第二月:樹都の森で逃げる様を『二つほど』
◆
樹都の森は樹上街である樹都フォールの傘下、『古魂』と呼ばれる世界樹の周囲に群生している魔法樹『吸魂』から成る。
百個近い数のドーム球場が収まってしまう規模のこの森には『主』が定められていた。
それはファイユ・アーツレイと言う一人の少女。
個々の樹木には、彼女が唯一の主だと傅く魂体が宿り、それらは時に灯りの降りぬ大地を照らす光の珠として現れ、それらは時に主の身を守る兵として形を成すようだ。
──『少女に寄り従い護る魔法樹の魂』──
話に聞く分には、とても綺麗で幻想的な絵に思える。
だがしかし、そんなものは実害を被る心配の無い別の世界での設定──対岸の火事にとどまってほしいと僕は泣く。
何故なら、今現在僕と友人は、主に刃を当てたと怒り狂い地を穿つ彼らと、不本意で本気の追い駆けっこを強いられているからに他ならないって話だからだ。
「キキ! 獣衣装した方がいんじゃね!?」
「出来るなら僕だってそうしたいよ! でも、あのゴーレムが八秒も待ってくれると思ぅ……?!」
言い終える前に、僕の声を掻き消す爆音が森を揺るがした。元凶は葉色の巨躯が放った拳打による激震。
主へ危機を及ばせたと怒り狂う魔法樹の魂の集合体。結晶質でとにかく角張ったゴリマッチョ風の躯体の兵『ゴーレム』の一槌だ。
奴は僕らを追う。
八メートルを超える巨体で追い続ける。
大地に残した足跡さえも憎いとでも言うか如く、剛腕を振るいながらしつこくしつこく、呆れるくらい追ってくる。
終いにはこの森の木々──魔法樹を都合良くすり抜けて突き進む反則仕様ときたものだ。
もう正に脅威の一言。
そんな物を背に、『キキ』以前に『卯片築』である僕は、拳大の綿毛の獣『ハウ』なる姿の友人『友井春』通称『シュン』を頭に乗せ、ファイユさんに教えられた樹都フォールの正門へと爆走していた。
生存任務『逃走イベント』。
捕まったら終わりの緊迫場面。
それ故に、もう死に物狂いの全力疾走なのである。
「『築』にしては、バレバレだよな……。ステルスチート(笑)は?」
ハウが後ろのゴーレムを一瞥した後、にやけたような声で聞いてきた。返す言葉は「このやろう」に尽きる──が。
「意識はしてるさ……ッ。けど、あの様子だと、大して効果無いんだろ!」
この友人は、ただの空気属性だと小馬鹿にする僕の能力。
ステルスチート。
実世界はおろかゲームの電子世界ですら通用した『誰にも気付かれない』隠密の才。音を出そうが触れようが、誰一人として『卯片築』を認識出来なくさせる天性の能力。
つい今朝方まで、この力を使い、数々のMMOオンラインゲームで悪さをしては動画に収め、ネット上に公開すると再生数ゼロを継続させて、『ステルスチート能力者、卯片築は此処にあり!』……などと鼻を高くしていたものである。
今回もいつもと同じ。
魔法樹や小丘の影に入ってはゴーレムの視界から消え、やり過ごす場面を何度も作っていたのに、こうも無意味に帰されてしまうと……。
「ハウが目立ち過ぎてるとかかな」
「な、にをぅ……?!」
そんな風に思うだろ。
こんな薄暗い森の中なんだ。ハウの真っ白い毛はとても目立つ。現に木漏れ日に照らされてキラキラしてるし。
「試しに遠くに投げ……二手に分かれてみようか。それならステルスチートの効果が発揮するかどうかハッキリするんじゃない?」
「『投げ……』って、こら。おぅおうにぃちゃん、オリャア野球ボールと違うんぞッ?」
愛らしい獣の恫喝を見た。
何気にダジャレも含めた冗談のつもりだったのだが、上手く通じてくれず残念だ。難しいな。冗談って。
……けれど、こんな能力が役に立っていない状態でも、『危険』が押し迫っているからか、急く四肢は妙に機敏。
体を動かす系のゲームはしない主義を貫いているから、走る速度には一抹の不安を抱えている筈……なのにも関わらずだ。
地層剥き出しの小高い段差を駆け上るわ、丘の先に現れた溝状の土道へと飛び降りるわ……中々にあくろばてぃっくな動きが出来ている事に驚いた。
不恰好な着走で足を挫きそうになったりする場面は、ご愛敬の一言で合掌。空気を読んで、無敵タイムなんだねとか言ってほしい。
そんな雑念に駆られていた時。
ハウが、
「……人の声がする」
僕の耳では水の流れる音しか聞こえない方向を指して言った。
「よしッ、行こう! すがろう!」
「すっ、すがろうって」
正門方向へと続く土道からは少し逸れるが、その方向にいるらしい人がフォールの人間だとするならば、後ろで力の限り暴君に努めるゴリマッチョさんを黙らせる手をお持ちかと思われる。
思えばこの『サラセニア』と言う世界に入ってから一時間半が経過しているだろうか。ククさんに連れられ登山のつもりで樹都を歩き……。次の場面では、それ以上の距離を走り続けて、今も又ヒィヒィ言いながら森を駆けている。
普段ならアンチスポーツマン的で不健康な不動明王と化してゲームをしている身なのに、酷い話だ。
そうしてひたすらにひたすらをかけて求めたのは『打開』。
ククさんもファイユさんも付いていないこの状況では、道行く人は全て天使と言えよう。窮地からの脱却が期待出来るかもしれないのだから、すがろうが乞食ろうが、助かるならなんでもいいのだ。
よって、ヘイボーイエンガールプリーズヘルプミーと声を上げるのは当然の権利であります(?)。
やがて鬱蒼とした樹都の森を冷たく分断する小川が現れた。
数多の岩石で押し潰されて、所々で水飛沫を上げては垂れた木の葉を濡らしてた水の音の源。
「──ハウ、ちゃんと掴まってないと水に落ちるからな!」
「え。マジ? ジャンプ? するん? 『築』のジャンプ?」
ハウが矢継ぎ早に不安を吐露する通り、僕だって己のあくてぃぶな才には判など捺せん。卯片築の運動能力は信用に足らん? ああ、その通りだ。
こんな者に乗るのならば、常に一寸先のゲームオーバーを心掛けよ。
ってコトで、眼前の岩塊を目標に定め、僕は前屈みになって加速する。
「──ぉおぉおお、オオオオッ!!」
多分無駄な気迫だろう叫びを放つ。そこからはもう、スポーツ番組の見よう見真似だ。
ハウが頭に爪を食い込ませたのを合図に、眼前で沈む一メートル強の高さの岩塊に飛びつくと、走る勢いを緩めず『ホップ、ステップ、ジャンプ』の要領で次から次へと岩塊に飛び移り、そして──
「ッた! 越えた!!」
自分でも信じられないくらい獣的な動きだった。
言うなれば正に奇跡。
再び土道に降り立った僕は小川地点を完全制覇した見事さを、ガッと右フックをショートにしたガッツポーズで締め括った。
「おお……。キキ、もう一回やってみ」
「聞こえませんなッ」
残念ながら僕の奇跡は一日一回だけだ。
至極貴重な奇跡で制した小川を振り返れば、追跡者たるゴーレムは僅か二歩で越えようとしていた。
奴との距離が目に見えて縮まっている。このままでは、あの剛腕から放たれる一撃を受けてしまうのも時間の問題か。
もし本当にこの先に人が居るなら、あれやこれやと説明する手間が省けるので、是非ともその一芸に刮目してほしい。
是非ともに、「少年とちっこい獣が襲われてる! 助けなきゃ!」ってノリになってほしい。
そう内心に願いを込めた時。
「──あ、人! あれだ!」
ハウが土道の遥か先を望んで一喜した。
彼につられ、僕も顔を前に正す。木漏れ日は注がれど、それでも尚薄暗い森の奥に……確かに人の影があった。
「……ホントにいたんだ……」
払われる木々から見えたのはフォールの学徒と思われる数十人と、それらとは違う服装……講師を彷彿とさせられる出立ちの男女の姿。
なんであれ、地獄に仏とはこの事か。
「……お前よく、あんな遠くにいる人の声を聞き取ったな……」
「んま、女子の声は聞き取りやすくて?」
獣の特権、感覚特化かと思って聞いたのに、結局はいつものそれのようです。目敏いリア充スキルか? 爆ぜなさいってね。
──と。
彼らにも、僕が引き連れている逞しい御方の姿に気付いたのだろう。戸惑いの声と悲鳴が入り混じり、学徒達がテロから逃げ惑う市民のように散っていく。
救援の願い叶わず……と、天を仰ぐのは早い。
森の奥へと姿を消していく学徒達とは違い、向かい来るゴーレムなどには一切怯まない男女は、真っ向から迎え撃とうと開拓テーブルを展開させ、『開拓』に手を急かす。
次て登場するは、氷結の霜──?
あの二人からして正面。僕らの周囲に聳える魔法樹の群に、青白い筋が縦横無尽に走っていく。
それは霜のようでいて、クモの巣のようにも似て、数多の木々に絡まり、巻き込み、繋がった。
「網……?」
それがなんの資材から成っているのかは定かではないが、少なくともあれは僕が望むゴーレムの巨体を止める『開拓』の形か。
流石フォールの人!
荒れ狂う暴走漢を前にしても一切合切恐れず、退きに身を捻らず、事態の沈静にかかる姿。実に感謝です!
では、僕も逃げる学徒生達に混じって、頼もしげな二人にゴーレムを任せて正門へ──。
そう意気込んで網を掻い潜ろうとした時だった。
「──ッぎ……!?」
突如、森はおろか自分の体さえも裂かれたと錯覚して、息が止まった。
金属の悲鳴だと唱えそうな高い音響。
今までの重々しい轟音ではない異音。
バグの類でもない、明確な衝突の音。
これと同時に、何故か後ろを駆けていたゴーレムの、僕らの頭上を四肢乱々と虚空に流れる様相が現れる。
それはまるで、子供に嫌がられて投げ捨てられた人形みたいな……。理不尽に壊れ行く『ゴミ』の有り様のような。
でも、あのゴーレムが、そんな好き好んで不可解なジャンプをしたわけではないのだろうと、その大きな背中に食い込む『刃』から感じ取れた。
それは三日月形に撓った刃。
それと刃を吐き出す酷黒の芯。
これらは一体となって転身していたのか、ゴーレムの背を更に深く抉るだけには止まらず、その刃で腰部をも砕き、尖端を芽吹かするにまで至らせていた。
足される情報で、あの形は『鎌』だと悟る。
『鎌』なる兇器による惨劇だと認識した直後、回転はより巨躯を引摺り込み、認識は次へ転ずる速度に拐われた。
ゾンッと僕の頭を芯先が掠めたのを皮切りに、爆として吹き飛んだゴーレムは瞬く速さで彼方へ去り、意せずかの『網』にブチ当たったのだ。
瞬間、目を覚まさんとした音が、波動を生して劈く。
噴く風は森の木の葉を億と剥ぎ。鈍音は砂利を跳ね上げ。鋭音は野花を斬り去る。
在るモノ全てを犯す、極大の衝突の瞬間。
『死を匂わす絶命の時間』
一瞬の内に築かれた光景を、僕にはそう例えられた。
そして、『飛ばされた』のは、ゴーレムだけではなかったと知る。
「──ハウッ!!」
目撃した事を否定したくて、思わず彼が乗っていた己の頭を掴む。しかし、見えてしまった綿毛の獣の遠ざかった姿が真実だと思い知らされた。
鎌の尾先に掬われたか。
今彼は、網に打ち付けられ、地に落ちようとしているゴーレムの真下……。
彼は既に手を伸ばしても、決して届かない所にいた。
ズズと己の重みを思い出したかのように、巨大な鎌に意思を絶たれた巨躯が加速する。
無情にも止まらない光景。
人の背程もない距離を、空気ごと押し潰す様を見せながら。
絶望的に、決定的に、ゴーレムはハウが転がる草地へと、崩れ墜ちて行────
◆
◆
行けども行けども流れる木漏れ日を仰げば、樹都フォールの街並みが見える。
思えば、このサラセニアという世界に来てから一時間半。もう走ってる時間の方が多いんじゃないかと思えてきた。
「──ぁあ……と、キキさ。獣衣装とか……した方がいんじゃ……?」
「出来るなら僕だってそうしたいよ! でも、あのゴーレムが八秒も待ってくれると思ぅ……?!」
言い終える前に、僕の声は背後から爆して挙がった音に掻き消された。
「ぁいつ……ッ、いつまで追い掛けてくるつもりだよ!」
悪態をつきながら、爆音の元である魔法樹の魂塊──ゴーレムを振り返る。奴は穿った地面にめり込んだ拳を引き抜くのに手間取っている模様。
距離を離すチャンスは今か。
それとも、もう一度物影に隠れてステルスチートを使ってみるか……と。
「なあ、ステルスチートは……?」
ハウが信じてもいない僕の能力を問うてきた。その意図は言わずもがな、煽っているのだろう。困った獣である。
「どうだろうな。……的確に捕捉されてるっぽいから、効果は薄いのかも」
「あ、じゃ、二手に分かれてみるとかは……どうなんさ?」
「は?」
思わず頭の上にいる彼を見上げた。
『二手に分かれる』?
確かにハウの真っ白い姿は目立つ。二手に分かれれば、ゴーレムの意識を僕から離させる時間は増えるかもしれない。
──けど、第一に──
「獣衣装するチャンスがなくならないか? ……分かれるのは、ちょっとキツいかな」
「ぉぉ。……キキ、獣衣装は気持ち悪いとか文句言ってたんに、やる気なんだ」
「……嫌なものは積極的に慣れて、触れてる時間の経過を早める意識を確立しておけとの、我が姉の言葉に習ってるだけダヨ」
地層剥き出しの小高い段差を尻目に、平坦な草地を選んで道なき道をひた走る。
思えば、フォールの街を登山のつもりでククさんと歩き……。次は、それ以上の距離を走り続けて、ファイユさんにボコられた後に、またヒィヒィ言いながら森を駆けている。
普段ならアンチスポーツマン的で不健康な不動明王と化してゲームをしている身なのに、そろそろ給水ポイントのひとつでもないと酷い話である。
と、思ったら。
「キキ、この先に川ある」
「え。……あ、確かに、水の音がするな」
後ろがズンズンとけたたましいが、それでも辛うじて聞こえる水の流れる音に加え、土臭さにあった湿り気が、少し濃くなったような気がした。
一重に給水ポイントがあれば……と、思いはしたが。
体を動かす系のゲームをしない主義を貫いている性分であるゆえ、走る速度には一抹の不安を抱えている。
例え『危険』が押し迫っていて、急く四肢が機敏であろうとも、川を渡るのは選択肢的に自滅に繋がるのではないか。
前を見やれば、フォールを囲む外壁の影が落ちているのか、森の奥の木漏れ日が途切れている。
正門は近い。という事だ。
……であるなら、名残惜しいが、水は諦めよう。
どうせ喉がカラカラになったって、多少無口になるだけだし。
「いや、このまま正門まで走ろう!」
「へ……。ぉ……そっか」
ハウが唸るような声で溢し、グシグシと僕の髪を捏ねおる。なんだか、ハウの気遣いを空振らせたみたいな感じになったけど……そのアクションはなんだろう。
リア充のやることはわからん。
そう言うことにしておこう。
それより、草地が捲れ上がるゴーレムの拳打をまたひとつ躱せた所で、茂みより現れた土道に身を投じた。
殆どが土で覆われているが、所々に石レンガが敷き詰められているのが分かる人工的な道である。
(……正門に続いてる? これは、勝ったか……?!)
この道がファイユさんが指し示した方向へ伸びている事実。
途切れた木漏れ日から察せられるフォールの外壁が近づいている現状。
そして獣衣装を纏わなくても、ゴーレムから逃げられそうな戦況。
やれそうか。
切り抜けられそうか。
この逃走イベントのクリアが見えたか。
土道はその途中で簡素な石橋へ変わる。
川の音がより大きく響く。
その向こうっ。
「──見えたッ! 正も」
「キキ伏せ──ッ!!」
ゴールが手の届く所にあったと、嬉々にハウと同調しようとした瞬間──息が止まった。
金属の悲鳴だと唱えそうな高い音響。
今までの重々しい轟音ではない異音。
バグの類でもない、明確な衝突の音。
自分の体が裂かれたと錯覚させた音──空気──事態。
ハウに頭を押され、沈み行く視界。木の葉の逆海に現れたモノ。
それは四肢乱々と虚空と飛ぶ巨躯。
まるで、踊りを否定された操り人形みたいな……。理不尽に棄てられる『玩具』の有り様のような。
けど、あのゴーレムが、そんな好き好んで不気味なジャンプをしたわけではないのだろうと、その大きな背中に食い込む『刃』から感じ取れた。
あれは三日月形に撓った刃。
それと刃を吐き出す紫紺の芯。
これらは一体となって転身していたのか、ゴーレムの背を更に深く抉るだけには止まらず腰部をも貫き、芽吹かせた刃の尖端が陽光で煌めいていた。
爆発的な空気の変動に圧され、僕とハウは盛大に転ぶ。眼鏡が吹き飛ばなかったのが奇跡だ。
いてぇ──なんて文句を吐く暇すらない。
今度は僕らの頭上を吹き飛んで行ったゴーレムが、あろうことか目前の石橋に激突。砕かれた石塊が爆煙を伴う花火と化し、真下の川水が王冠とオベリスクを立ち上げた。
今日一番の轟音ではなかろうか。
川の傘となっていた葉枝は一帯を払われ、大量の水飛沫が降り注ぎ、凄惨な交通事故動画でしか聞いたこともないような衝突音が何度も反響して、樹都の森に木霊した。
バラバラと石塊が辺りに落下。無情にも、レンガ大の物も僕の背に落ちてきた。
「──ぅっえッ! ……ぁハウ、大丈夫?」
「……なんとぉ……か。……ってぇな」
サアサアと降る水と木の葉で溢れる視界に、土道に転がるハウがいた。
なんだかよく分からない状況だが、彼を掬い上げてから考える。
「何が……。ぇ……鎌か、あれ」
崩壊した石橋の対端に、上半身を凭れさせて動かない巨躯に突き刺さっていたモノ。
眼に映すだけで背筋が凍る『死の匂い』を漂わす兇器の姿。
ゴーレムの大きな背に勝る程の柄を見るに、とても人間が使えるような得物ではないと思う。
使うとしたら、もっと別の『死神』にあたる化け物こそが相応しい。
って、そんなものが近くにいるなら、僕らも相当ヤバイ話になるが。
ともかく即座に立ち上がり、谷間を流れる川の上流と下流に目を配る。
「──ここを離れよう。何処か川を渡れそうな場所は……」
「そんなら、あっちに岩場が──あ?」
ハウが上流方向を促し、僕も再度そちらに顔を向けた時、小さな光の珠……魔法樹の魂が煙のように揺蕩う尾を残しながら横切るのを視た。
気付けば漂う光の珠はひとつにあらず。
外壁の影を落とされた此処は、たくさんの若葉色の光の珠が、蛍の群れのようになって飛び交う幻想的な世界となっていた。
「……なん?」
魔法樹の魂達の賑わい。
一見すれば、心奪われそうになる荘厳な演出ではあるが──
「────ッ!」
反射的に川に浸かったゴーレムを捉える。鎌に背を抉られた魂塊だ。アレが止まったとて、これら全ての光が僕らへの敵意を収めたなどと、誰が結論付けられよう。
「クッソ……」
眼前に展開されていたのは『光が巨躯を補修している様子』。
背中の鎌をも呑みこみ、砕かれた躯体がみるみる元に戻され、新たな魔法樹の魂を迎えて、更なる形へ。
つまりは、力尽きた魂塊はまだ動く。
微塵も懲りずに敵意を再燃させ、化けようとしている。
これから察せられる事なんて、「あ、ここがラスボス戦のお約束の展開かな?」ぐらいであった。
「──ハウ! 獣衣装!」
「おぉお?! オケ今か!」
若干苛情を含んだ僕の声に従い、ハウがたちまちナンみたいな形になって僕を頭から飲み込むと、直ぐ様人間の体が半獣化し始める。
奴の修復と此方の獣衣装の装完。どちらが早いかは賭けだ。しかし、人間のまま走り去ろうが、獣衣装を纏う選択をしようが、『離脱する』という意味ではもう手遅れなんだと、あちら様の気配で悟った。
全ては、事態に逡巡してしまい、獣衣装の装換が遅れてしまった僕のせい。
しくった。
八秒間の中で、そう思った。
聞こえ始めたのは、巨躯が腕を豪快に振り回す音。唸る空気。払われる木の葉と折られる枝。忽ち土が抉られていく轟音が迫り、そして──その間に──『知らない音』が混じった。
それはゴーレムが石橋に打ち付けられた鈍く重い音とは遥かに違う鋭く高い音。
自然の森にはある筈のない、『金属の雄叫び』が、僕らの額先で大きく鳴り響いたのである!
「ぅあっ?!」
「──ッ??」
僕らへの衝撃はそれだけ。そよ風なんてあってないようなもの。
押し迫っていた気配も、金属音が鳴った時を境に消滅していた。
何が起きた……。
そう答えを求めて、獣衣装による感覚の鋭化で熱くなった目を開ける。
──すると。
「そこの獣の人、大丈夫っ?」
ファイユさんやククさんとは違う女性の声と、
「オメェ、どっしゃあモンに食い付かれてンなぁ↑↓ わりぃこんつぁしたか!?」
江戸っ子口調……なんだろうか……。イントネーションが荒波を起こしている喋り方の男性の声が、僕らに向けられた。
「……魔法樹の魂……の、集合体ね。アーツレイはなんでこんな奴を野放しにしてるのさ」
「えぇふあぁいッ、唾ぁ吐くなんら↑ 片してからだぞぅお↓→↑!」
「F.I.です。可能ならエファ。発音は正しくお願い、田々」
「でぇんでんッとぉお↑↑ 呼べぃや!!」
潤う視界が徐々に森の局所で行われている対峙を映す。
一人は朱色から白に落ちる長髪を揺らす成人女性で、もう一人は黒髪に藍色のもみあげを混ぜた……雷属性っぽい髪をした二十代半ばくらいの男性。
共にそれぞれ纏う衣装の背に、フォールの開拓学徒が着る制服に施されたものと同じ、大きな樹の刺繍を背負っていた。
「フォールの人……?」
獣衣装が装完し、クリアになった視界で現状を改める。
目の前に立つ男女二人の事もだが、まずその二人の前方に築かれていた青白い檻……クモの巣のような格子から、さっきの甲高い金属音の基が察せた。
恐らく、振るわれたゴーレムの一槌を止めたのは、この檻なのだろう。そして、これを作った……もとい、開拓したのが、
「田々、発言に自信は無いけど、アイツ絶対『万象転生』使う。離れる?」
「さあっさぁ→↓ 学徒の雛にぃまあで、及ぼされぇるわけにゃあ↑ いけねぇぜェ? エンフゥアとなぁるああ↓↑ 此処で仕ぃ留められるっやッせいぁ↑→↑↑!」
……彼ら彼女らなんだろう。
「仕留められるとか、そんなの出来るかよ(超小声)……まぁ、確かに置いてきた初級学徒達に、こんな奴を会わせられないね」
エファ(?)と名乗っていた女性が、右薬指で掌をダブルタッチしたのが合図か、僕らを囲んでいた檻が光の粒になって蒸発。
それにより、若葉色に光る鎧で覆われた巨兵が姿を現わされた。
『重装兵』。
その異様に重たそうな風貌は、ゴーレムというより、そう呼んだ方がしっくりくる。
川を剛質そうな図太い脚で踏み潰し、相変わらずの図体に足された防御力特化の装甲に光の珠を漂わせ、ゴーレム時には無かった口を露出させては、コハァと開く。
これがファイユさんに従事する者だと考えると、純粋なモンスターだと思えないのが悲しいかな。
故に、僕の選択肢には『仕留める』なんてものはなく、『全力で逃げる』一択なんですがそれは。
獣衣装を纏っておいて、完全に逃げ腰になっている僕とは違い、エファさんは開拓テーブルを展開し、田々さん(?)は武器としているのだろう藍色の長棒を振り回す。
完全にヤル気なようです。
流石フォールの人。凄いデスネ。
「俺らはどうするんさ、キキ?」
「……逃げるよ。正門はすぐ其処なんだ。人様の戦闘に加わるなんてそんな……恐ろしや」
なんだか気持ちをゾワゾワさせている帽子的形状の友人を小突く。
獣衣装を使ったからって、この仕様に慣れていない理解もしていない状態では、ガチの戦闘なんて出来たものじゃない。
逃げるのが……目的地に向かって走るのが最善なのだ。
幸い、ファイユさんとの雌雄決着で、脚は速いって事が分かったのだから。
「……ん、まぁな。キキがそう選択すんなら、それでいいさ」
「うん。じゃあ、アレは二人に任せて僕らは正門へ…………?」
獣化で肥大した手をハウから離して、さあ地に着けて身を起こそう。──として、目の前を通過させた時。──その手に植物が……細い蔓が絡まっているのに気付いた。
(なんだこれ?)
思う間に、蔓から一対の小さな葉が咲く。
「────え?」
呟く間に、蔓で咲く葉が増える。
「──ッ!! 嘘でしょ?! もう『万象転生』を使われた!」
「万象転生……って」
聞き慣れない言葉を噛もうとした僕は、エファさんを見上げた瞬間──息が止まった。
「くぅオっッそお↓→↑↓↑!! 俺ッチもだあ↑↓!? あっ、やられたぁなああ!!」
愕然と恐々に絶叫する二人が、『樹』になっていく。
これから踏み出そうとしていたのだと思われる脚が人の肌を失い、ビキビキと鳴かせながら硬化。魔法樹と似た質感へと変わり、その変化は胴へ、腕へ、首へと進む。
「……ア……っ……カ……!」
「──イ↑ ツぅ……オ……↓」
抗う暇すら与えられず、変化は頭部や手先に色付いた緑葉の芽吹きで締めとなった。
周りの木々に比べ、可愛らしい程に小ぶりな樹木の誕生……。
人間が樹に『転生』したなどという物語。
「……なんだ、それ」
これはヤバい奴じゃないのか。ファイユさんは、こんな物語が展開される事を望んでいるのだろうか。
視点は定まらず、不可抗力に若葉色を捉う。
仁王立ちの魔法樹の魂塊。
想像するに、『万象転生』とやらを二人に施した重装兵を、見上げた。
「キキ……!」
「──あ?」
咄嗟に己に絡まった蔓を確認──しようとして、見てしまった。今度は自分が、脚から『樹』になっていく様子を。
頭から葉が下りた。ハウも同様。樹化は早く、もう背中が固い。
例えファイユさんが「そうしなさいなんて、命令してないよ」と、プリプリ怒りながら来たとしても、もう間に合わない。
肉が樹になるのは一瞬。
胸が動かなくなって、本当に息が止まる。硬さは頸動脈を遡り頭部へ。
人として『思う』事が出来るのは、刹那の時間だけ? ……ああ、何を思えばいいのか分からない。表情も作れなくなって、唾液が舌に吸われ──渇き──全身が干上がる。
樹に溺れる。そんな言葉。
ハウも同じく。
そんな言葉に溺れてしまった。
最後に、顔中から芽吹いた無数の葉に眼球を奪われ──僕は──それ以降──何も思える事なく────樹──へと──────変わっ────
◆
「──駄目だった。もっかい出来る?」
【──可能です。ではハウ様、次はどのシーンから『やり直す』か……お選び下さい──】
◆