第九月:『ゼロ歩の進入』
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『踏地』は踏み入った場所から晴らされる。
六角形パネルに表示されたのは『未踏』表す灰色の塗り潰し。
この中央に踏地パネルを開示する者を示す黄色いポインターと、これを中心とした半径三十メートル以内の周囲の景観が、上図面形式で一面灰色のパネルから浮かび上がる。
曇を掻いた空に飛行機が見えた。
そんな印象だ。
加えてご丁寧な方角表示と障害物をモノクロ透過するシステムを使い、僕らは自分達の位置を確認しながら街道を外れ、奥へ続く雑木林に入った。
目的地は樹都フォール領域より南東。
踏地に景色を描き込むように歩き、東にある滝へと繋がる河に差し掛かる。──その時、踏地にそれらしい形の地形が現れ、そこ一帯に『ネクロの洞穴』との文字が浮かび上がった。
見れば水の流れに削られたような丘の切れ目に、件の洞穴と思わしき暗い入口が、ポッカリと空いていた。
「……ここ……だな」
四トントラックが丸々入りそうな穴口の様相に……脚が竦んだ。
水の飛沫で濡れた深緑の雑草が前髪のように垂れ下がり、自然に作られた感溢れる土石の壁と、河の水でぬかるんだ地面はヌチャヌチャ。極めつけに、多種多様な蟲蟲が這っている様子は、正直バーチャル世界でもお断りしたい物件である。
現実逃避気味に周囲を見渡しても、見えるのは葉の少ない痩せ細った木々ばかり。せめて木の実を頬張る小動物でも眺めて癒されたいーと願ってるのに、神様はこんな純朴の願いすら赦してくれないらしい。
ネクロの名を付けられている通り、目の前の物体から感じられるのは『怨』だ。
ただただ純粋な『怨』。
そんな雰囲気からして、動物はおろか、人さえも寄り付かない場所なんだろう。
此処を指してくれたキサクラには悪いが、正直『来るんじゃなかった』と、後悔していた。
「…………キキ……天気はいいぞ」
僕の肩に乗っているハウが、この『異様』に居たたまれなくなったのか、会話の方で花を咲かせようとする。
一応彼に合わせて、それっぽい単語を用いて花を咲かせてみようとは思うが……。
「ここ……には、『美少女』は居なさそうだな。どうするハウ?」
この僕からの問い掛けは、もしもの時のお約束である『美少女による救助』も期待出来ないのだから、無理して行く事は無いよと。キサクラには適当に話を合わせておけばいいんだよと、暗に伝えていた。
……でも。
「『開拓日和』って感じか? 要は、此処を開拓で鋪装してみるって考えてるんだな?」
僕の肩には日曜大工さんがおりました。
「……そんなの一言も言ってませんが?」
「ハッハッハ、俺は勘が鋭いだろ。いやぁ、キキが『死んでみよう』なんて言い出した事の延長かと思ってたんが、本当の目的は『開拓と採掘』って事じゃん? 変な自殺衝動を掻き立てられたワケじゃなく、実践的な事も考えてただけだったんだな流石ゲーマーおっしゃっそんなキキに俺もついて行こうじゃねぇの」(棒読み)
「……ぇ?」
……この饒舌さは……。
こやつ、僕が此処に来た目的を限定的にしようとしているのか。
「あのさ、確かに『開拓』の実践も兼ねた旅に~とかなんとか考えもしたよ? けど『最適な場所』ってのも見定めなくてはいけなくてだな?」
教鞭みたいに人差し指を立てて、やんわりと当該区域からの離脱を提案する。
なにも僕だって好き好んで死亡に固執してるんじゃないぞと。身の危険と判断すれば、脱兎の如く逃げますよと。
そう諭そうと努めたつもりだったのだが、残念ながら、ハウは僕を飲み込んでいる最中でしたとさ。
「人の話を、……聞け!」
「大丈夫大丈夫。なせばなるなさねばならぬなにごとも」(棒読み)
ハウの呪詛みたいな呟きを浴びせられ、綿毛モコモコの獣衣装が僕に纏いつく。
(……? こいつ、そんなに入りたいのか? ……いや、『開拓』がしたい……とか。だったら、別にここじゃなくても良いって、言ってん……)
これがさっきまで行きたくないオーラを醸していた友人の行動だろうか。
急にやる気を出したにしても、何のきっかけが。
「…………ぅ?」
眉から渦を巻く触角が伸び、獣衣装が完了した途端……『ぞわっ』と……。何か、妙な感覚が全身を舐めた。
獣衣装による感覚の鋭化が、バグでも起こしたのか……?
けど、そう思うには、あまりにもハッキリとしていて……一瞬どころか、『視線』にも似たその悪寒は……継続的で……。
「キキ。アレなぁんだ?」
後頭部からヒソヒソと言葉を打ったハウが、熱を帯びた眼を……まだ少しボヤけている僕の視界を開けた。
暗い、暗い洞穴の中。
人の目で見た光景よりも、幾分明度が増されていて、もっと、もっと……奥まで『形』が見える。……見えた形は、徐々に合わされていくピントにより、更に鮮明なモノと捉えられて……。
「…………て」
ハウは、アレはなんだと訊いた。
しかし、僕は見えたモノは見えた通りにしか言えない。
だから、答えは口に出して言おう。
「……『光ってる二つの点と濡れた牙みたいなナニか』」
しかもその牙みたいモノは、まるで『ニタァ』と嗤い剥き出されるように数を増す。「──あ……」と思った時には、既に『ソレ』は目の前。
洞穴の口一杯から、水の雫がひとつ垂れるような盛り上がりを見せ、陽光に照らされても尚暗いコレは、花を咲かせる様を呈して無数の牙を広げ──。
「──────ッッ!!」
一瞬で、僕の視界から明かりが消えた。
獣衣装を纏っていても、知覚するにも、反応するにも、ハウと談笑しながら此処を跡にするにしても、『僕らを喰ったコレ』の一連の動きは、あまりにも速過ぎた────。
◆
《 ──お掛けになった通話先は、通信範囲外であるか、通話設定を切断にされている為、繋がりません。ご用件をメッセージに残される場合は── 》
「……ファイユ様、不通になってます」
「へ? あれ? なんで?!」
「もしかして、キキ様達をもファイユ様が食べ」
「だから食べてないって! 私のお腹にゃ、誰もおりませんっ!」
◆
──────
────
──
全身を強く圧迫した『暗い肉』は蠢く。
奥へ。……奥へ。──もっと、奥へ。
呑み込まれていくとは、こんなにも絶望感に満ちていて。
飲み込まれていくとは、こんなにも屈辱感を覚えるのか。
とにかく最悪な気分だ。
「……ッ、~~ハウ! 『引っ掻き回す』!!」
「破くんか」
胸に余った空気を吐き出し、ハウと動きを同調させる。
開いた口に変な粘液が落ちてきた。──これも含め『気持ち悪いんだよ』と叫ぶが如く、獣化で肥大した拳から十の曲爪を解く。
粘膜を捕らえた爪先が腰を締め付ける肉を引き裂くと、痛みからか全体の肉が大きく畝った。
激しい伸縮は僕らに隙間を与え、更に更に更に体を回転させながら、ハウと爪を薙ぐ。噴出する液体は血か。それとも別の体液か。液に埋もれ、もう息も満足に出来ず……ならば、このまま動けなくなる前にやるべきなのは、『渾身の力を込めた切り開き』だ。
肉壁の局所を一気に掘るッ。
途端──爪が空を切ったと感じるや、液体の流れが『ドッ』と変わった。
つられて僕らの体もヌルンと流れ、ズタズタに切り開いた穴に液体もろとも滑り込む──!
「──ぃっだッ!」
次いでぶつかってきたのは恐らく地面か。全身を絞めていた肉の感触が消え、硬くてゴツゴツした物の上で仰向けになった僕は、一先ず軽くなった胸一杯に空気を入れた。
「……グっ! ゲハッ……ガヴァッ──ハ……。……はぁ、──はぁ……。ぇ、──ハウ? 死んでないよな……?」
「……ぁッふ……ッ。……まだやり直してねっさ」
いやに粘性の高い液体で服はぐっしょぐしょ。周囲でビチャビチャと鳴る液体にも嫌悪感を抱きながら、瞼に付着していた液体を拭い取る。
どうにか、よく分からない生き物の腹から出て来れたのは良かったのだけれども、
(……暗)
一瞬、変な液体に目をヤられたかと思った。けど、そうじゃない。明かりがほぼ皆無なんだ。
けどハウは、
「キキ、上見てみ。上」
「……えぇ?」
なにやら好奇心を含ませて僕を促す。
その先……。暗いけど、天井だと思う上から岩肌を大胆に擦って移動しているような『歪み』が見えた。
それを例えて言うなら……。そう、周囲よりも一際黒い……大蛇のような生き物……だと、思われる。
(もしかして、僕らを喰ったのって……アレか?)
こちらが音を鳴らさずにいると、やがて擦る音は小さく、遠退いていき……。後の静寂で、どうやら立ち去ったのだと感じた。
「……はぁ。いきなり喰われるとは思わなかったな」
「んで、臭いスゲェよ……ッ。『反吐』になった気分だわ」
ハウが僕の手を振り、バッチぃバッチぃと付着した体液を撒き散らす。臭いはもう、諦めろの範疇だ。──とも思われたが、都合の良い地獄に仏か。遠くの方から河程ではないが、滝のように打ち付けられる水の音が聞こえるのを、僕らは僥倖と捉えた。
「じゃあ、水浴びでもしてくるか?」
「野郎二人で水浴び? キキも趣向を拗らせると姉さんが変に興奮す」
この提案に、ハウは当然と言うように賛同したのだろう。
気張って立った拍子に、ブーツに入り込んでいた液体がブシュッと吹き出したので、それについて気持ちが悪いなと、僕は一人で思っていました。
「……てか、ここ洞穴だよな? ……出口何処さ」
「喰われてから、そんなに経ってないと思うから……近くにはあるんじゃないかな……。いや、多分だけども」
獣衣装の感覚鋭化のお陰で、ある程度の周囲の形は音の反響で、何となくは分かるのだが……。
今立っている場所の広さは、テニスコート二面分はあろうか。
モグラなんかの寝蔵っぽくて、少し高めの天井に、地面にはカラカラと音を立てる軽い木の棒のような物が、無数に散乱しているみたい。
(いやこれ……木の、棒……? か?)
靴を通してでも分かる、それらの滑らかな表面。形。硬度……。何となくだが、僕みたいな一般ぴーぽぅなんかは、食卓とかでお目に掛かる機会が多いもののように思えてきたわけでして。
「……うん。……はぃ」
一応述べておく。
僕──キキこと卯片築は、非日常な舞台を闊歩するロールプレイングゲームも好んでプレイしている。
ファンシーな世界感に浸って新たな扉を開きかけた事もあれば、ホラーな世界では定番の汚いトイレや、ゾンビが溢れる廃虚と化した都市なんかも目の当たりにしてきた。
だから、新しくプレイするゲームの世界感がどんなモノであろうとも、「あ、ハイハイ。ここはそう言う感じね。OKOK」と簡単に適応出来るくらいの肝は座っていると自負しよう。
よって、この足下に転がる棒が、例え『何かしらの骨』だとしても、「あ、骨だねコレ」などと、冷静沈着に解析しようじゃないかと、努めて僕は口を開いた。
「……骨とか、ウソだろオマエ……」
「? どしたキキ?」
朽ちた骨が、軽く踏んだだけでカシュッと砕ける。
中には簡単には折れず、まだ新しそうな物も……。チキンの骨って代物ではない気がした。
「ネクロの洞穴って名前だからさ、色々と予想はしてたん……だけど……」
「ほう?」
この発想、連想も、今までのゲーム経験からくる予感である。
「──ここはあの蛇の排泄場……と、言うよりは、なんかの巣だろ」
「……す」
暗闇に慣れ始めた目で振り返れば、後ろにはこんもりと積もられた無数の骨。
見た感じ、ここ一帯が大きな『ベッド』に思う。
あの蛇の? いやいや、イメージとしては、本当にモグラみたいなモノがいるではないかと……。
「…………?」
──ふと、水の音が聞こえてくる通路から熱気を感じた。
熱気は一定のリズムで、塊を成して吹き掛かる。
「なん……?」
……正直、僕は『ソチラ』に興味を向けたくなかった。
けどハウの好奇心の意識には逆らえず、僕らは『入室者』を……その、爛々と光る双眼を目撃してしまった。
この時の気分を敢えて言おう。
洞窟に入ったら、いきなりボスの部屋からスタートさせられて、強制バトルイベントに繋げられた時の、『ちょっ、待っ! 心の準備がッ!』に、酷似してると──!
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