「車を止めて下さい」
型落ちのデジカメを向けられた涼の顔は不機嫌その物であったが、向けた本人はまるで自分が被写体であるかのような笑顔を作る。
「はい、もっといい表情くださいまし! 貴女もモデルやってるんですから良い顔なさいな!」
「あのねぇ、モデルはあくまでも副業ですし、プロでもないカメラを向けられるの嫌だし、何よりもあんたの小遣い稼ぎのブログのアクセスアップに協力するなんて真っ平ごめんよ!」
道着を着ての稽古中の道場。
ナディアに向けて意地悪く涼は舌を出す。
河内いずみとのテレビでの戦いは涼にとっては不本意に終わったのだが、ネットを中心に対戦動画が出回り、回し受けだけで勝利した涼は一躍話題となった。
注目されたのは実力だけでなく、ルックス含めてであり、対戦がテレビ放映されて二週間が経つが注目度は上がっていく一方である。
次の対戦相手は?
モデルやってるらしいけど掲載雑誌は?
女子大生、何処の大学?
ネット民達は盛り上がり、今や涼はちょっとした時の人状態であるが、本人としてはいささか迷惑そうにも優太には見えた。
「何を言ってますのよ、ちょっとした有名人なんですのよ? ここで目立つ事をしなければ一発屋芸人で終わりますわよ?」
「だからね、アタシは格闘家なの! ブログで目立つとか嫌だし!」
「女子格闘技界の発展のチャンスですわ、このチャンスを自ら放棄するような裏切りには立ち上がらず得ませんわ、優太さん……撮影は任せますわ、こうなれば強引にでもベストショット頂きますわ!」
ナディアは傍らの優太にポイとデジカメを投げよこし、涼に歩み寄る。
「な……なによ?」
「貴女が自分でポーズを決められないのなら、わたくしが手伝ってあげますわ、その代わり過激になりますけどよろし?」
「なんですってぇ!? だからね、あんたのブログのアクセスアップには興味ないのよ!? 只でさえ最近はチーちゃんのプライベートの動画で小遣い稼ぎしたらしいじゃないの? いい機会だわ、ここで反省してもらってチーちゃんへの迷惑行為も止めてもらうわ」
「あらまぁ? キューチューバーは今は立派な職業ですわ、ヒカキソとか、その兄さんとか知りませんの? 女子大生の癖に!?」
「知らないわよ、あんたこそフランス人の癖にネット文化ばっかり身に付けちゃって、何の為に日本に来てるのよ!?」
互いに腕を鳴らし向き合う涼とナディア。
『ゴジラ対キングギドラだ……』
優太は頭を抱えたくなるが、そのまま両雄の対戦を観ている立場にはなれず、
「二人とも、喧嘩はダメだよ、涼も少し位なら撮らせてあげたらいいし、ナディアちゃんも許可なく撮っちゃダメだよ」
と、互いに注意をする。
とばっちりを避ける為の知恵だったが……
「何なのよ、そのどっち付かずは? 男の子だったら、どっちが正しいかをしっかり告げるべきよ」
「そうですわ、この娘に有名税くらい存在する事を教えてくださいまし!」
逆に優太は二人に睨まれてしまい、間に入るどころか巨大生物達の争いから逃げ惑う一般市民の如く、追い詰められてしまう有り様であった。
***
「何と言うかな、情けないと言うか、何と言うか……」
香澄は居間のテーブルで煎餅に茶を楽しんでいたが、ふぅ、というため息と共にあきれ声で優太を見た。
「だって仕方ないだろ?」
「仕方なくない、男だったら、二人を一喝してでもそんなくだらない喧嘩を止めるべきだったのだ」
「一喝されたのは俺の方だよ、あの二人が喧嘩なんか始めたら止めに入れるのは香澄ちゃんくらいだよ」
「で!? 結局はどうなったんだ? 喧嘩をしたのか?」
「してないよ、してたら大変な惨事になってたろうね、ナディアちゃんが本気になったの観た事あるけど、凄い力だよ」
優太は前に警察官ばかりを狙ったホワイトタイガーという暴漢の起こした事件を思い出す、筋骨粒々の男相手に手四つで組み合い圧勝したナディアのパワーは計り知れない。
「ナディアが涼を叩きのめすと?」
「いやいや、涼だって力じゃナディアちゃんには譲るかも知れないけど空手の技があるじゃないか、そのお陰で今のちょっとした喧騒があるんだけどね」
「上手い言い様だな、ともかくマスコミやテレビは大嫌いだ、元々モデルを副業にしているという事すら、私には理解できないのにグループアイドルの素人を倒したくらいで騒がれるなんて」
そう言いながら、煎餅を食べながら雑誌を読み始める香澄。
「まぁ……香澄ちゃんは硬派な格闘家だからね、マスコミやテレビなんかには踊らされないよね?」
「そういう事だ」
優太の返事に少しだけ機嫌を良くする香澄だったが、優太のやや冷めた瞳が自分の手に取っている雑誌「週間 噂のテレビ芸能界 枕があればバカでも売れる」に注がれているのは一向に気づかない様子であった。
「お疲れ様でした」
「お疲れ、知里ちゃん……何だか最近、調子良さそうじゃないかな?」
「そうですか? 前と変わらない感じですけど……知里、家に帰るのが楽しいです」
午後八時。
テレビ局の入口の初老の守衛の笑顔で話を交わすと、ペコリと頭を下げて知里はタクシーに乗り込む。
これからが國定道場への帰路だ、国民的人気アイドルが夜に一人で電車では移動出来ない。
「お願いします」
「はい、今日もご苦労様でした」
タクシーの運転手は女性だ、都心からそれなりの距離を走るので馴染みのタクシー会社が気を遣ってくれている。
人見知りな所がある知里としては嬉しい。
タクシーだし、相手も仕事なのだからとは思うが、車の中とはいえ異性と長時間いるのは仕事の後にストレスになりかねない。
独立して個人でやっている今は余計な経費は禁物だが、それ以上に本人が参らない事が大切なのである。
自分の母親と言ってもおかしくない年齢の女性運転手と十分ほどの雑談を交わし、後部座席で知里はウトウトと眠りについたのであった。
ガクンッ……
知里の意識が戻ったのは縦の衝撃だった。
「えっ!?」
「すいませんっ、さっきから変なバイクに絡まれてて!!」
眼を開けた知里に謝る運転手。
よく寝ていられたな、という位の爆音が聞こえる。
タクシーの周りには四台のバイクが囲むように走る、ただ走るのではない、蛇行や追い抜き、やりたい放題の暴走だ。
「運転手さんっ!?」
「無線で会社には伝えましたが……」
運転手は必死に運転しながらの返事だ。
他のタクシーが来るのも、会社が警察に電話をしても助けはすぐには来ないだろう。
「ここ……降りるところまでどれくらいでしょうか?」
もしかしたら……知里が淡い期待で運転手に聞くが、彼女は首を振った。
「まだ遠いです、少なくとも二十分はかかる距離です」
「……」
そうは都合よく行かない、知里は唇を噛む。
道場の面々は免許の有無はまだ聞いた事はないが、車やバイクに乗っているのを見た事がない。
「車を止めて下さい、このまま走ったら事故を起こしちゃいますから」
知里は運転手にそう申し出た。
続く




