「ひざまくらは嫌か?」
國定道場の朝。
学校に行かなければいけない涼や琴名、仕事のある知里が出ていくとひとまずの忙しい時間は終わる。
優太が屋敷内の掃除をしていると居間ではTシャツにジーンズ姿というラフな格好の香澄が長机に週刊誌を置いて座っていた。
「香澄ちゃん、何読んでるの?」
「······」
優太が聞くと香澄はピラと読んでいる雑誌の表紙だけを見せてきた。
月刊格闘技マニアックス。
「へぇ格闘技雑誌ね、もしかして今回の大会の事が載ってたりする?」
「まぁ、少ないがな」
香澄の返事は不満げ。
「少しだけでもいいじゃん、どんな感じに載ってるの? 香澄ちゃんとかみんなも記事になってる?」
箒を置いて覗き込む優太。
香澄が開いたままにしていたページには決勝大会記者会見時に並んだ選手達の写真と大写しになっている柔道着姿のある選手。
「ああ、赤垣杏子ちゃんか、そりゃ金メダリストだもんな、注目度もダントツなのは当たり前だよね」
「ま、それはそうだな、でもこの雑誌、今大会の事が載ってるの3ページだけだぞ? それも赤垣杏子ばかり、あと大きく載ってるのはアンバサダーの知里、まぁこれは構わないが······」
「う〜ん、でもさ杏子ちゃんが出てくれるお陰での盛り上がりもあるわけだからさ、それにね······」
「それに?」
「ウチの道場の誰かが彼女を倒しちゃえば格闘技界ではあっという間に立場が逆転するんだよ?」
ウインクしながら優太が言うと、香澄は少し唖然とした様子。
珍しい表情だ。
「なに?」
「いや、お前も結構言うようになったな、と思っただけだ、金メダリストはそんなに甘くないぞ?」
「もちろん金メダリストの杏子ちゃんが強いのは当たり前さ、でもオレは國定道場のみんなの強さも知ってるからね、この間のミーティングの時も香澄ちゃんが言っていたけど柔道ならひっくり返っても勝てないけど総合格闘技の試合と言うなら······」
「······琴名が勝てる、と?」
「勝ってくれるさ」
「運営側はそうは思っちゃいない、これは中学生メダリスト対女子高生格闘家というマスコミ向けの第一試合を今大会の主役格である赤垣杏子が華麗に勝ち抜くシナリオだ」
「そうだろうね」
それには優太は同意する。
あくまでも各選手の扱いは平等というのが建前であり当たり前。
しかし格闘技も興行である限りは人気選手が勝ち抜いてくれた方が運営側からしても大会が盛り上がり望ましいのは確かだ。
「私がプロモーターでも対戦相手は琴名だろうな、日本人女子高生というなら泉、体格的にはナディアとやるエディスがいるが國定道場所属の琴名に比べて無名が過ぎるし、逆に世界的なコンロッド柔術のメルシナは危ないからな、他の予選勝ち上がり選手は年齢が上がって学生対決というインパクトが無くなるし、体格的にも上の打撃系はこれもまた危ないからな」
危ないというのはすなわちプロモーターの意図に反して杏子に勝ってしまうとい事。
敢えて酷い言い方をするなら琴名は赤垣杏子のデビューでもあり大会を盛り上げる一回戦の格好の生贄にされているという言い方をしても良い。
「大会運営側にも色々と考えはあるだろうけどね、それをこっちに押し付けてこなきゃ本人が受ける試合は応援するよ」
「そうだな」
これが運営側から「赤垣杏子を勝たせろ」と言ってきたなら話が全然変わるのたが、意図が見える程度の組み合わせで文句を言うつもりは一切ない。
「それに運営側はこちらにはそれなりの配慮もしてくれてるからな、一回戦で國定道場同士の潰し合いを組まなかった」
「そうだね、そこは正直感謝だね、全員で一回戦突破もあり得るんだから」
偶然かもしれないが優太は組み合わせに感謝する。
「前にも言ったと思うが、逆に一回戦全滅もあり得る」
「そ、それは······」
それは前にも香澄に指摘された事だ。
最悪の可能性の指摘に思わず苦笑する優太だったが······
グルンっ!
「ええ???」
右の踵あたりを一瞬触れられた感覚の後で優太の視界は回った。
中腰で話していた状態の優太の身体はいつの間にか一回転されて香澄に膝枕をされているという態勢になっていたのだ。
「え? え?」
陣内流柔術。
身体の痛みも何もない。
まるで魔法。
いや痛みどころか、後頭部に感じるのはジーンズの生地越しの香澄の腿の柔らかさ。
「あ、あの······」
「まぁ、安心しろ······私はまず負けない」
「あ、いや、その······そういうことではなくてね、な、なんでこんな態勢に?」
「ひざまくらは嫌か?」
「あ、いや、とかではなく、香澄ちゃんがそんな事をしてくれるのは嬉しい事で······」
香澄の予想外の行動に優太は膝枕をされながらあたふたとしてしまう。
「ふふっ」
笑う香澄。
滅多に見せない表情で見下される。
「か、香澄ちゃん?」
「優太······」
スッと香澄の掌が優太の頬に触れる。
およそ格闘技をやっているとは思えないくらいの繊細な指先。
「ふっ······」
香澄は先ほどのとは違う口元を僅かに緩める笑みを見せた。
「これ以上は喧嘩を仕掛けられてしまうかもしれんな、ほら起きろ」
「?? あ、うん」
後ろ頭を軽く押し、優太に起き上がるように促し香澄は雑誌を片手に立ち上がって廊下に歩いていく。
「な、なんだったんだろう?」
上半身を起こしたまま立ち去っていく香澄を呆然と見送った後、優太は何かの気配を察して振り返る。
「······」
そこには憮然とした顔をしたナディアが仁王立ちしていた。
「ナ、ナディアちゃん!?」
「仲がよろしいですわね?」
「え? え?」
たじろぐ優太。
金髪ロールテールの髪の美少女は明らかに怒っていた。
嫉妬だ。
そんな感情も自分への好意も含めれば嬉しくもあるが今は怒りが先に来ている。
「あ、あの」
「挑発のつもり? でもまぁ良いですわよ、用事がありますの、優太さんは今日はお暇?」
「え、あ······うん、暇だよ?」
無理やりに怒りを抑えた様子のナディアに優太が頷くと、
「じゃあ、これを見てくださいまし」
そう言って優太にスマホの画面を向けてくるナディア。
メッセージ型SNSアプリの画面。
「ん?」
「ほら? 前に行ったプロレス道場のデストロイヤー森さんからですわよ?」
「ああ、倉木さんの所の?」
「ですわ、前の会見の時に連絡先を交換していたんですわ」
「そっか······ええっと?」
見せられた画面を見ると森は、
「本大会も近いので一度、倉木と國定道場の方々で合同練習をさせてもらえないでしょうか? 幸い倉木は國定道場の方々との対決は一回戦ではなかったので、道場主の佐藤さんや他の方に聞いてもらえないでしょうか?」
と、ナディアにメッセージを送ってきていたのである。
「多分、倉木さんは周りに総合格闘技をやってる人間がいなくて練習相手に苦労しているんですのよ」
「ああ、そういう事か」
倉木の周りにはプロレスラーはたくさんいるが総合格闘をやっている人間はほぼいないのは容易に理解できる。
「で? ナディアちゃんはどう思う? いくら一回戦で当たらないと言っても大会の優勝を争うライバルには違いないけど?」
「涼や香澄はどうかはわかりませんけど、私は受けてほしいですわね、練習相手が欲しいのは同じですわ、倉木さんは手加減無しで組める相手ですわ」
「······なるほどね」
ナディアのパワーは国定道場の中の格闘家の中でも抜きん出ている。
グラップリングに応じるには琴名ではそのパワー、体格差があり過ぎるのだ。
「じゃあ来てもらおうか、ナディアちゃんの練習にもなるというならこっちも大歓迎だしね」
「······ありがたいですわ」
ナディアの笑顔。
その表情に機嫌が直ったと安堵しかけた優太だったが、
「でもさっきは何やってましたのよ!? 膝枕とか何なんですのよ?」
と、不意にグィと後ろからのグラウンドヘッドロックを決められてしまう優太。
「アタタタ······だめ、ナディアちゃんの力でそういうの······強いっ!」
痛い! 確かに痛いが······本当に痛いが。
『当たってる······というか、ナディアちゃんわざとかな??? や、柔らか、それにでっかい』
締められつつもナディアの豊満な胸元に頭が押しつられて感じる柔らかな感触に優太は赤面してしまう(締めの影響も大きい)。
「い、いや、でもマジに痛い!」
「じゃあ、もうそういうフシダラな事はしませんわね?」
「フシダラって、あの結構この体勢もけっこう······いてててて!」
フランス人のナディアがまともに理解して言っているのか怪しい単語に抗議しつつジタバタとしていると······
「なんか朝っぱらから胸に顔なんか埋めてイチャイチャしてんじゃねーかよ?」
「!?」
見知った声が聞こえてきて、ナディアと優太は動きを止めて廊下に目を移す。
そこにライダースーツに大きめなスポーツバッグを持った安東唯の姿があったのであった。
続く




