「叩いたり、蹴ったりはしないから」
母屋の居間。
その申し出に涼は食べていた煎餅をパキリと割った。
「わ、私がテレビに出るの?」
「で、出来れば……」
困惑気味の涼に申し訳なさげに頭を下げるのは、國定道場の新たな住人となったチーちゃんこと夏目知里。
「お世話になったプロデューサーさんの企画の番組で出演者の空手家の女の子が怪我をして出れなくなっちゃったんです、どうしても空手をやっている女の子が欲しいと」
「出演者? 何をする予定だったの?」
「それが……あるアイドルグループの女の子が総合格闘技に挑戦するというので、その試合のお相手役として……」
「もしかして、そのアイドルの女の子に演出で負けろ……とか?」
「いえ、演出は一切なしだそうです」
話の内容を感じとり、覚めた顔を見せた涼だったが、知里は首を振る。
「え? それじゃあ本格的な試合じゃなくて、軽く手合わせ?」
「違います、本気でお願いします、と」
「そ、そうなの?」
「わざとやられてくれなんて役だったら、知里は高杉さんには頼みません、番組プロデューサーも相当な格闘技好きらしく、その挑戦する女の子も業界を観てみたくてアイドルになったけど、格闘技をやりたい思いもあったらしく諦めきれないと売れてきている仕事を削って、自費でジムに通い続けてきたそうです」
「そうなんだ?」
「相手の予定の空手家の女性が怪我をしたと困っていたらしくて、高杉さんのお話をしたら、プロデューサーさんから是非ともと、その代わりルールは顔面攻撃なしの総合格闘技ルールで良いならと、夜中の放送でもやっぱり女の子の顔面はダメとなりまして」
「顔は叩いたり、蹴ったりできないよね、そこまで相手に覚悟があるなら……」
反応を伺う様子の知里に、スッカリ乗り気になった涼は頷く。
そこに……
「テレビ出たさに不覚をとるんじゃありませんの?」
畳の上に寝転がってマンガ本を読んでいたナディアが口を挟む。
「そりゃテレビは少しは出たいかも知んないけど、不覚は取るつもりは無いわよ、こっちは女子大生ですけど本業は格闘家ですから」
「涼は平気だと思うけど、相手が大変じゃないかな……」
黙って話を聞いていた優太も混じる。
「何がよ?」
「わかんないのかよ? 相手は格闘家を目指すって言ってもアイドルってなんだよ? いくら顔面攻撃が無しでも怪我させちゃまずくない?」
そんな優太の心配に、
「ああ、そんな事? 平気よ、何度も言うけど私達は格闘家ですから、そういう所もちゃんと心得てますから」
と、涼は明るい顔でウインクをした。
***
「では皆さんは出来るだけ派手なリアクションをお願いします、個人の名前を読んでの声援は自由ですが、あまり音声の妨げになるのは注意しますので控えてください」
一週間後。
アシスタントプロデューサーからの説明を聞きながら、ナディア、琴名、優太の三人は並んで、知里が手を回して取ってくれたスタジオ内の一般閲覧席に座っていた。
特設スタジオの中央に用意されたのはリング。
それも遊びの大道具ではなく、本格的な物だ。
ゲスト席には知里と茶髪の美人だが、レディース風特攻服に身を包んだ女の子と黒髪ショートの好奇心旺盛お転婆そうな可愛らしい女の子が座っていた。
では本番です!
アシスタントプロデューサーが合図をすると、カメラマンが構えて撮影が始まる。
「皆さんこんにちわ、東京海岸テレビのアナウンサーの服部です、今日はこの海岸テレビ一の大きさを誇る第8スタジオに特設リングを設置して、スペシャル企画……日本が誇るトップアイドルグループ、プリンセスドリームのメンバー河内いずみの総合格闘家デビュー戦をお送りします、ゲストはこちらも日本が誇るトップアイドル夏目知里さんと現在はプリンセスドリームのアイドルで、元レディース総長の安東唯【あんどう ゆい】ちゃん、最後に記憶に新しいオリンピック柔道女子48㎏級の最年少金メダリスト赤垣杏子【あかがき あんず】さんの三人に彩ってもらってます」
「宜しくお願いします」
「ちいっす」
「よろしく~」
知里は丁寧に頭をペコリ、安東唯は椅子の背もたれに背中を掛けたまま軽く手を上げ、赤垣杏子はニッコリ笑顔。
声には聞き覚えのある中年アナウンサーの紹介にゲストの三人は各々の反応を見せる。
アシスタントプロデューサーの指示で紹介される度に拍手や歓声を上げる観覧席。
「元レディース総長がアイドルって……」
「優太さん知らないの? プリンセスドリームは百人以上のアイドルがいるグループで、色々な娘がいるんだ、唯ちゃんなんか最近まで関東最強のレディース総長と言われてたんだから、それでも今はドレス着て歌うの」
「もう一人の柔道女子も有名ですわよ、下町の魚屋の娘で柔道女子最年少の十六歳で今年のオリンピックで下馬評を覆して、金メダリストを取ってから、あとは魚屋を継ぐから引退すると言って世間をまたまた騒がせた娘ですわよね」
驚く優太に、琴名とナディアが知里以外のゲストを説明した。
安東唯は知らなかったが、赤垣杏子は優太も知っていた、ナディアの説明通り、十六歳で金メダリストとなると家業の魚屋を継ぐからと柔道は引退してしまい、周囲を騒がせた女の子だ。
「それでは……まず、プリンセスドリームの河内いずみ総合格闘技挑戦の軌跡のVをご覧ください」
それから流れたのは今回総合格闘技に挑戦するアイドル河内いずみのVTRである、河内いずみは長い黒髪を結わいて背中に垂らしたヘアスタイルの優しい顔立ち、身長も164㎝、体重も50㎏、スタイルも良さそうな美少女だが、流れる練習風景から観るパンチやキックは意外としっかりしているし、寝技も女子プロレスラーとこなしている様子だ。
「そう言えば香澄ちゃんは?」
「稽古もあるし、ゴシップ記事が大好きなせいでテレビ業界のヤラセ演出に手を貸すのがイヤだとか言ってたよ、出る涼ちゃんがいうならわかるけど観覧者がいう台詞じゃないよね」
Vを観ながら優太が國定道場の物で今日唯一スタジオに来ていない香澄について琴名に聞くが、返ってきたのは素っ気ない返事。
「まぁ、香澄ちゃんが自分でそういうなら仕方がないか」
来たかったが自分が師範代の稽古があり、強がりを言っただけかもしれない。
それは本人のみ知るが、訊いても怒られるだけだろう、そのうちVが終わり観客達とカメラはスタジオのステージに向く。
「では、今日の戦いを彩る一方のヒロイン、高杉涼選手の入場です」
アナウンサーの紹介に続いて、黒帯の空手着に身を包んだ涼がしっかりとした足取りで入場してくる、手にはオープンフィンガーグローブ。
見慣れた格好だが、観客からは予想以上のルックスの良さにカワイイという歓声が上がり、アナウンサーもそれもその筈、彼女はモデルとしても活躍中なのです、と説明した。
「いずみちゃんもカワイイけど、負けてないって、二人は同じ歳なんだよ」
「同じ歳なんだ? どっちをアイドルと言ってもおかしくないよな」
小さな声でいう琴名に優太は同意する。
本業の知里は別として、國定道場の格闘女子達は下手なアイドルよりは遥かにルックスがいい、身内贔屓ではなく、Vで観た河内いずみも相当カワイイと思うが、この対決は武骨な格闘女子とアイドルと観るのは難しく、どちらかと言うとアイドル同士といった方が妥当な見た目になっている。
「では、新世界への旅立ちを決意しました、我らがプリンセスの一人、河内いずみの入場です」
派手な入場曲が流れ始め、長い髪を結わいて背中に垂らし、オープルフィンガーグローブ、胸回りのみのシャツ、ショートパンツに素足という女子ムエタイ選手を思わせるような格好で入場してきた。
「両者リングインしてください、今日のレフェリーは男子総合格闘技も裁くダンカン井上さんです、判定はゲストの三人にお願いします」
アナウンスにナディアが顔をしかめた。
「レフェリーは本格的なのに、なんで判定がゲストなんですのよ?」
「知里ちゃんだって入っているんだから八百長なんてないでしょ?」
不服を漏らすナディアを優太が宥める。
確かに総合格闘技を採点する判定員と言いがたいが、そこはテレビの都合だろう。
「ま……良いですわ、どうせ判定員なんてこの勝負には必要ないでしょうし」
「だろうね」
文句を言い始めた割にはこだわる様子なく肩をすくめたナディアに優太は苦笑した、まったく同意見だ。
ルールは三分三ラウンド、ラウンド間のインターバルは一分。
河内いずみが思い立って、一年間のトレーニングをしたとはVで観たが、おそらく涼の前に九分間立っている事はおそらく不可能だろうと二人は思っていた。
「では……両者リング中央へ」
レフェリーのダンカン井上が両者を中央に呼び寄せると、アシスタントプロデューサーが合図して、いよいよという歓声を客たちが上げた。
もちろん優太たちも協力する。
「ちょっとタイムね」
そこで手を上げ、口を開いたのは涼だった。
意外な行動に何かのマイクパフォーマンスが始まるのか、と観客からはがざわめく。
「ゴメンねぇ~、戦いの直前だとはわかってるんだけどさ、こういうのは前もってとかじゃダメなんだよね~」
涼が出してきたのは何やら細かく文字の書かれた一枚のプリントアウトされた紙だった。
「もちろん、似たような約束はプロデューサーさんやマネージャーさんからも文書で交わしてるんだけど、本人のが私達格闘家としてはいるわけ、わかる?」
そう言いながら涼は紙を河内いずみに手渡す。
≪何の紙なんでしょうか? 高杉選手、聞いても良いですか?≫
アナウンサーの問いに涼はリングロープに背中をかけながら、
「そんな難しい内容じゃありません、これからの戦いで故意にルールを逸脱した行為による物以外のあらゆる負傷、および症状は全て自己責任に置いて処理する物とします、って覚書かな? 私が本気出したら河内さんは運が良くなきゃ何処か怪我すると思うからね、カメラの前で書いてほしいな」
と、軽く答える。
ザワリと観客に衝撃が走る。
軽く答えた癖に涼の顔は本気だった。
パフォーマンスと観る者ももちろんいるが、無名のモデル女流格闘家が放つ何かを皆が完全にショーとは捉えられていない。
「河内さん、書かなきゃ私、貴女を叩いたり、蹴ったりはしないから」
「……」
リングに寄りかかる涼に観られた河内いずみは覚書を持ったまま立ち尽くす。
彼女は一瞬、番組プロデューサーの方向を見かけたが……ブンブンと首を振ると、
「わかりました、ペンください」
と、堂々と返事をした。
沸き上がる観客達。
相手の脅しに屈しない強い顔がカメラに捉えられるが、優太はその時、涼が僅かに舌舐めずりをして会心の薄笑いを浮かべたのを見逃さず、背筋を震わせてしまうのだった。
続く




