第十二幕目:森の中の権力者
◇
鬱蒼とした森。
僕は走りながら枝葉を見上げる。
若葉色に輝く指輪大の光が尾を引き、木々の合間を糸で縫うように飛んでいた。キサクラ曰く『魔法樹の魂』。この樹都の森を成す、全ての木々に宿る『古い意思』なのだと言う。
それらはやがて数を増し、薄暗かった森を明るく照らし上げていく。その様子にキサクラは「これは、森に入った人をお出迎えしているんだよ」と、鼻高に教えてくれた。それなら、安全なモノなのだと理解して良いのかな。
(──?)
とは思ってみるが……。周囲の木々からは絶えず、次々と若葉色の魂が抜け出て来る。一見すればとても幻想的な光景だと思えてしまうが、この景観は彼女にとっては『異常』だったのかもしれない。
更にはだ。魔法樹の魂達が急に速度を上げた。まるで僕らと並走するのを放棄したように森の奥へと飛び去って行く。
「……魔法樹の魂は、主様への忠誠心が強いからね。ファユ姉に集まってるのかな……──や」
その様子に段々といたたまれなくなっていったのか、僕の十メートルくらい前を走っていたキサクラが、ふっと消える。
「え、キサクラ?」
詳細不明の瞬間移動を使い、先にファイユさんの様子を見に行ったか……と思った矢先だった。あのちびっ子、あろう事か僕の背中にドサッと覆い被さってきおった。
「ぉッ?! なんで、おんぶ!?」
突然の重しに、危うく今度は僕が草地にハグしてしまいそうになる。しかしキサクラは、そんな重心が乱れ倒れそうになった僕などお構い無しに、更に強く、鉤爪付きの腕を首に巻き付けた。
「ククお姉ちゃんが急いでたくらいだもんね。流石にサクラだって気付けるよー」
先程までの余裕めいた声色ではなく、焦燥を滲ませた口調。て言うか、耳の裏に吹き掛けられる息が絶妙な擽ったさを提供してくるとか、そんなの事を指摘させてくれる暇も無く彼女は──。
「ってことで、行くよキキ!」
────
……視界に映っていた光景は、一瞬にして変わった。
異様な数の魔法樹の魂。数百を超えるであろう大規模な魂の群れが、銀河のような渦を巻く様子。
これでも尚集まり続ける光により、この森の一画だけが昼間以上に明るかった。それこそ聖域のような雰囲気だ。
しかして、それに反した様な濃い土臭さが漂う……。
光の下の草地は何故か大きく抉れ、土が剥き出しになっていた。周囲を見れば、土層を露出させた穴を中心に、辺りの木々が放射線状に倒れているし。
「ファユ姉!」
唐突にキサクラが叫んだ。僕を跳び箱の要領で飛び越えた彼女は、地面に開いた穴へと走る。──その先。
僕も駆ける小さな背中につられて、光の中心の下で一人……仰向けに横たわる少女がいる事に気付いた。
「……ふぁゆねぇ? ……ねてる?」
いち早く少女に寄り添ったキサクラが、その隣で膝をつく。僕もすぐに駆け寄り、少女の姿を覗き込んだ。
ヘアスタイルは変わってるけど、その顔は武器庫でククさんに飛び付いていた、あのほわほわした少女と重なる。
(……でも、なんでこんなに汚れてるんだ?)
あれだけ綺麗だった姿は土塗れで、羽織るケープは胸元の前掛け部分を縦に裂かれている。一瞥して、ただならぬ様相……。これはもう、先程まで敵意を剥き出しにした者との戦闘があり、死力を尽くして撃退に成功したと推察するのが妥当か。
ククさんの通話に出なかったのも、きっとそれゆえだろう。
こんなの、ククさんにとって赤字の閲覧注意映像になるな。
僕は手に持った小刀『笹流し』を一際強く握り締めた。凄惨な姿となった彼女を見下ろすしか出来ない……が、むしろ彼女の寝顔は、やりきった感さえ滲み出ているようにも窺えて……。
と、その時、静かに寝息を立てていたファイユさんの脇腹の影から、白い綿毛が現れた。
「……お。キキ」
「シゥ……ェ……じゃない。ハウ、やっぱ居たか」
拉致られた友人は、彼女とは逆に綺麗なままのよう。無事だった事も含め、どうにか合流出来た事にちょっとだけ安堵を覚え、肩に入っていた力が抜けていく。そして僕は、ハウに何があったのかを聞こうとs
「ファーユ! 人が来たぞ! 起きなってッ」
「……あの。ハウ……」
なんだか妙にフレンドリーって、おい。
彼女の身分の程は、全てククさんからの情報でしかないものの、今そんな彼女の頬をペシベシと叩く友人に背筋が凍る。
「……」
だってそれを証明するかのように、キサクラが無言でハウの背に鉤爪の刃を乗せようとしているのだから、もう勘弁してくださいってマジで。
「ああキサクラ、それはファイユさんの顔に刃が当たりそうだから、流石にダメかと」
「お、そだね」
キサクラの腕を引っ張ると、渋々……と言った感じではあってが、鉤爪がハウから離される。とりあえず、スプラッタな展開は回避出来たと胸を撫で下ろすと、僕はどうしたものかと眠る少女を眺めていた。……すると、
「…………ぅ? ……ん~? さくら……?」
やはり少し騒がしかったか、ファイユさんが目を覚ましたようだ。
錆び付いた機械が軋みながら動き出すように、小刻みに震える体。焦点が定まらず、若干赤みがかった目には涙が滲んでいた。見るからに気持ちのいい目覚めではないね。
「おはよございます、ファユ姉……からだいたぃ?」
「……少し眠ったから……ちょっとは、楽になってるかなぁ? なってると良いなぁって感じ」
顔を覗き込むキサクラの横首を撫で、慈しみながらファイユさんが立ち上がろうとした。けれど痛みが走ったのか、ぺたんと腰を落としてしまった。
「痛ぁたぁ……」
「大丈夫なんですか?」
僕は思わず口を出してしまう。
こんな時、彼女に心配を寄せる人物はククさんこそがふさわしいだろう。それなのに、僕みたいな見ず知らずの野郎がいたとすればどうなるか。それは、百合の中に入ろうとするキチガイ男への世間からの非難の程に相当すると僕は思う。
「…………?」
彼女が僅かに首を傾けた事で、目にかかりそうな前髪がサラサラと流れていた。表情は勿論、不信感を露わにしていた。
「誰」
キラクラに対する声とは程遠い、殴るような低いトーン。
優し気な容姿が宝の持ち腐れになってますやんと。思わず口籠ってしまった僕を余所に、ファイユさんの目は、やがて見覚えがあるであろう小刀で止まった。
「……ねぇ。キミ君が持ってるの、『笹流し』?」
「……ぇ、あ、はい。これは、事情があります。ククさんから授」
「奪ったんだ」
ファイユさんの声音に、憤怒が混じった。
何故だと。
何故、ククの私物である小刀がここにあるのに。
何故、それを持っているはずのククが居なくて。
何故、知らない貴方がソレを握っているのと。
これには僕も鼻白む。地雷を踏んだかと。しかし、目を擦りながら彼女が言う「……キミ君も、さっきの戦闘狂の仲間なのかな。……別行動をしてたってわけ?」との言葉に、理解が追いつかなかった。
「いや、ではなくてッ。これはトレードで、ちゃんと……」
僕が言い終えるまでの時間など無価値。
瞬間、ぎこちない動きを見せていた筈の彼女の手が、ククの刀剣のような一閃を描き、小刀の鞘を掴んだ。
寝起きの少女とは思えない、俊敏で無駄の無い不意打ち。
事態は明らかに、『不穏』を継続させているようだった。
「……返しなさい」
動きは覚醒に向かっているが、僕の言葉は、単語のひとつも届いてはいないらしい。
掴み取られそうになった小刀に、無意識に弛ませてしまっていた握力を加えると、緊張は均衡。この得物は両者の間で、ピタリと止まる。
柄を握る僕と、鞘を鷲掴むファイユさん。
唐突に始まった男女の競り合いに、キサクラもハウも狼狽え、目を剥く。
「……これは、授かった物です。ククさんが、来れないから」
「返して」
やはり言葉が届かない。
発する声色こそ冷淡だ。なのに僕の発言を一切合切聞く耳持たないのは、この人はククさん以外で『笹流し』を所持する人物は『奪う者』だと、上書き不可なレベルで認識しているからなのか。
勿論、この事態に、外野の二人も黙ってはいない。
「おいキキ……。渡した方が良くない?」
経緯を知らない友人が、ファイユさんのスカートの上から窺う。なんで、お前はちゃっかりとそんな所にいんの?
「キキ。ファユ姉は強いよ? 怒らせない方が……」
キサクラが鉤爪を嵌めていない右手で、僕の腕を力無く引く。
いつの間にか状況は三対一。
この中でただ一人、こうなってしまうまでの経緯を体験してしまった僕が、何故か理由も告げられずに妥協する流れに追い込まれていた。
(ナニコレどゆこと意味わからない)
……でも、それでもいいのかもしれない。
僕が望むのはククさんの解放。それが出来るのはファイユさんだけだ。この小刀を渡す事で説明を述べられる機会が生まれるのならば、僕は従うべきである。
そう考えるに至り、僕は力を緩めた。
おのずと、小刀『笹流し』は当然だと言うようにファイユさんに引き寄せられて……。
ところが、その時である。
突然 ファイユさんの目の前に手の平大の六角パネルが現れ、音声を発し出したのだ。
【 規律外の取引きを確認。これより、不正行為と判断されるまで、十秒の猶予が与えられます。対象者は、速やかに警告に従ってください。繰り返します。規律外の── 】
「え……?」
これの意味をちゃんと理解し、戸惑い、声を漏らしたのはファイユさんだ。
僕が手を離す寸前でのパネルアクションに、小刀の行方が不確かになる。大切な品を取り戻すのは至極当然の行為であり、異を唱えられる謂れは無いと芯を通した事を、『規律外』と警告されのだ。
まだ眠そうにしていた尊顔が、心外と驚愕に打ち砕かれていた。
【 八……七……六── 】
無機質な声のカウントダウン。
無情に選択を迫るカウントダウン。
ククさんの小刀がそれほどまでに大切なら、そのまま意を通せば良い。けれどそうはせず、引きたくても引けないとする彼女の手が『優先するは規律である』との意識を、如実に表していた。
「え……あっ……」
この事態は何なのか。狼狽する眼で、ひとつひとつの情報を得て結ぼうとするファイユさんだが、カウントが『三』を過ぎた時に焦りで思考が遮断されたのか、将又『大切』より『規律』を選んだのか。
彼女は力強く握られていた手がパッと開き、取ろうとしていた得物を押し戻した。
【 二……。警告を終了します。抵触深度低。資物流用規律の確認項目をバナーに追加致しました。 】
(この声って……あの二等辺三角形の声? 何処かでオペレーションでもしているのか?)
警告を鳴らしていたパネルが角を減らして消えた後、ファイユさんが『はい。質問です』と、手を挙げた。
「……トレード? したの? ククと?」
良かった。警告から正解を連想してくれたらしい。
全く僕の言葉を汲んでくれなかった事に比べれば、話を聞いてくれるこの姿勢はありがたい。
でも、返す答えは慎重に。ありのままを。
誤解の無いようにゆっくりと、僕は『武器庫にあった吸魂の一振り』と『緊急任務の発生とその解釈』、並びに『ククさんの現状と僕の役目』を順を追いながら説明していく。
それに合わせ、ファイユさんも任務パネルを開いて配令文を確認したりと、僕が喋る間は終始無言で、事が真実かどうか見定めているようだった。
「──なので、吸魂の一振りを持つククさんを解放させるには、ファイユさんの限令が必要だと僕とククさんは結論付けた結果今、僕がここに居ます」
経緯の説明は終わった。
黙って聞いていたハウとキサクラも、混乱と困惑に犯された表情で互いを見合っていた。
さあ、事態を把握した彼女は、これ一大事と腰を上げてククの下へ向かおうと啖呵を切るのだろう──……。
そう思ったのに、ファイユさんは立ち上がる所か、連絡網を駆使してククさんを救済しようとするなどと言った素振りを見せなかった。
「……『授かった』……ですか」
「……?」
何か……引っ掛かる所でもあったのだろうか。
例えば、ククさんでさえも眉を顰めたあの事態。
吸魂の一振りを巡るフォールの動向。アーツレイ家の内部不和や、緊急任務を用いて大勢に波紋を打った上層部への疑心。
正直僕は、このファイユ・アーツレイを前にして、自分は確実に場違いな存在だと気づき始めると同時に、何か……とんでもない渦の中心を眺めている様な錯覚に陥り、身を竦ませてしまっていた。
「ストイック・シュギのやることです。ククは平気でしょう。……それよりも、『ゲスト』キキさん」
「…………はい」
遠くにある華より、まずは目先に咲く花を摘むか。
彼女は、僕に質問をした。
「貴方は、これからどうしますか? 樹都フォールに脚を預けますか? それとも、この宮地を出ますか?」
ククさんにも訊かれた事だ。
さっきは咄嗟に答えたけれど……今は僕だけの一存だけでは決めるのはどうだろう。
だから敢えて質問者から目線を外し、僕は友人への質問者となる。
「……ハウ。僕は、この世界の先輩から、外にある街を見てから何処に腰を据えるかを選んだ方が良いと言われた。なら僕は、その意見に従って外へ出ようと思う。……どうかな?」
「良んじゃね? キキがそうしたいんならさ、俺も付き合うさ」
軽ぅく即答された。
ハウと言うか、シュンらしいと言えばシュンらしいか。
元の白髪少年の姿なら、ついでにニカッと笑ってそうだ。
兎も角、行動を共にする友人と意見が合い、再びファイユさんと目を合わせる。
「そう言う事なんで、僕らはフォールを出ます。……もしかしたら、また来るかもしれませんが……」
一概に外に出ると言っても、僕とハウだけで何処まで行けるかは謎だ。
なにより、フォールから一番近い宮地まででも徒歩で四日以上の距離があるとククさんは言う。歯輪の次元なるものを通れば、もっと早く着くともされたが、そう言うのはハイリスクハイリターンが相場。意気込んでフォールを出たは良いが、早々に外の過酷さに挫折し、おめおめと舞い戻って来るなんて展開も、十分に考えられた。
だから僕は、「もしかしたら、また来るかも……」なる弱腰な一言を付け足してしまった訳なんだが……。
「……そうですか」
体の状態はもう良いのか、ファイユさんが立ち上がろうとする。
「さくら。ハウ君をお願い」
「ん? うん……?」
その際、服に着いていた綿毛の獣をキサクラに託す。
何故か、僕ではなくキサクラに。
おわんにしたキサクラの両手にハウが乗ると、狐娘の方が何かに気付いたようで、「あ、キミ『衣』なんだね」と友人に話し掛けていた。
「衣って?」などとハウが聞き返し、僕の隣で鼻高に教授を始めそうになったキサクラをファイユさんが制す。
「さくら。ハウ君と離れてて」
「……ぅあ。……はぁい」
慄きを見せたキサクラが彼女から……そして僕から逃げるように離れて行った。
「……ファイユさん?」
……妙な雰囲気。
少しずつ……悪寒が増していく。
徐に立ち上がった彼女を見上げると、頭上で台風のように密集した魔法樹の魂の光に目が眩む。
けどそれ以上に、光を背に僕を蔑んで見下ろす少女の眼差しに、恐怖感が込み上げる。
「……小刀『笹流し』は、……昔、私がククに渡した刃なんです」
なにひとつ表情を変えず、吐き垂らすような声だ。
「……あの子、私を護ってくれるって誓ってくれたから、渡した武器……。今は、それに代わる刀剣を振るわせているけど……それを誰かにあげるなんて思ってもなかったな」
彼女の手が、その腰から吊るされていた、バチのような二本の木の棒を掴んだ。
「……ねぇ。……『戻ってくるかもしれない』あなたは、『笹流し』を、【他の誰かに渡す】なんて、言わないよね?」
──途端、ファイユさんの左右に彼女と同程度の大きさの二等辺三角形のパネルが出現した。更に、彼女と僕の間に四角いパネルが割り込み、こんな文字が踊る──。
【 雌雄決着を申し込まれました。 】
【 受諾しますか? 】
次いで。
左の二等辺三角形内に【 受諾する 】。
右の二等辺三角形内に【 拒否する 】との選択肢が浮かび上がった。
「……は、あ??」
これは、一体何だ。
僕の弱腰な発言が地雷を踏んだのか?
全く想定していなかった展開が、目の前で起こっている。
小刀『笹流し』を見せれば──ククさんの現状を伝えれば、この人は事の解決に乗り出してくれるのでは無いのか。
まさかククさんは、こうなるだろうとも想像した上で、僕に小刀を渡した? 知っていたからこそ、この小刀に、こうなる上での『想い』とやらを乗せていたのか?
もしそうなら、僕が差せる選択肢は、ひとつではないか!
僕は思わず後退る。
これを見据えながら、ファイユさんが──
「貴方が持つ小刀『笹流し』を奪います。……私に奪われる程度の人に、おいそれと大切な物を外に持ち出されたくないの。解るよね? この意味……」
それはもう、二本の木の棒を武器として構え出した彼女から犇々と伝わる。
奪う者が闊歩する外なんかに、こんなにも執着する品をぶら下げて出ていくのが、実力の程も分からない平民みたいな少年だと見れば、力ずくでも取り戻したくなるくらい憤慨して当然である。
(そりゃ、彼女からしたら、蔑みたくもなるな……ッ)
覚悟を決めるか。
此方としても、外へ出ると決めた以上武器が必要不可欠なのだ。手ぶらで観光に洒落込むなんざ自殺行為に等しいと、ククさんも心配していたのだから。
僕の身を護るようにとの彼女の想いが託された小刀で、我が身を護れず、何が『授かった』だ。僕はこの小刀が、賊にも、ファイユさんにも、『他の誰かに』奪わせる為に授かったのではない。
これを以て、生き延びる為に授かったのだ。
今それを、彼女に証明しなければ。
ククさんに応えなければ。
出来なければ。
きっと。
いや、確実に。
僕は姉にも蔑まされる。
永遠に『キズキ』にはなれないと。
いつまで経っても『キキ』のまま変わらないと。
「お前は、それで良いのだろう」となんざ、言われたくないと、僕は奥歯を噛み締める!
そして、彼女から逸らそうとしていた腹を正す。小刀を持つ手に力を入れ直す。顎を引き、眼前の選択肢を睨む。……指し示す事。僕が選ぶのは──!
「……その雌雄決着、受諾します……!」
◇