第六十九月:秘都の勇者と野良魔王③
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『囚われのカゥバンクオル』……か。
赤い結晶の絨毯を踏み締めると、いつも己の羞恥に辟易していた。あの老いた個体を解放させてやれたらと、何度も思い、捕らう結晶の破壊の為にどれだけの手を打ったか分からん。
それらが失敗に終わるたび、ついぞ考える。
悪魔リロニス──あの時囚われて欲しかったのはアイツではなくて、お前だったんだよと。
「──ザド! お久っ」
「若、この魔獣ども──どうにかならんか!」
黒華繚乱たる周囲の巨花からは、絶えず魔獣クヴァリエルが生成され続けている。それらがどれほど襲い来ようとも、ザドは口で嘆いてみせるほど苦戦して『は』いないようだ。
気持ちは分かる。ウザいもんな。
「変に攻撃すると妖精さんが起きるしな。回避に徹してるザド君、偉い偉い」
「偉かろうがなんだろうが、我慢の限界はあろうよ! いい加減、そろそろ手ェ出おるぞ!」
魔獣の突進を躱し、僕様とザドは奥で待ち構えている暗黒晶へと走る。目を凝らして、無駄に大きく広げた翼の根元を見るが──あそこに何がいるのかは、まだ遠くて確認ができない。
……それなら、
「なあ、アレ本当に暗黒晶かな?」
「っ? ──特徴から察しただけだからの。本当にそうかは調べてみおらんと……!」
行ってみるしかないか。
「うし、本体を拝んでくる。ザドはザドらしくついてきな」
「あ? おい若──!」
逞しい獣族の別れを惜しむ声を背に、僕様は襲い来た魔獣の剛腕を受け流すと、これを足蹴にして加速した。
この動きに釣られたか。
二、三頭が僕様の動きに合わせてついてくる。
前方には待ち構える個体と、突撃してくる個体。
波状を仕掛けるのか。それとも袋小路に落とす気か。
(──ん?)
今一瞬、一頭だけ巨花の上で高みの見物を決め込む奴が見えた。妖精さんが様子を窺っている……?
こんな序盤で統率を取られてもキツいぞ。
なら、ここは攻撃を喰らって見せるべき──。
「ほっ──たッ──」
向かい来た個体の背を滑り、素人のように宙へ身を投じる。そうして速度を落としたこちらへ、後ろから来ていた個体が、羽虫を叩き落とそうとするが如く前脚を振りかぶるも──。
(それは喰らいたくないな)
身を捻って寸で回避。
僕様の胸を擦る魔獣の体毛の嫌悪感たるや。
ゴワついたソレを押し除けたついでに、一旦橋に着地──するも、そいつも同時に足を着けた事で橋が大きく揺れた。
「おっ、おっとっと」
僕様とあろう者が、子供のように膝をついてしまう。当然、こんなノロマを見逃しはしないだろう。
ゴゥと風を唸らせた魔獣の尾に視界が奪われた。
─ ──僕様の体は容易に弾き飛ばされ、後方にいた個体の脚に強くぶつかった。
「痛ったー。……まあまあ、いてぇな」
椅子代わりにした魔獣の足先で項垂れていると、別の個体が悠々と近づいて来やがる。
さっき一頭だけ傍観決め込んでた奴だと予想するが。
「……あン? なんだよ」
まるで「勝負あったな」とでも言いたそうに佇むソイツに、こちらも前のめりになって睨みつけた。
背中の白い模様──妖精さんが薄目で睨み返してやんの。けど、それってさ──
「お──っと?」
こちらが注視と隙を晒した瞬間、尻に敷いていたはずの魔獣の足が、天より現れる。
体勢が崩された。
迫る肉球と爪は瞬きすら許さんとする程の速さ。これには僕様も潰されて──!
──って、そんな訳もなく。
橋を砕く音はとても重く、僕様は片耳を塞いだ。
『奴らの攻撃など眼中にない』──そんな立ち振る舞いで、二秒前にいた場所から、幾分離れた所でつま先を鳴らす。
「あーあ、折角の頂き物なのに」
手に纏った歯車が、ガラスのように割れるエフェクトを最後に消えた。
「一個しかなかった貴重な瞬間移動アイテムを使わせんなよ」
パンパンと手を払い、僅かに沸いた苛つきを示す。そして僕様は、こちらを向く魔獣共から二歩三歩と離れ──指に挑発を込めて言う。
「──来いよ。つまらん陽動なんかしないで、もっと楽しく遊ぼうぜ」
吠えると同時に、筆ノ亜の尾端を変形──二基のブースターを追加生成だ。
これより我が筆は──神速を体現する。
──噴き荒れる火は石床を焼き
熱風を置き去りにする我等の前では光も溶ける
翔ぶ──空すら踏みしだく『翔』
橋上だろうが巨花だろうが炎で包み──果ては魔獣共の追跡をも嘲笑った
「──おお……」
それでも、筆ノ亜と僕様の速度に喰らいつく個体が何頭かいる。素晴らしい奮闘ぶりだ。
「やるじゃん。──さてはお前らも勇者の類かっ?」
そんなに遊びたいと思ってくれているとは嬉しいね。
ならば舞台を広げよう。
橋の欄干を飛び越えた直後にブースターを切る。
身を翻した際に見えたのは、七頭の影が白濁たる背景に浮かぶ情景。
奴等を視線で斬り──回転しながらの落下で、光粒筋の螺旋を描く。
すると……!
足元から編み上がるは──木造帆戦艦のお姿よ!
濃霧を掻き分け、瞬次の着水──……!
派手に巻き上がる水飛沫。象られた大武器の上に立つ僕様は、踵に重心を乗せて声を上げる。
「全門、天を捕らえ!」
人を差す指が白空を刺す。
合わせ、両舷にて備わる七門の無人砲が一斉に跳ね上がる。捉えるは、ご大層に爪を見せびらかす魔獣共だ。遠慮はいらん──さあ、踊ってみせろ!
「──撃てぇ!!」
頬が波打つ程の爆音。そして七色の煙幕──!
色煙を纏う砲弾は滝を昇る龍の如く天へと去る!
それ即ち、狙われた魔獣共はそれらを見事に躱しやがった事の証明だ。
「いいね。流石、選ばれし勇者共──」
言い終わる前に、お返しだと言わんばかりに巨躯が乱れ落ちてくる。
戦艦は抉られ、穿たれ、瓦礫が弾け飛ぶ。
……けたたましさが静まると、ゆらりと浮かぶ大きな影に囲まれた。分かりやすい絶体絶命シーンか。
だが、一瞬で轟沈させられた武器を見下ろす僕様のテンションは……
「もっと駆けっこを続けるか?」
これに応えるような殺気を感じ──『次』を欲していた。
「よろしい──受けて立とう!」
木片が散らばる水上。
崩れて見る影もなくなった船を光の粒に還し、僕様は直下の水面へと身を投じる──その刹那で。
──筆ノ亜を形態変化。
ペン先より生成される半卵形の膜が僕様を大切に包み──尾端はメカニカルな尾を伸ばして尾ヒレと成る。
完成された姿を一言で表すなら──
「『透明なイルカさん』だな♪」
まとわりつく気泡を振り払うように、我がイルカさんは水界を翔び──水面を跳ぶ!
この速度は火を噴く場面にも引けを取らん。
それでも迫る魔獣は、水没した我が街を飽きるまで連れ回してやろうか。
──よく見れば、奴ら水上を走っている。ザドと同じく水面を硬質化させている……いや、走るモーションを見せながら飛んでるのか。
(自重をゼロにしてまで水を嫌うところは、まさに暗黒晶の特性って感じ……)
……思い出すは、暗都パルジのNPC雑兵攻略法。
「確か、アイツら原料が水溶性なんだったか……」
思う事は、一つか二つ。
それ以上は黙ったまま、思うままに進路を変える。
直進を望める開けた水域から、建造物が突出した入り組んだ場所へ。尚も追いかけてくる魔獣共を挑発するように蛇行し──高い障害物を見つけると、
「……さて」
奴らの知覚の直線上から外れ、物陰に潜む。
迫るような足音はしない。それでも、僕様を追う気配を感じ取る。
「……っ」
肩を押し込むような圧
本能は迫る敵意を明確に察知し──
瞬間的に薙いだ尾ビレが、大口を開く水の猛獣を生んだ。
それと同時に現れる魔獣。僕様の目に映るは、瞬くよりも早く、水の接近に気付く仕草。しかし、デカい図体は反応し切れず、ゆっくりと。だが、あっという間に喰らわれる様子。
水の猛獣は弾け、水飛沫となって魔獣に纏わり付いた。その途端、まるで埃を払うかのように──魔獣の姿が──爆散した……!
「……わぉ」
妖精さんが起きる暇もない。
だだ、水に弱いのだろうと思って試したら……思った以上の瞬殺を見せてくれたとは……。
いや、そんな簡単な話でもあるまい。単に水を嫌い、四散しただけとも取れる。
しかし、これは本物の魔獣クヴァリエルにはない弱点なのは確定的だ。
笑える事に、設定主はミスを犯してるみたいだな。それとも、攻略法として残していたとでも抜かすのか。
「…………はは」
どちらでもいいか。
実に良い手を見つけた。
自然と上がる口角に、必勝法を見つけた子供のような気持ちが乗る。
伝えねば。仲間と共有してゲームをクリアするのだと。それこそ、幼い衝動に駆られるままに、僕様はザドの姿を探す。
──ところが、
「ぇ。あの、白い……のは」
ある一点で目が止まる。
遥か先の霧の上ではあるが、黒く蠢く塊の中で起き上がる白く……不穏な姿を見つけた。
直感する。アレは妖精さんだと。
「……ザド」
ヘマをしたか。力技に頼り過ぎたか。
そもそも、ザドは速度を活かすよりも剛腕派だ。
そんな奴が、とうとう我慢の限界を迎えてしまったのか……。
「──クソっ!」
透明なイルカさんの向きを彼方へ変え、最大速度を出す勢いで爆進する。僕様を追ってきていた個体の脇を擦り抜け、ザドがいるであろう橋へ。
遠目でも分かる。
一頭の魔獣の背より妖精さんが起き上がり、他の個体に組織立った動き──戦略を以て獲物を狩ろうとする畝りが見て取れる。
「バッカ……! 糞馬鹿若みどりっ! 調子に乗ってアイツと離れ過ぎた──!」
水面を駆ける音が、自責の念を増幅させていく。
こんな焦燥感など一秒でも早く晴らしたいが、無情にも距離があり過ぎる。間に合わない。そう理解してしまう自分が許せない。
ほら見えるだろ。
魔獣共の中にザドの姿があるのを。
圧倒的に多勢に無勢だ。
ザドの視覚に入るところまでは行けようが、手まで届くかはわからない。
それでも。それでもと水を切り裂き続け、ついに──!
「──ザ……ッ!」
跳び、霧を抜け、橋を眼下に捉える。
黒い濁流に飲み込まれる寸前。ザドはこちらに気付き、射抜くような眼を向けた。
その意味は、恐らく──「来るんじゃねぇ」
もう、我らはどちらも馬鹿である。
そう感じた瞬間の事だった。
「は──?」
ザドを飲み込もうとしていた魔獣共の流れが、粉砕したのである。
花火のように舞い散る巨躯の数々を前に、僕様もザドさえも目を丸くした。
「な……に?」
この呟き。
この呟きに答えを添えるかのような人影が、ザドの前に現れた。それは徐に振り返り、
「はぁ。追いついて良かったですよ、ザドさん♪」
笑みを浮かべるその者に、ザドは驚きと戸惑いを混同させた声で、静かに言葉を返した。
「……し、──シバコイヌ?」
───
いや、おまえ……




