第ニ十月:『セピア色の脅威』
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巨大化する謎の大樹が、聖堂を覆い尽くすのはあっという間だった。
灯りの無いネクロの洞穴を走る僕とハウ、そして奪う者である小太りのオジさんは意を同じくして振り返る。
「ぅわ、どゆこと……ッ」
僕の目では何が起きてるか分からない。けど、ハウの獣の目ならば、僕らの後ろで何が起こっているかが分かったらしい。
「なになにッ、どうなってんの!?」
「あの樹、追いかけてきてる……ってか、穴が空いてたら手ぇ突っ込みたいタイプなんじゃねぇの? 分かるわ」
知らんがな。
ともかく、あの樹は聖堂だけでは飽きたらず、この洞穴中の空間と言う空間を占め尽くそうとしているようだ。
唐突に始まった脱出イベントだから仕方ないが、こうも採掘に汗を流せない事態が続かれるのは『もぉおおッ』である。語彙力が吹き飛ぶほど『もぉおおおッ』である。
「……ヤベェ。こうせきが……」
「え?」
僕らより幾分走るのが遅いオジさんの呟き。こんな自分の手すら見えない暗闇で、どうやって道を認識して走ってるかと思っていたら。
「道しるべに置いた『光石』ってモンがあってよ。……クソ、劣化版だったなありゃ。殆ど光らなくなってんぞ」
言われて僕も走る方向──暗闇の先に目を凝らすと、確かに微かながらにも光る点々があった。オジさんはあれを見ていたのか。……でも言う通り、その光は充電切れなのか、徐々に闇と一体化していく。
あれらが完全に見えなくなったらおしまいだ。
最悪、視界をハウ頼りにして重そうなオジさんの手を僕が引いて走るなんて、詰み選択をしなくてはならない。
「オジさん、もっと速く走れない!?」
「『薩摩さん』と呼べ! これが俺の最高スペックだよ!」
薩摩さん。故にさっちん。なるほど。
「でも、このままじゃ、あの樹に巻き込まれるって!」
「キキ、あの樹凄いぞ。すんごいキモいぞ。何十本もの触手に追われてるみたいで笑う。俺笑ってる」
「頭ん中で薄い本案件に変換してんなよリア充らしくもない」
さあ、友人への中途半端なネット知識にツッコミを入れ終えた所で、現状どうするかだ。
僕らだけなら、外へと続いてるらしい光石とやらを、見失う前に洞穴を脱出出来るかもしれないけど……ここで薩摩さんとバイバイするのは人としてもどうかと思う。
なら、いっそ詰み選択に走るか。
クソ重そうな薩摩さんを、力ずくで運ぶとか。手を引くのではなく触角を用いた補助を想像してみたが、これ僕走れるの? と、不安一杯になってしまった。だけど、数少ない選択肢の中では、チャレンジせざるを得ない話もあるわけで。
「……~~ッ、しゃあないよね……!」
意を決した僕は、ドッタドッタ足音を鳴らす薩摩さんの隣へついた。
「?! くすぐったっ! 何??」
「我慢して! 手を貸すから!」
くすぐったかろうがなんだろうが、触角を巻き付ける場所なんぞ考慮してられないし。そもそも僕が触角を操作するのは初めてだし? なんとなく補助めいた形ではあるが、僕は薩摩さんの体を前へ促す。それも、出来るだけ強くだ。
下手をして薩摩さんが転んだらどうしよう……なんて考えもしたが、流石は探索Lv100超え──と言った所だろうか。
比喩でなく物理的に重々しい足取りは、先程よりも随分マシ。多少なりとも凹凸のある足場も難なく駆け抜ける様子に、これなら、逃げ切れそうだと計れた。
──しかし、その時薩摩さんが、
「──しぃちゃん?!」
突然後ろに声を投げた。
「ちょおッ! どうしたのさ!」
いきなり体重を後ろへと乗せられたものだから、触角を引っ張られて首を持っていかれそうになった。
「……いや今、しぃちゃんが『待って』って……」
「……? んぁ……?」
オカルトでしょうか。そう言う話はウチの友人の苦手分野なのでお控え願いたい。
「何も聞こえないってか、あの樹が煩くて選別出来ないよッ。それよりもさ──!」
呆けてたら逃げ切れなくなる。今にも走るのを止めてしまいそうな薩摩さんを、僕は無理やり引っ張る。だがこれがいけなかった。
「──でぇッ、どあ?!」
触角が下へと傾いた。同時にドベチャなる無様な音が鳴った事から、僕の頭から血の気が引いた。
嗚呼、転ばせてしまった……と。
「うわぁあ! ごめッ、大丈夫!?」
「……平気よぉ……。大人を舐めんな。泣かねぇぞ」
わぁ、超逞しい。
なんて冗談を返す余裕はない。
「なら早く立っ──」
「キキ! くるくる来るくる速いはやいはやいはやい!」
迫る轟音が、一気に加速したのが分かる。これに映像を追加して臨場感を得ているハウが、薩摩さんを置いていかんばりに僕を急かす。
「待てってハウ、まだ薩摩さんが起っきしてな──ッ」
この一瞬、僕の声が掻き消される程にまで接近した渇いた轟音がピークを越え、ドップラー効果を起こしながら僕らを追い越していった。
……え? である。
あの樹が、この狭い洞穴の通路を埋めつくしながら進行していたのなら、僕らは既に飲み込まれ、グチョグチョにされててもおかしくないのに……。
「……あれ? これって」
樹がない……それどころか、視界が暗闇でもなくなっていた。
少し廃れた色というか、セピア色とも言える。
セピア色の岩盤にセピア色の薩摩さん。そして、セピア色の僕の体。これは、まさか。
「フォールの森で起こったのと同じやつ?」
「うん……。と、思うけど」
謎のステルス・タイム。いや、この場合は何に対してステルスを決め込んでいるのか分からないけど。
「……? なんだこりゃ……って、おい」
薩摩さんも同じように見えているのか、動揺を隠さない。
「ありゃぁ……『骨食種のベフモス』か……?」
「べ?」
僕らが走ってきた方を指差して言う薩摩さんに釣られ、色のついた遥か先を振り返ると……。
「うわ、あれってさっきのか?」
ゴツゴツしたカバみたいな図体の生き物を見て、ハウが苦く吐いた。
「さっきの? ……あぁ、骨を食べてたっぽいさっきの奴?」
僕らが蛇の化け物の体から這い出て、漸く一難去ったと思った矢先の一難だったもの。敵意こそ無かったが、お部屋を荒らしたことで、やっぱり譲れないものはあったのだろうか。
文句を言わねば腹も空かんとでも言うように、あのカバ──ベフモスは一直線に此方へと駆け出した!
「ほらキキ、やっぱ怒ってんべ!」
「いやいや沸点に到達するの遅くないっスか?!」
とにかく逃げよう。不可抗力であっても、縄張りを荒らしたのは事実。お詫びとして僕らの骨をどうぞ的な結末は勘弁でござる。
「──や、待て獣君」
「な、ん、でッ!」
ところが薩摩さんに止められた。僕の苛立つ声も空気として、この人は尚もベフモスの方を指差す。
「……あれ、追われてんぞ」
「……は?」
「よく見ろよ。ベフモスの後ろ……」
……え? と、僕もハウも言われた通り目を凝らす。
「──ッ?!」
息を飲んだ。
確かに、ベフモスは追われている。僕らを見付けて迫っているのではない。アレは──!
「『竜』!?」
ベフモスよりもやや大きい図体の竜が四肢急か急かと這い、凶悪な牙を向け、いざ『獲物』を喰らわんとする光景があった!
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