第二十二月:逃走の可不可(分割:下)
◆
……突然、ファイユ様の声が割り込んだ。
『ストップ』……とは?
わたしに迎撃するのを止めろと言ったのか、それとも……。とまで考えて、わたしは目の前で起こっている事に気付く。
「あ……ぇ? ……これは」
……止まっている。
ローブの女の子が、身を低くして走る『様』を晒している……と、表現して良いのかどうなのか。
ともかく、髪も服も体勢も、全てが固まっていたのだ。
ふと見やれば、それは彼女だけじゃない。
踏まれて起き上がろうとしていた草や、ローブに弾かれる寸前の落ち葉……果ては、遠くから流れ来ていた魔法樹の魂までもが、一様にピタリと動きを止めていた。
(『お茶』を使った……とか?)
ファイユ様を始め、彼女のように特別な権力を持つ人物のメニューパネルには、これと酷似した現象を起こせる『お茶』と明記された項目がある。
動ける範囲は凡そ一歩の距離とする制限が課せられるが、二十四時間の内の五秒間だけサラセニアの時間を止めると言う謎権利だ。
……でも、話から聞くソレとはどうも異なるような。
第一、お茶の影響を受けるのは使った本人を除く全てのモノ。もしファイユ様がお茶のパネルを開いたのなら、わたしをも止める筈だから……。
こうして二人だけが動ける仕様など、わたしは知らない。
「あの……。……ぁ」
わたしが必至になって答えを捻り出そうとしている一方、ファイユ様は停止した女の子の身体を覗き回っていた。
「えーと。……ふむふむ?」
そして一言。興味を失ったように「持ってない」と。
「……あの、その方は、お知り合いですか?」
「え、知らない人だけど。……知らない人だけどぉ、さっきね、この人が走ってったの見て、なぁんだろって思ったから」
「……『さっき』?」
ここでファイユ様は息を吐き、とても冷淡な面持ちのままわたしを見据えた。
「そう、さっき。これはさっきの光景。とどのつまり、私達は今『さっき』の光景を見ているのだよ」
「……はぁ。……はあ?」
もう、なんと言いますか……。この全身から、はてなまぁくが溢れて止まらない感覚。
そんなお馬鹿なわたしを笑い、ファイユ様が漸く教授に鞭を振るわれた。
──曰く。
『魔法樹』──又を『吸魂』は、死を遂げた人物の個人情報『魂』を一時的に保管するデータベースである。
本来、吸魂の森の主とは魔法樹に蓄えられた情報の管理に遵守し、古魂の大樹と吸魂の森が織り成す転生の仕組みの一端を担う存在だ。
その際、必要手順として、森の主は『ログ』と呼称される言動の記録を閲覧──追体験する権利が与えられているのだと言う。
「……ログ……?」
「そ。ログぅ。んでもって」
ログを見れるのは、魔法樹の所持者と、現状その権利者と接触している者だけ。だから、こうして私と手を繋いでいるククも見れてるのだと、わたし達の手を高く掲げて示された。
「では、この子……この光景は、誰かの記録……?」
「そだね。ダレのログだろね? あ、ついでに言うとね、勿論手を離したら見れなくなるから。ってか、魔法樹が作るログの映像から弾き出されるって言った方がいいのかな」
「弾き出され……? えと、つまりは……」
映像の依り代にした元の空間に戻る……で、合っているのだろうか。
そう答え合わせに賭けてみると、
「そんな感じだね。そんで、そうなると追体験しているのは権利者だけになっちゃうから、私はククが弾かれたらククが見えなくなるの」
なんて言いながら、この人はわたしの指を一本ずつ外していく。これ即ち弾こうとする旨であり。
「──ファイユ様っ、まだお話が終わっていないでしょうに!」
「あはー☆ 冗談っスよん。……んー。それとね、この追体験をしてる時は逆も然り。元の空間にいる側からは、私達の事は見えない仕様になってるから。個人情報は保護するぜって感じなんだろうね。亡者共に見つかんないよってのはそゆことよ」
ここでファイユ様が一息つき……わたしに向ける目を、改めた。
「そ・れ・で・だ。ククさんよ」
悪戯っ子の上目づかいが、何やら期待心を匂わせている。こちらも負けじと、警戒心を露わにしつつ。
「なん……でしょう?」
「さっきも言ったけど、問題なのはそんな風に使えてしまう魔法樹が、私の管理外で芽生えてしまうかもってコトだ」
古魂の珠樹が見つからない以上、珠樹に触れた者を種運びに使って外に出た可能性は消えない。
それはつまり、ファイユ様の管理から離れた、【ファイユ様の所有物とは言えない魔法樹の、ログを見る権利を乱用する輩が現れる可能性にも繋がる】と。
そう示唆し、彼女はわたしに「──質問です」と言掛ける。
「他人のログを覗ける権利があるとしたら、あなたは使う? 使うとしたら、何を見ようと思う? ……何を知ろうと考えるかな?」
「……ぇ」
眼鏡を掛けた賢い人風なジェスチャーを見せられた所で、わたしは何もつっこまないが。
それよりも、もし、わたしに他人のログを覗ける権利があるとしたら? ……あるとしたら。
いや、あったとしても。
「……それは、与えられた仕事以外で使って……面白いんでしょうか」
「全然? 殆どのログなんて、意味があるようで意味なんて無い、オタクの不毛な情報交換みたいなもんだよ」
……ひ、酷い。けど、一理あるような気も……。
「ゃ、でしたら、わたしは別に使おうとは……って?」
その時突然、ファイユ様がわたしに抱きついてきた。
苦笑いしながら擁護の言葉を並べようとしていた思考が、ケープに顔を埋められた拍子に詰まる。
一体全体何の冗談かと伺い立てるも、この方はそれには答えずに囁いた。まるでしとしとと、言葉を落とすように。
「だよね。わかる。……でも、私は使ってるんだ。さて、それは何故か……」
ぎゅぅと力まれた。わたしの胸に顔を押し付け、声が篭る。声も小さくて、よく聞こえなくなる。
「ログは病みつきになるよ。その人の言動で、何が何処にあるかもわかっちゃう。中には恨み事や月が出ただとか、どおでもいいモノが多いけど、私にとってはそうじゃない」
「……はい」
「荳サ莠コ蜈ャの……居場所を突き止める、大切な情報源になるから」
「はい?」
なんて?
何かを言い終えると、ファイユ様は身を離していく。その瞑ったままの目と、不敵な笑みを浮かべた口元。その面差しは、なんとも……不気味な。
まるで、「聞き返すな。二度も言わないぞ」と……わたしの今何を言ったのか問おうとする意思が、削がれているみたいだ。
けれども、そんな顔を見せたのは一瞬の事で。
「それこそが魔法樹の中毒性! 他人を殺めてログを見る。情報収集をするには打って付けなんだなコリャ」
腕を組み、うーんと唸る姿はいつもの貴女様のよう。
(……ってあれ? 今、手を離し)
てしまったので、わたしの視界がまたもやパッと変わった。錆色の森は、何の音も無く夜の森へと早変わりだ。ファイユ様の姿すらも無いとは、これ説明通り。
木闇にポツンと立つわたしは呆然としている。
それがしは、ただいま色んな意味で唖然としてしまっている。
「──ごめんね、手を離しちゃった! 無意識無意識っ」
後を追うように現れた彼女が宣う釈明の雑さたるや。唖然の意味がもう一つ足されたなど、知る由もないでしょうな。
「……びっくりするじゃないですか」
「私もだよ。無意識って怖いよね」
それはさておき……ゥオッホンと、ファイユ様は手近な魔法樹の魂を弄びながら言う。
「そーれーでっ。ログを閲覧する行為なんかに病みつきになってしまう輩が出たら大変なんだぜって所で、例のゲスト君達だ」
「キキ様達……? あ、やはり大丈夫とは言えない何かがある……と」
「古魂の珠樹があの子達を種運びにした線も無視出来なくなったし。それがビンゴだったら絶望だぜ?」
種運びは一度では終わらない。
一度芽吹いた魔法樹は、再度種を運ばせる。
これを延々と繰り返させるのが種運びだと知らされ、わたしはファイユ様が蒼白く染まる事に共感しか出来なくなっていた。
「もしゲスト君達がさ、ログの開示を引き起こしてる張本人だと知られたらどうよ。あっれー、こいつヤバくねー? っつっちゃってさっ」
「そう……ですね。たしかに、キキ様達にも危険が及ぶかも……!」
そう考えると、居ても立っても居られない。
悠長に珠樹の捜索を明日に繰り越して帰ろうとか、そんな事を言っている場合ではないとさえ思い至──ッ!
等と話していた時──。
わたしとファイユ様は異音に気付いた。
それは、周囲全てから唸り上がる土の音。
「あっちゃ」
「……見つかったじゃないですか……っ」
わたし達の頭上を漂う二、三の魔法樹の魂がヤツらを照らす。
此処、吸魂の森の大地に潜む『亡者供』だ!
腐り崩れた肉や泥に塗れた骨を露出させ、残った本能のままに生者を襲う哀れ人!
腐臭を放ち、声にもならない音で呻き、次から次へと土の中から這い出して来る現状!
「──けれど、まだそんなに数は居ないですから十分逃げられる筈! ファイユ様!」
主様の手を引き、抜き身の刀剣を構えた。
古魂の郭がある方向──亡者供の層が薄い場所──森でのわたし達が居る地点を瞬時に繋げ、街への逃走プランを組み立てるッ。
「ククが楽しそうなら私はこのままでもいいよ〜。活路を開いちゃおうか」
「ゃ、別に楽しかないん……」
吸魂の双棒をリズミカルに振るファイユ様は楽しそう。
そんな彼女を見て、わたしも確かに……と思って、現状の打破のみにと尽くしていた頭の回転を緩めてみた。
貴女との共闘も楽しい。
こんな、逃走の可不可すら定まらない現状でも。
「──では、行きます! ファイユ様も全力で走って下さい!」
「はいはい♪」
逃走経路第一!
思い切り振るう刀剣の一閃が、亡者供を薙ぎ払う!
同時、開けたそれらの合間をわたし達は駆け抜けた──!
「ちぅコトで。一応、彼らもフォールに引き返して貰って置いた方が良いと思うの。まだ、そんな遠くには行けてないでしょうし」
「えっ、今話の続きをしますっ?!」
「やぁ、勿論まだ種運びが確定ってわけじゃないよ。明日『にんにくー』って叫びながら探したら見つかるかもしれないし」
「はっ? に、にんにく……?」
「あれ? 知らない? 物を探す時のジンクスでさぁ──」
◆
──いつの間にか、僕の視界はセピア色ではなくなっていた。
加え、暗闇でもなくなっていて……。
仰向けになった僕らが見ていたものは、焼け色の木々の下で、此方を見下ろす黒い顔だった。
やがて、それは言葉を発する。
──「シズミヤはどうした?」と──。
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