第三月:綿毛の獣の課題『一分間生き延びろ』
◆
左前右に並んだ六角パネルに表示されたシーンは其々三つ。
その内のひとつ──『紫と紺の巨大鎌』と『魔法樹の巨兵』との衝突の瞬間を、二分後に控えたシーンに指を差した。
【ハウ様の簡択の証人は『あまねくもの』です。それでは、サラセニア時刻を、巻き戻します──】
途端に、暗闇と白い二等辺三角形だけだった世界はギュルンと転がる。
白と黒の淡白な光景から突如として戻った森の明るさは暴力的で、トンネルを抜けた時のような逆光に思わず目を瞑ってしまう。
目の代わりに『戻った状況』は、モフにツンと立った獣の耳が、軽めの足音と重い足音を伝えてくれた。
今は俺が巨兵に潰される直前の二分前の場面だと理解。俺達が樹にされる直前の三分前のシーンだと確信する。
続いてむせ返る程の土と草木の臭い。
小さな全身を包む綿毛が生暖かい風に靡き、せっせと走る少年の髪が踊って鼻先を擽っていく刹那の一コマは、少しこそばゆく、それと……少し安堵した。
森林浴には向いてそうにない陰鬱な雰囲気の森の中で、俺は再度『死亡事態を回避したんだ』、と。
「──ッ!? あいつ、いつまで追い掛けてくるつもりだよ!」
早速後方で木々を震わせる轟音と土埃が立ち昇り、キキが悪態をつく。けどまだ、このシーンは穏調と言える状況だ。
俺らを追いかけてくる巨兵──ゴーレムって言う角張った若葉色が、足跡のついた地面を殴り、平和にほのぼのと育つ草花を土砂ごと圧し壊した。それだけの話。
最初は、あんなゴーレムの一挙一動に肝を冷やしていたが、三度目ともなれば少しは慣れるものさ。
押し潰されたり樹にされたりは論外だとしても、今だけはヤツの攻撃が俺やキキに当たる事は無い。それを知っているから、俺はあえて悠長に、見覚えのある木漏れ日が過ぎ去っていくのを眺めながら、追われている時間の再経過を噛み締め、細く──長く──息を吐き出した。
(『やり直し』──か……)
思い起こしたのは一回目の履行。
ゴーレムの下敷きになる寸前での事だ。
デカイ鎌の柄に払い飛ばされた俺は、同じく退かれた巨兵から逃れる術を持てず、死亡が確定する場面に陥ったらしい。
ところがだ。
この世界──サラセニアの案内人、二等辺三角形……。自称『あまねくもの』が現れるや、世界は暗転。
全ての音、全ての気配、遠くから俺に手を伸ばそうとしたキキの姿も消え、目の前にはあまねくもののみが残った。
あまねくものが淡々とした女性の声で述べたのは、【無系統死亡の確定】【死約事項規格外特例処理──『死亡回避』の発動】。
彼女(だと擬人化したい)の監視下での死亡が確定されたらしい俺に、あの三角形は『準ゲスト特権』だとする死亡展開を回避出来る機会を与えた。
簡単に言えば、これが『やり直し』。
──準ゲスト特権とはまぁ……。
キキは『ゲスト』で、俺は『準ゲスト』だと位置付けられていたとは初耳だが、何故そう区分けられているのかは訊きそびれた。
その後の説明を理解するのに必死だったのだから、しょうがない話だ。しょうがない話なのだよ。
特権の発動は、まず『選択』から始まった。
想定上回避可能と判断された場面。死亡フラグが建築される前の映像が嵌め込まれた選択パネルが登場──勿論いつもの六角形。時間別で最大三つのシーンを映した選択肢だった。
俺は促されるままに、飽くまで任意的に、戻るシーンを選択する。すると、死亡が確定した時間から選択した時間までの間の時間──『改像内致死』という死約ペナルティーが俺に課せられるのだが……。
死亡が確定した時刻から、戻ると選択した時刻までの時間をnとすると、『やり直し』により戻った時刻からnの時分が消化されなければ、nの時間内で死亡が確定する事態になっても、『死亡回避は発動しない』。
再度発動させるには、nの時分を生き残り、経過させなければならない。
でなければ、死約ペナルティー『改像内致死』が適用され、俺には本当の死亡処理が履行される……とのこと。
つまり、やり直す時は確実に死亡展開の回避が必須。
本当の死亡処理なるものがどんなものかは知らないが、回避するに越したことはないのだろう。
前に築とプレイした『死にゲー』とか言う鬼畜ゲームとは微妙に違うのは確かだ。
要は、がんばえ~の一言に尽きる。
なんじゃそら。
兎にも角にも、余裕は綽々もどき。
二度目の『やり直し』が履行された今回、ここからの『改像時間三分の内』はキキよりも『知っている』と。俺は『賭けられる』と、自身を鼓舞する。
そして、『だったらこうならどうだ』と思い描いた道筋を示してみた。
「キキ。獣衣装のタイミングさ、俺が決めていい?」
「は?」
唐突だろうがなんだろうが、急にそんな分かったような事を提案してきた俺を、キキは森を駆けるまま見上げた。
なんとまあ、怪訝な眼差しである。
……そりゃあ、コイツから見れば、俺はゲームに関してはド素人。ゲームに於けるお約束の展開とか、立てておいて損はないフラグの見分け方なんざ、そこら辺の野花みたいなもの。
気にならない限りは、どうでもいい。
そんなレベルの認識でいる奴に向ける目としては正しい。十点満点を与えよう。
──って言う意味を込めて、いつもならニカッと笑い飛ばすんだが……綿毛の獣のままじゃ、上手く表情が作れないってのはどうも……。コミュ殺しの仕様だなって思う。
だが、そうしようとしたのを察したのか。キキは、
「……いいけど、気持ち悪くするのは無しで」
なんて、無茶な条件を付けて了承してきた。──ので、その条件は思う存分破ってあげよう。その方が姉さんも喜ぶしハシャグ。
さて、空は何気に晴れ。獣衣装の主導権を得た俺は、小さな獣の手にキキの髪を絡めると、晴れやかにコイツの操舵役も買って出た。
「すぐそこの丘を越えろッ、向こうから人の声がする!」
「なにそれっ? ……全然しないんだが。獣の感覚特化?」
「いいから行くぞ! すがりたいだろ!?」
「すが……て、ぇぇ……?」
前回ハウとしての死を迎える時間は約三分後だった。
故に、今回の改像時間は約三分間。
改像時間内は、死亡が確定した時刻までの間は、なるべく同じ行動をとった方が無事でいられる可能性が高い。……とも考えたが、強制的に樹へと転生されるなんて展開を回避する方法なんてあるのだろうか。
獣衣装を纏えばタイミングで詰む。
纏わなければ俺らのスペック的に詰む。
どう足掻こうと詰みになるのであれば、二度目の道筋には進まない方が最善。
だからこそ俺は、キキに目前に迫る地層剥き出しの小丘を越えろと強制する。一度目の時は不格好ながらも乗り越えた障害物だぞ。大丈夫だ。問題ないと、髪を操縦桿の如くグイグイと引っ張って、全速前進だと指揮を振るうのだ。
「ああ゙ぁあ゙ぁ、アあ゙あ゙あ゙あ゙ッ!?」
「いいぞ、がんばえ! ──そこの道は無視なッ、突っ切れ!」
やはり不格好に小丘から着地した混乱気味のキキに、道無き草道を指し示す。
この先は初見時のアレだ。俺がゴーレムに押し潰されて死亡する展開に繋がるルート。
「川がありますがっ?! これも越えるのか⁉」
「岩! 岩を飛び移れ!」
「……岩ッ? ……転んだら赦せよ……!」
このルートは、二度目の展開よりも死亡が確定する時刻になるのが早い。例え川を越えた直後に来るだろう巨大鎌を躱したとしても、そこからの展開は未知話。
残る改像時間は単純な計算だけど、きっと一分程。
それは、死は死亡へ繋がる当然の一分間で、最悪の中で最良を夢見る一分間で、何が起こるか分からない一分間だ。
待ち構えているあの男女による討伐劇が拝めるか。はたまた鎌の持ち主が悪怯れながら現れて、なんだかんだのやり取りの後に、獣衣装を纏った俺とキキが正門へ逃げるチャンスを作ってくれるとか。
悪い事など起こりようがないなんてお気楽思考を基に考えた、ゲーム素人の体の良い想像だが、どうせ何が起こるか分からないんだ。
築の姉さんも言っていた事にある、『最悪を想定するなら最良もね♪』ってやつに習い、未知の一分間に最良の『奇跡』が起こるのを賭けたっていいじゃんか。
それが俺なりの楽しみ方だ。
異論は受け付けるぞ☆
「──ッ! っ越えたァ! ぃよしッ!」
最初の通り、キキはおよそ人間らしくない獣的な足運びで川を潰す岩々を跳ね、濡れる事もなく草地に着地。
ゲームで超難関クエストとやらをクリアした時のような、らしくないガッツポーズを決めていた。
「おお……。キキ、もう一回やってみ」
「聞こえませんなッ」
アンコールには応えてくれないそうで。俺が寂しさのあまり川を振り返れば、ゴーレムは障害物なんぞなんてその。岩を踏み砕いて突き進む姿は何処ぞのストーカーにさも似たり。
「──人! 本当にいたんだ」
憶えに逆らわず、キキが土道の遥か先にいる人影を見付け、獰猛な巨兵を見付けた人影は逃げ惑う。
反面、二つの影はもう落とされる事の無い強固な拳を振り上げた巨体を指差し、捕らえる為の青白い光の筋を数多の樹木に編み上げる。
「クモの巣か……?」
森を荒らす重い地響きが『その時』へのカウントダウン。タイミングは前回で躱した通り。圧して迫る殺意が最も濃くなる瞬間……。
(五、四、三……二──ッ!)
上段から拳を振り降ろそうとしたヤツの最後の踏み込みが為された『一』の音が合図だ。俺は小さな体にはおよそ似つかわしくない大口を開くと、すかさずキキを飲み込み、問答無用の獣衣装の装換へと移った!
「──えッ?! おま……ちょっ!」
突然の半獣化に驚き、足を躓かせて転び行くキキ──。
加え、舌状になった俺の頭上を、突如として彼方から飛来して来た巨大な鎌に襲われ、背を砕かれながら飛翔する大きな若葉色──。
巻き起こされた突風が森を形作っていた全てを次々と剥がし、乱雑に舞い上げる光景を脳内カメラでパシャリと撮る俺──。
築クオリティで表せば、『鐘鳴火急に醒めよ』なる事態と言えよう。
ストーカーチックな巨兵と網の激突は、どんな寝坊助でも叩き起こすような爆音を生み出し、森の静寂をこれでもかというくらいに破り壊した。
「──今の、な……なんの音……ッ?」
「見た感じ、ラクロスっぽい一幕かな」
どんどん綿毛の半獣になっていくキキに覆い被さりながら、一分間の幕開けにはお誂え向きな、自然を賑わす木の葉吹雪が舞う。
ゴーレムの巨体は、より広く大きな網に凭れ、やがて力を無くし、ズルズルと網から滑り落ちて行く。
──そして、とても楽しそうな『イベント』が、ヤツの図体の落着の瞬間を以て、緞帳の幕開けとなった。
◆
──片や、『狩り』を目撃した狐の娘は震えていた。
古魂の郭の東口入館所。
年輪円路の最も内側の一番円路と直結しているフォールの中心施設の入口。
森の主より預かった破れたケープを抱えた狐の娘は、遥か頭上の大テラスから放たれた、『とある方の尻拭い』の行く末を見届けていた。
結果は、傍から見た彼女は臆病な家畜のように、カタカタと脚を震わせた姿に落ちる。
血を求めて、あどけなさの残る年重の少女の頬を舐めて怒られた少女は何処?
開拓下位級組の群れを一網打尽にしていた時の、気兼ねの無い少女は何処へ?
小さな綿毛の獣に、鼻高に教鞭を振るっていた少女は何処に?
あれら全てと、今の彼女が同一人物だと言える者が傍に居ない事は、この娘……パジャマ姿のキサクラに勝手な行動を取らせる不運となる。
かと言って、突発的に『通話』を開いた狐の娘を誰が止められようか。
ふたりのゲストが、権威ある少女に指された正門の方角へ赴いたにも関わらず、『凶威』は放たれた。
放った本人が大テラスの端で何事も無かったように頬杖をつき、黄昏始めた姿を遠目に見たのならば、彼女の選択肢は既にひとつなのだから。
そもそもキサクラは先に宣言していた。
「キキ、ハウ、後で通話しよぅね」と。
ならばこれは、彼女の行動を早めたに過ぎない。
どの道、遅かれ早かれ起こされた一幕ではあるが、少なくとも良い意味であれ悪い意味であれ、『タイミングがズレた』のは、ここからであった。
◆
改像時間の未知話で、最初に声を弾ませたのは『F.I.(エファ)』だった。
「そこの獣の人、大丈夫だった?」
大地にハグした俺らに、頼もしげなお姉さん口調は凶器だぞと。
まるでカフェテラスで紅茶でも奢られているかのような雰囲気を漂わせながら、彼女は足蹴にした魔法樹の巨兵を大地に縫い付けていく。
繭……とかかな。
蚕が糸を吐き出す様子を想起させる細い指先は舞いに舞う。都度、『開拓』の光筋がキラキラふわふわと放たれ、ゆるりと降りた先で鋼鉄の繭へと変貌していた。
「なにこれ、ふつくしい」
優に厳と成る魅業に感嘆が溢れるが語彙力が死んでいた。
「ふ? 誉め言葉ならありがとーう。……うん、大丈夫そうね」
綻ばせた頬にサムアップを添え、よりお姉さんっぽく振る舞うエファさん……もといエファお姉さんの次に──
「オメェ、どっしゃあモンに食い付かれてンなぁ↓↑ わりぃこんつぁしたか?」
と、クビレのある長い六角棒で、編まれた繭をガンガンゴンゴン打ち付けながら、妙な喋り方をする男が絡んできた。
名前……は、忘れた。
「えぇっふあぃ↑ 実に見事ん『氷鉄』だ↓↑」
「お値打ち物ですから。田々の雷鉱と、良い勝負しているでしょ?」
戦友の掛け合い。二人は互いに積み重ねてきたのであろう識感で撫で合うと、やはり前回と同じく、一方はエファと呼べと、一方はでんでんと呼べと締め括る。
そして余り目をくれるように俺らを向いて、言い改めた。
「獣君……いや、半獣君か。キミが『コレ』に追われてたのなら、なにか特別なコトをしでかしたってぇ、話になるんだけど……。どうなの?」
他人のトラブルは蜜の味ってか。
エファお姉さんは、纏った植物素材っぽいドレスコートと朱色のグラデーションが鮮やかな長髪をふわふわと踊らせて訊く。
「まさかと思っちゃうんだよね。まぁさぁかぁ……森の主を怒らせたとか?」
熟れた果実のように綺麗な髪を舐めるヘアアクセサリーが揺らめく。本来ならば腰に着けるのが相応だと思われる『悪魔の尻尾』に角が付いたヘアアクセサリーだ。
頭部を保護しているのだろうこの装飾は、違和感を超越した無邪気な妖艶さを演出。後頭部から尾を生やしてますって主張に、俺は何をどう興奮すれば良いのか、もぅわかんね。
「……怒らせた……と言いますか、ちょっと雌雄決着を申し込まれまして」
彼女の様相は、ゲーム等で見受けるファンタジーな世界観に日々浸っているキキにとって『普通』なんだと思う。だからこそ、即座に身を起こしたコイツは畏まり、声を作り、姉さんの戯れに習った『紳士的な対応』を披露した。
勿の論、俺は笑う。そんで堪える。
素晴らしく完成された振る舞いを受け、エファお姉さんはくしゃりと笑った。けどそれはキキの功績についてではなく、
「雌雄決着! ……いいねえ、滅多にない激高じゃないさ。アーツレイの真っ赤になった尊顔が拗然に歪む様を拝見したい人生だったわ……」
ほぅ……と、感嘆と吐息を漏らすお姉さんは……あの娘の追っかけみたいな人なのか。
確かに、容易に位の高い人物に会える訳ではない者にとって、厳粛に努める顔は馴染めようとも、プライベートに咲く無為で無垢な表情の変化は無縁の花。
拝めれば、その日は良いことがあると心踊らせるハプニングになるんじゃないかと。
……なんて、思ったんだが。
「獣の少ぅ年、騙されるなよ? えぃふあのあんツラは、下卑だ↓」
「げび?」
「権力付き手練れが憎しの腐った性根よ。腹ん子は、アーツぅレイに唾ぁ吐いて嗤っとくってな↓」
百々のつまり、アンチだった。
そんな翼派が或る程に、ファイユって子は一律信仰の象徴ではないという事。誰しもがサクラのように、果てはキキのように畏まる姿勢を見せるのではない。
何をきっかけにしたのかは知らないが、エファお姉さん側に立つ人物だって或る。
神様のバランス取りとは聞くが、何処の世界でも耳に毒だなと、俺の獣の耳が萎える様を表して垂れ下がった。
「田々! ……今この森の中で、その話はご法度っ。樹にされたらどうするのさ」
「なぁら、でんでんと呼べぃや→↑!」
「はいはい、デンデン丸デンデン丸」とエファお姉さんが億劫そうに声を吐き落とす。同時に舞いは終わり、編まれた繭は光を静ませて、完全な『氷鉄』の塊としてゴーレムを閉じ込めた。
もう、奴の若葉色など微塵も見えないくらい、満な仕上がりだ。みてくれがおはぎかと。
「それで……半獣君はなに? フォールの学徒生ではないよね。お客さんかな?」
もう捕らえた巨兵には興味が無くなったとするように、軽やかに繭から飛び降りたエファお姉さんがキキに詰める。キキもキキで、自分達は外に出るべく正門へ向かっているとの旨を晒していた。
──今のところ、対して身の危険は感じられずに数十秒。会話だけの時間が進んでいる。出来るなら、この状態で一分を消化させられればいい。
とは望みつつも、俺の目は忙しなく周囲を警戒。まだ何か飛んでくるかもしれないのに、花咲き始める会話に俺も俺もと飛び込む訳にいかな──
≪ パロポレノン♪ パロポレノン♪ ≫
と、思った矢先の事。目の前に二等辺三角形が出現し、唐突にスマホのアラームのような、変な呼び出し音が鳴り響いた。
「なに、通話?」
あまりにマヌケな音にエファお姉さんが怪訝な顔で脱力し、覗き込む。──が、二等辺三角形に表示された『キサクラ』とのロジカルな文字を理解するや、彼女は表情を強張らせた。
「──キ、さくら……って。狐のさくら? それ、アーツレイ宅の狐の化身じゃ……」
「狐の……?」
(けしん?)
キキの鳴き問う声など梅雨とも介さず、一歩──また一歩と後退り、『半獣』を見る目を澱ませ、
「そう、そういう事か。……半獣君は、新しく入ったアーツレイ宅のペットですかッ」
「先輩ペットにアーツレイへの忠誠心を開眼させられていたって事だね!」等と、みるみる態度をアンチサイドへシフトさせていくこの人は、此方の戸惑いなど思考にも眼中にも置かず──《 パチン 》と、指を弾く。
細い指先から放たれた乾いた音は意外にも大きく響き、穏やかでは無くなった空気は、目に見える形となって表れた。
「うぉっほい↑ えっふぁあ!」
「F.I.って、ちゃんと呼んでください!」
何を起こされたか。後ろの繭が『消去』されたのよ。
瞬くよりも早く、強固そうだった鉄の塊が光になって蒸発した光景は、まさに消去と言えるが、でんでんを焦燥させるにも至る。
折角捕らえ、動きを封じた大獲物を、あろうことか解放するなんていう、錯乱とも取れるエファお姉さんの奇行。好き嫌いのみを優先させたのだろうその選択。嫌いなものと繋がるものは全て嫌いだと主張せん勢いで、彼女は新たな『開拓』を行う。
「おいおい……。冗談だろ」
立て続く事態に、今度はキキが後退った。
虚空を引く彼女の指先は舞わずに掻く。それこそ、嫌いなモノは全て消えろと、代弁しているかのような荒々しさだ。
確かに俺らは『キサクラ』なる人物や、ファイユたる公人と出会った。会話した。闘った。けど、それだけでアンチに立つ者に、ここまで牙を向けられる話になるのだろうか。
嫌悪の深淵が穿たれ過ぎてはいませんかね?
繭なる拘束を解かれ、若葉色の巨兵は立ち上がる。──が、それだけではない。そんなゴリゴリのマッチョマン風で淡白なデザインだった魔法樹の魂の集合体は、立する過程で変化させられていく。
エファお姉さんによる開拓──作品だ。
新たな姿は、より追跡者として、又はより執行者として相応しい形。
謂うならば──翼を携えた女兵。
神々しくも若葉色の光を放つ兵はやはり巨大で、四葉のクローバーを凶器に変えたような槍を握り、背には同じ槍を幾つも後光の如く備えた円盤を属させてて、過度な装備数だなと思わせる。
前のデザインでは無かった顔は凛々しく、瞼を下ろし、兜から滝のように下ろされた光る糸がサラサラと靡く髪を表現。輪を書いて厳粛そのもので、見るからに触らぬ神に祟り無し。『触れたら怒りますけど何か?』とでも言わんばかりの佇まい……いや、浮きずまい(?)だ。
だが唯一、この圧巻たる空気に俺らが飲まれ切らなかったのが、未だ鳴り止まないサクラからの間抜けなコール音である。
可愛くて分かりやすいからと、あの娘が半強制的に設定していたが、こういう事態への対処としても使えると考えての事だったのだろうか──否、それは無いな。
改像時間の残りは、もう半分も無いとは思うけど……。
面倒そうな局面に入ったなと、俺はキキに被さる帽子状の体を萎えさせていた。
「さあ! 続きをさせてあげる! 思う存分、アーツレイ『様』と謳えば良いわ!」
なんだかエファお姉さんが召喚したようなノリだなと。逃走劇の第二ラウンドのゴングでも鳴らすように、木漏れ日を仰がせた指揮腕を豪快に振り下ろされたのを見届る俺なわけで。
(ケンカ吹っ掛けられたっても、相手が駄目なんよなぁ)
いや、吹っ掛けられたのは、正確にはキキかもしれない。その証拠に、女兵が両の手で突き立てようとする槍刃の標的は、キキの土手っ腹ではないか。
でも、当のコイツは女の豹変ぶりに言葉はおろか、選択肢すら無くしたご様子なので、活に叫ぶ。
「キキ、逃げんぞ。呆けんな!」
「……っうはッ?!」
突きに刺さん渾身の一撃が場を裂く。巨兵の延長された意思か。将又、エファお姉さんによる操舵か。──とにもかくにも、豪と放たれた槍の激動は、周囲の魔法樹諸ともブチ壊す破砕の輪を拡げた!
「冗談だろッ!!」
「あはははははははははははははは! 私に乞えッ、アーツレイの捨て駒!!」
アーツレイとやらは、この人になにをしたというのだろう? 地花火の如く散々に撒き散らされる土砂の向こうで、完全に闇落ちした女性が雄叫び嗤う。
相方であろう男性に至っては、糸みたいな目をして「始まったよ……」とでも言ってそうな呆れ顔をしていた。
いつもの事過ぎて諦めているのか、彼女を止める素振りすらしないようだ。
──だったら、
「……えっと。キキ、正門って、あっちだよな?」
「ぅ、土が目に……ッ。そ、うだよ! けど、こいつらすんなり通してくれるかどうか……」
まあ、俺はこのケンカ、買う気はないし。──ってことで、俺は獣衣装に催されたキキの体を俺の意思で動かし、述べる。
「だったら押し通るんさ。こちとら逃げ足に自信ありだろ?」
「いやだからって、おま、ぁッ──?!」
半獣状態のキキの身体は羽毛のように軽く、たった一蹴りの踏み込みで人以上の加速を実現させた。草地、幹、枝から枝へ、正にジェットコースター。二度瞬く間に、俺らの移動速度は築が運転する自転車の数倍に達し、あっさり女兵の背を取ると戦いなんぞ何処吹く風。正門に向かって疾走を始めた。
「──ッ!? 逃がすな田々! 仕留めなさい!!」
「合点んんッ! 仕方ねぇ↑↑ 話だぁあ、赦せ少年よぉおぉおぉお!!」
名前が『たた』だか『でんでん』だかハッキリしない男性が、大仰に長棒を振り回し──これまた先の女兵と同じく武器の端部を地に打ち付けた。
──しかし、起こした現象は丸っきり違う。
地を着けた端部とは逆、天に向けられた端部が《 バヂンッ 》と蒼白い稲妻を弾けさせ──、
「『雷鉱石』ぃをぉ↓→↑↑ 知ぃってるかあ!!」
盛大に土が撒き散らされた次に、森に轟いたのは雷鳴。一帯が影という影を失い『白』に包まれる。魔法樹が織り成す枝々の編み込み線を重複させるような無数の稲妻の一斉発光だ。チリと焼ける綿毛が瞬時に火を吹き、大気が破れる轟音が鼓膜を──思考を殺す。
彼が放った一撃は、『雷』と謳う通りの自然のモノと遜色無い強大な雷撃を発生させていた──!
◆