付こうとする相手に巻き付き、蛇の如く締め上げたではないか。
勝負は拮抗──否、岩壁から噴出してくる暗い身体は何時迄も尽きない。忽ち覆い尽くされた地竜種が劣勢に追い込まれていくのだろう……と、思った矢先だった。
【──蜷瑚ェソ驕ョ譁ュ!!】
「ぅわ、ちょ……ッ」
地竜種ががなり上げた雄叫びは凄まじく、更に伴った衝撃はやや離れた所に居た僕らをも脚をもつれさせてしまう程。こう言う離脱イベントでは、素直にムカつくリアル演出でございますわ。
「……逃げる余裕すらない感じ……ッ」
「じゃ、体動かすの交代するか?」
「の、方がいいかな。出来れば優しく」
お願いしようとした一方、化け物しぃちゃんの体から竜の腕が噴出するのを見た。
まるで豆腐を穿つように突き破った剛腕は無表情を崩さない暗い顔をも捕らえると、岩壁に叩き付けた。そしてそんな無慈悲は止まらず、そのままズンズンと押し潰していく。
圧倒的強者による殺戮だ。
もう誰であろうが出る幕など無い。
唸る暗い物体を更に噛み砕き、のたうち回る事も許さず今度は力任せに引き裂いていた。軈てダランと垂れ下がるだけとなった暗いモノに、地竜種は引導を渡そうと又一度剛腕を振り被る。
これはマズイ展開速度だ。
誠に遺憾ながら僕らが居るのは、この戦況を追えてしまえる距離。つまり、ヤツのエンカウントゾーンに入っていてもおかしくない位置。
であるならッ、地竜種がしぃちゃんらしきモノを仕留めた後、次は僕らを向くだろう!
「ハウ、急げ──!」
しかし、急かす声が肉の破裂音によってかき消された。岩壁と剛腕の間で弾けた物体は一瞬で顔を失い、滝の様に流れ出る体液と肉片を勝者に晒されたのだ。
もう間に合わない。そう覚悟した──ところが。
「──……あれ?」
一瞬、風景が溶けたように見えた。
そして、聞き覚えのある轟音が鳴り始める。
それは、乾いた塊同士が擦れ合う音……。
続いて、視界もセピア色では無くなっていき、暗闇へと戻っていく!
「──って、コレ──ッ?!」
『樹』だと気付くも、すでに体の自由が利かなくなっていた。
全身を強く縛られる圧迫感に襲われ、耳元で鳴る音は更に増大し、遂に爆音へと変わるッ。
化け物達の姿はもう見えない。代わりに、あの樹が……あの異常な迄に急成長する樹が、再び──……!
◆
……たしか、そんな感じ。
視界が晴れたと思ったら、周りは洞穴に入った場所とは違う森で……。
(……なんだコレ。樹は……?)
何も見えなかった時間はどれほどだったのか。
気付けば明かりの中に放り出され、耳を破壊させられるような乾いた爆音は止んでいた。
はたと足先を見る。恐らくは、僕らの跡がある筈だと思ったから。
──やはりあった。
足を向けていた先で蠢く蔦の塊。多分、それがあるのはネクロの洞穴の口だろう。しかし、それら樹の一部はその場所から延びようとはせず、ただただ穴を塞いでいるだけに止まっていた。
ダンジョンクリア……みたいな様子である。
それならそれで良い話なのだが……僕は改めて周囲を見渡し、シズミヤはどうした──と聞こえたほうを見る。問われていたのは消えた筈の薩摩さんだった。
両膝を付いた薩摩さんが見上げているのは、小柄な人影。沈みゆく夕日のせいで風貌が分からない。
茫然と、仰向けになったまま眺めていた空とは裏腹に、周りは緊迫した空気が流れていた。
(……え……っと……?)
一言で今の状況を謂うと、『薩摩さんが賊に囲まれてるんですが』。
そんな状況であるが為に、僕の口は『は?』のまま微動だにしなかった。
◆




