第五幕目:玉葱さんと始める樹都フォール激走劇
◇
目隠しされた僕は階段と思わしき石段を登らされていた。
「キキ様、ラスト一段です!」
ククさんが僕の手を引きながら、一段一段を慎重に誘導していく。
途中、ちょいちょい鼻先や眼鏡に冷たくて硬い感触が当たるのだが……。
「……ククさん……やっぱり、刀剣を使ってまで視界を遮ろうとしなくても……」
「でも万が一って怖いですよ? ……はい、登り終えたあとは十七歩前に進むだけです」
怖いのは見えてしまう万が一よりも、その刀剣が僕の顔を切ってしまうかもしれない万が一の方なのに……これ伝わらないヤツですかね。
──僕とククさんが樹都フォールの端に位置する、段々を為した広い遊散歩円廊、通称『展望庭園』なる入口に着いた時の話だ。
彼女は何を思ったか刀剣を抜き、「キキ様、目を瞑って、いいと言うまで開けてはいけませんよ」と言った。大人しく指示に従った僕の視界を、更に刀剣を被せて念入りに暗転させる荒技っぷりに全世界が震えろ。
どうやらククさんは、徐々に現れる絶景よりも唐突に出現する絶景が生む感動を選んだようなのだが……せめて、刀剣は鞘に納めたまま使ってほしかった。
それから、周りの僕たちを意識したヒソヒソ話と笑い声に、ここもそれなりに人の往来が有るんだなと感じて恥じる。
「二……一……はい。では、ご覧下さい! これが『樹都フォール』の全景です‼」
まず、刀剣が無事に鞘に納められた音に安堵した。
そして、心の躍動を余す事無く解き放ったククさんに従い、僕は瞼を開く……。
その瞬間思わず息が止まり──ゆっくりと解れる全身の力みから自然と声が零れ、僕は文字通りの感嘆の吐息を大気に溶かしていた。
「スゲェ……圧倒される……」
木の葉の香りを運ぶ風に抱かれた樹の都が或ると言うべき。
いざ初夏の催しをと、蒼淡より濃紺へと移る碧空は、緑に染まる眼下の街を豊寿くが如く翼にも似た雲の衣を広大に拡げていた。
そんな空にまで葉を掛ける巨大な大樹は、『世界樹』とでも揶揄されていそうな程に一際目を引かれる。
あの幹の中腹と下に築かれているのはなんだろう。一見すれば鎧か鉢か。まるで大樹を守るようにして囲む宮殿らしき建造物も負けじと、存在感を遺憾無く発揮している。
その大樹を中心にドーナッツ状に広がっているのが『街』なのだろう。
年輪に見える遊円路が幾重にも並び、その路に沿って築かれた数え切れない橋々。又は開拓演習場ほか、様々な建造物達を枝や幹に纏った数多の巨木が聳え立ち、広大なネットワークを形成していた。
大樹の群生地の中に築かれた街。そして、森を眼下にして空に在る街。
僕らが今居る展望庭園を屋上にしたフォール全体を囲む外壁の内に広がる森は、『樹都の森』だと、ククさんは手を仰ぐ。あそこに生える木々全てが、世界中探してもこの場所にしかない『魔法樹』と呼ばれる特殊な木なのだと説明してくれた。
「現在、樹都フォールに所属、学住登録されているのは、約七万三千人。その殆どが開拓者の卵で、ここフォールは開拓初心者のための勉学と憩いの場として、世に認知されています」
加え、初心者が多く在籍している故に、宮地規模の雌雄決着を行う事は何の価値もないと見られているので、過ぎ去る日々は平和そのもの。奪い合う機会は滅多に無いので、この点は安心して下さいと……ククさんは死んだ目で述べていた。
「まさか……。コラプス、やりたい……とか?」
明らかに訊いて欲しそうに振る舞うので、僕は蛇が出るのを承知で藪をつついた。
「……その方が、色んな宮地にけて、絶景巡りが出来ますからね。…………ファイユ様と二人旅が可能なら、すぐにでもここを飛び出しますけど。あの方は外に連れ出してはいけない決まりですし……」
嗚呼、くちおしや。
ククさんは、ガチ勢特有の苦心ってやつを目に宿し、爽やかな空気が溢れる樹都から、見事に分離した負のオーラを醸し出していた。
(『私を怖がる人』か……。なるほどね)
感情が顔に出やすい──と言うか『心中は目で語れ』を、体現しているのだろう。期待通りの蛇が見れて、余は満足である。
「……あぁ……。それで僕も、ここで開拓を学ぶ運びに……?」
あまり深入りはせず、空気を変えようと努めた僕の質問に、ククさんは漸く顔にこびりついていた邪を昇華させて答える。
「それはキキ様が開拓者の道を希望されるのでしたら、わたしも尽力を惜しみませんよ。……ですが、そうしてしまうと、数在る宮地の特徴、雌雄関係等の見定めが困難になりますね」
なにも、初心者が集う宮地はフォールだけではない。もっと色んな宮地を見て回り、見聞を広めてから腰を構えて決めるのも手である。
ククさんは、そう僕に諭させたかったんだろうが、彼女の目は、露骨に「折角、絶景巡りが出来るチャンスを……勿体無い……」と言っていた。
「……そ、うデスネ。選択の幅を拡げるのば大事ですよね。……因みに、ここから一番近い宮地って、どれくらい離れてるんですか?」
「近い宮地なら『滝都アクテル』でしょうか……。歯輪の次元を通れば、歩いて半日くらいですが、全徒歩ならば軽く四日は掛かるかと」
フォールの外壁の外側に伸びる街道、雑木林に覆われた丘など大自然を指差し、「勿論、道中襲い来るであろう賊や獣を蹴散らせる程度の脱初心者開拓者レベルの目安で、四日です」と付け足す。
そう言うククさんは心配そうに僕を見ていた。
道中は危険なので、自分を雇え的な眼差しだと捉えられなくもない。
「……護衛って、雇えるんです……か?」
「雇えます。けれどそれには、資材トレードが交渉の要でして……。あ、でも、キキ様をご案内する身に務めさせて頂いてます私なら、『無償で』ご期待に添えられますかと?」
玉葱の皮を剥くように、本心を見せてくる人だ。
これ、彼女に乗っかって、「じゃあ、お願い出来ますか?」って言ったら、どうなるんだろう。
「ククさん、護衛をお願い出来ますか?」
試しに言ってみた。
するとククさんは……。
「是非ッ……! あ、でも、わたしはファイユ様から離れる訳には……! けれど、キキ様の熱望を無下にはッ! ああどうしたらぁ‼」
嗚呼、ログアウトしたい。
多分、この葛藤を楽しみたかったんじゃないかな。って思えるほど、ククさんは光悦とした顔を両手で挟み、人目を憚らず悶えていた。此方も、玉葱の硫化アリルが目に滲みて悶えたいって話をしたいのですがダメですか。
──と、ククさんが「では、こうしましょう!」なんて、更に玉葱を剥こうとした時だった。
彼女の眼前に、逆さ二等辺三角形が浮かびあがるや、更に一枚の六角パネルが出現した。
「……え、『緊急任務』……?」
「緊急任務?」
ククさんが虚を突かれたように溢した言葉に誘われ、僕もククさんの目線側に回り、開封されていくパネルを覗いてみた。
四角形に広げられたパネルに表示された文をククさんが読み上げる。
────
『樹都フォール所属開拓者各位へ
緊急任務の通達
先刻、樹都内某所より魔法樹の短剣
『吸魂の一振り』が
アーツレイ以下上層部以外の手に渡った。
治安当局は、これを一級盗難事案と認定。
即時奪還を決定した。
事態は急を要する。
樹都フォール所属の開拓者諸君には、
この決定に同ずる任務が与えられた。
迅速なる完遂を期待する。』
────
ククさんが指先で文面をスクロールすると、その下に緊急任務の詳細と思われし文脈が現れた。
このパネルは周囲の者達にも同じく開かれ、見渡してみれば百人を超える人々が釘付けになっている。
(もしかして、この緊急任務っての、フォールに居る七万人全員が見てるのか?)
だとしたら、相当重要な任務だと察せられる。
「……ククさんも、その任務に行かれるんですか?」
僕が尋ねると、彼女は詳細文を口に含ませる行為を中断し、難しげな面持ちで応えた。
「……そう……ですね。わたしは、キキ様の案内役を優先していますので……今は、参加しかねるかと……。あと、報酬が……」
鉄のインゴッド五個だけとか、初心者向けの任務ですねー、などと、ククさんはパネルを興味無さげに消した。上級者に出る幕はない。初心者の皆ぁファイト! と言う素振りだ。
なら、僕はこれを世間話の一ネタと捉えて訊く。
「今の任務って、つまりアイテム奪還ですよね? 誰が持ってるかも分からないのに、初心者が見付けられるんですか?」
「それは、対象にマーカーが付けられるらしいので。……そろそろ可視化されると思いますよ。見ていましょうか!」
ククさん曰く、そのマーカーは、任務開始と共に対象物から空へと赤い光が放たれるらしい。そして、光は文字に変わり、常時対象の頭上に表示され続けると言う。
まずその光を一緒に観ようと、展望庭園の内枠の高欄まで彼女は僕を連れていく。
その際、改めて僕の視界が樹都フォールの光景で埋まる。
何度眺めても圧倒されるだろう広大で、神格に祝ぐされるような森と街。
今からここで何人もの人が右往左往するイベントが始まるのか。
現地に着いたらお祭りが始まったって感じで、内心ワクワクする。
ここで僕は一つ、そのお祭りを眺むべき友人の存在を思い出した。
折角、面白そうなものが観れるのだ。あいつも観れた方が良いだろう。
「ククさん。あの、綿毛の獣の件なんですけど、一応合流しておきたいので、ファイユさんと連絡とれますか?」
「──あ! そうでしたね! 少々お待ちを……」
武器庫でも一度言われていた事を思い出してくれ、ククさんはメニューパネルを開示させると、数枚の六角形が輪を成した中央にある、六角形のワイヤーフレームの一角を指先でホールド。続けて黒電話のダイヤルのように時計回りに回した。
それが『シュワランッ☆』と光SEらしい効果音を鳴らし、中央の枠の中に『通話 ファイユ様呼び出し』なる文字が浮かんだ。
……しかし。
「…………あれ? 出ませんね」
ククさんは一度呼び出しを切り、もう一度通話の呼び出しを行う。
だが、そこからファイユさんの声が返ってくる事はなかった。
この不穏醸す事に、ククさんの表情が一気に青褪める。
「……もしかして。……なにか事故に遭われたんじゃ……!」
「ククさん、落ち着いて。まず、ファイユさんが今……」
何処にいるか見当が付くかと、僕は祈る手の甲に爪を食い込ませる彼女に聞こうとした。
ところが、そんな僕の視界が突如として赤く染まる。
「え──?」
赤い光が。
僕を中心に赤い光が地面から放出し、それは瞬く間に空へと駆け昇った。
「……え」
ククさんも突然の光の演出に、戸惑いの声を漏らす。
次いで赤い光は僕の頭上に収束し、【 TARGET 】なる文字へと変化した。
「……はい?」
これは……つい今さっき、ククさんに教えてもらった『マーカー』と言うモノなのでは……なかろうか?
何故に、僕の頭の上にそれが……?
僕が、TARGET以上にはてなマークを頭に浮かばせていると、ククさんが一歩──退きながら問うてきた。
「……キキ様……。なにか……お持ち、ですか?」
「……何って……」
持ってるモノと言ったら、武器庫で選び取って、今腰に携えている木の短剣……。
それを取り出し、ククさんに見せる。つまり、外に晒した。
その瞬間、周りの衆目が、一斉に此方へ集まった。
それはもう、トラウマを抉る勢いで。
「──恐らく、その短剣が『吸魂の一振り』かと……。キキ様……」
ククさんの目は、色々考える事が綯交ぜになって、混乱と驚愕で視点が覚束無い様子だった。
かくいう僕も、咄嗟に掴み取った武器が、そんな大層な名前が付けられている物だなんて思いもよらず。
「……えと……返した方が、良い?」
と、ククさんに問うていた。
これが合図だったかは、分からない。
しかし、周囲にいた開拓初心者達であろう者達が、堰を切った様に雄叫びを挙げて、猛然と疾走してきた!
「ウッソだろ!?」
既に完全に囲まれている。
逃げ場など無い。
このまま、揉みくちゃにされて、僕は連行されるのか。
──と、その時。僕の手を誰が掴み、勢いよく引っ張った。
「キキ様! 飛びます!!」
「え」
ククさんが僕の手を引くと背中に腕を回し、この体を抱えたまま高欄を飛び越えた!
状況の理解が追い付かないまま、僕達の足が地面から離れ、展望庭園の十数メートル下の外路へと落ちる!
「なんッ──ククさん!?」
「わたしの責任です! 気づけなかったわたしの!」
言うと、ククさんは眼下にもう片方の手を向けた。すると、その手元に開拓のパネルが開き、着地地点に石のスロープが出現。僕達はそれを滑るようにして下の外路に行き着いた。
でも、ここにも人は居る。
当然ながら皆、此方を向いていた。
「キキ様は、あの獣との合流を希望されていましたよね?」
目に勇ましさか、それとも苦念かを滲ませたククさんは、この問いに僕が頷いたのを確認すると、立ち上がって刀剣を抜いた。
「わたしはファイユ様の下へ駆け付けなければなりません。なので、目的地は同じ。……わたしは、キキ様を最後までご案内させて頂きます」
カッコ良。
いや、でも、そう言う事ならと僕も立ち上がる。
「……ディフェンスゲームどころか、これじゃあ、脱出ゲームだな……」
僕のぼやきに、ククさんは一瞬「ナニソレ?」な表情を見せたが、すぐに迫り始めてきた開拓初心者達に目を向け、気を猛らせた。
「キキ様! 走ります!」
「分かった!」
僕とククさんは、樹都フォールを舞台とした、混沌極まるであろう全体クエストのど真ん中へと身を放つ。
始まったのは激走劇であり脱出イベント。閃かれた刀剣の斬撃は、大騒ぎの開幕を報せるゴングとなった。
◇