第十四幕目:任務完了の一幕より
◇
「ほらあ! サクラの言ったとーり、勝てたでしょーー!?」
雌雄決着の軍配を掲げた二等辺三角形が消え、十メートル以上離れた魔法樹に寄り添っていたキサクラが、嬉々として飛び跳ねながら傍までやって来た。
ファイユさんから小刀の刃を離し、拘束に固めていた体も解くと、彼女は持っていた鞘で小刀の刃を納めながら言う。
「本当はね。奪われる時点でアウトだから。この笹流しをククから授かったんなら、もう絶対に! 金輪際に・ど・とッ! 他の誰かに触れさせる状況を作らないで」
逃げ足は速そうだから脚を生かせと。狙われたら闘うのではなく逃げろと。ファイユさんは僕とハウを交互に指差して念を押した。
初心者が運良く強カードを引き当て、慢心して足元を掬われる等滑稽だ。彼女の助言は、一度失敗して過去に戻ってやり直してきた愚か者に当てる台詞。これをスキップせず、肝に免じておかなければ、ここのターニングポイントに戻れる機会は二度と無い。
僕が切実とも言えるファイユさんの示唆に同調したのをしっかり確認すると、彼女は唐突にキサクラの頭をわしわしと雑に掻き回した。
「んあぁああ?! なんでぇ!」
「誉めてもらいたいんでしょ? キキさんに代わって私が誉めてあげる。余計なお世話をしてあげて、さくらは偉いねえーー!」
「ちょ、ファイユさん爪立ててる! 掻き毟ってるからそれ!」
──
獣衣装を解く時は、飲み込んだ者を吐き出せば良い。
髪をボサボサにされたキサクラがぶっきらぼうにハウに教えると、僕は漸く獣の姿から解放された。
ゲームでは見る機会が多からず少なからずの獣人化だったが、何故にリアルな感覚まで表現したのか、運営に問い合わせたいくらい気分を落としてしまった。
こう言うのはエフェクトだけにして頂けると、今後非常にありがたいのですが、修正要請は手遅れですかね?
今回限りでは決して収まらないであろう『獣衣装』。僕がこの吐き気を催す仕様に内心頭を抱えていると、ファイユさんに極雑に誉められていた狐娘が、なにやらご不満な様子で逃れてきたようにしがみついてきた。
「キキ! サクラちゃんと案内したでしょ! その分はキキから欲しいの!」
だから早く! 誉め直せと急かされ、僕は自分の気持ちも儘ならないのに、不貞腐れた狐娘の機嫌を取らされた。その際、綿毛の獣の「抱き締めながらだ」と言う囁きは無視する。紳士モードも賢者モードもない素に戻った僕に、そんなこと出来るか。
「……ああ、それとキキさん」
「はい……?」
キサクラを誉めると言っても、両頬を原始的な火起こしの要領で「よーしよしよし」と撫で回すくらいしか思い付かなかった不器用な僕に、ファイユさんがメニューパネルを開きながら注視点を引き戻させた。
「獣族の特性を付与出来るとしても、私の不安は消えません。初心者を刈る罠に掛かれば、私は間違いなく怒ります。そこで、そんな怒った私が、すぐに行動出来るよう『通話枠』を共有しましょう」
「……(罠に掛かる事前提の)『通話枠』?」
「──あれ? ククに教わりませんでした?」
擦られて紅潮した頬を悦楽そうに手で覆っているキサクラの髪を手櫛で梳きながら、ファイユさんが「笹流しを授かるくらい近付いたくせに?」などと言って、別の感情を漂わせる。
ウチの嫁に唾をつけられたとか思われているのだろうか……。
「ファイユさんに通話しようとしている所は見ましたけど、それだけでしたね」
「……え、あ、何て事。寝てて気付かなかったわ……。あの子、気狂いを起こしてなかった? 暴力沙汰とか……」
「…………まぁ、そデスネ。……無双と言うかチートと言うか……凄いのを見ましたヨ」
少なくとも、振るわれた古魂の刀剣は男女関係なく、向かい来る数百人の学徒達を戦慄させていた光景を思い出す。怯えさせるだけなら、歓声を送っていた遠巻きの傍観者達を含めると、どんな数になるのやら。
先の僕の説明にあった、緊急任務内でのククさんの判断でも触れてはいたが、それにファイユさんと連絡がつかなかった事まで入っているなど考えたくないようで。
この人は、脳裏を過っただろうククさんの勇姿を、まるで頭に停まった虫を払うかのようなジェスチャーで弾き飛ばしていた。
「ククの話は置いといて……。なら、私が通話について教えてあげる。メニューパネル開いて」
「恐れ入ります。……ハウもいいですか? 開拓の事とかも」
「……さくら。教えてあげて」
「はぁい」
「……めにゅーぱねるってのから、よろしゅう」
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──
通話枠の共有は、単純に相手のメニューパネルの中心、六角形の選択枠に手の平を合わせるだけ。そして、枠に残った手形を任意の角にドラッグして吸い込ませれば、登録完了らしい。
因みに通話する時は、登録した角をホールドし、黒電話のダイヤルみたく回せば相手に繋がり、逆に相手からの通話に出る時は、登録した角から選択枠の中心に向かってスワイプするのだそうだ。
「……はい。掛けられたでしょ? こんな感じで、『笹流し』に何かあったら通話して。フォールの戦力を見せてあげるから」
「ありがとうございます……。そこまでしてくれるんですか」
「ただし、本当に手に負えない状況に限る。なので、基本は逃げるが勝ちだね。頑張って」
勘違いすんなよ的な、おざなりなエールを贈ったファイユさんが、ハウに開拓を教えていたキサクラを覗く。
「さくら。そろそろ私を上に連れて行ってくれるかな。桃ククが待ってる」
「あ、うん。……じゃハウ、後はキキと試してみて」
「サンクス! キキ、開拓って魔法みたいだぞ!」
あまりゲームをしてこなかった人間が、その魅力に気付いて課金厨に成り果てていく様が見れそうだ。
すげぇすげえ連呼する友人をキサクラの手から肩に迎え、僕はこれから去ろうとする女性陣と対峙した。
「フォールを出るなら、正門はキミの左手の方角へ三キロメートル先の突き当り。行けば分かるよ」
「キキ、ハウ、後で通話しよぅね。サクラも今の外の事知りたいし♪」
ファイユさんに抱き付きながら、キサクラが手を振る。
それに此方も鏡のように返す中、最後にこの森の主たるアーツレイ家の者としての助言が、和やかな雰囲気に水を差すが如く飛んできた。
「あとね。キキさん、さっき私の首に刃を当てたでしょ? その事でね。この樹都の森の魔法樹達がお怒りだから。私が居なくなったら、すぐ逃げた方が良いよ」
「……はい?」
それは一体どういう事かと、アホの子のように訊ねようとしたが、彼女はこれを赦さず、顔を背けながら「フォールの敷地を出る前に笹流しを落とすなら、私は怒らないけどね~」と、あざけついでにキサクラを促していた。
故に僕からの質問は無いものとされ、ファイユさんに応えたキサクラが彼女をより強く抱き締めると、二人は音もさせず、蝋燭の火が風に拐われるように、フッと消え去ってしまった。
森の上に築かれた街に戻ったのだろうが……さて。
最後のは、なんなんでしょうか?
即行でフォールの出口へ走るべき?
猶予は?
「……キキ……。なんかさ、上の光ってんのが……」
「……もうかよ……」
アーツレイ家の者が消えた後の森の変化は、ハウがいち早く察知した。釣られ、僕も友人が促す頭上を仰ぐ。
そこにあるのは、僕が来たときから渦巻く集合体となっていた数千規模の魔法樹の魂。
しかし、それらは今、主が席を立ったのを良いことに、粘つく流体の様を見せ、忽ち姿を変形させていく。
結晶鉱石のような角張った両の脚から始まり、下半身とはバランスが合わなそうな大きい逆三角形の胴体は、沢山の夢が詰まっていそうな広い胸板を誇る。そこから剛腕振るいそうな図太い腕が伸び、四肢が完成した。
最後に、つるはし状の頭──砕氷船の先端にも似た頭部が形成され、目も口も鼻も無い、鋭利な尊顔が僕らを見下ろした。
「……マジ巨兵ゴーレム?」
いつか見た、石の巨兵の参考元だろうか。
なるほど。完成版はこんな形なのか。
などと感心していると、全高八メートル超のゴーレムと化した魔法樹の魂が、その脚で大地を捲り上げん勢いの地響きを轟かせて落着した。
ちょっと、幾らなんでも大げさ過ぎやしませんかね。
魔法樹の魂の若葉色の輝きを全身から放ち、あろうことかその屈強な巨体は周りの魔法樹のみをすり抜けていた。
「……ハウ」
「おう。獣衣装か? ヤるか?」
「違うわ。逃げるんだよ……!」
命は尊べ。
例え、今正にゴーレムが剛拳を振りかぶり、無情にも散り逝かされる結末を辿る、僅かな一瞬を永らえる小粒の命であろうともだ。
「うあぁああぁあああッ!!!」
「おおぉおおっほほほッ!!!」
とある森の一画で、大きな土煙が上がる。
大地を穿つ一撃を辛うじて躱した僕と友人は、惚れ惚れする逞しい剛腕を振るって断続的に土煙を撒き上げ続ける脅威を背に、命潰えるシナリオなど放り出して、脱兎の如く、それはもう文字通り小動物になったつもりで、森の奥にあると教えられたフォールの出口へと、我武者羅に走りまくるのであった。
◇
「ここでいい?」
「うん。ありがと、さくら」
場所は六番目の年輪円路と東フォール大橋の接続十路。
緊急任務の行方が不透明となり、これに参加していた者、観覧していた者達が、まだ漣にも似たざわめきを立てている場所。
【 TARGET 】が消えた中心に、直前まで存在していなかったファイユ・アーツレイとキサクラが現れた。
吸魂の一振りを巡って、緊急任務の『奪還』なる文字をそのまま解釈し尽力した者。裏の解釈によって欲に溺れた者。この全ての任務参加者達は、アーツレイ家の次女の出現により、新たに立てられた若しくは実行しようとしていた作戦が、軒並み未遂に終わる。
動揺と落胆、果ては安堵の溜め息が混ざり合う一点に立ったファイユは、胸元が破れたケープを外すと身を離したキサクラに渡す。
「これ、制服店で直して貰って来てくれる? その後に私の部屋においで。ククが御褒美をくれるから」
「あは♪ わかった! じゃ、また後でねー!」
ケープを受け取ったキサクラが、手を振って一時の別れを告げる。御褒美なる桃を期待した満面の笑顔で、巨大樹を鉢の形状を成して囲む、フォールで一番大きな施設『古魂の郭』へと瞬間移動しようとした彼女だったのだが……。
「ぉおっと? あ、ネタ切れだ。……うわぁ、走るのぉ~…?」
今まで使っていた瞬間移動なるものが『ネタ切れ』とやらで使えず、頬を膨らませながら渋々、目的地まで約二キロメートルの距離をへこへこと駆けて行った。
そんな狐娘の後ろ姿を僅かに見届け、ファイユは頭上五十メートル付近に浮遊するキューブ型の木のパズルを見上げる。
そして、大きく叫んだ。
───────
「……はいきたチェックメイト! これは逃げられないでしょ!」
《………むむ……むむ。》
チェスボードの端に追いやられた黒のキングが、白のクイーンとナイト、ポーンに睨まれ、ククに刈り取られた黒のビショップを指波に弄ばれて煽られるシュギ。
両者の戦績三戦中一勝一敗一引き分け。そして現在の第四戦は、ククがチェックメイトを決めた、勝ち越しが確定する盤面だった。
「変態さんは、わたしを本気にさせたのだ。ひれ伏せぃ」
《………せめて、紳士を、付けてく、れょ………ぉ?》
樽俎折衝も叶いそうな気分上々としたククには、このタイミングでの中断は不完全燃焼極まれりであろう。……とは言え、逆の立場であるシュギからすれば、届いた叫びは、目先の敗退を回避する女神の一声に他ならない。
よって、変態紳士と揶揄された彼はちょうど今、彼だけに掛けられた声を以て、嬢仕との白と黒の鬩ぎ合いを断ち切った。
《……おやぉや。……どうやら、あのゲスト君は、御家の次女を、動かせた、よぅだ、ね》
「……キキ様が? ……ファイユ様が来たの!? ……って、あぁあぁ」
その朗報にククが思わず立ち上がる。その拍子に、チェックメイトが宣告された盤面が彼女によるテーブルへの打震の餌食となってバラバラに散らばった。黒い顔の変態紳士にとっては、更に勝敗をイーブンにする口実を固められる惨事を、大いに歓迎したようだ。
表情の見えない黒い顔は、さぞかしニンマリとしているのだろう。彼の饒舌は、それを物語る。
《ああ。この下で元気に叫んでいるよ。……ククを出せ、とね》
「……そう……。良かった……本当に」
この際だ。チェスはどうでも良い。……と、ククはククで自分はこの部屋で何もしていなかった、と言う方向に舵を切ったようだ。
何より、キキがファイユと会えた事。
ファイユが無事である事。
小刀『笹流し』に込めた想い──『二人が喧嘩しませんように(主にファイユ発信で)』が叶ってくれて本当にホッとしたと、ククは胸を撫で下ろしていた。
《……さて、と。我も用事がある時間なの、で、……これにて、失礼するょ。チェスの続きは、また、今度》
「……また今度ね。その用事ってので会う人に、よろしく言っておいて。……強めに」
善処しよう。そう言って紳士さながらの別れ仕草を披露したシュギは、席を立った後、一気に光の粒と化した部屋と共に姿を消した。
レンガの床も、壁に描かれた絶景の絵も、安っぽいシャンデリアも全て光に溶け、キラキラと舞う花綿のよう。
光の粒の舞台。
水に追われる気泡。風に潰れるシャボン玉。
宙に放り出されたククの身体は光の演舞を抜け、吹き上がる風に晒される。だが直後、木のキューブを浮かせていた八つの内の四つの正八面体が放つ光線が彼女と結びついた。すると、その身体は強い風に煽られる事無く、ゆっくりと、穏やかに降ろされていく。
「クク!」
「……あ……ファイユ様!」
まるで歪な形の風船に繋がれて降りてくる、みたいな姿の己の侍女を両手を翳して迎えるファイユも、ゲストに向けていた不信漂う曇った表情を一掃している。
彼女が描くのは、唯一、ただ一人の、ククだけに見せる、子供に還ったような笑顔。そして、慈しみの柔らかさを、全身で触れさせる『再会』の一幕だった。
少女を繋いでいた正八面体が消失し、地に立つ直前のククを抱き止めたファイユ。
それに、ククも愛しそうに、主の背に手を回す。
「ごめんね。森で寝てた」
「……何処かの夜行性の狐じゃあるまいし。通話には出てくださいよ」
本当に心配した。
この事を伝えられて、嬢仕たる彼女はこの瞬間、ずっと張っていた気迫、イービルアイと呼ばれる所以の勇姿を、漸く昇華させられたようだ。
もう気負いも無く、大多数の中の一点として自然に振る舞っていたのだから。
「あ、それよりも、………はい。ファイユ様、これを」
一番大切な事をククは思い出し、上着の中(正確には右の脇腹)に忍ばせていた木の短剣『吸魂の一振り』を取り出した。
「吸魂の一振りはアーツレイ家の物ですので、お返し致します」
対象物の改権を宣言した彼女に応え、木の短剣の上に小さな二等辺三角形が出現。鋭角をククに向けていたこの図形は、くるっと半回転し、その差し示す対象をファイユと定めた後、『改権確認』との文字を浮かべて弾けた。
「はい。確かに。吸魂の一振りを返してくれて、ありがとう」
自分の物と承認された木の短剣を、持ち主ファイユが受け取る。これを合図に、ククの頭の上に表示されていた【 TARGET 】の文字が混ざり合い、一筋の赤い光となって碧空へと撃ち上がり、≪ドーンッ!≫と樹都中に木霊する大きな花火となった。
途端に、フォールにいる全ての者達の眼前に六角パネルが現れ、その中に【緊急任務完了】との表記が踊る。
盗まれた吸魂の一振りは、無事、元の所有者の手に戻った。
これにて、一件落着。
フォール全体をある意味お祭り騒ぎにした緊急任務は、持つべき者による件の品の納置を残すだけとなり、事実上の終了を通達される運びとなったのだ。
「お疲れ様♪ 大変だったでしょ。ゲストのおいたに巻き込まれて」
「え。や、……あれはあれで、楽しかったですよ?」
嫌味と震え声。
ファイユとククが、吸魂の一振りの納置をするべく、七番年輪円路の開拓演習場倉庫へと足を向ける。
その薬指に嵌め合った対となる指輪を隠す事無く陽光に煌めかせ、二人の少女は歩を揃えていた。
「……えーと。それで、なんだかの裏解釈? キキさんから聞いたけど、一応ククに教えておくとね? ……『吸魂の一振り』ってね、『一振り』って付けられてるように、意思を吸いとる吸魂の効果は一度だけしか使えないの。だから、誰がどう使おうが私達にとって、脅威なんて捻り潰せる程度なわけ」
「……へ」
「そんなわけで、こんな倉庫に詰められた量産武器がひとつ持ち出された所で、カッカする必要は無いってコトだよ♪」
分かったら、今後はどーんと構えて指差して嗤ってやろうぜ。
そんな『魔法樹の主』だけが承知している事実を告げられ、明確に、自分が下した判断は空振っていたのだと悟ったククの様子は、ファイユが今すぐキキとハウに見せたいと思う程、面白いくらいに絶句の文字が似合っていた。
でも、これは他言無用。
ファイユの囁く釘刺し言葉で、ククはより力が抜けたか、刀剣の重みにも負けた足取りで、主に手を引かれる始末。
「──ぁぁ……もぅ、なん………あぁ、もぉ……!」
知ってさえいれば。いや、知れるはずもない事だけれど。
ククが抱える苦悩は、沢山の学徒達に植え付けてしまった『イービルアイ』の異名。NGワード。これが、この一件により、樹都フォールに住まう者達の心に、深く深く深ぁ~く、刻まれた事。
ハッキリと言って、羞恥以外のなにものでも無い話が広がった宮地など地獄でしかない。いっその事、ファイユと共に逃げ出そうなどと、ククは本気で考えていた。
勿論、傍目からは楽しそうに悶えている彼女には、ファイユが小さく呟いた「……今、持ち出されても困るし……」なる言葉を聞き取れる余裕は、微塵も無かったと言える。
そして、遠く離れた森から上がる土煙にも、不穏極まりない轟音と少年達の悲鳴にも、だ。
◇