「で、ございましょうね」
控え室。
涙はもう止まっていたが、まだ止まらない鼻血を琴名はタオルで押さえながら、
「ゴメンね、ナディアちゃんも香澄さんも勝ったのに、私が情けない負け方しちゃってさぁ」
と、バツの悪そうに笑う。
もちろん無理をした笑みであるのは國定道場の面々は解る。
「気にするな、とは言いませんわ……あの方は強かったですわ、でも今度はリベンジですわよ、それしか格闘家には道がありませんもの」
「あ、ありがとう、そうだよね、格闘技を続けるならリベンジあるのみだね」
ニッコリ笑顔のナディアにゴシゴシとボブカットを撫でられ、琴名の表情には本来の明るさが少し戻った様子だ。
「医務室でも鼻も折れてない、って話だったしね、ここで横になって休んでようか、寝ながらでもモニター観れるからさ」
「ありがとうね、その前に」
優太が大きなタオルケットを控え室の床に敷くと、琴名は次の試合の入場に備えて、空手着姿に身を包んだ涼に近寄っていく。
「涼ちゃ……」
もちろん応援の言葉をかけようとしたのだが、その脚はピタリと止まってしまう。
涼の雰囲気は明らかにいつもの物ではない。
正面を見据え、緊張していると言うよりは殺気が先に立っているという風が正しかった。
「琴名」
「香澄さん……」
琴名に歩み寄ってきたのは香澄。
香澄は涼には聞こえないよう、琴名の耳元に口を近づけた。
「お前が踏みつけなんて気の効きすぎた技でやられたので、かなりキテる、話をするなら試合の後でした方がいいな」
「そ、そうなんだ?」
「それはそうだ、この私だって、ナディアだってそうだ、私達の出番がお前の試合の後の試合だったら、と今は思っているくらいだ、わからないか?」
「えと……あ、ありがと」
なんと答えたら良いのか迷ったが、諸先輩方から思われての事とは解る琴名は、やや申し訳なさげに苦笑いをした。
1勝2敗。
始めの2連敗が重くのしかかっていた所の雑賀愛日の勝利。
國定道場格闘女子の予想以上の強さに意気消沈していたプリンセスドリームチームの控え室は、数十人のイベント参加アイドル達が大いに盛り上がっていた。
「やったね、愛日ちゃん!」
「サイコー、まなび!」
帰ってきた忍者装束の愛日を迎えるアイドル達。
カメラもその様子を収めようと、後に付いてくるが、
「ここからは楽屋でございますよ、ご遠慮を」
愛日はやんわりとカメラを追い返し控え室のドアを閉め、声をかけてきたアイドル達に愛想笑いを返してから、グルリと部屋を見渡す。
広い控え室。
國定道場格闘女子に与えられた控え室の何倍も広い。
待遇の違いではなく、試合に出場しない他のプリンセスドリームのアイドル達もいるからだ。
「唯どの!」
部屋の隅、特攻服姿で寝転がる安東唯を見つけると、愛日は彼女の傍に駆け寄り、正座する。
「おお、雑賀……御苦労さん、お前強いなぁ、相当ケンカの場数踏んだんじゃないか?」
「お褒め頂きありがとうごさいまする、それよりもお話があります」
寝転がったままの唯を神妙な顔で、愛日は見据える。
周囲のアイドル達はあまりその様子を気にする感じはない。
自分の仕事がまだある者もいるし、実際には愛日も唯も全員揃えば、軽く100人を越えるプリンセスドリームのアイドルの半分以上、いや7割くらいのメンバーは話した事もなく、顔と名前が一致もしないくらいだ。
カメラの前なら別だが、それが控え室に入ってこなければ、大多数とは他人の関わりなのである。
「お話とはよ?」
「先鋒戦、次鋒戦、そして中堅戦と戦ってきましたが、相手が強すぎます」
「お前勝ったじゃん?」
「あの相手、琴名さんが相手で一番経験が無い、いわゆる格下なのでしょう? 私は運が良かった、ならばもう少し穏便に勝つべきだったのですが、それでも相手が手強く、つい本気になってしまいました、あそこまで勝負にいってしまいました」
「顔面に2発も蹴りを入れた事か、だからどうした?」
「やり過ぎました、あれで相手も、もうこちらをアイドル集団とは見てくれませぬ、先鋒も次鋒の彼女らの闘いにはどこかアイドル相手という所がありましたが……これからは違います、唯殿はそれでも上等でございましょうが……」
愛日の視線が次の試合に備えて、汗だくのウォームアップを終えた河内いずみに向かう。
スポーツ用のタンクトップに短パン、オープンフィンガーグローブを付けた彼女は入場用のガウンを仲間に着せられていた。
「アイツが怪我させられるかもか?」
「かもではごさいませぬ、相手の高杉涼殿は前に回し受けだけで、いずみさんを怪我させているのでしょう? 今度はそれでは済みますまい」
「止めろってか?」
「……それが大将のお役目なれば」
「あのなぁ、時代錯誤な奴とは聞いてたけど、大将と言ってもアタシがお前らを束ねた訳でもねぇだろ? 最後に闘うだけだろ? それにアイツが今から止めると思うか? タイまで行ってムエタイの打撃を特訓したらしいぜ、高杉涼を倒すためにな、止めるのは無理だろうよ」
「しかし……」
「それによ」
複雑な表情を浮かべた愛日。
唯は上半身を起こし、
「強いから必ず勝てる訳じゃねぇ、この拳に気合いと根性、そして意地を乗せてやりゃ、相手が化物で無い限りはどうにか形にはなる筈……さ!」
愛日の端整な顔の目の前まで拳を突き出す。
かなりのスピードで突き出された拳だったが、目の前で止められたそれに愛日は微動だにもしない。
それどころか、冷めた視線を目の前の拳に向けていた。
「……お前、少しは驚くなり、避けるなりしろ」
「速すぎて見えませんでしたよ、それはそうと高杉涼殿が先鋒、次鋒の二人と同格ならば、化物と呼んでも差しつかえありませぬ、それに格闘家はどう表面を繕おうとも、すべからず熱い激情があると考えまする、仲間の仇は必ず……」
明らかな嘘をついて話を続ける愛日。
焦れた様子で唯は自らの金髪を掻く。
「うるせぇな、ウダウダ言わねぇで、いずみがやるって言ってんだったら、アタシ達は信じるしかねぇだろ?」
「え?」
唯からの意外な言葉に、愛日の太めの眉毛がピクリと動く。
「アンタも含めて、チームの皆とはこれまでほとんど絡んだ事が無かったけどな、でも一応は仲間なんだ、勝てる確率は殆ど無いかも知れないけど、本人に覚悟があるなら、それを応援するのが止めるよりもやる事じゃねぇか!?」
口を尖らせた唯。
数秒の沈黙が流れた。
「ゆ、唯殿」
すると愛日は彼女の名前を呼び、言葉を詰まらせ、いつの間にか、ややつり目な瞳を潤ませ、唯の手を取る。
「な、なんだよぉ!? いきなり?」
「いえ……そうでございますか、唯殿が仲間を思いやる気持ちがそこまであられるのならば、愛日も従いまするよ! 止めのは諦めて、精一杯にいずみ殿を応援いたしましょうぞ!」
「なんなんだよぉ、オッパイやたらデケェくせに、忍者とか、見かけだけでなく言う事も時代錯誤過ぎて、なんだかなぁ」
どうやら自分の意見に感銘を受けたらしい愛日にハイハイと頷きながらも、
「でも、一生懸命に応援しても……結局は当人だからなぁ、まだまだ厳しいだろうな、相手は本物だからなぁ」
唯はため息をついた。
つい漏れてしまった本音。
「で、ございましょうね」
それに愛日はさっきまでの態度とは裏腹に、妙に落ち着いた返答をしたのであった。
続く




