「今は互いに笑顔で」
「ヘイ! コトナ!」
リングから降りてきたメルシナは琴名に向かって真っ直ぐに駆け寄ってくる。
琴名も次の試合に向けてファイトシャツにスパッツというリングコスチュームだ。
「凄かったね、下からもあんな上手く袖車が決まるんだね」
「決勝で決めて上げるから貴女もキチンと勝ちなさいよ?」
「えへへ······どうかな? 僕もこれから見せる技を決勝でメルシナに極めてあげるよ」
笑い合うメルシナと琴名。
《いよいよ、予選通過者最後の一人を決める闘いが始まります!》
「じゃあね」
「気をつけな」
ネット放送の実況の声に琴名はメルシナと頷き合い、近くにいる優太と真依、涼の三人に歩み寄る。
「さぁ、琴名ちゃん······成長見せてもらうわよ」
「もちろんだよ、涼ちゃん! ボクは涼ちゃん達が待つ決勝に行くんだからね」
「じゃあ、行こうか!」
今日の最後の試合。
優太、涼、真依の三人全員が琴名の闘いを見守るつもりだ。
「音羽選手! リングへ、セコンドの皆さんも準備お願いします!」
係の人間から呼ばれ、琴名はリングに上がり優太達はアイスやバケツ、水を用意してセコンドにつく。
《さぁ! 色々な事があった予選もこれで最後の一人を決める試合です! 國定道場所属の最年少選手音羽琴名対ドリームアイドルの喧嘩番長安東唯!》
青コーナーの琴名の対面に立つ特攻服の安東唯は鬼気迫る迫力を放ちながら腕を組んでいる。
二人はリング中央で向き合う。
「······」
唯は無言で琴名を睨む。
一回戦終了後に会った時とは違う。
『ボクはもう敵なんだ······わかったよ』
顔を上げ琴名も唯と視線を合わせる。
「互いにセコンドへ!」
レフェリーに分けられコーナーに戻る。
「······ハナから来るからね!」
「わかってる」
涼の助言に頷く琴名。
対面のコーナーに振り返り意識してボクシングポーズに構える。
《さぁ、予選決勝戦第八試合! 音羽琴名対安東唯戦のゴングが······鳴った!》
「うおおおっ!」
烈帛の気合いからの右フック。
速く重い。
だが当てる為の布石も戦略もない。
ピッッッ!!
前髪に唯の右拳が掠めるくらいギリギリで見切り、
バシッッッ!
琴名は左のフックを唯の右頬に見舞う。
《ナイスカウンター! 大振りな安東唯の右を左で迎撃! しかし安東唯は崩れない、パンチの連打を放つ!》
唯の豪快で大振りな左右のパンチがカウンターお構いなしに繰り出される。
振り回されるパンチ。
「くっ!」
舌打ちして琴名はパンチを躱し、ガードしてカウンターのロー!
綺麗に入った、が······
「止まるかよ!!」
唯の攻撃は止まない。
左右のパンチ、そして······ケンカキック。
躱せなかった。
両手をクロスしてガードしたが体格差の哀しさ、琴名の身体は大きく宙を舞う。
《当たった! 安東唯のケンカキック! 琴名選手の小さな身体がコーナーに向けて吹き飛んだっ!》
「あぅっ!」
コーナーで背中を打つ琴名。
ギンと目を見張りそこを追撃していく唯。
その動きは素人ながら素早い。
「琴名ちゃん!」
目の前のコーナーに吹き飛んできた琴名の小さな身体に思わず叫ぶ優太。
唯はもう追撃態勢だ。
琴名に大きく振りかぶっている。
バシッッッ!
左での鋭いジャブが唯の顔面を捉えた。
《琴名選手のカウンタージャブ! だが······》
「止まらねぇよ!!」
カウンタージャブで態勢を崩されつつも唯の右拳が琴名の左頬を捉えた。
《当たったぁ!! カウンターを物ともしない安東唯の右拳が音羽琴名を捉えた!》
『こ、これはっ?? 重っっ! やっぱり唯さんのパンチ重いなぁ······』
受けた瞬間に歪む景色。
琴名の身体が前のめりの沈み込む。
もちろん唯は見逃さない。
「やっとこさ、やっとこさ当たったぜ! そうりゃぁぁぁ!」
《膝蹴りが! 安東唯選手の強烈な膝蹴りが倒れかけた琴名選手を襲うっ、当たった!》
バコッッッッ!!
鈍い命中音が響く。
「よっしゃ······」
手応えあり!
唯は拳を振り上げようしたが······
「つっ、つ、掴まえたぁ~」
琴名の息絶え絶えの声が聞こえ······唯の視界はグルンッと回った。
《倒したぁ! 膝蹴りを受けながらもその脚を取っての片足タックルが決まった! 音羽琴名、安東唯を倒したぁ!》
「こ、このやろう!」
「だめ、だめ、だめ!」
唯は立ち上がろうとするが琴名は容易くサイドポジョンを取り、唯の身体をマットに横たわらせる。
「フゥ、やっぱ倒すまで苦労したよ、まだ頭がクラクラするね」
自らの身体を預けて唯を下にして琴名は息をついた。
《さぁ、倒したぞ!? そうすると次の展開はどうするか?》
「やだね、次の展開なんてないよ」
「なに?」
「唯さんの重い攻撃を二回も喰らっちゃったからね、回復まで休むよ」
「ふざける······」
「暴れない、暴れない!」
何とか抵抗をしようとする唯だが琴名は簡単にその抵抗を潰してしまう。
寝技の技術に関しては差があった。
「このっ!」
「ダーメ、まだだよ!」
強引に起き上がろうとしても体重移動で抑えられてしまう、そしてパシッと上からのパンチも唯の頭にいれる。
《サイドポジョンからのパンチ! 安東唯、立ち上がりたいが立てない! 寝た状態では敵わないか!?》
「やりやがって! 殴るならマウント取ってこいや!」
「それもやだね」
サイドポジョンからのパンチは正直威力は出ない、KOされる可能性は低い。
それならば強烈なマウントパンチが打てるマウントポジョンを取ればいいのだが琴名はそこに移行しない。
「なんで?」
「サイドポジョンならまず立たせない自信があるからよ」
意図がわからない優太に涼が説明する。
「え?」
「サイドポジョンはいわゆる横四方固めよ、マウントポジョンは縦四方、それもパンチを打つとなれば相手の胴に乗らないといけないからバランスがサイドポジョンより遥かに悪くなってしまう、いわゆる返されるという可能性が出てくるわ」
「という事は琴名ちゃんは」
「危険を冒してまで今はサイドポジョンを解きたくない」
「し、消極的だね、なんか」
唯の重い攻撃を喰らいつつも何とかタックルを成功させて倒したのに······
ここでこそ唯をKO出来る可能性のあるマウントを取るべきじゃないか?
寝技の技術には差がある、マウントでも返されるとは限らない。
涼の口元が弛む。
「へぇ~、消極的ねぇ、私はそうは思わないけどね」
「そ、そう?」
「むしろ······琴名は意地でも勝つ気や」
真依が口を挟んできた。
涼もそれに頷く。
「それって······」
「これから解るわ·····意地でも勝とうという琴名の動きが」
《立てない! 唯選手、何とか立とうとするが琴名選手のコントロール内で立てない! 所々で細かいパンチで動きも制限される、これは膠着か?》
「膠着じゃないよぉ、それっ!」
「ぐっ······!」
動きが無くなると琴名が関節を狙ったり、細かいパンチを放つので膠着としてスタンディングにもレフェリーは戻せない。
優太は顔を上げる。
「まさか······琴名ちゃんはさっき真依さんが河内いずみちゃんにしたみたいに?」
「予選は5分しかないからな、いくら強いのを当てたとはいえ唯ちゃんが当てたのは二発、時間にしてもたったの十数秒、それも琴名ちゃんはちゃんとカウンターもしとるし膝蹴りはキャッチしてタックルも決めてる、ここまで2分たったけど、唯ちゃんが有利だった時間はホンの十数秒や、ここからの時間を全て琴名がコントロール出来たら?」
「負けはない」
「そうや······」
不敵な笑顔で頷く真依。
《あ~だめだ、脱出できない! 体格差も有利な筈の安東唯! だが音羽琴名のサイドポジョンを脱出できない!》
いかに動こうとも。
暴れようとも。
唯の身体はコントロールされていた。
3分30秒経過。
「た、立ってハッキリと勝負つけようぜ!? これで決着とか締まらねぇよ!」
寝たままの展開も解かれず、思わず琴名に抗議する唯だったが······
「締まる締まらないじゃない! 唯さんがボクと殴り合いたいなら立てばいい! このルールで唯さんに勝つ為の一番確実な方法をボクは選んでるだけ、ハッキリと勝負は決まる! 判定なだけでね!」
と、琴名にサイドからのパンチを頬に受けてしまう。
《ダメだ、音羽琴名の寝技地獄にハマってしまった安東唯!》
「唯さん······初めて道場でスパーした時から思っていたんだ、ナディアさんと競えるパワーの唯さんに勝つにはこれが一番、というよりこれしか無いってね」
「······」
絶句する唯。
そう言えばそうだった。
あの時は時間切れになったが唯は琴名の寝技を全く返せなかったのだ。
これも格闘技。
パンチで正面から撃ち合うから正しい、寝技で相手を封じてしまうから間違えている、そんな事は絶対に無い。
勝った者が正しいのだ。
「どう思われようがボクは絶対に唯さんに勝って決勝大会にいくんだ!」
小さな声ながらの琴名のハッキリした宣言に唯は目を瞑る。
4分30秒経過。
もう返しようはない。
「琴名、大したもんだよ参ったぜ······決勝頑張れよ」
抵抗を諦めた唯が全身から力を抜くと、
「うん、唯さんを乗り越えた分は絶対に頑張るよ、約束する」
唯を完全に抑え込んだまま琴名は神妙な声で答えた。
「判定3対0、音羽琴名!」
レフェリーに手を上げられた琴名は汗だらけの顔で満足げに頷く。
《予選大会最後の突破は國定道場の音羽琴名! これで決まりました! 今日、ここで勝ち抜いた8名が1ヶ月後の決勝大会に進むのです! この中から世界最強の女子が出るかもしれないのです!》
興奮気味の実況をよそにリングから降りてくる琴名。
「おめでとう、琴名ちゃん!」
「いい勝ち方やったで!」
「うん!」
涼や真依に迎えられると、グッと拳を握って可愛らしい笑顔。
それを見ていた優太は思う。
これからが始まりだ。
解っている筈。
涼も真依も琴名も。
『でも······今は互いに笑顔でいいよな』
そうとも思い、笑い合う三人をスマホでカシャリと撮った。
続く




